三の三 優の迷い
波川が海外に出発する前日、雄一から衝撃的な事を聞かされた。
「波川、結婚するらしいよ。この海外取材も相手と同行だって」
「そりゃあんないい女だよ。相手がいてもおかしくない」
笑いながら答えた。
「本気じゃ無いよな」
「無い!」
雄一はそれ以上何も言わなかった。
優の言い方は答えと反対だとわかっていたからだ。
優は波川に海外取材の出発当日、メールで
「楽しかった」
とだけ送った。
その日優の姿は高輪にあった。
「慶太、久しぶりだね、カットしてもらいにきたよ」
「優さん!本当に久しぶりね。どこかで浮気してた?」
「してないよ、カットは慶太じゃ無いとダメだよ、少しゴタついていたのさ。来週に従業員と旅行があるんだよ。その前に顔がみたかった」
慶太もオーナーの智も少し優が気になった。
慶太とは雄一の仕事仲間のジュンを介して知り合った。優の好みで初めてあったその日から可愛がっている。
智が
「今日は慶太早上がりだから、どこか行ってきたら?久しぶりでしょう」
と言ってくれた。
慶太も
「そうしましょうよー、待っててよ」
グランドプリンスホテル新高輪のLOUNGEで優は慶太と待ち合わせた。
その間に何度か波川から着信があったが、優から折り返すことはなかった。
「優さん、何かあったの?」
慶太が優しく髪をなでながら聞いた。
「いや、慶太のこのピンクに染まる肌が恋しくてさ、それだけだよ」
「そう?何かあったらいつでも呼んでね」
「年下の慶太に慰めてもらえれば本望だ」
慶太は色白で少し火照ると全身がピンク色に染まるのが、優は特にお気に入りだ。
朝まで慶太と過ごした優は、その足で浅草の店に戻った。
一週間後、予定通り従業員と長野に遊びに行った。幸い天候にも恵まれ上高地の大自然が都会の疲れた人を癒してくれる。
「オーナー、この次は上高地帝国ホテルがいいな」
入社して間もない従業員が言ったので
「そういうことだったら彼女が出来てから一緒に来れば?このメンバーだったら色気もないでしょ」
「ちょっとオーナー!聞き捨てならないわね。このメンバー色気が無いって!」
「色気も何にもない連中だろ?外れたか?」
「外れてはいない!オーナーが女としてみないだけよ」
「お前が女ねぇ、ないなぁ」
「本当に失礼しちゃう!!」
ぷんぷん怒りながら、ほかのメンバーのところへ戻っていった。
浅草の店をオープンしてから働いてくれているので、知らない人は奥さんだと思っている。ふたりとも肯定も否定もしない。
一度怪しい関係になる寸前があったが、優は従業員には手を出さないと雄一に約束していたのでそれっきりだった。
白骨温泉に移動した後、雄一が
「なんかスッキリした顔してるけど、大丈夫なんだ」
「大丈夫も何も、人妻と子どもには手を出さないのが優くんってことだよ」
「ふ~ん」
「ところで写真は撮れたの?今回はどこの依頼?」
「依頼じゃなくて自分用さ。そろそろ2作目出そうかなって思ってる」
「前回から結構経ったね。あの時は海外の山がメインだったね」
「そうだね、今回は日本の四季か人の営みにしようかなって思っている。これなんかいいでしょう」
見せてくれたのは、店で働く従業員と優の何気ないシーンの一コマだ。
「俺たちも被写体なの?」
「そうだね、俺しか見れない優の素顔とか、気取らない人たちっていいだろう」
「寝顔はやめてよ」
雄一の大笑いに従業員が集まってきた。
毎年のことだが従業員の息抜きしている顔を見るのが、優はとてもうれしい。休みが少ないときの対応や、従業員同士のコミュニケーションも良くとれると思う。
時々雄一が悩み相談など請け負ってくれているのもありがたい。
自分だけの感情で動くわけにいかない、ということもこの店が教えてくれた。
女性の従業員は二人で男性は五人、古参の彼女がよくまとめてくれて本当に助かっている。
最後にビンゴゲームでそれぞれが持ち寄った商品を勝者順に受取り、その後は各々がゆっくり思い思いに骨休みをした。
