第2話 庚申御遊の宴

「日は香炉こうろを照らし紫煙しえんを しょう


 遥かに瀑布ばくふ 前川ぜんせんくるを


 飛流直下三千尺ひりゅうちょっかさんぜんじゃく


 うたがふらくは是れ銀河の九天きゅうてんより落つるかと」


『望廬山瀑布』 李白



**********************



 光の束が見える。

 暑苦しい夏の夜。

 空には雲ひとつなく、星が瞬く。

 僕の背後にある大きな滝から、その光は現れた。

 発光するバスケットボールくらいの大きさの球が、三つ空中に浮かんでいる。

 僕のこめかみを汗が伝う。

 僕はとっさに、

竜燈りゅうとうだ……」

 と、呟いた。

 竜燈、というのがなにを指すのか、僕にはわからなかったが、そう呟いた。

 その三つの光の球、……おそらくは竜燈が指すものであろうそれは、僕の頭上でぐるぐるまわる。

 まわればまわるほど、その数を分裂しながら増やしていく。

 分裂した球は、オリジナルの大きさに一瞬で成長する。


 ここは丘の上だった。

 丘の上の古刹。

 寺だ。密教寺院の建物が、滝の横に建てられている。

 寺にあかりはともっていない。


 光の球はぐるぐるまわったかと思うと、50個ほど集まり、それは束になり、ここから見える、海の方へと、光の尾を引いて飛んでいく。

 飛んでいく束になったその光は、確かに〈竜〉の形にほかならなかった。


 丘の上の光の束は。

 そこから、飛翔して、海へ。


 竜燈は、大きな一個の光の球になり、光は海辺で花火のように打ち上がる。

 腹にも響く轟音が鳴った。

 その打ち上げ花火の炸裂音は、竜の雄叫びと言うにふさわしかった。

 これは。

 これはまるで。

 山祇 やまつみと龍神のコラボレーションによってつくられたかのようじゃないか!

 僕にはそう思えた。

 そして、意識はそこで絶える……。


 ……………………。

 …………。



********************



 都内。

 世田谷区にある、屋敷と呼べるような敷地面積の家の中。

 依頼人に呼ばれて来た屋敷の奥座敷の中で、僕と探偵は、敷かれた布団の中でうめく老人の姿を見る。

 僕、萩月山茶花はぎつきさざんかの目の前にいる探偵・破魔矢式猫魔はまやしきびょうまは、鋭い目をさらに鋭くして、老人を見ている。

 老人は、老人ではない。まだ20代だ。それが、身体はしわくちゃ、白髮で、寝たきりになっている。

 じいさんになってしまった家の旦那さんを、元に戻してくれ、という依頼だった。


「〈見ざる、言わざる、聞かざる〉だよな」


 猫魔は、僕にそう言った。


 すらっとした身体を包む黒いワイシャツの上にはビジネススーツ。手には特製の黒いドライバーグローブ。

 それが破魔矢式猫魔の探偵としての正装だ。


 一方の僕はパーカーを着ていて、ズボンはジーンズだ。アッシュグレイに染めた猫魔の髪は短めだけど、僕は前髪を垂らしているくらいには、髪の手入れを行っていない。一般的な日本人男性の体型。格好つけても仕方がないので、こんな出で立ちだ。



 今いるこの場所は和風のつくりの大きな屋敷。

 その奥座敷の畳の上に布団を敷いて、よぼよぼの老人が、うめきをもらしている。本当は老人ではない、老人が。



 それにしても。

 見ざる、言わざる、聞かざるとは?

 僕は探偵・猫魔に聞き返してしまう。


「見ざる、言わざる、聞かざるって、三猿って呼ばれている奴だよね。日光の猿軍団がやる奴。でも、いきなりなにを言うのさ」

 僕は破魔矢式猫魔に、尋ねてしまう。


庚申信仰こうしんしんこうでは猿が庚申の使いとされ、青面金剛像しょうめんこんごうぞう庚申塔こうしんとうには、その三猿が添え描かれることが多かったんだよ。山茶花。おまえ、なにも知らないのな」


 ケラケラと笑う猫魔。


「庚申……信仰?」


「『かのえさる』とも言うね。干支の60通りある、そのひとつがかのえさるで、庚申、と書くのさ。日にちを指す言葉だぜ」


「猿とはどう繋がるのさ」


「猿は庚申サマの使いさ。〈縁起〉が良いんだぜ? だから、猿軍団のひとは猿に〈演技〉を教えているのかもしれないな」


「ややこしいけどさ、猫魔。うちの百瀬探偵結社ももせたんていけっしゃへの依頼は、いきなり依頼人の旦那さんが老け込んじゃって、まだ20代前半なのに頭が白髪で真っ白けになってしわしわの顔になって部屋で寝たきりになっている、助けてくれ、というものだったよね。それが〈猿〉の仕業だって言うのかい? 海外の古典ミステリにそんなのあったぞ。まさか、それなのか、猫魔?」


「はぁ。山茶花。おまえって奴は。古典どころか推理小説の元祖のネタだろ。そんな話をしている場合じゃないだろう」


「だって……」


「これは〈三尸さんし〉という〈三匹の虫〉の仕業だ。三猿と同様、庚申サマの〈使い〉さ」


「三尸?」


「まあ、この前にあった『庚申待こうしんまち』の時に禁忌を犯したんだろうね」


「禁忌って、しちゃいけないこと、ってことだよね」


「その通り。庚申待の日は眠らず、慎ましく過ごす。そのときは男女同衾してはいけない。なんとも、破りやすそうじゃないか、この白髮爺」



「いや、白髮爺さんとは言うけど旦那さん、20代だよ、白髮で顔も身体もしわしわだけど。でも同衾……辞書的な意味で言うと、一つの寝具の中で寝て、特に性的な関係を持つこと……を、したのか。でも、庚申信仰なんて、聞いたことないけどなぁ」


「山茶花。おまえは阿呆か。この爺の家系は代々、そういう風に、カレンダーで〈庚申の日〉になったら〈庚申待〉を過ごして来たのさ。それが、伝統やしきたりから離れた現代だから、忘れ去られていて、思わずこの旦那は、〈禁忌〉を犯してしまったのさ。あの〈魔女〉からもらったデータには、庚申待の日に性交渉をした、という記録が残っている。庚申信仰と関わりがないならなにも起きやしないが、家系が代々関わりがある場合には、現代でも禁忌は……発動するだろうなぁ」


「データってどこに? 張り込みでもしてたわけじゃないだろ」


「いや、三ヶ月前の庚申の夜、ラブホテルに入ってる、奥さんではなく、愛人と、な。その記録が、ホテル内のデータに残っていたんだよ。監視カメラにも、映ってる。正直この爺は今、息絶えようとしてしているし、このままでもいいような気もしてくるな。だが。助けてやるよ。うちの探偵結社の総長である〈魔女〉が、助けろって言うからなぁ?」


「あの。うちの百瀬探偵結社の総長である百瀬珠総長を魔女って呼ぶのはよくないよ、猫魔」


「まさか、本人の前では言えないさ」




「それよりも。……まとめよう。代々庚申信仰を持った家の人たちは、庚申待の日に、眠らないで慎ましく過ごすのが、〈しきたり〉なんだね。その庚申待の禁忌のひとつ、〈同衾〉をしたことによって、この旦那さんは白髮にしわしわのじいさんになってしまった、と」




