第五話



 シティには区分けがある。ABCD、円形の街を90度ごとに等分した四つの区画。

 それを、それぞれ一人の管理者が絶対的に管理する。

 どのような理由が有ろうと、越権行為は許されていない。


 しかし、今回その越権行為えっけんこういが行われた。

 それ故開かれたのが絶対正義機構管理者会議、略称管理者会議である。


 円卓えんたくが鎮座する薄暗い部屋に、四人の管理者達が集う。


「あら、私が一番なの? んふ。運が良いわねえ」


 B区画管理者、ガドニア・レース。年齢三十二歳。

 二代目の管理者で、唇をバイオレットに彩った破壊的なニューハーフ。


「キールはまだのようだな」


 C区画管理者、レドア・マークレイ。年齢四十五歳。

 威厳に満ちたこの男は一代目の管理者であり、シティ設立に関わった一人でもある。


「今来たところだよ、おじさん」


 D区画管理者、キール・アスタリア。年齢十二歳。

 ガドニアと同じく二代目の管理者で、子供特有の残酷さを併せ持つ少年だ。


「遅くなったな。では、始めようか」


 そして、A区画管理者、ソル・ブレイダー。年齢五十二歳。

 全管理者の中で最高の力を持つ最強の男。

 本来なら序列無きこの管理者達をまとめる指導者である。


 四人の管理者達が揃い、会議が始まる。


「今回の議題は……」

「キールの越権行為についてだ」


 ソルの言葉をレドアが遮った。

 つまり、当事者はレドアとキール、この二人と言う事だ。


「おいおい、僕は犯罪者を撃っただけだよ。それがたまたま外れて、アンタの管轄に飛んでったのさ。つまりほら、不可抗力って奴?」

「お前ほどの射手しゃしゅがか。あり得ん話だな」

「あ、もしかして褒めてんの?」

「そう見えるのかね?」


 二人の間を言葉の矢が飛び交う。互いに一歩も譲る様子はない。


「二人とも、やめろ」


 そんな二人を見かねて、ソルが制止した。


「キールは警告一だ。次は、俺が制裁を加える」

「へーい」


 ソルに言われ、キールは怒られふて腐れる……振りをした。レ

 ドアもそれは分かっているが、反省の態度は示しているのでこれ以上の追求は出来ない。

 立場はあくまで対等なのだから。


 禍根かこんは残るが、これで会議の本題は終わりだ。


 だが、四人は誰一人として席を立とうとはしない。

 それはこの会議に、別に主題があると知っているからだった。


「今日はもう一つ、話して置きたいことがある。レドア、お前のC地区で起きている案件についてだ。分かっているな?」

「黒い、マシンか」


 ソルの言葉を聞いて、レドアは顔をしかめた。


「地区の管理はあくまで管理者に一任されているはずだが?」

「それはシティ全体に影響を及ぼさなければ、の話しだろ?」

「キール」

「へいへい。反省してますよー」

「うふふ。みんな仲が良いわね」


 かたくななレドア。

 茶々を入れるキール。

 楽しそうに微笑むガドニア。


 こんなていだからこそ、ソルは自然とまとめ役をやる羽目になるのだ。


「これを見ろ」


 ソルが机に付いたコンソールを操作すると、壁に設置された複数のモニターに同じ映像が流れ始めた。

 黒い装甲に赤いエネルギーラインが光る、正体不明の巨大人型ロボット。

 これはその、戦いの記録だ。


「あら! 素敵なロボットちゃんね」


 と、驚いたのはガドニアただ一人だけだった。

 当たり前と言えば当たり前だ。

 レドアはこのロボットをずっと追ってきたし、キールは直接狙撃、ソルはこの映像を出してきた張本人なのだ。


 三人がさといと言うよりは、ガドニアが鈍すぎると言うことだろう。


「レドア。知っている事を話して貰おう」

「ああ」


 ソルに問われ、レドアは静かに話し始めた。


「奴はあの棺桶状の物体に入り、目標地点に落下する。転送魔術を使用しているため出所は不明。ただし、結界がある以上街のどこかから出て来ている事は間違いないだろう。そして、戦闘力はAランクをも凌ぐものがある。事実、バルバラーナ一機が既に撃破された」

