二の四 久美子と浩二 しあわせに向かって

 父親は突然戻ってきた娘に問いただすことは何もせず、黙って様子を見ていた。

 も普通に接してくれている。東京を離れるときに、由子にだけは伝えた。事細かにではないが、父親の仕事に迷惑をかけることだけは出来ないと。

「米原くんのことはいいの?」

 久美子は黙ったまま何も言わなかった。今さら、どんな顔で彼に会えばいいのか。


 実家に戻って半月が経ったころ、父親の心臓に問題があることがわかり、再入院することになった。海外の新しい支店については大詰めになっている。しかし,父親の体調を考えると無理は出来ない。入院した次の日に、久美子が父親に言った。

「私に何か出来ることは無い?」

「もう大丈夫なのか?」

「心配かけてごめん、もう大丈夫よ。だから何か手伝わせてください」

「わかった。明日、本格的に手伝ってくれている子を紹介するから、その指示に従って手伝ってくれ」

「うん、明日ね。どんな人なの?」

「お父さんの大学時代の友人の息子で、なかなか切れるやつだよ。その子に新しい支店を任せるつもりだ」

「へぇ、お父さんがそこまで認めるなんてね。お父さん大学ってどこ?」

「知らなかったか?慶應だ」

「えっ、慶應なんだ。何学部?」

「経済」

「なかなか偏差値高くて入学が大変な学部じゃない」

「お父さんの頃はそうでもなかったぞ」

「まぁ、謙遜して。じゃあ、明日また来るから、おやすみ」

「おお、気をつけて帰れ」


 次の日に病室に行くとその人はいた。顔を見てお互い驚いた。

「浩ちゃん!」

「えっ、久美ちゃん、何で?」

「なんだ,知り合いか?」

 三者三様の驚きだった。

「息子さんって,浩二くんなの?」

「ずっと手伝ってもらっていたんだ。知り合いなのに何も話していなかったのか?」

「由子の紹介で会ったの」

 それだけ言った。


「じゃあ浩二くん。娘を頼んだよ」

「わかりました。あと何か急ぎですることありますか?」

「出発まで二ヶ月だから、大変だと思うがよろしくな」

「二ヶ月?」

「二ヶ月後にはマレーシアの新しい支店に行くことになってる」

「そうなんだ・・・」

「じゃあ事務所行きましょうか」

「はい」


 父の会社に行くのは何年ぶりだろう。お嬢様って言われるのが嫌で、ずいぶん反抗してきたな。

 六つ会議室が並んでいるその中の一つが、海外新支店プロジェクトのために用意されていた。

 部屋の中は書類が山になっている。よく見るとすべて英文だ。

「そういえば浩ちゃん字幕なしで映画見てたね」

「かなり苦労してるよ。卒業してからこんなに英文と接するなんてなかったから」

 苦笑いしながら答える。


「じゃあ、この資料の英文と日本文の精査してくれる?結構いい加減な訳し方なんだ」

「わかりました」

