第七話



 サビだらけの鉄板の上に、滴る血が線を引いていく。


 エルと放心状態のユウリを連れて格納庫に戻ってきたディーは、左足をずるずると引きずりながら何とか壁まで歩きたどり着くと、倒れるように座り込み背を壁へと預けた。

 それが、ディーの限界だ。


「ディー……。だいじょうぶ?」

「……ああ」


 エルに問われ、ディーは声を絞り出し答えた。

 いくら死者と言えども、全身に深手を受け血を流してはまともに話すことすら出来ない。


「コライダーは?」

「いない……」


 唯一この事態に対処出来そうなのはコライダーくらいなものだが、見回す二人の視界にあの特徴的な白衣はなかった。


「そうか……」

「ディー……? ん……」


 ディーはそれを確認すると、静かに目を閉じた。

 寄り添うエルもまた、同じ様に。


「おやすみ……なさい」


 そして、エルの挨拶を最後に音が消えた格納庫。

 その中で時の激流は速度を落とし、ゆっくりと流れ始めた。


 それから、どれだけの時が経っただろうか。

 永遠か、あるいは一瞬だったのか。


 制止した時間、思考。

 その氷結を、耀く光が突き、溶かす。


「あ」


 気が付くとユウリは、見知らぬ暗く大きい部屋に立ち尽くしていた。


「私……」


 いましめが解けた途端、幾つもの情報がユウリの脳に飛び込んでくる。


 月に照らされ耀く血にぬれた硬質の破片。

 重力に逆らい続け疲労した脚の痺れ。

 涙を出し尽くし乾ききった瞳。

 寒さに痺れ小刻みに震える唇。

 鉄の香りに包まれ寄り添い眠る二人。


 全てを処理しきれずぼんやりとした頭で、ユウリはゆらりと──床に落ちていた血塗れの欠片を拾い上げた。


 夜の冷気に冷やされた、鋭い金属の破片。

 掴んだ手を傷つけ痛みを与える茨の刃。


「……」


 ユウリはそれを、ディーの前で振り上げた。

 アロンダーク──思考と回想が乱れ狂う。

 恨み、憎しみ、怒り、悲しみ、そう言った固形化した感情ではない。

 もっとどろどろと、ふわふわと、実体のない思いがユウリを苦しめ駆り立てるのだ。


 覆い被さるユウリの肢体。

 突きつけられる狂気の刃。

 後は震える手に少し力を加え進めれば、苦しみの元は消える。


「無理だよ……」


 しかし、ユウリには出来なかった。

 手が、どうしても前へと進まない。

 激しい意思の片隅に残された小さな思いが、その動きの邪魔をする。


 そんなユウリの気配を察し、ディーが目を開く。


「ユウリか……」


 視界に映った小さな、震える復讐者。

 ディーは何故だか、彼女を傷つける気にはなれなかった。


「……」


 倒れ込み声を殺し泣くユウリの体温を感じながら、ディーは驚く。

 俺にも、こんな感情が、あったのか──と。


 ────


 まどろみ。

 混濁こんだくした意識の中、感じるのは人のぬくもりか、それとも──。


「はあ……。ここはいつから連れ込み宿になったんじゃ?」


 コライダーはぺしぺしと、三人組の足を蹴った。


「ふぇ……?」

「ん……」


 その衝撃に、ユウリとエルの二人が目を開ける。


 すると、いつの間にやら日が登り、陽光が天井の裂け目から差し込んでいた。

 既に朝……を、通り越して昼に近い時間帯だ。


「コライダーか」


 ディーに至ってはとうの昔に起きている。

 では、何故動かなかったのか?


