32刀目 湖に咲かぬプワリメの花
兎やミミズの群れも跳ね除けて、草原を歩くこと数時間。
そろそろ早朝の時間帯に差し掛かる頃。目の前に広がる景色を前に、蒼太は感嘆の声を漏らした。
「地図でも見たけど、現物はもっと大きいなぁ」
視界いっぱいに広がっていたはずの草原は、地図の半分まで歩いたあたりでどこを見ても水の塊へと変わっていた。
いや、水の塊というのは違うだろう。これは湖だ。
底が見えそうなぐらい綺麗なのに、煙のような何かが蠢いていて、底が見えない湖である。
「ここでちょうど中心ですか。今のところ、
「ん、反応はない」
「こっちも、それっぽい魔物の姿は見えへんわー」
確認するように問いかけるリラに、《地図》を見ているファラと双眼鏡で周囲を確認したシェリーがそれぞれ答える。
2人が答えるように、周りにはそれっぽいどころか、魔物の影もなかった。
不自然な程の静かさ。
嵐の前の静けさというべきか。勘が騒いでいる上に何かの気配を感じるので、潜んでいるのは間違いない。
蒼太も2人に倣うようにぐるりと周囲を見渡す。
「そういえば、ここにはプワリメの花がないんだね」
湖に来るまでの道で、どんどん増えていたプワリメの花。
あの白い花が湖付近には全く生えておらず、辺りは水の青と草の緑以外の色がない。
どこかに花がないかと観察していると、こちらに向かって歩いてきたベガが話しかけてきた。
「こういう時、なんか嫌な予感がするんっすよね」
「僕も何となく嫌な感じがするんだけど、ベガも?」
「坊ちゃんのようなヤバい勘じゃなくて、経験っすけどね。ほら、この土を見てください」
土を握った両手をベガが近くで見せてくれるが、何の違いがあるのかわからない。
「ごめん、何が違うのかわからないんだけど」
「それはそうでしょう。プワリメの花が咲いていた土も、ここの土も差はないっすから」
土を地面へと投げ捨てたベガは、手を布で拭きながらケラケラと笑う。
見比べさせておいて『どちらも同じです』だなんて、経験とは一体何だったのだろうか。
蒼太が顔を顰めていると、綺麗に拭かれたベガの指が頬を軽く突いてきた。
「拗ねないでほしいっすよー」
「……拗ねてないよ」
「拗ねてないと言うのなら、続けるっすけど……土も変わらず、環境の変化も殆どない。それなのに花がないということは──水自体に問題があるか、ダンジョンが花を生やさないようにしたか。そのどちらかだと思うんっすよねー」
ベガの言葉に釣られるように湖を見るが、特におかしいところはないように感じる。
汚染されている可能性もあるが、《天秤》の権能を使うリラが気付かないとは思えない。
ならば、残りの可能性はベガが言っていたもう一つの選択肢が可能性が高いだろう。
「ダンジョンが花を生やさない理由って、なんだろう」
「ただの花と考えるから難しいんっすよ。プワリメの花は何の花だとファラは言ってたか、覚えてるっすか?」
「解毒効果のある花、だったっけ?」
「イェス! つまり、湖の中で虎視眈々と狙ってる悪い子は、毒持ちという──」
言葉の途中で、水の中から飛び出してくる影が見えた。
狙いは菫色の頭。回復の要であるシェリーだ。
紫色の鋭い何かがシェリーに向かって伸ばされ、突き刺さる。
「《結界》っと。危ないなぁ……ちょーっとオイタが過ぎるんとちゃう?」
突き刺さったと蒼太は思ったのだが、何故か攻撃はシェリーの前で止まっている。
蒼太と同じく、攻撃を止められるとは思ってなかった影の主──腰よりも大きい蛙は陸に乗り出してしまったらしい。
ゲコゲコと慌てるような鳴き声が響いた。
隙だらけの蛙の頭の上に、ベガのナイフが突き刺さる。
ナイフが脳まで到達したのだろう。蛙は紫色に染まった舌をダラリと垂らして絶命した。
「うげっ。この蛙、やっぱり毒持ちじゃねぇっすか。シェリーちゃんが狙われてなかったら、誰かが苦しい思いをしてた可能性があるっすよ……」
「ウチやったら大丈夫みたいな発言、やめてほしいんやけどー」
ウチも妹やぞー、と訴えてくるシェリーに、ベガは肩をすくめる。
「権能で戦闘できないファラや防御手段の乏しい姉様が狙われるより、身を守れるシェリーが狙われる方が対処できるんっすよね」
「……くっ、正論すぎて反論できひん」
ヨヨヨ、と崩れるシェリー。
そのやり取りはコントのようだが、蒼太には聞き逃せない話があった。
「ねぇ、ファラが戦えないのって権能のせいなの?」