「この作業最低一週間は続くよ、大丈夫?」

「楽しいわ、英語と接することが出来るから」

「まだ、海外勤務希望なの?」

「わからない」


 五日目作業の終わりに久美子が浩二に言った。

「浩ちゃん、裏切ってゴメン」

「・・・」

 しばらくたってから

「裏切るって、まだ俺たち始まってもいないし、何もないでしょう?」


 久美子の心の中のガラスが割れた。


「そうね。じゃあ、また明日」

 その場にとどまっていることなど出来ない。涙をこらえて事務所を飛び出した。


 久美子は自分の部屋に戻ってから一晩中泣き崩れた。止めどもなく涙があふれてくる。

「私なんて馬鹿なことをしたんだろう。こんなに浩ちゃんが好きだったんだ。私、ばか」

 途中にさえが食事の声をかけてくれたが、久美子は断り泣いていた。

 朝日が差してきて、鏡に映った自分の顔に思いっきり花瓶の水をかけた。それでも涙が止まらない。

「仕事は行かなくちゃ・・・」

 ようやく部屋から出てシャワー室に向かうと、さえが座り込んでいた。

「さえ、どうしたの?」

「ああ、お嬢様、すみません。めまいがして」

「大丈夫?病院行こうか」

「大丈夫ですよ。少し横になれば」

「私、さえに倒れられると困るの。待っててシャワーを浴びたら病院に連れて行くから」


 慌てて、シャワーを浴びて、さえを病院に連れて行った。父が倒れ、今、

 さえに何かあったらどうしよう。心配が胸を押しつぶしてくる。

 診察の結果、胃に原因があり入院が必要だと言われた。さえは

「大丈夫です。お嬢様、帰りましょう」

「何言ってるの、今、きちんと直さないと後が大変でしょう。入院の手続きをしてくるからここで座っていてね」

 久美子は受付に行く前に浩二に連絡をして、さえを入院させてから行くと伝えたが、

「今日は大丈夫だよ。さえさんの所にいてあげて」

 と言ってくれた。

 受付を終えてさえのところに戻る途中、朱音に会った。

「榊原さん、お父様のお見舞い?」

「いえ、今度はさえが入院することになって」

「あら、そうなの。大変ね。ところで今日は泣きはらした顔ね、家のこと以外に何かあった?」

「あ・・・」

「立ち入ったことを聞いたわね。相談ならいつでも聞くわよ。今日は早上がりだからこの間のお店で6時ごろ待っててくれる?」

「いいんですか?」

「お節介でごめんね。私、ほっとけない性格なのよ」

 笑いながら肩をポンとたたいてくれた。あまりにも優しさが身に染みてしまい、久美子は泣き出してしまった。

「ごめんなさい、大丈夫です。あとで・・・」

「じゃあ、待っててね」


 さえを病室に連れて行くと、心配そうな顔をして聞いてきた。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「病人に心配されちゃうか・・・大丈夫だよ」

