2刀目 見知らぬ人

 目が覚めると、身体がひどく重たかった。


 全身に何かが乗り掛かっているような重さだ。視界もぼやけていてまともに機能していない。


 喉は渇いていないものの、胃は空腹を訴えている。


 普段の調子も良いとは言えないのに、今の体はいつも以上におかしい。風邪っぽいのに、風邪らしさがどこにもないのだ。


 そうやって、体のことばかりに気を取られていたからだろうか。


 蒼太は近くにいる存在に、声をかけられるまで気がつかなかった。



「おはようございます、体の調子はどうですか?」


「おはようございます……ちょっと変な感じだけど、大丈夫」


「そうですか、それなら良かったです。1日中寝ていたので心配していたんですよ」



 寝転んでいる蒼太の上から、誰かが話しかけてくる。


 それは母親の声と比べるのは失礼なぐらい、心地いい鈴のような声だった。


 話しかけられたので思わず返事をしたが、蒼太の知り合いの女性なんて母親しかいない。


 だが、声の主は全く見知らぬ人であった。


 その女性は思いつく賛美を並べても陳腐に感じるぐらい、綺麗な人だった。


 ウェーブがかった金髪に左が紫、右が赤と特徴的な目の色。


 顔は異国の芸術品のようなのに、何故か着ている服は割烹着かっぽうぎである。


 似合わなさそうな組み合わせなのに、不思議と似合っているのは素材の良さが成せる技か。蒼太は思わず見惚れてしまう。


 そうやってまじまじと女性を観察していると、ぐぅー、と間抜けな音が響いた。


 音の発生源は下、蒼太のお腹だ。


 恥ずかしくて悶える蒼太に、女性は上品な笑みを浮かべた。



「ふふ、実はご飯の準備をしていたんです。先に食べませんか?」


「ご飯? そんな、いいの?」


「大丈夫ですよ。用意するので、そのまま待っていてくださいね」



 穏やかな笑みを浮かべた女性が部屋を出ていく。


 1人残された蒼太はぐるりと周囲を見渡した。



(やっぱり……知らない人が家にいる)



 もしかしたら病院か、知らない場所に来てしまったのかと思ったが、そうではないようだ。


 いつも使っている寝室で、見知らぬ誰かが今、ご飯の準備をしているらしい。


 どうして彼女が家にいるのかは不明だが、悪意も感じない。


 蒼太は女性をどうすれば良いのか、わからなくなっていた。



(今はご飯を用意してくれているというし、気になることは後で聞こう。決めつけるよりはいいよね)



 栄養が足りず、まともに回らない思考を雑にまとめて立ち上がる。



「でも……さすがに丸腰はまずいかな」



 寝る前の不思議な出来事が頭にぎり、クローゼットの奥に隠している木刀を持つ。


 軽く振ってみるものの、丸一日眠った程度なら体の違和感もそこまでない。


 頭は回らないが、体は努力を裏切らないらしい。


 これならばあの時のように、煙に襲われてもある程度は対処できるだろう。


 わからないように掛け布団と敷き布団の間に木刀を隠して、もう一度寝転んだ。



「入りますよー」



 そんな行動をしつつ10分経った頃、準備を終えたらしい女性が部屋に戻ってくる。


 女性の右手には水の入ったガラスのコップと、大きめのお椀を乗せたお盆。逆の手では折り畳みの机を持っていた。


 女性はお盆を床に置くと、テキパキと机を組み立てていく。


 流れるような動きでお盆も机に置いた後、机を蒼太の側に近づけた。



「お待たせしました、どうぞ召し上がってください」



 お椀の中には煮込まれて水分が多く含まれた白米に、トロトロの卵が入っていた。


 彩りなのか、刻まれた葱と海苔が乗せられている。とても美味しそうな卵粥だ。


 伺うように女性の方を見ると、視線に気がついた彼女は「どうぞ」と皿に手を向ける。



「いただきます」



 久しぶりの料理に蒼太は唾を飲み込みつつも、蓮華に手を伸ばす。


 蓮華で卵粥を掬うと、ふわりと出汁の匂いが鼻にまで届いた。


 一口。二口と冷ましながらゆっくり食べていたが、ある程度、冷めてからは掻き込むように食べる。


 行儀が悪いと叱られそうだが、女性は特に何も言わず、にこにことこちらを見ているだけだった。



「ご馳走様でした」


「はい、お粗末様でした」



 食欲の赴くままに食べたら、あっという間にお椀の中はあっという間に空になる。


 ご飯を食べ終えて、落ち着いた蒼太は気になっていたことを口にした。



「それで、その。ご飯を食べた後で言うのもなんだけど……あなたは誰?」


「誰かと聞かれますと、あなたが拾った後、驚いて投げた石ですね」



 当然のように答える彼女を上から下までゆっくりと観察するが、どこからどう見ても人である。


 石らしい要素もないし、女性の体が小さな石でできているとも思えない。


 《投げた石》というはあの夜、赤い人型の煙が出てきた赤色の石のことだろう。


 あの石が今、蒼太の目の前にいる彼女であると、女性は言うのだ。



(石、煙が出てた石……ね)



