42刀目 閑話 巨大泥舟・秤谷号

 秤谷 恭一郎は一心不乱に竹刀を振り下ろしていた。


 縦、斜め、横、突き。思いつく限りの型をなぞり、未だに頭から離れない声を振り払う。



「カァァァァァァァッッッッ!!!」



 年を感じさせぬ気迫と、叫び声が無駄に広くなってしまった道場一杯に響く。


 道場の隅で固まっている門下生2人は顔を見合わせ、小声で話し合っていた。



「ずっと怒り狂ってらぁ……師範も、もう年なのかもな」


「しっ、誰かに聞こえたらどうするんだよ」


「誰かに聞こえたらって、もう門下生も俺とお前しかいねぇだろ。他は逃げたし、あの状態の師範には聞こえてねぇって」



 ひょろひょろとした弱々しい太刀筋で竹刀を振るふりをしつつ、門下生2人のコソコソ話は続く。



「あー……けどよ、実際、秤谷も終わりだろ? 現当主の気狂いは悪化してるし、息子は才能もない大人子供。孫の双子だって、ある意味芸術的なクズだぜ」


「おいおい、同じクズ俺達にクズって言われたらおしまいだろうが」



 年寄りの金切り声をBGMに門下生は普段から思っていた悪口を吐き出し、2人でケラケラと笑う。


 やる気のない素振りすらもやめて、棒立ち状態で会話を続行した。



「このまま門下生やってても、昔みたいな甘い汁はなさそうだしなぁ」


「白髪の餓鬼がいたときの方が、まだ張り合いあったよなぁ……こっちは大人数で襲ってる筈なのに、毅然と立ち向かってきてよ」


「あの立ってるだけで首に刃物を押し付けてくるような感覚……アレは師範の孫だって納得したわ」


「無意識っぽいもんな……師範のドラ息子がビビって喚く理由もわかるわ……あんなん、素人が受けたら殺されるって思うぜ。俺もブルッちまったもん」


「そーだなぁ。子供なのに骨がある奴だったしよぉ……師範がとち狂って女装させたり、暴走したりしなきゃ、絶対ぜってー秤谷の有力候補は白髪の餓鬼だったろ」


「ま、そんなの言ったら俺達、ドラ息子に社会的に始末されるけどな」


「あんな金銭感覚狂ってる奴、世の中に出たら破産して一瞬で終わるだろ。秤谷だから育った希少生物だぞ?」


「甘ちゃんだしなぁ……その点、白髪の餓鬼はずっとこっちを伺って、限られた中でも抵抗してよ。あんな気狂い師範の元に生まれなかったら、人生薔薇色、色男街道まっしぐらだぜ。女装で儚げな美人に変化できる餓鬼なんてそうそういねぇしよ」


「綺麗系な美少女になれる奴って、素材からイケメンだからな……男じゃなかったら告ってたわ」


「おま、その発言は餓鬼が女でもロリコンだろっ」



 ゲラゲラと2人は笑い、場はさらに盛り上がる。


 道場であるはずの場所は道場の体も成せておらず、道場の主人の怒りもどんどん増しているのか、竹刀を振るうスピードが上がっている。


 門下生は師範の様子の変化を素早く察知し、顔を見合わせた。



「おい、そろそろ師範の怒りがピークだぞ。俺達の体調も悪くなりそうだし、早く上ろうぜ」


「そうだな、戦略的撤退って奴だから、俺達は悪くねーもんな」



 2人で言い訳を並べ合い、揃って「お先に失礼しゃーす!」と頭を下げて、スタコラサッサと帰っていく。


 数が少なくなった門下生も消えた道場では、恭一郎の怒鳴り声だけが反響していた。



「……何故だ。何故、うまくいかないんだ」



 本当に大切なものには鍵をかけて、管理しなければならない。


 だから鍵を閉めて、南京錠に鎖、窓にはシャッターで逃げられないように徹底的に閉じ込めた。



 ──それなのに、数時間後に訪れた時にはもう、部屋には誰もいなかった。



「誰だ、誰が奪ったんだ!? 折角、長い月日をかけて蒼太の食事に私の大切なモノを投じたというのに、私から奪うとは……っ!」



 竹刀が床に叩きつけられ、綺麗に磨かれた床が凹む。竹刀の方が被害が大きく、修復なんてできないぐらい折れ曲がっていた。


 息を荒げた恭一郎は抑えきれない暴力を込めて地団駄し、乱暴に胡座をかく。


 冷静にもなれず、感情は荒れ狂ったまま。瞑想も何もできそうになかった。



(蒼太が消える時は、あの女狐が原因だと思っていたが……流石に、女狐もあんなことはできん)



