第6話 手折れ、六道に至りしその徒花を

 文章が嫌いだ。

 わたしが断言したこと、

 私が共鳴した信念、

 すべてが笑うべきものであり、死んだようだ。

 わたしは沈黙にほかならず、世界は沈黙である。


          【ジョルジュ・バタイユ『無神学大全』】より






 東京都港区。

 その僧にしてテロリストの頭の葬儀は、しめやかに行われた。

 会場ではその僧に影響を受けた若者たちが黒いダブルスーツに身を包みながら二列に並び、

「お疲れ様でした」

 と遺影に声をかけながら焼香していく。


 その葬儀の、会場入り口の外の喫煙所で、僕、萩月山茶花はぎつきさざんかは、セブンスターを吸って、こちらに向かってくる男の姿を見ていた。


 男が灰皿の向こう側に立ち、僕と向かい合うかたちになる。

「やぁ、山茶花さん。この葬儀、花輪が飾られていないでしょう?」

 男が言う。肩には雨粒がついている。今は冬だ。冬の雨は、今日、葬儀であるテロリストでもあった僧の眼差しのように、冷たい。

 そう、冷たい目をした男だった。

 目の前の男は続ける。

「故人の意思を尊重して花輪は辞退、質素に行うことに決まったのですよ」

「ふぅん」

 僕は視線を横に逸らし、紫煙を吐く。

「徒花。狂い咲くときも使うけど、咲いても実を結ばない花を、そう呼ぶのですよ、山茶花さん?」

 僕はその言い回しに、イラッとする。

「徒花? なにが言いたい?」

 声を荒げてしまう僕。

 向かい側に立つ男は灰皿からこちら側に回り、煙草を持ったその手首を掴み、それから体重を掛けて僕を押した。

 僕の背中がコンクリートの壁に叩きつけられる。

 男に押さえつけられて、身動きが取れない。

 僕は振りほどこうとするが、男の力は強い。

 振りほどくことが出来ず、コンクリートに身体を固定させられたままだ。

 手首も強い力で壁に押しつけられ、手が緩んだ僕は煙草を地面に落とす。

 ジュッと音がした。

 水をよく含んだアスファルトの地面が、僕のセブンスターの火を消したのだ。

 にらむ僕ににらみ返すその男の顔は、しかし余裕に満ちている。

「〈一人一殺〉……。僕らはまだ負けませんよ? 萩月山茶花さん。井上先生はあなたを許してらしたようでしたが」

 そこで言葉を句切り、身動きが取れない僕のくちびるを強引に奪う。

 ぬめる舌が、僕の口腔内を侵犯する。

 執拗な責めに、目をそらす僕は、手首を捕まれていない方の手で、この男を引き剥がす。

 男は後方に一歩、下がった。

「つれないですねぇ」

 ごほごほ、と咳をする僕。

「当たり前だ」

 男はネクタイの乱れを直してから、

「僕はあなたを許さない。あなたの〈思想〉、または…………〈主義〉を、ね」

 と、鼻で笑った。

「僕に思想なんてないぞ、孤島こじま

 僕は男の名を呼ぶ。

「やっと名前、呼んでくれましたね。光栄ですよ、山茶花さん。僕の名は孤島。これからも忘れないでくださいね。それでは、僕は焼き場へ行きますので。ふぅ。僕は井上先生の最後を看取らないとならないので、ね」

