二の二 久美子 ふたりの男
仕事に戻った翌日,由子が
「この間,精也から米原さんとのこと聞かれたよ」
と言い出した。
「米原さん?」
「やっぱり忘れちゃったか,この間四人で飲んだじゃん,精也の後輩くん」
「ああ,米原さんね,元気かしら?」
「くっきー連絡してないんだって?寂しがっているらしいよ」
「父のことがあったからね,すっかり忘れてた」
「くっきーからの連絡待っているんだよ、連絡してあげてね」
「でも、自分からはねぇ、なんで、私の携帯聞かなかったのかな?」
「ああ、そのことね、次の日聞き忘れたって精也に言ってたらしいからおっちょこちょいなんじゃない?だから、くっきーから連絡しないとそれっきりだよ」
「そうなの」
「でもさ、米原くんって慶應経済学部卒業なんだって、酒屋の次男って言ってたけどもったいないね。お兄さんは早稲田らしいし、家の中で早慶戦!」
「へぇ〜,何か目的があったのかしらね」
「気になるなら連絡してあげなよ。悪い人じゃ無いみたいだし」
「由子と違って私からは嫌だわ」
「そんなこと言ってると、一生独身だよ。わかった、精也から連絡先伝えてもらうわ、いいでしよ」
「どうぞご勝手に」
大学時代久美子に近づいて来る男は、榊原グループのひとり娘に就職を頼もうとするのが多く,久美子は少し男性不信になっていた。
いいなと思っていた男が、あからさまに就職の依頼を言ってきた時は、ショックで寝込んでしまい、それから男性と付き合う気が起きなくなってしまった。
仕事帰り英会話教室に行く日だったので、久美子は駅に急いで向かっていた。
海外支社に異動希望を出しているので、この半年真面目に通っている。後ろから大声で久美子を呼ぶ声が聞こえたが、その声が誰かがわかったので、さらに足を速めた。なんとか振り切って改札を通ると、今度は携帯が鳴っている。それでも無視して電車に飛び乗る。ようやく落ち着いたので,携帯を見ると着信とLINEが10回以上。
「彼氏なら逃げるよ,このストーカーめ」
英会話教室とだけLINEに送り、電源を切った。
英会話教室は久美子の家のそばにある。一軒家で夫婦が先生だ。奥さんが日本人で旦那様はイギリス人、米語と英語が一度に教えてもらえる事と、少数の教室なのでとても楽しい。家の前に着いた時、
「すみません、ここロバート英会話教室ですか?」
と,若い男性に声をかけられた。
「そうです、生徒さんですか?」
「あゝ良かった,今日からお世話になる大倉と言います」
「私も生徒で、榊原です。よろしくお願いします」
ふたりで教室に入っていくと、今日は他に四人の生徒たちが待っていた。
「遅くなりました」
奥に声をかけると
「大丈夫、みんな揃ったね。始めようか」
「そうだ今日から新しい生徒さんが来ました。自己紹介してもらいましょう。ミスターオオクラ」
大倉と名乗った男性が自己紹介を始めた途端、みんなビックリして目を丸くしている。流暢な英語でとても聞きやすく、初心者でも理解できる内容だった。ロバートも苦笑いして
「大倉君は習うより先生だね」
と言った。授業は珈琲を飲みながら会話を楽しむ形式で,時々アルコールになったりする。他の生徒もかなり話せる人が多く、今日はほとんど会話は英語だった。
久美子が詰まったりした時は、大倉が教えてくれるなど、和気あいあいであっという間に時間が経ってしまった。
ほとんどの生徒は周辺地域に住んでいるが、大倉だけは少し離れているようだ。
「榊原さん、今日は楽しかったです。また、一緒になれたらいいですね」
「こちらこそ、海外に来た気分でした。ありがとうございました。でも、大倉さん、あれだけ話せるのになぜ教室に?」
「その辺は今度ゆっくり話しませんか?電車無くなりそうなので」
「あら、ごめんなさい。じゃあまた今度」
パッと久美子の手に紙を渡し
「連絡待ってます」
と、駅の方へ走っていった。
「また、私の番号は聞かないの。私からって苦手なのよね」
走って行く大倉の後ろ姿をしばらく見ていたが、自分のマンションへ帰って行った。
ベッドに入って、大倉から渡された紙をじっと見ている。今まであまり感じたことのない気持ちが湧き上がってきて、久美子は少し戸惑っていた。
