四 横浜へ 仮の真実

 真斗まさとが横浜店に移ってくるということで店は大騒ぎになった。

 週刊誌のことも、まさか真斗が絡んでいるとはだれも思わなかった。

 住まいはジュンが店の近くにマンションを借りてくれた。

「困ったことがあったらいつでも言うのよ」

 ジュンは智から真斗が陥った話を聞いていたので心配していたが、最終的に自分たちのところへ戻ってきてくれたことが何より嬉しかった。


 半年が過ぎ、いつもの生活に戻りつつある真斗。

 東京本店の客も横浜まで真斗に施術してもらうため、通ってくるようになった。

「本店の客がどんどん横浜店に取られちゃうのよ」

 と、売上表を見ながら智は嘆いていた。


 この半年の間、所在不明だった【田崎ゆき】が突然会見を開いた。

 週刊誌の内容については否定せず、相手は韓国人でそのあと直ぐ二人で韓国に渡ったとのことだった。

 韓国で暫く生活をしていたが、価値観の違いで自分だけ日本に戻り、また女優業を続けたいと涙ながらに謝罪をしていた。


 そんな様子をテレビで見ていた真斗は、どこまでが本当の彼女なのかわからなくなった。

 さすがに女優だな・・・とも思うし、本心を言っているのか?・・・と思う一面が記者会見の中にあったからだ。

 ひと月ではあったが、毎日彼女と接して性格を理解しているつもりだったが、その判断は違っていたのではと思い始めた。

 ジュンが言っていた「素直でいい子」という言葉は、言い過ぎな面もあるが半分は当たっていると思っていた。

 口が悪く思ったことをはっきり言う彼女だが、スタッフに対しては気配りのできる一面もあった、一人を除いては。


 そんな時、風見から連絡があった。


「田崎ゆきが、真斗くんに会って謝罪したいといっているの。時間をとって会ってくれないかしら」

「今更、ゆきに会ったところでそうするんですか?また、ゴタゴタに巻き込まれたくない」

「その気持ちもわかるけど、田崎ゆきも自分も騙されたって言っているのよ。真斗くんに聞いてほしいことがあるんですって」

「・・・・」

「私からもお願い。一度でいいから会ってあげて」

「なんで風見さんがそこまでゆきのことに対して、一生懸命になるんですか?」

 珍しく真斗が声を荒げて尋ねた。

 しばらくたってから

「そうね、あなたの気持ちも考えずごめんなさい。先方には断っておくわ」

 電話が切れた。


「やっと落ち着いて仕事ができるようになったこのタイミングで迷惑だ」

 真斗が風見の電話をとったのは、東京の自分の部屋にいる時で、横浜店を任されることになり、完全に住居を横浜に移すため片づけをしているときだった。


 迷った挙句、智へ連絡をした。風見の電話の内容をそのまま伝えると

「本当は彼女も被害者なのかもしれないわね。あの世界は憎しみを売ると大変な仕打ちがあるらしいのよ。本人にはその気がなくてもね。彼女みたいに中堅になるには相当の努力が必要だと思うわ」

「会って話を聞けと?」

「無理にとは言わない。真斗が受けたショックは大きいものね。ただ、彼女のショックも大きいと思うわ。真斗に話を聞いてもらえるだけでも違うと思うし、彼女が自分をさらけ出せるのが真斗だけだと思っているかもね。助けてあげるのも必要よ」


