七 真斗と朱音

 目を覚ました時にベッドのそばにいたのは、オーナーの智とリサだった。

「三ヶ月も眠ったままで心配したわよ」

 と智が言った。

「三ヶ月?」

 腹痛ではなく心筋梗塞で倒れ、緊急手術を行ったが意識が三ヶ月戻らなかったとのことだった。

 真斗が入院しているのは、和歌山県市内の病院だ。

 高野山で倒れこの病院に運ばれ手術を受けた。

 たまたまそばに人がいたので、すぐに救急車を呼んでもらい一命はとりとめたが、三ヶ月も意識が戻らないので意思も不安であった。

「そばにいた人って誰ですか?」

「えっと、女性で、風見さんって言ったかしら?」

「そうです」

 リサが答える。

 風見さん?どこかで聞いた名前だ・・・思い出せない・・・

 意識が戻ったという知らせを聞いて医師が病室に来た。

 検査をするというので、智とリサは病室から出て行った。


 検査を受けている間、真斗は考えていた。

(今までのことは全部夢なのか?それにしてもリアルだった)

 看護師が

「だいぶ術後の痕はきれいになりましたね」

 というので顔を向けた。

「!!」

 ゆきにそっくりな女性で、色が白く笑顔になると瓜二つだ。

「どうかしましたか?どこか痛みますか?」

「いえ、大丈夫です」

 外に出ていた智とリサが呼ばれ、検査をしていた医師から

「特に問題はありませんね。ただ、少し寝ている時間が長かったので歩くにはリハビリが必要です。この病院でこのままリハビリをしますか?転院してリハビリをしますか?」

 との問いがあった。

「真斗どうする?しばらくここでリハビリする?」

「先生、どれくらいリハビリの期間かかりますか?」

「そうだね、かなり足の筋力が落ちているから三ヶ月くらいかな」

「このまま入院可能ですか?」

「三ヶ月なら可能だ。以降は転院するようになるかな」

「わかりました。このままここでリハビリお願いします」


 リハビリは午前と午後の二回

 病室のベッドからリハビリ室まで車いすで移動する。

 付き添いの看護師は高橋朱音たかはしあやね、ゆきに似た子が担当することになった。

 病院に残ったのは彼女と少し一緒にいたいと思ったからだ。

 朱音が病室にやってくる。

「リハビリのお時間ですよ」

 車いすがベッド脇にセットされ、朱音の手助けで車いすに移動する。

「たった三ヶ月寝ていただけで、こんなに筋力が落ちてしまうんだ。情けないな」

 最初こそ落ち込んでいたが、少しずつ自力で歩けるようになってくると、早く現場復帰を目指そうといつもの真斗らしくなってきた。


 その日、リハビリが終わり部屋に戻るときに朱音が聞いてきた。

「少し外に出てみますか?今日は気持ちのいい日ですよ」


 高野山で倒れたのが六月、意識が戻ったのは九月の終わりだった。

 リハビリを始めてひと月半がたち、季節も晩秋になりかけていた。

「そうだね、少し外を歩いてみたいな」


 小規模の病院だが庭は結構広い。思い思いに患者がくつろげる場所があり、本を読んでいる人や、見舞客らしき人と談笑している人などが見えた。

 朱音は芝生に近い場所に、車いすを停め手を差し出した。

 ほとんど自力で歩けるようにはなったが、車いすからの立ち上がりにはまだ手を借りなければ不安だ。

 朱音の手をしっかりつかんで立ち上がる。

 最初は芝生の上を歩くのさえ怖かったが、今は自分の足で歩いている感触が戻ってきた。

 あとひと月と少しで退院予定だが、転院をせず自宅でリハビリを続けることにした。

 だが、長時間立ったり座ったりのサロンの仕事は当分できない。

 真斗はそのことが一番つらく、落ち込んでいたとき

「何かできることを考えましょう」

 と、朱音に励まされた。


 真斗は朱音に

「患者と看護師が結ばれるってあるの?」

 と聞いた。

「ありますよ、自分の両親がそうです。私たちとは立場が逆で患者が母でしたが」

「ここは長いの?」

「本田さんが運び込まれた日、京都からここに来ました。だからまだ半年たっていませんね」

「京都出身?」

「いえ、佐賀県です」

「えっ、俺と一緒だ」

「そうなんですか!偶然ですね。でも、看護師はプライベートを患者に話してはいけないんですよ、内緒にしてくださいね」

「わかった」

