第八話



 一切の誤差なく立ち並ぶ鉄の彫像。

 制服を身に纏う屈強な兵士達。

 秩序と正義を司る、絶対正義の大軍勢。

 これらは全て、一人の男を探すため用意されたものだ。


 手配したのはレドア・マークレイ。

 街という世界を分割支配する、管理者の一人である。


『絶対正義機構、レドア・マークレイがシティ全住民に告げる』


 そのレドアは市街地と貧民街を隔てる内壁の上に立ち、語り始めた。


『現在、この街には我々機構に楯突く敵対勢力が存在する。許されぬ力を用い秩序を破壊せんとする者達。機構の戦士達は彼らに敗北し犠牲となった。隠蔽いんぺいするつもりなどはない。これは、純然たる事実である』


 まるで悲劇を独演するそのさまは、人々の不安を掻き立てる。

 それが、レドアの目的だ。


『よって、我々は管理者自らによる実力行使を決定した』


 機構の敗北を信じる者などは一人たりとも存在してはならない。


『彼らにはこれより、一時間の猶予を与える。選ぶがいい。私の前に自ら現れ処刑を受けるか、引きずり出され喉を掻ききられるか』


 思い出させねばならないのだ。

 支配者が、誰なのかと言うことを。


『恐れよ、敬え、こうべを垂れ死を願うのだ。終わりの鐘が鳴る、その時まで』


 死へのカウントダウンが始まる。

 人々に残された僅かで、果てしなく長いその時間は──走馬燈に似ていた。



 ここは貧民街に数多ある廃ビルの屋上──その一つ。

 ディー、コライダー、ユウリ、エルの四人はそこに座り、ただ青空を見つめていた。


「どうじゃ。たまにはこう言う場所でのんびりするのも悪くはないじゃろう? 勝っても負けてもこれが最後じゃ。少しくらい、楽しむがええ」

「ああ」


 コライダーに聞かれ、ディーは答えた。


「私は……そんな気分になれないわよ」


 一方、ユウリは浮かない顔でうつむいていた。


 これから行われるであろう死闘を前に、正常な思考でいられるはずもない。

 父親とディー、どちらか一方を……或いは両方失うかもしれないのだ。


 だが、コライダーには彼女を気遣う義務も必要性もない。


「なら、さっさと行くか。のう、ディー?」

「な……!? それはだめ!」

「ふ……冗談じゃ」


 焦って立ち上がったユウリ。

 その姿を眺め、コライダーはにやりと笑った。


「ワシもまだディーには用があるからのう」

「……そう、か?」

「うむ。そうなのじゃ」


 ディーの問いに、コライダーは答えた。


「ぐぬぬぬ……」


 そして、コライダーは怒り滾らせるユウリを尻目に白衣のポケットをごそごそとまさぐると、取り出した何かをディーに向けてひょいっと投げる。


「ほれ、これじゃ」

「これは……?」


 キャッチしたディーが指を開くと、そこには見たこともない物体が転がっていた。


 形状、球体。

 サイズ、直径数センチ。

 色、焦げ茶色。

 重量、軽量。


 これらの外観情報に該当する物体は、ディーの脳内データベース上には存在しない。


 しかし、ユウリはそれを知っていた。


「これ、チョコレートよね?」

「ちょこ……?」

「チョコレート。甘くて美味しいお菓子よ。ディー、食べたことないの? チョコレート」

「ああ」


 ディーはチョコレートなる物体をつまみ上げ、じっと見つめた。


 正直、あまり美味しそうには見えない。

 が、ユウリが言うからには食べ物なのだろう。


 ディーは次に、匂いをかぐためチョコレートを鼻先へと運んだ。

 すると──


「む?」


 予想外の芳醇な香りに、ディーは目をぱちくりさせ再びチョコレートを見た。


