五 横浜 日々の暮らしと慶太 

 相変わらず店の開店から客が真斗を目当てに押しかけてくる。

 この店は予約制なのだが、真斗の予約が半年以上も取れないため、予約なしでも客は連日やってくる。

 真斗は最後は自分が必ず手を入れることを条件に、スタッフに客を振り分ける。

 スタッフも真斗が手取り教えてくれるので喜んで対応する。客もしかりだ。

 腕を上げることにもつながっているだろう。智の店の中では断トツの売り上げをあげている。

 だが、真斗は雇われ的なこの立場に満足はしていない。

 最終目標は自分の店を持つことだ。


 最近忙しくてマリーに会えなかったが、時間が出来たので久しぶりに店に行った。

 扉を開けるとそこにジュンがいた。


「真斗!ちょっと!なに?ここの店に出入りしているの?」

「ジュンさんこそ、マダムの知り合いだったんですか?」

「そうよ、結構長い付き合いなのよ。ねぇ、マリー」

「そんなに長くはないでしょう。歳がばれるからやめて」

「ちょうど良かった。真斗に紹介したい人がいるの。こちら俳優の小山さん、わたしの古い友人」

「よろしくお願いします」

 真斗は初めてではなかったのでそう答えた。

 小山はゆきの仕事で京都にいたとき、ゆきの相手役の俳優だったからだ。あの時のことは真斗は普段口にしない。

「真斗くん、噂はジュンからよく聞いているよ。本当に好青年だな」

「でしょう?わたし真斗が大好きなの。でも、ちっとも遊んでくれないの」

「ジュンさん、みんなが本気にするからやめてくださいよ」

 マリーが笑いながらいつものウィスキーを真斗の前に置いた。

「ちょっと!マリー!この子が飲むものを聞きもせず出すって。そんなに通ってきているの?」

「ジュンさん、こんなにいい男よ。一度来ただけで覚えますよ」

「あら、そうね」

「じゃあ、俺、あっちのカウンターに行って飲んでいますから」

「えぇ~どうして?一緒に飲みましょうよ」

「邪魔はしないので」

 といなして奥のカウンターへ移動した。

 この店にはマダム以外に従業員は男性一人だ。今日は手伝いにひとり女性がきていた。

 彼女は真斗の店にも来てくれているようだが、残念ながら記憶にない。

 真斗は自分が対応すると必ず一度で覚えるのだが、ほかのスタッフの客までは覚えきれない。

「まだ通って2回目ですから」

 と残念そうな口ぶりで彼女は答えた。


 1時間ほど店にいたが、ジュンがマダムを離そうとしないので、真斗が先に出ることにした。

 見送りに来たマリーが

「なにか話があったの?」

 と聞く。

「久しぶりにマリーの顔が見たかっただけだよ。じゃあ、またね」

 珍しく真斗がマリーの頬にキスをした。


 智が横浜店の様子を見にきた。

 満足そうにスタッフの働きを見ていたが、真斗に手が空いたら隣の珈琲店に来るように声をかけて店を出て行った。

 30分ほどたって目途がついたので隣の店に向かった。

 店に入ると珈琲店の店長が真斗に

「最近、客が増えたのよ。どうしてだかわかる?」

 と、声をかけてきた。

「それはコーヒーが美味しいからでしょう?」

「もちろんそれもあるわよ、コーヒーの味にはこだわっているから。でも、ほかに理由があるのよ」

「?」

 店長が耳元で

「周りを見てごらんなさい。真斗に釘づけな客ばかりでしょう。みんな真斗に会いたいからここでチャンスを待っているのよ」

 よく見ると見知った顔がほとんどだ。

 真斗は会釈をしながら奥の席へ向かった。

「オーナー、お待たせしました」

「ああ、忙しいところ悪いわね。手短に話すから」

「どうしましたか?」

「ジュンがね、帰ってこないの。もう2週間」

「何かあったんですか?」

「ジュンに好きな人が出来たらしいの」

「相手を知っているんですか?」

「俳優の小山って人。昔から付き合いはあったんだけどね。少し前に偶然に現場で会ったって言ってた」

 真斗は返事に窮した。

「たまに帰ってこないこともあったんだけど、必ず連絡はしてきたのよ。今回はね、電話にも出ないの」

「俺にできることは?」

「ああ、ごめん。このことは愚痴として聞いてくれればいいの。本題は男の子を一人育てて欲しいの」

「男の子?育てる?」

「ああ、子供じゃないわよ。二十歳は超えてるから。真斗と同じくらい現場を仕切れるくらいにしてほしいのよ」

「美容師に?」

「そう、京都店を今度閉めることにしたの。そこにいる子。私のお気に入り」

「なぜ閉めるか聞いてもいいですか?」

「あのビル建て替えることになったのよ、立ち退きってわけ」

「そうですか、ほかの従業員は?」

「高輪店の子もいれば、横浜店にと思っている子もいるわ。ただ、京都に残りたい子はほかのお店を紹介したの。それでね、慶太っていうんだけど、まだ一人前には遠いのよ。忙しいところではゆっくり見てあげられないでしょう」