翌日朝、由子の攻撃が久美子の顔を見た途端始まった。
「なんなのよ!しかとして走っていくなんて、友達がいのない奴!」
「だから、英会話教室で急いでいたんだって、で、何か用だったの?」
「そうよ、今週末ドライブ行こうってことになったの。行くでしょう?」
「なんでも決めちゃうのね。三人なんて嫌よ」
「なに言ってるの、四人!」
「えっ?四人?」
「そうよ、米原くんも一緒」
「ふぅーん、どこへ?」
「箱根、温泉」
「泊まりじゃないよね、それは嫌よ。あなた達ふたりで行ってよね」
「ドライブだってば、泊まらないよ」
「なら,わかった、行くよ」
「よし,決まり」
「どこで待ち合わせか後で教えてね」
「了解!」
昼休み、相変わらず会社の図書室にいる久美子にLINEが届いた。
米原からだった。連絡先を精也から聞いたが、電話をしてもいいかといった内容だったので、思わず笑ってしまった。今時の人にしては珍しい。
いつでもどうぞとだけ送った。
仕事に戻ったら事務の女の子がふたり電話の相手に困っているようだった。
「どうしたの?」
声をかけると、
「すみません,私たち英語得意じゃなくて,相手の方がなにを言っているのかわからなくて」
と答えた。久美子自身もそんなに得意じゃないが、電話を代わってみた。
シンガポール支社の人で、本社と間違えているようだった。本社の連絡先を教えて電話を切った。
「榊原さん、ありがとうございました。私たち英語っていうだけでドキドキしてしまってダメですね」
「みんな同じよ、普段わかっていることも突然話されると、頭真っ白になっちゃうわ」
自分の席に戻りながら思った。
「取り敢えず今くらいの会話は対応できるが、もっと込み入ってしまうとまだまだだし。大倉さんならきっと問題ないんだろうな。そうだ、連絡してみようかな・・・」
仕事終わり携帯を持って、行ったり来たりしている久美子に上司が声をかけた。
「榊原、何やってんだ?熊みたいにウロウロと、なんだ、彼氏の連絡待ちか?」
「課長、違いますよ。かけようかどうしようか迷ってたんです」
課長の問いになんの躊躇もなく本当のことを言ってしまい、真っ赤になってトイレに駆け込んだ。
「やだ、わたしったら、なにドキドキしてるのかしら?連絡してって言われたからするのよ」
自分に言い聞かせて,また,廊下に出て窓のそばで携帯のボタンを押した。
呼び出し音が数回聞こえたが、出そうにないので切ろうとした時
「お待たせしました。大倉です」
と相手の声が聞こえた。
「お忙しいところすみません、榊原です」
「あゝ榊原さん,電話くれてありがとうございます。嬉しいな、次回のレッスン日も,聞かなかったしいつ会えるかと思ってたところです」
さわやかな対応してくれる彼に好感を持った。
「私のレッスン日は隔週の水曜日です。大倉さんは?」
「僕まだ決めていなかったので、榊原さんと一緒の日にしよう。ただ,営業職なのでドタキャンするかもしれない、そうしたら他の人にも迷惑かけちゃいますね。ロバートさんに相談してみよう」
「そうですね。あの、この間のお話の続きがしたかったので連絡しました」
「あゝ、英語が話せるのにってことね。近いうちに会いましょうか?えっと、金曜日はどうですか?新宿に仕事で行くので,7時ごろ」
「大丈夫です。7時にどこにしましょうか?」
「会社まで行きますよ。エントランスに7時に待っていてください」
「わかりました。じゃあ金曜日」
電話を切ってドキドキしている自分にも驚いたが、大倉が久美子の会社を知っていることにも驚いた。
携帯を握りしめて思わず顔を緩めてしまう。由子が聞いていたらなにを言われるか、早く帰ろ。
その夜由子からLINEが入り、精也の仕事仲間に病欠が出てしまい,ドライブは延期になったとの内容だった。久美子は
「大倉さんのことで頭が一杯で忘れるところだった。延期でよかった」
悪い気はしたがそう思った。
金曜日
久美子は「早く時間にならないかな」と時計ばかり見ていた。
今日は由子も友人と食事会とかで、5時には退社予定なので、彼に会うことはないだろう。もし、大倉と久美子が一緒にいるところなど見かけたら、大変な騒ぎになりそうだ。