 匂いはとても良い。

 何と言うか、蠱惑的こわくてきな香りだ。


「ただのチョコじゃあない。そりゃあウィスキーボンボンじゃ。ワシの好物でのう。戦勝の前祝いにくれてやるわい」

「そうか」


 くれるというならディーに断る理由はない。

 ディーはチョコレートを口元に運び──しかし、そこで停止した。


 視線に気づいたからだ。

 それは、エルのものだった。


「エル。いるか?」

「いい……の?」

「ああ」

「おっと」


 チョコレートを渡そうとしたディーに、コライダーから二個目のチョコレートが飛んだ。


「それがエルの分じゃ。ちゃんと用意してあるわい。もちろんワシの分ものう」


 言いながら、コライダーは三つ目のチョコレートを取り出した。

 ディーが受け取ったチョコをエルに渡せば──これで、チョコレートを持っていないのは一人だけと言う事になる。


「あの、私の分は……?」

「なんじゃ? 欲しいのか?」

「……別に。ただ言ってみただけよ」


 ユウリは否定した。


 本当はチョコが欲しい。

 甘い物は好きだし、なにより空腹なのだから欲しいに決まっている。


 だが、先程「そんな気分にはなれない」などと言った手前、素直に欲しいとは言えなかったのだ。


「……!」


 しかし、ユウリの体は正直だった。

 キュウウと、可愛い音を立ててお腹が鳴ったのである。


 慌てて両手で塞いでみても時既に遅し。

 むしろ自白をしているようなものだ。


「ほれ。恨まれても面倒じゃからのう」

「あ、ありがと」


 今度こそ、チョコレートは行き渡った。

 後は、みんなで食べるだけだ。


「ではこれより……なんてのは無しじゃ。各自適当に食え」


 コライダーは言うが早いかチョコを口に放り込んだ。

 情緒じょうちょも何もあったものではないが、これがコライダー流なのだろう。


 三人もそれに従い、思い思いにチョコレートを口へと運ぶ。


「うむ。やはりこれじゃな」


 コライダー。


「美味い」


 ディー。


「ん……」


 エル。


「甘い……」


 そしてユウリ。


 四者四様の反応だが、感じたモノは同じだ。

 甘くとろけるような幸福に四人は身をゆだねた。


「……」


 やがて、チョコレートが溶けてなくなった頃、ディーは立ち上がる。

 最後の戦いへと赴くために。


 しかし、ユウリがその前に立ちはだかった。


「ディー。頭を下げて」


 そして言った。


「早く」

「……」


 彼女はディーの主人ではないのだから、選択は自由だ。


 ディーは少し考えた後で静かに、頭を下げた。

 必要性は感じなかったのだが、何故だろうか。

 若しかしたらチョコレートの効果かもしれない。


 そんなディーにユウリは近づき、手に持った何かを首へと掛ける。


「うん。よし」

「これは……」

「お守り。お母さんの形見だって、アロンダークが言ってた。私は全然覚えてないんだけどね」


 それは翼を象った銀のネックレスだった。

 その輝きが、ディーの胸に灯っている。


「俺は──」

「わかってる」


 ユウリは人差し指を立て、ディーの言葉を遮った。


「必ず帰ってきて。私、待ってるから」

「……ああ」


 ユウリの頭を、ディーは優しく撫でた。


「ん……」


 ユウリは少しむくれているが、嫌がってはいないようだ。


「わたしは……いっしょ」


 一方、エルは既に傍らに寄り添っている。

 さて、これで今度こそ、全ての準備は整った。


「コライダー」

「なんじゃ?」

「感謝している」


 ディーは言うと、魔方陣の中へ消えた。