「まだ死んでないような口ぶりじゃないか」

「遺灰になったのち、井上先生の思想は僕らが受け継ぐことになるのです。井上先生とその意志は、これからもずっと我らのそばに」

「まだ……続ける気なのか、こんなこと」

「山茶花さん。あなたが在籍する〈百瀬探偵結社〉が、僕らとぶつからないことを願うのみです……ああ、探偵さんにもよろしく」

「探偵さん?」

「なにをすっとぼけているのですか、山茶花さん。破魔矢式猫魔はまやしきびょうまさんのことですよ」

 男、孤島はくすくす笑いながら唇をハンカチで拭い、それから会場の自動ドアの中へと消えていく。


「井上…………。一殺多生の〈主義〉……か」

 僕は孤島の後ろ姿を見ながら、今は亡きテロリストについて、かすれる声で呟いていた。







「雲行きが怪しいのぉ」

 事務所の窓から外の空を見上げ、百瀬探偵結社総長・百瀬珠は言った。

 百瀬探偵結社は、茨城県常陸市いばらきけんひたちしにある。

 ここはその探偵結社のビルである。午前9時。

 真っ黒に染まりつつある外の様子をうかがってから、室内に視線を戻して、百瀬珠総長はため息を吐いた。

「こりゃ一雨降るのぉ」

 エスニックな深緑の民族衣装に身を包んだ珠総長が沈んだ顔をしていると、あくびをしながら探偵結社の事務所の、この事務室に入ってくる灰色の髪をした男がいた。

「おはよう、みんな」

 男は挨拶をする。

「おはようやないわぁ、猫魔お兄ちゃん。今日もお仕事頑張らへんとならんのに、もぅ。締まりがないと嫌われよるでぇ」

 このどこの方言だかわからない言語で灰色の髪の男に話しかけるのは枢木くるるぎくるるちゃん。この事務所の事務員だ。

「朝は眠いもんだよ」

 と、猫魔。

「夜更かししすぎなんやよぉ」

 返すはくるるちゃん。

「スーツも着てバッチリなおれと比べたら、そこのでくの坊はどうだい。山茶花はいつもパーカー着てるだけじゃないか。楽でいいよな。それにおれは仕事はこなす」

「まるで僕が仕事が出来ない奴みたいな言い方じゃないか、猫魔」

「違うのかい」

「うっ」

 黙る僕。

 その通りだった。

 僕は仕事が出来ない人間だ。

 破魔矢式猫魔は、窓際にいる珠総長に話しかける。

「〈天気読み〉は、どうです?」

「濁っておるわい」

 応える珠総長。

「天気読み?」

 首をかしげる僕。

「バカ。プレコグ能力のことだよ」

 猫魔にたしなめられる僕。

「全く山茶花はダメやわぁ。だから猫魔お兄ちゃんの助手が務まらないんよぉ」

 ふくれっ面のくるるちゃん。

「助手じゃないんだけどね」

 僕はそっぽを向いて言う。

 くるるちゃんは僕が猫魔の助手だと思っている。

 いつも手柄を立てるのは猫魔なんだから、そう思われても仕方がないし、僕はただの雑用係だ。雑用係は雑用をこなしていればいい。

 ちなみに、〈プレコグ〉とは、予知能力の一種のことである。

 お金に関してにしか使わないようだけど、百瀬珠総長が、そのプレコグという超能力を有しているのは事実だ。裏の政府公認のESP能力者が、百瀬珠総長であり、その能力のため、彼女は〈魔女〉と呼ばれることもあるのである。

