百瀬探偵結社綺譚

成瀬川るるせ

第1話 泰山に北辰尊星の桜吹雪を

岱宗たいそう 如何いかん

齊魯せいろ  せい いまをはらず。

造化ぞうかは 神秀しんしゅうあつめ、

陰陽は 昏曉こんぎょうわかつ。

胸をとどろかせば 曾雲そううん 生じ、

まなじりを決すれば 帰鳥きちょう る。

かならまさに 絶頂をしのぎて、

一覽すべし 衆山しゅうざんの小なるを。


杜甫『望嶽』




**********




 僕、萩月山茶花はぎつきさざんかが夜の十時頃、事務所の入っているビルのベランダに出てセブンスターを吸っていると隣の部屋のベランダから、

「よぉ、少年。煙草なんて吸っちゃってさ、わりぃ奴だな。うっしっし」

 と、声がかかった。隣と隔てる壁を越えて、身を乗り出すように隣室ベランダを見てみる。

 そこにはいつも通りキャミソールにショートパンツという格好で、ビール缶片手にラッキーストライクを吸っているお姉さん、更科美弥子さらしなみやこさんがうっしっし、と笑っている姿を補足することが出来た。

「下着同然の姿で煙草にアルコールですか。美弥子さんの方が不良なのでは」

「山茶花少年。そんなこと言って、わたしのキャミ姿に欲情してるのは知ってるんだぜ」

「うっ」

「うっしっし。言葉に詰まるな、そんなことくらいで。むしろ至近距離でお姉さんのキャミソールに生足の姿を拝めることを誇りに思えよ」

「そんなこと言っても……」

「頑張れよ、少年。お姉さんは萩月山茶花少年に期待しているのだよ?」

「またまた、そんな。おだててもなにもでてきませんよ」

「おだててるわけじゃないさ。おまえのとこのボス、百瀬珠ももせたまという〈魔女〉は、一筋縄ではいかないって話をしているのさ。だいたい、ここ常陸ひたちで探偵事務所開いて、なにをしたいかといや、平将門と10年前のあの〈厄災〉の関連性について調べているわけだろ?」

 そう、僕は〈魔女〉こと百瀬珠総長のもとで、探偵業の雑用係として働いている。

 常陸市にある、〈百瀬探偵結社〉の一員として。

 そしてこのビルのこの部屋は、社宅代わりの僕の部屋だ。

 ビールをぐびっと飲み、煙草を吸ってから、更科美弥子さんは僕に釘を刺す。

「……少年。気を抜くと取って喰われるぜ?」

 僕は更科美弥子さんの目を見て、

「肝に銘じておきますよ、美弥子さん」

 と言い、煙草の紫煙を吐く。

「取って喰われるなんて、そんな運命に従順でなんて、僕はいられないですから」

「うっしっし。言うじゃん、少年。今度お姉さんが抱いてあげよう」

 僕はもう一口セブンスターを吸って、煙を空中に吐き出してから、

「嘘ばっかり」

 と、薄く笑った。

 すると、ぴーんぽーん、と玄関のチャイムが鳴る。

「美弥子さん。お客さんが来たみたいなんで、失礼します」

「探偵くんかな? うん。おやすみ」

「そんな格好で風邪引かないでくださいね」

「そっちこそ……死ぬなよ。くだらないことでは、ね」

 僕はセブンスターを携帯灰皿でもみ消して、ベランダから室内に戻る。

 玄関外のモニタで廊下に立っているのが破魔矢式猫魔はまやしきびょうまだと判別すると、僕は扉の鍵を開けて、この〈探偵〉を向かい入れるのだった。




**********




 ネコ科の動物のような鋭い目。アッシュグレイの髪の毛に、スーツと黒いドライバーグローブ。

 これが破魔矢式猫魔、……探偵だ。

 百瀬探偵結社・総長の百瀬珠のお気に入りでもある。


「美弥子さんとでも話していたのかな、山茶花」

 扉を開けてすぐに、探偵はそう言った。

「なんでそのことを。聞こえてた?」

「いや。山茶花が嬉しそうな顔をしているからさ。もちろん、嬉しそうなのはおれが来たからじゃないだろうし、ひとり部屋で嬉しそうにしているのも変だ。そして、煙草のにおいがする。ベランダで煙草を吸っているときに、隣室の更科美弥子さんとしゃべってたのかな、と予測しただけさ。なにせ山茶花は美弥子さんの〈お気に入り〉だからな」