「行くがよい。ディーよ。お主の生き様、見届けてやるわい」


 コライダーの最後の言葉を聞かぬままに、消えた。

 必要ないのだ、全ては帰還したその時に問えばいいのだから。



 多数の巨大ロボットが見つめるその前で、二つの棺桶が大地へと突き刺さり──そして、現れた。

 翼を得た漆黒の騎士、グレイヴリッターが。


 機構の最大戦力を前にして尚、堂々とした勇姿だ。

 気後れの一つも有りはしない。


 だが、それは機構とて引けを取るものではなかった。


「来たか」

『全機、そのまま待機せよ!』

「は!」


 敵の出現を受けてレドアが出した指示は、待機だった。


 知っているのだ。

 いかなる兵数を持ってしても、眼前の敵は砕けぬと。


 ディーを倒すために必要なのは、力。

 それも圧倒的な力だけだと。


 そして、それは自らの中にあると。


『私の前に出てきたことは褒めよう、名も知らぬ罪人よ』


 壁の上に立つレドアは、あえて前へと進み出た。

 後一歩、踏み出せば落下というぎりぎりの場所まで。


『さあ、裁きを受けるがいい』


 そして、落ちた。

 天から地へと向かうその最中さなか、管理者の証したる最高のマシンは虚空こくうを貫き現出する。


『現れよ。光宿す暴虐神ぼうぎゃくしん……天帝ウラノス』


 かんむりを頂き錫杖しゃくじょうを携える、王たる者の偉容いよう

 濃紺色のうこんしょくの鎧にちりばめられた瞬く星の輝きが、まさしく銀河を体現する、宇宙の化身。


 天帝ウラノス──それが管理者レドアが使役する神の一柱ひとはしらだ。かつて天界を支配し、欲しいままにした王の残照ざんしょうである。


『さあ、跪きたまえ弱き者よ。我が前に頭をたれ運命を受け入れるがいい』


 ウラノスの胸に抱かれ、レドアは命じた。

 神の威を借る者の言葉は絶対なり、逆らうことは許されぬと。


「断る」


 だが、ディーは言った。

 例え天を統べる王であろうと地の底に住む裁定者であろうとも、ディーを従わせることはできない。


 それができるのはこの世界に一人、ただ一人だけだ。


「お前は殺す。それが、コライダーの意思だ」

『その先に、自由という名の闘争が待つとしてもかね? 地獄が始まるのだよ』

「来い……シャルフリヒター」

『ふ……愚問か。良かろう……イーリス!』


 グレイヴリッターの右手に巨剣が握られる。

 ウラノスが持つ錫杖の先端に虹の光輝が集まり、半透明の刃を作り出す。


 二人は撃ち出された粒子だ。

 巨大な加速器の中で決められた軌跡をたどり、最後の場所を目指し飛ぶ。

 衝突は定められた運命であり、回避など頭の片隅にすら在りはしない。

 どちらか、或いは両方が砕け散り、意味の無い破片になり果てるまでは。


『来るが良い。弱き者よ』

「戦闘を、開始する」


 そして、さいは投げられた。


 グレイヴリッターが剣を構え突撃する。

 様子見などするつもりはない。

 一撃の下に鋼を断ち、首を落とす──そう言うわざだ。


『温い』

「……!」


 だが、届かなかった。

 ウラノスがグレイヴリッターの剣を錫杖で受け止め、軽々とはじき返したのである。


『今まで君が倒した者達と私を同列に考えては困るな。我々管理者は全員が魔術師なのだよ』

「魔術師?」

『そう。魔力を力に変えるだけではない。奇跡を、起こすのだ』


 ウラノスが錫杖を掲げた。

 ただそれだけで、ディーに戦慄が走る。


 「何が」と言う具体的なものではない。

 だが、絶対的な脅威──死の感覚を、ディーは確かに味わった。


『弱き者よ、天に昇り星屑の一つとなり果てるがいい。煌めけ、ギャラクシアス!』