「横浜店は忙しいですよ」

「わかってる。一番の稼ぎ頭は真斗だから。店にすぐに入れないわ、近くで修業させるつもり」

「言い方は悪いですが、そこでの修行で十分では?」

「美容師としてならそこで十分ね。わたしが言っているのは真斗クローンなのよ」

「俺のクローンって。最悪なのが出来上がりますよ」

「そんなわけないじゃない」

 店の子が迎えに来て

「お話し中失礼します、店長、お客様がお待ちです」

 と、声をかけてきた。

「わかった。すぐに行くね」

 会釈をしてその子は戻っていった。

「ね?」

「なにか?」

「あの子よ。真斗が来るまで口の利き方ができない子でね。本当に困った子だったのよ。それが今じゃ何『お話し中失礼します』だって!」

「何も教えてなんかいないですよ。自分のことよく知っているでしょう?若いころは顔に出してよく注意されていましたよ」

「そうねぇ、遠い昔だわ、ね、また時間とって慶太のこと相談に乗ってよね」

「わかりました。また、連絡します」

 真斗は店に戻っていった。


 五日後、マリーの店に行った。ジュンが居るかを確かめるためだ。

 扉を開け店に入ると、マリーが奥の部屋に行くように合図をしてくる。

 奥の部屋に行くとジュンがソファに座っていた。

「ジュンさん?」

 真斗が声をかけても上の空で見向きもしない。

 マリーが入ってきて

「こんな調子なのよ」

「何があったんですか?」

「この間の彼に子供がいたって、ショックであのザマ」

「・・・」

「小山さん、男も女も両方OKだったのよ」

「それがショック?」

「まあね、かなり入れ込んでいたからねえ。智のところにも帰らなかったでしょう?」

「オーナーが心配して店まで来ましたよ」

「そうなの?ここに来ればよかったのにね。智も知っているのに」

「まあ、二人がいるところは見たくないでしょうね。で、どうします?」

「今日はこのまま私が面倒みるわ。明日、智に連絡してみる」

「じゃあ、俺は帰りますね。よろしくお願いします」

「真斗」

 マリーが言いたいことはわかっていた。しかし

「俺はいつでも空いていますよ。明後日のスポーツジムで会いましょう」

「わかったわ。気を付けて」



「じゃあ、慶太、明日からよろしくね」

「はい」


 慶太と呼ばれた子がマンションの隣の部屋に越してきた。この部屋はジュンが真斗のために用意した場所だが、たまたま隣の部屋に空きが出来たので隣同士になった。

 慶太は二十歳を超えているが幼く見え、色が白く身長も178cmあり真斗の若いころに似てなくもない。

 声は甘いのだが、トーンは低めだ。聞きづらいところがある。


 ジュンを智が迎えに来て元のさやに戻った、とマリーに聞いて安心したところだ。

 その時、智から慶太が真斗のところに行くと聞いたジュンは

「危ないからダメ!」

 と大騒ぎしたらしい。

「何が危ないの?」

「慶太が、いえ、真斗が。どっちも」

 わけわからないことを大騒ぎして智にあきられたようだ。さっきまで、フラれたと言って泣きべそかいていたのに。


 真斗の部屋で真斗を客として接客の練習をしている。

「もう少し声を大きく出さないと、聞こえないよ。恥ずかしいの?」

「はい、人と話すのが苦手なので・・・」

「そうか、昔から?」

「小さい頃は田舎で大声を出して走り回っていました。

「そうなんだ、一緒だね。俺も田舎で育ったから結構やんちゃしてたな。いつから話すのが苦手になったの?」

「僕、女性が苦手なんです」

「ん?」

「僕のことを好きだって言った子がいたんですが、告白されて僕断ったんですよ。そうしたら、その子が僕は男の子が好きだって言いふらすようになって。学校中の女の子から好奇の目で見られるようになりました。その時から人と話すのが嫌になってしまって」

「つらいね。彼女もフラれた腹いせとはいえ人間失格だ!」


 真斗はキッチンに立ちコーヒーを入れだした。気分を変えるためと、大切なことを聞くためだ。

 コーヒーを慶太に渡しながら

「慶太、女性が苦手って言ったね。男性は?」

「・・・」

「言いたくないか、なら一つ教えるよ。俺ね、人を心から愛したことがないんだ。男も女も。かといって人が嫌いってわけじゃない。残念ながら心を許せる人がいなかったんだ。ただね、一人じゃ生きていけないのはわかるね?」