「そういうことだよ、山茶花。眠らないどころか、愛人と〈寝ていた〉んだから。庚申サマの使いである〈三尸〉も、怒り狂ったことだろうさ」


「三尸ってのは虫なんだろ。どこにいるんだ?」


「ここさ!」


 言うが早いか、猫魔はそのドライバーグローブの左手の方で、寝たきりの旦那の顎をわしづかみにした。

 旦那の口が開き、旦那は嗚咽を漏らす。


 掴んでいる左手をそのままにして、猫魔は右手を旦那の口の中に勢いをつけて突っ込んだ。

 僕は思わず目をそらす。

 うひー、と声を出す僕。


 それから視線を戻し、布団の方を見ると、三匹の緑色の芋虫みたいな生物が、旦那の口の中から猫魔の手によって引っこ抜かれた。


「さぁて。ぶっ殺すか。南無八幡大菩薩ってな!」


 ぐちゃり。


 手で握り潰された三尸を畳に投げ捨てる猫魔。

 その緑色の血だまりの中で、うにうに動く芋虫が一匹。

 ここで言う芋虫とは、三尸のことである。芋虫にしか見えないのだ、僕には。

 三尸は三匹いた。

 三匹同時に潰したと思いきや、そのうちの一匹の三尸は、生きていたのだ。


 芋虫のようなかたちの三尸は突然すごいスピードで跳びはね、僕のおなかに飛びつき、僕の身体を突き刺した。

 ヤマヒルの噛みつきを凶暴にしたような、獰猛な唇の歯の刃が、僕を刺したのだ。

 もしくは、巨大アニサキスか。

 こいつを払い落とそうとするが、僕に吸い付いて、引き剥がせない。


「うぎゃっ!」


 この芋虫……三尸が突き刺さり囓られ血を吸われると、僕の身体から力は抜けた。


 白昼夢が見える。悪夢が全身を悪寒に包み込む。


「逃がすかよっ!」


 気を失う寸前、猫魔は僕のおなかから三尸を引き抜き、それから〈特製〉であるその黒いドライバーグローブで握りつぶす。

 引き抜かれた僕のおなかの箇所から、血が吹き出る。

 三尸の緑の血だまりに、僕の鮮血が混じる。

 その血液の量の多さに、血の気が引く。


「あ。死ぬのかな。僕……」



 倒れた僕は、そう呟いていた。

 腸のあたりって、出血も多くなるんだっけ。

 血が。吹き出る。

 最後まで情けない、僕らしいと言えば、僕らしい台詞だった。

 そして視界はブラックアウトした。







「……………………ざんか、…………さ、山茶花ぁ。ん? あ、起きた!」


 気づくと自室のベッドの上だった。

 百瀬探偵結社の事務所の二階の、僕の部屋。

 横を見る。

 そこには、パイプ椅子を持ってきて座っている事務員の枢木 くるるぎくるるちゃんが、泣きはらした真っ赤な目をごしごしこする姿が見えた。

 そのアホ毛つきのシャギーボブの毛先が揺れる。


「うち、心配したんやからぁ。もう目ぇ覚まさないかもって、猫魔お兄ちゃんが言うからぁ」


 僕は頭を下げる。

 顔をあげて、くるるちゃんの頭頂部をぽんぽん、と叩く。

 枢木くるるちゃんは僕のその手を払いのける。

 くるるちゃんのアホ毛がピンと伸びた。


「ごまかさんといでよぉ! 山茶花が死んじゃったら、誰がうちに甘酒をつくってくれるって言うん?」


「ごめんね、くるるちゃん」

「謝ってもダメ! 死なないって、約束して。…………んん? なににやけてんのかなぁ、山茶花? 今、自分がモテてるって思ってるでしょ! そういう意味じゃないからねっ! このバカ山茶花!」


 今度は僕の頭を、くるるちゃんが叩く。

 僕の場合と違い、強力な殴り。

 痛い。


「大丈夫だって。僕、これでも悪運だけは強いんだから。あ、う、痛ててててて。おなかのところも痛い……叩かれた頭と同じくらいに」


「うちのグーと一緒にせぇへんでな? けどなぁ、ほら。三尸って虫に囓られて血がどぱどぱ出たんだから、当然やわ。もう、ほんとバカなんだからぁ……」


「三尸って、一体なんだったんだろう」


「さぁ?」


 くるるちゃんも首をかしげる。

 そこに、いつの間にかいた、開きっぱなしのドアを背もたれにして腕を組んでいた破魔矢式猫魔が、

「説明。一応しておこうか、山茶花」

 と、提案する。

 願ってもないことだ。

 僕は説明をお願いした。


「三尸とは寄生虫のようなもので、庚申の日の夜、眠っている宿主の人体を抜け出し、〈庚申サマ〉にその人間の悪行の告げ口に這い出てくる三匹の虫のことなんだ」


 三尸は三匹、体内に入っている、という。


「上中下の三匹の三尸がいてね。上尸は頭にいて、顔をしわくちゃにし、白髪頭にさせてしまう。下尸は足にいて、生命力と精力を奪う。先日のあの旦那さんは、じいさんになっていたろ。それは、庚申待の禁忌を破った報復で、三尸が行ったものだ。だから、身体が老人になってしまっていたんだ」


「三匹ってことはもう一匹いるんだろ。そいつが、僕のおなかに突き刺さった」


「その通り。中尸というのがいて、こいつは腹中にいて、五臓を傷つける」


「なるほど。で、猫魔は、その庚申サマっていう神の使いをそのグローブで握りつぶした、と」


「そういうことになるな。依頼人がどうにかしてくれって言うから、その通りにしたまでさ。庚申待の夜の不倫が原因なのに。依頼人は奥さんだったけど、離婚とかしてなければいいね」


「してなければいいねって、ひとごとみたいに言うんだなぁ」



 と、そこに、ふははははあぁー、高笑いをする幼児体型の女性がゆっくりと現れる。

 部屋の入り口で立ち止まって、両方の手を腰にあてた。

 この幼児体型でエスニックな服を着こなしている女性こそ、百瀬探偵結社の〈魔女〉である、百瀬珠ももせたま 総長だ。

「依頼金はたーーーーんまりもらったからのぉ! 我が輩、大満足なのじゃ! アフターケアまでは頼まれてないもんねー。後のことは知ったことじゃないわい」


「珠総長まで猫魔と同じような意見なのか……」


 破魔矢式猫魔は百瀬珠総長にお辞儀をすると、直立して、道を空ける。

「な。総長が言うなら、それで良いだろう?」


 鼻頭をかく僕。

「確かに、……そうだね。総長が言うなら」


「ふふーん。我が輩、プレコグ能力者だから、なにかが起こってそれがお金に変換できるの、わかっていたんじゃもんねー!」

 百瀬珠総長は高笑いをやめない。

〈プレコグ〉とは、予知能力の一種のことである。

 お金に関してにしか使わないようだけど、百瀬珠総長が、そのプレコグという超能力を有しているのは事実だ。裏の政府公認のESP能力者が、百瀬珠総長であり、〈魔女〉と呼ばれる所以でもあった。



 猫魔は、両の手のひらをぱちん、と叩いて、自分に視線を注目させる。


「傷なんかもう塞がったろ。さ、カレーうどんをつくれよ、萩月山茶花」

 そう言う猫魔は笑顔だ。

「全く。ひとづかいがあらいな、探偵」


「うちもカレーのおうどん、食べたいわぁ」

「我が輩も食事待ってたからぺこぺこじゃぞ」

 みんなも、僕のつくるカレーうどんが食べたいらしい。




 探偵・猫魔は思い出したようにそらんじる。




「雀一羽落ちるのにも神の摂理がある。無常の風は、いずれ吹く。今吹くなら、あとでは吹かぬ。あとで吹かぬなら、今吹く。今でなくとも、いずれは吹く。覚悟がすべてだ。生き残した人生など誰にもわからぬのだから、早めに消えたところでどうということはない。なるようになればよい」




「なんじゃそりゃ」

 僕の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。


「自力のみを頼ってあれかこれかと悩むのではなく、もうひとつ高い次元で、神の導きのまま自力のすべてを出し切って最善の生き方をしよう、ってな意味さ」


「出典は」


「『ハムレット』。シェイクスピアさ」


「なぜ今、その引用をしたし?」


「あはは。運命の導きのあるがままに自力で最善を尽くせよ、山茶花。おれもそうしてる。カレーうどんをつくるのも、それを最善だと思えればこそだ、な」


「え? なに? カレーうどんの話にしちゃっていいの、その名言を! ま、まあ、つくるけどさ。胃袋を満たすのは最善だよ。みんなにとっても、僕にとっても。カレーうどんという料理に関しても、僕はカレー好きだし、うどんも好き。カレーうどんを邪教の産物とは思わない。僕はカレーうどんに偏見はない」