 その時にふと、昨日の煙のことと、昔に読んだ幻想の生き物図鑑に出てきた『吸血鬼』と『ゴーレム』の解説が重なった。


 両者は共に人外であり、吸血鬼は血を吸うなどという話はもちろんのこと、霧に変身することができるという。


 ゴーレムは土や石、金属で作られる人形で、中には核があるゴーレムもいるんだとか。



「石だというのが本当ならば、あなたの心臓部分が赤い石。石から出ていた煙のようなものを体に変化させてるとか?」


「殆どヒントなんてないのに、よく予想できますね」


「ハズレだった?」


「いいえ、貴方の予想で大体正解です……ですが」



 女性は人差し指を蒼太の胸に指して、口を開く。



「石は貴方の中にあるので、そこだけが違いますね」



 女性はどこからか手鏡を取り出し、蒼太を映す。


 そこにはいつも通り、ガリガリに痩せ細った白髪碧眼の子供が映って──は、いない。


 痩せた白髪の子供まではいつもと同じだ。目の下のクマもいつも通り、はっきりとわかるぐらい酷い。


 だが、目の色が右のみ、いつもとは違っていた。


 左目と同じく青だった目の色が紫に変色している。


 それこそ、今目の前にいる彼女の目の色と反対のような……



「青い目、綺麗ですね。深海を覗き込んでるみたいで私は好きですよ」


「ありがとう。嬉しいけどね、そっちじゃなくて。右の紫色ってもしかして……?」


「はい、その瞳が私と貴方が繋がっている証。貴方の中に石がある証拠なんです……それで、その」



 彼女は最初に見た時から今まで、変わらない微笑みを浮かべていたが、その時だけは違うように見えた。


 目だ。顔や口よりもより心の内を物語る目が、申し訳なさそうに訴えかけてくるのだ。



「そのまま中にいてもいいよ。そんな申し訳なさそうな顔をしなくてもね」


「……何も聞かないんですか?」



 そう問いかけてくる彼女に、蒼太は目を細めた。



「このまま居着いて殺してやろう、とか考えてるなら別だけど」


「殺すって……そんな物騒なことをしませんよ」


「じゃあ、気にしなくてもいいよ」



 寧ろ、子供の蒼太では衣食をまともに買うこともできないので、そちらをどうにかできる手は逃すつもりはない。


 いつまでも『捨てられたもので生きれるんだ』と思う程、楽観的な思考をしていないのだ。


 子供という立場は何かと面倒なのである。

 人でなくても大人に見える存在がいるのと、いないのとでは対応が雲泥の差なのだ。



「僕はあなたを利用したいと思うことがある。あなたも僕を利用するつもりでいればいいから」



 蒼太は彼女に買い物を代行してもらうなどして、生活の質を上げたい。


 彼女も蒼太が必要だと思っているのならば、細かい経緯とかは特に必要ない。


 命を取ろうとするなら関係は終わりだし、血の繋がった親子でも、愛などは存在しないのだ。


 他人ならば尚更、利害関係があるのは当然だろう。



「僕は秤谷はかりや 蒼太、今年の10月で13歳です。あなたの名前は?」


「名前ですか、そうですね……リィブラと呼んでください」


「そっか、リーブリャ……ごめん、呼びにくいから名前じゃなく、あだ名みたいになるけど『リラ』って呼んでもいい?」


「大丈夫ですよ、仲間にもそう呼ばれてますし」



 女性──リラはくすくすと笑いながら返事をした。


 あそこで噛んだのは致命的だった。彼女の目が微笑ましい何かを見る目になっている。



「とりあえず、これから暫くの間、よろしく」


「ええ、よろしくお願いします」



 蒼太は視線を無視して握手した。これで利害関係は結ばれたわけだ。



「ふふふ、御世話し甲斐のありそうな子ですよねぇ」



 リラは笑顔のままなのに器用に目だけは狙っているような、しかし身の危険は感じない奇妙な視線をむけてくる。


 ……本当に大丈夫なのだろうか。


 蒼太は早速自分の決断に後悔しそうになる。

 しかし匙は投げられたのだ。後は進んでみるしかない。



 少なくともその先は、彼女と会う前よりかはいいはずなのだから。




 ──────────


[後書き]


蒼太の状態異常


空腹、水分不足によって、思考と呂律が回っていない。


コメント「普段ならリィブラぐらい発音できるよ、ホントだよ」

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