第7話 衆生済土の欠けたる望月

まことに主はあなたを救い出してくださる。

鳥を捕る者の網から

死に至る疫病から。

主は羽であるあなたを覆う。

あなたはその翼のもとに逃れる。

主のまことは大盾、小盾。

夜、脅かすものも

昼、飛び来る矢も

あなたは恐れることはない。

闇に忍び寄る疫病も

真昼に襲う病魔も。


【『旧約聖書』新共同訳「詩篇」91章3~6節】









 その僧は、西口門という名の大学受験生にこう言ったらしい。

「『聖道門しょうどうもん』を捨て、汝は『浄土門』へと入られよ。見たところ、汝の手は汚れている。長年罪を作り続けた者であれども、南無阿弥陀仏と唱えれば必ず浄土へ阿弥陀仏と申す仏さまは汝を極楽浄土へと迎えてくださる。めでたき御浄土へ生まれ変わり、仏になることも出来よう」

 大学受験生、西口門は腕っ節の強さに自信があり、またリーダー肌であったが、そのぶん、仲間と共に暴力的に物事を解決するところがあった。

「おれは……地獄に落ちないのか?」

 僧は声を上げて笑う。

「面白いことを言う。ここ常陸国は浄土門の僧、親鸞が20年間に渡り住み続けた場所なり。の僧が提唱するは〈悪人正機〉。煩悩多き悪人こそ救われるべきと説いた僧ぞ」

「哀れみ……と言ったところか。おお、良いぜ、在俗であろうが、おれは浄土門へ向かおう。具体的にはどうすれば良い?」

「合格発表後、〈三ツ矢学生宿舎〉へ入りなさい」

「そこに住むとなんかあるのか?」

「汝は、音楽家であろう?」

「まぁ、バンドはやってたわな」

「阿弥陀仏を唱える融通念仏から、良忍という僧は日本音楽の源流がひとつ、〈魚山流声明ぎょざんりゅうしょうみょう〉を大成させた。その研究をしている者が、毎年集う修行の場であり居住の場所が、〈三ツ矢学生宿舎〉である」

「じゃあ、おれは頭を剃ろう。ちょうどラップの修行の場……いわゆる〈サイファー〉が出来るような環境が欲しかったんだ。乗るぜ、その話!」

「落ちぬようにな、受験にも、そして八大地獄へも」

「ハハ! 今日から南無南無唱えてやるよ。おれにはいつも亡者が群がるからな。蹴散らすおまじないが必要だってわけさ。あんた、名前は?」

「拙僧のことをしてひとは、泡斎と呼ぶ。泡斎と呼ばれる僧は幾人もいるが、拙僧も、その一人である」

「また会おうな! ひとまずさらば」


 そんなやりとりがあって、MC西口門というラッパーはスキンヘッドになり、ここ、三ツ矢学生宿舎のリーダー格になったらしい。




「なに、その話? 三ツ矢学生宿舎の〈三ツ矢〉って、近くの神社の名前から取ってるのに、神道じゃなくて仏教説話っぽい装いの話なの? で、そんな逸話があの西口門にはあるっていうのかい。眉唾物だなぁ」

「まじなんすよ、その話。実話なんですって。信じてくださいよ、山茶花さん」

「ふぅん。少なくとも、蔵人くらとくんはそのエピソードを信じてるわけだね」

「まったく、ひとの言うことを疑ってかかるんだから、山茶花さんはぁ」

「ごめんごめん」


 僕、萩月山茶花は希代のベーシスト・蔵人くんに謝ると、夕食後の歯磨きに、宿舎の共同洗面所へと向かった。

 僕はあくびを一つして、鏡で自分の冴えない顔を見ながら歯を磨く。

 今日も一日、大学の講義お疲れ様だよ。

 まさかまた講義を受ける立場に戻るとは思ってもいなかったけれども。

 そして、夜の自由時間が始まる。







 僕は今、常陸の南、『学園都市』の〈大学生〉として、ここ〈三ツ矢学生宿舎〉の一室に住んでいる。

 見上げればあるのは筑波山。

 目をまっすぐ向ければ、都市がまるごと大きな教育機関と研究機関の集まりである『学園都市』の区画された街並み。

 ここは都会だ。

 しかし、そこに住む者のほとんどが学識高いという、異形の都市だが。


 三ツ矢学生宿舎での僕、萩月山茶花のルームメイトでキーボーディストの湖山こやまに影響を受けたのか、さっきからベーシスト・蔵人くんは僕の部屋で、奇っ怪なシンセサイザーをいじっている。

 うねうねした低音が出ている。

「湖山ぁ、このうねうねした攻撃的なベース音の出る機械はなんなんだ?」

 と、僕。

 即座に答えるのは、腕組みしながら蔵人くんのプレイする指先を睨んでいる湖山だ。

「山茶花さん。これはTB-303っす」

「んん? TB-303?」

「うねうねなのはワブルベースの音の特徴っす。このベースシンセサイザーから、アシッドハウスってジャンルははじまったっす」

 そこに重ねるように、

「最高すよ、このサウンド。山茶花さんもどうすか?」

 と言うのは、蔵人くん。

 この二人の語尾が「っす」ってなってるのは、ちょっと古い若者っぽくて、好感が持てる。

 それでいてこの二人、大学では成績優秀なのだから、侮れない。

 一体、いつ勉強をしているんだろう?

「やべ、ベースシンセを使う曲を書きたくなった」

「いいじゃん、蔵人。YMO超えようぜ?」

「クラフトワークスだっておれたちなら超えられるかも知れねーな」

 笑い合う湖山と蔵人くん。

 蔵人くんは腕につけた手錠の鎖をじゃらじゃらさせながら、TB-303というそのベースシンセでベースラインを奏で続ける。

 湖山は尖った髪の毛をゆさゆさ揺らしながら、そのうねうねするベースで高揚している。

 湖山は、僕に言う。

「この三ツ矢の〈プロップス〉じゃ、ミクスチャーは当然あり得る選択肢なんすよね」

「プロップス?」

「シーンてことっすよ、そのくらい覚えてくださいよ、いい加減。三ツ矢プロップスの、超ドープな最先端をおれたちは走っているんすから。山茶花さんは、その現場にいるんすよ? もうちょっと胸張ってたっていいくらい、それは名誉なことなんすからね」

 湖山に怒られる僕。

 ごめんごめんと言っていると、湖山もKORGのアナログシンセでベースに合わせて〈ウワモノ〉を乗せる。

 ごっついサウンドで奏でるアルペジオだ。

 暴力的とも思える即興演奏の始まりだ。

 僕はその音に耳を澄まし、ペットボトルのコーラを飲む。

 掛け時計を見ると、もう午後十時をまわっている。

 音楽オーケイの宿舎なのがこの三ツ矢学生宿舎のウリだが、まあ、騒音をこの時間にまき散らしているのを横目で見て、若干気が引けるし。

「コンビニに行ってくるよ」

 と、聞こえないだろうけど言ってみて、僕はドアノブをまわす。

 さて、学園都市で深夜徘徊とでも洒落込みますか、ってな。







 三ツ矢学生宿舎から外に出て、学園都市の街を歩く。

 自動車もひともまばらだ。

 逆を言えば、まばらなだけで、十時過ぎでも、ひとは歩いている。

 歩いているそのほとんどは学生くらいの年齢のひとたちだ。

 セイコフマートで珈琲とグミキャンディを買って、小さな公園に入ってゾウさん滑り台に乗って珈琲を飲みながらグミを噛む。

 空は星々がきらめいている。

 グミを咀嚼していると、公園そばにあるライブハウス『たまつかの坂』の入り口のネオンの奥から複数人の罵声が飛んできた。

 そして、ライブハウスからつまみ出されるスカジャンに、鍵穴の付いた錠前のかたちをしたゴールドチェーンネックレスをつけている男。

「痛てぇ! ふざけんなよ、おれはフリースタイルバトルがやりたいだけなんだ!」

 つまみ出された男の叫びに、つまみ出した屈強な男が言う。

「オオトリの超人気ラッパーの舞台に上がり込んでバトルを申し込むだぁ? てめぇは営業妨害を何度したらわかる! 田舎者が調子こいてんじゃねーぞ!」

 ぼぎゃっと派手な音がした。

 つまみ出された男が屈強な腕のげんこつで殴られたのだ。

 殴られて倒れたところに、次いで蹴りがみぞおちに入る。

 吐瀉するスカジャン男。

「もう二度と来んな!」

 つまみ出した男はネオンの中に戻っていった。

 僕はスカジャン男に近づいて、倒れてげーげー吐いてるその頭の上から声をかける。

「またMCバトルを希望したのか、西口門?」

 スカジャン男はよろよろと起き上がって、

「あ。誰かと思ったら萩月山茶花か……。畜生!」

「宿舎に帰ろうぜ」

「畜生ッ」

 僕はスカジャンのこの男、西口門の肩を担いで、三ツ矢学生宿舎まで歩きだす。

 西口門は、宿舎に到着するまでずっと、

「畜生! 畜生!」

 と、繰り返していた。

「西口門。宿舎のみんなの使う言葉で言うなら、西口門は〈オールドスクール〉なんだよ」

「おれがオールドスクールか。ハハッ! 面白いこと言うじゃねーか、山茶花」

 オールドスクール。

 昔ながらの価値観やスタイルの〈プレイヤー〉のことを指す言葉が、〈オールドスクール〉だ。

「畜生! 見ていやがれ、おれの声明しょうみょうが最高のフロウに変わっていくサマを、なぁ! ライムデリバリーにはあとちょっとで届く!」

〈フロウ〉とは、ラップに於いて、〈言葉が演奏される〉そのサマを言う。

〈ライムデリバリー〉とは、フロウをリズム視点から表現するときに使う用語だ。

 この場合、ステージで輝けるようになるにはあともうちょっとだ、みたいなところか。

「頑張れよ、西口門」

「ありがとよ、山茶花」

 西口門は、腫れたまぶたの瞳で、空を見上げる。

「月がまぶしいぜ」

 僕はつい吹き出してしまい、それを隠すように言う。

「せいぜい笑う月に追いかけられないようにしろよ、西口門」

「笑う月? ハッ! 安部公房かよ!」

 とぼとぼ歩く僕ら二人の影は、月明かりで長く伸びた。







 学生宿舎の僕の部屋に担ぎ込まれた西口門は、湖山に介抱してもらう。

 いたるところ傷だらけだ。

 腕っ節が強いスキンヘッド野郎の西口門だが、そんなに暴力を振るうことはしない。

 凶暴さは、ヒップホップが吸い取っていったのだ。

 憤りの、矛先が、今のこいつにはある。

「へっ! 『たまつかの坂』の警備の奴は、二度と来んなみたいなこと言ってたけどよ、結局はおれたちのバンド『ザ・ルーツ・ルーツ』が出演しないとこの三ツ矢プロップスの〈うねり〉はわからないわけで、出演オファーは必ず来るんだよ。MCバトル、やらせてくれりゃぁ盛り上がるのによぉ。なにがヘッズたちの邪魔になる、だよ。クソが。フリースタイル禁止はねーだろうよぅ」