「きゃ!」


 それは、ユウリがディーの上で抱きついたまま寝ていたからである。


「べ、別に私はそう言うつもりじゃ……!」

「どうでも良いからさっさと出ていくんじゃな」


 ユウリは寝起きとは思えぬ素早い動きで飛び退くと、顔を真っ赤にして言い訳を始めた。

 が、コライダーにとっては別にどうでも良いことである。


 むしろ、コライダーに用があるのはユウリの方だろう。


「貴方は……あの時の!」

「コライダーじゃ。ああ、お主は別に名乗らんでも良いぞ。名前は知っとるし、別に興味も無いからのう」

「貴方が……」

「そうじゃ。ワシがディーを戦わせとる。ま、所謂いわゆる元凶じゃな」

「じゃあ……!」

「断る。ディーはワシにとって貴重な戦力じゃからのう」


 ユウリの問おうとする事を、コライダーは次々先回りして答えた。

 最後の一つを除いては。


「どうして、こんな事をするのよ!?」

「ふむ。そう言うところはアリアにそっくりじゃな。なんの疑いもなく、世界人類全てが平和になれると思いこんどる。周りは良い迷惑じゃ」


 常にずばりとモノを言うコライダーにしては珍しく、言葉をにごした。

 だが、答える気が無い──と言う訳ではない。


「どう言う……意味よ」

「ふん。ディーよ、仮にワシがお主を生き返らせなければどうなっていたかのう?」

「死んでいた」


 コライダーは意図を明かさず、ディーに聞いた。

 勿論、ディーはただ正確にそれに答える。


「ならば、ワシがいなければユウリに出会うこともなかったのう」

「ああ」


 ここまで来て、ユウリにもコライダーの言いたいことが解った。


「お主は戦わなければ人は死なんと思っているようじゃが、それがそもそもの間違いじゃ。温室育ちに解れというのも無理な話じゃろうが、放っておいても人は死ぬ」


 抗わなければ生きては行かれない。

 死は直ぐ隣りに付き添い、口を開けて待ち構えている。

 それが貧民街──いや、この世界の正常な姿なのだ。

 市街地こそが異常なのだ、と。


「なんで……」

「そこまで教えてやる義理は無いわい。どうしてもと言うならお主の親父に聞くんじゃな」


 コライダーの言う事は全て、正論だ。

 今、この街を支配しているのはコライダーではない。

 機構なのだから。


「っ……!」

「ほれ」


 駆け出そうとしたユウリに、コライダーはボロ布を放り投げた。

 正確には、体をすっぽりと包めそうなボロマントと、中に包まれた拳銃だ。


 まるで用意していたようだ。

 と言うより、実際用意していたのだろう。


「これ……」

「その格好で行ったら即ジ・エンドじゃからな。お主の母親は一応ワシをかばっとったから、まあその礼じゃ。使うかどうかはお主の勝手じゃがのう」

「……!」


 コライダーが言い終わるか言い終わらないかと言う内に、ユウリは再び駆け出した。

 そして──それを追うためにディーは、立ち上がった。


「行くのか、ディーよ」

「ああ」

「なら、お主にはこれじゃ」

「これは……?」


 すると、コライダーが、今度は白い布を投げた。


「機構の制服と偽造IDカードじゃ。そいつを使えば無駄な苦労をせんでも本部ビルに入れるじゃろう。その方がワシとしても都合が良いからのう」

「わかった」


 ディーはうなずくと歩き始めた。

 もちろん、その後をエルが追う。


「それと、エル。お主には別の仕事がある」


 だが、エルはコライダーに引き留められた。


「……」

「安心せい。ディーの身を守る、ある意味一番重要な仕事じゃ」

「ん……」


 ディーの身を守る仕事──そう言われれば、エルに断る理由は無い。