 さえのベッドの掛け布団の上に突っ伏して暫く泣いていた。さえは黙って見ていた。

 ようやく泣き止んだ久美子にさえは

「米原さんのことなら大丈夫ですよ。お嬢様にお似合いですよ」

「そんなに昔から知っているの?」

「いえ、米原さんがお仕事の事で、お見えになったのは一年ほど前からですよ」

「そんなに?」

「旦那様は全幅の信頼をよせていらっしゃいます」

「そんなにいい人を怒らせちゃった・・・」

「時間が解決しますよ。米原さんは大丈夫ですよ。お嬢様を見てくれています」

「だと嬉しいね、じゃあ、お父さんのところへ行ってくるね。ちゃんと休んでね」


 父の病室に行き、さえの入院のことを話した。

「そうか、さえもいい歳だからな、そろそろ後を任せる人なを考えないとな」

「そうだね。でも、さえほど出来る人探すのは大変だ」

「なんとかなるさ。それより、何かあったか?泣きはらした顔して」

「ばれたか・・・大丈夫、時間が解決する」

「そうか、米原君と仲良くやってくれよ」

「頑張るわ」


 夕方少し早めに朱音と待ち合わせの店に行った。読みかけの本を開いてみるが内容が少しも入ってこない。浩二の言葉が胸に痛い。暫くすると、朱音が

「おまたせ」

 と言いながら店に入ってきた。

「こちらこそお時間いただいてすいません。旦那様とお子様大丈夫ですか?」

「私のお節介のことはわかっている二人だから、全然大丈夫。気にしないで。

 オーダーした?」

「いえ、まだ何も」

「じゃあ、とりあえず頼んでからお話ししましょう」


 オーダーを終えて、朱音が

「さて、何でも聞くわよ。洗いざらい話しちゃいなさい」

 笑顔でそう言った。

 大倉と出会ったことから、利用されそうになったことや、米原とのことを事細かく

 朱音に話した。朱音は大倉のことに関しては、もの凄く怒りの言葉を吐いたが、米原のことになると

「あなたのことを本当に思っているのよ。裏切りって言葉は彼にはショックだったでしょうね。でも、彼から何も言われていなかったんでしょう?」

「何も?」

「そう、好きだとか、付き合ってとか」

「紹介されてなんとなく会ってって感じです」

「彼はそういったところを、きちんとしたいんじゃない?真面目なのよきっと」

「それはわかります。でも、本気で怒っているんじゃないかな・・・」

「時間は必要かな。でも、もうすぐ日本離れるんでしょう?それまでに・・・。

 ゴメン期待するようなこと言っちゃだめだね。お節介な私から言うと、絶対にあなたを思ってるよ彼は。大切にしたいと思ってる」

「はい、私も彼を失いたくない。時間がかかってもいい」

「そうね、がんばれ!それから、泣きたいときは思いっきり泣いちゃえ。後で懐かしく思えるよ」

「朱音さんも泣いたの?」

「私かぁ、若いころはあったかもね、でも、旦那様にあってからはないかな。うれし泣きはよくある」

「わあ、素敵!素敵な旦那様ですもんね」

「そうでしょう。モテるのよ、本人は全く自覚ないけど」

「ははは、それは変わってる」

「ようやく笑顔になったね。大丈夫だよ、私もついてるから、何かあったらいつでも言ってね」

「はい、ありがとうございました」


 浩二が日本を離れる三日前になった。

 父とさえはまだ入院しているが、さえの後を引き継いだ人が来てくれたので、家のことは心配ない。

 仕事が終わり、

「今日はこれで帰りますね。お疲れさまでした」

 と久美子は浩二に声をかけて部屋を出た。浩二はチラッと久美子を見たが

「うん、おつかれさま」

 とだけ答えた。

 久美子は泣くことはなくなったが、胸の痛みはまだ残っている。

「時間が解決する・・・」

 心に言い聞かせながら家に戻った。

「久美子お嬢様、お食事はどうなさいますか?」

 新しい家政婦の山田が声をかけてきた。

「そうね、いただいてからちょっと出かけようかな」

「かしこまりました。すぐ、ご用意しますね」