「……!」


 ディーは自らの勘に従い、それを避けた。

 いかなる攻撃かもわからずに、ただ避けた。

 今までディーを生かし続けてきた物、それに懸けたのだ。


 そして直後、ディーはそれが正しい判断であったと知る事になる。

 グレイヴリッターが駆け抜けた後、空に七色の星が弾けた。

 まるで天に流れる河の如く、美しい光のイリュージョンが展開される。


 だが、その実体は高純度に圧縮された魔力の炸裂だ。

 もしディーが避けずに制止していれば、連撃を受け弾け飛んでいただろう。


『イーリスよ、橋となれ!』


 レドアの攻撃はまだ続く。

 ウラノスの掲げた錫杖。

 その先端に座する刃が文字通り天と地を繋ぐ橋のように、伸びたのだ。


 それで何をするつもりなのか、今度はディーにでも理解出来る。


『ぬうん!』

「ぐ……!?」


 振り下ろされる虹の橋を、グレイヴリッターは辛うじて受け止めた。


 しかし、決して無事ではない。

 とてつもない力で振るわれた斬撃に耐えきれず、墜落し地に落ちた。


 上方に迫る虹の刃。

 足下には砕かれた大地。

 挟まれ、身動きを取ることが出来ない。


「ディー……だいじょうぶ?」

「問題無い」


 だが、エルの問いに、それでもディーは言った。

 決して虚勢ではない。

 勝算は、確かに存在する。


「エル」

「ん……インヴィレーゲン」


 ディーはイーリスを剣で受け止めたまま、エルに指示した。


 いかなる体勢からでも放つことが可能。

 それがインヴィレーゲンの長所の一つだ。

 放たれた八つの光は空中で向きを変え、確実に敵を狙い撃つ。


『無駄だよ』


 ウラノスはその光線を、避けることもなく、結界で弾いた。

 だが、それはディーにとって予期されていたことだ。

 勝機はその先にある。


「突撃する」


 ディーはグレイヴリッターを突撃させた。

 受け止めた刃を滑らせ、レール代わりにして。

 それは舞い散る火花を纏い、瞬く間にウラヌスの眼前へと迫る。


 武器を構えたウラヌスは対応することができない。

 魔術だ奇跡だと言っても、ディーにとってそれは所詮銃と同じ。

 遠距離で力を発揮する武器は、接近すればその優位性を失うのだ。


 後は拳を振りかぶり、打ち込むだけで良い。


『ぐ!?』


 ここまで一歩も動くことなく戦っていたウラヌスが、初めて動いた。

 自らではなく強制的に──殴り飛ばされ大地を跳ねる。


 突進力と魔力を乗せた鋼拳こうけん

 その威力はまさしく必殺だ。

 例え神と言えども、無事に済む事はあり得ない。


 事実、ウラノスは背後の壁をぶち抜き、何十ブロックもの建造物をなぎ倒しながら進み、そしてようやく、止まった。

 その顔面には受けた脅威が、ヒビとなり深々と刻まれている。

 だが、逆に言えばそれだけだ。


『ふ……効いたよ。どうやら私は君を過小評価していたようだ』

「硬いな」


 錫杖を地に突き立て、ウラヌスが立ち上がった。

 堂々たるその姿から、衰えは感じられない。

 むしろ、魔力を漲らせている。


「……」


 グレイヴリッターはそのウラヌスに歩み寄った。

 燃える街を一歩、また一歩と進む。


 決着はまだ着いてはいない。

 どちらかが倒れ動かなくなるまで、戦いは続くのだ。


『殺す!』

「撃破する」


 二機は弾けるように、天を舞った。


『ぬうん!』

「……!」

『ギャラクシアス!』

「それは見た」

『牽制だよ!』

「知っている」


 幾重にも剣閃が走り、星々が爆ぜる。