「それと……」


 頷くエルを見て、コライダーはディーに耳打ちをした。

 そっと、ささやくように。


伝言でんごんじゃ。もし、ソルと言う男に会ったら伝えるんじゃな」

「わかった」


 ディーはその囁きを聞き終わると、再び歩き出した。


「行ってくる」


 目的地は伏魔殿ふくまでん

 或いは魔王城と言ったところか。


 今、二人はシティの禁忌に触れようとしていた。



 何食わぬ顔で貧民街を抜け、門を護る衛兵に掛け合い市街地へ。

 後は、バスへと乗り込むだけで良い。

 ここまでは意外な程、簡単に来ることが出来た。


 管理塔──シティ中央に槍の如くそびえ立つ機構の本拠地。

 今、ユウリはその前にいる。


「これはユウリ様」

「お勤めご苦労様です」


 ユウリは普段通りを装い塔の中へと足を踏み入れた。

 少し前、ほんの少し前までは、父の仕事場くらいにしか思っていなかったこの場所。

 だが、今は違う。


「ふう……」


 エレベーターに乗り、ユウリは溜息をついた。

 一歩進む度、鼓動が高鳴る。震えは全身を支配し、平常心を奪っていく。


 しかし、逃げるわけにはいかない。

 ユウリは恐怖を振り払い、タワーの中を進んで行く。


 そして、気づけばもう目的地。

 目の前には父、レドアの執務室の扉があった。


「お父様。ユウリです」

「ああ。構わんよ」


 ユウリが自動ドアをくぐると、レドアは普段通り、ごく自然に椅子に座っていた。

 ガラス一枚隔てれば、そこは既に一面の夜景。

 美しい宝石箱を愛でることが出来る。


 しかし、ユウリはそんな訳にはいかない。


「お父様。お聞きしたい事があります。貧民街の人達は何故あんな生活を強いられているんですか? そもそも何故、貧民街が必要なんですか!?」


 ユウリは机に手の平を叩きつけ、問い糾した。


「お前が知る必要は無い」


 だが、レドアは言下に告げる。


 知る必要は無い──こちらも実に端的だが、その意味は言葉通りではあるまい。

 知ればタダでは済まないと言う事だ。


 しかし、ユウリは引かなかった。


「……お答えください。お父様」


 ユウリはコライダーから受け取った銃をレドアに向け構えた。

 心臓を握りつぶされそうな重圧を感じながら、それでも──


「っ……」


 怖い。逃げたい。

 もしかしたら、今自分は死ぬかもしれない。

 もしかしたら、自分は人を殺してしまうかもしれない。


 人と戦う事がこんなにも怖いことだと言う事を、ユウリは今まで知らなかった。

 そして、悔いた。

 私は今まで、何も知らなかったんだ──と。



 ユウリがレドアと対決しているその頃、ディーもまた管理塔へと入っていた。

 偽造IDのできが余程良かったのか、特に怪しまれることもなく。


 だが、ディーには一つ、重大な問題があった。

 ユウリの居る場所を知らなかったのである。


「ふむ」


 ディーは周囲を見回すが、当然、そんな事で見つかるはずもない。


 既に幾人もの機構の構成員とすれ違った。

 幸い怪しまれた様子はないが、このまま続ければいずれはばれてしまうだろう。

 しかしだからと言って、特に良い手段も思い浮かばない。


 と、ディーが途方に暮れていたその時だった。


「……!」


 ディーの横を、一人の男が通り過ぎた。


 すれ違う、二人の男。

 互いに知らぬ顔だ。

 怪しむ所は何処もない。


 だが、二人は止まった。


「貴様……何者だ?」


 男は振り返り、ディーに聞いた。

 ディーもまた、振り返り男を見た。


 白い制服を着たディーと黒い服を着た長身の男。