「はい」

「この仕事をしてある程度の地位になったのも、オーナーの智さんやジュンさん、店の同僚のおかけだよ。自分も努力はしたけど、人がいて初めて成り立つんだ。お客さんあっての仕事だからね。自分と合わないお客様だっている。そりゃそうだ、この世にどれくらいの人がいると思う?全員が自分と合うなんて思うほうが無理。だけど、この仕事をしてその人に会ったということは縁なんだよね。ものすごく天文的な数字の確率で会ったってことさ。だから、せっかく出会えた人なんだから、その人のために何かしてあげなくちゃダメなんだよ。その人を綺麗にしてあげなくちゃダメなんだよ。そのために、いろいろ聞くんだよ。どうなりたいのか?どんな服が好きなのか?とかね。他愛のない話でもその人を認めてあげるようにするんだ」

「そうですね。僕が、真斗さんに会ったのも縁ですよね」

「そうだよ」

「・・僕、男性が好きなんです。なんていうか・・わからないんですけど、いくら綺麗な女性を見てもなんとも思わないのに、智さんやジュンさんを見るとドキっとしたりするんです」

「あのふたり?」

「もちろん、真斗さんもです」

「いやいや、とってつけられてもね」

「本当なんです」

「嘘なんていってないよ。ありがとう」

「さて、コーヒーも飲んだし、休憩はおしまい。おさらいして終わりにしよう」

「はい」


 慶太が部屋を出て行ってから自分で言った言葉を考えていた。

 人に会うのは縁?

 ゆきに会ったのも縁?必然?何のために?俺は彼女に何をしてあげればいいんだ?


 答えが出ないまま時が過ぎた。


 慶太の話し方が少しずつ良くなってきた。日常の話題や本を読んで、話の内容に幅を持たすように伝えたこともきちんと理解し努力しているようだ。

 最新のニュースなども質問すると答えが返ってくる。


「今日はカットの練習をしようか?」

 練習用のマネキンを用意して、慶太の力量を見ることにした。ハサミの持ち方は少しぎこちないので手を取り教えていった。

 後ろから抱えるように教えていたが、ふと慶太の白いうなじに目がいった真斗の心にチクッと痛みが走った。

 あの日のゆきを思い出した。湯船の中で後ろから抱きしめたときのゆきのうなじだ。

 悪夢を見てからゆきのことを思い出さないようにしていたことに気づいた。

 あんなにひどいことをされた彼女を思い出さなかった?

 思い出したくなかった?

 思い出したところでどうすればいいんだ?


「真斗さん」

 慶太の声で我に返った。

「ああ、ごめん」


 行く日が過ぎたある日、智が慶太の様子を見に来た。すっかり変わっている慶太を見た智は満足気に

「やはり真斗は最高ね。真斗クローンが出来上がったわ」

「まだ粗削りですが、頑張っていますよ。慶太」

「僕、まだ、真斗クローンなんて言えないですよ。真斗さんの名前を傷つけちゃう」

「そう思っているならこれからもビシビシいくか?」

「お願いします」

「ちょっと~慶太を横浜店に取られちゃうの?高輪の本店に連れて行くわよ」

「どこでも大丈夫ですよ、慶太は」

「ところで真斗。あの方法はまさか慶太に教えていないわよね」

「あの方法?」

「えっ、なにか魔法でもあるんですか?」

「あるのよ、慶太。真斗がね、わたしの代わりに大物代議士の奥さんを担当したのよ。その人がね『今日はこんな感じにして。人と会わなくてはならないの』って言ったのよ。いつもそう、顔と相談して来いって感じでさあ言うのよ」

「そしたら?」

「いい慶太、びっくりするわよ。真斗がね一言『それ似合わないです』って言ったの!」

「ええ?」

「それで鏡越しで睨めっこ!もう背筋凍っちゃった!」

「ですよね。そんなこと言うんだ真斗さん」

 真斗は口を挟まずニヤニヤしていた。

「それから真斗が『絶対に納得させるから、僕の好きなようにしていいですか?』って言ったのね。奥さんもね『じゃあ、気に入らなかったらあなたを首にするわよ』って言うのよ。ひっくり返りそうになったわ」

「・・・」

「それで真斗がヘアセットしてメイクまでしたら、ちょっと~どうなったと思う?」

「どうなりました?」

 慶太が乗り出して聞く。

「豚がね、可愛いワンちゃんになったの」

「例えがわからないです」

「ああ、つまりそれほど変身しちゃったのよ。十歳以上若返って見えてね、肌なんてツヤツヤ。わたしもだけど店中のお客様とスタッフまで唖然よ」

「その奥様は?」

「もう、最高の笑顔で『本来の私を引き出してくれたわ。次回から真斗にすべて頼むわ』ですって!」

「すごい!」

「私の客をとったから、怒るべきだけどさ、真斗には敵わないのよ」

「慶太、オーナーの話は大袈裟だからまともに聞くなよ」

「あら!本当よ!それから代議士の先生は一線を退いたから、奥さんの来店頻度は減ったけど、今でも上客様よ。次は慶太が担当かしら」


 一週間後慶太は高輪店に移った。

 活躍は凄まじくファンもついていった。




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