 そして僕らは、〈魔女の一味〉というわけだ。

 それがこの、百瀬探偵結社、である。

「さて。総長のプレコグの具合が悪いままでここを離れるのも忍びないけど、おれはもう行くよ」

 探偵……破魔矢式猫魔が言う。

「猫魔。もう行くのか? 今日はどこでなんの仕事だい?」

「山茶花とは反対方向さ」

「反対方向?」

「ま、いろんな意味で、ね」

「ふぅん」

「おれはさ、山茶花。一部のブッディストの、折伏しゃくぶくの方法論が気に食わないと思っているんだ」

「折伏の方法論?」

「自分の宗派以外を徹底的に排撃する、ある方法論のことさ。で、さ。山茶花。ここはどこだ」

常陸市ひたちしだけど」

「常陸国と言えば、親鸞が二十年くらいいたことで有名だけど」

「そうだね」

「常陸国というのは、ね。妙蓮華法の開祖が晩年、排撃と自身への弾圧に疲れて、ここ常陸の〈湯〉で養生しようとして目指した土地でもあるんだ」

「南無妙のひとだね」

「弘安五年のことだ。常陸を目指す途中、武蔵国池上で、その僧、日蓮は死んだ」

「へぇ。常陸を目指していたのかぁ」

「そう。そして常陸と言えば、晩年の国学者・平田篤胤が常陸の山に住んでいた童子を拾い、そこから自らの神道の体系に道教を取り入れたことが知られている」

「平田篤胤。明治の国家神道のルーツの一人だね」

「そう。平田篤胤は、一向宗・浄土真宗と日蓮宗を、徹底的に批判した。それがやがて国家神道の日蓮宗弾圧に繋がる」

「いつ聞いても、ここ常陸という場所は一筋縄では行かないね、猫魔」

「そして、今日、おまえが仕事で向かう先が、その〈常陸の湯〉があった場所さ」

「護獄村……か」

「まあ、ゆっくり湯治でもするんだな」

「猫魔。僕は怪人・小栗判官おぐりはんがんがそこに向かったっていうから護獄村に向かうんだぜ。それに、護獄村って漁村なのに、湯なんてあるのかな」

「あるぜ」

「ふぅん」

「まあ、そういう土地だってことが言いたかっただけだ。じゃ、おれはもう出かけるぜ」

「おう、頑張ってな、猫魔。僕も今度こそ探偵結社の一員として、小栗の奴を捕まえてみせるぜ」

 僕が拳を突き出すと、猫魔も拳を突き出し、拳と拳をぶつけ合った。

 探偵は言う。

「あるのは『主義テネット』だけさ。覚えておくと良い。それにさ」

 探偵・破魔矢式猫魔は付け加える。

「運命を正当に非難出来る者なんてどこにもいないさ。だからこそ、主義を大事にするといい」

 そう言うと探偵は先に事務室を出た。

 総長とくるるちゃんに挨拶をした僕も自分の部屋に戻って、今日の仕事の準備をすることにした。

「主義……ねぇ」

 僕は、言葉を反復した。主義は大切らしい。排撃でもしなければ、ってことなんだろうけども。







 カモメが鳴いている。曇り空は濃い灰色で、今にも雨が降りそうで、珠総長が言った通りだ。こりゃ一雨降るぞ。

 常陸市・護獄村。原発も近いここは、政治的に微妙な立ち位置にある村だ。

 埠頭を歩く。釣り人が一人いるだけだった。

「釣れますか?」

 僕が尋ねる。

「釣れましたよ、あなたが、ね」

 振り向かずに釣り竿のルアーの方を観ながら、麦わら帽子の男が答えた。

 麦わら帽子で目を伏せながら、男は言う。

「海の民の子より出て、仏法から安心ではなく〈力〉を得る。安寧に念仏往生を願うにあらず」

「はい?」

 首をひねる僕。

「失礼しました。僕の名は孤島こじま。護獄村は護獄堂にて、修行している者です。井上先生が、あなたに会いたいそうですよ、萩月山茶花さん」

 そこまで言うと、男は僕の方を振り向いた。

 顔を隠すようにかぶるその麦わら帽子の奥に光る、つり目が僕を覗く。

「『血盟連通史』。それをテキストにして、井上先生は説法を僕らにしてくれます。ぜひ、井上先生にお会いください、山茶花さん。小栗判官は我らの敵でもあるのです。悪しき瘴気しょうきが、村に立ち籠もっています。小栗もその瘴気に引き寄せられ、この村に潜伏……否、隠れてすらいませんが……います。瘴気を吸うことで、小栗は自己再生をしようとしていますよ」

「な、なんでそこまで知って……」

 麦わらの男・孤島は僕の声を遮る。

「あなたが裏の政府のエージェントなのを知っているから、でどうです? つじつまが合うでしょう」

「つまり、孤島さん、あなたも裏の政府と繋がりがある、と」

「繋がり、繋がり……、ねぇ。そうですねぇ。この埠頭から一キロあるでしょうか、坂を上った先にとある日帰り温泉があります。そこに小栗判官はいるでしょうね。この村では、よそ者はよく見える」

 井上という人物が僕に会おうというのは、僕が魔女・百瀬珠の探偵結社のメンバーだからであることは想像がつく。

 だが、まず向かう先は。

「親切にありがとう。小栗を追うよ」

「ご武運を」

 釣り竿に視線を戻す孤島という男。

 僕はGPSで位置を確認し、温泉へと向かった。







 歩く先々に温泉があった。温泉街なのだ、ここは。

 そして、くだんの日帰り温泉の玄関に着く。

 温泉の玄関先で護符を貼った竹製の檻に捕獲されていたのは、怪人・小栗判官だった。

 いや、すでに首を刎ねられていたあとだったが。

 胴体と頭が切断され、檻に無造作に入れられている。

 周囲には大量の血液の絨毯が敷かれている、といった具合だ。

 晒し首、獄門だ。見せしめのように、そこに〈置かれて〉いる。

 蠅やカラスがたかっていて、血のにおいが立ちこめている。


 絶句して僕が小栗の最後の姿を見届けていると、温泉から法衣をまとった仏僧がゆっくりと出てきて、僕の目の前に立った。

「萩月山茶花さん、ですな。わしが井上じゃ。小栗の首なら、さっき刎ねた。さて、我らが拠点・護獄堂にて、裏の政府の話を聞かせてくだされ。この怪人の首を持ち帰れれば、それでいいのじゃろう?」