 二人の男が向かい合う。


「ディー」

「そうか、貴様は……」


 ディーの名前を聞き、男は目を細める。


 いや、違う。

 言葉など交わさずとも、全ては分かっていた。


「ふん。ならば俺も名乗ろう。俺はソル。この、絶対正義機構を束ねる者だ」


 男は機構最強の男──ソル・ブレイダー。

 ディーが倒すべき、敵だ。


「お前が……ソルか」

「そうだ。フランシスに聞いたか?」


 ディーはコライダーに頼まれた伝言を思い出した。

 が、しかし、残念ながら、悠長に会話を楽しむような状況ではない。


「ぬん!」


 瞬間、影が走り、ソルの拳がディーの腕にめり込んだ。


「……!」


 強大な魔力が練り込まれた拳だ。

 もし、ディーが防がなければ、今頃頭蓋骨ごと砕かれていただろう。


「破ァ! ぜぇい!」


 ソルの攻撃は続く。

 ボディを狙う一撃でディーを壁まで弾き飛ばし、瞬時に間を詰め追撃。

 ディーの背に在る壁面ごと、打ち抜く。


「……強いな」


 ディーは隣の部屋でバク転し、その態勢を立て直した。


「本気を出せ。この程度ではないだろう?」


 そこに、黒服の男が歩み寄る。

 悠然と、獲物を狩る百獣の王の如く。



 自らの執務室で娘に銃を突き付けられ、明らかに不審な震動を感じながら、それでも、レドアの心はまるで夕凪のように落ち着いていた。


 組織が盤石だと思っているからか──いや、そうではない。

 レドアは忠実に職務に準じながらも、同時に感じていたのだ。

 虚しさを。


「良いだろう」


 故に、レドアは語り始めた。


「二十年前、まだ世界がこの街だけではなかった頃の話だ」

「どう言う……意味ですか?」

「ふ。お前達にとっては、まるで思いもよらぬ事だろうな。だが事実、世界はこの街など砂の一粒にすら値しないほど広いのだ。ただ、皆それを忘れているだけでな」


 レドアは続ける。


「地球……人類が生息する球状の土地を、敵が襲った。邪神と呼ばれる、人類を遙かに上回る力を持った敵が。恐らく、フランシスがいなければ3日とかからず我々は滅ぼされていただろう。そう言う意味では、彼が世界を救ったと言い換えてもいい」

「フランシス?」

「会ったのではないのか? 白衣を着た老人だよ」

「……!」


 コライダーだ──ユウリには直ぐに判った。

 つまり、コライダーはユウリが思うような悪人などではなく、世界を救うため戦った英雄であったと言う事だ。

 物事は、思うほど単純ではないと。


「人類はフランシスの指揮の元、拠点に結界を張り、精霊を内に込めた巨大なマシンを作って邪神に対抗した。だが、それも所詮はあがきだ。人類は確実に戦力を削られ死に絶えていった。そんな時──」


 レドアは一度深呼吸をし、告げる。


「選択の時が訪れた」

「選択の時……」

「この街を被う結界は特別なものだ。結界内に存在する人間達の精神・生命エネルギーを一定量搾取し無限に展開、強化し続けるようフランシスが設計した。そして、ある限界を過ぎれば一切の物質が通過できなくなる。例え、内部からでも」

「それじゃあ……!」

「そう。この街は結界に捕らわれている。外界に興味を示さぬよう、人の心まで操作して」

「そんな……」

「信じられないか? だが、事実だ。そしてだからこそ、この街は二分されている。結界維持に最低限必要な人口を市街地に、残りのスペアを貧民街に。全ての人間を食べさせて行くには足りないのだから、当然の事だろう? お前が高級料理店で食事をしている間、貧民街では飢えて死ぬ者が出る。それがこの街の理であり、否定したところでお前一人が死ぬだけに過ぎない」