「お気に入りじゃないよ、猫魔。それを言ったら猫魔は」

「珠総長はおれの〈飼い主〉なだけだぜ。魔女には猫がつきものってことさ」

「ふーん」

「スコッチ・ウィスキー持ってきたぜ。一緒に飲もう」

 酒瓶を持った手を上げて、ウィスキーを見せる猫魔。

「シーバスリーガルの18年ものか。いいね。飲もう」

 僕は猫魔を部屋に招き入れる。



 ダイニングテーブルに氷とミネラルウォーター、それからマドラーとコップを用意する僕。

 猫魔は椅子に座り、それを眺めている。

「あいにく酒の肴がなくてね。モッツァレラチーズならばあるにはあるよ。どうする」

「持ってきてくれるとありがたいな」

「はいよ」

 ウィスキーの水割りを二人分つくる猫魔の向かい側に座った僕は、モッツァレラチーズをスライスしたものを置く。


 酒を飲み交わしていると猫魔は僕の本棚を眺め、シャルル・ボードレールの『悪の華』の翻訳本を見つけ、本棚から取り出して、パラパラとページをめくった。

「山茶花、明日は女子校にお邪魔することになるんだよな。おまえのことだからどうせ〈秘密の花園〉って思ってるんだろうなぁ」

「現実はそうじゃないってことくらいわかるよ」

「だが、百合は憧憬のまなざしで見る者は昔からいるよな。その中でも有名なのが、このボードレール様だよ」

 シーバスリーガルのピリリとした刺激を舌で感じながら、僕は、

「そうなのか?」

 と、猫魔に訊いた。

「そうだよ」

 即答だった。

「『禁断詩編』の、『レスボス』と『地獄に落ちた女たち~デルフィーヌとイポリート~』が、それに該当する。デルフィーヌとイポリート。ギリシア風の名前で、ギリシアと言えば古典悲劇だろうよ。その古典悲劇を抽出して当世風にボードレールは読み替えた。レズビアンを近代のヒロインだ、と組み替えたんだな。ただ、ボードレールがその〈モチーフ〉の先駆者ではなく、先行する作品を書いたり描いた者たちがいる。それを踏まえての、ボードレールだ」

「先達がいたのか」

「ああ。バルザック『黄金の眼の娘』、ゴーティエ『マドモアゼル・ド・モーパン』、デラトゥーシュ『フラゴレッタ』だ。絵画ではドラクロアで百合にボードレールはお目にかかっている。ボードレールが美術批評をやっていたことを忘れちゃダメだぜ。ボードレールはドラクロアの絵の批評の中で〈地獄的なものへの方向にある近代女性のヒロイックな顕示〉について語っている。このモチーフはサン・シモンズに淵源を持っている。シモンズはしばしば両性具有の観念に価値を見いだしていた。シモンズのサークルに、ボードレールもいたことがあるからな」

「でも、『レスボス』と『デルフィーヌとイポリート』じゃ、だいぶ違う印象を受けるな」

「このふたつの詩は、対極的な傾向があるな。『レスボス』はレズビアン賛歌なのに対し、『デルフィーヌとイポリート』は情熱への〈断罪〉なんだ」

「賛歌と悲劇……か」

 ウィスキーをやや多めに口に含む僕。

 猫魔はチーズを囓ってスコッチで流し込んだ。

「ボードレールは、〈芸術の中の百合〉という〈幻想〉を見ていて、現実の百合は見ていなかったんだぜ。ボードレールは近代のイメージの中に彼女らのための場所を置いた。けど、現実の中に彼女らを再認することはなかった、という」


 一呼吸置いてから、猫魔は言った。


「〈堕ちていけ、堕ちていけ、憐れな犠牲者どもよ〉というのが、ボードレールがレスボスの女たちに手向ける最後の言葉だったのさ」



 僕は酔っ払いはじめていた。

 なので、混濁する頭で、

「なるほどねぇ」

 と、頷いただけだった。


「百合賛歌と、百合の悲劇、か……」




**********




 もう葉桜の季節だ。

 なのに、この女子校に続く桜並木のソメイヨシノはどうだ。

 なんと、ほかの場所では葉桜になっているのに、この並木道、それから学校の校庭にある桜は全部、満開である。

 狂い咲きとはまた違う……咲くのが遅かったのか?