 僕はため息をはく。

 ヘッズとはファンのこと。

 つまり、ファンの迷惑になるからやめろ、と追い出されたわけだ。

「西口門が目指すところって、なんなんだ? 他人のバンドやユニットのライブの邪魔をしてかき乱すことが目的じゃないだろう?」

「十年前の〈厄災〉……」

 西口門は語り出す。

 僕がここに来た目的と合致する、その話を。

「この『学園都市』もまた、十年前の〈厄災〉によって、壊滅状態になった。必要なのは〈衆生済土しゅじょうさいど〉だ。なぜならば、仏教ってもんの最大の目的は衆生済土だからだ。言い換えれば、〈民草を救うこと〉で、おれたちが目指すのは民草を救って、極楽浄土へと導くこと。そのための〈こころという地獄〉から人々を救う〈声明しょうみょう〉をアレンジしたおれのライム、そして極楽へ続く階段としてのおれたちのバンドだ。それは厄災を齎した平将門の力を封じ込んで、今度こそ永久に封印することにも通じる。だが、この『学園都市』が復興したとき、張り巡らした学園都市の結界は〈国家鎮護こっかちんご〉のために特化したものだった。国家鎮護……国のお偉方とのパイプ。この学園都市は、国の要人というパトロンと密着することによって権勢を振るうこととなった。国内最大の学園都市サマの誕生さ。だがよ、権勢を振るうことになると生まれるのは、〈堕落〉と〈腐敗〉だ。多分に漏れず、学園都市もその内部構造の腐敗は免れることはなかった」



〈国体〉を守ること。

 つまり、国の体制の維持。

 それが国家鎮護。

 国家鎮護は、救済とは違う。

 いらないと体制が判断したものは切り捨てて、国体を守ろうとする。

 その姿は、民衆の救済とはほど遠い。



 僕は、湖山にヨードチンキで手当を受けながら語っている西口門の言葉に、静かに頷いた。


 騒がしさから一転して静かになった夜が、更けようとしていた。







 三ツ矢プロップス・ナイト、と題されたライブコンサートが今週も開かれた。

 西口門をつまみ出したライブハウスである『たまつかの坂』は、西口門のヒップホップバンド『ザ・ルーツ・ルーツ』をトリにして、対バンを行った。

 対バンとはいくつかのバンドが代わる代わるライブを行う形式のことであり、トリとは一番最後にライブを行うバンドのことを指す。


 ドラムのにしきくんがルーズなビートを叩き、そこに蔵人くんのベース、湖山のキーボード、ラップを歌いながらの西口門のギターが重なる。


 眼も眩むような高速の言葉を繰り出しながら、西口門はギターのカッティングを鳴らす。

 西口門は、〈魚山流声明〉の使い手であり、ラッパーであり、ギターも弾く。

 彼の実力は、確かにこの学園都市随一で間違いないだろう。


 西口門は彼特有の〈パンチライン〉で最後の楽曲を締めた。

「Num-Ami-DaDaDa-Butz!!」

 一瞬の沈黙の後、オーディエンスから拍手喝采が送られる。

 パンチラインとは、ラップの〈ライム〉……つまり歌詞、の決め台詞のことだ。


 オールスタンディングの客席でオーディエンスとして『ザ・ルーツ・ルーツ』の演奏を聴き終えると、僕は大きく拍手をしてから、お客さんたちをすり抜けるようにして、ライブハウスの外に出る。


 熱気が冷めるような外の空気を吸う。

 夜空が綺麗だなぁ、と天を見上げながら、スポーツドリンクを飲んで思う。


「楽屋には行かないのね」

 甲高い女性の声。

 見上げた空から顔を地上に戻す。

 そこに仁王立ちしているのは金髪眼帯ポニーテイルのゴス衣装少女。

 百瀬探偵結社の誇る女子高生探偵の。

 小鳥遊ふゆり、だった。


「油売って数ヶ月。なにやってんのよ、この雑用係!」

 汗を拭って、僕はふゆりに返す。

「油売るのも、悪くないな、と思ってね」

「阿呆が格好付けてもキショいだけよ、阿呆は阿呆なりに仕事をこなしなさいよね。なに大学生に溶け込んでんのよ、バカ山茶花。あんたねぇ、学生時代にでも戻ったつもり?」

「ごめん、ふゆり。僕にこんな素晴らしく青春な学生時代は存在しないよ」

「いつものえろげオタクに戻りなさいよ。それでこそうちの探偵結社の雑用係ってもんでしょ」

「確かに、ね。その通りだ」

 ふゆりは僕に言う。

「〈毒麦は蒔かれた〉わよ」

「毒麦を摘み取るかい?」

「いいえ。収穫時により分けて焼き払うわ」

 僕は思わず吹き出す。

「聖書の〈毒麦のたとえ〉みたいだね」

「その通りでしょ」

「難しいなぁ」

「南無阿弥陀仏も良いけれども、その南無阿弥陀仏の浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、新約聖書『マタイによる福音書』の一部が伝わっている。その『山上の垂訓』を中心としたものの漢訳の、『世尊布施論せそんふせろん』から、親鸞はキリスト教ネストリウス派の教えも学んだということが、今回の事件に繋がっていること、忘れないで。いいかしら、山茶花? あんたが青春ごっこやってるうちに、また将門の引き起こした〈厄災〉の二の舞がこの国を襲うわよ?」

「厄災…………この場合、疫病……、か」

「この三ツ矢周辺が昔、常陸の八坂信仰の中心だったこと、忘れないで」

「八坂信仰は、疫病神である牛頭天王を祀っている、ってこと、でいいのかな」

「そうよ!」

「ありがとう」

「好い加減、目を覚ましなさい! このどあほ!」








「目を覚ませ、か。……でも、そんなこと言ったってさ…………心地良いんだ、今の暮らしが、さ」

 僕がもじもじと鼻をかきながら声を漏らすと、ふゆりは、ため息をつく。

 ふゆりは月明かりとライブハウスのネオンに照らされながら、キラキラ輝いている。

 美少女であるふゆりに夜空とネオンが反射して、見えるその姿は、まるで漫画の世界から飛び出てきたヒロインのようだ。

 だが、そんなこと言ってられなさそうだった。

 ふゆりは、本気だ。

 緊張感を持って、ふゆりは僕に問う。

「山茶花。〈新宗教〉や〈カルト〉に顕著な、信者以外は滅びるので今すぐ入信しろって言うような突飛なタイプの〈千年王国〉の考え方は、キリスト教と仏教の弥勒思想、それに古神道にはつきものよね。逆に、例えばマックスウェーバーの本だと、人間ごときには神が考えることはわからないのでそれまでの歴史の蓄積から、だいたいこうなんじゃないかな、という推測を立てての行動となる、っていう前提から議論が始まっているわね。創造主たる神の考えがわかるのは神のみで、本当に信心深くないといけないかすら、それは神のみぞ知ることで、人間のコントロールの範疇を超えているって話だったわね」

 僕は頷いた。

「そうだね」



 ふゆりは腰に手を当て、威圧的な態度で僕に説明する。


「千年王国思想に関しては得てして次のことが言えるわね。




1. それは信徒が享受するもので、

2. 現世に降臨し、

3. 近々現れ、

4. 完璧な世界であり、

5. 建設は超自然の者による


 ……という共通した世界観を持っているの。

 その上で、



a. この世は悪に染まっており、

b. 全面的に改変する必要があり、

c. それは人間の力では不可能で、神のような者によらねばならず、

d. 終末は確実に、そろそろやってきて、

e. 来るべきミレニアムでは、信徒以外は全員居場所を失う、

f. そのため、信徒を増やすべく宣伝しなければならない。



 ……という〈症状〉を伴う、とされる」



「それが、なにか?」

「あんた、あのへぼ探偵の破魔矢式猫魔はまやしきびょうまと一緒に、皇国史観の過激派のブラックリストに載ってるの、忘れてない?」

「ん? なんのことだい?」

「この阿呆! 孤島こじまのことよ! 〈一人一殺〉の、ね。あのグループとどう繋がっているかはわからないけど、神道系の新宗教の大きな流れに、〈出口〉の一派がいるじゃない。一派というには、あまりに〈おおもと〉な。古事記をグランドセオリーに解釈して、聖書をその体系に取り込もうとした一派。ほかにも続々と団体名が浮かんでくるけど、終末思想には、信徒のみが救われるタイプの千年王国的発想がつきものだわ。国家主義的神道説と千年王国救済思想が結びついて発展した新宗教には、〈信徒以外全員の居場所を失わせる〉工作をしたい連中もわんさかいるってことよ。別に、今挙げた団体が、ってことじゃないけど。弥勒思想もまた然り」

「うーん? つまり、戦争をはじめるってことかい?」

「そ・の・と・お・り・よ! 救済という名の、選民思想が大好きな連中が蠢いてるのよ、今、ここ、学園都市で」

「まだちょっとわからない。話が見えないよ」

 と、そこに、よく響く男の声がする。

 よく知ってる声だ。

「どうもふゆりは説明ベタで仕方がないな。話がこれじゃ進まない」

「あ。猫魔!」

 声の主は探偵・破魔矢式猫魔だった。

「うっさいわね、へぼ探偵!」

 べーっと舌を出して猫魔を威嚇するふゆり。

 それにも介さず猫魔は言う。

「さて。じゃあ、この土地と八坂神社の縁起の話から始めようか」

「え? なに? 土地の歴史を遡るなんて。そんなに事態は複雑なわけ?」

 人差し指を自分の眉間にあて、ふゆりはまたため息をつく。

「あんたねぇ。学園都市と言えば県内一の交通事故量を誇る場所で、そして今、全国で謎の疫病が流行りつつあるの、知らないとは言わせないわよ。地震も多いし」

「それが、この件と、関係が?」

「連合国全部に接収された、軍隊の負の遺産の研究の一部として、学園都市から海外に研究者たちが流出して。それで、帰ってきてる連中もいるって話よ! そいつらが、試験的に牛頭天王の疫病神としての機能を自身らの生物兵器的呪術の依り代にしているの。交通事故の多さは、ここ学園都市に瘴気の〈地場〉が生まれているからよ」

「なに? 国家レベルどころじゃないだろ、それ!」

「ここは日本が誇る『学園都市』よ! 科学の最先端なの! ミュージックにうつつを抜かして忘れてない? 山茶花、あんたほんとにあたま大丈夫?」

 僕までため息をついてしまう。

「末法と来りゃぁ、孤島の奴も動く、か。猫魔。どうなってるんだい」

 ケラケラ笑う猫魔。

「そうげんなりするこたないぜ、山茶花。なぜならさ、運命って奴を正当に非難出来る者なんてどこにもいないからさ。〈正義〉の在処なんて、探したって無駄なことだ」

「運命って奴を正当に非難出来る者なんてどこにもいない……か」

「マボロシの大学生活をエンジョイしてるところ悪いが、事情の説明といこうか」







「まずはここ、学園都市のそば、八坂神社のある玉取町の縁起から、だな」

 僕は猫魔に、

「手短に頼むぜ」

 と、頼んでみる。

 すると、

「長話はする気なんてないさ。対バンのイベントが終わって、お客さんもバンドマンたちも、外に出てくる頃合いだからね。ステージが終わって、ドリンクチケットでお酒飲んでたり物販を買ってる時間だろ、今。すぐにここにひとが集まってくるさ。いなくなったら今度は搬入口からバンドマンが撤収作業だ。そう時間もないからね。手短に話すぜ」