 レドアは言い終わると、ゆっくり立ち上がった。


「さて、話は終わりだ」

「動かないで!」


 ユウリに銃で脅されても、ひるむことはない。


「真実を知った者を生かしておくことはできないのでね」


 レドアはユウリを侮っているわけではない。

 例え撃たれたとしても、問題が無いのだ。

 管理者にとってはタダの銃など、玩具以下の存在でしかないのだから。


 そんな事など知らないユウリは、引き金を引くべく指に力を込めた。


「っ……」


 だが、引けなかった。

 例え自らが殺されるとしても、父親を殺すことなどできない。


「さようなら。ユウリ」


 レドアはユウリを殺すべく、魔力を込めた手刀を振るった。

 ──はずだった。


「な……がっ!?」


 ユウリの銃から撃ち出された巨大な魔方陣に吹き飛ばされ、レドアはガラスへはりつけとなった。

 ユウリが撃ったのではない。

 暴発でもない。

 銃が、勝手に撃ったのだ。



 管理塔を破壊しながら拳を交え、死闘を繰り広げるディーとソル。

 二人は、同時に異変を感じ取った。

 強大な、魔力の放出を。


「そこか」


 瞬間、ディーは床を蹴り砕き、天井を破った。


「発見した」

「ディー!?」


 ユウリとディーは再会を果たした。

 階が違っただけで、二人は意外と近くにいたのである。


 だが、呑気に喜んでいる暇はない。


「撤退する」

「っ……!」


 ディーはユウリを抱きかかえると、はりつけのレドアごと蹴り飛ばしガラスをぶち破った。


「……え?」


 途端、三人を夜の冷たい空気が包む。

 一度外に出れば、ここは地上500メートルの空の上だ。


「きゃあああああ!」

「来たか」


 だがディーは、問題無いと分かっていた。


「ディー。だいじょうぶ?」

「ああ」


 ディーは落ちる途中、高速で飛来した黒色の物体に掴まった。

 エルの駆るフリューゲルだ。


 つまり、コライダーは全てを予測していたのである。


「あ……あはは……」


 ユウリはまだ正気を失っているが、一応命だけは助かった。

 しかし、管理者二人が手をこまねいているはずもない。


「レドア。お前の管轄だ」

「……判っている」


 ディーを追い現れたソル。

 レドアは三度宙を蹴りバク宙して執務室に戻ると、その問いに事も無げに答えた。


「クリス、出番だ。彼を殺したまえ」


 そして、携帯デバイスを取り出し、狩人を呼ぶ。


「ユウリは殺しても?」

「構わん。ただし、取り逃すなよ」

「了解。くくく……」


 クリスはアシュウィングのコクピットで、下卑げびた笑いを浮かべた。

 彼には既に、ユウリの心を得るため努力した少年の面影はない。


「アシュウィング、出るぜえええ!」


 それを裏付けるように、三機の飛行マシンが空を舞った。

 管理塔のたもとにある出撃ハッチから飛び立ち、瞬時にフリューゲルの背後へと着く。


「ハハハハハハ! 見つけたよユウリぃ。この裏切り者があああああ!」

「っ……。かいひうんどう」


 白銀の砲火が夜空に刻まれ、フリューゲルはそれを躱すため横方向に回転運動を行った。


「死ねよおおおお!」

「きゃああ!」


 当然、外装部に掴まっているディーとユウリは遠心力で振り回されることになる。

  こんな事を続けていては、遠からず落下するだろう。

「随分楽しそうじゃな。ディーよ」


 そんな二人の窮状きゅうじょうを見透かしたように、コライダーの声がディーの頭の中に響いた。


「コライダー、か」

「ディー、どうしたの!?」


 ユウリは状況を理解できていないようだが、説明している時間は無い。


「お楽しみのところ悪いんじゃが、こっちでピックアップの準備は整えた。適当に手を放して降りてこい」

「わかった」