やっと時間になったので、エントランスへ降りていくとちょうど向こうから大倉が歩いてくるのが見えた。大倉は笑顔で右手を挙げて少し急ぎ足で歩いてくる。久美子も速足で大倉のもとへ向かう。
「こんばんは」
どちらともなく挨拶を言った。
先日の英会話教室の時は少しラフなスタイルだったが、今日は営業帰りということでスーツがよく似合っている。
「どこか行きたいところありますか?」
「私あまり外食しないので、お任せしていいですか?」
「そうしたら、僕のよく行くお店でいいですか?」
「もちろん」
並んで歩くと160cmの久美子より身長も20cmほど高く、日に焼けた肌にシャツの襟の白さが目立っている。
「なんで、私、こんなにドキドキしてるんだろう?」
人ごみの中をくっつくように歩いていると、急に肩を抱きよせ
「こっちだよ」
と、大通りから少しそれた道に入っていった。
肩に置いた手はそのままで、少し歩いたビルの地下へ階段を下りていく。
重厚な扉を左手で開け、久美子を誘導するように店の中に入っていくと、異国風の内装で彩られた空間が現れた。
「すごい、きれいなお店ですね」
「味も悪くないよ」
入口で受付の人と何か話したと思ったら、女性が店の中に案内してくれる。
お客様をチラッと見ると半分は外国人の様だった。
奥の席に案内されて、大倉は普通のように久美子の椅子を引き座らせてくれる。
自分も椅子に座り、メニューをもらうと
「ここは何を食べても美味しいよ。好き嫌いはある?」
「いえ、なんでも食べます。ただ、あまりこういったステキなお店に来ることはないので、ドキドキしています」
「居酒屋の方が好き?」
「好きとかじゃなくて、ほとんどがそっちですね」
苦笑いしながら久美子が答える。大倉がそばにいる女性にオーダーをすると
「ワイン飲めますか?」
久美子に聞き
「少しなら飲めます」
久美子が答えた。
オーダーを終え
「さて、落ち着いたね。何から話しますか?」
「何故、あれだけ英会話不自由なく話せるのに、教室へ来たかってことが聞きたいです」
「ああ、3ヵ月前にアメリカから戻ってきたんですよ。仕事でもプライベートでも使っていないと直ぐ英語忘れちゃうから。知り合いの人にロバートを紹介してもらいました」
「アメリカはお仕事で?」
「そう、他には?」
「えっと・・・」
「僕のことにそんなに興味はないんだ?」
じっとまっすぐ久美子を見つめる。真っ赤になりながら
「そんなことはないですよ。ただ、あまりプライベートなこと聞けないなと思って」
「ふーん、僕は君のプライベート全部知りたいと思いますけど」
「えっと・・・」
「じゃあ、僕は三十五歳の独身で、東京出身です。苦手なものは虫です。あとは、可愛い女性やきれいな女性に目が無い・・・おっと、それは女性の前で言うことでは無いですね」
久美子が笑いだす。
「良かった、笑顔の方がいいですよ。あっ、前菜がきました、食事にしましょう。美味しそうだ」
「色どりもきれいで、本当においしそう」
ワインを注ぎに来た女性が、
「美味しいですよ、全部ここの料理は、ここのシェフ世界一です」
エキゾチックな顔立ちの女性が流ちょうな日本語で答えた。
「そうですよね、食べてから感想を言うべきですよね。いただきます」
そのあと運ばれてきたメインディッシュのお肉は口に入れたとたん、溶けてしまうほど柔らかく本当にどれを食べても美味しかった。
デザートになった時に大倉が、
「来月、仕事でオーストラリアへ行くことになりました。2週間程度で戻ってくるので、また、会ってもらえますか?」
「もちろん、喜んで。大倉さんに時間があったら、英会話教えてほしいです」
「いいですよ。一番いいのは字幕なしの映画を一緒に見ることかな」
「えっ」
「あまり構えないで。僕、そんなに軽い男にみえますか?ちゃんと順番は守りますよ」
胸をたたきながら笑顔で言った。
「なんですか?順番って・・・」
久美子も大笑いしてしまった。
(同じ日本人でもアメリカで過ごすと、これだけスマートなしぐさや会話ができるようになるのだろうか?大倉さんは特別かな?)