 と、猫魔はクスクス笑った。

「そこ、笑うとこかよ、猫魔」

「いや、すっかり大学生に溶け込んでしまった山茶花は、それはもう、愉快でたまらないよ。おれだったら大学生と一緒に宿舎生活なんて出来ないね」

「それはどうも」


 探偵が玉取町の縁起を語り出す。



 三ツ矢八坂神社、知ってるだろ。

 その神社が近くに鎮座しているから、現在、山茶花が住んでる宿舎の名前がそこから取られて三ツ矢学生宿舎になったんだ。

 三ツ矢八坂神社は、京都祇園の八坂神社から勧請かんじょうされた、という。

 以来ここは、常陸国に於ける牛頭天王信仰……言い換えれば祇園信仰、の中心だったんだ。

 八坂信仰と言った方がわかりやすいかな。

 ライブハウスや飲み屋が多いのは、ここが花街だったことの残滓だ。

 花街だからこその祇園であり、八坂信仰なんだね。


 おれたち百瀬探偵結社にとって、この三ツ矢八坂神社が重要なのは、この神社に天慶年間のとき、藤原秀郷が〈平将門征伐〉の戦勝祈願として〈矢〉を納めたからだ。


 話は前後するが、この〈玉取町〉の〈玉〉とは、〈ギョク〉であり、また『玉座』に通じているのさ。

 三本脚の鴉……八咫烏がくちばしに玉を加え運び、途中で〈撃たれて〉穴に落とした。

 これがなにを意味するかというと、茨城の土蜘蛛……まつろわぬ者……を、朝廷が制圧し、支配下に置いた、という意味から転嫁されている。


 何故、八咫烏は撃たれたのか。

 ざっくりと見ていこう。


 昔、三本脚の鴉がこの地域に飛来した。弓の名手が、後に〈天矢場〉と呼ばれることになる場所にやぐらを建て、鴉に向けて矢を放った。

 三本目の矢で、三本脚の鴉を射落としたそうだ。

 撃った矢が落ちた場所にはそれぞれ一ノ矢、二ノ矢、三ノ矢との地名がついた。

 ここが三ツ矢と呼ばれるのは三ノ矢が、訛ったのか、もしくは言いやすくしたためなんだ。

 射落とした鴉は、〈玉〉を持っていた。

 それで、三発目の矢で落とし、そこは三ツ矢になった。

 落とした鴉は〈玉塚〉に埋めたそうだ。

 〈鴉〉と一緒に〈玉〉が埋まった場所だから、町の名前が〈玉取町〉になった。

 まつろわぬ者は、討ち取る。

 そういういわれがあるから、藤原秀郷が〈平将門征伐〉の戦勝祈願として〈矢〉を納めたんだな。



「なるほどね。それがここの縁起か」

 猫魔は頷き、僕もまた頷く。







 猫魔とふゆりがどこかに去って行くのと入れ替わるように帰宅する客がライブハウスから出てくる。

 彼ら彼女らはハコのネオンを後にして散っていき、やがてザ・ルーツ・ルーツのメンバーが僕を探しに、ハコの前の公園までやってきた。

 ハコとは、ライブハウスのことを指す言葉だ。

 湖山が、興奮した面持ちで、僕にこんなことを言った。

「三ツ矢プロップスに新しい風が吹きそうっすよ、山茶花さん。毎週水曜日にDJイベントでプレイしてるレジデントDJの〈DJ枢木くるるぎ〉って女性DJがいるんすけど、そのDJ枢木って奴が、アイドルみたいなディーバとタッグを組んだらしいっす。そのアイドルと手を混んだら人気爆上がりで、三ツ矢のシーン全体を塗り替える勢いらしいんすよ」

「アイドルユニットってことか……」

 顎に手をやって首をかしげる僕。

「んん? 枢木……?」

 だが、大学生である僕には思い出せない……ような気がする。

 湖山が尖った髪の毛をアンテナのように立てて言う。

「どうも、今日、これからラジオ出演するそうなんすよ、山茶花さん。そのユニットが出演するラジオ、聴きましょうよ」

「いつもはファミレスで打ち上げやるじゃん。いいの?」

「敵情視察がラジオで済むならそれに越したこたないっすよ」

「そんなもんかねぇ。で、そのアイドル歌手の名前はなんていうの?」

「なんだ、乗り気じゃないっすか、山茶花さん」

「そんなんじゃなくてね。ちょっと気になっただけさ。で、名前は?」

 湖山は、大きく深呼吸してから、そのアイドルディーバの名前を僕に告げた。

「ふゆり……神楽坂かぐらざかふゆり、というらしいっす」

「ふゆり……いや、でも。あいつは小鳥遊たかなしふゆりだしなぁ。DJ枢木も、まさか枢木くるるちゃん、じゃないだろう。じゃあ、なぜその名前を使うんだろうか」

「さ。さっそく部屋に戻りましょう」

「そうだね」

 僕は肩をすくめて、

「なにがなにやらだよ、ったく」

 と内面を吐露してしまう。

 今回も奇っ怪な事件であることに変わりはないな。







「うっうー、うっうー! 神楽坂ふゆりちゃんだよぉ~っ! みんな、よろしくねっ!」

「そしてうちがDJ枢木なんよぉ、よろしゅうねぇ」

「うっうー。ふゆりはぁ~、くるるにディーバ、つまり歌姫にならないかってスカウトされてぇ、歌い始めちゃいました! てへぺろ」

「これを聴いてる〈最先端〉のリスナーさんたちはぁ、てへぺろなんて古いと思わないことやわぁ。ふゆりは昭和アイドルの正統なる後継者なんやよぉ。ふゆりぃ、自己紹介頼むわぁ」

「わかったよ、くるる。ふゆり、自己紹介しちゃうもん! きゃぴるん!」

「手短にやよぉ」

「うん。ふゆりの名前は神楽坂ふゆり。くるるとは今、学園都市のステージでライブしてる仲だけど、きっかけはくるるがつくったデモテープにふゆりが歌入れしたことなんだぁ。うっうー。そのデモは音源として売ってるから、みんな配信で買ってねー。サブスク配信もあるよぉ。タイトルは『冬にうたう恋のアルバム』っていうの。ふゆりがくるると一緒にパジャマパーティしながら名付けたタイトルなんだぁ。学園都市のみんなはまだ一学期だけど、一学期が来るその前、冬につくった楽曲が『冬にうたう恋のアルバム』なんだよ! ふゆりが聞いた友達の恋愛話、そのときの冬にうたいたくなるような一番のお話だったから着想を得て作詞された曲なの。だからあえて冬の想いをそのまま乗せてビートアプローチしてるんだよ?」

「デモ音源での、うちたちの馴れ初めの話は恥ずかしいから言わんでよかったんよぉ?」

「ふゆりの紹介をすればいいんだよね、わかったよ、くるる。……改めまして! 神楽坂ふゆり、年齢は17才。趣味はリリアンで、好きな食べ物はフルーツポンチだよ? 特技はハーモニカ! ……そうだなぁ、お母さんとお父さんが住んでいる家のそばにあるアルパカ牧場の草原の上で吹くハーモニカは最高の気分になれるんだぁ。アルパカちゃんたちが聴いてくれる草原の演奏会」

「草原の演奏会。まるでアルプスに咲く一輪の花みたいやね」

「そうだね、くるる! 愛してる!」

「うちもふゆりを愛しとるよぉ」

「来週の水曜日もタイムテーブルにふゆりたち『ソーダフロート・スティーロ』もいるからね。DJイベント楽しんでってね。うっうー! そしてなんと! 三ツ矢八坂神社の〈祇園祭〉にも出演が決定しちゃいましたっ! みんなー、ふゆりたちに会いに来てねー! 来ない子は八坂神社の牛頭天王に折檻されちゃうよぉ~。きゃぴるん」




 ……ざっと、こんな内容のラジオだった。

 聴き終えた直後、僕、萩月山茶花は頭を抱えるのだった。

「あ、あいつら……」

 隣にいる湖山が首をかしげてこっちを見る。

「知り合いかなんかなんすか、山茶花さん?」

「え? あ? いや。うん。なんていうか、違う……。なんでもない」

 僕は口を濁すしかなかった。







 JESTER【道化師】


 昔、王宮に配属されていた役人で、そのなすすべ、いうことの滑稽さで宮廷中を笑わせるのが仕事だった。その馬鹿ばかしさは、彼のだんだらの服が証明している。しかし王は威厳を装っていたので、彼の行いや布告が宮廷のみならず全人類を楽しませるほど馬鹿ばかしいということを世間が発見するには数世紀かかった。道化師は通常フール(愚者)と呼ばれたが、詩人や小説家はいつも喜んで彼を、非凡な賢さと機知に富む人物として描いてきた。現代のサーカスでは、宮廷道化師の陰鬱な亡霊が、世にあったときには大理石の広間を陰気にし、貴族的ユーモア感覚を痛めつけ、王室の涙のタンクの栓を抜いたのと同じネタで、平民の観客を意気消沈させている。


          アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』筒井康隆・訳より抜粋







 バンドマンの朝は早い。

 通常イメージだと昼遅く起きるイメージだろう。

 だが、彼らはバイトに行ったり楽器の練習のため、早く起きる習慣が付いている場合もあって、ザ・ルーツ・ルーツの面々も早起きだった。

 髪の毛をツンツンにセットして、ルームメイトの湖山はキーボード練習をヘッドホンつけながら行う。

 キーボードにはリズムマシンも接続されていて、カウントを聴きながら、演奏する。

 その間に、僕は読書タイムだ。

 取り出すのはアンブローズ・ビアス。

『アウルクリーク橋の出来事』の収録された短編集だ。

 ビアスは〈死〉を見続けた作家だ。

 その、〈死〉と〈諧謔〉を見つめる瞳は芥川龍之介にも届き、芥川が好きな短編の名手である、として日本では有名になった。

 ビアスはまた、自身も行方不明になって、その生涯を終わらせている。

『悪魔の辞典』を書いたせいで、悪魔に憑かれてどこかへ連れていかれたのではないか、なんて僕は思っている。

 そんなアンブローズ・ビアスを読みながら、湖山の打鍵の音を聴く。

 ヘッドホンから漏れ出すクリック音混じりのアナログシンセの凶暴な音が奏でる曲と指運を聴いて、本のページをめくる。

 ザ・ルーツ・ルーツのほかのメンバーは午前中バイトで、午後から大学の講義の日のようだ。

 よくやるよ、こいつたちは。

 ちょうどおなかもすいたし、西口門のいるドーナツ屋でフレンチクルーラーかエンジェルリングを食べながらコーヒー飲もうかな、と思い、立ち上がる。

 僕は湖山の肩を背中からぽんぽんぽんと叩き、部屋を出て行く。

 湖山は、汗だくになって集中していたが、部屋を出る僕に手を振ってくれたのだった。







「マジかよ」

「マジだよ」

「フレンチクルーラー20個に、エンジェルリング20個……?」

「そうだよ」

「おーけい。残したら山茶花でも容赦しねぇ。よくその痩せた身体で食えるなぁ、おい」

「今日は接客なんだな、西口門」

「ああ。生地の仕込みは早朝やったからな。あとは後輩に任せてる」

「ふぅん」

 たらふくドーナツを買った僕は奥の席に座る。

 全席禁煙……だよなぁ、もちろん。

 窮屈になったもんだな、この社会も。

 僕はコーヒーを飲みながら、ビアスの続きを読みはじめる。

 ラッパーの接客ってどんなもんだよ、と思ったが、西口門のリリカルテクニックによる接客はお客さんにも大ウケのようだった。

 まあ、西口門たちは学園都市の〈有名人〉でもあるので、客の入りも上々なのは、当たり前でもある、というか。

 ドーナツ屋は盛況だねぇ、と思いつつ、大量に買ったドーナツを頬張る。

 コーヒーで流し込んでいると、

「向かいの席、よろしいでしょうか」

 と、バリトンボイス。

「ええ、いいですよ」

 僕は言ったあとで、文庫本から顔を上げる。

 顔を見た瞬間、目を丸くしてしまった。

 向かいの席に座ったのは、孤島こじまだったからだ。

 孤島。

〈一殺多生〉の精神で生きる、とあるテロリスト集団の……現在のボスだ。

 店内を見渡す。

 空席だらけだ。

 つまり、ここに座ったということは。

「そうですよ。あなたと話が、少ししたくてね、山茶花さん」

 つり目の奥に自信を秘めたその男は、大胆に、不敵に、目の前に現れた。

「お前に用事なんてないぞ、孤島!」

 スーツに身を包んだ孤島は、肩をすくめてみせる。

「あなたになくとも、僕にはあるんですよ、萩月山茶花さん?」

 咳き込む僕。

 危うくコーヒーを吹き出しそうになってしまった。

「そう。祇園祭で花火を打ち上げようというわけですよ……」

「祇園祭? って、神社の祭りのことか?」

「ほかになにがあるというのですか、山茶花さん?」

「三ツ矢八坂神社、……か」

「さて。〈花火〉の内容です。三ツ矢八坂神社の奥の院にあるご神体は、一体なにか。気になりませんか、山茶花さん」

「いや、特に気にならないが。それと祇園祭と、なにが関係あるんだ?」

「山茶花さんがここに潜入捜査される前、頻繁に常陸国が震源での地震が多発していましたよねぇ」

「地震くらいあるだろう、ここ、日本だぞ?」

「常陸国震源の地震の多くが、ここ、学園都市のそばにある神社だ、としても、関係ないと思いますか?」

「関係あるとしたら、それがどうだって言うんだよ」

「疫病神である八坂の牛頭天王。地震によって眠りから覚めた牛頭天王がその疫病を起こし病原体をばらまくなら、地震で避難してる学園都市の、〈この国屈指の頭脳たち〉の上にばらまく、というのはどうでしょうか」

「〈祇園サマ〉がまき散らすのか、生物兵器のプロがまくことのメタファなのかはわからないが、……お前、本気なのか? 介入するってことだよな、この事件に」

「〈ぎょく〉を取りますよ、僕は、ね。この土地の秩序の証である玉を取ってしまえば、すべては崩壊する。国賊を討つのにもちょうどよくて、ね。利用させてもらいますよ、僕らも、楽しそうなこのパーティに」

「なぜ、それを僕に話す?」

「守ることは出来るかもしれない。でも、〈守り続けること〉の難しさを、案外便利屋であるあなたたち探偵結社の皆さんは知らないんじゃないか、と思いましてね。〈国家鎮護〉のために、この学園都市にどのくらいの予算が割かれているかご存じで?」

「知らない」

「もう限界なのですよ、この国がこの地域に予算を割くのは。だから表の政府は、見殺しにして、学園都市を隔離する予定です。そこに、僕らの〈シンパ〉が、動いてくれた。〈玉〉を破壊すれば、疫病送りである〈祇園御霊会ぎおんごりょうえ〉は失敗する。国賊を皆殺しにして、我らが仏国土をこの地に建てます。千年王国、と呼ぶシンパの者もいますね。玉が破壊され、十年前の〈厄災〉が再び起こるそのエックスデーは、祇園祭のその日です。いや、なに、無力感を感じて欲しいだけですよ。そして、僕らの実力をその身で知ってください。ね? 山茶花さん?」

 殴ろうとした、僕は孤島のその顔を、思い切り。

 だが、立ち上がったそのとき、背後から押しつけられている鉄の塊に気づいた。

 僕は、ピストルの銃口を背中に押しつけられていた。

「くそ!」

 棒立ちで拳を強く握っているだけの僕。

 惨めだった。


 その僕の頬に、孤島は口づけをして。

 そして、去っていった。


 自動ドアのガラスが開いて、閉まって孤島がいなくなると、銃口は消えた。

 背中を振り向くと、そこには誰もいなかった。

「畜生ッッッ」

 僕はまた、なにも出来ないで終わるのか!

「祇園祭…………ッ!」

 そこにコーヒーのおかわりを注ぎに来る西口門。

「どうした、山茶花?」

 ああ、知らない、のか。

 知らない方がいい、こんなこと。

 僕は気が抜けたようにどさっと音を立てて、椅子に座り直す。

「コーヒー、もう一杯もらうよ」

 コーヒーを注ぎながら、西口門がさらり、とした口調で言う。

「祇園祭って呟いたよな、今? 今年の祇園祭には、ザ・ルーツ・ルーツもステージに立つぜ」

「ステージなんてあるのか……」

「ああ。今年最大の見せ場だぜ。それに、ソーダフロート・スティーロも出演する」

「ふゆりたちも出るのか……ああ」

 頭を抱える僕。

 最近、こんなんばっかだよ。

「ん? どうした、頭抱えちゃってさ、山茶花。神楽坂ふゆりかDJ枢木にでも恋してんのか? 商売オンナに恋をするのはやめとけって」

「それどころじゃないよ……。お手洗い行ってくる」

「貴重品は持っていけよ」

「ああ。わかった」







 三ツ矢学生宿舎の、共同風呂。

 服を脱いで入ると、西口門と蔵人くんが湯船につかっていた。

 僕と入れ替わりに、ドラマーの錦くんが浴場の外へ出て行く。

 錦くんと片手でハイタッチした僕は、シャワーで身体を流したあと、湯船に入っていく。

「夢物語に出遅れなくて良かったぜ。もしくは、おとぎ話に、な」

 タオルを頭に乗せた西口門がそんなことを言う。

「なにかの比喩表現かい、西口門」

 僕が尋ねる。

「ああ。星に願いをしてたんだ、さっきまで。夜空を彩る想いがおれの前でみんな燃え尽きちまうような、昔はそんな気がしてた。でも、夢物語はおれを置き去りにはしなかった」

 蔵人くんが西口門に返す。

「バンドは、夢物語っすか、西口門さん」

「殴り合いをして生きてきて、ある日突然、親に大学進学だけを目標にされて、無気力になりそうだったおれを救ったのは、この学生宿舎だ」

 僕は湯船で発汗しながら、あはは、と吹き出す。

口伝くでんである魚山流声明を使いこなしてる今の西口門は、求道者だよな。間違いない。前に湖山に西口門が学園都市に入るときの逸話を聞かされたんだが、あれは『今昔物語』の中にある讃岐の源大夫のエピソードに似てるな、って」

「阿弥陀も、ヒップホップも、おれたちのような極悪人であっても分け隔てなく救う点は同じさ」

「功徳……か。学園都市にも良心がある、といいな。それこそ、悪い病も吹き飛ばせるような」

「ははっ。笑えること言うなよ、山茶花。おまえにゃ道化師の才能があるとは思うけどよ、〈衆生済土〉、つまり〈みんなを救う〉ためには、学園都市は浄化される必要があるんじゃないか、とさえ、おれには思えるんだよ」

「ふぅん?」

「不浄の身、宿業に苛まれる身、自戒できぬ身、それら今まで救われないとされていた者も救われるとするのが『浄土門』の優れたところだ」

 ああ、と僕は黙って頷いた。

 言ってることは『山上の垂訓』と似てるように、僕には思える。

 影響関係があるんだな、やっぱり。

 ネストリウス派……か。

 いや、似てるとして、じゃあ、それがなんだって言うんだ?

 日本には大陸経由でマニ教、ゾロアスター教、そしてキリスト教ネストリウス派が入ってきたってのは事実だってわかったし、それを親鸞が〈悪人正機〉の考えをつくるきっかけのひとつとした可能性が大きいのもわかった。

 でも、だとしても、この事件とどう繋がるんだ?

 復古神道の体系に聖書を取り込もうとする一派がいたのも確かだ。

 だが、危険すぎて何度も明治政府に弾圧を受けていて……。

 ん?

 弾圧を受けていた?

 長い二度の大戦が終わったとして、弾圧を受けた信仰を持った者でも、海外の生物兵器のラボから帰国してきていたら……学園都市の頭脳のひとつになるんじゃなかろうか?

 国が違うと難関のひとつになるそのひとつが、宗教だ。

 ドグマに入ったらまず抜け出せないと考えた方が良いが、だが、その国の信仰のドグマを知らないと思考のその論理がわからないのもまた本当だ。

 だから、その道のエキスパートが存在する。

 それはともかく、繋がっている糸を手繰るようにして、ドグマの〈越境〉が可能だとしたら?

 ドグマを越境できる共通の〈敵〉がいるとしたら?


 話を変えよう。

 ひとを殺しちゃいけない、なんてのは本当は大戦が終わったこの国でもなければ習わない考え方だ。

 人類史では、「味方は助けろ、敵は殺せ」がスタンダードだ。

 近くにいるのは味方だから、殺さない、殺させない。

 だが、敵は殺す。

 近代国家は暴力を国家が独占することによって、〈復讐原理〉を克服しようとしたし、ある程度、それは成功した。

 だが、だ。

 ここに敵がいるとしたら?

 つまり、諸悪の根源と見なされているみんなの嫌われ者、孤島の言葉で言うなれば〈国賊〉という怨霊が跋扈しているとしたら?

 将門をよみがえらせてまた十年前の〈厄災〉を引き起こそうとするのではないか?


 自分ら共通の悪である敵を、同盟した正義の味方の自分らが結集して倒す、という〈わかりやすいストーリー〉を用意すれば、とりあえず結束するのではないか?