 ディーはコライダーの指示に従って、落下の準備を開始する。


「ディー……?」


 ユウリには相変わらず伝わってはいないようだが、問題はないだろう。


「落下する」

「……はい? きゃああああああああ!」


 ディーとユウリは木の葉の如く、虚空に舞った。


「逃がすかあ!」

「インヴィレーゲン」

「ちい! 邪魔をおおおおお!」


 追撃しようとする銀の翼を、赤色の誘導弾が疎外する。

 しかし、そもそもそれどころではない。


「ディー! 落ちる、落ちるってば!!」

「問題無い」


 涙目のユウリにディーは言ったが、この状況では信じることなどできないだろう。


 風を切る音がカウントダウンとなって、転落死の時が刻一刻と近づいていく。

 3……2……1……。


「接触する」


 そして、落下した。


「……!!」


 目を瞑ったユウリの脳内を、光速で思考が駆け巡る。

 だが、何時まで経っても二人に衝撃が訪れることはなかった。


「あ……れ?」


 ユウリが目を開けると、涙で歪んだ視界にその理由が映った。

 数枚が重なり層になった魔方陣と、その下でにやつく白衣の男が。


「見事じゃ。さすがはディー、と言ったところかの」

「ああ」


 ディーは事も無げに答えると、魔方陣から離れてフワリと地面に降り立った。


 そして、ユウリを手早く地面に降ろす。

 まだ戦いは終わっていない。

 空中戦は続いているのだ。


「待って」


 しかし、ユウリがディーを止めた。

 その瞳には決意の光が宿り、力弱くも服の背を掴み、離す気配はない。


「私も連れて行って……お願い」


 ユウリは言った。

 その言葉に宿る決意は、鈍感なディーにさえ伝わるほどだ。


 そして伝わった以上は、無視するわけにもいかない。


「コライダー」

「ワシは構わんぞ。ま、精々死なんよう気をつけるんじゃな」


 許可は出た。

 ならば、ディーはただ従うだけだ。


「転送する」


 ディーとユウリは手をたずさえて魔方陣の光へと消えた。

 そして、目を開ければそこはグレイヴリッターのコクピットだ。


 慣れ親しんだ無重力感がディーを包みこむ。


「……大丈夫」

「わかった。出撃する」


 ぎゅっと、抱きつくユウリの感触。

 ディーはそれを確かめると、告げた。


「起きろ。グレイヴリッター」


 すると、棺桶は転送を開始。

 赤色の閃光を爆発させ、エルの元へと現れる。


 大地に突き刺さった棺桶からグレイヴリッターが這い出ると、そこは貧民街だった。


「やっと来たかぁ」


 分離状態のアシュカイザーとフリューゲル。

 クリスとエルは高速でチェイスを繰り広げていたため、管理塔から離れていたのだ。


「エル。無事か?」

「ん……だいじょうぶ」


 ディーの問いに、エルが答える。


 幸いエルは無事だ。

 フリューゲルは目立ったダメージもなく、空中を飛び回っている。


 それを確かめ、ユウリは胸をなで下ろした。


 だが、ディーが気を抜くことはない。

 クリスが、アシュカイザーがそれを許さない。


「くくく、はは、あははははは! エサを生かしておいて良かったよ! ユウニオン! アシュカイザアアアアアア!」


 三機の飛行マシンが合体し、作り出される銀翼の勇姿。

 その輝きが、狂気を宿す。


「……コネクト完了」

「ん……」


 グレイヴリッターもまた、フリューゲルを背に翼を得て、闇夜へと飛翔した。

 二機が相対した以上既に、戦いは始まっているのだ。


「ひゃっはああああああ!」

「……!」


 グレイヴリッターが翼を広げ滞空した瞬間、クリスが動く。


 剣を構え矢の如く吶喊とっかんするアシュカイザー。

 回避など知らず、尚、守りの事など頭のすみにすらありはしない。