 食事が終わってから、久美子は家を出た。なんの予定もないが家にいてもつまらなかったし寂しかった。横浜の街をぶらっとしたかったので、家政婦の山田に

「山下公園を散歩してくるね」

 声をかけて出かけた。

 山下公園は歩く人はまばらだったが、ベンチはカップルでほとんどが埋まっていた。


 氷川丸のそばで海を見ながらぼうっとしていると

「久美子!」

 呼ぶ声がした。振り向くと浩二が立っていた。

「どうしたの?仕事は終わったの?」

「うん、久美子のおかげでだいぶ早く終わったよ」

「よかった」

 ふたりは並んで氷川丸を見ていた。次の瞬間、浩二が久美子の手を握って

「この間はごめんね。言い方がきつかったんだろう?泣いてたってお父さんに言われた」

「・・・」

「なんであんな風に言ったかわかる?」

「・・・」

「俺から久美子に何も言っていなかったから、始まってないって言った。ちゃんという前に久美子からあんな風に言われたから」

「ごめんなさい」

「謝ることなんかないよ、もっと早くに言えばよかったんだ」

 久美子を抱き寄せて、

「久美子、付き合ってください。結婚を前提に」

 と浩二が言った。

 久美子は暫く浩二の胸に顔を埋めていたが

「はい、喜んで」

 と返事をした。

 抱き合ったままふたりは,初めて唇を重ねあった。


 その後ふたりはいつものように手を繋いで、山下公園から家に戻った。

 家の前で

「寮にはいつまで居るの?」

 久美子が聞く。

 浩二は横浜に来てからずっと会社の寮に暮らしていた。

「明日,社長に挨拶したら出ることにしてる」

「今日は?」

「もちろん、寮に帰るよ」

「離れている時間が長い、もっと話していたい」

 久美子が浩二の顔をじっと見て言った。

「臆病な浩二は帰れって言ってる。狼な浩二は残れって言ってる」

「さて、今日の浩二はどっち?」

「んー・・・久美子はどっちの俺がいいの?」

「えっとねぇ」

 浩二の耳元で

「狼の方」

 と囁いた。

「知らないぞ」

 そのまま久美子の部屋で朝まで時を過ごした。今まで離れていた時間を取り戻すように。


 浩二がマレーシアへ行く二日前、病室で父親に報告した。

「向こうの仕事が落ち着くまで、日本に戻れないと思います。ですが、戻りましたら久美子さんとの結婚を許していただけないでしょうか」

「こんなおてんば娘でいいのか?キャンセルは受け付けないぞ、それに、現地妻できましたってことになっても知らないからな」

「お父さん!」

「大丈夫です。迎えに来るまでにさえさんに妻たるものの極意をみっちり教え込んでもらいます」

「まあ、米原さん。まだ、私に働けとおっしゃいますか?」

「そうですね、まだまだ引退には早いですよ」

 浩二はさえのことが気になっており、義父にあたる社長に相談していた。

 もちろん答えは

「さえは最後まで家で面倒をみるから心配ないよ」

 と言ってくれていた。

 ナースセンターに立ち寄って朱音がいるか確認をしてみた。ちょうど他の病室から戻ってくる朱音を見つけたので、浩二の手を取って

「朱音さん!良かった、会えて。浩二さんです」

 と紹介をした。

「久美ちゃん、良かったね。浩二さん、久美ちゃんのことよろしくお願いね」

 姉のような笑顔でふたりを祝福してくれた。

「はい、義父とさえさんのこと、よろしくお願いいたします」

「かしこまりました。本当にお幸せにね」

 ふたりで頭を下げて、玄関へ向かった。


 そのまま久美子を家に送って行き、家で暫く話をしていた。

 出発の日は浩二は実家から成田に向かう予定なので、実家に戻ることになっていた。

「浩ちゃんのご両親にはいつ会える?」

「そうだな、今から行こうか」

「えっ、今?今日?」

「そうしよう,ほら支度して」

「支度って、何着ればいいの?」

「裸じゃなきゃ何でもいいよ。気取る家じゃないから」

「そう言っても・・・」

