六 ゆきの真実 そして夢の終わり

 ある日、小山に呼ばれた。

 マリーの店に行くと、すでに小山はカウンターに座っていた。

「忙しいところ悪かったね。呼び出したりして」

「いえ、今日はどうしましたか?」

「最近、ゆきちゃんに会ったかい?」

 表情には出さなかったが、ゆきの名前を聞いて動揺した。

「最近は会っていません」

「君の心の傷に触れるようで悪いんだが、聞いてくれるか?」

「・・・」

「あのことは知っている。災難としか言えない。ゆきちゃんは強い女だ。

 そばに君がいることが大きいのかもしれないね」

「俺は何も彼女にしてあげられなかった」

「知っている」


 小山の次の言葉を待った。


「仕組んだ女は衣装係だったサキだ」

 思いがけない名前が小山の口から出た。

「サキ?」

「覚えていないか?よくゆきちゃんに怒られていた彼女だよ。ああ、運転がどうのって言ってたこと覚えていないか?」

「覚えていますよ。でも、どうして彼女が?」

「サキも女優を目指していた。あるオーディションの最終選考でゆきちゃんに負けたんだ。そのあとからゆきちゃんが体を使って勝ち取ったと噂が流れだした」


 小山はビールで喉を潤した。

「ゆきちゃんも最初こそ落ち込んでいたが、僕たちがホローをしたことで、今のように明るくなり、今日まで頑張ってきた」

「そうですか・・・」

「もちろん、ゆきちゃんは体なんて使っていない。実力で勝ち取った。わかっているよ、僕も審査員だったから」

 真斗は次の言葉を待った。

「それからサキは女優を辞めてゆきちゃんの衣装係になった」

「憎んでいるのに?」

「女の執念は怖いね。いつかゆきちゃんを陥れようとしていたんだろう」

「それであの日?」

「週刊誌以外の写真は見ていないからわからないが、ある時サキが男を怒鳴っていたんだ。『なぜ相手の男の顔をもっとハッキリ写さないんだ。抱き合っている写真だって顔がはっきりしないじゃない!それに、あんた達がゆきと楽しんでいる写真なんて使えない!ゆきを好きなようにしていいとは言ったけど、写真をちゃんと撮ってくれなきゃ金は払わない!』とね」


 真斗は唖然とした。憎しみでここまでするんだ・・・


「この世界はね足の引っ張り合いさ。どんなに真面目にやっていても憎しみを買うことはたくさんある。今回のことが出た時に、ゆきちゃんを心配したよ。自分で命を絶つんじゃないかと」

 ゆきの言葉が蘇った・・・


「ポジティブじゃなきゃ、すでに田崎ゆきはこの世にいない」


「そしてこのことを僕がサキを呼び出して問いた。無論シラを切っていたが録音の音声を聞かせたら観念したよ」

「あの女が悪いのよ!体を張って私を蹴落とした。だから仕返しをした!男とするのが好きな女よ。さぞよかったでしょうね」

 真斗はゾッとした。

「君がしたことは犯罪だ。僕はこのテープをもって警察に行くこともできる。しかし、ゆきちゃんは望んでいない。『自分に仕返しをしたいなら演技で挑んでこい』と言っていたよ」