 いや、そんな話は訊いていない。

 むしろ〈咲き続けている〉ことで、ちょっとしたニュースになっているのだ、この女子校のソメイヨシノは。

 僕は樹の上を眺めながら歩く。

 着いたのは常陸女子高等学校。

 うちの探偵事務所、〈百瀬探偵結社〉で働く、女子高生探偵の小鳥遊たかなしふゆりの通っている学校に到着したのである。

 百瀬珠総長の命令で合法だとは言えども、女子校に入っていくのは、恥ずかしい。

 それはともかく。僕はふゆりのいる教室を探すことにした。




 授業が始まる。

 教壇に立つ女性担任教師が、軽く説明する。

「えー。今日は抜き打ちで父兄参観日とさせていただきました。常陸女子高等学校がどんなカリキュラムを組んでいるか、父兄の方々に見てもらった方が良い、との校長先生のご判断によります。特別授業はありますが、みなさんは普通に授業をこなすだけで、心配はいりませんよ。教室後ろに父兄の方々に立っていただいているだけですからね」

 クラス全員の「えー?」という不満の声が、大きく上がる。

 父兄として、僕は珠総長に言われて参観日に来ていて、目当てはここの学生の小鳥遊ふゆりだ。

 金髪ロングの髪に大きなリボンでポニーテイルにしているのだ。

 即座にふゆりの姿を補足できた。

 そのふゆりが、教室後方を見て、僕を見つけると椅子から立ち上がった。

「なんで山茶花が父兄参観に来てるのよーッ! 父兄でもなんでもないでしょうが! あたしとあんまり歳変わらないでしょう山茶花はぁっ! やめてよね、気持ち悪い! 全く、なんで珠総長が参観に来ないのよー!」

 周囲を見渡してから、僕はふゆりに向けて言葉を放つ。

「いやさ、これ、珠総長からのお達しで来てるんだよ、僕は」

「くるるだっているじゃないの! 総長に観て欲しかったし、そうじゃなきゃ来るのは枢木くるるぎくるるじゃないの!」

「いや、くるるちゃんも事務所で事務職やってるけど、ふゆりと同じく女子高生でしょ。そして珠総長は最初から僕に任せてて来る予定はなかったけど、昨日僕の部屋で、僕と猫魔がスコッチ飲んでたときにやってきたんだ。酔い潰れて自分の部屋に戻っていったからね、百瀬珠総長は。だから、万が一にも来ない。総長の性格を考えてみなよ。来るわけないし、理由だって出来たわけだし。ないものねだりはやめるんだ、ふゆり。僕は父兄。慈しむ目で、小鳥遊ふゆりの生き様を焼き付けるよ」

「いーーーーーーーーやーーーーーーーーーーッッッ」


「私語は慎んでね、小鳥遊さん。あと、父兄の方も」

 ふゆりの担任教師が言う。

「あ、はい」

 僕は頷く。

「納得いかないわ!」

 机を両手の平で叩く小鳥遊ふゆりはとても怒っているようだ。


「はい。それでは授業を始めたいと思います。今日は特別講師の方にもお越しいただいています。父兄の方々にも勉強をしていただきたいと思いまして、まずは、〈ためになる〉特別授業を講師の方にしていただきます。それでは。破魔矢式さん、教室の中にお入りください」

 扉をスライドして教室に入ってきたのは。

「どうも。ご紹介にあずかりました、破魔矢式猫魔です。よろしく」

「……………………」

 黙りながら僕は、ジト目で猫魔の顔を見てしまった。

「なんであんたまで来るのよぉー!」

 猫魔を普段ライバル視しているふゆりにとって不服らしい。

 立ち上がって教壇の猫魔を指さしてキーキーわめいている。

 まあ、そりゃそうだ。

 僕だって今初めて講師をする、その姿を観て驚いている。


 探偵、登場。

 いや。

 探偵、登壇。


 僕以上に、なにしてんだ、あいつは。

 全くわからない。

 そして、授業が始まる。




**********




 さて。陰陽道は国家、朝廷が独占することになったのはよく知られていることだ。暦法と占筮せんぜいを独占することは、古代の国家にとっては民衆を支配するのにとても役に立った。暦法、つまりカレンダーと、占筮と呼ばれる占星術。このふたつを司るのが、陰陽師だったってわけだ。

 もうすぐ星祭りの季節が来る時期だから、今回は陰陽祭祀のひとつ、〈星辰信仰〉の話をかいつまんでしたいと思う。素敵だろう? 星祭りなんてさ。おれはあまり好きじゃないけどね。

 日本の記紀神話と言えば、太陽信仰だ。天照大御神は太陽だろう。

 だが、道教的色彩が強い陰陽では、北極星を、最高神とするんだ。北極星といえば、いつも動かないように見える星だ。そりゃ信仰は集めるさ。占いにとっても、重要な星だ。

 星辰信仰の「辰」とは竜神を指す。万物の恵みを司るんだ。もちろん、十二支のひとつさ。十干十二支じっかんじゅうにしは、陰陽道の基本だ。陰陽五行説の解説は……君たちにはいらないだろうね。なにせ占い好きの君たちだ。言うだけ野暮ってもんさ。