 智の言葉に「はっ」とさせられた。

「自分は名前すら出されていない。写真だって顔ははっきりしないから自分の周囲でも気づいた人はいなかった。それなのに、ゆきは・・・」


 真斗はすぐに風見に電話をした。


 夕暮れの湯河原駅に着いた真斗は、タクシーで旅館海石榴に向かった。

 出迎えの人に名前を伝えると、すぐに部屋に案内された。

 部屋に入るとすでに田崎ゆきが待っていた。


 真斗の顔を見るなりゆきは

「申し訳ございません」

 と、土下座をした。

 無表情の真斗が彼女に言った言葉は

「話がしにくいから顔を上げて」

 だった。

 顔を上げたゆきの目には涙が浮かんでいた。

 真斗の心は冷静だった。破天荒な女優と言われているゆきが、目の前の人物と同一だとは思えないが、涙も演技かと思ってしまうのも事実だ。

「元気だった?少しやせたみたいだね」

 いつもと変わらない言い方でゆきに尋ねた。


「本当にごめんなさい」

「ゆきが仕組んだの?」

「絶対に違う!真斗としたいなら自分でそう言う!」

「あのね、ゆき。したいとかいきなり言わないの」

「ところでさ、話をするのはいいけど、お腹空かない?」

「すいてます」

「食事にしてもらおうか」

「こんな高級旅館に来たことがないので・・・」

「俺も初めてだよ。知り合いに頼むといつもこうなるんだ」


 夕食は豪華だった。二人で目を丸くしてこんなに食べられるかと心配するくらいだ。

 始めは緊張していたゆきも、次第にいつものゆきらしくなって

「一年分食べた感じだ!」

 お腹をたたいて笑っていた。

 食事が終わり仲居さんが食器を下げに来て部屋を出るときに

「この部屋は露天風呂がありますが、本館のお風呂も大きくていいですよ」

 と教えてくれた。

 仲居さんが出て行った後に、ゆきは奥へ走っていき

「わあ!露天風呂だ!すごい!大きい!」

 大きな声で騒いでいた。

 その声を聴きながら

「あれが本当のゆきなんだろうな。仕組めるような女じゃないよな」

 そう思った。


「ゆき!浴衣に着替えな」

 真斗が声をかけると

「お風呂に入ってから着替える!」

 と、答えが返ってきた。

 真斗が露天風呂へ行くとすでに湯船の中でくつろいでいた。

「真斗!一緒に入ろう」

「ゆき、今日は話をしに来たんでしょう?」

 真斗の口調は平静だ。

「あ!すみません、すぐに出ます」

「いいよ別に、ゆっくり入りな。浴衣とタオル、ここに一緒に置いておくよ」

 部屋に戻るとき隣の部屋をのぞくとダブルベッドがあった。

 風見さんは何を考えているのか?・・・・


 暫くすると頬を赤らめながらゆきが風呂から出てきて、真斗の前に正座をした。

「あの晩のこと話してごらん」

「社長に『最後の晩は真斗と二人で過ごしたい』って言ったの。そうしたら『自分が帰るとき小部屋にアルコールを用意しておくから二人で過ごしなさい』って言ってくれたの」

「それで?」


 そのあとは真斗の記憶にある事柄と一緒で、ビールを飲んだ後からの記憶がなく、ゆきが気が付いたとき、ベッドの上で知らない男に襲われていたという。

 横には真斗が眠っていたが、声をあげられず相手のされるがままだった。

 なんとか隙をみてその場から逃げ出したらしい。

 真斗を置き去りにしてしまったことに対して、先ほどの謝罪だった。


 真斗は淡々と、それでも言葉を選びながら説明をするゆきに、言葉をかけられずにいた。

「こうなった理由がわからない」

 真斗が呟くと

「あの女が仕組んだ」

「あの女って、ゆきは知っているの?」

「真斗がいた部屋ね、その女の知り合いの部屋なの。その時海外に行っていて、自由に使えたのはその女だけ」

「人間が信じられなくなる」

「人間じゃなく、敵は女です。だけどね、その女がこんなご褒美くれるなんて良かったなって思ってるんだ」

「ご褒美?」

「そう、真斗とこんな高級旅館に二人でいられるなんて、あの女が聞いたらどう思うだろう」

「ポジティブなやつだな・・・」

「そう思わなきゃ、すでに田崎ゆきは死んでるよ」

「・・・」

「真斗は変だって思わなかったの?」

「思ったよ、なんで仕事の最終日だったのかって」

「多分だけど、何度も私の誘いを断っていたからじゃない?我慢できなくて社長に最終日に真斗と二人になりたいってお願いしたから」

「なるほどね」

「ほかに変だと思ったことは?」

「背中」

「背中?誰の?」

「男の背中。傷痕がなかったから俺じゃないと思った」