 返事の言葉を発した瞬間、真斗はふらついてしまった。

 朱音が咄嗟に自分の方へ引き寄せたため、何とか転倒は防げた。

「ごめん、大丈夫?」

「大丈夫です。疲れたでしょう、部屋に戻りましょうか」

 朱音に抱えてもらい、車いすに乗り部屋に戻った。


 その晩、真斗は夢を見た。

 ゆきが呼んでいる。

 何かを話しているが聞こえない、呼ぶ声だけしか聞こえない。

「ゆき!」

 目が覚めた。

 暗がりの中でぼんやりとしか見えないが、ベッドのわきに人が立っていた。

 怖いという感情はなく、どこかで会ったことがある人だと思った。


「真斗、あなたは幸せになれる人よ。元気でね」


 真斗にその人の手が触れた、冷たかった。

 真斗は誰の声か分かった、そのまま真斗はまた、眠りについた。


 翌日から朱音が休みなので、担当の看護師が男性に変わった。

 通常のリハビリに階段の上り下りが加わった。

 いまだ一人では階段の上り下りが出来ない。

 筋力が戻るのにまだ時間がかかりそうだ。

「このリハビリを三日間頑張っていけば、退院までに日常生活問題なく歩けるようになりますよ」

「腰に紐をつけられて階段の上り下りをしているところは、あまり人に見せたくないな」

 初日はへこみそうになったが、意外に二日目からは楽になり始めた。

 ひとりで階段の上り下りは禁止されているが、病院の中は自由に歩くことが許された。

 病院内のコンビニへ飲み物を買いに行ったり、庭を散歩することが出来るだけで気が楽になる。

 回診の時に医師が、予定通り退院出来そうだと診断してくれた。

 ホッとした真斗だが、心の中に朱音との別れがつらいといった感情がわいてきた。


「患者と看護師の間で、そんな気持ちを起こしていたら仕事にならないよな。朱音が自分に優しいのも仕事だから・・・わかっている。あと少しで終わる。

 こんな感情も今まで持ったことがなかった。ゆきに会うまでは」


 ふと真斗は気づいた。

 今のゆきに対する感情は夢の中のゆきに対してだ、現実ではない。

 まてよ?

 ゆきが女優って本当か?夢の中だからだろう?

 実際に【田崎ゆき】って女優はいるのか?

 携帯のテレビ番組表からゆきの主演作を探してみる。

 田崎ゆき  あった、実際に存在していた。

 今夜のドラマに出ている、俳優小山と一緒だ。

 えっ?小山さんも実在?

 この二人を見たら何かがわかるかも

 放送は消灯後だ。婦長に頼んでみるか。

 他にはないかなと探してみたが、この一週間の主演はそのドラマだけだった。

 あの時はもっと出ていたように感じていた、やっぱり夢の中だから異なっているんだろう。


 田崎ゆきは自分が見た女性とは全くの別人だった。

 雰囲気も全く違う、夢の中のゆきは「動」で、現実のゆきは「静」だ。

 ただ、共演していた小山は同一人物だった、こんなことあるか?


 看護師の朱音がゆきなのだろうか?


 退院の日

 ジュンが迎えに来てくれた。

「智はどうしても手が離せない仕事があるからわたしがかわりよ。

 嬉しいわ!真斗と一緒に行けるなんて」

「行くんじゃなくて帰るんです」

「ああ、どっちでもいいわよ。一緒には違いないわ。

 荷物タクシーに乗せておくからお世話になった方にご挨拶していらっしゃい」


 担当医と婦長に

「お世話になりました。おかげさまで無事退院できます」

「本当に良かったわ

 目を覚ましてくれた時どんなに嬉しかったか」

「無理はしちゃいけないよ」

「ありがとうございました」

 朱音の姿を探したがその日は会えなかった

 ジュンが待っているタクシーに乗り込んで、和歌山駅まで向かい東京に戻った。


 あの日見たドラマの中の田崎ゆきは、自分の全く知らない人だった。

 そして、次の日真斗は朱音に気持ちを伝えたが、朱音からの返事は無かった。

 それでも朱音はリハビリには今まで通り担当してくれた。

 退院が決まったことを伝えた時は笑顔で

「本当に良かった」

 と喜んでくれた。

 ただ二人きりになるとお互い黙ってしまう事が多くなり、先の話はできぬまま退院の日になってしまった。


 半年ぶりに自分の部屋に戻り荷物を整理していた時に、カメラがない事に気づいた。

 どこに置き忘れたんだろう?