 破壊の光が大地を焼き、そしてまた繰り返す。


 力は互角──いや、ディーの方が僅かに押されている。

 だが、ディーは決して勝負を焦ってはいなかった。


「……!」

『もらった!』


 掠めた星の輝きで、体勢を崩した黒騎士に、ウラヌスが襲いかかる。


 息の根を止める最後の一撃。

 全てが集約された瞬間。

 故にそう、この時、この一瞬を、ディーは待っていたのだ。


「縛れ、グレイヴリッター」

『ぐ……!? こんなもので私を!』


 最初の一撃で拳に乗せ撃ち込まれていた魔力──それが鎖となって、ウラヌスの自由を奪う。

 だが、所詮「こんなもの」。

 ウラヌスの力を持てば秒とかからず振り解くことができる。


 例え直撃を受けたとしても一撃のみ。

 予測できる業ならば耐えることは可能だ。


 ならば、重ねる。

 ディーは巨剣を捨て、拳を振り上げた。

 グレイヴリッターの右拳が、ウラヌスの顔面に突き刺さる。


『が!?』

「縛れ」


 そして、新たな魔力の鎖がウラヌスを締め上げる。

 捕縛の無限連鎖だ。

 逃れる術は、無い。


『封じ込めるなどとは……! が! ぐあ! げは……!』

「縛れ、縛れ、縛れ」


 まるで撃鉄のように引いては撃ち、引いては撃ち、機械的に振り下ろされる拳。

 衝突する度に鋼は鈍い音を立てて装甲を砕く。

 撃ち込まれる度、魔力は鎖となってウラヌスの自由を奪う。

 落下し、激突し、倒れても止まることはない。


「来い、シャルフリヒター」


 ディーが手をかざすと、地面に突き刺さっていた巨剣が引き寄せられるように飛び、グレイヴリッターの手に収まった。


 痛めつけられ魔力の鎖で雁字搦めになったウラヌスには最早、小指一つ動かす事は出来ない。

 しかし、だからこそ人は足掻あがくのだ。


『ぬおあああああああ!』


 ウラヌスを被う魔力が膨れあがっていく。


 命が放つ最後の輝き。

 自らが生き残るためにディーは、それを消さねばならない。


「終わりだ」


 ウラヌスのコクピットへと、巨大な剣が静かに突き刺さる。


『いいや……まだ! まだだよ! 例え私が……滅びたとしても! 貴様は……滅び去る。死ぬのだ……よ。はは……ははははは……ははははははは!』


 常人なら恐怖に怯え震えるであろうその瞬間に、レドアは笑った。

 狂気の笑いが響き、天帝の煌めきが消えて行く。


 そして──


『アリア……今、君の下へ……』


 レドアは最期に、アリアの名を呼んだ。


 光の中で、レドアは死んだのか。

 いや、或いは既に死んでいたのかも知れない。

 かつてコライダーを撃ったあの日、あの時に。


 ならばこれは消えただけ。

 在るべき場所に帰っただけだ。

 過去に生きた管理者の光は、消えた。


 そして、それが合図だった。

 終わりの始まり。

 そのトリガーが、引かれたのだ。


「あっはっはっは! レドアの奴、ホントに死んじゃったよ!」

「あらん、残念ねえ。良い男だったのに」

「だが、これでようやく動くことができる」


 管理塔の頂上に立つ三つの影。

 キール、ガドニア、そしてソル。残された管理者達。


 彼らと同じ管理者が倒れたというのに、誰一人として死を悼む者はいない。

 それどころか、皆、笑ってすらいた。


『全機構、構成員に告げる』


 ソルは言った。


『C区画の管理者レドア・マークレイは敗れた。よってこれより、特例宣言を行う。最早お前達を縛る物はなにも無い。さあ、ソル・ブレイダーが命じる。貧民街を焼き尽くせ! 俺が許す! 動くもの一つなくなるまで……撃て! 壊せ! 殺せ! 根絶やしにせよ!』