「……あいつらも、学園都市に滞在してるんだよな」

「黙ったと思ったら、いきなり誰の話をしてるんだ、山茶花」

「いや、とある旧友たちが学園都市にいるみたいだからさ、会ってくる」

「今からか?」

「ああ。それに少し、外の空気でも吸おうかな、と思ってさ。先にあがるよ」

「おう。風邪を引くなよ」

「わーってるって」








 電話で聞いた住所まで街灯に照らされた学園都市の区画を歩く。

 GPSを頼りに行って、到着するとそこは木造二階建てのアパートだった。

 錆びた工事現場の足場みたいな階段を上がって、二つあるドアの左側の方をノックする。

「開いとるでぇ」

 と、中から声がした。

 僕はドアノブを回して、お邪魔しますもなにも言わずに、部屋に入った。


 入るとアロマの香りで満ちていた。

 エスニックな暖簾がかかっていて、そこを抜けると、ソファにどかっと座った小鳥遊ふゆりと、デスクに載せたデスクトップパソコンをいじっている椅子に座った枢木くるるちゃんがいた。

「山茶花、久しぶりなんやから、そんな怖い顔せんどいてぇ」

 苦笑するくるるちゃん。

 僕が口を開くのを制して、ふゆりが口を開く。

「このアパートは、ね。珠総長の家が持っている不動産よ。〈百瀬探偵結社〉の総長・百瀬珠は山の手のお嬢様なのをお忘れなく。でも、別にここが探偵結社の支部かというと、そうでもないんだけどね」

「猫魔は?」

「あのへぼ探偵ならばいないわよ。ここにはくるるとあたしの二人で住んでる。くるるは先に来ていて、『たまつかの坂』のクラブイベントの、レジデントDJとして活躍してもらってるってわけ」

 レジデントDJとは、いつも同じ曜日にレギュラーでプレイするDJのことを指す。

「潜入してたのは僕だけじゃなかったってことか」

「あの探偵がいなくても、解決するわよ、あたし、ふゆりちゃんの手によってね。お茶の子さいさい!」

 部屋の中でもゴス衣装を身にまとうふゆりと、群青色のジャージを着たくるるちゃん。

 対照的だ。

 事務所でもないのにマウスをカチカチとクリックしているくるるちゃんのパソコンの画面を見ると、音声の波形データが映し出されていて、その波形をカットしたり繋げたりしている。

 興味津々で僕が立ったまま観ていると、

「座ればぁ?」

 と、ふゆりが言うので目の前の座布団に座った。

 テーブル越しにふゆりと向かい合う格好になった。

「今、お茶淹れるから待っといてぇ」

 と、くるるちゃん。

「これ、どういうことなの」

「こっちが訊きたいわよ!」

 いつも通り、殴るぞぼぎゃー、と怒る小鳥遊ふゆり。

 相変わらずだ。

「数ヶ月会わなかっただけで、ずーっと会ってなかったような気がするよ」

「どう? 大学生活は?」

「上々だよ」

「教授たちの動向なんて追わないだろうからあたしたちで探りは入れておいたわ」

「どうやって?」

「学園都市の一貫校の女子校にくるるが潜入してて、好きな大学教授がいるのぉ~、とか適当に言っておけば、かなりのデータが入るわ。同時に〈裏政府〉の持ってる情報は猫魔が引き出して常陸市でうんうん唸ってたってわけよ」

「裏政府からも睨まれてる研究者がいる?」

「データ、真っ黒よ。〈市ヶ谷〉ルートも〈赤坂〉ルートも〈桜田門〉ルートでも、ね」

「うひー」

「アンクル・サムおじさんが飛び出してこないようにするのも大変なのよ」

「〈アンクル・サム〉……つまり、米合衆国、のことだね」

 ふゆりと喋り始めるとキッチンに向かったくるるちゃんだが、お盆をトレンチのように持って、テーブルのある部屋に戻ってきた。

 群青色のジャージに、真っ白いマフラーを巻いている。

「綺麗だね、そのマフラー」

 くるるちゃんは笑う。

「これ、違うんやでぇ」

 そこに、マフラーから〈鳴き声〉がした。

「はにゃはら、はにゃはら~」

 動物的というより〈人外のなにか〉の声だ、これは。

 と、すると、この長くてふさふさの白い毛の生命体は一体?

「はにゃはらぁ~?」

 顔をのぞかせて、その白くて長い奴は鳴き声を出した。

 新手のペット……なのか。







「山茶花、これはマフラーやないよぉ。この子はオコジョのほっけみりんちゃんやよぉ」

「オコジョ?」

 そこにふゆり。

「馬鹿ねぇ、山茶花。管狐くだぎつねのことよ、オコジョって。管の中で飼う式神の一種ね。竹筒の中で飼って、使役するの、神通力を備えているからね」

 白くて長い、痩せたシルエットの狐、と言ったところか。

 僕が驚いていると、くるるちゃんに巻き付いていた身体を解き、この〈ほっけみりん〉というオコジョが僕の正座している膝の上に乗った。

「はにゃはらぁ~!」

「うふっ。ほっけみりんちゃん、山茶花のこと気に入ってもうて」

 首からほっけみりんが離れたところで、お盆から湯飲みを三つ、テーブルに置き、自分の分の湯飲みを持ってデスクに向かうくるるちゃん。

 三人プラス一匹の、計四つの湯飲み。

 置き終えて、くるるちゃんは作業中のデスクの前の椅子に座って、椅子をぐるりと回し、僕らの方を向いて、湯飲みの中の液体をすする。

「くるるちゃんって、式神なんて使役できるの?」

「うちは飼ってへんでぇ。ほっけみりんちゃんは珠総長の使役している管狐やでぇ」

「はにゃはら! はにゃはら!」

「ほらほら、興奮せんでもええで、ほっけみりんちゃん」

「はにゃはらぁ~?」

 うーむ、この管狐、微妙に可愛くない。

 でも、動物になつかれると、ふにゃふにゃに顔が緩んじゃうものだよね。

 僕はそんなに動物、好きな方じゃないと思うのだけれども。

 式神だっていうけど、総長のペットか。

 破魔矢式猫魔だけが〈ペット〉だと思っていたよ、僕は。




 湯飲みに手を伸ばす。

 すすって、一瞬咳き込んだ。

「……ごほごほ。あ。これ、お茶じゃないじゃんか。お酒入ってる」

「当たり前やで、甘酒なんだから、アルコールも少しだけ入れとるんよぉ」

 くすくすおかしそうに笑うくるるちゃんは、袋詰めされたチョココロネを僕に投擲した。

 片手で僕はチョココロネのパンが入った袋をつかみ取った。

「甘酒にチョコレートたくさん入ったパンか。頭脳が活性化しすぎるよ」

「甘酒にパンは、合うんやでぇ」

「はにゃはら、はにゃはらぁ~」

 オコジョのほっけみりんも大喜びだ。

 パンをちぎってあげてみようかな、ほっけみりんに。

「そんなことはしなくてノーサンキューやでー!」

「はいはい、わかりましたよ、っと」

 対面といめんのソファに座っているふゆりが、あくびをする。

「眠いわ。用件を話しなさいよ、阿呆雑用係の山茶花」

「言われなくとも!」

 ほっけみりんが背を伸ばし甘酒をずずずー、っと飲むのを横目で見ながら、僕は話しだした。

 これまで得た情報を、僕はくまなく二人に話す。




 それを聴いていたふゆりは、僕が話し終えると、これは重要なことなんだけど、と前置きして言った。

「祇園祭は〈祇園御霊会〉の〈儀式〉なんだけど、これが失敗すると、もれなく〈この国が滅ぶ〉んで、よろしく! つまり、祭りが中止に追い込まれても、八坂神社の奥の院にある〈ご神体〉が破壊されても、ゲームオーバーってわけ」

「は? 滅ぶ? 日本が、滅ぶ?」

 きょとん、とする僕。

 ここに来て、あまりに新事実すぎるだろうが。

「滅ぶわよ、確実に、よ。あたしたち〈ソーダフロート・スティーロ〉は祇園祭で歌を捧げるの、天にいまし存在に、ね。この演奏は阻止されないようにしなきゃいけない。また、客が押し寄せる祭りのさなかに〈ご神体〉を破壊しようとする輩がいるわけ。孤島たちね。そいつらに破壊されたら〈疫病〉と〈地震〉が襲ってくる。表の政府は隔離政策を取ろうとしてるけど……ダメでしょうね」

「この国、こんなことで〈滅ぶ〉の?」

「将門の怨霊は本気で国を滅ぼすわよー。十年前の〈厄災〉を忘れたの? それに、滅びたら海外の日本嫌いの方々も大喜びするし、協力は惜しまないわね。 一大ミッションよ、これ」

「えーっと」

「蔓延る土蜘蛛を撃退しつつ、祇園御霊会を成功させるわよ! この国が滅びないようにねっ!」







 それにしてもあんたの集めた情報。

 空回りの空振りだったってわけでもなさそうね、山茶花。

 だけど、かなり錯綜してるみたいね。

 整理して、一本の線に還元しましょうか。

 あんたのためってわけじゃないけど、こんがらがってると支障を来しそうだから。

 祇園御霊会の成功のためってだけでなく、あんたの阿呆な思考がこんがらがってたら、解決できるものも情報の錯綜で邪魔されちゃって、解決できないことが起こるかもしれない。

 支障というか、あたしたちの邪魔にならないようにしてほしいってわけ。

 わかった?

 この唐変木。


 絶望に絶望してる暇なんて、あたしたちにはないのよ。

 数ヶ月を無駄に過ごして任務失敗したら、未来はないわよ。

 明日も青空を見たいでしょ、星空だって見たいでしょ?

 そのために、情報を整理するわよ。

 この国が滅びるかどうかが決まるパーティ。

 滅亡へと繋がる瀬戸際のパーティが始まる、その前に、ね。




 軍事研究のため、祇園サマ、すなわち牛頭天王の〈ご神体〉である〈玉〉の、疫病神としての機能が現在、利用されているわ。

 病気を起こす生物兵器のプロトタイプを、学園都市に住む研究者たちが祇園の〈玉〉を依り代にして、呪術的に利用している、ということね。

 その呪術作用によって瘴気の磁場が生まれ、交通事故が多発したり、ここ震源で地震が起きている。

〈玉〉を利用しているうちはいいけど、政府はこの実験の予算の打ち切りを決定した。

 実験のサンプルは採れたから、〈玉〉の呪術作用に耐えきれず学園都市が壊れたら、学園都市を封鎖、隔離して蓋を閉めて終了、と政府は考えている。

 政府のお偉いさんにとっては国家鎮護が重要で、自分らは採ったサンプルを元にした〈呪術〉で極楽浄土への道を開き、ここ、常陸国の学園都市を八大地獄にも似た〈穢土〉とし、犠牲になってもらおうとしている。

 MC西口門が言う、権力と既得権益が生んだ〈堕落〉と〈腐敗〉というものの帰結が、これにあたるわ。


 御座みざに鎮座する〈あの方〉の取り巻き、つまり政府の連中は、テロリスト・孤島の組織にとっては大抵〈国賊〉扱いなの。

 孤島の組織にとっては、だけどね。

 だから、ご神体である〈玉〉を破壊すること、つまりその調伏を反転することによって、今の政府をひっくり返すつもりなのね。

 日本という国が気に入らない外国の連中や、さっき話した生物兵器の研究をしていて海外にいた連中は、孤島のシンパ、つまり協力者、内通者になっているの。

 孤島は国賊を倒す契機が欲しいし、海外のシンパは日本が潰れて欲しいし、出戻りの研究者たちは現政府が潰れて欲しい。

 この三者の考えは全く違うことを意味するわ。

 でも、繋がりがある。

 その上、自分らのために実行するミッションは同じ。

 それは三ツ矢八坂神社の祇園祭を壊し〈祇園御霊会〉を失敗させることと、ご神体である〈玉〉の破壊。

 隔離政策の無効化。

 日本という国家全体の破壊。

 破壊後にやってくるのは〈選ばれた民のみが入れる王国〉ってわけ。

 祇園祭には、一番力を持つご神体だからこそ、破壊するには祇園祭のときじゃないとならない。

 孤島が言ったという『疫病神である八坂の牛頭天王。地震によって眠りから覚めた牛頭天王がその疫病を起こし病原体をばらまくなら、地震で避難してる学園都市の、〈この国屈指の頭脳たち〉の上にばらまく、というのはどうでしょうか』ってのは、最大限の〈皮肉をこめた言葉〉ね。


 国内外の軍事部隊は、百瀬探偵結社の東京支部にいる舞鶴めるとと、百瀬珠総長が指揮して、殲滅をはかっているわ。

 祭りが制圧されることはないし、もちろん一般のひとたちは知らない。

 奥の院は相当、その手の〈異能力者〉でもなけりゃ近づけないようになってる。

 十年前の〈厄災〉で、将門の力にやられたからね。

 と、すると、術者である人間がやってくるわ。

 孤島自身がけりをつけにくる可能性が大きいわね。


 そういうことで、一番輝いているときの〈玉〉が潰されたら疫病が爆発的にこの国を覆うわ。

 そうなったらジ・エンド。

 いいかしら?