「あら。レドアちゃん、それまずいんじゃない?」


 今度がガドニアが問う。

 だが、レドアに答える気はなかった。


「私が知っているのはこれだけだよ」

「レドアちゃん? ちょっと……!」


 席を立ち、背を向け、レドアは一人部屋を出る。

 それはつまり、会議の終わりを意味していた。


 会議は常に四名で行わねばならない。

 それがルールだ。


「ここまでだな」

「あら、残念」

「僕は楽できて良いけどね」


 残された三人もそれぞれに席を立ち自らの区画へと戻る。

 斯くして、会議室は無人となり、静寂が訪れたのである。


「ソル」


 だが、レドアは戻ってきた。


 部屋を出たレドアの携帯にソルから連絡があったのだ。

 二人で会いたい、と。


「なんの用だね?」

「フランシス」


 レドアからの問いに、既に席に着いていたソルは一つの単語で答えた。

 以前、レドアも呟いていた言葉。

 いや、名前だ。


 それを聞いて、レドアも顔色を変える。


「あんな物を作れる男は、他に居るまい」

「そうだな」


 レドアは否定しなかった。

 する必要もない。

 むしろ、逆に聞きたい事があるのはレドアだ。


「だが、仮にそうだとして、一体どうする?」

「……」


 レドアの問いに、ソルは沈黙を持って答えた。

 だが、ならば、やるべきことは決まっている。


「我々は咎人とがびとだ。ならば、罪を背負って生きるしかないだろう」


 レドアは言った。


「ふん。やるべきことは解っているな? レドア」

「そのつもりだよ。ソル」


 レドアが背を見せる。もう、語るべき事はないと。


「このままお前がアレを放置し続けた場合、またはお前が死んだ場合、俺は管理者全員でアレを破壊する。必要ならば、貧民街を焼き払うこともいとわずにな」


 ソルは目をつむると、再び去ろうとするレドアの背に告げた。


「心に留めておこう」


 それもまた、我らが罪か──レドアはそう自らに問いかけながら部屋を去る。ここではない、どこかへ。



 朝と言うにはまだ暗く、夜と言うには明るすぎる街。

 その中を、ディーとエルは当て所なく歩いていた。

 何故こうなったのか、その理由は非常に単純だ。


 攻撃を受け格納庫へ帰還したディーに、コライダーが告げたのはただ一言だけだった。


「ワシはこれからグレイヴリッターを修理する。お主らは外に出とれ」

「……わかった」


 まだ痛みの残る肩を庇いながらディーはエルと階段を上った。

 どのような状況であれ、コライダーのめいは絶対だ。

 こうして二人は、今のような状況に陥ったのである。


「ディー。だいじょうぶ?」

「問題は、無い」


 エルに聞かれそう答えたものの、ディーの左腕は焼け付くような痛みに襲われていた。


 グレイヴリッターとディーは、戦闘時その魂と肉体を同一化している。

 物理的にディーの腕が飛んだわけではないが、その痛みはグレイヴリッターと共有されるのだ。

 言わば幻痛のようなそれは、グレイヴリッターとのリンクを解除した後もディーを苦しめ続けていた。


 だが、問題は無い。ディーは本当に心の底からそう思っている。

 所詮、一度死んだ身だ。

 片腕でも動けば事足りる、と。


 それに──


「ん……」


 ディーの答えを聞いて、マントを掴むエルの力が微かに揺るんだ。


 いや、あるいはそれこそが最も重要なのかも知れない。

 ディーはぼやけた頭で、そんなことを考えていた。



 市街地と貧民街を隔てる、冷たく巨大な石の壁。

 その向こうには、ネオン煌めく歓楽街が広がっていた。

 酒で緩んだ心を欲望で満たし、英気を養う夜の街だ。


 しかし、そんな中を一人、素面しらふで駆け抜ける男の姿があった。


「お嬢様、お待ちください!」


 アロンダークだ。

 無論、ただ走っているわけではない。

 ユウリを追い掛けているのである。


「は……は……」


 そのユウリは、息を弾ませながら衛兵の元へと駆け寄った。


「通して! 今すぐ!」

「ユウリお嬢様!? いえ、ですが……」

「早く!」


 この巨大な壁には、通り抜けるための道が幾つか用意されている。

 ジークのバルバラーナが使用した最も大きい門。

 車が通ることの出来る車道。

 そして個人移動用の通路。


 大門は特別な許可がなければ使用できないが、他二つは権限さえあればいつでも通ることができる。

 ユウリはそれを使って外、即ち貧民街へと出ようとしていた。