 そういえばあの夢の中にカメラは一度も出てこなかったな。

 唯一の自分の趣味なのに。

 それに横浜の家じゃないんだ。当たり前か。


 今日は疲れた・・・


 電車に乗るのも人混みを歩くのも久しぶりで疲れた。

 ベッドに横たわると、半年留守にしていたのに埃っぽさが無い。

 ゴミ箱も空だ。

 誰かが気を利かせて掃除してくれたのか?

 でもだれが?

 部屋のスペアキーはだれにも預けていない。

 まあ、明日考えるとして寝よう。

 一瞬朱音の顔が浮かんだ。

 忘れなくちゃダメなんだな・・・


 東京に戻ってから一週間が過ぎた。

 リハビリのために家の近くの公園を、散歩するのが日課になった。

 もうそろそろクリスマスだ。

 今年のクリスマスは一人で部屋か・・・いつもは仕事なのにな。


 クリスマスの夜


 インターホンが鳴った。

 リサたちがクリスマスを真斗の部屋でやろう、と言っていたので来たのであろう。

 真斗が扉を開けると立っていたのは朱音だった。

「朱音、どうして?」

「メリークリスマス!」

「とにかく寒いから入って」

「本当に寒いわね。京都に比べたらたいしたことないけど」

「どうしたの?」

「この間の返事してなかったので今日伝えに来ました。それとこれ持って来たから」

 手渡されたのは真斗のカメラだった。

「これ・・」

「このカメラの話とわたしの返事どちらを優先させますか?」

 悪戯っぽく朱音が問う。

「決まっているでしょう」

 朱音の手をとりソファに並んで腰掛け、じっとお互いを見つめ合った。


「わたし、あなたの専任の看護師になるため、今日からここで住み込みをすることにしました」

 言葉が出ない真斗。

「自分で誘っておいて何も言わないの?」

 真斗は黙って朱音を抱きしめた。

「ありがとう。朱音、もう離さない」

「良かった」


 お互いの唇を重ねしばらく抱き合っていた。

 すると朱音が、

「カメラはね、高野山の宿坊に置いてあったのを、わたしが引き取ってきたの。宿坊の方があなたが入院していることを知って、預かっていることを教えてくれたのよ。それでわたしが持ってきたというわけです」