「…………」

 小栗判官はアヤカシ。人間ではなく怪人。

 だが、無造作に死体を籠にぶち込む人間だぞ、この井上という仏僧は。

 ついて行くべきかどうか、迷う。

「今夜は護獄堂を宿代わりにするといい。ろくな食事は出せないが、食客として、大いに我らは迎え入れよう」

「我ら?」

「末法の『世直し』をせんがために集まった同志たちの修行と実践の場、護獄堂にいる〈護獄団〉の者たちじゃよ」

 さっきの釣り人……孤島、たちか。

「あなたが、小栗にとどめを刺したのですか」

 訊かずにはいられなかった。

「如何にも。わしが現・護獄堂を管理する蓮華法の僧、井上ですじゃ。小栗の首はあなたへの手土産じゃよ」

 小栗判官はアヤカシ。魔性の化け物だった。

 強かった。今まで何度倒し損ねたことか。

 だが、目の前の老僧は、その小栗の首を刎ねた。

 この男に興味が湧かなかったと言ったら嘘になる。

「わかりました。護獄堂という寺へ、案内してください。しかし、もう数十年も前に、護獄堂は〈廃寺〉になっていた、と聞いていましたが」

「わしと同志たちが今は管理しておるのです。村の青年たちの力を借りて、建て直したのですじゃ」

 電話で小栗の死体の処理班を呼び、僕は促されるままに井上の寺、護獄堂へとついて行く。







 もう、暗くなっていた。

 雨が、降りつけている。

 傘を差しながら、僕は階段をのぼる。

 井上は健脚で、平地のように階段を進んでいった。

 そのあとを、かなり遅れて僕が追うかたちとなった。

 建て直されたという古寺・護獄堂は、急な階段をのぼったその先にあった。

 もう日が暮れて、あたりは静かだ。

 雨の音だけがする。

 冬の雨。

 薄ぼんやりとしたあかりが灯る護獄堂の本堂から階段側を観ると、太平洋が見渡せた。

 ここは漁業の村。船のあかりが点々と海に浮かんでいる。




 護獄堂に入る。

 まっすぐお堂に通された。

 そこには護摩壇と、護摩壇の奥に、文字だらけの大きな掛け軸がかかっていた。

「この掛け軸は? 〈妙〉と大きく書かれていて、その周りを囲むように文字がびっしり刻まれていますが」

 圧倒されるような、筆の文字が躍る掛け軸を指さし、僕は井上に尋ねた。

 井上はははは、と笑った。

 すると、お堂に集まっていた井上の弟子たち三人のうちの一人が、口をついた。

「この掛け軸は、曼荼羅本尊と呼ぶのですよ、萩月山茶花さん」

 獣脂のろうそくのあかりの中、目をこらして今、答えてくれた井上の弟子を見ると、それは、今日、ここに着いたときに釣りをしていた、麦わら帽子の男に違いなかった。

「あなたは。孤島さんですね」

「孤島、と呼び捨ててもらって結構ですよ、山茶花さん」

 孤島はすらりとした身体に、少し伏し目がちの姿で、しかし堂々と喋るという、やはり変わった男だった。

「曼荼羅と言っても、この宗派は文字で曼荼羅を表わすんですね」

 僕が言うと、唾を飛ばしながら、僕をにらみつける井上の弟子がいた。

「ほかの宗派だぁ? おめぇは念仏往生派の人間かぁ? すべては〈五字七字〉の〈お題目〉だぞ! お題目がすべてだ! この末法の世は、〈妙法〉のお題目が救うんだ! 殴るぞ、てめぇ」

「やめとけ、沼地」

「だけどよぉ、孤島ぁ」

「失礼致しました、山茶花さん。この沼地は血気盛んでしてね。信仰には熱心なのですが。代わってこの孤島が謝ります」

「謝る必要はねーって! なぁ、琢磨小路たくまこうじもよぉ、そう思うだろ?」

「お、お、おでは、井上様に従うだけだべよ」

「はっ! 腰抜けめ。琢磨小路。おめぇはそうやっていつもキョドってっからよ、一殺多生の精神が身につかねぇんだ!」

「やめなさい!」

 井上が一喝する。

 お堂が静まりかえる。

 井上が口を開くと、三人の弟子たちが、井上に注目する。

「いつも言っておるじゃろう。念仏は業因、禅は天魔の外法だ、と。だが、乱れたこの末法の世にはそれらがはびこり、我らには三災七難さんさいしちなんがつきまとう。常寂光土じょうじゃくこうどは、我らの〈一殺多生〉の主義テネットが可能にする。その人柱たる我らを、この末法の世は必要としておるのじゃ」


 ……カルト集団、なのか。たった四人だけの。

 僕は小栗判官を殺した井上という怪僧を見やる。


 井上が、ろうそくの燃える中で、僕に向けて言う。

「山茶花さん。あなたが今日という日にいらしたのは、まさに奇縁でしょうのぉ。この護獄堂には、『血盟連通史』という書物が伝わっており、この三人の新青年たちは、昭和の血盟のご一新を成そうとした、この土地の人間の血を受け継いでおりますじゃ。この『血盟連通史』は、〈一殺多生〉主義の神髄と歴史を交錯させた書物でしての。その本懐は〈一人一殺〉。革命のため、御国の是正と繁栄のために、一人ずつが一国賊を討ち、果てて国の柱となることを説いております」

 ……血盟……ああ、そうだ。そうなのか。

 そうだった、この土地は、昭和モダンを終わらし軍国の道に走らせた事件の発端に位置する事件を起こした者たちの、故郷でもあるのだ。

 井上は言う。

「今、この護獄村には、政財界の要人が来ておりますじゃ。もう、おわかりですな?」

 獣脂のろうそくが揺れる。

 ここにあるのは〈折伏〉の方法論。

 僕は、カリスマでありカルトの教祖でもあろう井上の手の中で転がされている。

 雨音が強さを増す。

 蟻地獄のように僕を引き込む怪僧・井上の砂の穴は、僕の足下に大きく口を開けていたのだ……。







 簡素な部屋に通された僕は、そこで精進料理を食べる。

 部屋には三人。沼地と琢磨小路が同じく料理を食べている。

 今宵の精進料理は琢磨小路がつくったようだ。

 本人がそう言って運んできた。


 食べ終えた頃。

 最前から憤っている沼地が唾を飛ばす。

「おい! おまえ、山茶花とか言ったな! そもそもおまえは〈末法の世〉ってのがどんな状態だかわかってんのかよ」

 記憶を探る。

 確か破魔矢式猫魔が、末法とかいうのについて講釈していたことがあったのを思い出す。

「あ、あー。まあ、なんとなく」

「てめっ! なんとなくだと! ぶっ殺すぞ!」

「や、や、やめなよ、沼地くん」

 琢磨小路が、僕を殴ろうとする沼地を止める。

「その手を離せよ、琢磨小路! いいか、山茶花! 末法ってのは」

「携帯電話のウェブで検索するよ」

「すんな、ボゲェ! 釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代が過ぎてな! 次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代が来て、その次には人も世も最悪となり正しい教えがなくなった時代が来る! そのまさに正しい教えが行われない、今の状況を末法っつーんだよ! 浄土宗、浄土真宗は業因、禅宗は天魔の外法! この末法の世を救うのはおれたちの〈一殺多生〉なんだ! 国の御柱となること、一人一殺を以て国賊を討つこと、それがこの末法の世を世界が回避する唯一の方法なんだ! わかったか、山茶花!」

 僕はため息を吐く。

「一人が一人を殺したくらいでなにが変わるってのさ」

「〈気づく〉からだよ! 今この世界が末法の世になっているってことになぁ! 気づけば、邪教はすべて折伏される! 折伏とは説き伏せられるってことだ。おれたちの〈主義〉が〈正しい教え〉だって気づくことだ! 気づけば、〈血盟〉のときのように、この国が変わる契機となる! 実際、この一人一殺はこの国の〈流れ〉を変えただろう! 違うか、山茶花!」


 血盟……常陸国で起こったその昭和のテロ自体は失敗に終わったが、血盟の残党や、その〈主義〉に共鳴した者たちが起こしたのが五・一五事件だ。そしてその流れは収まらず、二・二六事件が起こり、この国は軍国主義へと転換された……。


 だが。それは昔の話だ。こいつらはなにがしたいんだ?