 その原因はディーの敗退を聞いてしまったことだ。

 ロボットが傷つけばディーも傷つく。

 ユウリはそのことを間近で見て知っている。


 だから、ユウリはディーに会いたかったのだ。


「いけません、お嬢様! このようなお時間に護衛もつけず!」


 しかし、追いついたアロンダークがユウリの肩を掴み止めた。

 従者にあるまじき行動だが、状況を考えれば仕方のないことだろう。


 ただでさえ治安の悪い貧民街に、なんの力も持たない少女が単独で出向くなど正気の沙汰ではない。

 実際、ユウリは一度攫さらわれかけている。

 アロンダークは従者としても一人の人間としても、そんな危険を冒すわけにはいかないのだ。


「でも、ディーが……!」

「今お嬢様が行ってもどうにもならないでしょう! それに、彼の居場所も知らない! そんな状況で一体、どうしようというのですか!?」


 アロンダークの言う事は真理だ。それはユウリにも理解出来る。

 だが、それでもユウリはその言葉に従うことができなかった。


「お願い、アロンダーク。それでも、私は……!」

「お嬢様……」


 アロンダークはたじろいだ。こんなお嬢様の姿は見たことがない──と。


 元来ユウリはわがままを言うような人間ではない。

 忙しい父に文句の一つも言ったことはないし、好きでもない相手との婚約も立場をわきまえ受け入れていた。


 そんな主君が今、初めてアロンダークにわがままを言っている。

 それを拒否することが、一体どうして出来るだろうか。


「わかりました」


 アロンダークは覚悟を決めた。


「道を開けてください。責任は全て、このアロンダークがとります」

「は……はい! 直ちに!」


 衛兵が操作すると、鋼鉄の扉が音を立て開く。


「さて……」


 振り返ったアロンダークの顔には笑みが浮かんでいた。


「このアロンダーク、地獄までもお供しましょう」

「アロンダーク。ありがとう」

「なんの」


 二人は一時の後、顔を引き締め歩き出す。


「まってて、ディー」


 分厚い壁のトンネルを抜け、底知れぬ闇の中へ。


 それでもユウリには一つだけ、望みが残されていた。

 大門から十数メートル。

 そこが、一週間に一度炊き出しが行われる場所だ。


 と言っても、今は夜。

 もちろん、そんなもの影も形もない。

 一度門から外に出れば、そこは手の届く距離すら見えない闇の世界。

 そんな場所に、ディーが居るはずはない。


「……! ディー!」

「なんと!?」


 が、居た。

 ディーはエルと共に座り込み、何をするでもなく虚空を見つめていた。


「ユウリか」


 ディーはユウリの声に反応し一瞥いちべつすると、視線を地に落とした。

 至って普通に、腕の痛みなど微塵も感じさせないように。



「クリス・エクリプス。入ります」


 レドアの執務室の扉をくぐるクリス。

 その顔は、焦燥感に満ちていた。


 無理もない。

 前回の戦闘で彼は、金のロボットの介入によりグレイヴリッターを取り逃したのだ。

 機構は二度の失敗を許すほど寛容ではない。


「マークレイさん、僕は……!」

「安心したまえ、クリス。君を叱責するために呼んだのではない」


 だが、レドアはクリスが言い訳を繰り出すより早く、彼の言葉を否定し別の話を始めた。


「ユウリが貧民街に出向いたらしい。先程、衛兵より連絡があった」

「ユウリさんが……? こんな時間にですか!?」

「ああ」


 クリスはその話を聞き驚くと同時に、レドアが言わんとする事を理解した。


「直ぐに、ユウリさんを見つけ出して見せます」

「急ぎたまえ。機構の権威に傷がついては困るのでね。それと、マシンは使うな。余計に事を荒立てたくはない」

「了解しました!」


 レドアへの挨拶も忘れ駆け出すクリス。

 それを見て、レドアは溜息をついた。


 全てが彼ほど単純であったならな──と。



 ディーとユウリが合流してから既に十分強。

 その間、禅問答にも似たやりとりが延々と繰り広げられていた。


 自分からは何も話さず極端に端的な答しか返さないディー。

 そんな男から正確な情報を得るためには、質問を繰り返すしかなかったのだ。


 しかし、その甲斐あって多少は相互理解が進んでいた。


「じゃあ、エルはディーが面倒みてるんだ」

「ああ」

「そっか。ちょっと羨ましいな。仲の良い兄妹みたいで……」


 ユウリは思わず、エルを撫でようと手を伸ばした。

