36刀目 天は怒り狂っていた
それは空を漂うものであった。
母より命じられた使命を純粋に、ただ真っ直ぐに全うするものでもあった。
虫達が入ってきて、地面を這いつくばる間は何も言わずに空を飛ぶ。
崖に登り、空を侵そうとする不届き者にのみ、裁きを下す。
それだけを粛々と行うつもりだったのだ。
「みーつけたっ」
その小さな雄の虫は嬉しそうに笑いながら、崖の上を登ってきた。
ルールを把握できていない愚か者。
命を脅かすような存在とも思えず、弱き存在にしか見えない虫に対し、それは油断していた。
「ごめんねー。僕達、どうしても隠れちゃった天ちゃんの邪魔したいんだー。生きてるなら顔見せてくれてもいいのに、意地悪してくるんだもん!」
ぷりぷりと怒っている緑色の髪の毛に青い目の虫は危機感が全くない。
まるで死ぬことなんてないと確信しているような、隙だらけの姿だ。
こんな虫を警戒するだけ無駄だろうと判断したそれは、攻撃しようとして。
「あー、ダメだよー? 違反者だけに罰を与える名君じゃだーめ。君には全部全部、ぜぇーんぶ破壊する暴君になってもらわなきゃっ!」
体に黒いナイフが突き刺さった。しかも、場所が悪く、逆鱗に深々と刃が沈んでいる。
それは意識を保てなくなっていた。龍の逆鱗に触れたのだ。思考が怒りに満ちていく。
「あははー。さぁ、空の暴君! この瞬間の僕達の命を引き換えに、天ちゃんに盛大な嫌がらせをしてよ! まぁ、今の僕達は死なないけどね!」
あははははははははははは!
逆鱗を攻撃した不届き者は、それが周辺を吹き飛ばすまでずっと笑っていたのだった。
☆★☆
「
ゴブリンキングを倒して数分後、周辺の魔物を片付けたリラが近づいてきた。
後ろにはシェリーとファラが控えており、戦闘が終わったことを確信したベガは警戒を緩める。
戦闘は終わったはずなのに、蒼太がまだ、何かを強く警戒しているのだ。
「蒼太、どうしたんですか?」
「わからないけど、たぶん……閉じ込められた気がする」
雲が多くなってきた空をじっと睨みつけながら、口を開いた蒼太の答え。
聞いてはいけない何かを聞いてしまった。
そんな気がしたリラは慌てて受け取った鍵を起動する──が、何も起きない。
「ベガ」
「アタシも《転移》を発動させてるんですが、ピンポイントに妨害されてるっす」
「ということは、本当に閉じ込められてしまったんですね」
ふぅ、とリラは息を吐く。
何かが起きて、知らぬ間に事態は刻一刻と変化していることだけは確信できた。
今この瞬間も、最悪へと時間は進み続けているのだろう。
順調だったはずの攻略に水を差されたリラは険しい顔をしつつも、静かな声で命じた。
「シェリー、全力で結界をお願いします」
「任せときー」
軽い調子でシェリーの結界が張られるタイミングと同じぐらいか、少し遅いぐらいか。
突然、結界を上から叩きつけるような風が吹き荒れた。
まだ青が多かったはずの空はいつの間にか灰色に占領されてしまっており、ポツリ、ポツリと結界に雨粒が当たる。
誰も口には出さなかったが、全員、嫌な予感と威圧感を共有していた。
転移も次の階層へもいけず、閉じ込められてしまった状況で、天気が変わる。
何かが起きましたと言っているもの同然の現象に、蒼太は目を見開いて叫んだ。
「来るよっ」
竜巻が集落を吹き飛ばし、灰色の空が黒に変化した。
地面を叩きつけるように発生した竜巻はミキサーのようで、集落を形作っていた木材などが結界に叩きつけられる。
結界の心配をしてしまう程、外は酷く荒れていた。
結界の効果を高めているのか、菫色の淡い光を纏ったシェリーが大きく息を吐く。
「蒼太ちゃん、警告助かったわ。あれ聞いてなかったら今頃仲良く挽肉やで」
「そんな仲の良さは発揮しなくていいから、感謝は乗り越えた後にでも……だね」
「そーやな。原因もわからんし、なんとかせんと」
「……ん、原因、出た」
蒼太とシェリーが話す中、ファラが声を上げた。
手にはダンジョンに入った時に見た地図と、ルールが書かれた紙が握られていた。
しかし、入った時とは違って、ルールが書かれた紙は血のような赤い文字で何かが書かれている。
『──愚かなる羽虫よ! 貴様らは
周囲に響き渡った声のような咆哮は、奇しくもファラが手に持つ赤い文字と同じ内容であった。
「うわーぉ、罰が勝手に落ちてくるのなーんで?」
思わずベガが『す』を忘れて呟いてしまうぐらい、衝撃的なことが起きた。
黒い雲から青空が落ちてきたのである。
いや、空色の何かが落ちてきたように見えるだけで、本物の空が落ちたわけではない。