「高い次元へと上ったようだな、山茶花」


「おかげさまで。アウフヘーベンしちゃったよ! 畜生 めるど!」


 意味も山も落ちもない言葉のやりとりをかわしてから、僕はキッチンへ向かうために。

 身体を起こし、ベッドから立ち上がる。

 意識回復後すぐに料理か。

 でも、動けるって知ってもらえれば、心配をかけなくていいかもな。


「はいはい。今つくりますよーだ」



「猫魔お兄ちゃん、お手柄ぁ」

「だろ?」

「つくるの、僕だけどね!」

 くるるちゃんと猫魔に噛みつく僕は、みんなが集まる中、キッチンへ行くため、歩き出す。

 意外と、歩けるものだった。







 僕、萩月山茶花が所属する百瀬探偵結社の本社は、茨城県の常陸 ひたちにある。

 常陸なんていう田舎の探偵結社に今回の三尸の一件のような東京からの探偵依頼が舞い込んでくるのは、ひとえに総長・百瀬珠の手腕による。

 そもそもが、東京の山の手のお嬢サマなのだ、総長は。

 首都という中央からの太い人脈のパイプが、もとからある。

 プレコグ能力という、強力なESP能力も保有している。

 そのうえ、〈裏の政府公認〉のエージェントでもある。

 僕らは、そのエージェントの、さらにその代行人として、つまり部下として、働いている。

 ここが探偵結社であって、探偵事務所と呼ばないのは、オカルティックな事件の依頼に応えるから、そう名付けられているという点が大きい。

 僕らは身体を張ってモノノケと戦うこともある、ということだ。



 ……そんなことを反芻しつつ、カレーうどんをつくる僕。

 誰も手伝いにこない。

 薄情者めっ!


 さっき、僕が意識を取り戻したときは、そのとき結社の事務所にいたメンバーは集まったけどね。

 薄情ではない、のか。

 なんて言おうか。

 いや、やっぱ薄情者だ!

 この薄情者たちめっ!



「うち、おなかすいたわぁ。山茶花、もっと素早くしてなぁ?」

 枢木くるるちゃんからの言葉を背に受け、エプロンをつけた僕は立ち回っている。


「くるるちゃんも手伝ってよ」

「いややわぁ。手伝わんよぉ、うちはぁ。山茶花のつくったのを食べる方専門やわぁ」

「はいはい、そーですか」

「うちの裸エプロンが見たいなんて言ったらぶち転がすでぇ」

「言わないよ!」


 ほどなくして、料理は完成する。

 山菜の天ぷらも、ついでだからつくった。


 みんな席について、カレーうどんと山菜の天ぷらをもしゃもしゃ食べながら、会話が始まる。







「夜な夜な亡き父の霊が現れるんです」

 七月の昼下がり。

 クーラーの効いた百瀬探偵結社の応接室で、依頼人・佐幕沙羅美さばくさらみは、そう話を切り出した。

 僕と破魔矢式猫魔は、依頼人と向かい合うようにソファに座っている。

 事務員である枢木くるるちゃんが人数分のアイスコーヒーを置いて、奥に戻っていく。

「亡き父親。佐幕ザザさんですね。それで、未亡人になった母親は、果肉白衣かにくびゃくえという工員と再婚した、と」

 猫魔は、総長が作成した資料の紙を見ながら、沙羅美に確認を取る。

「はい。母は、果肉白衣と恋愛で再婚し、今は果肉も家に住んで……います」

 自分の身体を抱きしめるようにしながら、沙羅美は身体をぶるぶる震わす。果肉白衣の名前を出して、下唇を噛む。

「で。亡き父親・ザザさんは沙羅美さんになんと言うのですか? どういうシチュエーションで?」

「…………シチュエーションは、話したくありません」

「大丈夫ですよ、沙羅美さん。おびえなくて大丈夫です。沙羅美さんが性的虐待を果肉白衣から受けているのは、調査済みです」

「……え?」

 沙羅美の声がかすむ。ガタガタ震えが一層ひどくなる。

 猫魔が沙羅美さんに訊く。

「クーラー、切りましょうか」

「いえ、結構です。あの、でも、幻覚なんかではないんです! 父が現れるんです!」

「わかってますよ。佐幕ザザさんは、思い残したことがあって、それを沙羅美さんに伝えようと現れるんですよね」

「なんで……それを知って?」

「勘ですよ。ところで、塗香ずこうの香りがしますね。失礼ですが、沙羅美さんは、なにか宗教的なものを?」

 僕は猫魔に、

「塗香?」

 と聞き返してしまう。

 ため息をして、猫魔は僕に答える。



「塗香とは、密教系寺院で用いられる清めのための粉末香のことだよ」

「密教系寺院……ねぇ」


 沙羅美は、意を決したように、猫魔に話しだす。

「村には今、高名なお坊様を招いているのです。一族の住む村は今、正体不明の疫病に冒されておりまして。当家が招いて、ご教示していただいております」

「村全体が疫病に冒されているのは、国の方で情報統制がされて隠されているみたいですね」

「それもお調べになって?」

「いえ、佐幕家の一族が住む阿加井村にはすでに、うちの探偵結社のメンバーのひとりを向かわせておりまして。それで知っているのです。近くに温泉地があって、そこの温泉宿に宿泊して、喜んでいますよ」

 僕はまた、口を挟んでしまう。

「猫魔。数日前からふゆりがいないのはそういうことなの?」

「そういうことだよ。小鳥遊たかなし ふゆりは阿加井村の近くの温泉宿で毎日卓球台にかじりついているだろうさ。相手がいないから、壁打ち卓球になってるだろうけどね」

「…………」

 依頼人に向き直る猫魔。

「坊さんの名前は」

泡済ほうさいサマ……と村の者たちには呼ばれております。実際の名前は、伽藍がらんマズルカ、と」

「泡済、と来たか。じゃあ、踊り念仏か念仏踊りを教えている最中なのかな?」

 沙羅美の顔が明るくなる。

「おわかりになりますか!」

「もちろん。泡済と言えば、ここ常陸に昔実在した坊さんの名前だからね」

「そうなのか、猫魔」

「はぁ。山茶花。泡済念仏といやぁ、有名だぜ。東京の方でもそれをアレンジした踊りが残っているくらいだ。江戸時代の僧侶だよ」

「へぇ……」

 沙羅美は、声を大きくして、言った。

「亡き父が〈このタイミング〉で現れるその理由を、思い残したそのことは、本当はなんなのか、それが知りたいんです! きっと、村の疫病ともつながりがあると、わたし、確信しております!」

 一拍置いてから、破魔矢式猫魔は、佐幕沙羅美に尋ねる。

「それで。ザザさんの亡霊は、沙羅美さんに、なんとおっしゃるのですか」

「はい。…………竜燈を照らせ、と」

「竜燈を照らせ……か。なるほど。お話、ありがとうございました。現地でお会い致しましょう。それよりも、ぬるくなる前にアイスコーヒーをどうぞお飲みください」

「……ありがとうございます」


 僕は、

「竜燈か……」

 と呟いた。

 なにかを思い出しそうだったが、それは夢かなにかに出てきた単語らしく、頭の中で上手く点を結ばないのだった。








 隣の県。湯の元温泉と呼ばれるところの、あえて選んだひなびた温泉宿に、小鳥遊ふゆりは、いた。

 金髪ロングの髪を大きなリボンで束ね、黒い眼帯をつけている、厨二姫スタイルの女性。

 それは小鳥遊ふゆりに間違いなかった。



 スマホで連絡を取る。到着すると、温泉宿の卓球台に、浴衣姿で壁打ち卓球をしているふゆりはキャーキャー一人で騒いでいるのであった。


「なにやってんの、ふゆり……」

 キャーキャー言ってるものだから、そう声をかけてしまった。

「あたしは昨日の夜、ピンポンの映画を観たのよ。そしたら温泉卓球魂が芽生えてきてねー! これが冷静になれますかって!」

「ピンポンの映画? ああ、イケメン俳優たちが温泉卓球やる映画だっけ」

「ほら、ラケット持ちなさい、萩月山茶花! 勝負よ!」

「仕事は進んでるの、ふゆり?」

「きぃー! なによ、山茶花! 進んでるわよ! 超進んでいるってーの。わかったわよ。阿加井村はこの町の隣にある村だし、行きましょうか。あのクソ探偵・破魔矢式猫魔はどうせ遅れてくるんでしょ。あたしが解決するわ、こんな事件。お茶の子さいさい!」