 特例宣言──それは管理者が消滅したときのみ発動可能な、文字通り特例の措置である。

 発動されている間、管理者の命は絶対だ。

 機構構成員全ては法、契約、倫理、全ての影響を受けず、ただ管理者に従い人を殺す人形の群となり果てる。


 事実既に、機構の構成員達は動き出していた。

 並び立つマシン達は一斉に貧民街への侵攻を開始。

 建造物を破壊し、一切の文明的痕跡を踏みつぶし、逃げ惑う人々を容赦無く撃ち殺す。


 だが、ディーはそれを止めることができない。

 より優先すべき相手が目の前に、居るのだ。


「けけけ。じゃ、僕らも行こうぜソル」

「ふふ。久々の出撃だものねえ。私も胸が高鳴るわあ」

「ここで終わらせる。全てを」


 平然と飛び降りる三人の管理者。

 その体を包むように、三機の神が現れる。


『はっはー! 戯曲に語られし幻惑者達の女王──妖精姫ティターニア!』


 キールは言った。

 黄金の肢体を持つ小さき者。

 薄羽で光の如く舞い踊る狙撃手。


『うふ。巨人の心臓より産み落とされし大地の杖──世界蛇ヨルムンガンドよ』


 ガドニアは言った。

 半人半蛇の巨大なる呪術師。

 紫の鱗を色めかせきょを泳ぐ大海の覇者。


 そして──


『天地を統べる十二神が一。人界を焼く破壊の炎──太陽神デルフィニオス』


 ソルは言った。

 闘士を思わせる頑強な輪郭りんかくを、赤を焦がした装甲で包む太陽の神。

 生と死、破壊と再生を司る太陽の神。


 神々の召還である。


 ディーは並び立つその一つ、デルフィニオスを見つめた。


「強いな」

『違いがわかるか? 死者のしもべよ』

「ああ」


 ティターニアとヨルムンガンドの魔力は、ウラヌスと大して違いはない。

 肌を通して感じる殺気や、戦闘力も同じだ。


 だが、ソルのデルフィニオスだけは違う。


「奴が出たようじゃな」

「コライダーか」


 コクピットに、コライダーの声が響いた。


「どうじゃ? 勝てそうか?」

「いや」


 ディーは素直に答えた。


 虚勢を張る意味は無い。

 そんな程度で勝利できる相手なら「わからない」と答えている。


 それほど圧倒的なのだ、目の前に居る相手は。


「ま、そうじゃろうな」


 コライダーはもちろんそれを予期していて、そして告げた。


「ふむ。ならば、ワシからの最後の命令じゃ。フリューゲルは分離撤退、ディーは──戦闘を継続せい」


 神を前に翼を失い、ただ「戦え」と。


 これは、様々な策を講じてきたコライダーとは思えない、言わば無策を通り越した無謀だ。

 或いは、最初からディーに勝利など望んでいないのか。


 どちらにせよ、まともな指示でないのは確かだろう。


「ふ……嫌か?」

「いや。問題無い」


 だが、ディーは只、それを受け入れた。


「エル。撤退しろ」

「や……」

「接続、強制解除」

「ディー……!」


 抵抗するエルを無視して強制排除。

 グレイヴリッターの翼はフリューゲルと言う名の飛行マシンへと戻り、大空へと飛翔する。


「撤退しろ」

「ディー……」


 こうなってしまえばエルも従わざるを得ない。

 エルはディーの名を呼び、飛び去っていった。


 ディーはそれを見送ると、再び視線をソルへと戻す。


『話は終わったか?』

「ああ」

『ふん。それは結構』


 すると、残されたディーにソルは言った。


『おーいソル。あれ、撃ち墜としとこうか?』

『今はいい。遅かれ早かれ全て破壊する。それに──』


 ソルが手をかざすと、デルフィニオスが赤熱。

 街中まちじゅうの大地が裂け、巨大な炎柱が吹き上がる。

 天は黒煙に覆われて暗闇の世界と化し、文明はマグマと成って溶け合い不気味に明滅を繰り返す。


『見せつける必要がある、我ら管理者の力を』