「言い出したのは久美子だよ。じゃあ、俺が選ぶからそれ着ていこう」

「わかった」

 しばらく悩んでいた浩二が、クローゼットから選んだ服は、可愛い花柄のワンピースだつた。

「これ?」

「そう,この服がいい。早く着替えて」

 そんなこんなで着替えをしているときに、浩二は実家に連絡を入れて久美子を連れて行くと言った。実家の方でも大騒ぎらしい。

 横浜から千葉行きの横須賀線で新小岩まで行き、総武線を乗り換えて小岩へ出る。

 時間としては1時間足らずだ。


 小岩駅を降り立ったとき、久美子は緊張で赤い顔をしている。

「久美子、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。俺の家族も久美子を絶対気に入るよ」

「ありがとう」

 大きく深呼吸をして繋いでいる手を久美子がギュッと握ると、浩二も握り返してくれる。やがて米原酒店の看板が見えてきた。

 店の左側に玄関があり、手を繋いだまま浩二が玄関を開け

「ただいま」

 と奥に聞こえるように大声をだして帰宅したことを伝えた。すぐに母親らしき人が出てきて

「おかえり」

 そして、久美子の顔を見て笑顔で迎えた。

「急に押しかけてしまい申し訳ありません」

「いつも浩二には振り回されてるけど、今日ほど驚いたことは無いわね」

 居間に案内されても、ふたりは手を離さない。

「お父さんもすぐに来るから、座っていてね」


 しばらくして父親と兄の衛一が居間にやってきた。父親が久美子を見るなり

「随分大きくなったな。お母さんによく似てきたね」

 と言った。

「母をご存知でしたか」

「学生時代からよく知ってるよ。なんだ雅史は何も言わなかったのか」

「父が慶應卒というのもつい最近知りました」

「あいつらしいね、じゃあ若い頃の話しは後でゆっくりするとして、よく来たね。こっちが兄の衛一だ」

「お兄さん、はじめまして。久美子です」

「道理でおじさんの頼みは断るわけないよ。こんな可愛い娘さんがいるなら」

「それがさ、兄貴。親子って知ったのつい最近なんだ」

「えっ?どう言うこと?」

「久美子は精也の彼女の同期で、飲み会で紹介されて初めてあった。仕事先の関係者だとは全然知らなかった」

「へぇそんなことあるんだ。全く別の所でか」

「それに全部繋がっているんだ。うちの両親と久美子の両親が慶應の同期、そして、俺が後輩、すごくない?」

「何が言いたいんだ,浩二は。運命の人だってことか?」

「わかってるじゃん兄貴!」

「よくもまあ抜け抜けと」

 兄弟がいない久美子にとっては、この二人の会話が楽しくて仕方がない。

「急だったから簡単なものしか無いけど、ゆっくりしていってね。お酒は呑めるの?」

「少しいただきます」

「明日は一緒に行くの?」

「成田まで、落ち着いたら迎えに来る」

「そう、頑張らなくちゃね」

「お父さん、お母さん、衛一さん、家の父が無理言って、浩二さんを海外に行かせることになってしまい申し訳ありません」

「いや、雅史から相談があったときに、浩二に話したら自分が絶対に行くって言ったんだよ。元々好きだったみたいだよ、貿易の仕事」

「ここは兄貴がついでくれることになっていたので、お気軽次男坊さ」

「ふふふ、そうなのね」

「そういえば、浩二が昨日挨拶したんだってな、雅史に。電話があったよ。お転婆娘をもらってくれるって、喜んでた」

「良かった」

「こっちもお願いしないとな、久美子さん、こんな次男坊で悪いけどよろしくな」

「こちらこそよろしくお願いします」

「こんな次男坊ってどんなだよ」

「頑固で一度言い出したら曲げない、それでいておっちょこちょい」

「否定はしない」

 その後は久美子の両親の出会いとか、懐かしい話をいろいろ聞かせてもらい、久美子はとても幸せだった。遅くなったのでそのまま久美子は、浩二の家に泊まることになった。最初は遠慮していたが、明日からしばらく会えなくなることと、横浜までひとりで帰すには遅すぎた。

