111刀目 夢話  What's your name?

『招いていないのに、ここまで来ましたか……困りますねぇ、本当に』



 目を開くと、不気味な笑みを浮かべた悪魔がいた。


 悪魔は相変わらずひひひ、と笑っており、本当に言葉通りに困っているのか、判断がつかない。


 青い花畑の真ん中で、白い机の上にティーセットを広げた悪魔は、いつかと同じように血のように赤い紅茶を飲んでいた。



『それで、何の用です?』


「あなたの名前を教えてもらいに来ました」


『それはそれは……招かれざるお客様ではありますが、お茶ぐらいは出しましょうか』



 悪魔はパン、と手を叩き、向かい側に椅子と紅茶を出現させる。


 蒼太は悪魔に勧められるまま席につき、紅茶に口をつける。



「えぇ、あっまい……?」



 前回と同じ紅茶の見た目の緑茶と思って飲んだら、今度は何故かミルクココアの味がした。


 想像とは全く違う甘味の暴力に、蒼太の目が丸くなる。


 それを見ていた悪魔は悪戯っぽく、愉快そうに笑った。



『ひひ、今回は琴座の長女さんを頼ったのでしょう? それならば味が変わってることも、考慮するべきですねぇ』


「そんなの考慮できないよ……」


『貴方から魂核ソウルコアを摘出しないだけ、マシだと思ってください。私は貴方に人間であって欲しいんですから』


「やっぱり、そうなんだね」



 蒼太は7階層で権能を使う道を選んだが、悪魔は蒼太が人間であることを望んでいる。


 だからこそ、悪魔は権能としての名前を教えない。


 悪魔は蒼太が人間であって欲しくて、権能を使い続ける道を選んで欲しくないのだ。


 わかっているのに、それでもと頭を下げにきた蒼太はきっと、この悪魔にとってかなり面倒な存在なのだろう。


 それでも、悪魔はため息をつくだけで、きちんと蒼太を迎えてくれた。



『……権能を掌握するだけなら、私を追い出せばよろしい。そうすれば、貴方は簡単にコントロールできるようになりますよ』


「僕には恩人を殺すことはできないよ」


好きな存在別の恩人の為に、人をやめることはできるのに?』



 悪魔は机に膝をつき、掌に顎を乗せる。



『貴方は恐れていたではありませんか。切るだけの化け物になりたくないと、人間以外になるのが恐ろしい、と』


「うん。悪魔の言う通り、僕は怖がってたよ……僕がどうなるか、わからなかったから」


『それならどうして、今は恐れていた道を突き進むのです? 私には理解できませんねぇ』



 フン、と鼻で笑う悪魔はどこまでも正しいことしか言っていないし、蒼太のことを思ってくれている。


 確かに、蒼太は幻聴を恐れていた。


 幻聴の言われるままに動いて、自分が『切ること』しかできない怪物になるんじゃないかと、怖くなったのだ。



「確かにずっと恐れていたよ。でも、目を閉じて想像した時……皆が知らない間に、いなくなっているときの方が怖いんだ。だから、僕は逃げないって決めた」


『それで人でも、星の民でもない、何でもない粒子の塊になったとしても……?』


「うん。守りたい人を守れる存在になれるなら、怖がることはやめる。それに……この先は、僕が想像していた化け物と違うみたいだしね」



 蒼太はこの道を進んでも、蒼太が思い描いたような化け物にならない確信を持っている。


 蒼太が権能を使い続けて変化するのは、リラ達のような粒子の体と、魂核ソウルコアという心臓を持った人外だ。


 異形の化け物になるわけでもないし、切る以外に何も考えられない怪物にもならない。


 外見はそのままに、星の民とは違って、一度限りの命を持つ存在となるのだろう。


 人間としての特徴もなく、かといって星の民の最大の特徴である『生まれ変わり』がない存在。


 人でもなくて、星の民でもない。


 そんな中途半端な存在になろうとも、蒼太は後悔しないという確信があった。



『貴方はこれ以上、成長しないかもしれませんよ』


「粒子の体になるんだもんね、仕方ないよ」



 蒼太の真っ直ぐな感情を受け取った悪魔は目を細め、さらに問いかける。