 あらゆる星々が北極星を中心に巡ることから、北極星は宇宙を司る神となった。北極星の位置する星座を、中宮と言い、天帝の常居だ、とされた。特に北極星を、〈北辰〉と呼び、天帝の化現した姿だ、という解釈がされたんだな。天皇の語源もここから来ている。最高神とひとを繋ぐ神官を意味するのが、天皇という言葉だ。

 北辰は、そこから日月が生じて、五を生じ、五星となり、それがすなわち、五行となる。

 五行からはひとが生まれ、人間の根源をたどれば、必ず北辰に至る、とされる。

 北辰は道教の〈太一〉とも同一視される。密教でも北辰は〈妙見菩薩〉の化現した姿として崇拝された。

 そして、陰陽道の最高神、〈泰山府君〉もまた、北極星であり、仏教的には妙見菩薩、または北辰菩薩と呼ばれるんだ。


 ここまで来ると、日本の古典文学や古典芸能でも、お目見えするかたちになるのは、知っての通り。そう、泰山府君と言えば、能楽にもその名が出てくる。


 部類の桜好きの中納言藤原成範が、愛した桜があった。柵で囲い花守をつけ、中納言は七日間ほどの短い桜の花の命を惜しみ、その命を延ばそうと、生類の命を司る神である泰山府君の祭をする。

 天上より天女が降り立ち、桜の花のあまりの美しさに一枝を手折り、羽衣の袖に隠し、昇天して行く。

 祭の場に泰山府君が現れ、天女を天上から呼び下し、盗んだ花の枝をもとの木に戻させ、大いに神威を見せ、桜の花の命を二十一日間に延べ、昇天していく。


 どこかで聞いた話だろう?

 そう、この学校は、桜の季節が終わったのに、まだ桜が狂い咲いているね。

 もしかしたら、泰山府君が関与しているのかもな。

 君たちのなかの、中納言藤原成範にあたる人物は誰なのかな。


 おれからの話は、以上だ。ご静聴、ありがとうございました。




**********




 学校の食堂に来た。

 女子校の食堂、メニューも含めかなり気になってはいたものの、献立はヘルシー路線なのか野菜カレーや山菜うどん、あしぼその味噌汁などがラインナップされてはいるが普通と言えば普通だった。私立だし、ちょっと値が張る食材を使ってちょっち面倒な料理を出す。その点では、僕は「いいね!」と頷き、とろろ蕎麦を注文する。


「だーかーらー! なんで二人揃ってうちのガッコに来ちゃうのかなぁ! 山茶花が父兄ってだけでも不敬なのに、あのクズ探偵・破魔矢式猫魔が特別講師? あり得ないわ! ないわぁー! ないない! おかしいって!」

 猫魔はやれやれという調子で応える。

「ふぅ。ふゆり。それは学校側に文句を言うんだな。おれや山茶花に言うのはお門違いだ」

「そうだよ、ふゆり。珠総長の意向なんだから、仕方ないって割り切っておかないと。それに僕はふゆりの保護者と言ってもいいくらいだし、猫魔はその道のプロだ。〈星の話〉、面白かったじゃないか」

「そういう問題じゃないわ! いや、前提がおかしいからね? あんたはあたしの保護者じゃありません!」

「一緒のビルに住んでるじゃないか」

「ああああ! そういうこと言うな。ここは女子校の食堂、誰が聞いてるかわかんないの! デリカシーないわね、ほんとにバカ山茶花! 聞かれたら邪推されるでしょうが! ビルのほとんどがまるごと百瀬探偵結社の事務所で、その事務所の一部屋ずつに、あたしたちの部屋があるってだけでしょ! それじゃ一緒の屋根の下に住んでるみたいじゃない!」

