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街は明日の一大イベントを前に賑わっている。あと数刻もすればもう一人の主役が到着することだろう。隣国の王子が我国の姫を后にするためこの国に来る。そしてそのまま将来の国王候補として、この国に留まるのだ。隣国王の何番目かの王子、婿に来るのではなく、あくまで姫を后にという。
臣下が誰もいなくなった寸時、眉間に指を当て、王はうなだれた。どう考えても姫に幸せは望めまい。足元にどこからか猫が近寄り覗き込むように見上げたが、それに気付くことなく物思いに耽るばかりの王である。
姫を后に望むその王子には多分一度会っている。わが王妃の葬儀の時、国王代理の兄王子に着いてきた。どうしても自国以外に行ってみたいという本人の希望に押し切られてしまったと兄王子は詫びていた。兄王子は王妃の葬儀で貰い泣きしてくれるほど優しい心根をしていたが、年の離れた弟王子はわがままに育てられていると見える。
まあ、まだまだ幼い子供だった。わが姫と王宮の庭で遊びまわって泥だらけになって戻ってきた。そして小生意気でもあった。
「この国では私と年齢の変わらぬような子供でも王宮で働いているのですね」
非難するような言い方だった。
「幼い子供を働かせることを国として禁じてはいないのですか」
国賓である兄王子が慌てて遮り、形ばかりでも謝罪を口にすれば、笑い話にするほかはない。
(子供が働かなくてもよい国……そんな国におぬしならできるというのか)
子供相手に何を競うのだ――いや、すでに子供ではないのだな。わが姫を后にしたいと言っているのだから。
我が国より広い国土、豊かな地に強大な経済力、それに基づいた軍事力……隣国の助力にて維持されている半面、常にその力の脅威に曝され続けた我が国。この婚礼はその脅威から救ってくれる。民人にはそう触れを出した。そうするしかなかった。
隣国の王子は和平を望んでいるという。王族が縁を結べば、
その上自身が次の王に
国王に相応しくないとなれば、わずかな
次期国王が決まるまでは人質となり、あわよくば王座を手に入れようとのことだが、相応しくなければ王座もいらぬ、代わりに少しは扶持をよこせと言っているものの、やれぬと言うなら尻尾を巻いて帰るが、姫は人質にもらっていく、そんな内容だ。
その書簡を読んだとき、どれほどの怒りがわが身の内を巡ったことか。姫をないがしろにしている感が否めないのに、余りにもわが方に都合が良すぎる。自分を売り込んでいるように見えて、こちらを見下している。こんなことなら次期国王になると宣言された方が納得いく。姫を大事にすると一文はあったが具体的には何もない。
我が国に王子はいないのだから、王位継承権一位の姫を大事にするとは皮肉にしか聞こえない。だいたい、この条件を鵜呑みにすると思っているのか、いやこの書簡を読み、小躍りして喜べとでもいうのか。しかし ――
閣議でも書き連ねられた諸々を「真」と受け止めるか「偽」と見るか、大いに協議がなされたが、どちらであろうとも我が国に否はなかった。拒めば攻め滅ぼされ、受け入れても滅ぼされる。「偽」であれば、婚礼と称して乗り込んできた隣国軍にわが国は蹂躙され占領されるだろう。そうはならずとも何年か後には隣国の横やりもあり王座は隣国王子に譲らないわけにはいかなくなる。「真」であれば拒んだ場合、それを理由にやはり攻め込まれるだろう。平和を望まぬのだな、と。やはり敵対するつもりなのだな、と。
第一断る理由もない。むしろ良縁だ。自国の姫が大国の王子の后となればその大国の庇護が得られ我国は安泰となる。
しかし姫を人質に取られた感も払拭できない。王子は「大切にする」と書簡をよこしたが、何を根拠に信じたものか。王座を手に入れた途端、虐殺されないと言いきれぬ。「両国の平和のため」との枕詞を鵜呑みにしてよいものだろうか。
我国最後の日になるのか、それとも待ち望んだ平和の礎が築かれる日となるのか、その日は明日に迫っている。それにしても―――
(この期に及んで姫の幸せを気にするか)
国王の頬に伝うものが光る。できることならば我が子には幸せになってほしい。そうでなければ亡くなった我が后にも顔向けできない。本音を言えば国などどうなってもよい。娘だけは許してほしい。近頃は己が妻との出会いを思い出さぬ日はない王である。娘は日々妻に似ていく。
王妃との出会いはたぶん仕組まれたものなのだろう。今となってはどうでもよいことである。王宮の片隅、泉水のほとり、小鳥たちにちぎったパンを与えていた。
「こんにちは」
声を掛けると一瞬怯えた目をしていた。小鳥に夢中で、近づく者にまるで気が付いてなかったのだろう。
小鳥が好きかと尋ねれば
「生きているもの……命が好きなのですわ」
と答えた。
「ここのお庭はいいわ。小鳥が人を恐れずにこうやって掌でパンを啄む。たまに栗鼠もやってきてパンをくすねるの。季節ごとに花が咲き、木漏れ日はきらめいている。冬には雪が降るけれど、きっちりと地を包んで土中の草たちを暖めて―――」
装束の仕立ての良さから行儀見習いに来ている諸侯の姫だと察しがついた。あの日あの時、何故あの場所に行ったのか覚えていないが、誰かの、当時の王……私の父の重臣の誰かの企みだろう。
その手になんか乗るものか、そうは思ったものの、幾度も通い言葉を重ね、やがて人生を重ねる相手はあなただと告げる日が来る。
(后よ、あなたはただ驚いて、どうして王太子だともっと早く言ってくれなかったかと私をなじった。言えなかったのだよ。言えばあなたは怯えて、小鳥のようにどこかに飛んで行ってしまいそうだった。失いたくなかったのだ)
企みではあっても后はそれを知らずにいたのだろう。だからこそ私を惹きつけた。
あなたは本当に小鳥のようだった。自由で優しくて柔らかで……そして臆病で可弱かった。あなたの強さを見たのは一度きりだ。
難産からなかなか回復せず幼い姫を残してとうとう
「陛下にはこの国を守る義務と、姫を守る使命があると、ゆめゆめお忘れなきように。でないとゆっくりと眠れません。次にお会いする時は、いつかのように『こんにちは』とお声がけくださいな。そして『姫は幸せに過ごしておる』とお知らせくださいませ。わたくしはあのお庭でいつまでも陛下をお待ちしております。出会った時から変わらぬように」
后よ、私の幸せはすべてあなたがもたらしてくれた。それなのに『使命』とあなたが言った姫を守る約束 ―― 守れないかもしれぬ。
義務と使命、あなたはなぜ使い分けたのだろう。義務と使命はどちらを優先すべきなのだろう。己に課した問いかけに答えを導けないまま、私は義務に生きることになる。愛する姫を、かけがえのない娘を犠牲にして、亡き妻の願いを反故にしてまで。
(姫の幸せだけはどうか、などと隣国には言えぬ。そんな願いは聞き届けられることはない。先方にとって姫はそもそも必要ないのだ ―― ふがいない私を許してくれ。今でも私は、あれほどの愛と幸せをあなたから受け取りながら、わが身分をなかなか言い出せなかったあの時の、ふがいない私のままなのだよ)
亡き妻の面影に自嘲する王のうなだれた手から
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