旅行の次の日から通常にお店を開き、優には何事もなかったように日が流れた。
あれから一度も波川と連絡は取っていない。
時々みさきが顔を出しては、ちょっかいを出してくる。
そのたびに優は
「あまり頻繁に姿を現していると、風見さんに言いつけるぞ」
と脅している。
(元気がないなって心配しているのに)
(みさきに心配されるほど軟じゃありませんよ)
(確かにね、相変わらずお姉さんにちょっかい出しているもんね)
(くくく、感情が無いのによくやきもち焼いたり、泣いたりすることが出来るんだな)
(ねぇ、自分でも演技がうまくてびっくりだよ。最初のころは優は本気で心配してくれたのにね)
(今は何とも思わないよ、演技だもんね、みさきの涙は)
夕方、珍しい来客があった。風見だ。
「いらっしゃいませ、久しぶりですね」
優は風見をカウンター席へ案内した。誰にも話を聞かれたくないからだ。
「こんにちは。みさきは相変わらず遊びに出てくるの?」
「あまり多いときは、風見さんに言いつけるぞって脅してますよ」
「ちゃんと仕事はしているみたいだけど」
苦笑いしながら風見が答える。
「今日は仕事ですか?」
「そうね、それもあるけど。少しあなたが気になって」
「僕?相手してくれるんですか?今、寂しいんですけど」
「残念ねぇ、生前ならいくらでも相手してあげるけど、うふふふ」
「そうか、やっぱりダメなんだ。興味あるんだけどな」
「・・・あなた、自分の気持ちに勘違いしている?」
「・・・」
「ごめんなさいね、さっきも言ったけど気になるのよ」
「大丈夫ですよ、死にはしないです。まだまだ遊びたいし」
「それは心配ない、あなたは強いから。でも、あの人のこと勘違いしている」
「勘違い?恋愛なんて最初は勘違いじゃない?初めて会ったときに運命の人だって思って、アタックしてやっと会ってもらえて、その矢先婚約者がいるって知って。こんなことは日常でよくあることでしょう?そのたびに死んでたらその辺に死人の山だらけだよね。僕のことは気にしなくていいですよ。たとえ占いで悪いことが出てもそれは自分で処理しますよ」
少しばかり声を荒げて優が答える。
「そうね、お節介だったわね。みさきのことはくれぐれも甘やかさないでくださいね」
風見を駅まで送って行ったとき、優の左腕をさすりながら
「お節介ついでに、ケガには気を付けて」
その一言だけ最後に伝えていった。
翌日、ほおずき市の初日でいつも以上に人が出ていた。
境内の警備を周辺の店の人が交代で見回りをするため、優も境内を幾人かと歩いていた。
その時、波川が男性と楽しそうに歩いている姿を見かけた。
あれが、亭主か?
一瞬だけ足をとめたが、直ぐに見廻組に合流するためその場を離れた。
その夜、優は戻らなかった。雄一は好きなようにさせていたが、一応携帯へ連絡を取ってみた。
携帯から聞こえてきたのは女性の声で
「まあちゃん、だいぶ荒れているの、今日はこっちで面倒見るから心配しないで」
と言われた。
雄一は一瞬誰だか分らなかったが、以前から馴染みの店のママだと電話を切ってから思い出した。
暫くほっておくか・・・・
次の日から店ではごく普通にいつもの優でいるが、部屋に戻ってからの優は毎晩荒れていた。
みさきも遠くから心配そうに見ている。
ある晩,雄一を相手に荒れていた。
そんな時タイミング悪く、波川から優の携帯に着信があった。優はチラッと携帯を見たが、出ることもなくシャワーを浴びに風呂場に入っていった。
(女の子みたい)
(なにが?)
(やきもち焼いて電話にも出ないで、女の子みたいよ)
(そうか、でも、今更何話すのさ?)
(海外取材どうだった?とか、こっちの旅行はこうだったよとか)
(興味ない)
(嘘つき、優は嘘つき)
(みさきも風見さんもうるさい、少しほっといてくれよ)
(彼女から連絡してきているのに、電話にも出ないなんて最低!)