 真斗は風見に話した背中の傷痕のことを繰り返しゆきに話した。


「ところでどこに隠れていたの?本当に韓国に?」

「そう、ある人に手伝ってもらってすぐに日本を離れた」

「ある人に?」

「約束なので誰にも言えない。たとえ一番好きな真斗であっても」

「わかった。無理に聞かない」

「ごめんなさい。それから韓国の叔母のところへ隠れていたの。これでも私アジアで有名なのよ。真斗は私を知らなかったけど」

 苦笑いの真斗


 だいぶ時間が経っていた。ゆきの頬の赤みもすっかり冷めていた。

「湯冷めしたんじゃないの?もう一度入ってきたら?」

「そうする。もう二度とこんな経験出来ないかもしれないし!」

 ゆきが風呂場へ走っていく。

 暫くゆきの言葉を頭の中で整理していた真斗だが、ゆきはすべてを話しているとは思わなかった。あの写真はほかに人がいなければ写せないと思っているからだ。


 そして、浴衣を掴んで露天風呂の方へ歩いて行った。


 ランタンの薄明かりに照らされ、夜空を見上げながらゆきが露天風呂に入っていた。

 いつもの無邪気なゆきではなく、大人の女の雰囲気を醸し出していた。

 音を立てないように真斗は湯船に入り、そっとゆきを後ろから抱きしめた。

 一瞬驚いて身体をすくめたゆきだったが、両手で真斗の腕に触れてきた。

 真斗が首筋にキスをしながら、ゆきの顔を見ると薄明かりに涙の跡がうっすらと見えた。

「泣いているの?」

「泣いてない・・・」

 頬にやさしく触れながら、ゆきの涙の跡を拭いてあげる。

 しばらく後ろからゆきを抱きしめていた真斗だが、

「ゆき、こっちむいて」

 と、自分の方へ向かせた。

 照れ笑いをしたゆきをじっと見つめる真斗。女性に恋愛感情を持たず、氷のような対応をすることが多い真斗だがこの夜だけは少しだけ氷解した。


 翌朝も食べきれないほどの料理をみたゆきは、

「一晩で三キロは太ったよー」

 と言いながら食べ始めた。

「三キロ?その分一晩中動いていたんだから戻ったんじゃない?」

 真斗がからかう。

「意地悪!」

 言いながらゆきは真っ赤になった。


 それぞれ別の車で帰路についた。

 帰り際に

「ありがとうございました」

 と、ゆきが頭を下げた。

 真斗はそっとゆきを抱きしめ

「元気でね」

 と言った。


 横浜のマンションに戻ってから、着替えをして仕事に出かけた。

 今日も予約で一杯だ。すでにいつもの真斗になっていた。


 仕事を終え、最近行きつけになったBARに向かう。

 今までこういった店にはいかず自分の時間を大切にする真斗だった。

 この店は偶然に知った。

 横浜に来てからほどなくして店の従業員と中華街に食事に行った。

 帰りに一人になった真斗は、急に降り出した雨を避けるためこの店に入った。

 昭和の雰囲気が漂う店内と、50代と思われるマダムに一瞬で心が奪われてしまった。

 カウンターに座るとウィスキーのロックが黙って出てくる。真斗の最近のお気に入りだ。

 一口飲んだ瞬間に思い出した、風見にお礼の連絡をしていなかったことを。

 30分ほどで席を立った真斗にマダムが近づいてきて

「もう帰るの?」

「ごめん、連絡するところがあったのを忘れていた。マダム、明日ね」

 扉を開けて出る真斗の後ろでマダムが言う。

「明日、楽しみにしているわね」


 大桟橋まで出ると人が少なくなってくるが、暗がりにカップルが座っているのが見える。

 呼び出し音がかなり鳴っているが、相手はなかなか出てくれない。

 仕方がないので一度切る。

 海風をあたりながらしばらく桟橋を見ていた。

 もう一度かけてみるが呼び出し音だけ聞こえて相手が出る様子もない。

 真斗はその場を離れ、帰路についた。

 マンションまではそう遠くない。

 メールボックスから手紙やチラシなどをとり、エレベーターボタンを押す。

 部屋の鍵を開けて中に入ると、テーブルの上に飲みかけのコーヒーカップが置いてあった。

 確かに湯河原から戻ってシャワーを浴びた後、コーヒーは飲んだ。

 でも、出かける前に洗ったはずだ。一人暮らしが長いと仕事を終え部屋に戻った時、片付いていないとドッと疲れが出てしまうのが嫌ですぐに片付ける習慣がついている。

「おかしいな?」

 周囲を見回しても何も変わったことはない。

 気を取り直して、風見にもう一度電話をしてみるが、結局その晩はつながらなかった。


 翌朝、シャワーを浴びてから、スポーツバッグをもって出かけた。