「ん、《創造》の権能があるから、戦えない」
蒼太の問いにファラが答えてくれる。どうやらベガの本当の話のようだ。
ファラが戦えない。それは蒼太も知っていた。
しかし、蒼太はてっきり、シェリーと同じく武器などが扱えないから戦えないのだと思っていたのだ。
(便利で素敵な力にも裏があったのか)
蒼太は目を見張ってファラの様子を伺う。
目と目があったファラの方は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「権能も大きいデメリットがあるんだね」
「でも……行動だけで、助かってる」
「もしも性格が引っ張られて戦えない性格がとかになったら、ダンジョンに同行も難しいかもしれないっすからね──」
ファラの言葉足らずな発言にベガが捕捉する。
1つの行動への制限ならば、その行動を気をつければいい。
しかし、もしもそれが性格であったら? 戦闘行為というものが無理なのか、戦闘そのものが無理なのか。
そんなことを考えたら、まだ行動を制限されている方がやりやすいだろうと、ベガは言うのだ。
「なぁなぁ、お話しするんはええんやけど、この蛙どうにかしてくれへんかなー?」
どうやら話に夢中になり過ぎていたようだ。
湖の方に視線を向けると、両手を広げているシェリーと、何かに阻まれて押し潰されているような蛙の姿が見える。
両手両足の指で漸く数えれそうな数の蛙が詰まっている姿に、蒼太は変な声を漏らした。
「蛙が瓶詰めされてるみたいな状態になってるけど、何これ……」
「何これって言われても、ウチの《結界》っていう権能で生み出した壁に突撃してくる蛙やなー」
半透明な壁のようなものを作り出して、湖から飛び出してくる蛙を跳ね返す。
蛙をその場で押さえつけているのはシェリーの権能のようだった。
ベガとの訓練中、「ファラと姉様のことは気にかけるっすよ! 紙なんすから!」と念を押された理由がなんとなくわかった気がする。
《結界》という名前の通り、自由に作れる盾のようなものをシェリーは持っているのだ。
貫通されない限り、シェリーは安全だろう。
「ウチもまともな攻撃手段は少ないし、リラ姉さんの攻撃もあんまり効いてないみたいやから、早よ倒してもらえると助かるわー」
「うん、すぐに片付けるよ」
シェリーが蛙の方へと顔を動かすので、蒼太は慌てて行動する。
結界の外へと回ると、蛙は結界の向こうにいるシェリーに夢中らしい。
後ろに迫る外敵に目もくれず、紫色の舌を槍のように突き刺していた。
近づいてみると、体から粘液を分泌させているらしく、表面の光沢が目に入る。
生半可な斬撃では粘液で滑って切れなさそうだ。急所を突き刺した方が早いかもしれない。
蒼太が刀に手をかけると、ベガから待ったの声がかかる。
「坊ちゃん、刀で雑に突き刺すのはやめた方がいいっすよ。ほら、これあげるんで、良い刀でグサってしないでほしいっす」
ベガから渡されたのは柄付きの鋭い鉄串、いや、アイスピックと言われる道具だった。
何故か2本分渡されて、両手が埋まってしまう。
「どうして2本……?」
「意地でも刀を使わせないというアタシの鋼の意志っす」
「いや、言葉で理解したし、使わないよ」
どうやら、ベガはファラの子供といえる刀を雑に扱うように見える真似はしてほしくないらしい。
怨念でも篭ってるのではと思うぐらい、強い気持ちをアイスピックと共に受け取ったのだ。
今から刀を抜いて蛙を突き刺す勇気なんて出るはずもなく、アイスピックで蛙の脳天を突き刺すベガの背中を眺める。
「坊ちゃん、シェリーが囮をしているうちにサクッと片付けるっすよー」
「う、うん」
蒼太もベガの姿に倣うように、粛々とピックでトドメを刺す作業を行うのであった。
────────────
[後書き]
【魔物図鑑】
☆ランスタング・フロッグ
地球ダンジョン1階層・草原エリアの湖付近のみに出てくる魔物。
毒を分泌する槍のような形の舌が主な攻撃手段の蛙であり、よく突撃する習性がある。
そのせいか、一度狙った獲物を執拗に追い、周りの外敵や獲物が見えないことも。
水と土の攻撃に耐性があり、リラが仕留められず、蛙の瓶詰め状態になったのは習性と耐性が原因である。
実は獲物が元気にならないように、周辺のプワリメの花を発見すると刈り取る係が群の中にいるようである。
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