 大きく息を吐く僕。

「怪盗・野中もやいの奴から予告状が届いて、宝石店が昨日狙われたんだ。品物を死守するために野中もやいと戦った猫魔は、事件後の今日は午前中、ずっと寝てたよ。あとで来るって。僕だけ先に来た。怪盗と戦ったんだぜ、休ませてあげようよ」


「怪盗と勝負なんて、決着をつけられない猫魔はだからダメ探偵なのよ。あたしに任せてくれたら速攻で捕まえるのに。なんで珠総長はあたしに任せてくれないのかしら。高校生だからかなぁ。ん? なに渋い顔してんのよ、山茶花。……ふふん。あたしを甘く見たらダメなのよ? ビタースイートふゆりちゃんなんだから」


「はいはい、わかりましたよ、ビタースイートふゆりちゃん?」

「きぃー! 山茶花に復唱されると悪意しか感じないわー。このむっつりスケベえろげオタクがぁ!」

「うぅ。えろげは悪くない」

「えろげが悪いなんて誰も言っちゃいないわよ。あんたがむっつりスケベでえろげを年中プレイしてるのが問題なのよ! これだから童貞は」

「童貞は余計だろ」

「童貞をこじらせたえろげバカ山茶花のお尻にぶち込んでひーひー言わして泣かしてやりたいわー、このぼぎゃー!」

「まったく。僕は泣きゲー専門なんだ。泣けるストーリーのテキストゲームを専門にプレイしてたら、えろげオタクと呼ばれるはめになってしまっただけだよ」

「うっさいわね! 泣きゲーもえろげに違いはないわよ! 黙れオタク!」

「くっ! 言い返す言葉が浮かばない」

 僕は歯ぎしりした。








 その家の座敷に通されると、それは大きな掛け軸がかかっていた。

 僕が掛け軸を眺めていると、横の座布団に座っているふゆりが耳打ちするように、掛け軸の説明をしてくれる。

青面金剛しょうめんこんごうが〈アマンジャク〉を踏み潰している図なのよ。両サイドにいるのは青衣あおころも赤衣あかころもを着た脇侍わきさむらい、その下には青赤二匹の鬼、猿が三匹、鶏が雄雌二羽描かれている。もともとは農家のひとが怠けているのを見て、〈アマンジャク〉が雑草の種をまいて嫌がらせをしたのね。それを、青面金剛サマってのが怒って、〈アマンジャク〉を踏み潰している。……説明によると、そういう内容の絵の掛け軸なんだそうよ」


 そこに、対面といめんに座っている佐幕沙羅美が、補足を加える。

 どうやら、ふゆりの声は丸聞こえだったらしい。


「ええ。当家の屋敷には、青面金剛サマの塔が松の木の根元にあります。塔には天明八年一月三日と書かれていて、その出来事が事実だったことを物語っておりますのよ」

 僕は佐幕沙羅美と向き合う。

「出来事が事実……ねぇ。って。なんか音が聞こえてきた。んー、と。……あ。太鼓ですね。太鼓の音が聞こえますね。それも、激しいリズムの音だ。屋敷には沙羅美さん以外、今は誰もいないみたいですが、もしかして」

「そうです。伽藍マズルカサマが、村の者たちに〈厄病送り〉の念仏踊りをレクチャーしているのです。今日は、その踊りで夜通し村中を練り歩く予定です。今は、そうですね、リハーサルが始まる頃だったかしら」

「じゃあ、果肉白衣も、そこに」

「ええ。あの男は、太鼓は叩かず、見物に行っているのです。伽藍マズルカサマを招いたのは当家ですから」



「ふゆり」

「なによ、山茶花」

「行ってみよう」

「念仏踊りのリハに?」

「僕らも見物してれば、そのうち猫魔も来るだろうしさ」


「ふーん。いいけど」

「じゃあ、決まりだ」



 僕らは、村を見て歩き調査して、それから集会場に向かうことにした。








 阿加井嶽あかいだけ。阿加井寺薬師という古刹こさつが、嶽の山頂にあった。

 見晴らしがとてもいい。

 遠くに、太平洋の水平線が見える。

 阿加井寺薬師というのは、東北の十二薬師霊場の第一番なんだそうだ。

 この境内の奥には、〈滝不動〉と呼ばれる滝がある。

「急転直下銀玉砕け水霧散ずるさまは壮観にして真夏といえども冷気を覚ゆ」と、立て看板には書かれていた。

 どうも不動明王を祀り水行の場にしている、とのことだ。

 そう。

 この薬師は密教系の寺院なのである。


 いや、僕には説明されてもさっぱりわからないんだけどね。

 今はもう七月。海開きシーズン間近の初夏だからさ。

「真夏といえども冷気を覚ゆ」ってのは、気になるよね。

 そういうわけで、マイナスイオンが満ちていそうな滝の前で、僕とふゆりはしばし足を止める。

 涼しい。



「前から訊きたかったんだけどさ、ふゆりはなんで猫魔にライバル意識燃やしてるの」

 滝壺の前に立つ、ゴシックロリータに黒い眼帯の金髪女子高生探偵見習い、というもはやキャラ立ちが激しすぎる美少女に、僕は訊いてみた。

 なにか声をかけなければ、見とれてしまうかもしれないから。

 性格はともかく、小鳥遊ふゆりが美少女なのは間違いない。


 ふゆりは「ふふ~ん」と鼻を鳴らしてから、勝ち誇ったように、

「あたしは天才だからよ」

 と、僕に答えた。

「は?」

 呆然としてしまった。

 今こいつ、自分のこと、さらりと天才とか言ってなかったか。

「天才? 誰が?」

「あ・た・し・が・よ!」

 自分の胸にドン、と拳を叩いて。背筋をピンと伸ばして。

「あたしはね。本当は今の段階でもどんな大学にでも入れる実力があるの。でも、そーいうのに興味ないし。服が好きだから服飾デザイナーになるための留学を考えてたとこに、総長に出会った。百瀬珠総長は、みんなが口をそろえて言うように、確かに〈魔女〉だったわ。でも、珠総長の下で働きたいと思っちゃった。学力エリートのプライドとナルシズム競争のなかにいるより、〈探偵〉っていうものに興味がわいた。〈本当の世界〉を、魔女はあたしに見せてくれた。本当の世界は、超能力もあれば超常現象もある。凶悪な犯罪を起こすシリアルキラーも聖者のような人間もいれば、怪異だって存在する。それらを全部取り扱う〈探偵結社〉に入るってことが、百瀬珠総長の下で探偵として働くってこと。それなのに話に乗らないなんてバカなことってある? カルトじみてるのは〈裏の政府〉も同じ。探偵結社の事務所が常陸にあるのは、東京の守護神・平将門の魔方陣から逃れつつ将門の件を調査をするって意味合いがある。そのために、〈裏の政府〉が、常陸に百瀬珠総長を常陸守護として配置した。あのプレコグ能力者の〈魔女〉を」



「結構なことだね」


「破魔矢式猫魔は。あの探偵は。珠総長が拾ってきた〈捨て猫〉なのに違いはない。でも、悔しいのよ。総長が一番信頼を置いているのは、その〈捨て猫〉ごときなんだから。総長のプレコグ能力があの探偵を〈選んだ〉のよ。超能力は、天才のあたしじゃなくて、猫魔を選ぶ。あたしは天才なのよ。だから、珠総長の〈魔女の部分〉があたしを求めて体中疼くように、悶え疼くように、あたしは成長して、猫魔から百瀬珠総長を〈奪う〉の。天才のあたしなら、それができる」