 あたしたちは、このミッションをクリアするためにここにいるの。

 このふゆりちゃんでも冷や汗をかくこの事件、どうにかするわよ。

 わかった?

 この阿呆雑用係?

 でもね、大切なことなので二回言うけど、このふゆりちゃんの手にかかれば、お茶の子さいさい!!







 ふゆりとくるるちゃんのアパートを出て、僕は外をとぼとぼ歩く。

 二人がDJアイドルユニットを組んでいたのには驚きだし、ちゃっかり〈百合営業〉をベースに活動している抜け目のなさにも感服だ。

 本人たちは、相変わらずなところはあるが。

 それにしても。

 祇園御霊会の祇園祭。

 これを成功させ、ご神体を守らないと国が滅ぶのでそれを防ぐのが今回のミッションだ、というのに僕はそれを知らなかった。

 いきなり学園都市に送り込まれただけで、僕はことの重大さをわかっていなかった。

 あの探偵は……破魔矢式猫魔は今、なにをしているのだろうか。

 今回は総長も出動して、東京支部に在籍する舞鶴めるとと一緒に海外のエージェントやテロリストと戦っているみたいだし、人手が足りてなくて、猫魔は駆り出されているのかもしれない。

 今回は、あいつを頼る気持ちは封じ込めよう。

 これは、僕の事件だ。

 僕が解決しなくちゃならない。

 綺麗に碁盤の目になっている学園都市の区画を歩く。

 整理されすぎていて、どこを歩いているのか、気をつけないとわからなくなりそうだ。

 ぼんやり光る自動販売機で、コーラを買う。

 立ち止まり、プルタブを開けて、炭酸の黒い液体を飲む。

 笑う月が、僕を見ている。


「よぉ、山茶花。お帰り」

 手を振ってこっちに寄ってくるのは西口門だった。

「西口門、なんでこんなところに?」

「ああ? ほれ、そこ」

 指さすそこはファミレスだ。

「ファミレス? 誰かと会っていたのか?」

「違うぜ。微妙に、な。ライブ後、反省会できなかっただろ。だからその埋め合わせをしてたんだ」

「ふぅん……」

「山茶花は、源信の書いた『往生要集』は知っているか」

「知ってるもなにも、高校の国語の資料集にもその名が載ってる古典だろ。一応、知ってはいるさ。文学青年を気取ることはないけどね」

「おれは浄土門の、在俗の民なんだが、そもそも極楽や地獄って考え方は、浄土門の僧たちが広めるまでは日本ではマイナーだったんだ、存在自体が」

「へぇ。宗教といえば天国地獄って考えるけどな。そうじゃなかったのか」

「日本人の浄土観・地獄観を確立した書物が、源信の書いた『往生要集』だ」

「内容的には、どんなだったかまでは、僕は知らなかったけど、なるほどタイトルに〈往生〉ってあるもんなぁ」

「阿弥陀仏の相好そうごうを観察する観想念仏の諸相と、口で称する称名念仏しょうみょうねんぶつの本義を説いたのが、『往生要集』の中身だ」

「ふぅん。初めて聞いたよ」

「勉強不足だな。文学青年が泣くぞ」

「そうだなぁ」

「言わずと知れた法然ほうねんという僧は、その『往生要集』に出てくる浄土教の大成者、善導ぜんどうという唐時代の僧の記述に心を奪われた」

「善導、か。知らないなぁ。僕は自分の勉強不足を恥じるよ」

「ははは! そりゃぁ傑作だ。実はその善導という僧は、自らを罪深い愚衆ぐしゅうと断じ、懺悔の思考を生涯、持ち続けたんだ。浄土教の大成者でありつつも、自分を愚かだと思ったんだもんな、こちとらやってられねぇよ。善導が勉強不足の愚か者なら、おれたちはどうなっちまうんだ、って話だぜ。まあ、愚かってのは勉強とイコールではないんだけどな」

「ん? どういうことだい」

「懺悔の意識。善導はキリスト教の〈原罪概念〉に似た思考を持ち続けたことで知られている」

「ああ、今回の話はやっぱりそこに通じるのか…………」

「今回の話?」

「いや、こっちの話だ。続けてくれ」


〈原罪〉ときたか。

 すべては繋がっているのかもしれない。


 西口門は、話を続ける。







 比叡山の西塔にある黒谷くろたに別所べっしょには、無冠のひじりが集っていた。

 法然はそこの中心的指導者である慈眼房叡空じげんぼうえいくうの門を叩き、それまでの自身の求道遍歴を伝え、遁世とんせいの求道者となることを求めた。

 ……比叡山は世俗の垢にまみれていた。

 学問は自分の栄達のための手段と化していた。

 僧兵は権力闘争を繰り返していた。

 そんななか。

 わずかに黒谷の無冠の聖たちのみが、静けさのなかに厳しくも熱い、求道者の息吹を伝えていた、という。

 法然と言えば、念仏を一心に唱えれば、往生できるとした人物だ。

 日本史で習った通りだ。

 阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説いたのが、法然だ、ということだ。

 専修念仏に至るまでの道のりも伝説に彩られているが、称名念仏による専修念仏を説いたことがつとに有名だ。顕密の修行のすべてを難行としてしりぞけ、阿弥陀仏の本願力を堅く信じて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることのみが正行とした。

 余計なものはいらない。

 ただ、唱えれば良い。

 そうすれば往生できる。


 話がズレたな。


 無冠の聖が集う黒谷の別所。

 まるでおれたちの済む三ツ矢学生宿舎のようじゃないか。

 おれたち〈ザ・ルーツ・ルーツ〉は求道者だ。

 間違いなく、な。

 民草を救うために、おれは魚山流声明を覚えた。

 マスターレベルまではほど遠いが、使いこなせている方だと思う。



 おれは「自力」の仏教を離れ「他力」の仏教に行き着いた。

 こればかりは偶然ではない。

 偶然じゃ、……ないんだよ。


 なぁ、山茶花。

 おれは狂っているだろうか。

 それとも、この世界が狂ってるんだろうか。

 世界は是正されることを望んでいる。

 そう思えてならないんだ。

 これがおれの至誠心しじょうしんだ。

 至誠心とは、真実の心のこと。

 そしてまた真実とは、心空しくして外見をとりつくろう心のないこと。


 つくろわない、真実の心で、おれは人々に極楽浄土を見せたいんだ。

 なあ、こんなおれはおかしいと思うか、萩月山茶花?







 祇園祭の日がやってきた。

 元・花街から八坂神社まで、ずらりとテキ屋が並ぶ。

 不適切かもしれないが、一応書いておくと。

 よくテキ屋はやくざ屋さんだといわれるけど、一般的に言われる、いわゆるやくざ屋さんとテキ屋が呼ばれるやくざ屋さんは、組織の種類としてはまた別であるらしい。

 組織的に、重複しているひともいるだろうけども。

 警察屋さんや役所屋さんたちに訊いても口を濁すだろうけど、そうであるらしい。

 政治屋さんと仲が良ければ、詳しく聞けるかもしれない。

 僕はそのすべてと仲が良いとは言えないので、本当はなんとも言えない立場なのだが。

 それはともかく。

 祭りは無事、始まった。

 野外ステージでは、学園都市の吹奏楽団が演奏を始めていた。

 舞鶴めるとと珠総長は法術やESP能力でビシバシとエージェントたちを倒し、学園都市の外からの介入は防がれているらしい。

 珠総長が本気を出したら、たまったもんじゃない、と思い知らされる。

 亡国の危機。

 この機に便乗したい奴らを蹴散らすなんて、そうそう出来ることではない。


 今、僕の隣でテキ屋の屋台から買った烏賊焼きをハフハフと頬張りながら、探偵・破魔矢式猫魔は言う。

「〈魔女〉のプレコグ能力で敵の出現位置を予測して、そこに舞鶴めるとの法術で、敵が現れるタイミングでジャストに狙い撃ちさ。そもそも大規模術式でそこら中にトラップも仕掛けてあるし。おれもトラップ仕掛けるのに駆り出されて、大変だったぜ」

「総長のことを魔女だなんて言わない方がいいよ、猫魔」

「だが、ありゃぁ魔女の所業だぜ」

「…………」

「再び、説明しておこう。MC西口門の声明の術式とくるるのDJ及びふゆりの歌が、〈玉〉を〈封じ込める〉。『鎮魂』ってわけだ。これによって、祇園祭は滞りなく終了し、ミッションは成功となる。順番としては、『ソーダフロート・スティーロ』がプレイして、そのあとに『ザ・ルーツ・ルーツ』がプレイすることになってる。トリのバンドは音楽業界での大物らしいが、祇園祭の本来の役目と、今回の牛頭天王と〈玉〉の鎮魂としては、〈お飾り〉ってのが、本当のところだ」

「でも、宵宮は終わっているんだろ?」

 と、僕。

「ああ。総長たちのおかげで、ね。今日は祭りの日。ヨミヤの次の日、ハレの日だ。神霊の顕現したことを示す儀礼として、華やかなんだ。最後にハレを終わらせて、祝祭空間は終了となり、ミッションが達成される」

「僕はそこらへん、わからないんだけどさ、もう一度、説明してくれないかな、猫魔」

「と、言ってるうちにソーダフロート・スティーロの出番のようだぜ。ちょっと冷やかしておこうぜ」

「ったく、猫魔、お前って奴は」







 ステージに設置されたDJブースにいるDJ枢木が往年のジャズのミックスを繋いでいき、ソーダフロート・スティーロの出番が始まる。

 そこからオリジナルの曲に変わっていくと、舞台照明が明るくなった。

 リズムマシンに乗った飛び道具的なサンプリングの音。

 三ツ矢学生宿舎で蔵人くんも使っていた、あのワブルベースが炸裂し、くるるちゃんのインプロピレーションが踊る。

「うっうー! みんなー、愛してるよー!」

 ワブルベースに乗せて、会場に手を振りながらステージに現れるのは、〈神楽坂ふゆり〉。

 いつの間にやらみんなのアイドルになった、プリンセス・オブ・ステージの神楽坂ふゆりだ!