 テロがクーデターに繋がったそれをお手本にして、こいつらは、なにを?


「なにが君たちを駆り立てるんだい。動機がわからない」


 沼地が歯を食いしばりながら言う。

「おれには、最愛の妹がいた……ッ」

 慌てて話すのを止めようとする琢磨小路。

「金を……国賊どもが吸い上げちまったんだ! 小さな田舎の漁村の金すら、奴らはな! 食い扶持に困ったおれの親も、村のほかの大人も、……売り飛ばしたんだよ! 村の若い、年端もいかない女の子たちを、な! 同じだろ、あの昭和のテロの時代と! 国の中央にいる奴らの性的欲求を満たして手に入れたなけなしの金で、おれたち村の者はみんな、飯を食うことが出来たんだよ! あんな飯は、もう……喰いたくねぇんだよ」

「村の近くには原発もある。対策は」

「てめぇ! ぶっ殺すぞッッッ!」


 そう、『血盟連通史』に書かれているのはつまり、そういうこと、か。


 僕は立ち上がる。

「話してくる」

 ドアノブに手を掛ける。

「井上と。〈一殺多生〉という方法しか、本当にないのか、尋ねてみる」

 君たちが暴走しないためにはボスと話をつけるしかなさそうだからね、と僕は言って、お堂へ向かう。

 沼地も琢磨小路も、僕を止めなかった。

 話はズレていた。僕は要件を果たし、帰宅して良いはずだったのだ。

 しかし、僕は今、このドグマに入り込もうとしている……。







「海の民の子より出て、仏法から安心ではなく〈力〉を得る。安寧に念仏往生を願うにあらず。その開祖の意志を継ぎ、また、血盟の意志もまた継ぐ」

 井上は獣脂のろうそくだけが照らすお堂の、護摩壇の前で孤島に語りながら、孤島の僧服をゆっくりと脱がしていく。

 僕は忍び足で近づき、その様子を見て、出るタイミングを伺っていた。

 井上に首筋を舐められる孤島が、

「んぅ……んん、あ。あぁ」

 と、声を漏らす。

瘴気しょうきが、村に立ち籠もっています。奴らが別荘に来たからでしょう。これはまたとないチャンス……で……っんく、……んあぁ、はぅあっ」

 よがる孤島。

 首筋を丹念に舐めた井上が囁く。

 囁きは、伽藍というこの空間に響いた。

「我、日本の柱とならむ。我、日本の眼目とならむ。我、日本の大船とならむ。この地を中心に仏国土の建設を夢見む。現世を、肯定できるか、孤島?」

「現世の肯定……ですか、井上先生」

「そうだ。我ら選ばれし者には三災七難が常に待ち受ける。救済こそは現世で行われる。我らはその礎を築くためにこそ、命を散らすのだ。その覚悟は、出来たか?」

「それが……井上先生の描く未来に繋がるのなら。……ああ! 指がッ。だ、ダメです、これ以上は……先生……くっ、ふぅ、入ってき……、はぁん、……っんく」

「これより、〈寄加持よせかじ〉を行う。依り代はおまえだ、孤島」

 服を脱ぎ去り、下着も畳に落とした孤島は、恍惚とした眼差しで、井上の目を見つめている。

 見つめ合う孤島と井上。井上は孤島の霊性内にあった指を引き抜き、木製の剣を持ち、その木剣もくけんに黒い数珠を巻き付ける。

 これが、〈蓮華法術式〉の〈法具〉であることに、僕は気づく。


「〈虚空蔵求聞持法こくうぞう・ぐもんじほう〉が密教のみでなく我が宗派にあるように、復古神道が術式〈帰神法〉が完成形〈寄加持〉もまた、蓮華法術式には存在する」

 首筋を這う井上の舌は、孤島のおでこを舐めてから下降していき、ディープキスに移行した。

 手には法具。

 法具を、裸になって露出した孤島の尖った霊の根本にぐりぐりと押しつける。

「〈寄加持〉で高次元のものを憑依させる。まずはその頭の中を真っ白にさせてからじゃ。孤島……いいな?」

 息を呑む孤島は、ただ静かに頷く。

 法具によって屹立した孤島の霊身を、井上の手のひらは掴み、上下にゆっくりと動かす。

「くっうぅ、あ、あ、んあ、ふぅ」

 速くなるその動きに合わせて、耐えきれない孤島の嬌声があがる。

「霊性を高め、我が修法をその身に受けよ、孤島」

「んぁ、きっ、んはぁっ、きつっ、うっみぃ、速い……くふっはぁ、……はっはっ、あはぁ、んっな、あ、あ、あ、もぅ……、来る」

 耐えきれず飛び出した孤島の熱い霊気が、井上の顔にかかる。

 井上は顔にかかった、拡散された孤島の霊気を手の指でかき集め、舐めては飲み込んだ。

 意識を失い、仰向けに倒れる裸体の孤島。


 倒れる前の一瞬。

 孤島は僕がいることに気づき、目が合うとニヤリと微笑んだのだ。

 僕はその笑みを見逃さなかった。


 井上のされるがままになる、孤島。

 そしてシャーマン状態になった〈寄加持〉の憑依人格は、井上に抑揚のない声で、今夜決行される計画の細部を詰めるため、井上が質問し憑依人格が答えるという形で、進んだのである。