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。大倉が腕時計を見ながら
「最初のデートで女性をあまり遅くまで引き留めるわけにはいかないから、残念だけど今日は帰りましょうか」
「本当に楽しい時間はあっという間ですね」
店の外はかなり暗くなっていた。駅の方角へ歩き出すと大倉がそっと久美子の肩を自分に引き寄せる。
「じゃあ、今日はありがとう。今度は僕から連絡しますね」
「ごちそうさまでした。オーストラリア気を付けて行ってらしてくださいね」
改札口で会話を交わすと、大倉がすっと久美子を抱き寄せたかと思うと、
「海外ではハグはあたりまえだけど、ここ日本だからね。おやすみ」
パッと離れて言った。
「お、おやすみなさい」
久美子が改札の中に入るまで、ニコニコしながら大倉は見送ってくれた。
自宅駅に行くために乗った電車の中で、久美子の心臓はドキドキでとても不思議な気持ちだった。
延期されていた由子達とのドライブが今週末に決まった。
「やっぱり箱根に行くの?」
「泊まらないってば、信用してないの?」
「そうじゃないよ、箱根なら行きたいところがあるの」
「なんだ、どこ?」
「箱根神社」
「箱根に行くんだから、外せないスポットでしょう、珍しいね、久美子から神社なんて言葉を聞くなんて」
「そう?一度行ってみたかったんだ」
「目的の半分はそこだよ、あとは温泉に入ってリラックス!」
「温泉って、のんびりしすぎないでよ!由子、危ないから・・・」
週末、晴天に恵まれドライブ日和だった。久しぶりに会う米原は少し疲れているようだ。
「浩二、寝不足なら後ろで寝てていいよ」
精也が運転をしながら声をかけた。
「なに?そんなに忙しいの?」
由子が聞く。久美子は隣に座っているので
「本当にいいですよ、寝てて。着いたら起こしますから」
「じゃあそうさせてもらう」
窓の縁に頭をあてて目をつぶった途端に、寝息が聞こえてきた。
「そんなに疲れているなら、無理させなきゃよかったのに」
由子が精也に文句を言っている。
「無理にでも連れて来いって言ったのは誰だ?三人なら絶対くっきーが来ないからって、それに浩二を合わせたかったんだろ」
「まぁそうだけど」
ふたりの会話を聞きながら、米原の寝顔を見ていた。
箱根神社に着く頃、久美子が米原に声をかける。
「あ〜よく寝た。悪いな、だいぶ疲れが取れたよ」
大きく伸びをしながら起きた米原が言った。
神社の帰り、日帰り温泉施設に寄った。大きな部屋と個室がかりられるので、個室を借りてそれぞれ入浴に行くことにした。
「精也、アルコールはダメだからね」
由子が彼氏に釘を刺したが、女子二人が部屋に戻ると精也がビールを飲み終え、大の字になって眠っていた。
「やっぱりこいつは!」
「米原さん、どこ行ったんだろう」
「お風呂じゃない?疲れてたみたいだからのんびりしてるのかもね」
「仕事が忙しいの?」
「よくわからないけど、次男坊だからそんなことないと思うけどな」
「私、そのあたり歩いてきても良い?」
「いいよ、精也が起きないと帰れないし」
(そんな気がしたんだよね)
独り言を言いながら庭へ出ると、お風呂で火照った頬を風があたり気持ち良い。
ベンチがあったので座ってぼうっとしていた。
しばらくそのままでいたが、肌寒くなったので部屋に戻ろうと立ち上がった時、
「久美子さん」
米原の声がした。
「米原さん、大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫なんだけど,精也が帰るの嫌だって言い出したんだ。僕が運転するからって言ったんだけど・・・」
「そんな気がしたんだよね」
「久美子さん、どうしますか?」
「どうもこうも、足がないから帰れないし」
「どうしても帰らないとダメなら、一緒に電車で帰りましょうか?」
「米原さんがそこまで気を使うことないわよ。でも、どこに泊まるの?」
「さっき電話で旅館予約したんです。ふた部屋取れたので女子、男子で泊まるようになります」
「はぁ、仕方ないわね,行きましょうか」
日帰り温泉施設から送迎バスで、旅館へ場所を移動した。泊まることになったと聞いて、精也は急に張り切って風呂に入りに行ってしまった。
「くっきーほんとゴメン、流石に米原君とは別の部屋にするから」
「当たり前よ、米原さんもいい迷惑よね」
「それでもさ、疲れが取れるって、彼もお風呂に行ったわよ」
「そう?ならいいか」