 この命を捨てたとも思える攻撃は、愚直を通り越して蛮勇と言える。

 とても、まともな精神で行えるものではない。


「来い……シャルフリヒター」


 対してディーは血晶剣シャルフリヒターを生成し、それを受け止めた。

 完全生成まで多少時間のかかる巨剣だが、柄と刃の付け根さえあれば鍔迫り合いは可能だ──が、そうはならなかった。


「遅えんだよぉ……。うおらおらおらおら!」

「っ……速い」


 クリスが間髪おかず、連撃を繰り出したのだ。


 二機の間で交わされる斬撃の応酬。

 気を抜けば即座に切り裂かれる刃の嵐。

 互いが互いの心臓を喰らい合う、命の取り合い。


「だが、甘い」

「ちいい!」


 十二撃目で、その均衡が崩れた。

 グレイヴリッターの膂力りょりょくが勝り、アシュカイザーが弾け飛ぶ。


「シュティル・ゲヴィーア」


 その隙をディーが見逃すはずもない。

 口部に展開した魔方陣より放たれる、赤い魔力の渦。

 それがアシュカイザーを巻き込み引き裂くべく、クリスの眼前に迫る。


「あたるかよお!」


 クリスはその攻撃をすんでのところで回避した。

 だが、一連の動きは未だディーの予測を超えてはいない。


「エル」

「ん……インヴィレーゲン」


 ディーは更に、その回避運動を確認する間も無く追撃を放つ。


 敵機を追尾し確実に破壊する八つの光、インヴィレーゲン。

 アシュカイザーがこの攻撃に対応できないことは、以前の戦闘で確認済みだ。

 この連続攻撃で、クリスを完全に仕留めることが出来るだろう。


「俺をコケにするなぁ! ぬえりゃりゃりゃりゃあああああああ!」

「……!」


 しかし、予測は裏切られた。


 アシュカイザーは高速で迫り来るインヴィレーゲンを、避けるどころか斬撃で相殺、消滅させたのだ。

 八発全弾全てを同時に。


「……」


 ディーは敵を見極めるため、距離をとり動きを止めた。


 すると、何故ディーの攻撃を凌ぎきることが出来たのか、その原因が示される。

 アシュカイザーの機体内を循環する魔力は、以前に比べ目に見えて増加している。

 単純なエネルギー量だけで言えば、アロンダークのグランアクトすら凌駕りょうがする程に。


「知りたいかあ? なら、教えてやるよお。俺は強化されたんだ。頭のネジを抜いてさあ……気持ちいいぜえ?」


 クリスは自ら種を明かした。


 強化──それが何を意味するのか、状況をかんがみれば想像は可能だろう。

 クリスの性格変容。魔力の増大。

 そこから導き出される答は即ち、精神操作による能力の向上である。


「お父様はそんな事まで……」

「んーその声、ユウリかあ? はは、こりゃ良い!」


 悪魔の所行。

 その無慈悲であまりに利己的な行いを聞き、思わず漏れたユウリの声。


 それを聞いて、クリスは笑った。

 一石二鳥だ──と。

 自らの人生を狂わせた二人を、同時に殺す事ができるのだから。


「クリス、もうやめて! 機構は貴方が思っているような組織じゃない……。そんな機構のために戦うなんて、馬鹿げてる!」


 一方、ユウリはまだクリスを救えると考えていた。


 まだ少しでも、許嫁であった頃の実直さが残っているのなら。

 僅かでも、人を思いやる気持ちが残っているのなら。

 共に歩むこともできるはずだと。


 しかしそれは、幻想に過ぎない。

 ユウリは直ぐに、それを思い知ることになる。


「はは、ははははは! ユウリぃ、君は絶対正義の意味をはき違えていたみたいだねえ? 教えてあげるよ、正義とは勝者が……生き残った者だけが持つことのできる権利なんだよお。死人に口なしって言うだろお? 君だってその恩恵で生きてきたんだからさあ、そんなに気になるなら地獄にでも言って詫びてくればあ? 俺が送ってやるからさあ!」