 滝の水が打ち付ける音を聞きながら、僕はこの風変わりな女子高生を観る。

 とても考えている。将来のことを。でも、ちょっと普通じゃ考えられない方向に。


「ふゆりはバカだなぁ」

 僕は笑ってしまう。

「なによー。文句ある?」

 恥ずかしそうに顔を赤らめ、ふゆりは頬を膨らます。

 今の自分語りは、確かに恥ずかしいかもしれない。

 が、こんなときじゃなきゃ訊けないことでもあったし。



「リハが終わる前に、太鼓の音の方に行ってみようよ。ここの長い階段を降りて村の中心部に行かなきゃいけないけど」


 小鳥遊ふゆりは言う。

「この山にはこんな寺があって、住職さんはずっと不在だって言うけど、とりあえず古刹があって、それで海も見える距離にあって、村は一族がみんなで住んでいて。のどかで、でも、疫病が流行っているって。それで、坊さんを呼んで」


「疫病が流行っているっていうけど、それは村の人々の主観が混じっていて、本当はこころの病気のことらしいんだ。情報統制は本当だけどね。感染の恐れはなさそうだから、僕らは村に入れた。依頼人の佐幕沙羅美も、こころの病である可能性も高い。でもさ、今、気づいたけど、ここ〈古刹〉だぜ? 古い由緒のある寺のことを、古刹と呼ぶ。そこの住職ではなく、違うところから偉い坊さんを呼んだ?」

 ふゆりの顔が変わる。

 気づいたようだ。

「お堂に入ろう、山茶花!」

「キーの解錠なら任せろふゆり!」


 僕らはこの阿加井寺薬師のお堂のなかに入る。

 入ると、案の定、護摩壇にはりつけにされるようにして、寺の住職の惨殺体があった。内臓ははみ出ていて、蛆と蠅がたかっていた。


「山茶花。黙っていよう」

「こりゃもうずいぶん経ってるぞ、殺されてから。村ってクローズドな空間で騒ぐのは得策じゃないな」


 僕らは互いに目を合わせて頷き合う。

 事件は始まっていた。








 村の集会場は、村の真ん中から少し外れた、畑だらけのその只中に存在した。

 近づくと激しい太鼓とかねの音が聞こえてくる。

 僕は硝子のドアを開けて、集会場の中に入る。

 〈圧〉がこもった、熱気が襲ってきた。

 一瞬たじろいだが、僕とふゆりはリハーサルが行われているであろう大部屋のなかにまっすぐ行く。この音響だ。言われなくても部屋を間違えることはなかった。



 その念仏踊りは、〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉と地元では呼ばれていた。

 隣の県に住んでいるのだ。僕だって名前くらい聞いたことがある。

 花笠をかぶり、太鼓を肩にかけ、また鉦を手にし、ぐるぐる回りながら独特な節の歌を歌う。

〈円舞〉と呼ばれるもので、回りながら歌い、厄病送りをする民俗芸能。それが〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉だ。

 ここに来る前に猫魔から聞いたところでは、民俗芸能には、神楽系、田遊系、風流系、民謡系などがあり、〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉は風流系に属するそうだ。

 宗教的意味合いが強い踊り念仏が風流化、つまり芸能と化したのが念仏踊りであり、〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉だ、という。



 激しい音圧のなか、僧服の壮年男性が、近づいてくる。

 僕らはお辞儀した。その男は、伽藍マズルカだった。


「驚きましたかな、萩月山茶花さん。初めまして、ですね。そして、ここには慣れましたかね、小鳥遊ふゆりお嬢さん」

 思ったより柔らかい物腰で、伽藍マズルカは話す。

 僕は円舞の中から果肉白衣を探す。

 ああ、踊ってないで見学してるんだっけ?


 見つけた果肉白衣は煙草を吸って手拍子している。奥さんの方はどこにいるかわからない。

 確認だけでいいや。

 僕は果肉白衣に話しかけるのをやめた。


 踊りを眺める。


「男性だけでなく、男女混合なのですね」

 僕が言うと、マズルカは豪快に笑う。

「はっはっは。それが〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉なのですよ。わたしは、明治政府が禁止した、その以前の、本来の姿の〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉の再興を目指しております」

「〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉の再興?」

「跳躍念仏が激しく踊るも素朴であることに対し、鎮魂術であるだけでとどまらず種々の装飾、仮装が加わる〈遊びの観念〉の導入。踊り狂う男女がそのまま一夜をともにするほどの狂騒。それが民衆にとっては悪霊退散、〈厄病送り〉になる宗教的要素も持つ、にわかづくりの西洋文明の移入による国家建設をした当時の〈政府〉から睨まれ、廃止された、〈危険なまつり〉である、この〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉。それを再興させるのが、我が務めと思っております」

「……………………」

 狂騒。それは確かに狂騒に違いないのかもしれなかった。本番の踊りを観なければ、わからないことではあったが。



 踊りの文句が熱く激しく、太鼓と鉦の音をバックに、囃し立てた。



 ♪

 おどりおどるのは仏の供養

 田ノ草取るのは稲のため


 盆でば米の飯 おつけでは茄子汁

 十六ささげのよごしはどうだい


 早く来い来い 七月七日

 七日過ぎればお盆さま


 阿加井嶽から七ノ浜観りゃ

 出船入船 大漁船


 誰も出さなきゃわし出しましょうか

 出さぬ船には乗られまい


 磐城ヶ平で見せたいのは

 桜つつじにヂャンヂャンガラガラ


 七月はお盆だよ 十日の夜から

 眠られまいぞなー

 おどりおどるのはヂャンヂャンガラガラ





 男女混成の大合唱。

 圧巻、だった。


 見とれてしまっていると、スマホが鳴った。

 相手は破魔矢式猫魔。

「山茶花かい? 阿加井村に着いたよ。おれ、土地勘がないからさ、駅まで迎えに来てくれないかな。しばらくいるふゆりなら、土地勘あるだろ。二人とも、徒歩で良いからさ。それにしても、そっちは騒がしそうだね」

 到着した探偵からの電話だった。







「日は香炉を照らし紫煙生ず

 遥かに看る瀑布の前川に挂くるを

 飛流直下三千尺

 疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと」



 言い換えよう。

 そう、破魔矢式猫魔は言った。



「日の光が香炉峰を照らし山全体に紫色のもやがたちこめている。

 はるか遠くには滝が前方にある川に掛かって流れ落ちているのが見える。

 滝の水の飛ぶように早い流れはまっすぐ下へ三千尺落ちている。

 水が天の川の最も高いところから落ちてきたのではないかと思うほどだ」



 誰の詠んだ詩だい? と僕が訊くと、滝不動の音の中で猫魔は、

「李白さ。『廬山の瀑布を望む』っていう有名な漢詩だよ」

 と、滝の瀑布を観ながら僕に返した。


 阿加井寺薬師の滝不動に、僕、ふゆり、猫魔の三人は来ている。


「じゃ、まずは暗くなる前に、お堂に入ろうか。死体の確認だ」

 猫魔が言いながら革靴で音を立て歩いていく。

 よどみない足の動き。死体が怖くないのか、と僕は疑問に思ったが、くぐり抜けた事件の量が違うのだ。猫魔は、怖じけない。

 一方のふゆりは、あまり気が進まないようだ。

 立派な探偵になると目標を掲げても、まだ見習い探偵なのだ。仕方ない。

 僕とふゆりは、猫魔のあとに続く。



 僕はまた、解錠する。

 寺のお堂に入ると、最前と変わらず、護摩壇に磔にされた住職の姿があった。

「この寺には、住職しか僧侶がいないんだよね。でも」

 と、猫魔。

「探せばもう一人、出てくるはずだよ、ひとが」


 ふゆりが猫魔に尋ねる。

「ど、どこにいるって言うのよ、猫魔」


「たぶん、ご不浄にいるんじゃないかな。洗面所。女子トイレだよ。ドアノブがあるとこを調べてみてくれないか、ふゆり」

「わ、わかったわ」

 意外に素直に言うことを聞いた小鳥遊ふゆりは、女子トイレに。

 そして、一分も経たないうちに戻ってきた。

「死んでる……。佐幕沙羅美の母親が。ドアノブで首を吊って。どういうこと?」


「そういうことだよ、ふゆり」

「犯人は誰なの?」

「そうせかすなって。住職を殺したのが伽藍マズルカだと思ってたわけだろ。直接手を下しているのは沙羅美の母親だよ」

「伽藍マズルカが怪しいの変わりはないわ」

「今回の事件のキーマンであることに間違いはないね。ふゆりが言うのは間違ってない。とりあえず、警察を呼ぶのはあとにしよう。これから一波乱があるだろうし、〈裏の世界〉が関わる件だったら問題がややこしくなるだけだ。犯人を、突き出せる状態に持っていこう」

