5
今日はこれで三度目のごみ運びだ。
いったいどれほどの料理を作ろうと言うのか、宮殿の食材を使い果たす勢いで調理室は動き回っている。ごみもすぐに溜まってしまい、下使いの子供では運べない量になり、こうして俺が運ぶ羽目になっている。
「すべての民人に祝儀を配るそうだ」
料理長が言った。どんな子供にも老人にも配り損ねがないように街の役人・顔役にきつく達しが出たらしい。忘れるな、くすねるな、と。
「食材倉庫が許す限りできるだけ甘い菓子を、とのご命令だ」
現国王陛下のご婚儀の時もご祝儀が配られたが、「民人すべて」ではなかったらしい。
「隣国とのめでたい祝儀だ。平和が保証される祝いだね、これは」
料理長は大きな声でそう言ったが、陰でこっそり俺だけに
「王はお諦めになったのかもしれぬ」
と言った。
「隣国に蹂躙されれば民人はこの先どんな目に合うかわからん。その前にせめて甘い菓子を食べさせたいと思ったんじゃないかね。下々には『甘いもん』なんか食べたことない子もいっぱいいるからね」
確かに……俺もお菓子なんか親元にいるときには食べたことがなかった。王宮に来て初めて果物というものを食べたとき、母親に食べさせてやりたい、と思った記憶がある。
(今、俺や俺の家族が今夜の飯に困らないのは陛下のおかげなのだ)
改めて王のご温情を身にしみて感じた。その王が祝いだと触れ回る明日の婚礼は王を窮地に立たせているのか。祝え祝えと言っているのに。
料理長は陛下とは懇意だ。よく呼ばれ話し相手になっている。
「お話しを伺うだけさ。重臣のかたには言えない愚痴も時々は言いたくなるのだろう。国王陛下とはいえ人なのだからね、生きているのだからね」
そう言えば、と料理長が言った。
「王妃様がなくなった時は本当にお気の毒だった―――あの時、『義務』と『使命』の違いは何だろうとお問いになったが、俺のような無学には分かり兼ねると答えた」
『お前には様々な経験とそこから得た知恵や知識、いろいろな事柄を乗り越えてきた強さと判断力がある。それでもわからぬものなのだな』とさみしそうに微笑まれた。
「先ほど献立の確認をお尋ねしたとき、また同じことをお聞きになった」
「なんとお答えしたのですか」
思わず問う俺に
「わかりません。とまた答えた」
答えようと思えば答えられなくはなかった。だが、答えてはならないような気がしたのだ。陛下はお疲れだった。この婚儀、我が国には佳き事ではないのだと、その時感じたのだよ。
泉水から銀杯に水を汲む。ゴミ捨てから遠ざかってからは時折しか来ていないこの泉水の水はやはり一番旨い。
ご婚儀が『佳き事』ではないのなら、姫君は今、どんな思いで過ごされているのだろうか。
幼心に身に余る宝物を下された、と大事にした杯。下されたのが我国で一番高貴な姫と知ってからは憧れも抱きつつ、国王陛下のご温情を料理長から知らされたのも相まって、この国のために、陛下、姫殿下のためにと忠義を心掛け身を粉にして働いてきた。
だが陛下・殿下のご窮状のこの折、この俺にできるのは諦念の菓子を拵えることだけだとは。上っ面の祝いの宴を飾る料理を作ることだけだとは。
(姫様が俺の料理を美味しいと褒めてくれる日は来ないのかもしれない)
不幸は人の味覚をきっと閉ざすだろう。
あぁ。そうなのだ、俺の幸せはここにあったのだ。いつか料理長となり、姫君に褒められる料理を作る。それが、俺が求めた幸せなのだ。水を飲み干し、銀杯を見つめた。あの日、これを賜ったとき、俺の幸せは決まっていたのだ。
「その杯を持っているとは……」
急な声に身構えると、見るからに身分が高そうな若者がこちらに近づいて来る。後ろに従者らしい、しかしこれもまた身分が高そうな若者が従っている。来賓だろうか。慌てて
「よい、
と心地よい声が聞こえた。
「そなた、王妃様のご葬儀の日、ごみ箱を置き去りにしたな」
と微笑みながら問うてくる。従者らしき若者がやたら袖を引くのはやめろと言っているのだろう。
身分高きおかたに直答できるはずもなく黙っていると
「あの時のごみ箱は重かったな。今ここにいるところを見ると未だごみ運びの仕事なのか。あの時のごみ箱よりずいぶん大きなごみ箱だが……その杯、姫から賜ったのだろう。姫には私が差し上げたのだ。懐かしい」
あの時……運んだのはこの若者だったのか。姫ではなくて。しかもこの銀杯、元を
「苦しくない。言葉を発せないわけでなければ答えよ。何を責めるわけではないのだ。あの時以来のこの庭、懐かしさに足を延ばしたが、さらに懐かしいものを見かけ声を掛けた。遠慮はいらぬ」
そうは言われても、と従者の様子を盗み見ると、
「王子が直答を許された。臆せず答えるが良い」
と、怒った調子ではあったが返事がある。
「お察しの通りその時の不調法者であります」
言葉使いはこれでいいのだろうか。そうそう、その時は唄っている姫君を盗み見たのだから不調法者、きっとそうだ。
「不調法者、か」
王子と呼ばれた若者が声を立てて笑う。
「それでその不調法者は今もごみ運びか。一生ごみ運びは辛かろう。ほかに仕事はないのか」
「滅相もございません。いまは宮廷調理人の一人として料理長の元、国王陛下に仕えております。今日は明日のお祝い事のため、通常より多くのごみが出まして、下働きに運ばせるには重すぎると、俺が運んでいる次第であります」
「明日の婚儀のためか。それでは私からも礼と詫びを言おう。身を粉にして働いてくれてありがとう。仕事を増やしてしまい済まないことだ」
明日の婚儀のためならば礼と詫び……これが、この若者が、姫のお相手――
思わず一瞬、顔を見つめてしまったがそれを隠すように慌てて答えると、声も裏返る。
「め、め、めっ、滅相もございません。あり、あり、有難きお言葉であり、あり、ありますでございます」
後ろの従者がたまらず吹き出した。流石に今の俺の言葉では失笑されるだろう。王子と呼ばれた若者を上目遣いで見るとニコニコしているだけだ。
「そう硬くならずともよい……そうか、しっかりと身の立つ仕事をもらっているのだな。嬉しいぞ」
「はぁ……」
嬉しいと若者が言った。なぜ俺の身が立つと嬉しいのだ?
「あのあと私はこの国の王に食って掛かったのだ。『この国では小さな子供を働かせるのか』と。今再び、そなたを見たとき、まだごみ運びとして使っているとは、やはりこの国には私が必要だと
調理人の心の中に何かがずしんと音を立てて落ちた。このかたが……このおかたが姫様のお相手。ならば、ならば姫様がお幸せになれないと限らないのではないか?
子供のころに子供を働かせることに憤り、子供の代わりに身分ある身でありながらごみを運び、長じてからはごみ運びの子供が身の立つ大人になったと喜び、そうでなければ一肌脱ぐところだったと言っている。そんなかたなら……
「あれ、おぃ、おまえ、まだいたのか」
急に従者の声が響いた。
「も、申し訳ありません。すぐ立ち去ります」
「いや、そなたのことではない調理人よ。猫が、な……先ほど王子になついた猫がどこかに消えたと思っていたのにまた現れたのだ」
見るとさっき餌をやった猫が王子の装束にしがみついてよじ登り、今、王子の腕に収まったところだった。
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