(うるさい!もう消えろ)
みさきの気配が消えた。
優は自分の気持ちが抑えられずイラついているのもわかってる。人に当たるなんて最低だということも十分に分かっている。
今まで適当につかず離れずの付き合いしかしてこなかった優にとって、どうしていいのかわからないのだ。
その晩、雄一は仕事で留守にしていた。
優は携帯を部屋に置きっぱなしにして、夜の街へ出て行った。
それから二日後部屋を警察官が訪ねてきた。ちょうど、雄一も仕事から帰って、優が仕事場に出てこないと連絡を受けていたところだった。
「高原優さんのお宅ですか?」
「そうですが、何かありましたか?」
「高原さんが事故にあいまして入院しているのですが、何も身につけていなかったので身元が分からなかったのです」
「えっ、事故?優は、優の容態は?」
「工事現場で倒れてきた鉄骨の間に挟まってしまい、左腕を骨折しました。命に別状はないのですが、意識が戻るまで連絡が取れなかったのです。病院に行かれますか?」
「どこの病院ですか?今から行けますか?」
「病院はこちらです。連絡を入れておきますから行ってあげてください。その後お手数ですが浅草警察署までお越し願えますか。事故の処理をしますので」
「わかりました。今から病院へ行ってからそちらへ伺います」
雄一が病室で優にあったのは、事故から三日後だった。骨折は左腕だけですんだが、顔やひじなどは擦り傷がついていた。
「まあちゃん!」
雄一が声をかけるが、優の反応は思ってもみなかったくらいなかった。
顔を向けたが直ぐに天井を見つめてしまう。
「まあちゃん、大丈夫か?」
もう一度声をかけたがやはり同じで反応がない。
ちょうど看護師が入ってきたので、状況を確認するためナースセンターへ一緒に行くことにした。
「酔ってはいなかったようですが、考え事をしていたみたいで工事現場の近くを歩いていて巻き込まれてしまったようです。建材を移動させているときに数本倒れてきてしまって、警備員の人が気付いた時には巻き込まれる寸前だったようでして。幸い頭の方には倒れてこなかったので、左腕にほとんどが当たってしまいました」
「そうですか、腕のけがは重いですか?」
「複雑骨折をしているので、完治まで時間はかかると思います。ただ、あまり会話をして下さらないので、状況がつかみ切れていません。一応、脳の検査もしましたが、問題はないようです」
「わかりました。ありがとうございました」
雄一が病室に戻って優をみるが、相変わらず無表情でベッドに横たわっている。
「良かったよ、命にかかわることがなくて。ゆっくり休んで治そうね。また、明日くるから」
返事がないが、入院しているうちは目を離しても、心配することはないので安心して帰れる。その後、浅草警察署に寄らなければならなかった。
その時みさきは一生懸命けがをした左腕をなでたり、頬の傷をなでたりしていた。
時々優はみさきを見るが、何も語ることはない。
そんな時みさきは風見の声を聞いた。
(早く戻りなさい)
(だって可愛そう、もう少しここにいたい)
(あなたはそこにいてはだめなの)
(もう少しだけ)
(無理に連れ戻されるより自分で戻りなさい)
みさきは最後に優の顔をなでて姿を消した。
雄一が浅草警察署で事情を確認した後、ジュンと智に連絡を入れ、それから悩んだ末波川にも連絡を入れた。
「来なくていいから」
電話を切るときに雄一は波川に伝えた。
翌日、雄一が病室に行くと波川が来ていた。
「来なくていいって言っただろう」
「じゃあ、なぜ私に連絡したのよ」
怒り気味に波川が雄一に言った。
「わからない。まあちゃんの気持ちがわからないから、つい連絡をしてしまった」
波川は眠っている優の頬に手を当てた。
その時目を覚ました優が、波川の顔を見てその後左手の指輪を見た。
波川が頬に当てた手を動く右手で振り払うと顔をそむけた。
「波川、帰ってくれ。連絡したのが悪かった。もう来ないでくれ」
雄一が絞り出すような声で波川に告げた。
波川が病室を出ようとしたときに、ジュンと智、慶太が青い顔をして病室に駆け込んできた。
「優さん!大丈夫?この間様子が変だったのよ。何があったのよ」
優の顔に手を当てて、左腕の包帯を見ながら叫んだ。
「ちょっと慶太、落ち着いて」
「だって、オーナーだって変だと思ったでしょう?可愛そうに、こんなに擦り傷も」
「慶太、わかったから、でも、優は自殺しようとしたわけじゃないでしょ。運悪く事故に巻き込まれたの」
「いつもの優さんだったらこんなこと絶対になかった!」
慶太の叫び声が波川に刺さった。
扉の所で雄一に
「私のせい?」
「そんなことはない。事故だ、だから、もう来るな。忘れて」