 僕は口を挟む。

「猫魔。今回の件は、佐幕沙羅美が亡き父親の亡霊を見るから、亡霊が現れる理由が知りたい、ってことじゃなかったのかい」

「うん。それが受けた依頼だ。だが、入り組んでる糸をほぐさないと、事件の解決はできないぜ?」


「死体の前で話すのは嫌だよ。ここを早く去ろうよ、猫魔」


 猫魔は僕の言葉を遮る。

「滝のところにもう一度行こう」

「なんでだよ」

 怒り気味の声を出してしまう僕。

 探偵は答えた。

「この村の観光資源になりそうだったのはここ、阿加井嶽なんだぜ。〈竜燈〉が出るって伝説が残っているからね。竜燈ってのは、竜のかたちをした正体不明の炎の球だ。この阿加井嶽にはそいつが出るっていう伝説があるんだ。それにここの寺は東北の十二薬師霊場第一番でもある。今は誰もいないみたいだけど。寂れてるけど霊験あらたかなんだぜ。ちゃんと観ておきたい。沙羅美の父の亡霊も『竜燈を照らせ』って言葉を吐くって言う話じゃないか」

 猫魔はスタスタと歩いて行く。


「まずはクールダウンしようぜ」


 自分勝手に見えるけど、考えているんだな、探偵も。

 急ぎすぎても焦るばかりで空回りするかもしれないし、話に乗ろう。







 …………あなたたちが学んできた歴史というものは、支配者の側が記録した資料によって組み立てられたものなのです。

 それに気づいて欲しい。

 たとえば、江戸時代の農民というと、五人組制によって厳しく管理され、また慶安の御触書にあるように、むごく質素な生活をしていたと思われがちです。

 しかし、当時の人々も、美しいものを美しい、うれしいことをうれしい、悲しいことを悲しいと感じる人間であったわけです。むしろ今の人間よりも情緒が豊かで、素晴らしい感性を持ち合わせていたかもしれない。ところが歴史書を読むと当時の農民は、なにか心を持たない生き物で、ただ単に物を生産する機械のように描かれることが多いのです。新政府が取り入れようとしていた西洋の文明。その移入によって国家を建設しようという時代、旧態依然とした西洋文明とは異なる文化に属するヂャンヂャンガラガラは風紀を乱すとして危険視されたのです。

 ですが、わたしはこの踊りを、もとのかたちに戻したい。支配者の史観で物事を見るのではなく、根源から湧き出る力強いこのヂャンヂャンガラガラを〈再興〉したいのです。

 そしていまここに、本来のエネルギッシュなヂャンヂャンガラガラの再興が起こる。

 それは悪霊退散に繋がる、この地に蔓延した厄を祓う〈厄病送り〉の色彩を帯びたものとなる!




「と、まあ、そう伽藍マズルカは言っていたわけだけど」


 僕は戻ってきた滝不動の前で、猫魔に、マズルカの言ったことなどを話した。


「よく覚えてられたわねぇ、山茶花」

 あきれた顔をして、小鳥遊ふゆりが僕に言う。

「ま、仕事だからね」

 そう返答するしかなかった。


 猫魔は思案気な顔をしている。

「鉦の音の〈ぢゃんぢゃん〉と、太鼓の演奏回数を数える助数詞の〈がら〉を合わせて、ひと呼んで〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉。ルーツは泡済念仏だと言うし、伽藍マズルカもまた、どこからか〈流れてきた者〉で、その彼が、この地に元からあったヂャンヂャンガラガラの再興を目指していて、手始めに〈厄病送り〉をしよう、ってわけだ。なるほどなるほど、なるほどねぇ」


「僕にはさっぱりだよ、猫魔」


「このヂャンヂャンガラガラの円舞で歌われる歌詞には、阿加井嶽の名前、出てくるだろう?」


「うん。出てくる。ていうか、なんでそれを知ってるのさ、猫魔。聞いてたのか?」


「聞いてないよ。ここの阿加井嶽はとても有名な〈竜燈伝説〉があるって言っただろ。だから、ここの地元のまつりには、歌われるだろうなぁ、と思ったのさ」


「それがどうしたのさ」


「あ! そっか!」

 ふゆりがいきなり飛び上がる。


「ん? なに? どういうこと?」

「バカねぇ、山茶花。なんで流れの坊さんが、ほぼ滅んでいた、阿加井村でしか使用できないような歌の文句を内包した念仏踊りを、よりにもよって現地の村人にレクチャーしているのよ? 知らない村の風俗を研究してる学者だという線もあるけど、そうじゃないとしたら」


「あ。つまり、この村となにかしらの〈縁〉が、伽藍マズルカには最初からあった、と」

「そうよ。だいたい、関係ない奴を連れてくるわけもないでしょうし。連れてきたのは、佐幕家の者でしょ。と、なると次に向かうのは」


「佐幕沙羅美の住む屋敷というわけか。伽藍マズルカとこの村の一族の関係性を探れば、なにか掴めるかもしれないよね」



 破魔矢式猫魔は、

「そろそろ宵の時刻だ。街灯もろくにない村なんだから、早く用事を済ませたいところだね」

 と、だるそうに言う。


「じゃあ、次に向かうのは」

 僕が猫魔に確認を取ると、

「ふゆりが言った通りさ」

 とだけ言って、背を伸ばしたり、ストレッチをして、歩くのに備えていた。







 思い出す。

 佐幕沙羅美が探偵結社の応接室で「村には今、高名なお坊様を招いているのです。一族の住む村は今、正体不明の疫病に冒されておりまして。当家が招いて、ご教示していただいております」と述べていたことを。



 佐幕邸。座敷。



 …………青面金剛が〈アマンジャク〉を踏み潰している図なのよ。両サイドにいるのは青衣・赤衣を着た脇侍、その下には青赤二匹の鬼、猿が三匹、鶏が雄雌二羽描かれている。もともとは農家のひとが怠けているのを見て、〈アマンジャク〉が雑草の種をまいて嫌がらせをしたのね。それを、青面金剛サマってのが怒って、〈アマンジャク〉を踏み潰している。……説明によると、そういう内容の絵の掛け軸なんだそうよ。


 説明を受けた、あの掛け軸がかかっている。

 破魔矢式猫魔は、その掛け軸を観て、

「庚申御遊……か」

 と、呟いた。



「どうぞ、煎茶ですが」

 佐幕沙羅美が、人数分の煎茶を持ってきて、テーブルに置いた。


「佐幕ザザの亡霊が現れるシチュエーション。それは疑いもなく、沙羅美さんが性的虐待を果肉白衣から受けているとき、で間違いありませんね」

 猫魔は、湯飲みを持ち、煎茶を口に運ぶ。

「はい」

 沙羅美は頷く。

「母親にそれを話しても、母親は阿加井寺薬師の住職とデキていて、放っておかれていた。果肉白衣は、そもそも一族の〈弱みを握っていて〉、村の一族の本家筋である佐幕家に近づき、沙羅美さんの母と再婚というかたちで内部に入り込みましたね。自分の子種を残すなら、若い沙羅美さんの方が都合が良い、と果肉白衣は踏んだ。だから、沙羅美さんの肉体を夜な夜な蹂躙していた。あなたは寺の住職にも相談に行っているはずだ。住職は、古刹の住職という、この土地の名士でしたからね。塗香は、密教系の寺院で使われるものだ。そして阿加井寺薬師は密教系の寺。しかし、本物の悪霊・果肉白衣には塗香の力は効かなかった。人間の悪党からの蹂躙を防ぐことは、塗香なんかじゃできるわけがなかった。気に病んでいたのでしょう。〈事が運んだ〉今、母は住職を殺し、母は後を追うように自ら命を絶っていましたよ」