「なにもかも朱音のおかげだ。最高のクリスマスプレゼントだ。俺からのプレゼントは何がいい?」

「先にもらったから」

「何を?」

「プロポーズ!」

 朱音が真斗の首に手をまわして言った

「もう離れない!」



 翌日、カメラのデーターをパソコンに落としてみていた時に朱音が、

「あら、風見さんと知り合いだったの?」

 と聞いてきた。

 画面に真斗と着物姿の風見が写っていた。

「これ清水寺ね。そんなに立ってなさそうだけど、風見さんが亡くなる少し前って感じ?」

「え?亡くなった?」

「知らなかったの?風見さんが亡くなってしばらくしてから、わたし和歌山の病院に移ったの」

「半年前?」

「そうね。それくらいかな」


 風見にあったのは、高野山で俺が具合の悪くなった時が初めてで、京都であったのはその後。それに、それは夢の中の話だ・・・カメラで写真を撮った記憶もない・・・



 それから慌ただしくふたりの故郷の佐賀に、結婚の報告をするため帰った。

 両方の家族は突然のことに言葉を失っていたが、最高の正月だと言い祝福してくれた。

 年が明けオーナーの智が、店で結婚パーティーを開いてくれた。

 リサはショックで泣きながら、それでも祝辞を言ってくれた。

 ジュンも大泣きしながら、祝福してくれた。なんとも賑やかなパーティーだった。


 真斗は本格的に仕事復帰するまで、リハビリに近くの病院に毎日行っている。

 月の何日かは、ボランティアで入院患者のカットをすることにした。

 朱音も喜んで

「手伝うね」

 と荷物をもったりしてくれる。

 真斗が完全復帰して落ち着いたら、また看護師をすることにしていた。


 春 


 横浜店を完全に真斗がオーナーとして再出発の話が決まり、その日、二人で横浜に来ていた。

 真斗がオーナーになって開く店の名前は Bellissimo だ

 イタリア語で美しいを意味する。


 朱音にとって初めての横浜なので、ガイドブックを見ながら楽しんでいた。

 真斗が改装中の店に用事があるため、一旦別行動にすることにして店の前で別れた。

 朱音は赤煉瓦倉庫が気になると言って、さっさと行ってしまった。

 改装工事もほぼ終了しており、シャンプー台の設置を確認するだけですみそうだ。

 新しい新居は後で朱音と行くことになっていたので、真斗は店を出て歩き始めた。


「あの店はあるんだろうか?」

 マリーの店が気になった真斗は路地を曲がり、朧げだが店の場所を探した。

 店はあった。夢で見た通りの外見だ。

「まさか・・・」

 偶然にも客を見送るマリーが出てきた。

「マリー・・・」

 マリーは真斗に気がつくとにこりと笑った。


 店の隣の喫茶店で朱音と待ち合わせしていた真斗は、心穏やかではなかった。

「どこまでが本当で、どこが夢だ?」

 ある日朱音と一緒に風呂に入っているときに、朱音の胸に小さいホクロを見つけた。

「いつからか気がついたらあったの。小さい頃にはなかったわ」

 朱音が言う。そして

「真斗の背中の傷痕ね、初めて見た時よりはっきりしているの。痛くない?」

「いや、全く感じない。風呂で体が温まったからじゃない?」

 こんな会話もあった。


 やがて朱音が店に入ってきた。

「真斗、横浜気にいったわ」

 蒸気した顔で向かいの席に座る。

「いらっしゃいませ」

 店長がやってきた。

「店長、妻の朱音です」

 朱音を紹介する。

「よろしくね。これからちょくちょく会えるわね。それにしてもさ、やっとわかったわ」

「何が?」

「朱音さん。真斗がどれだけモテてたか知ってる?」

「そんなにモテていたんですか?」

 楽しそうに朱音が聞く。

「それはもう!この街の女性が真斗の結婚に全員泣いたのよ」

「ちょっと!いい加減なこと言わない!」

 真斗が抗議するが、朱音は

「それで?」

「自殺する人が出るくらいの落ち込みでね。まあ、本当に死んだ人はいないけどね」

 大笑いする朱音

「でもね、どんなにいい女にもまったく興味を示さない真斗を、本気で心配したのよ。女性に対して愛情って心がないのか、それとも、私たちと同じ男がいいのかって。でも、私たちの誘いも全然乗ってこないし、あっさり交わされるからさ、どうしてなのかと思ったわ」

「俺、ちっとも誘われてないけど?」

「こうなの。気づかないのか気づかないふりしてるのか、わからないけど憎めないのが真斗。でも、今日、納得したわ」

「?」

「こんなに美しくてお似合いな朱音さんを見て、真斗はこの人を待っていたんだって。朱音さんとえにしで結ばれていたのよね」

「嬉しいお言葉です。店長!」

 本当に嬉しいって気持ちを体を使って表現する朱音を見て、真斗は少しだけゆきを思い出した。彼女も真斗には素直に表現する子だった。

「店長。俺を揶揄うのはいいけどさ。コーヒーは?」

「あら、やだ!わたしったら。すぐに持ってくるわね」

 ちゃっかりと真斗の横に座っていた店長が、慌てて奥に入っていった。

 すぐに戻ってきて

「そうもうひとつ。真斗はね、いつもあまり顔に表さない子だったのよ。

 今日はどうかしら。もうニヤニヤしっぱなし」

 とまた奥に走って行った。 

「楽しそうな横浜の生活になりそうね」

 朱音の笑顔が眩しい。


 その後、新居のマンションを見にいった。

 そこは夢の中で真斗が住んでいたマンションと同じだった。だが、部屋は違った。

 ひとつ上の階だった、下の部屋は男性の一人暮らしのようだ。

 間取りは全く同じだ。

「わあ!素敵。このキッチンも使いやすそう」

 バスルームを見れば

「いや〜!一緒に入れそうね。大きいわぁ」

 窓を開けてベランダに出ると大桟橋が見える。

 ベランダで風に当たっていた朱音を、後ろからそっと抱きしめて

「ここからスタートだね。ありがとう」

 と言った。

 振り向きながら朱音も

「ありがとう。わたしを選んでくれて」

 と真斗の胸に顔を埋めた。


 一年後朱音と真斗はふたりで、高野山の合祀に来ていた

 風見に報告するためだ。

 結婚したこと、子どもが出来たこと、そして晴れて独立して自分のサロンを持ったことを。

 もちろん智とジュンの手助けもあるが風見の存在が一番だった。

 ただ会ったこともない彼女が、なぜ自分に関わったのかわからないままだが。


 朱音には夢のはなしを全てした。

 黙って聞いていた朱音がぼろぼろと涙をこぼし、現実ではゆきと呼ばれる女優が亡くなっていないので、本当に良かったねと言ってくれた。





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