 だが、それが届く手前で彼女はするりとディーの後ろに隠れてしまう。


「もしかして、嫌われちゃった……? と言うより、ディーがなつかれてる?」

「ん……」


 ディーに頭をでられて大人しくしているところを見ると、ユウリが嫌われたと言うよりディーが好かれているのだろう。

 或いは、ディーがユウリに抱く不信感を敏感に感じ取ったのか。


 そう、ディーはユウリを疑っていた。

 正確には、その背後に立つ執事を。


 こんな夜更けに来たのは、自分を殺す目的ではないのか──と。

 左腕の痛みは未だに、消えてはいない。

 戦闘になるのなら状況を支配し、先手を打って敵を仕留めたいと思うのは当然の思考だ。


「はあ……」


 一方、ユウリはと言えば累計五回目の溜息をついていた。


「……?」

「べ、別に何でもないわよ!」


 その上、ディーが首をかしげると慌てて否定する。

 これでは疑われても仕方がないだろう。


「はあ……」


 アロンダークなど、呆れて貰い溜息をついている。

 ここに来た時の半分でも勇気を出せば、あっという間に問題は解決すると言うのに。

 それでも主人をいさめなかったのは、彼女の心情への理解があったからなのだが……。


「お嬢様」

「わ、かってるわよ」


 ユウリはアロンダークに急かされ、遂に意を決し話し始めた。


「ディー。腕は……その、大丈夫なの?」

「腕?」

「うん。ロボットがやられたって聞いたから」

「問題無い」

「……本当に?」

「ああ」


 顔を赤らめ聞いたユウリに対して、ディーは端的に嘘をついた。


 ダメージの露見は死に繋がる。

 容易く晒せるはずがない。


「それは嘘ですな」


 だが、アロンダークは気づいていた。


「……! アロンダーク、嘘じゃないわよね?」

「ええ。僭越せんえつながら言わせて頂ければ……彼は左腕に何らかの異常を抱えているはずです」


 左腕を庇うため現れる動きの違和感。

 それはかすかな差違だったが、戦士たるアロンダークが疑惑を核心に変えるには、十分な確証だった。


「そうですな? ディー様」

「……」


 アロンダークの問いを受けて、ディーは答える代わりに右手の指をグニャグニャと動かし握りしめた。

 ディーとアロンダークの意見はユウリを護ると言う一点においてのみ一致を見ているのであり、互いの安全を保証するものではない。


 敵対するのなら、撃破する。

 殺気がぶつかり火花を散らし、緊張が破裂寸前にまで膨れあがる。


「……!」

「おじょ……!」


 しかし、その中で信じられないことが起きた。


「おまじない。こうすると良いってなにかの本で読んだから」


 ユウリがディーの左手を握ったのだ。


「べ、別に他意はないからね!?」


 今、ディーの弱点である左手に触れるのは虎の口の中に頭を入れるようなものだ。

 触れた瞬間ユウリの首が飛んでいても何も不思議なことはない。


 実際、ディーとアロンダークにはその情景が見えた程だ。


「……もしかして、痛かった?」

「いや」


 だが、ディーは動かなかった。

 代わりに周囲を被う殺気が、まるで口の開いた風船のように収縮していく。


「ふう……。お嬢様にはかないませんな」


 アロンダークもそれを受け息を吐いた。一難去ったと。

 だが、しかし──


「ユウリ……さん」


 その一部始終を、クリスが見ていた。


 自分には見せたことないユウリの表情、その姿。

 何もかも全て。


 嗚呼、ずっと欲しかった。

 渇望していた。それなのに……許容できるはずがない。


 限界まで開く瞳孔。

 早鐘を打つ鼓動。

 凍てつく神経。

 震える肉体。

 そして、腹の中に渦巻く強烈な吐き気。


 耐えられず、或いは急かされて、クリスは走り出す。


「貴様! ユウリさんから離れろ!」


 クリスは懐から拳銃を取り出すと、その銃口をためらいなくディーへと向けた。


「クリス!?」

「貴方は! どう言うつもりです!?」


 慌てるユウリとアロンダークに、クリスは言い放つ。


「どうもこうもないでしょう。こいつは犯罪者だ。しかも、最低最悪の! お二人こそ、どう言うつもりですか!?」


 クリスもまたアロンダークと同じように、ディーがグレイヴリッターのパイロットだと言うことを勘づいていた。


 指を動かす仕草。

 心の臓を抉るような殺気。

 確証はないが、確信はある。


 それに、だ。

 仮に違ったとしてなんの損があると言うのか?


 クリスにとってディーは貧民街に巣くうクズの一つでしかないのだ。

 ユウリにつく害虫を駆除することができるのなら、引き金に掛けた指を引くのになんの躊躇ちゅうちょもありはしない。


「……」


 ディーはするりと立ち上がり、クリスを見た。

 好青年の仮面が割れ、その向こうから狂気の素顔が覗く。


「警告は……したぞ!」


 そして、クリスの脳から指に向けて電気信号が走った。


 強固な殺意を伴うそれは鋼鉄の凶器を駆動させ、閃光を生み出す。

 一発ではない。

 二発三発と、ディーの体に銃弾が撃ち込まれた。


「ディー!」

「なんと言うことを……クリス! 貴方という人は!」

「はあ……はあ……。僕は……僕は当然のことをしただけですよ。そうだ、僕はなにも……!」


 一瞬の内に、事態は混沌へと落ちた。


 当然だろう。

 普通、人が目の前で射殺されれば平常心ではいられない。

 撃ち殺した側なら尚更にだ。


 しかし、すぐに気づく。


「……え?」


 ユウリは瞳に溜めた涙も忘れ、ビクッと肩をふるわせた。

 本来なら喜ぶべきはずの光景。

 それが心を支配し、混乱を超えた空白を生む。


「ディー。……だいじょうぶ?」

「ああ。問題無い」


 寄り添うエルに問われ、ディーは彼女の頭を撫でた。


 そう、問題は無い。

 ディーはその言葉の通り平然と立っている。

 マントには穴こそ開いているものの、流血などはなく、無傷そのもので。


「そんな……馬鹿な!?」


 ありえない──クリスはたじろいだ。

 心臓に三発、間違いなく撃ち込んだ。


 貧民街にたむろする男が防弾チョッキなど着ているはずもない。

 仮に着ていたとしても、痛がるくらいはあって良いはずだ。


 だが、平然とディーは立っていた。

 仕組みは単純だ。

 グレイヴリッターに乗り続けたディーの体は今、強力な魔力の循環により護られている。

 ただの拳銃弾では薄皮一枚貫くことはできない。


 それにだ、仮に殺せたとしてもディーは既に死んでいる。

 死者が立ち歩き喋っているのだから、今更殺したところでどうこうなるモノでもないだろう。


「……」

「く……! 来い、アシュカイザー!!」


 ディーの威圧に耐えきれず、クリスは飛び退き右手を挙げて叫んだ。

 レドアに止められたことなど既に忘れている。

 彼の頭の中には今、ディーを殺すこと以外の思考など存在しない。


 三機の銀翼が飛来する。


「執事。ユウリを頼む」


 こうなっては、ディーも迎え撃たざるを得ない。


「……かしこまりました」

「あ、ディー!」

「エル」

「ん……」


 ユウリが呼び止める暇もなく、ディーとエルは魔方陣の光りへと消えた。


 エルは格納庫へ。

 ディーはグレイヴリッターのコクピットへ。


「コライダー」

「分かっとるわい。ま、こっちとしても好都合じゃ」

「どう言う意味だ?」

「実は新装備が完成しとってのう。お主にはそのテストをして貰う」

「……わかった」


 如何なる理由であれ、今二人の利害は一致していた。

 そしてなにより、ディーにとってコライダーの命は絶対だ。


「出る」

「うむ。ルイーナコフィン転送開始じゃ」


 巨大棺桶が転送され上空から飛来する。


「望むところだ! ユニオーン!」


 三機の飛行マシンが合体を開始する。


「起きろ、グレイヴリッター」


 棺桶の蓋を押しのけ現れる漆黒の巨骸きょがい


「アシュカイザー!」


 融合を果たした銀の翼の巨人。


「戦闘を開始する」

「今度こそ、お前を倒す!」


 ユウリが見守るその前で、二人の、三度目の戦いが始まる。


「これは……」


 が、ディーは直ぐには動かなかった。グレイヴリッターの異変に気づいたのだ。


「ブルートが、起動している」


 起動と共にグレイヴリッターの装甲が展開し、赤いエネルギーが流動を開始。

 システムブルートが、ディーの意思とは関係なく起動している。

「うむ。そのシステムは本来、グレイヴリッターの基本機能じゃ。ようやく出力が安定したんでのう」

「そうか」


 ディーは納得した。

 だが、そんな悠長に話している時間は無論、ない。


「今度こそ、打ち抜く!」


 アシュカイザーが手に持ったキャノン砲、ARランチャーを発射した。

 グレイヴリッターに白銀の光線が襲いかかる。


「……」


 そしてそのまま、光線は結界に弾かれ霧散むさんした。


 結界貫通率1%。

 グレイヴリッターの受けたダメージはそよ風と変わらないが、続けて食らえば結界が持たない。


 ディーはグレイヴリッターを飛び退かせ、反撃に出る。


「シュティル・ゲヴィーア」

「く! 当たるか!」


 グレイヴリッターの口部より放たれた赤の砲火が空を薙ぐ。

 飛行するアシュカイザーの背を、光の柱が追い掛ける。


 だが、アシュカイザーは巧みな高速機動でそれを回避した。

 闇の中で繰り広げられる空中サーカス。クリスはそれを演じきり、再び反撃に転じる。


「アシュブレード! お前は、貴様は許せないんだよ!」

「そうか」

「そうだ! 貴様さえいなければ……!」

「シュテーネン」


 剣を構え、上空より襲いかかるアシュカイザー。

 その攻撃を、グレイヴリッターは右手の指から伸びた剣で受け止める。


「きゃ……!」

「く!」


 二つの強大な力がぶつかり合い、溶け合い、ゆがみ、そして弾け飛ぶ。

 その衝撃に吹き飛ばされかけたユウリを、アロンダークが受け止めた。


「お嬢様、ここは危険です。お下がりください!」

「でも!」

「例えお嬢様の命令でも、これ以上は……!」


 アロンダークとて主人の意思は尊重したい。

 だが、魔力が飛び交い剣閃が煌めきあうこの戦場で、人の命はあまりにも儚いのだ。


「貴様のような薄汚いゴミが! ユウリさんを……! 許せないんだよ!」


 蝶のように舞い蜂のように刺す。

 アシュカイザーはアシュブレードによる一撃離脱戦法を間断なく続けた。


 遠距離攻撃を混ぜ自在機動から斬撃を放てば、さしものグレイヴリッターでもとらえる事は叶わない。

 そう思ったのだろう。


 しかし、その魂胆こんたんさえ見抜けていれば対処は可能だ。


「ディーよ、もうギブアップかの?」

「……問題無い」


 ディーはクリスの一撃を完全に読み切っていた。


 そして、シュテーネンで銀の刃を受け流しわずかに出来た隙を突く。

 鋭い刃がアシュカイザーの装甲をかすめ火花を散らす。

 後一歩、クリスの判断が遅ければアシュカイザーは貫かれ、破壊されていただろう。


「ぐう!」


 スピードと飛行能力で上回るクリスのアシュカイザーと、強力な結界を持ち動きを読んで戦うディーのグレイヴリッター。

 その微妙な均衡が、戦闘を長引かせていた。


 起点──二人はそれを探し求めている。均衡きんこうが崩れるなにかを。


「ディー、クリス! やめて!」

「お嬢様!」


 そしてそれは、訪れた。

 アロンダークの制止を振り切り駆け寄るユウリ。

 その姿だ。


「……!」

「もらったあ!!」


 ディーはユウリをかばうべく守備を固め、それを見たクリスは剣を構え低空から突撃した。


 それは決定的な違いだった。

 受け流すことなく攻撃を受ければグレイヴリッターとてただでは済まない。

 しかし受け流せば、ユウリに危害が及ぶ。


 故に、ディーは死力を注ぎその攻撃を受け止めた。

 極限まで濃縮のうしゅくされた魔力の衝突に耐えきれず、空間が湾曲わんきょくし、崩壊現象を引き起こす。


「消えろよおおおお!」


 ユウリの叫び、クリスの咆吼、白い光りの爆発が全てを呑み込み掻き消していく。


 そして、拡散。

 破壊の魔力が風となって駆け抜けた後、瞳に焼け付いた残像ざんぞうが消え去ったとき──四人の視界には信じられない物が映っていた。


「な……にい!?」


 クリスは驚愕きょうがくの声を挙げた。


 グレイヴリッターは、漆黒の騎士は、彼の目の前に立っていた。

 健在だ。

 シュテーネンを折られ全身に軽度のダメージを負ってはいるものの、戦闘に問題のあるレベルではない。

 もちろん、アシュカイザーも同じだ。


 では、何故そうなったのか?


「この、棺桶は!?」


 答は二機の目の前にあった。


 重なり合った刃を弾き大地に突き刺さった黒い棺桶。

 その蓋が、ゆっくりと開く。


「フリューゲル、ていくおふ」


 中から現れたのはグレイヴリッターと酷似した意匠を持つ、さなぎのような形状のマシンだった。


 四枚の細い翼を広げ、虫か鳥のように変形し飛翔するそのマシンの名は、フリューゲル。


「ディー。だいじょうぶ?」

「……エルか」


 コクピットの外からエルの声が響いた。

 ならば、考えるまでもない。

 フリューゲルのパイロットはエルだ。


 エルは光る球形のコクピットで専用の操縦席に座り、マシンを巧みに飛行させていた。

 つまり、このマシンを造ったのは……。


「そいつがくだんの新装備じゃ。気に入ったかの?」


 狙い澄ましたかのように、コライダーは言った。


「さあ、お楽しみはこれからじゃ。ディー、エル……合体じゃ!」

「合体?」

「ん……」


 そして、コライダーの指示により合体が開始される。

 ディーの意思など無視をして。


「フューリーしゃしゅつ。コネクトかいし」


 エルの言葉に反応し、飛行マシン、フリューゲルからグレイヴリッターへと赤い光線が撃ち出され、背部へと接続される。


「せつぞく」

「……コネクト完了」


 同時に黒く鋭い爪が二機をホールドし、魔方陣によりエルは座席ごとグレイヴリッターのコクピットへと運ばれる。


「……だいじょうぶ?」

「システム正常。問題は無い」


 エルに問われ、ディーは答えた。

 短時間でつつがなく合体は完了した。


「さて、ディーよ。後は分かるな?」


 ならば次は、実戦テストだ。


「ああ」


 グレイヴリッターは翼を広げ、赤い粒子のフレアを放ちながら、重力を切り離し夜空へと飛び立った。


「飛んだ!? けど、そんなくらいで……!」


 瞬間、あっけにとられていたクリスも魔法が解けたように動き出す。

 空中を自在に飛び回り、ARランチャーを連射する。


 しかし、それがグレイヴリッターを捉える事はなかった。


「どうじゃ、フリューゲルの調子は?」

「問題は無い」


 光る鱗粉りんぷんの如きフレアをなびかせながら、グレイヴリッターは暗夜に舞う。

 その動きは直線的に飛ぶアシュカイザーとは全く異質なものだ。


 瞬間的に最高速度まで達する異常な加速力。

 三次元的に発揮される滑らかな旋回性能。

 それらとディーの技量が合わさった今、その動きはまさに縦横無尽じゅうおうむじんだ。

 アシュカイザーには影を捉える事すらできはしない。


「美しい」


 そのまるで蝶のような美しい姿に、アロンダークは思わず感嘆かんたんの息をもらした。


「く……! なんで当たらない!」


 だが、戦っているクリスにはそんな余裕などない。


「くそ! 逃がすか!」


 グレイヴリッターを追い、アシュカイザーが飛翔する。


「これなら……!」


 アシュカイザーはARランチャーを連射した。

 いくらスピードが速くとも、いくら動きが特異であろうとも、アトランダムに連続して攻撃を加えれば回避しきれるものではない。


 事実、アシュカイザーが連続発射した光線の内の一発がグレイヴリッターに届いた。

 直撃し、弾ける。

 だが──グレイヴリッターにダメージはない。


 被撃の瞬間、赤く耀く結界がその光線を弾いたのだ。


「けっかいしょうへき、せいじょうどうさ」


 エルが言った結界障壁。

 合体前は円筒型だったそれは、パッチワークされた多くの魔方陣によって球状となり、全方位からの攻撃を防ぐ鉄壁の盾となった。


 しかし、防御能力だけでは勝利する事は出来ない。


「迎撃する。シュティル・ゲヴィーア」


 グレイヴリッターの口部に魔方陣が展開し、収束した魔力が解き放たれる。

 薙ぎ払う赤い光はまるで巨大な剣の如く、大地に斬り傷を刻み、爆炎が全てを呑み込んでいく。


「ぐ! 強い……けど、直撃さえしなければ!」


 だが、クリスも然る者。

 スラスターを全開にし、軌道を無理矢理に変え回避した。


 二機のマシンが宙を舞い、閃光が夜空に絵画を描く。

 だが、目的は芸術ではない。

 敵機を撃破出来なければ、どんな力も無意味だ。


「エルよ、インヴィレーゲンを使え」


 決着をつけるため、コライダーは言った。


「ん……」

「ディーは発射時の姿勢制御じゃ。ま、適当で良いがのう」

「ああ」


 相変わらず端的な指示だが、無駄が無いとも言える。

 指示などと言う物は、実行が可能なら問題はないのだから。


「ろっく」

「……! なんだ、この不快感は……?」


 エルが呟くと、クリスに異変がおこった。


 悪寒──とでも言うのだろうか。

 クリスは人生の中で感じたことのない不思議で不快な感覚に包まれていた。