「うっうー! みんなー、踊れー!」

 ふゆりに重ねるように、

「踊るんよー! 楽しんでってやぁー!」

 と、くるるちゃん。

「くるる! 愛してるー!」

「うちも愛しとるわぁ、ふゆりー! みんなも、うちらのこと、愛しとるぅー?」

 ふゆりとくるるちゃんにファンたちが「愛してるー!」と、レスポンスする。

 すごい熱気だ!

「みんなー、ふゆりたちのメロディでメロメロになれー!」

 オーディエンスたちが一斉に「ヒューッ」と叫ぶ。

 ふゆりが両手でマイクを持って、ステージを見て言う。

「みんなの顔が見えるよー! それではまず、この曲から。『夕陽さすとき』ですっ! うっうー!」

 ふゆりのタイトルコールと同時にくるるちゃんのスクラッチノイズ。

 楽曲が始まる。

 楽曲は、くるるちゃんがつくっているというのだから驚きだ。

 まさか、くるるちゃんにトラックメイカーの才能があったとは。


 ふゆりが歌う。

 曲の歌い出しを、僕は聴く。

「君がーあーるー、西の方よりしみじみとぉ~。あわれむごとく~。夕陽さすときぃ~」

 与謝野晶子をリスペクトしたようなリリックと、フックの効いたパンチラインをキメる神楽坂ふゆり。

 この場所全体が、熱狂の渦に包まれていく……。

 独特の世界が今、展開されているのを、僕は目撃しているのだ。



 熱狂の中。

 オーディエンスたちの少し後方、バンドやユニットの物販スペースのテントの前で、探偵・破魔矢式猫魔は、烏賊焼きを食べ終えると串をゴミ箱に捨て、紙コップのビールをぐびっと飲む。

 ビールで喉を潤してから、猫魔は僕に説明を始めた。

 喉を潤す、というと語弊がある。

 ビールで喉は瞬間的にしか潤わない。

 僕は隣に立っている破魔矢式猫魔の言葉に耳を傾ける。

「祭りには本来、二つの側面がある。ひとつは前夜祭。宵宮とかヨミヤと呼ばれるものだ。もうひとつは、みんなの知ってる〈ハレ〉としての、晴れやかな祭りの日のことだ。前夜祭である宵宮では神宮、氏子総代、役員たちのみで神事が行われる。宵宮の根底には、お籠りがあるんだ。お籠りの目的は神を迎える準備過程で、祭りの空間を浄化することなんだよ」

「お籠り?」

「そう。お籠り。コモリと呼ばれる。祭りはよく、日常を指す〈ケ〉に対する〈ハレ〉とされるが、〈ケ〉から〈ハレ〉の移行の間には『〈ケ〉枯れ』……すなわち『穢れ』の累積がある。だから祭りは〈ハレ〉で〈ハラウ〉……〈穢れ〉を〈祓う〉作用がある。〈ケ〉の活力を回復させるエネルギーを充足させるのがハレの状態、つまりは祭りだ。〈マツリ〉ってのは〈タテマツル〉ことでもあるんだな。奉るのは祭神である神霊だな。宵宮の次の日に祝祭空間が生まれるのは、神霊の顕在化を示す儀礼だ。カミが来臨し、ヒトの中に混じる。人間側が祝祭空間を管理して、ここに〈神遊び〉が生まれる」

「神遊び?」

「今のこのステージがそうなのさ」

「は?」

「神前で歌舞を奏すること。その歌舞を、〈神遊び〉と呼ぶ。今回のふゆりのミッションはくるるに手伝ってもらって、ステージで歌い、踊り、演奏することだったのさ」

「まぁ、ふゆりはアイドルステップ踏みながら歌ってるけどね、さっきから。アイドルステップが踊りかどうかは、怪しいもんだな」

 僕の言葉に、猫魔もケラケラ笑う。

 が。

 猫魔の身体がビクン、と震え、身体が一瞬硬直する。

 笑っていた猫魔がいきなりビールの入った紙コップを地面に落としたものだから、僕は慌ててしまう。

 地面がビールの液体を吸い込んでいく。

 一体、なにが起こった?

「くっ!」

「どうした、猫魔?」

 こめかみを指で押さえる猫魔。

「おれがつくった人払いの結界に誰か入ってきた……」

「なんだって!」

「奥の院へ向かうぞ。相手はまだおれの結界に入って迷宮の中だ。間に合わすぞ」

「なにに間に合わす? と、訊こうとしたけど、もうわかるよ。〈玉〉だね!」

「そういうことだ! 走るぞ、山茶花」







 僕、萩月山茶花は、女子高生探偵・小鳥遊ふゆりが言ったことを頭の中で反芻した。



 …………奥の院は相当、その手の〈異能力者〉でもなけりゃ近づけないようになってる。

 …………十年前の〈厄災〉で、将門の力にやられたからね。

 …………と、すると、術者である人間がやってくるわ。



 今のふゆりは、神楽坂ふゆりという名前のアーティスとして、DJ枢木とのユニット、ソーダフロート・スティーロで鎮魂の祈りを歌舞で捧げている。


 ふゆりは、こうも言った。

 やってくるのはテロ組織のトップである人物だ、という意味の言葉を……。




 僕は猫魔とともに、奥の院に到着していた。

 猫魔の結界の先にある扉を開いて、安置されたご神体と向かい合う。

「小さなおにぎりサイズのパールみたいだ……」

「おにぎりってお前……。まあいい。山茶花、敵が来るぞ。しかも一人きりで、な」

 結界が破壊され、奥の院に貼られた護符が一つ残らず燃え尽きた。

 現れたのは当然、こいつだった。

 ほそいつり目に、ニタニタした笑みを貼り付けて。

 僕は、震えている。

 震えながら、敵の名を、呼ぶ。

「孤島……」

「なんですか、山茶花さん。それから、……探偵さん?」

 孤島を、直視する僕。

「まだこんなこと、続ける気なのか、孤島」

「国賊は、討つ。しかし邪魔ですねぇ。消えてください、山茶花さんと探偵さん?」

「続けるのか、多くの人を巻き添えにしながら?」

「革命家は、革命を完遂させるまでが仕事なのですよ。戦後処理や国を安泰にさせるのは、違う人間たちの仕事なんですよ、山茶花さん。だから、さぁ、僕たちはショウを始めましょう。さぁ、殺傷を始めましょう。僕とあなたたちは、殺し合わなければわかり合えないようですからね。身体に刻み込んであげますよ。さぁ、殺傷が始まる……」


 暗くて気づかなかったが、弓を、孤島は左手に固定させて装備していた。

 弓に矢をかけて、放つ。

 ビュン! と、弓がしなる音。

 速い!

 放たれて飛んできた矢を、術式で張った防御壁で猫魔が弾く。

 この弓矢。

 〈ピストルクロスボウ〉と呼ばれる武器だ。

 名前の通りピストルタイプのクロスボウで、フルサイズのクロスボウに比べ非常にコンパクトで軽量、片手でも扱える。

 実際、孤島は片手に装着して操っている。

 そして、どうも電動で引き絞る力をブーストしているらしい。

 モーター音が、微かに鳴っている。

 僕は声を振り絞る。

 虚勢くらい張ってやる!

「2対1だぞ、孤島。もう辞めるんだ、こんなこと」

 言い終えると同時に。

 奥の院の入り口から、奥の院の中に大きな物体が投げ込まれた。

 僕の足下に鈍い音を立てて投げ捨てられたそれは、ここ、三ツ矢八坂神社の神主……、だったモノ。

 神主の、亡骸だった。

 首の頸動脈を切られている。血はほとんど吹き出たあとで、運んできたらしい。

 神主の死体を投げ捨てたその人物は。


「お前……一体なにを?」

 僕は、ショックで自分の頭がどうかしたとしか思えなかった。







「どうしてだ……、西口門?」

 涙が溢れる。

 お前は。

 そう、こいつの名は。

 西口門。

 こいつは、……こんなことをしたかったのか?

「どうしてだ、西口門! なんで神主さんを殺した? 答えろよッッッ!」

「山茶花。『源平盛衰記』にこんな文章があるのを知ってるか? 『もはや往生は願わない。五部大乗経を三年がかりで血書して得た功力くりきを地獄・ガキ・畜生の三悪道さんなくどうに投げ込み、その力で我は日本国の大魔縁だいまえんになって遺恨を晴らしてくれよう』ってな」

「なにが言いたいんだよ、わかる言葉でしゃべれよ、西口門ッ!」

「山茶花。学園都市は鬼神が徘徊し、亡者たちが厄災と結びついている。……おれ、破門されちまったよ」

「なにを言ってるんだ?」

「親はどちらとも学園の上層部からの刺客に殺されちまった。で、刺客はおれのところにも来て……おれはそいつを殺した。自分で言うのもあれだけどよ、無残な拷問にかけながら、な。自分だけ助かろう、自分だけ救われて浄土へ行こうって考えがそもそも間違ってたんだ。人殺しのおれは破門されたんだ、クソ! なにが悪人正機だ。法で裁かれちゃわけねーぜ。裏で助けてくれたのは、ここにいる孤島、だったのさ」

「だけど、信念が、全く違うじゃないか。西口門は信念を持って生きてきた。その信念が揺らぐなんて嘘だ!」

「黙れよ、山茶花! そんなの百も承知だ! 浄土門は悪人こそを助けるし、孤島はおれたちを『念仏往生派』と呼んで侮蔑する! だがよぉ! 軍事協定は結んだのさ! 〈玉〉は、いただくぜ!」

「そんな簡単に心変わりしていいものなのか! 西口門! 衆生済土と孤島のいうところの常寂光土じょうじゃくこうどは違うぞ」

「なに知った風な口を聞いてんだ、山茶花。さっきの引用は崇徳天皇の台詞だ。念仏じゃ救われなかったし、功徳を積んでも報われなかった、って話なんだ!」



 聴いていた猫魔は、ふぅ、と息を吐いた。


「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」


「こんなときになに言ってるんだ、猫魔?」


「藤原道長の辞世の句さ。胸の病に倒れてから、藤原道長は阿弥陀信仰にのめり込んで行ったんだ」

「ああ、もう! みんながなにを言いたいかさっぱりだよ! 特に猫魔! お前はなに短歌なんて詠んでるんだよ!」




 猫魔は片目を閉じて、それからケラケラ笑った。

「山茶花。ここにいる西口門くんも、道長と同様に、胸の病なんだ。この学園都市に来る前からね。ずっと胸の病と闘いながらの青春だったのさ。病と闘いながら、西口門くんは親の期待通り、学園都市というこの国が誇る学業の都に入り込んだ。ラッパーは感謝感謝よく言うみたいだけど、彼もまた、親に感謝の気持ちもあったんだろうよ」

「でも、大学受験だけが目的になって無気力になったって言ってたぜ」

「そこで浄土門の僧と出会ったんだろ。自分の命がわずかなのを知ってたから、信仰が欲しかったのさ、西口門は。それで、頑張ったんだ。でも、ね。彼の余命はあと三ヶ月だよ? 両親も学園都市のエージェントに殺されるし、自分は襲ってきたそいつを返り討ちで殺すし、たった今、神主を殺した。救いがあるという心が揺らいだんだろう。疑心が暗鬼という名前の〈鬼〉になってしまったのさ。鬼とは、地獄の獄卒のことを指すね、普通は」

「余命があと三ヶ月……。そうなのか、西口門? 〈鬼〉でも〈獄卒〉でもないよな、西口門?」

 西口門は血走った目で僕を見る。

「亡者は往生せず、無念を晴らすために鬼神の眷属となってあの世からこの世に干渉してくる。それが〈怨霊〉である、って昔の人々は考えた。〈全員〉が〈救われる〉なんて、やっぱり〈無理〉なんだよ! 救われる奴と救われない奴が、いるんだよ!」



 弥勒思想は千年王国救済思想に似て、救われる奴と救われないう奴を選別する、か。



「おれはここの神主も殺したぞ! 次はお前だ、萩月山茶花!」

 西口門は吠えた。

 そこに孤島が付け加える。

「どうですか、SS級の、僕の『僧兵』ですよ、彼は。今となっては、ね」

 ナイフをぐるぐる回してから柄の部分をキャッチし、構える西口門。


 探偵・破魔矢式猫魔は言う。

「酷い星の巡り合わせだよ、ったく。でも、この運命を正当に非難出来る者なんてどこにもいないんだ」


 孤島はうつむき加減で、しかし堂々としたバリトンボイスを出す。

「御託はよろしい。さぁ、殺傷を始めましょう」







 ビュン!