『貴方はこれから先、当たり前のように受けるはずだった学生生活も人間との恋愛も、幸せな生活を全部、捨てるかもしれません』


「そもそも、リラに会ってない僕にそんなもの、あったのかなぁ」


『あり得ないことは、あり得ませんよ』


「はは、そうかもしれないね。でも、後悔はないよ。僕は恩を仇で返すような男にはならないからね」


『……えぇ、そうでしょうねぇ』


「だから、僕は貴方への恩も、仇で返したくない。今まで守ってくれたあなたを消したくないです。だからどうか、どうか……お願いします」



 蒼太は椅子から立ち上がり、土の上に正座する。



「名前を教えてください」



 その言葉と同時に頭を深く下げ、悪魔の声が聞こえるまで頭を上げない覚悟をもって、額を土で汚した。


 そんな蒼太の土下座に悪魔は紅茶を飲み干し、両膝を机の上に乗せる。


 呆れているのに、それでいて愛しい我が子を見るような目を向けて、首を振った。



『全く、いつまでも怖がりで、臆病な少年のままでいれば良いものを……子供の成長は目を離せばすぐなのが困りますねぇ』



 悪魔は椅子から立ち上がり、ティーセットを片手で掻き消す。


 そして、蒼太から視線を外し、ぐるりと周囲を見渡した。



『セン、いるのでしょう? 返事をしなさい』


【えぇ……君が始めた意地っ張りでしょ? 君が終わらせなよ】


『フン、終わらせるんですよ。だから、狼をここに連れてきて欲しいのです』


【ふぅん、いいよ。早く決着をつけなよ】



 悪魔は土下座する頭の前に跪いて、顔を地面に伏したままの蒼太に声をかける。



『秤谷 蒼太……いいえ、我が主人よ。私は今でも貴方に人であって欲しいと願っています。それは、変わりません』


「だと思う」


『しかし、貴方は考えを変えるつもりはない。このままだと平行線でしょうね』


「うん。だから僕には、頭を下げること以外はできません」


『……私の目を見て、ひとつだけ、聞かせてください』



 蒼太が顔を上げると、悪魔の後ろに7階層で見た少女と、悪魔や少女よりもおおきな真っ白の狼が佇んでいた。


 悪魔は蒼太と同じ青の目を瞬かせて、言の葉を紡ぐ。



『この先に貴方の幸せが、あると思いますか?』


「わからない。でも、最後に笑っていられる道を切り開く為に、僕は進みたい。だから力を貸して欲しいんだ」



 もう一度頭を下げようとする蒼太を手で制し、悪魔は胸ポケットからハンカチを取り出す。


 蒼太の額を丁寧に拭って、悪魔の方が頭を下げた。



『私の名は《幻想》。貴方の怖い、逃げたいと思う気持ちから生まれた権能です。貴方が困難な道を歩みたいと言うのであれば、逃げ道ぐらいは作りましょう』


「《幻想》……うん、ありがとう」


【あのー。お2人さん、いいところ悪いけど、ささっと終わらせてもいいかなぁ? ちょっと時間がなくてね】



 悪魔の後ろから手を伸ばし、少女がはいはいとアピールしてきた。



【どうもー、勘こと《潜深せんしん》でーす。勘でもセンちゃんでも、好きな方で呼んでね! そして、こっちが……】


“《切開》だ。お前が切り開く道を選ぶ限りは、力を貸そう”


【このカチコチ狼がカイちゃんで、むっつり悪魔がゲンちゃんだから、親しみを込めて呼んであげてね!】



 ケラケラと笑う少女に、悪魔が『むっつりとは何ですか』と不服そうな顔をしている。



『さて、そろそろ蒼太の活動時間も限界でしょう』


「え? うわ、体が透けてる!?」


『今の貴方は正式な来訪客じゃありませんからねぇ』



 体がどんどん透けていくのに驚く蒼太に対して、悪魔はひひひ、と変わらない不気味な笑みを浮かべた。



『次は自分で来れるといいですねぇ』


【ばいばーい】



 少女の満面の笑みでの見送りと、悪魔の笑い声を最後に、蒼太の意識は暗転するのであった。





━━━━━━━━━━━━━━━━━


[後書き]


【消えなくてよかったね、ぼく達もゲンも】


『覚悟が無駄になりましたけどねぇ……』


【もう、素直じゃないんだから】

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