と背中を押されて波川は病室を出て行った。
慶太と呼ばれたこの鳴き声が波川を追いかけてきた。
翌日、波川は病院を訪れた。
雄一には来るなと言われたが、どうしても話がしたかった。
ちょうど看護師が優の着替えを終えたところだった。
「奥様が見えましたよ」
身体を横にするのを手伝いながら優に声をかける。
「じゃあ、後はお願いします」
看護師が会釈をして部屋を出て行った。
昨日と同じ天井をじっと見ている優に
「話を聞いて」
と言いながら、優の頬に手を当てた。
目を少し動かして手を見るが、今日は振り払わなかった。
波川は指輪を外している。
「返事をしなくてもいいから話を聞いてほしい」
頬に手を当てたまま、波川が話をしようとしたときに雄一が病室に入ってきた。
「波川、もう来るなって言っただろう。まあちゃんの気持ちを考えろよ。結婚する間際に何故、まあちゃんに会いに行ったんだよ。どれだけ電話で会いたいって言われても、ちゃんと結婚するからって言うべきだろ。もてあそぶことはやめろよ。指輪を外したとしても波川が結婚したのは事実でしょう」
雄一が波川の左手に、指輪が無いことを認めて強めに言った。
「少しだけ話をさせて。本当のことを聞いてほしいのよ」
「今更無理!もう来るな、何を話す?もし、話がしたいならまあちゃんが正気になって話を聞ける状況になったら出直せ」
そんな二人の会話にさえ、優は反応を示さなかった。
「最後に言っとくよ。あのほうずき市の日、まあちゃんは波川達を見かけた。あの周辺を歩いていたら、まあちゃんに会うかもって考えなかったのか?あったら旦那だって紹介するつもりだった?ひどい人だね。それからだよ、まあちゃんが荒れるようになったの!」
波川は返す言葉がない。下を向いて涙を流していた。
最後の会話の時は、優は顔をふたりに向けていた。ふたりは気がつかない。
次の日は雄一が病院にこれないので、お店の子に代わりに来てもらった。
波川が来たら帰ってもらうよう注意を受けた。彼女の顔を知っているからだ。
店の子もあの明るいオーナーが人形のようにベッドに横たわっている姿を見るのはつらかった。
「オーナー、何かしてほしいことありますか?少し話をしませんか?」
その問いかけに優は顔を向けて、少し微笑んで首を横に振った。
「そうですか、私今日は夕方までいますから、何か用があったら言ってくださいね」
看護師が部屋に入ってきて、
「あまり水分やお食事をとらないので、注意してあげてください。点滴で栄養を取ったり抗生剤で傷はよくなってきますが、一番いいのは口から栄養や水分を取ることなので」
点滴を交換しながら言った。
「わかりました」
看護師が出て行ってから優に
「失恋がつらいんですか?それとも他のことで悩んでいるんですか?」
何気なく聞いてみた。優の表情が少し曇った。
「失恋なんて私何百回としてきましたよ。私、凄い面食いなので。この店に入ったのもオーナーが超イケメンだったからです。でも、雲の上の存在ですからそんなこと知らないですよね」
「オーナーお願いですから、少し、お水飲んでくれませんか?」
吸い飲みにお水を入れて優の口元に当ててみる、が、やはり口を開けない。
「点滴で人間生き延びることは出来るそうですが、シワシワになっちゃいますよ。かっこいいオーナーの顔がおじいちゃんってやだな」
みさきがそばで見ていた。
(優、私もかっこいいままでいてほしいな)
頬を撫でてみさきは戻って行った。
それから一か月が経った。優は以前のような明るさは無いが,少しずつ話をするようになった。時々記憶を辿るような仕草をすることがあるが順調に回復している。
特に慶太が休みの日に来てくれるのは嬉しいらしい。
「優さん、リハビリしましょうよ」
慶太は優がリハビリ室にいる時は内容を食い入るように見て覚え、お客で医師関係の人がいたら教えてもらい,一生懸命優のリハビリに付き合っている。
左手の動きもだいぶ良くなってきた。
その日も午後の面会時間開始から終了時間までベッタリ優に付いていた。
「風にあたりたい」と優が言い出したので、車椅子で病院内の広場に出ることにした。
車椅子に座った優とベンチに座った慶太が、楽しそうにおしゃべりしているのを遠くから見ている人がいた。波川だ。
あの日雄一から強く言われ、部屋に行くことはなかったが,たまに遠くから様子を見に病院に来ていた。
「髪伸びましたね。今度手入れしてあげますね。髭もちょっと痛いかなぁ」
伸びた髭を撫でながら甲斐甲斐しく世話をしているのが可愛らしい。
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