 僕はその話に聞き入っていた。







 政財界の要人がここ、護獄村の別荘に来ている。

 名は、江川と蔵原。

 江川は豪商であり資本家、蔵原は官僚である。

 別荘は蔵原のものである。

 蔵原が何故ここに別荘を持っているかというと、皮肉なことに、「護獄村の湯は、あの有名な高僧ですら晩年、その湯で身体を休めようと目指した土地であるから」というものであった。

 一方の江川はフィクサーであり、〈江川ルート〉と呼ばれる金の流れのその源流にいる人物であった。

 資金提供を受けるのは政治家だけではない。官僚もまた、動くのだ。

 今夜は、プライベート温泉に入って、二人で談義をしているのである。

 そこを、襲う。

 江川ルートの存在が知られれば、この国の腐敗した体制がわかる、と井上たちは考えた。


 僕、萩月山茶花は考える。

 何故、僕は小倉判官の首を手に入れたあと、探偵結社の事務所に帰らなかったのか、と。

 井上という僧はカリスマだった。

 観てみたい、と思ってしまった。

 ことの顛末を。

 カタストロフに陥る、その〈主義〉の行く末を。

 殺せなかったら、死を選ぶという彼ら。

 殺しても訪れる死。


 孤島、沼地、琢磨小路の三人には〈一人一殺〉らしく、井上から『デリンジャー』が配られた。

 デリンジャーというピストルは、銃弾が一発しか込められない。

 まさに、一人だけを殺し、多くの衆生を生かすための、装備だった。

 いや、彼らの史観寄りの見方をすれば、だが。

 その他の装備は、脇差し。

 ボディガードたちをこれでどうにかする、というのだから、驚きだ。

 それ以外に、脇差しは切腹するためにも使うのだ、という。


 僕は黙って、井上率いる現代の血盟連について行く。

 別荘は、小高い丘にある。

 相変わらず雨が降っていて、視界が悪い。

 だが、ここにいる誰もが、傘なんて差さない。

 その代わり、編み笠をかぶっている。

 行脚の僧だ、と呼ばれても文句は言えない格好だ。


 裏の政府は、この事件をどう思うだろう。

 どこまで知っているだろう。

 じゃあ、プレコグ能力を持つ〈魔女〉こと、百瀬珠は?

 わからない、僕にはなにも、わからない。

 わからないまま、別荘に着く。

「お、お、おでが行くべ」

 おどおどした声を出す琢磨小路だったが、その決行の速度は速かった。

 別荘の裏口の前に立っていたガードマン二人の頸動脈を背後から切って絶命させた。

 一人一殺の〈一人〉とは、〈巨悪〉を指し、その他は〈一人〉に含まれないのか、と疑問に思ったが、思考している暇はなかった。

「中に入るぜ?」

 沼地が言う。

 琢磨小路と孤島が頷く。

 井上は今できあがった死体に合掌した。

 合掌したのち、

「吹加持をしておこう。おまえらに、北斗妙見の守護があるように」

 と言う井上。

 〈お題目〉を唱え、それから三人に息を吹きかける。

「諸天の加護を願い、合掌!」

 井上が数珠を絡めた木剣を掲げそう言うと、孤島、沼地、琢磨小路もまた、合掌した。

 今度は、自分らのための合掌である。

 三人も、「五字七字」のお題目を唱える。

 妙な光景だが、その〈妙〉こそが蓮華法術式の肝なのであろう。

 僕は裏口で倒れている死体を一瞥して、建物に入る。

〈悪〉とは、一体誰を指すのか。

 僕には好奇心の方が善悪より勝ってしまっていた。

 カリスマの蟻地獄の穴に堕ちるのは、もうすぐだった。







 沼地が叫ぶ。

「滅殺だ、ボゲェ!」

 別荘の寝室で、江川と蔵原が同性愛行為にふけっていたのを発見し、叫んだのだ。

「ななななななな、なんだね、キミタチは!」

 デリンジャーの短い銃身を構える沼地は、間髪入れず、ためらわず、狙いも正確に、豆電球だけの暗い寝室で江川の脳天を撃ち抜いた。

 死体になった江川が血を吹き転がる。

「ひひひひ、ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!」

 乱れたバスローブを直そうともせず、四つん這いになって逃げようと試みる蔵原。

「次は僕の番ですね」

 孤島が銃を構える。

 孤島が狙いを定め、デリンジャーを撃とうとするその刹那。

 孤島とは違う方向から発砲音がこだました。

 蔵原も、その発砲によって絶命した。

 吹き出す血と脳漿。

「なっ?」

 孤島が振り向くと、孤島より後方にいた琢磨小路だった。

「琢磨小路! おまえが、撃ったのか…………?」

 琢磨小路は泣き顔だ。

「孤島、ダメだべ、君が殺しちゃ。まだ、ここで終わる人間じゃないよ、孤島は。もっと強大な敵を一殺するのが、孤島のすることだべ! お、お、おでは、ここで死んでも構わないから、だから、だからね、だからさ、孤島。井上先生と仲良くして、でででで、で、さ。御国を、万事よろしく頼むよ」