さすがに付き合ってもいない男女を、同じ部屋にするわけにはいかないということで、男女別々に部屋に入った。
折角泊まりになったのだからと、四人は飲みに外に出かけた。小さな居酒屋で飲んでいたのだが、精也が急に部屋に戻りたいと言い出した。
具合が悪いのかと心配した久美子が、みんなで帰ろうと言ったが、何故か由子が
「ふたりで少し飲んでおいでよ」
と、ふたりでさっさと出て行ってしまった。久美子が米原の顔を見ると
「二人っきりになりたいのと、僕らを二人だけにしたいという策略だろうね」
と、苦笑いして答えた。久美子も怒るわけではなく、
「下手な芝居だね」
そう答えた。
「ここで飲むのも良いけど、少し時間を空けてあげたほうがいいからカラオケに場所変えようか」
古びたビルの地下にカラオケがあった。営業時間を聞くと午前1時までとのこと。
「それまでには終わるでしょ」
と米原が意味深なことを言ったが、久美子は聞こえないふりをした。
システムも年代もので、若い子達の歌はほとんど入っていなかった。
だが、若い二人には珍しく、よくわからない曲をかけては楽しんでいた。
「少し眠くなった」
久美子が言ったので
「横になってるといいよ。あと50分で閉店だから起すよ」
米原が答える。
悪いなと思いながら久美子が椅子にもたれて目をつぶると、記憶が無くなった。
「久美子さん、そろそろ帰るよ」
米原が声をかけてきた。
「ゴメン、本気で寝てた」
「仕方ないよ。時間も遅いし、旅館に帰ろう」
店を出てから、なんとなく手をつないで旅館に戻った。
部屋の前までくると米原が
「ちょっと待って」
部屋を覗いてすぐに扉を閉めた。
「そっちの部屋に行ってもいい?」
「どうしたの?」
「言いにくいけど、ふたりそのまま寝てる」
久美子が一瞬固まったが、笑い出して言った。
「どこまで勝手な奴らだ。米原さん,いいわよこっちの部屋」
部屋に入ってから少し気まずい雰囲気になったが、ふたりとも睡魔には勝てない。
すると米原が布団を放し始めた。
「僕、寝相が悪いので久美子さんを蹴っ飛ばしちゃうかもしれないから」
「じゃあ、おやすみなさい」
電気を消してそれぞれの布団に入った。お互い意識はしていたと思うが、すぐに眠ってしまった。
ふと久美子が目を覚まして横を見ると米原が寝ているのが見えた。
「なにが寝相が悪いからよ,大人しく寝てるじゃない」
時計を見ると5時30分だった。米原を起こさないように浴場へ行った。
さすがに誰もいなかった。しばらくして誰かが入って来る気配がした。
「くっきー、ゴメン」
由子だった。
「最初からそのつもりだったんでしょ?」
「違う!米原くんが疲れているのにきてくれたから、ゆっくりさせようってことになったの」
「それなのに私たちを旅館から追い出して、戻ったらあなた達一緒に寝てるって。ゆっくり休めるわけないじゃない」
「ほんとゴメン」
「米原さんに謝ってよ」
「そうします」
帰りの運転はなんと米原がすることになった。精也が飲みすぎてアルコールが抜けないからだ。呆れてなにも言えない久美子に,米原は
「昨日来る時寝てたから交代だね」
と笑顔で言っている。
「どこまでお人好しなの?」
米原の運転は上手かったので安心して助手席に乗っていられた。それにしても後部席のふたりはぐうぐう寝てる、こんなふたりだから上手くいっているんだろう。
しばらく走っていると,米原が
「久美子さん、ちょっと意地悪しようか」
と言い出した。
「なにをするの?」
「もう少し走ると電車の駅があるんだ。僕たち電車で帰ろうよ。精也達は目が覚めたら車で帰ってくればいい」
「米原さんが良ければ」
「よし、あそこのパーキングに止めよう」
そっと車からふたりで降りて駅に向かう。ちょうど小田急線の快速が来たので飛び乗った。運良く空席があったのでふたりで座る。心地よい振動で久美子はたちまち眠ってしまった。
「久美子さん,ついたよ」
目を覚ますと米原の肩枕で眠っていたらしい。
「あゝごめんなさい」
「新宿からは中央線と総武線に分かれるけど、送らなくて大丈夫?」
「大丈夫です。なんか寝に行ったみたいね」
「そうだね、今度は話をしようね。連絡するよ」
「私の連絡先知ってる?」
「ははは、精也から教えてもらった。じゃあ、またね」
いつの間にか手を握っていたらしい。米原にギュッと手を握られて離れた瞬間がとても寂しく感じた。
「うん、またね」
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