 沙羅美は、震える手で湯飲みを持ち、茶を一口飲んで、テーブルに戻す。

 猫魔の方は、茶を飲みながら、水ようかんを切って、食べる。

 咀嚼後、また話に戻る。


「庚申信仰は、いろんなのが混ざっているけど、密教系の流れもあるんだ。そこの後ろに飾ってある青面金剛ってのは、庚申信仰の本尊だ。この屋敷の庭にある青面金剛塔ってのは、普通は〈庚申塔〉と呼ばれるものだ。あと、村をまわってきたけど、塚が至る所にある。それは、〈庚申塚〉と呼ばれる、これまた庚申信仰に関わる塚だ。つまり、この村は庚申信仰の村で、一族はその流れをくむ一族、というわけだ」


「はい。そうです」



「だが、踊り念仏とは浄土系の流れを汲む。もとは遊行……つまり僧が布教や修行のために各地を巡り歩くこと、を指すんだが、その遊行で現れた常陸の坊様が泡済で、この土地の芸能であるヂャンヂャンガラガラおどりをつくったのが、宗教性を脱臭させて残った、とも言える。いや、ダブルスタンダードなのかもしれないが。そこが今回、沙羅美さんが亡き父の亡霊の言葉通りに〈完成させたい〉ことに関わることなのだろうけど、じゃあ、言葉を読解したとしてなぜ僕らをあえて呼んだのか、だ」


 僕は目を丸くした。

「解読されてるだって!」


「まあ、そうせかすなよ、山茶花」

 探偵は、僕をなだめる。


「果肉白衣は、沙羅美さんが呼んだ伽藍マズルカとつるんだ。本来のヂャンヂャンガラガラおどりは、変装や女装、男装などをして夜通し男女混合で踊り狂う。家父長制と、貞淑で慎みを持った女性を育成したかった明治政府から睨まれたのは、これまた事実だろう。〈規律型権力〉を発動して富国強兵に都合良く、農民の性愛への奔放さやおおらかさを縛り付けたかったのさ。マズルカがやっているのは、それとは真逆の試みだ。夏祭りの日には性犯罪が増えるって話、知ってるだろ。そう、祭りは普通でも危ないものでもあって、それが〈ハレとケ〉の〈ハレ〉であるから、難しいんだ。それはともかく、愛がないとはいえ自分の妻である沙羅美さんの母が密教系の寺の坊さんと寝てるのは気に食わないってところに、自分が虐待している沙羅美さんが呼んできた、別の宗派の坊さんが招かれて、男女が夜通し踊り狂いときにまぐわるセクシャルな意味合いを持つ踊りの再興を目指す、自分の欠如した倫理観と合致した人物だったらどうか。沙羅美さんをさらに追い詰めるために、伽藍マズルカに接近して仲良くなろうとするだろうね。そして、そうなった」




 そこまで言うと、話を区切って、猫魔は水ようかんを平らげた。

 もう夜の帳が下りた。

 と、同時に、太鼓と鉦の激しいリズムと歌声が聞こえてきた。

 ヂャンヂャンガラガラおどりが、始まったのだ。


 佐幕沙羅美は、涙を流す。



 そこに小鳥遊ふゆりが猫魔に食いかかる。

「おい、猫魔! 想像だけで物言ってんじゃないわよ! あんたの妄想全開の物語、ひどすぎるわよ! 沙羅美さん、泣いちゃったじゃない! あんた、謝りなさいよ!」



 猫魔は、ふゆりに答える。いささか、変則的な答えを。

「平安貴族の庚申御遊が江戸時代になって庚申待となったんだけど、その庚申待には、〈禁忌〉がある。庚申御遊だって、同じ禁忌がある。〈庚申御遊の宴にある禁忌〉だぜ。庚申の日は夜通し起きていないとならないが、男女が同衾してはならない。今年の庚申は七月の上旬。ていうか、今日が庚申の日だ。ここの村の一族は基本的には庚申信仰の一族だ。信仰の〈禁忌〉は守るに越したことはないよな。それからヂャンヂャンガラガラおどりは、いろんなタイミングでやるが、激しいのは盆踊りと神社仏閣の宵祭りのときだけだ。…今夜、激しいヂャンヂャンガラガラおどり行う意味がわからないだろう。しかし、マズルカには今夜、行いたい理由があった。それは、〈今夜が庚申待だから〉だよ」








「雀一羽落ちるのにも神の摂理がある。無常の風は、いずれ吹く。今吹くなら、あとでは吹かぬ。あとで吹かぬなら、今吹く。今でなくとも、いずれは吹く。覚悟がすべてだ。生き残した人生など誰にもわからぬのだから、早めに消えたところでどうということはない。なるようになればよい」


 猫魔はまた、『ハムレット』の同じところを引用する。


「なんじゃそりゃ。関係あるのか、猫魔」


「最善の生き方をするためには、覚悟して自分が最善だと思うことを成すべきだろうなぁ、ってな」


 ヂャンヂャンガラガラおどりが始まった音が聞こえ出す。


「始まったか……」

 破魔矢式猫魔は、大きく深呼吸した。



「今夜が庚申待の日なのに間違いないんだろうな、猫魔!」

「間違いない」

「僕は、最善を尽くす」

「なにもできないと思うぜ。沙羅美さんの計画はこの村が抱えるには大きすぎる。破綻を見ていても、罰は当たらないと思うぜ」


「もうひとりいるだろう。伽藍マズルカ。あいつは一体なんなんだ」


「確かめたいなら、行ってこいよ。特に止めもしないさ」



 僕は玄関で靴を履き、駆けだした。

「僕は愚者だから、経験で学ぶしか……ないんだ!」







 僕は走る。「ああああああああ!」と、大声で叫びながら。

 そうしないと、やりきれなかった。

 だって。だって。そんなのないだろう。

 僕は愚者だから、経験で学ぶしかなくて。





 おどりおどるのは仏の供養

 田ノ草取るのは稲のため


 盆でば米の飯 おつけでは茄子汁

 十六ささげのよごしはどうだい


 早く来い来い 七月七日

 七日過ぎればお盆さま





 歌が聞こえる。ヂャンヂャンガラガラおどりの。それは囃子と言うには激しすぎて。遠くから聞いたら怒号や罵声のようにしか聞こえない。

 もともと、僕の住む常陸から東北にかけての方言混じりの話し言葉は、罵声のようで、それが早口と強いアクセントと大声で放たれるわけだから、まつりの歌がお上品なわけがなかった。

 お上品だとは全く言えない、農民の、パワーがあふれる歌。

 走ると、だんだん近づいてくる。

 太鼓と鉦のビートが、耳とおなかを打つ。





 阿加井嶽から七ノ浜観りゃ

 出船入船 大漁船


 誰も出さなきゃわし出しましょうか

 出さぬ船には乗られまい


 磐城ヶ平で見せたいのは

 桜つつじにヂャンヂャンガラガラ


 七月はお盆だよ 十日の夜から

 眠られまいぞなー

 おどりおどるのはヂャンヂャンガラガラ






 慎ましくなんて、できやしなかったのかもしれない。

 疫病が流行っていると噂され村は閉鎖状態に近く、それは情報統制され。

 こころはむしばまれ。そこに『厄病送り』をする、という名目で。

 一族を掌握し復讐するために一族の本家筋と再婚し、子供を自分の娘に産まそうとした果肉白衣と。

 一族に縁を持つ〈流された者〉である伽藍マズルカ。

 マズルカは、〈間引きされる〉代わりとして、村から〈流された〉という。滝不動の下で、破魔矢式猫魔は、僕にそっと教えてくれていた。


 倫理観を責めても仕方がないが、二人は共謀して。

 この、僕の今目の前に広がる〈乱交〉を行わせて、村への復讐にしたかったのだろう。


 だが。

 果肉白衣の思惑は、佐幕家の娘、佐幕沙羅美に利用された。

 沙羅美は、〈庚申待〉の日に、伽藍マズルカに〈ヂャンヂャンガラガラおどり〉を行わせた。マズルカは、〈泡済〉サマだ。泡済とは、〈狂僧〉のことを指す、と辞書には出ている。マズルカは、了承しただろう。