 クリスは至って正常だった。


 彼はただ強化されただけだ。

 思いを、思想を。

 ならば彼の根底にあるものは、今も昔も変わってはいない。


「どうしても戦うの!? くだらない正義のために!」

「殺すんだよ! 奪うんだよお!! ははははははは!」


 初めから話し合う気など無い。

 敵は倒す、それは当然のことだ。

 相手が自らの意に添わぬ存在であるのなら。

 ディーもクリスも、相手を許し手を取り合うことなど一欠片ひとかけらも考えてはいない。


「……殲滅する」

「ちっ害虫風情がぁ」

「お前は、違うのか?」

「言ったなあああああ!」


 そして戦いは、再開された。

 アシュカイザーは剣を構え、再び突撃する。


 だが──止まった。


せろ」


 破壊的なまでの魔力を、グレイヴリッターが纏う。

 常人すら視認可能な程凝縮した殺意が、クリスを貫く。


「な……ぐうああ」


 その圧倒的な存在感を前に、クリスは恐怖したのだ。

 身の裂かれるような、絶対の恐怖を。

 ディーと言う悪竜の逆鱗に、彼は触れてしまった。


「うあああああ! このゴミが! 屑やろうがあああああああ!」


 迫る漆黒の騎士。

 その脅威を払うべく、クリスは剣を振るう。

 錯乱し追い詰められた者の刃が、乱れて狂う。


 だが、しかし、その行為に意味はない。


「があ!?」


 グレイヴリッターが放つ赤の斬撃。

 それを受け止めたアシュカイザーは剣ごと強引に押し切られ、後方へ吹き飛んだ。


 そしてそのまま、強烈な圧力の前に為す術もなく、大地へと突き刺さる。


「くっ……う!」


 クリスは戦慄せんりつした。

 あと少し、もう少しだけ力を抜き弾かれるのが遅れていれば、自分は剣ごと斬り裂かれ消えていたと、知っていたから。


「ああああああああ! ぎざまああああああ!」


 そして、激昂げっこうした。

 怒りは恐れを隠すのには絶好の隠れみのだ。

 たとえその先に、死が待っていたとしても。


 アシュカイザーが再び宙に舞い、グレイヴリッターに襲いかかる。


「お前は、俺には勝てない」

「ああああああ! げぶ!?」


 だが、無情にもアシュカイザーの顔面を、クリスの顔面を、ディーの拳が貫く。


「あが……あ」


 その衝撃と痛みに、アシュカイザーはふらふらと後退した。


 最早、流麗たる銀翼の威厳いげんなどどこにも無い。

 今、ディーが剣を振るえば、彼の命など容易く奪い去ることができるだろう。


 しかし、その程度で済ませることは出来ない。

 確実に止めを刺す必要が有るのだ。


「グレイヴリッター」


 いつだったか──コライダーは言った。

 グレイヴリッターは魔術師の使う杖だと。


 ならば、所有者の力量次第で、奇跡さえ起こせるだろう。


「奴を、縛れ」


 ディーが手の平をかざすと、それは起きた。


 強大な魔力で編まれた魔術文字の鎖。

 それが蛇のようにアシュカイザーの四肢をい、縛り付けて磔にする。


 鎖の根源たる魔力は拳に載せて撃ち込んだもの。

 つまり、拳撃を受けた時点でクリスの命運は尽きていたのである。


「……」


 ディーは無言のまま、シャルフリヒターを逆手に持ち替えた。


 殺せ。殺せ。殺せ。

 本能がささやく。

 目的など、結果を正当化する手段に過ぎない。

 戦いの意味など、沈黙した敵を見下ろし、それから考えれば良い。


 ただ、敵を、殺せ。


「ディー……!」


 そんなディーを、ユウリは止める事が出来ない。

 躊躇ためらえばこちらが殺されると、知っているから。

 知ってしまったから。


「終わりだ」

「うあああああああああ!」


 アシュカイザーの胸部に巨大な刃が突き刺さっていく、ゆっくりと、火花を散らし、金属を裂く叫びにも似た音を響かせながら。


「このおおおおお害虫がああああああ!」


 どんなに叫んでも、中傷を行おうとも、逃れることはできない。

 生まれは関係はない、過程も同じだ。死は平等に訪れる。


「嫌だ! 僕は……僕は……ユウリさ……」

「……!」


 アシュカイザーだった金属の塊は、光の柱に呑まれて消えた。


 最期まで自らの行いを悔いることも、謝罪することもなかったクリス。

 或いはそれこそが、彼の、唯一誇れるものであったのかも知れない。


「戦闘を終了する」

「ふ……よくやった、ディーよ」


 ディーとコライダー、勝者は敗者を見下ろした。


 ────


 しかし、見下ろすのは勝者だけではない。更にその上から、全てを見下ろす者達も居る。


「最後の駒が消えたな、レドア」


 管理塔のソルとレドアはディーを見ていた。


 配下が討ち死にしたと言うのに、二人の顔には恐怖も焦りもありはしない。

 それはディーが、未だ彼らの正義を脅かす存在ではない事を意味していた。


「私が倒せば良いだけのことだよ。もっとも……ソル、君からすれば、私達管理者すらもどうでも良い事だろうがね」

「不服か?」

「いいや。君はこの街の秩序そのものだ。結界の中、最後に一人残っていればそれで良い」


 レドアは街に背を向け言った。


「まあ、私も死ぬ気はないがね」


 管理者達の宴が始まる。

 空前絶後の力が集う、豪華絢爛ごうかけんらんな戦いの宴が。


 その主賓しゅひんは──ディーだ。

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