 その日にサキは芸能界から去った。


「今日はそのことだけ真斗君に伝えたかった。たまにはゆきちゃんにあってあげてくれな」


 小山は店を出て行った。


 しばらく真斗はその場から動けなかった。

「そこまで人を恨めるのか、ゆきがすべてを離さなかった理由わけがわかった。ゆきは俺を・・・」


 マリーが真斗のそばに来て

「付き合うわよ」

 と言って真斗の手を取り奥の部屋に向かった。

 いつもの小部屋を通り過ぎてもう一つの扉を開けると階段が見えた。

 その階段を上がっていくともう一つ扉があった。

 扉を開けながら真斗の背中をやさしく押して中に誘った。

 テーブルとソファ、小さな窓は一緒だが、そこにはダブルベッドが置いてあった。

 マリーが鍵をかけ真斗の後ろに立った瞬間、真斗はマリーの手を取りベッドへ倒した。

 お互い何も言わず服を脱ぐのももどかしいほどに二人とも体を求めあった。

 真斗の心の中にはゆきのあの悲しげな顔が浮かんでいた。

「俺は何もしてあげられなかったのにあいつは・・・」

 マリーは真斗の気持ちの整理がつくまで好きなようにさせていた。

 真斗の背中に手を回し、

「この背中の傷痕に何人触れたのかしら?」

「数えきれないほどの女と男」

 真斗は体を起こしマリーの乳房を掴み、口に含んだかと思えばまた重なり合った。

 夜が明けてきたが二人とも体を離さなかった。

 そして、真斗の心の中からゆきの悲しい顔は消えていき、笑顔のゆきの顔に変わった。


 真斗はマリーに言った。

「ごめん、感情が抑えられなかった」

 マリーは答えた。

「私が真斗にしてあげられるのはこれくらい。謝ることなんかないのよ。

 逆に感謝しているわ、私を必要としてくれたことに。いつでもいらっしゃい」



「はいカ~ット、今日の撮影はここまででーす」

 ゆきは着替えのために部屋に走っていった。着替えを済ませ、メイクを落とすのももどかしく部屋を飛び出した。

 駐車場に止まっている車にゆきが飛び込んだ瞬間、車は走り出した。

 運転をしているのは真斗だ。

 助手席に座ったゆきは、マシンガンのように話を始めた。聞いてほしいことがいっぱいあるという。止まらない勢いだ。

 真斗は黙って聞いている。

 しばらくおしゃべりをしていたゆきが、窓の外をみると海が見えた。

「どこに行くの?」

「・・内緒」

 やっと口を開いた真斗だが、また黙って前を見ている。

 景色に目をやるゆき。


 やがて小さなホテルの駐車場に車を入れた。車を降りながらゆきは、

「なんだ、真斗の家に連れていってもらえると思ったのに」

 と文句を言っていた。

 フロントでキーをもらった真斗は、さっさと部屋に向かう。ゆきは慌てて追う。

 部屋に入って、鍵をソファの前のテーブルに置いた真斗は

「俺の部屋に行きたいの?」

 と聞いた。

「もちろん!連れてってくれるの?」

「それには条件がある」

「条件?」

「そう、身体検査に合格しないと入れない」

「え~検査?」

「そう、検査受ける?受けない?」

「受けます!受けさせてください!」

 真斗の首にしがみつこうとする手をかわして

「じゃあ、検査をします。全部脱いで」

「ここで?」

「どこで脱ぐの?」

「はあ~い、脱ぎま~す」

 さっさと来ている服を脱ぎ始めた。

 ソファに座ってそれをじっと見つめていた真斗。

「これでいい?」

 全裸のゆきが両手を広げて真斗に向かって言った。

 しばらく眺めていた真斗だが、黙ってバスルームへ行ってしまった。

「なんでよ~」

 ゆきの声だけが真斗を追いかけてきた。


 しばらくして真斗が部屋に戻ると、シーツを体にぐるぐるに巻き付けたゆきがふててベッドに横になっていた。

「まだ検査終わってないけど?やめるの?」

「終わってないの?やりま~す」

 ミノムシのようにぐるぐる巻いたシーツをようやく体から外して真斗を見る。

 それまでソファに座ってみていた真斗が、ゆきのそばに行きベッドに腰かけてゆきの胸に触れた。

「こんなところに黒子があったんだ」

 そして

「これで身体検査終了です。服を着ていいですよ、結果はまた連絡します」

 と言ってまたソファに戻った。

「はぁ~おしまい?」

「終わり」

「ちょっとー」

 そのままの姿でソファに座る真斗の太ももに跨いで座り

「ひどくない?」

 と文句を言った。

「今日相手するのと、検査結果を待って俺の部屋に来るのはどっちがいいの?」

「どっちも!」

「どっちか選びなさい」

「ん~今日!今ここで!」

 跨いで座ったままの姿勢で真斗の服を脱がし始める。

 そのままゆきの腰を掴んで抱えるようにして、ベッドに連れていきそのまま重なった。

「次って来るかわかんないもん!」


 ゆきの言葉が本当になった。


 次に真斗がゆきの顔を見たのは、ゆきが倒れたと連絡を受けてから四日後だった。

 どうしても外せない仕事があり時間が経ってしまったのだ。

 慌てて病院に駆け込んだ真斗が見たゆきの姿は、頭に包帯が幾重にも巻かれ、鼻には酸素ボンベの管が、細い腕には点滴が何本もつながっていた。

 近づいて顔を見ると熱でもあるのか、頬が赤くなっていた。

 マネージャーらしき人が、

「くも膜下出血です。幸いにも手術を早く行うことができ、後遺症も残らないだろうとのお医者様のお言葉です」

 と言った。

 じっとゆきの顔を見ていたが、起きる気配はなかった。

 結局、面会時間ぎりぎりまでゆきのそばにいたが、その日は目を開けることはなかった。

 それから、何度か病院に行ったが、いつもゆきは眠っていた。

「たまに目を覚ますことはあるんですよ」


 仕事が休みの日、一日ゆきのそばにいてあげようと病室に行ったら、ゆきが目を開けていた。

「ゆき・・」

 声をかけるが目は天井を見たままで動かなかった。

「ゆき、わかる?俺だよ」

 もう一度声をかけると、ゆきの目がゆっくり真斗に向いた。

「ごめんなさい、約束守れなくて」

 ゆきが小さな声で言った。

「約束?検査結果なら合格だよ。いつでも俺の部屋に来てもいいんだよ」

「やった・・・」

 ぎこちない笑顔を見せたかと思ったら、またゆきは目を瞑ってしまった。

 その日はそれから目を開けることはなかった。


 ゆきが倒れてから2週間後、享年32歳 ゆきが永遠の眠りについた。


 葬儀は身内だけで行い、人気女優にしては質素だった。

 真斗は遠くからゆきを見送った。

 帰り際にプロダクションの社長がそばにきて、ゆきが意識を取り戻した時に

「葬儀は質素にしてほしい」と言ったことと、「真斗には知らせないでほしい」

 と言われたことを教えてくれた。

「真斗君には知らせないわけにはいかない、と自分が判断して連絡した」


 離れていく社長の後姿は小さく見えた。真斗は言葉が出てこなかった。


 部屋に戻ってから暫く何も考えられなかった。しかし、涙も出なかった。

「俺、どれだけ冷たいんだろう。人の死に接しても涙も出ないなんて。あれだけ俺に目を向けていたゆきの死に対して泣けないなんて・・・」


 急に胸に痛みが起こり、真斗はそのまま意識をなくしてしまった。


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