 マダム・マリーに紹介してもらい、スポーツジムへ通い始めたのだ。

 やはりここでも女性客やトレーナーが真斗の容姿に驚く。

 マリーが気を遣って男性のトレーナーを紹介してくれ、個室でトレーニングを行うことになった。

 最初の目的はストレス解消と健康管理だったが、少しきつめのトレーニングを始めたせいか、体脂肪が落ち筋肉がそれなりについてきた。

「シックスパックを作るの?」

 マダムが笑うが

「そこまでできないでしょうね」

 と答えつつも

「男は憧れがあるからな」

 と思うようになった。

 筋トレが終わった後、プールでマリーと合流する。

 マリーの水着姿もかなりのものだが、体が出来始めた真斗も十分に目を引くようになっている。

 周囲の視線を感じながらも、

「今日は何回往復する?」

 など二人で競争を始めた。

 泳ぎ疲れた二人はシャワーを浴びて、同じ建物のレストランへ食事に行く。

 これが毎回のルーティーンだ。

 着替えを終え、携帯を見るが風見からの着信はなかった。


 食後その場で別れた。

 時には肌を合わせることもあるが、今日はその気になれなかった。

 マリーも真斗の変化を感じ何も言わなかった。

 だが、まっすぐ部屋に戻る気にはなれず、階を降りて併設されている映画館へ行った。

 何を見ようかとポスターを見ていると、ゆきの主演映画のポスターがあった。

「昨日は何も言ってなかったが頑張っているんだ」

 チケット販売機で切符を買って中に入っていく。

 真斗が選んだ映画はSFものだ。あまり大人しい内容だと寝てしまいそうなので、音量の大きめなものにした。

 3時間後真斗は部屋に戻った。


 鍵を開けて一瞬立ち止まった。何かが違う、誰かがいるわけではない。

 家を出た時のままで何も変わったことはない、が、空気が違う気がする。

 甘い香りが微かにするのだ。

 首をかしげながら、汗をかいたウェアを洗濯機に入れスイッチを押す。

 コーヒーを入れるため、キッチンに立った。ふと背後からまた甘い香りを感じた。

 振り返っても誰もいない。

 コーヒーを入れるのをやめ、冷蔵庫からビールをとりリビングに行った。

 携帯を見るが、やはり風見からの連絡はない。あれから何度か連絡をしているがつながらない。

 ビールを飲み終えソファに横になると睡魔が急に襲ってきた。


 夢を見た。

 女の鳴き声がする。暗がりの中を進むとベッドの上に抱き合っている人が見えた。

 男と女のようだ。そして、一人がこっちを見た。真斗と目が合った。

「ゆき・・・」

 泣いている。相手の男は誰だ?男の背中には傷痕がない、だから俺ではない。

 息を殺してそのままその光景を見ていた。

 そして気が付いた。もう一人横に男がいた。

「俺か・・・?」

 男は横で抱き合っているふたりに気がつかず寝たままだった。


 男の手が乱暴にゆきの乳房を掴むとゆきが顔を歪めて声をあげる。

「やめてくれ・・・ゆき・・・」

 真斗は耳を塞ぎながらその場を離れようとするが、足が動かない。ゆきの喘ぎ声がどんどん大きくなり真斗に襲いかかる。

 ふと真斗の腕に誰かが触れた。

「ゆき!」

 目が覚めた。

 びっしょりと汗をかいていた。胸が痛い。

 助けを求めているゆきに俺は何もしてあげられなかった・・・


 カーテンの向こうは暗闇だった。

「もうこんな時間か」

 ソファから立ち上がろうとした途端、洗濯機の終了音が聞こえた。


 次の日から心のモヤモヤが取れず真斗は憂鬱になっていた。

 客にそんなそぶりを見せるわけにはいかない。気を貼って仕事をしていた。

 あまりにも胸が苦しいので、マリーのBARへ自然と足を向けていた。

 マリーに何かを望んでいるのではないが、話しを聞いてほしかった。

 店に入った真斗を見たマリーは、黙って真斗を奥の部屋に連れて行った。


 柔らかな薄明かりのその部屋にはソファとテーブル、小さな窓があるだけだ。

 マリーは真斗の手を取り、ソファに座らせた。

 そして横に座ったマリーは真斗の顔を自分の胸に埋めさせた。

 されるがままの真斗だが、落ち着いていく気がした。

「この香り・・・」


 真斗は心が安らかになるのを感じた。胸の痛みもなくなってきた。

 程なく真斗の心の中から、あの忌まわしい夢は消えていった。





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