「え? だから住んでるでしょ、同じ屋根の下に」

「ああ、もう! 珠総長を出してよ!」

 猫魔はケラケラ笑う。

「〈魔女〉は来ないよ。昨日、おれらと一緒にスコッチウィスキー飲んで二日酔いさ。今頃グロッキーになってるさ」

「うっさい、へぼ探偵!」

「はは。酷い言われようだな」

「笑うとムカつくのよ、猫魔! ムキー」


 僕、猫魔、ふゆりは一緒のテーブルに座って食堂で昼ご飯を食べている。



岱宗たいそう 如何いかん

齊魯せいろ  せい いまをはらず。

造化ぞうかは 神秀しんしゅうあつめ、

陰陽は 昏曉こんぎょうわかつ。

胸をとどろかせば 曾雲そううん 生じ、

まなじりを決すれば 帰鳥きちょう る。

かならまさに 絶頂をしのぎて、

一覽すべし 衆山しゅうざんの小なるを。



 ……猫魔が、いきなり漢詩をそらんじる。

「え? どういう意味の詩なんだ、猫魔」

 意味がわからず、素朴に質問してしまった。


「杜甫の『望嶽』という漢詩さ。意味はこうだ。……泰山とは、そもそもいかなる山か、斉・魯の国にまたがり、山の青さは尽きることがない。天地創造の造物主が、比類無き霊妙を集め、陰陽の二つの気が、朝と夜を割っている。我が胸を動かすように、雲が生じ、目を開けば、ねぐらに帰る鳥が山の彼方に吸い込まれる。いつの日か、必ずこの山の絶頂をきわめ、周囲の山々を一望に見渡し、見おろすことにしたいものだ……っていうね。書き下しはそういう意味の詩だ」


「それがなにか?」


「ここに出てくる泰山ていうのが泰山府君が住むという山の名前さ。太極図を連想させる詩でもあるだろう? 空を見上げて、昼は大空、夜はその天球……いや、〈天宮の星々〉の近く、山頂から下界を眺めるってわけだ」

「陰陽? 太極図? ああ、陰陽道の。破魔矢式猫魔の得意ジャンルだな」

「いや、おれの専門はまた違うんだけどな」

「泰山府君……北極星……か。桜の話を、さっきしてたよな、猫魔は」

 そこに、野菜カレーを食べ始めていたふゆりが口を挟む。スプーンをふらふら上下に動かしながら。

「素敵よね。誰かが北極星のカミサマの泰山府君に頼んで、美しい桜の咲く期間を延ばしてもらえたって」

「泰山府君は生死を司るからな。そこからの連想でもあり、まあ、泰山府君の力でエンパワーメントすれば桜も延命する力、手に入るだろうなぁ。正規な手段ではなくても」

「なによ、クズ探偵。言葉を濁すじゃない。さっきの授業だって〈占いの好きな君たち〉とかうちの学校の生徒たちのことを知ったかぶっちゃったように言ってさ。それに、知ってたら知ってたで〈事案〉だしね! ……今も、泰山府君の力を手にした者がいるっていう風に聞こえること言うし、あんた、なにが言いたいわけ?」

 ふむ、と顎に手をやる探偵・破魔矢式猫魔。

「ふゆり。もしかして、なんだが、この学校で『こっくりさん』や『エンジェル様』なんていう占いが流行っていないか? …………元は陰陽系の降霊術の一種なんだが」

「なによ。じゃあ、うちの学校の桜が散らないのは泰山府君をその〈占い〉で降霊したからって聞こえるけど?」

「そのまさか、なんじゃないかな、とおれは考えているのだが」

 僕は驚く。

「学校の生徒が降霊術で泰山府君の力を借りたからこの学校のまわりだけ桜が満開のまま二ヶ月も経ったって言うのかい!」

「さっきからそう言ってるだろう。バカだなぁ、山茶花は」




**********




 破魔矢式猫魔は、言いたいことだけ言うと、カレー南蛮を平らげ、僕とふゆりを残して席を立った。

 次の時間も猫魔が受け持つらしく、その調整に職員室へ向かったのだろう。

 僕の横に座っている小鳥遊ふゆりは、ぐいっと上半身を僕に近づけて、言った。

「こっくりさんなんて信じてるのかしら、あのバカ探偵は。やっぱり三流ね」

「いや、正式な手順を踏めば誰でも降霊できるシステマティックな呪術が、こっくりさんであるらしいよ。ただ、やってる本人たちは素人であることがほとんどだから、ミスったら、災いや不幸を呼び起こしてしまうらしい。失敗するなら、最初から手順も装置も間違っていた方がいいんだってさ。つまり、こっくりさんを〈召喚〉してしまってからでは、遅いのだ、と」

「ふん。なにそれ。猫魔が言ってたのかしら」

「いや、総長だよ。百瀬珠総長が昨日、酒の席で教えてくれた」

「え? 珠総長が! でも、そうだとして、なにか不都合があるの? 関係ない話じゃない。桜が狂い咲いていても、素敵なだけで問題ないじゃないの」

「ふゆりは短絡的だなぁ。僕と猫魔がここへ理由をこじつけて来たのは、意味があるんだよ。父兄参観と特別講師は、総長が〈裏政府〉に掛け合って、急遽予定を組んだのさ。ここに合法的に介入するために、ね」