空を埋め尽くしそうな大きさの巨大な物体が落ちてきたのだ。
見間違うはずもない長く、巨大な体。
崖のような高いところに登らない限り、襲ってこないはずの罰が、空から降りてきた。
「……空龍王 タンペッタ。本来ならば高いところにいるものへの罰を行う存在ですが……どうやら誰かに逆鱗を刺されてしまい、激怒してるみたいですね。誰彼構わず現在、1階層にいる存在を消しているそうです」
「誰か代わりに倒してくれねぇっすかね」
「見つかってないのなら嵐が過ぎ去るまで隠れた方が安全ですし、倒されることはないでしょうが……手遅れですね」
空の王者に捕捉されている今、自分達が討伐しないと生き残れないと全員、察していた。
「そもそも僕達以外にダンジョンに人がいたんだね」
「入る穴によって部屋が別けられるんっすよ。MMO系のゲームで例えると、同じフィールドに入ってるはずなのに、別のサーバーだから友達に会えないっていうイメージっすかね」
「へぇ」
MMOと呼ばれるようなゲームをしていない蒼太には理解できない例えだったが、やっている人ならば完全に理解できるのだろうか。
頭の中で言葉を咀嚼して飲み込んだ後、それでも理解できないことを口にする。
「別々の部屋に別けられているんなら、どうしてアレは怒り狂ってるの?」
自然災害のような攻撃で反撃すらできない。
シェリーが必死に耐えている中、準備をしているファラを横目にリラが答えた。
「ベガの例えに乗るとですね、イベントが起きるのはどのサーバーでも同じなんです」
「つまり……?」
「ある存在がルール違反をやらかしたとしましょう。それが、個人で許されない全体責任の場合、どのサーバーにいても同じフィールドにいたら、全てのサーバーに適応されちゃうんですね」
「それは……とんでもないね」
主にやってしまった人への恨みが高まりそうである。
話してくれたリラと、今も守ってくれているシェリーに感謝しつつも、蒼太は悪化しかしない状況に不安を覚えた。
「さて、いつまでも観察しているわけにはいきませんし……ファラ、発電機の準備はいいですか?」
「ん、ばっちり。でも、そんなに使えない、よ?」
「そういう時の為の
ニヤリ、と笑うリラは何か企んでますと言わんばかりの顔て、とても頼もしい。
リラの言われるがままに、4人で1階層で拾った魔物の
足場がビー玉のような無色の
「ファラ、いきますよ」
「ん、わかった」
発電機を握りしめているファラから、バチバチと小さな音が聞こえてくる。
ファラの短い髪がふわりと浮いて、蒼太は嫌な予感がしない範囲まで距離をとった。
見た目からはわかりにくいが、触ってはいけないと勘が訴えてくるのだ。
静電気のような生優しいものを想像していたら、絶対に怪我をする。
「【電気よ、集まって龍と成りなさい!】」
ビシャーンッッ!
甲高い音と共に光が結界から黒い空へと昇っていく。
雨と嵐が結界に叩きつけられる中、空から巨大な稲妻が落ちてくる。
しかし、稲妻は地面にまで落ちることなく、空中を漂うようにぐるりと旋回した。
その光は龍であった。
タンペッタのような実体のある存在ではなく、稲妻が形作った仮初の雷電龍。
『──キュリリリリリリリリリリーッッッ』
金属を引っ掻いたような、背中がぞわりとしてしまう声を発しながら、リラに作られた龍と空の暴君が激突する。
「さぁ、我慢比べといきましょうか──っ!」
リラの体が赤みがかった紫に、ファラの体は菖蒲色に光り輝く。権能を全力で行使している証だ。
そして、周囲にばら撒いていた
資源は有限で、相手が尽きるか、こちらのエネルギーが尽きるか。我慢比べと言ったリラの表現は間違ってないだろう。
(僕も戦うことになったら、どうすればいいんだろう)
力も体も何もかも敵わなくて、蒼太の戦うフィールドにはいない存在。
どちらにしても、今は見ていることしかできない蒼太は、じっと偽物と本物の龍の戦いを見守っていた。
────────────
[後書き]
【魔物図鑑】
☆空龍王 タンペッタ
風と水を操り、嵐と雨を起こす空の王者にして、1階層の支配者。
他の龍種と同じく、逆鱗を攻撃されると体が少し柔らかくなる代わりに暴力性が増し、理性を失う。
柔らかくなると言っても龍基準なので、人間からすると攻撃が効いてないと思うぐらいには頑丈。
空の王者というだけあって、1階層の攻略者では普通ならばまず、倒せない。
候補者でもかなり苦戦するであろう相手なので、戦闘は非推奨である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます