第6話  伝説のボクサーIさん

伝説のボクサーIさん。


生きている人間なのに伝説なんて言い過ぎやろ。


そう思われるかもしれない。私も全然知らない人間が伝説の・・とか言われたら、ないないない!そんな風に思うだろう。


でも、実際にIさんを見て頂けたら、私の言う事に共感してもらえると思う。


あ~、こんな人をカリスマっていうんだな!って思える程のオーラを纏っているIさん。


私が初めてIさんの存在を知ったのは高校生の頃。私は17歳で爛れた夜遊びを辞めて本格的にジムに通いボクシングを始めた。毎月ボクシングマガジンを買っては隅々まで読み漁った。


そして、あるボクサーの写真と試合記事に釘付けになった。端正なマスク、なのにまるで古代ギリシャ彫刻に出てくるかのような筋骨隆々の体つき。


そして何より闘い振り。


関西に住んでいた私は実際に動いているIさんを見ることは出来なかったので、活字でしか情報がなかった。


それでも十分伝わるアグレッシブさ。


よし!Iさんがいるジムにしよう!


私には親との約束した期限があった。


4年間。


この期間内に、ある程度の結果を残せば期間を伸ばせるだろう。


そんな思いから、チャンスの少ない田舎でチャレンジするより、層の厚い東京で勝負した方が自分自身その世界で通用するかどうか早く分かるだろうというのもあった。


そして、負け越すような戦績になったらスッパリ辞めようとも決めていた。


そして、実際にIさんがいるSジムに入門。初めて生のIさんを見た時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。


ずっとボクシングマガジンの白黒写真しか見た事がなかったIさん。


憧れている人に実際会ってみると、なーんだ、そんな大した事ないなと思いがちだけれどIさんは違った。私の予想をはるかに上回るくらい迫力満点のサンドバッグ打ちだった。流石、後の日本チャンピオンを2人も豪快にKOしているだけある破壊力だった。


けれど、そんなIさん。2度日本タイトルに挑戦していた。その2度とも同じチャンピオンに負けていた。


相性・・・これは勝負の世界に携わった人間だったらわかると思うけれど、本当にIさんにとって相性が悪かったと思う。1度目は壮絶なKO負け。2度目は惜しい判定負け。


3度目のタイトル挑戦を目指していた矢先、連勝中に網膜剥離が発覚。当時のボクサーにとって、網膜剥離になるという事はボクサーの死を意味していた。


けれどIさんは諦めなかった。


リングに上がれるかどうかわからない中、実に9年間トレーニングを続け、いつでもリングに上がれる準備をしていた。そして当時、日本でまだ認められていなかったIBFという団体のリングに最初で最後のカムバックを果たした。なぜなら、日本で認められていない団体のリングに上がるという事は日本ボクシング界に戻れない事を意味していたからだ。


Iさんはどんな形であれリングに上がるという決意の元、その条件を了承した。そのIさんの復帰までを追ったドキュメント映画が作られたほどだった。


そして有終の美を見事KO勝ち。もう生き方そのものがカッコ良すぎる。私にとっては雲の上の存在。こちらから話しかけるなんて恐れ多くてできなかった。


でも、Iさんから話し掛けられる事がたまにあった。


ある時、更衣室でIさん、私、もう1人のプロと3人で話していた。


“リングで命を捨てられるか?”


そんな話になった。


勿論、私自身生半可な気持ちでリングに上がってはいなかった。文字通りリングの上で死んでもいいと思って闘っていた。でも、Iさんの壮絶なボクシング人生の前で、そんな自分なんかのボクシング人生なんて鼻くそみたいなものだと思って本意でないことを言ってしまった。


「いや~命まではかけてないっすね。」


すると、Iさんが言った。


「そうか、俺は違うな。リングで死んでもいいという覚悟で闘ってるかな。」


いや、自分もっす!


心の中で必死に叫んでいた。


きっとIさんに、あ~コイツは俺とは違うなって、リングで死んでもいいという覚悟で闘ってないんだなって思われているだろうな・・・


22歳で怪我の為、引退してからも、ずっと、もつれたまんまの糸となって心に残っていた。


もうIさんとは会うこともないんだろうな・・・


そう思って過ごしていた。しかし、人生とはオモシロイもので意外な形でIさんと接点を持つことになる。

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