「なんで潜入する必要があったって言うのよ」

「うちの探偵結社は、元々、なんのためにここ、常陸市にあるか、覚えているかい」

「それは、平将門と十年前の〈厄災〉との関係性を調べるため、でしょう。平将門は、江戸の守護神だったけど、常陸の国府を攻め落として〈新皇〉を名乗ったっていうのがあって、常陸側から、その調査をするためよね。そのために、東京に事務所を構えるより、効率が良いってことで、山の手のお嬢様なのに珠総長がわざわざこっちに設立したのも知ってるわ」

「うん。そうなんだ。話が通じやすくてよかったよ。実は、桜の件が泰山府君だったとしたら、将門のパワーが働いている可能性があるんだよ」

「なによ。どういうこと? 将門伝説に泰山府君は直接関係ないでしょ」

「さっきの猫魔の授業、寝ぼけて聞いていたのかい? 泰山府君は、妙見菩薩のことを指すんだぜ」

 そこまで一気に喋ると、僕はコップの水を一気に飲んだ。

 コップの中に氷が残って、カラカラ鳴った。


「平将門は、合戦中に自分の味方をする〈童子〉に遭う」

「自分の味方って?」

「童子は、将門の行く手を阻む川があれば、通ることが出来る浅瀬を教えてくれて、将門の装備から弓矢がなくなれば補充してくれた。将門が疲れると、代わりに敵と戦ってくれて百発百中の矢を射た、という。その〈童子〉が将門に言うんだよ、〈自分は妙見菩薩である〉と、ね」

「で、将門は重用でもしたのかしら」

「微妙に違うね。自分は上野国の花園という寺にいる、志があるなら花園の寺に行って我を迎えろ、と言うんだね。それで、将門は使いをやって菩薩を迎え、深く信心するようになる」

「それがどうかしたの」


「どうかするさ。妙見は、密教による本誓ほんぜい……本誓とは辞書的な意味で言うと〈阿弥陀仏の衆生救済の願〉を指す、仏、菩薩が菩薩の段階でたてた根本のマニフェスト、なんだけど、……その本誓には〈妙見は人間界の帝王を擁護する〉と、記されているのさ。つまり、このときを以て将門は妙見に守護された〈帝王である〉ということが成り立ってしまうのさ。その事件をきっかけに、平将門は〈新皇〉を名乗ったのである、という説がある」


「え。じゃあ、帝王気取りなんじゃなくて、帝王そのものになったってことじゃない、将門は」

「でもね、将門は妙見を裏切ってしまう。上野の国府で官位除目を行ったとき、今度は八幡大菩薩の使いであるという巫女に出会うんだ。それで、その巫女も将門に〈帝位〉を授ける、と託宣を述べる。将門は八幡神を祀った。今度は、〈そのときに新皇を名乗った〉のではないか、と言われている説なんだね。つまり、一番目の説と二番目の説を足すと、最初に妙見を迎え入れたのに、同時に八幡神を祀ったのさ。ここらへんも眉唾で、いろんな説があるみたいなんだけど、妙見に嫉妬され祟られて、将門は帝王にはなれなかったんだってさ」

「よく覚えているわね」

「仕事の前に調査くらい、するさ。妙見は北極星。エンペラーの星だよ。それに裏切られた将門は帝位につくことなく〈消された〉んだ。それで以て、妙見は泰山府君と同一神なのさ。泰山府君と対面するか、その波動でも感知できれば、もしくは、百瀬探偵事務所は、大きく前進できる。桜を満開にした人物を探れば、将門に近づける可能性が高くなる」



 納得した風な顔のふゆりと一緒に教室に戻る。

 授業が始まった時間になっても、ふゆりの担任教師の授業なのに、なかなかやってこない。

 僕が不審がっていると、廊下を走る靴の音。

 教室の前の方の扉を開けて入ってきたのは廊下を走ってきた破魔矢式猫魔だ。

「ここに担任教師、……来たか、山茶花」

 教室後方にいる僕に大きなよく通る声で、猫魔は尋ねる。

「いや、来てない」

「昼休みから姿をくらましたようだ……」

「そんなに焦るようなことなのか、猫魔?」

「校長室に校長もいない。職員室の話では、校長と、あの女性の担任教師が連れ立ってどこかへ行ったままだ、という。この行方のくらまし方……。犠牲者が出ているかもしれない、畜生! おれのミスだ。しくじった!」