 女狐は相馬の人間なので、部屋から連れ出すことだけはできるかもしれない。


 しかし、鍵に全く触れず、シャッターにも手をかけていない、ガチガチに閉じ込めた状態のまま、逃げることは不可能だ。



(まるで、内側からそのまま消えたような……いや、ようなではなく、本当に消えたのか?)



 思い返せば、前回見た孫の顔が恭一郎の手も借りず、健康な人間の顔色に戻ってきていた。


 あの時は女狐の手のものが干渉しているに違いないと思って、すぐに閉じ込めたのだ。


 今思い返せば女狐しかいないと決めつけて、閉じ込めるだけで終わらせたのは浅慮だった。


 監視の目もないので、犯人の姿もわからない。


 今も手をこまねいているのだから、監視を回しておくべきだった。


 恭一郎よりも何枚も上手の相手が、蒼太を奪っていったのは間違いない。


 必死で守ろうとする恭一郎を嘲笑うように、閉じ込めるべき宝は連れ出されたのだ。


 何か手を打つべきだったと、後悔だけが恭一郎の内心を占めていた。



「……女狐でもない、第三者。それも、人間ではあり得ない力を使う存在が、後ろにいるのか」



 蒼太1人だけならば逃げる事はできない。恭一郎に依存するように、丁寧に心を折ってきた。


 どれだけ強靭な精神を持っていようが、誤魔化す手段があろうが、無気力になるのは避けられない。


 それが子供であれ、大人であれ、望みを手に入れられるのはもう少しだったはずなのだ。


 恭一郎の思考は回る。


 外はみるみるうちに日が落ち、暗くなる。


 それでも構わずに思考を回転させ、やがて1つの答えに辿り着いた。



「人外のような現象……あの、穴か!」



 奇しくも、恭一郎の狂った思考回路は正解を導き出した。


 それは執念が生んだ嗅覚によるものか、秤谷の勘によるものか。


 恭一郎は早足で道場から家の書斎に戻り、滅多に使わないスマートフォンの電源を入れる。



「私だ。今すぐ地震で開いた穴に入れるように手配しろ。反対意見は聞かん、いいな?」



 一方的に電話を終えて、舌打ち。


 日本の穴は実質、相馬が支配しているようなものなので、秤谷がどうにかできる範囲外。


 どうしても時間のかかる方向にしか動けない恭一郎は、すぐに行動できない現状に苛立ちを覚えた。


 夜も更けて、日付も変わった頃。


 恭一郎のスマートフォンが震える。ノータイムで電話に出ると、望み通りの言葉が電話相手から聞き出せた。



「…………」



 恭一郎はスマートフォンを置いて、大きく息を吐き出しながら俯く。


 ふるり、ふるりと体を震わせて、恭一郎は顔を上げた。



「待っていろ、すぐに迎えにいくからな」



 粘り気のあるおぞましい笑いは、誰の目にも入らず消えていった。






 ──────────



[後書き]


☆秤谷道場の門下生

既に殆どやめたり逃げていなくなった絶滅危惧種。

自分達が秤谷のお金や権力目当てのクズだと認識しており、お爺ちゃんに命令され、蒼太を囲んで殴ってた。

今後はもう出てこない予定。



☆お爺ちゃん

クレイジーでサイコパス。

孫を性的な目で見てないと言い訳してるが、自分の母親にしようとしてる時点で十分に罪は重い。(その孫、男です)

2年前から本性を表したが、それ以前から蒼太に理由をつけて女装させたり、ご飯に何かを混ぜていたらしい。

普通の子供なら折れててもおかしくないのに、完全には折れない孫にションボリしつつも、流石は自分の孫! とウキウキしてた、と門下生による目撃情報が提供されている。


☆次回

閑話としてますが、2章的なお話の始まりです。

♡や☆、フォローなど本当にありがとうございます。される度に階段を2段飛ばしできそうなぐらい喜んでいます。

3段は足が短いのでできませんが。

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