 ピストルクロスボウがしなる音。

 それは〈玉〉をカバーしていた透明なケースを射抜き、粉々に砕いた。

「さて。三本の矢で撃ち抜いて見せましょう。ふふ」

 孤島は余裕の笑みをこぼす。


 一方。

 西口門は僕に飛びかかってきた。

 僕は護身用の特殊警棒を振って、三段の長さに戻して、斜めに構えた。

 西口門のナイフを、僕の持った特殊警棒が受け止める。

 僕はナイフを受け止めた瞬間に弾き、西口門の横っ腹に警棒をぶち当て、警棒についているスイッチを押す。

 スイッチを入れると、電流が流れ出す。

「うぎゃあああああああああああああああ」

 感電して悲鳴を上げる西口門。

 落としたナイフを僕は蹴って室内の端へ吹き飛ばす。

「でかした、山茶花! 喰らえ、牛王宝印ごおうほういんだ!」

 猫魔がそう言って牛王宝印という名前の護符を飛ばす。

 護符が西口門の身体に吸い込まれていき、吸い込まれ終えると西口門の瞳から生気が消え失せた。

「さぁて、西口門くん。君はちょっとこの中に入っていてくれたまえ! この『瑞花雙鳥八稜鏡ずいかそうちょうはちりょうきょう』の中に、ね!」

 護符をもう一枚飛ばすと、そこに白銅の鏡が現出した。

 西口門を、白銅の鏡、瑞花雙鳥八稜鏡と猫魔が呼んだ〈鏡〉に向けて蹴り飛ばすと、西口門は鏡の中に取り込まれていった。

「チッ! 時間稼ぎにもならなかったか、あのラッパーめ!」

 ピストルクロスボウがしなる。

 矢は〈玉〉に命中した。

 ひびが割れる〈玉〉。

 孤島はなにかぶつぶつ唱えている。

「連発は撃てないようだな、テロリストくん。隙があるぜ!」

 猫魔がネコ科の動物のような動作で孤島に飛びかかる。

 孤島がニヤリと笑んだ。

 ピストルクロスボウを飛びかかる猫魔に向け、〈見えない矢〉を放つ。

 ぐはっ、と嗚咽を漏らし、倒れる猫魔。

 おなかから血が飛び出る。

 次の攻撃を食らわないように、倒れたまま転がって僕のそばまで移動してくる猫魔は、しかし、腹を押さえている。

 血液がドクドク流れている。

「ありゃ、術式の〈法具〉だ。法力も撃てる。そりゃぁそうだよなぁ。クソ、……痛い」

 またピストルクロスボウがしなる音。

 今度は見える矢である。

 放たれた矢は〈玉〉をまた傷つけた。

 僕のそばで猫魔が囁き声で言う。

「山茶花、三本目の矢で、おれたちはゲームオーバーだ……」


 どうする?


 僕の心臓がドクンと大きく脈打った。


 どうする?

 どうするんだ、僕は?


「僕はッッッ」


 吠える。

 顔を天に向けて。

 狭い天井に向けて、吠えた。

「僕はオタクだ! えろげオタクだ! つまり〈豚〉だ! そして、その〈玉〉は、玉座のメタファなのかもしれないけど、僕から見たら…………ただの〈真珠〉だッッッ!」


 僕の叫びに、あっけにとられる孤島、そして、猫魔。


 僕は転びかけながらダッシュする。

 いきなりのことなので二人ともこっちを見たまま動けなかった。

 僕は〈玉〉を置いた台座にドロップキックする。

 台座は木製で、古いこともあり、そのまま横倒しになった。

 転がる〈玉〉。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ」

 ドロップキックの着地失敗で盛大に転んだ僕は飛び跳ね立ち上がり。

 土足で神聖な〈玉〉を、何度も、何度も踏みつける。


 ガッ!

 ガッ!

 ガッ!


 堅い。

 さすが真珠のような〈玉〉だ。


 咆哮するしかなかった。

 勇気を出すんだ、僕!

「『マタイによる福音書』7章6節だぜ! 〈玉〉をいただきまああああぁぁぁぁすッッッ! アイイイイイイエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェェェッッッ!」


 咆哮した僕は、小さなおにぎりくらの大きさの〈玉〉を、口を開けて飲み込んだ!

 やけくそだぜッ!







「うっうー! それでは最後の曲です。ふゆりとくるるが出会った最初の曲で、今日はお別れです。聴いてください。タイトルは『冬にうたう恋のアルバム』!」


 流れ出すミュージック。

 心地よいリズムと、思わず口ずさみたくなるメロディ。

 ソーダフロート・スティーロの、代表曲。

 僕らは、間に合った。

 西口門は行方不明で今頃、楽屋では大騒ぎだろう。

 でも、そんなのどうでも良かった。

 僕にとっては。



 僕は知ってる。

 このプリンセス・オブ・ステージ〈ソーダフロート・スティーロ〉が、きちんと〈厄病送り〉を完遂させてくれることを。


 僕がスタンディング席でステージを見上げていると、背後から声をかけられる。

「こりゃ一杯食わされたわ! 我が輩もびっくりじゃわ! 大きくなったのぉ、雑用係。ふははははあぁー。我が輩、ご機嫌じゃぞ! そう。今回の事件はそもそもその流脈の根本に〈マタイによる福音書〉が関係しているのじゃから、そりゃぁ〈術式〉としての〈豚に真珠〉も、アリじゃよなぁ! 大ありだったわけじゃ! 聖書にある豚に真珠の一節から咄嗟に〈術式〉を発動させるとは。番狂わせもいいところじゃよ、山茶花! 〈道化師〉が〈玉座〉に鎮座する〈キング〉に化けたな! ふははははあぁー! 高笑いが止まらんよ、我が輩は! なぁ、ほっけみりん?」

「はにゃはらぁ~!」

「そうじゃろ、そうじゃろ! ほっけみりんも喜んでおることだ! 今日は宴じゃ、宴!」

 幼児体型でエスニックな服を着こなすこの女性、百瀬探偵結社の総長である百瀬珠は機嫌良く呵々大笑し、屋台で買ったたこ焼きを食べ、紙コップのビールを飲んでいる。

「う~ん! 良い曲じゃのぉ。ふゆりもくるるも成長したもんじゃなー」

 人ごとのように言ってはいるが、ステージを観るその瞳は緩んでいる。

 今にも泣きそうだ。

 こんな総長も、めずらしい。

「『冬にうたう恋のアルバム』……か。デジタルデータだけと言わずに自主制作盤でも、うちの探偵結社から発売するというのはどうじゃ?」

「ちょっ、やめてくださいよ、総長」

「冗談じゃよ。この道化師、冗談が通じないのじゃな」

「どんな道化師ですか、そりゃ」

「我が輩の〈飼い猫〉は孤島と声明使いの少年の二人と共に病院へ搬送され……、雑用係がこうして残った」

 総長の隣でやはりたこ焼きをもぐもぐしている女の子がいて。

 その女の子のセルフレームの眼鏡がきゅぴーん、と光る。

「猫魔さん、大丈夫なんですか、珠総長?」

「ん? ああ、ま、大丈夫じゃよ、心配せんでも。プレコグ能力者の我が輩が言うのじゃから、本当に大丈夫じゃ。財布が痛くなりそうじゃが、な」

「財布が痛いって、もしかして重傷なんじゃないですかぁ?」

「ふはははは。めるとは猫魔贔屓じゃのぅ」

「ち、ち、違いますよぉ! わたしが猫魔さんをす、す、す、好きなのはそういう意味じゃないんですぅ!」

「本当かのぅ」

「本当ですってばぁ! 総長のばかぁ!」

「ふーはははは!」

 セルフレーム眼鏡の女の子、舞鶴めるとは顔を真っ赤にしてふくれっ面をする。


 僕はDJ枢木と神楽坂ふゆりのステージを見つめる。

 くるるちゃんのトランスフォーマースクラッチを挟みながら、ふゆりが歌い上げる。

 高く、高く、天まで届くような歌声で。




 百瀬珠総長が、聖書の一節をそらんじる。


 聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。

          【『新約聖書』(新共同訳)「マタイによる福音書」7章6節】より






「自らを〈豚〉と言い、〈引き裂いた〉な、あの若造の、……孤島の心を。そういえばあの章は【人を裁くな】という章題だったかのぅ、確か。よく咄嗟に思い出して決行したものじゃな、山茶花」

 僕はふゆりがアイドルステップをして歌っているのを観ながら、

「買いかぶらないでくださいよ、総長。今回は総出で迎え撃った。だから、僕もそれこそ相応に、その場に臨まないとならないと考えていた。それだけのことですよ」

 と、珠総長に返した。

「ふふっ、お前らしい答え方じゃの。どうじゃった、マボロシの大学生活は?」

 今度は僕が微笑む番だった。

「楽しかったですよ、一生の想い出になるくらい」

 百瀬珠総長は背伸びをする。

 たこ焼きとビールを持ちながら。

「それは、…………良かった」

「ええ。とっても」

 涙が僕の頬を伝う。

 学生宿舎のみんな、さよなら。


 今回も、いろいろあった。

 でも、変わらないのは。

 僕らは、これまでも、今も、そしてこれからも、最高の探偵結社だってことだ。




 ……余談だけど。

 ザ・ルーツ・ルーツのメンバーがボーカル不在で困っていて、結局はジャムセッションをしてその場を乗り切ったことに対して、神楽坂ふゆりこと小鳥遊ふゆりは、

「なぁに泣いてたのよ、関係者一同困ってたのに! みんな、さよなら、じゃないわよこの雑用係! 一人でナルシズムかしら? やっぱり阿呆は大学で講義受けても阿呆なのが変わるわけないわね!」

 と、僕を大いに罵ったのは、出来ればオフレコにしておきたい、〈今回のオチ〉だった。

 どうせ僕は阿呆ですよー、だ。

 さらに付け加えるのならば、僕がマタイのことを思い出したのは、今回、〈魔女〉がそういう風に誘導したからなのではないか、と思う節があるのだけど、それは黙っておこうと思った。

 蛇足が過ぎるぜ。





〈了〉

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る