「確かめたよ、伽藍マズルカ。あいつは泡済サマだよ、間違いなく、な」



 広がるこの景色は。

 村中の男女が男装・女装をしながら〈同衾〉をしているなか、花笠を着た太鼓と鉦を打つ音楽隊が円舞をしている光景だった。



 その乱交の男女、音楽隊の円舞の連中も、腹を食い破られていた。

 内臓が飛び出して血を吹き出している。

 だが、その腰の動きが止まらず、各々、奇声を発していたのだった。

 化粧をしたおどりの中の人々は白髪でしわくちゃに体中がなっていき、足はもつれ、そして内臓は芋虫のようなものに食いちぎられ血を吹き出している。

 血を吹き出し踊る念仏踊りの人々。

 この世の終わりのようだったし、……村はもう、終わりなのだろう。


 身体を老化させ、足を立たなくさせ、内臓を食い破る。

 そう、これは〈三尸〉の仕業だ。


 庚申待の〈禁忌〉を犯した者たちを、三尸が殺そうとしている。

 いや、もう人々は死んでいて、死者が躍っているのかもしれなかった、この狂乱の踊りを。セックスを。乱交を。狂騒を。

 村の一族は庚申信仰だった。その一族が、庚申サマに罰を与えられている。マズルカが言うところの、まつりの〈本来の姿〉と一族は相容れない。宗派の共存を、現代の〈泡済〉が打ち破ったのだ。

 罰を与えられながら、人々は死にながら踊りの恍惚に溺れ、夜の饗宴を繰り広げている。


 僕は死者の乱交のなか、己の無力感に、崩れ落ちる。

 膝立ちのまま、〈探偵〉として人々を〈救えなかった〉ことを、悔やみ、くちびるを噛む。

 涙が地面に落ちる。


 そのときだ。

 太鼓と鉦と歌と乱交の狂騒を突き抜けて、阿加井嶽の上から、大きな鐘の音が響いた。

 一度鳴っただけで、場の空気を一変させた。

 一瞬の沈黙。

 沈黙したときに、間髪おかず、鐘がまた鳴らされる。

 鐘は、一秒間隔で、連打される。速い。お坊さんが鳴らしているとは思えない、連打だ。



「これは……猫魔か?」

「……そうよ、山茶花」


 背中を振り返ると、小鳥遊ふゆりが立っていた。


 寺の……阿加井寺の鐘の音に反応したように、一斉に人々の身体の中から這い出た三尸たちが飛び跳ね、ものすごいスピードで阿加井寺に向かって列をなし、向かって行く。



 三尸たちの束が、阿加井寺まで繋がって、一本の綱のようになるのを、僕とふゆりは黙ったまま、観ていた。


 夜の、星々が瞬く中。

 寺の、おそらくは鐘のある場所まで繋がったところで、灯がともった。

 それは炎となり、まぶしい光を放つ。

 光が僕らを照らす。

 炎の束が、嶽からここまでを燃やした。

 横繋ぎになった、波打ち燃える火の柱。

 三尸が出すピーキーな咆哮が聞こえるのは、僕の幻聴だろうか。

 その姿、長く続く炎の束を観て、僕は声を出していた。



「炎の竜が、鳴いている。竜燈……。これか、『竜燈を照らせ』ってのは…………」



 ふゆりは言う。

「一杯食わされたわね。因襲を破り、終わりにしたかったのよ、佐幕沙羅美は。自分が陵辱の餌食になったのも、一族の因襲が招き寄せたものだ、と思ったのでしょうよ。それで、遠大な計画を立てた」



 竜燈は、波打ちながら海に向かって進んでいく。



「破魔矢式猫魔が、鐘で〈煩悩を祓って〉焼いたのね。あの護摩壇でも使用して。住職も、中尸に食い破られていたみたいよ、この前の庚申のときに、なにかの禁忌を犯して。そこに、とどめを刺したのは、佐幕沙羅美の母親だったみたいだけど」




 寺から十六キロ先に、海がある。

 寺から海まで、三メートルくらいの高さになって、その十六キロに渡り竜燈が飛ぶ姿は、圧巻だった。僕には描写なんてできない。この世のものとは思えなかった。


「これを見越して、〈裏の政府〉も、情報統制を最初から、していた…………?」


「さぁ。知らないわ。探偵が三尸を燃やすのも想定済み。〈解読されていた〉ってのも、そういうこと。全部、茶番だったわ。庚申御遊の夜の茶番…………」


「山祇と龍神のコラボレーションみたいだ……」


「……終わったわね、事件。帰る準備でもしましょ」


「さっぱりしてるね、ふゆり」


 顔を上げると、そうじゃないのがわかった。




「そんなわけないじゃない。……悔しい。また、あの探偵に、負けた…………」




 泣いているのは、僕だけじゃなかった。

 違う理由だけど、小鳥遊ふゆりもまた、泣いていた。

 竜燈の光に映し出されるこの美少女の涙を、僕は美しいと思ってしまった。

 だから僕は、目をそらして、ただ黙っていたのだった。








 ふははははあぁー、と事務所で高笑いをするのは、百瀬探偵結社の〈魔女〉である、百瀬珠総長だ。

 珠総長はご機嫌そうに、腰に手を当て瓶の珈琲牛乳を飲む。

 背が高くなりたい総長は、朝、シャワーを浴びたあと、よく珈琲牛乳を飲む。


 事務机で表計算ソフトをカチカチ打っていた事務員の枢木くるるちゃんが僕に、

「山茶花ぁー、総長とうちと猫魔お兄ちゃんの分の甘酒買うか作るかしてよぉー」

 と、ふてくされながら言う。

「なんでそんなにふてくされた顔をしてるかなぁ、くるるちゃん」

「うちも参加したかったわぁー、温泉卓球!」


「いや、温泉卓球をしに行ったわけじゃないんだけどね? それに、今は甘酒の季節じゃないんで、つくりません」

「今は冷製甘酒ってのもあるんよぉ。知らないの、山茶花ぁ?」

「知りません。つくらないよ、そんな邪道な甘酒は」

「邪道じゃないもんっ」

 ぷい、っとそっぽを向く、くるるちゃん。



 自分の椅子に座った百瀬珠総長が、腕を組みながら、足を机の上に載せて、

「ふふーん。我が輩、プレコグ能力者だから、なにかが起こってそれがお金に変換できるの、わかっていたんじゃもんねー!」

 と、高笑いをやめない。




 高笑いの中、事務所の奥の自室からあくびをしてやってくるのは、破魔矢式猫魔だ。

「……おはよう」

「ローテンションじゃのぅ、〈迷い猫〉よ!」

「やめてくださいよ珠総長。その言い方はないよ。まあ、おれが迷い猫なのは本当だけどさ」



 僕は辺りを見回す。

「あれ? ふゆりはどうしたの」

 僕がくるるちゃんに訊くと、

「ふゆりちゃんはねぇ、女子高生なんよぉ。うちも同じく女子高生。学校に行くのは当然やよぉ。うちも用意せんとぉ」

 と、言う。


 そうだった。僕も今日の準備をしなくちゃ。


 ……青面金剛しょうめんこんごうが〈アマンジャク〉を踏み潰している図、か。

 今回の事件、一体誰が〈アマンジャク〉だったんだろうな。



 日常に戻った僕たちは、各自頭を切り替えて、次に進む。

 なぜならここは探偵結社で、僕らは探偵だからだ。




〈了〉


参考文献:夏井芳徳『ぢゃんがらの夏』

  

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