『うふ。腕が鳴るわねえ』

『みんな殺して良いんだろ?』

『ああ。始めるぞ、殲滅戦をな』


 三機の神が瞳を燃やし、魔を滾らせて襲いかかる。

 だが、負けるわけにはいかない。


「撃破する」


 ディーは剣を構えた。例えそれが、無謀な行いであるとしても。



 戦地より遠く離れたビルの上。

 コライダーの命令は、ここでも波乱を巻き起こしていた。


「ディー!」


 コライダーの側で直接命令を聞いたユウリは、反射的に走り出した。


「ふん。女は感情的で困る。じゃからワシが面倒を被ることになると言うんじゃ」


 コライダーのぼやきもユウリには届かない。

 階段を駆け下り、ドアを破るように開け外へ。


 行ったところでディーの役には立たないだろう。

 ならば何故行くのか、意味も分からない。

 だが、ユウリはそれでも、行かずにはいられなかった。


 闇の中に燃える街を、全速力で駆け抜ける。


「……!」


 と、その時だった。

 ユウリの目の前に、白く巨大な光りが一つ、現れた。


「あ……」


 目も眩むまばゆい光。

 それがなんなのか気づいた時、ユウリは小さく声を漏らした。


 青く光る双眸そうぼう、地を砕く鋼の足、天を突く巨体。

 そう、それは機構の人型マシンが、敵を探し出すだめの光だった。


 圧縮された時の中で、ライフルの銃口がゆっくりと、ユウリに向けられる。

 ユウリにはもうどうする事も出来ない。

 考える事すらも。


「……!」


 そして、引き金が引かれ、世界は光りに包まれた。



 漆黒の空の下、赤い炎に照らされて、神と死者との戦いが始まる。

 遠く響いた破壊の音色。それを合図に、三柱の神が牙をむく。


『じゃ、僕からいくよ? 蜂の巣にしてやるからさあ!』


 初めに動いたのはキールだった。


 黄金のマシン、妖精姫ようせいきティターニア。

 その名に恥じぬ華麗な動きで宙を舞い、グレイヴリッターを狙い狙撃銃を連射する。

 正確無比、一気呵成、一点突破の連続攻撃。


 だが、この攻撃は一度見ている。

 ディーとて無策ではない。


「結界障壁」

『へえ、やるじゃん。前は瞬殺だったのにさ』


 グレイヴリッターの周囲に赤く、円柱状の結界が現れ銃弾を弾いた。

 以前は容易く貫かれたが、ディーとて力を増しているのだ。


『けど、いつまで持つかなあ!?』

「シュティル・ゲヴィーア」

 反撃、と。

 グレイヴリッターの口部から赤い光りが放たれる。


 しかし、それがキールのティターニアに届くことはなかった。


『あらん。だめだめ、アタシを無視しちゃね』

「結界か」

『そうよん。そっちの専売特許じゃないんだ・か・ら』

『ま、僕なら余裕で避けられたけどね』

『口が減らないガキんちょねえ』


 ガドニアのヨルムンガンドが盾となり、光を弾いたのだ。


 その体表にはまるで、鱗の様に折り重なった紫色の結界が浮かんでいる。

 防御能力だけで言えば恐らく、グレイヴリッターすら凌ぐだろう。


「接近する」


 ディーは直ぐさま状況に対応し、剣を構えた。


 結界の防御が有効に働くのは遠距離戦闘のみ。

 それはグレイヴリッターの性能や、先程撃破したウラヌスとの戦いから明白だ。


『お前にこの俺が倒せるか? この、正義の体現者、ソル・ブレイダーを』


 立ちはだかるはソル・ブレイダー。

 その手足たる、太陽神デルフィニオス。

 装飾部を赤熱させ、両腕を広げ、佇む姿はそれだけで死に等しい恐怖を与える。


 だが、退くわけにはいかない。


「撃破する」

『その蛮勇は褒めよう。だが……』


 グレイヴリッターは背部スラスターを全開にし、デルフィニオスに向かい一直線に斬りかかった。

 最早小細工など意味は無い。

 全身全霊、総魔力を込めた剣を振るう。


『ふ……』