 琢磨小路は膝が震えて、その場にぺたんと座り込んでしまった。


 そこに、低く響く男性の声がする。

 暗い部屋にいる僕らの、さらに後ろの方から。

 奈落への蟻地獄から僕を救う、その声が。

「あー、あー、あー、言わんこっちゃない。そう思わないかい、山茶花?」

 僕に向けての声だ。よく知ってる声。

 僕は振り向いた。

 この声の主は。

「猫魔!」

「ふぅ。どうやら乗り遅れてしまったようだね。巨悪対談は破綻。あとはこのカルト集団の処理だね」

 逆なでするような猫魔の口調に沼地が激高する。

「誰じゃてめぇッ」

「おれかい?」

 くっくっく、と乾いた笑いをしてから、探偵は言う。

「すべては相対論でしかないのかもな。〈正義〉の在処なんて、探したって無駄だ。でもさ、運命を正当に非難出来る者なんてどこにもいないさ」

 探偵は、いつだって幕引きに登場する。

 僕は息を呑んだ。

 敵は、いつまで経っても倒せなかった怪人の首を軽く刎ねるような奴だぞ、猫魔。

 僕は焦るが、本人は至って普通に名乗る。

「おれは破魔矢式猫魔。百瀬探偵結社の魔女の飼い猫、……つまり探偵さ」







 猫魔に素早く反応したのは井上と孤島だった。

 井上が下がり、孤島が井上を守るようにして前に立ち、護符を人差し指と中指の間に挟んで、構える。

「秘妙符だ! 喰らえ、災禍滅除! ハッ!」

 孤島が秘妙符と自身が呼んでいる護符を猫魔に対して投げる。

 カミソリの刃のような鋭利さ、硬度を持ってそれは猫魔に向けて飛ばされたが、猫魔は着けている黒いドライバーグローヴでそれをキャッチする。

「なるほど。護符にも〈妙〉って書いてあるね。君たちは本当に〈文字〉が好きなんだね。文章を愛している、と言った方が良いのかな。勉強熱心、それは良いことだ」

 キャッチした護符を孤島に投げ返す猫魔。

 切れ味抜群の護符は、孤島の、左の二の腕の肉を削って飛んでいき、暗い寝室の柱の襖に刺さった。

 刺さった護符が、煙を出して消える。

「井上さん、だっけ? テロを行い、成功させるとは見事じゃないか」

 挑発する猫魔。

 井上は応える。

「探偵。わしにはあんたがわざと江川と蔵原が始末されるのを待っていたようにしか思えんが?」

「どうだか、ね。まあ、裏の政府や〈魔女〉の意志がそうであったならば、奴らが殺されるのは、やっぱり見届けただろうねぇ」

 そこに沼地が割り込み、

「外道が! 人の生き死には重いものだぜ。敵であっても敬意を払う。それがおれたちだ。探偵、おめぇみてぇなクズとは違う」

 と言うが、今度は孤島が沼地に言う。

「沼地。もういいんだ、おまえと琢磨小路はよくやった。あとは僕と井上先生に任せるんだ」

 頷く沼地は琢磨小路の手を取り立たせ、二人でダッシュする。

「おやおや、逃亡かい」

「挑発に乗るな沼地、琢磨小路! 走れ!」

 その場を去る沼地と琢磨小路を横目で見遣ってから、猫魔は孤島を見る。

「君も逃げたらどうだい、孤島くん?」

「それはこっちの台詞さ、探偵くん?」

 僕は見た。木剣で九字を切る動作をしている、井上の姿を。

 猫魔の位置からじゃ井上がなにをしているかはわからないはず。

 僕は叫んだ。

「猫魔! 攻撃が来るぞ!」

 井上は唱える。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 行け、蓮華法術式! 妙法蓮華経序品第一みょうほうれんげきょうじょほんだいいち!」

 炸裂音がした。

 僕はとっさに耳を塞いでかがみ込んだ。

 寝室が一瞬で焦げ焦げになったのを確認した。

 間髪おかず、井上は木剣で九字を切っていた。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 蓮華法術式! 妙法蓮華経呪詛毒薬みょうほうれんげきょうじゅそどくやくじゃ! 怨敵を調伏せよ、妙法の下にィィッッッ! 調伏降魔ちょうぶくこうま!」


「呪詛と降魔は、やめておいた方がいいんじゃないか、おっさん。何故って? そりゃおれも同じ〈術式〉が使えるからだよ……。跳ね返せ! 五段祈祷・呪詛還加持法! 術式〈呪詛段〉!」


 リフレクト。

 見えないくらいのスピードで、降り立った〈魔〉が井上の木剣から飛び出して猫魔に向かい、それは反射板で跳ね返った光の、いや、闇のように、猫魔が張った〈経文の巻物の陣〉にぶつかると術者である井上へと打ち返され、井上の前にいた孤島のはらわたをえぐり、次にそのまま直進して井上の腹をえぐって消えた。