 例えるなら、液体化した視線のプールに沈められているような浮遊感。


 攻撃が命中したわけではない。

 それどころか、外面的に見れば何も起きてはいないはずだ。


 だが、やはり既に攻撃は始まっていた。

 クリスは「ろっく」と言う言葉通り、エルに捕捉されたのだ。


「インヴィレーゲン、しょうしゃ」


 そして、放たれる。

 グレイヴリッターの翼から放射状に撃ち出された、細く赤い八本の光線。

 それは直角に折れ曲がり幾何学的きかがくてきな軌跡を刻みながら、エルの思念に従い捕捉した相手を目指す。


虚仮威こけおどしを……なに!?」


 回避運動を取るアシュカイザー。

 しかし直後、クリスは驚き、思わず声を挙げた。

 避けたはずの光線が入り乱れながらアシュカイザーを追う、異常な光景を目にしたからだ。


「くっ……それなら!」


 それに対し、クリスは直ぐに対応策を打ち出した。


 アシュカイザーはARランチャーを発射、インヴィレーゲンに向け白銀の光線が走る。

 回避できないのであれば迎撃すれば良い。そう考えたのだ。


 しかしクリスは直ぐに、自らの間違いを痛感することになる。


「なに!?」


 ARランチャーが撃ち出される直前、まるで花火のように赤い光線が八方へと散ったのだ。


 攻撃により干渉を受けたのではない。

エルが自らの意思で回避させたのである。


 インヴィレーゲン──それはエルの思考に従い獲物を追う八匹の猟犬りょうけんだ。

一度捕捉されれば逃れるすべはなく、いかなる状況においても確実に、その牙を突き立てる。


 更に──


「撃破する」

「ぐああああ!」


 クリスの全神経がインヴィレーゲンへと向けられた刹那、光の渦が空を裂いた。

 シュティル・ゲヴィーアだ。


 口部からの射線しゃせんはアシュカイザーの軌道上へ。

 結末は、発射以前に決まっていた。


 アシュカイザーは背後のウィング部に直撃を受け制御を失い墜落。

 その後をなお、インヴィレーゲンが追い掛ける。


 アシュカイザーには最早逃げる術は残されていない。

 数瞬すうしゅんの後、彼は無数の槍に貫かれ地にはりつけとなる。


 ──だが、その未来が実現することはなかった。


「そこまでじゃ」

「……!」


 またも、コライダーが止めたのだ。

 それによりインヴィレーゲンの光りは直前で軌道を変え、アシュカイザーを囲むように大地へと突き刺さった。


「此所で奴を殺ると後々の展開に影響がでるからのう」


 相変わらずディーには良くわからないが、コライダーが言うからにはその通りなのだろう。

 しかしまだ、問題は残されている。


「ユウリは?」

「ふむ、小娘か。ま、それならワシが保護するわい」


 ディーに聞かれ、コライダーは渋々と言う様子で答えた。

 だが、言葉とは裏腹にその行動は迅速だ。


 ユウリ達を見下ろすディーの視界に、白衣の老人が現れる。


「のう、アロンダーク?」

「きゃっ!」

「あ、貴方は……」


 アロンダークは戦慄を覚えた。

 気配なく忽然こつぜんと、必殺の間合いの中に現れた一人の男に。


「フ……フランシス」

 男の名はフランシス。アロンダークにとってはそうだ。


「今はコライダーと名乗っとる」

「お嬢様!」


 アロンダークはコライダーの話など聞かず、叫んだ。

 知っているからだ。

 この男にとってユウリの命を奪うことなど、蟻を潰すより簡単な事だと。


 だがもちろん、コライダーにそんなつもりはない。


「安心せい。小娘に興味はないわい。それに、そいつはディーのお気に入りじゃからのう」


 コライダーはユウリに手を出す気がないことを明言し──そして、言った。


「それとも、またワシを殺すか? ま、ワシはそれでも構わんがのう」

「……! 私は……」


 その言葉だけで、アロンダークの心は折られ、戦意は消え失せた。


「と、言う訳じゃ。ディー」


 こうして、障害は除かれたのである。

 もっとも、ディーなら例えどんな理由であれ、コライダーの言葉には従ったのだが。


「分離する。エル」

「ん……」


 グレイヴリッターが着地するとエルがコクピットから消え翼が分離。

 二つの機械は帰還すべく踵を返し動き出す。


「ぐ……待て! また逃げるのか!? 逃げずに戦え! 僕は戦って……ユウリさんがお前のモノではないと証明してみせる!」


 クリスが何やら吠えているが、ディーには応じる理由は無い。

 ディーはグレイヴリッターを棺桶へと収納した。


「退却する」

「くっそおおおおおお!」


 消え行く棺桶を見て叫ぶクリス。

 その様を見ながら、ディーは思った。


 腹が、減った──と。

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