「ぐ!?」


 しかし、斬撃は防がれた。

 何も装備などしていない腕で、防がれた。


 それどころか──


もろい!』

「……!」


 血色の刃が折れ弾け飛ぶ。

 デルフィニオスが、シャルフリヒターをたたき折ったのだ。

 魔術すら、使用せずに。


『ぬん!』

「が……!?」


 刹那、拳が槍となり、グレイヴリッターに突き刺さった。


 必殺の一撃を弾かれたディーに、それを防ぐ術は無い。

 炸裂により空間が歪み、グレイヴリッターは大地を跳ね、ビル群に激突する。


『いただきい!』


 そこに、追撃。

 天を仰ぐグレイヴリッターの四肢を、ティターニアの放った黄金の弾丸が貫き爆ぜていく。


 神の拳を受け弱まった結界障壁であれば、容易に貫くことが出来る。


『うふ。この呪術、死ぬより痛いわよお。ペイン・パッケージ』


 そして、更に更に──攻撃は続く。

 ヨルムンガンドから多数のルーン文字が放たれ、グレイヴリッターを包む。


「……!」


 すると文字は黒い稲妻となって、ディーの体を駆け巡った。


『あらん。我慢強い子。それとも痛くて声も出せないのかしらん? おほほほほ』

『もう終わりかよ、なっさけねーな!』


 一方的に破壊、蹂躙じゅうりんされ天を仰ぐ漆黒の騎士。

 その姿を見てガドニアとキールは勝利を確信し笑った。


『ふん。甘いな、お前達は』


 だが、ソルの見解は違う。


『見ろ』

「撃破……する」


 ディーは、グレイヴリッターは立ち上がった。

 顔面を砕かれながらも闘気は決して衰えることはなく、魔力は尚高まり、循環し、ただ敵を倒すため剣を構える。


『うげえ』

『しぶといわねえこの子』

『やはり、奴は異常だ。戦闘中にこれほどまで力を増すなどあり得ん。恐怖すら感じるな』


 言葉とは裏腹に、ソルの声からは恐怖など微塵も感じられはしない。


『お前達は下がっていろ。俺が殺る』


 ソルは言うと、デルフィニオスの右腕に魔力を込めた。


 魔力を込める──言葉にすればたった一言だが、それが神の所業とあれば、現れる事象は想像を絶する。

 右腕が紅く光り輝き、吹き出す熱波によりあらゆるモノが溶け落ちていく。


『教えてやろう。抗えぬ、宿命を』


 デルフィニオスが紅炎こうえんを纏い、全てを貫く矢となって突撃する。

 太陽の矢は絶対無敵。

 いかなる護りも意味を成さず、逃げる事も叶わない。


『終わりだ』

「……!」


 神の拳は再び刃を打ち砕き、グレイヴリッターの胸に深々と突き刺さった。


「……あ」


 ディーの口から、空気が漏れた。


 ディーは巨大な拳とコクピットの壁とに挟み潰され、肉体を激しく損傷。

 動くのは辛うじて右腕のみ。

 最早、意識を保っているのが不思議なくらいだ。


 目を瞑れば、楽になれる。

 死と言う名の安息に包まれて。


 だが、何かが、ディーの意識をつなぎ止めていた。

 無重力のコクピットにフワリと浮く、小さい銀色の光──それは、ユウリに渡された首飾りだった。


「……」


 ディーは震える右腕を、首飾りへと伸ばす。

 だが、掴むことすら許されはしない。


『解放せよ。セルモクラスィア』


 ソルが唱えると全ては光へ沈んだ。


 爆ぜる。ただ爆ぜる。体も心も魂も、思いも記憶も、首飾りも、漆黒の騎士すらも──全てが、光と熱に引き裂かれ、消えていく。


 そして、雨が降った。

 死者の血で造られた紅い雫が、街の全てに降り注ぐ。

 灰色の壁を伝い、流れ、割れ焦げた大地に染みこんでいく。


「悲しい物語じゃな」


 白衣を赤く染めながら、コライダーは呟いた。

 そう、これは悲しい物語。

 敗北と死の物語。

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