 僕は自然と猫魔に訊いていた。

「どこを探せばいい?」

「桜だ。満開の桜の下の、どこかにいるはずだ」

「任せろ。分担して探そう!」

「助かるぜ、山茶花!」



 僕とふゆりチームと猫魔の二組にわかれて、校庭の桜を見て回った。

 そして、丘の上のこの学校の斜面の芝生の斜面に、その女性…………、校長はいた。


 校長は、桜の木の根元でぐたりと桜を背もたれにして倒れていた。

 体中、刃物でメッタ刺しにされていた姿で。


「死んでる……」

 僕はぼそりと、状況を発声してしまっていた。




**********




 猫魔が少し遅れて現れる。

 校長の死体の近くには、返り血を大量に浴び、ナイフを持った女性教師。

 その横には、この女子校の生徒が一人。

 女性教師は、ふゆりの担任教師、今日の朝、講師の猫魔を紹介したひとだ。

 生徒の方は、ツンとすました態度でいて、返り血は浴びていない。


「猫魔……」

 僕は遅れてきた猫魔の名前を呼ぶ。

「ああ。遅かった。おれのミスだ」

 落ち込んだ表情の猫魔と、打って変わって、激高しているのは小鳥遊ふゆりだ。

「先生! あんた、一体なにをしたの! 校長を殺したの? 隣のクラスの朝倉さんを連れてきて、生徒と二人でなにやってるわけ? 共謀?」

 ふゆりの担任教師は言う。

「わたしが殺しました。この〈奇跡的に満開の桜の下〉で。……現行犯ですよね、返り血もこんなに浴びて、弁解の余地がないわ」

 ふゆりは教師の横の生徒を指さす。

「その生徒はなに、って訊いてんのよ! 共謀かしら、って尋ねているでしょうが! こんなの、メッタ刺しにして、犯人なんて一目瞭然でしょうがッッッ」

 そこに、低いトーンで、破魔矢式猫魔はふゆりに言う。

「いや。校長は首に絞め殺された痕が残っているよ」

「絞め殺された? でも絞め殺した凶器がないわ」

「凶器を使う〈絞殺〉でないよ。手で絞め殺した、これは〈扼殺〉だよ。くびり殺したのさ」

「相手が女性だとは言え、うちの担任もそこの朝倉さんも、女性よ。しかも、腕が細いタイプの女性。扼殺できたかしら。それに、二人とも半袖で、被害者の校長が苦しんで、普通は残すであろう引っ掻き傷は見当たらないわ。犯人はほかにいるってこと?」

 猫魔は一拍置いてから、ふゆりに答える。

「例の〈こっくりさん〉で〈神がかり〉状態になってしまった生徒がいたそうだ。それがそこの朝倉さんだ。昼飯のあとで、いろんなクラスで尋ねてみたんだ。話はみんな一致していた。扼殺の手の痕を観れば、朝倉さんが絞め殺したのがわかるさ。……〈表の警察〉には不明で処理されるだろうが、引っ掻き傷が見当たらないのは、憑依していたときエンパワーメントされた能力が活きていたからなんだ。〈妙見菩薩〉の力が、付加されていた。生死を司る、星の神の力が。この子、朝倉さんはあとで〈桜田門〉に連れていかれて絞られるだろうね……。その後の彼女のことは、……考えたくないな。おれのミスだ。もう少し早く動けていればよかったんだ」

「大丈夫ですよ、特別講師さん」

 生徒、朝倉が猫魔にツンとした態度を崩さず、言う。

「ボクは妙見に〈選ばれた〉んです。『万歳。やがて王となるお方』と言われてね」

 猫魔は弱々しい感じに、ケラケラ笑う。

「そりゃいい。将門の妙見伝説じゃなくて、『万歳。やがて王となるお方』は、シェイクスピアの『マクベス』の冒頭の言葉だろう? なんだい、友達にでも言われたのかい」

 言いよどんでから、朝倉は頷く。

「そりゃぁ友人にヨイショされたもんだな。マクベスからの一節。『明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足取りで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべておろかな人間が塵と化す。死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火! 人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、わめき立て響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない』……だ。あわれな役者を演じてしまったのさ。どうせ恋愛がらみの怨恨だろう?」

 歯ぎしりする朝倉。

 返り血を浴びているふゆりの担任教師は、その場で泣き崩れてしまった。

 担任教師は言う。

「校長が。わたしに性的嫌がらせをしていたんです。ある日、たまたまそれを見つけた朝倉さんが、わたしを好いてくれていて、それで、一緒に校長を殺そう、って言ってくれて、それでわたしは」

「ふぅん。『わたしは妙見に選ばれた、王となる人物だからそれも可能だ』とね。なるほど。でも、上手くいくとは思っていなかったろ。少なくとも、返り血をこんなに浴びるほどメッタ刺しにしたんだ。そのくらい憎かったのだろうし、バレていいと考えていた。……ああ、そっか、だから、〈探偵〉であるおれが来た日を選んだのか」

「探偵結社さんが来るにあたり名探偵であるあなたを講師に選んだのはわたしです。〈裏の政府〉と関係のあるあなたなら、発見者になるだろうし、悪いようにはしない、と思っておりました」

「買いかぶられたもんだね、こりゃ。『忌まわしい染み……。やってしまったことは元には戻らない』だね」

 猫魔の引用に、教師は笑う。

「それも、マクベスからの一節ですね」

「ええ。そうです。あわれな役者を演じるのは人間みな同じです。……さあ、事件の幕引きだ。山茶花は警察に連絡を。ふゆりは一応二人が逃げないように、見張っててくれ。おれは〈桜田門〉と、上手くかけあってみるよ。まあ、罪を犯した二人には、あとでうちの〈魔女〉に、たんまりお金を払ってもらうことになるけどね」

 僕は猫魔に注意を促す。

「猫魔。珠総長を〈魔女〉だなんて、言わない方がいいよ」

「本人の前ではもちろん言わないさ」


 僕は、携帯電話電を取り出し、警察に電話をした。



 僕は独り言をもらす。

「百合賛歌と、百合の悲劇、か……。別に、性別は関係ないとは思うけどもね。でも僕は、自分の部屋にある詩集の一篇、ボードレールの『地獄に落ちた女たち~デルフィーヌとイポリート~』を想起してしまうんだ。破魔矢式猫魔が解説してくれた、そのことを。〈堕ちていけ、堕ちていけ、憐れな犠牲者どもよ〉……と」



 妙見の、北極星の神の守護を失った満開の桜が、一斉に散り始めた。

 僕はそれを見上げて、舞い散る花びらを眺める……。




**********




 ふははははあぁー、と事務所で高笑いをするのは、百瀬探偵結社の〈魔女〉である、百瀬珠総長だ。

 珠総長はご機嫌そうに、自分の椅子に座っている。

 腕を組みながら、足を机の上に載せて、

「ふふーん。我が輩、プレコグ能力者だから、なにかが起こってそれがお金に変換できるの、わかっていたんじゃもんねー!」

 と、高笑いをやめない。

 幼児体型でエスニックな服を着こなしている女性、百瀬探偵結社の総長である百瀬珠総長は、今回も他方からお金が入ってくるのでウハウハだ。

〈プレコグ〉とは、予知能力の一種のことである。

 お金に関してにしか使わないようだけど、百瀬珠総長が、そのプレコグという超能力を有しているのは事実だ。裏の政府公認のESP能力者が、百瀬珠総長であり、〈魔女〉と呼ばれる所以でもある。


 事務机で表計算ソフトをカチカチ打っていた事務員の枢木くるるちゃんが僕に、

「うちも参加したかったわぁー、授業参観!」

 と、ふてくされながら言う。

「猫魔お兄ちゃんの講義、格好良かったんやろなぁ」

「いや、いつもの猫魔だったよ」

「もう! いつも山茶花は猫魔お兄ちゃんに嫉妬ばかりしてるんやからぁ。仲良くせなあかんよぉ」


 みんなに遅れて事務所の奥の自室からあくびをしてやってくるのは、破魔矢式猫魔だ。

「……おはよう」

「ローテンションじゃのぅ、〈迷い猫〉よ!」

「やめてくださいよ珠総長。その言い方はないよ。まあ、おれが迷い猫なのは本当だけどさ」


 僕はため息を吐く。

「朝からみんな、通常運転だなぁ」

 電話が鳴って、枢木くるるが受話器を取る。

 通話が終わり受話器を置くくるるちゃんがみんなに言う。

「事件やよ! また〈怪盗・野中もやい〉から予告状が届いたってぇ。予告の日付は今日の夜十一時。商店街の深津宝石店なんやそうやわぁ」

 ケラケラ笑う猫魔は、背伸びをする。

「またあいつか、怪盗・野中もやい。今日こそおれが捕まえてやる!」

 と、そこに。

「ちょっと待ちなさいよ、〈探偵〉! あたしを置いていくつもりじゃないでしょうねッ!」

 小鳥遊ふゆり登場である。


 北極星の神の次は怪盗騒ぎか。

 やれやれ。

 僕もストレッチを始める。

 今日も忙しくなりそうだ。

 この探偵稼業が、ね。

 それとも。

 猫魔が引用したように、『マクベス』の「人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、わめき立て響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない」っていうのが本当なのか?

 僕らはあわれな役者で、そこに意味はなに一つないのか。

 わからないな。

 それでも僕はただ、影法師となって人生を歩き回るだけだ。

 取って喰われるなんて、そんな運命に従順でなんて、僕はいられないからね。

 これまでも、そしてこれからも。





〈了〉

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