 娘ができたと喜びもそうだが、同期の子ということで身近に感じたこともあるだろう。


「久美子、お風呂入ってきなよ。親父たちの後は嫌かもしれないけど。それとも一緒に入る?」

「身内の人の後だもの、何とも思わないわ。でも、一緒に入るのは帰国してからね。まだ,夫婦じゃないし」

「そうきましたか、残念だな。しばらく一緒に入れないのに、じゃあゆっくり入っておいで。俺のパジャマとタオルここ置いとく、これに着替えて」

「ありがとう」

 久美子がお風呂に入り部屋に行くと、浩二は明日の準備をしていた。

「本当に行くのね。寂しいな」

「早く迎えに来れるよう頑張るよ」

「無理はしないでね、さえからいろいろ教えてもらって待ってるわ」

「さて、じゃあ俺、自分の部屋に行くよ」


 久美子は浩二の手を握って

「私が寝るまで一緒にいて」

 と甘えた。しばらく会えないのがつらくて仕方がない。

「ここで狼になるわけにいかないから、久美子が寝たら戻るよ」

「わかった」

 ふたりで布団に入ると浩二の腕に久美子が頭を乗せてくる。両腕はしっかり浩二を抱きしめている。

「これじゃ離れられないな。いいか、このまま寝ちゃえ。おやすみ」

 と、久美子にキスをするとふたりはたちまち夢の中に入っていった。



 成田空港に浩二を見送りに、兄の衛一と久美子が来ていた。

「兄貴、久美子をちゃんと送っていってね。手出すなよ」

「いいから早く行け。ちゃんと頑張って早く迎えに来いよ」

「わかってる」

 久美子は何も言わずにずっと浩二と手を繋いでいる。

 搭乗アナウンスが聞こえたので、久美子を抱きしめて言った。

「行ってくる」

「気をつけて、いってらっしゃい」

 久美子もやっと手を離し言葉をつないだ。


 浩二が日本を離れてからあっという間に三ヶ月が過ぎた。久美子は父親に呼ばれ,明日の会議に出るように言われた。


 次の日役員の中に、浩二の父親も含まれていた。久美子は一番後ろに座り話を聞く。

 三ヶ月後に正式にクアラルンプールの会社を法人化し,そこの社長に浩二が就任することになった。そして、父は社長を引退し会長となり、父の弟が次期社長となることを発表した。久美子は黙って浩二の父親を見ていた。全員賛成で会議は終了した。

 その後三人でテーブルを囲み,久美子の父雅史が浩二の父親繁明にお礼を言った。

「会社の経営に携わるため息子を海外に行かせてしまい悪かったな。それにこんなジャジャ馬娘まで貰ってもらいありがとう」

「俺らが会った時から決まってた事だろうな。それに本人達が望んでいる事だから一番いい事だよ」

「ありがとうございます」

「三ヶ月後に就任式を日本で行う。そのあと久美子は浩二くんと一緒にあっちへ行けばいい。そのかわりいつまでもわがまま言ったり,迷惑かけるんじゃないぞ。こいつ、浩二くんにベタ惚れで全然離れない」

 雅史が苦笑いしながら、繁明に言った。

「浩二がそれを楽しんでるんだ。好きにさせとけ」

 真っ赤な顔をして久美子は黙って聞いていた。


 その日の夕方、思いがけない来客があった。風見と一緒に大倉のことを知らせてくれた弁護士だ。

「もう私の顔見るのは嫌でしょうね。でも、いい結果になって本当によかった。風見さんも喜んでいます」

「会いたかったです。お礼を言いたかった。でも,この間までつらくて。浩二さんが受け入れてくれたので今は大丈夫です」

「最後に大倉はもう日本にいません。アメリカに帰りました。もう会うことは無いですよ」

「そうですか。私たちも三ヶ月後にはクアラルンプールに行きます」

「そうですってね。英語の勉強がいきて良かったわね」

「はい、あの、風見さんは?」

「彼女は気が向いたら占いの場所に出ていますよ。いつかまた会えますよ」


 そして就任式の前日、浩二が帰国した。日に焼けてさらに逞しくなって久美子を迎えにきた。浩二の好きな花柄のワンピースを着て迎えた久美子を思いっきり抱きしめて

「ただいま。迎えにきたよ」

「おかえりなさい!待ってた!」


 就任式には二つ驚くことがあった。

 風見から祝電が届いたこと、そして、浩二の妻としてのお披露目と、副社長として久美子がクアラルンプールに行くことだ。

 新社長からそう告げられ驚く久美子はさらに、

「彼女が我が社グループのお嬢様だからということとは全く別です。米原社長たっての希望です。米原社長は久美子がこの会社の関係者だとはつい最近まで全然知りませんでした」

 笑いを交えて皆に報告された。割れんばかりの拍手に送られ若いふたりは頭を下げた。


 一週間後ふたりは新たな生活のため日本を離れた。も体調は快方しているため、少しずつ会長の手伝いを始めた。

「お嬢様、早く孫の顔見せてくださいね」

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