「呪詛返しの術式に使う経文を持っていた……だとッ?」

「祈祷の準備はここ数ヶ月掛けて完成させておいたのさ。簡略式じゃないんだぜ?」


 その場に倒れる井上。

 井上をかばうようにして覆い被さって倒れる孤島。

「共に果てましょう、井上先生……」

 震える手で井上の顔を抱き上げ、口づける孤島は、口づけたままで、気を失う。


「猫魔……」

 僕は探偵の名を呼ぶ。

「な。反対方向へ行くのが、今日のおれの仕事だったんだよ」

 外でサイレンの音がする。どんどん近づいてくる。

 パトカーだ。

 それに、救急車。

「沼地と琢磨小路は、逃したのか」

「いや。あいつらなら、教えの通りに脇差しで切腹してるだろうさ。助かるのかな。それはおれにはわからないよ」

「……………………」







 ふははははあぁー、と事務所で高笑いをするのは、百瀬探偵結社の〈魔女〉である、百瀬珠総長だ。

 珠総長はご機嫌そうに、自分の椅子に座っている。

 腕を組みながら、足を机の上に載せて、

「ふふーん。我が輩、プレコグ能力者だから、なにかが起こってそれがお金に変換できるの、わかっていたんじゃもんねー!」

 と、高笑いをやめない。

 幼児体型でエスニックな服を着こなしている女性、百瀬探偵結社の総長である百瀬珠総長は、今回も他方からお金が入ってくるのでウハウハだ。

〈プレコグ〉とは、予知能力の一種のことである。

 お金に関してにしか使わないようだけど、百瀬珠総長が、そのプレコグという超能力を有しているのは事実だ。裏の政府公認のESP能力者、百瀬珠総長。〈魔女〉の名は伊達じゃない。


 事務机で表計算ソフトをカチカチ打っていた事務員の枢木くるるちゃんが僕に、

「うちも行きたかったわぁー、日帰り温泉!」

 と、ふてくされながら言う。

「猫魔お兄ちゃんと裸のお付き合いだなんて、山茶花は贅沢者やわぁ」

「いや、くるるちゃん。温泉も裸のお付き合いもしてないからね? それに……こいつはいつもの破魔矢式猫魔そのものだったよ」

「もう! いつも山茶花は猫魔お兄ちゃんに嫉妬ばかりしてるんやからぁ。仲良くせなあかんよぉ」


 みんなに遅れて事務所の奥の自室からあくびをしてやってくるのは、破魔矢式猫魔だ。

「……おはよう」

「ローテンションじゃのぅ、〈迷い猫〉よ!」

「やめてくださいよ珠総長。その言い方はないよ。まあ、おれが迷い猫なのは本当だけどさ」


 僕はため息を吐く。

「朝からみんな、通常運転だなぁ」

 と、そこにセーラー服を着た黒眼帯の金髪ポニーテイル娘がやってきた。

「今回はあたしの出番はなしだったわけ? ねぇ? あたしなら午前中のうちに事件なんて解決できたわよ! どんな事件だかは知らないけど! おかしいと思ったのよ、あたしだけがオフの日だったなんて。猫魔、最近このあたし、小鳥遊ふゆりちゃんに成績引き離されているから、やけくそになってんじゃないのぉ~?」

 この金髪眼帯娘、名前を小鳥遊ふゆりという。

 猫魔をライバル視している、うちの探偵の一人であり、現役の女子高生だ。

「ふゆりの出番がなくて良かったよ、今回は」

「なんですって? どういうことかしら、山茶花?」

 このやりとりを遮るように、猫魔が僕に言う。

「そういや、孤島の奴はたいした怪我をしなかったらしい」

「ふぅん。井上は?」

「獄死だ」

「獄死? 警察がそんなことを?」

「やったのは〈桜田門〉の連中だよ。表向きは拘留中に刺されたことになってる」

「拘留中に刺されるって……無理な設定つくるもんだなぁ」

「行ってこいよ、葬式」

「誰の?」

「井上の」

「僕が?」

「そうだ」

「一人で?」

「当たり前だろ」


 そうして、僕は渋々と井上というテロリストの葬儀に参列することとなったのであった。







「やぁ、山茶花さん。この葬儀、花輪が飾られていないでしょう?」

 孤島は、元気そうだった。

 おそらく、だが。

 まだ〈仕事〉をするつもりなのだろう。

 本気で、意志を継ぐつもりなのだ、あの井上という仏僧の意志を。

 孤島は誰を〈依り代〉にするのだろう、とちょっと考えて、僕はあの〈寄加持〉の光景を思い出し、かぶりを振った。


「徒花、か」

 六道に至りしその徒花を手折った僕と猫魔は、こいつらのターゲットリストに載っていることだろう。

 人生を語るつもりはないけど、でも、人生ってのはいつも、こうやって巡って行くのだ。

 もしかしたら、それがカルマって奴の本質なのかもしれないけれども。


 孤島たちが愛していたのは、革命の理論だったのか。

 それとも井上という怪僧を愛しすぎていたということだったのか。

 それすら曖昧になる。でもきっと、割り切れるものでも切り離される問題でもないのだろう。

 ただそこに、手折られた徒花があった。つまりはそういうことだ。





〈了〉

   

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