138話追跡者

 光に飲み込まれ、再び現れた先は何処かの山の中。

 女の目の前には白い岩壁がそそり立っている。

 岩肌の質や周りの木々の様子から、先程までいた土地とは明らかに違う場所だとわかる。


「…………やはり」


 周囲をグルリと見廻した女が、得心が行ったというように口元の笑みを深めた。

 目の前に聳える壁のような岩肌に向け、いまだ光を発する聖杯を掲げれば、その壁面にピシリと割けるように光のラインが走った。

 一本の光の筋は見る見る幅を持ち、大きく横へ広がっていく。

 まるで両開きの巨大な扉が開いて行くように、光がゆっくり大きく左右に伸びる。


 気付けばその壁面には、荘厳な門柱のような装飾が知らぬ間に刻み込まれていた。

 それはまるで、おごそかでいて厳粛な神殿の門のように見える。

 左右に開く岩肌にも、いつの間にか扉のような意匠が施されている。

 今、ゆっくりと女の前でその壮麗な扉が開かれた。


「クラリモンド! 私の影に繋がっているのでしょう?」


 隠されていた門が開かれた事を見届けた女が、どこかへと向け声を上げた。

 するとそれに答えるように、女の影が大きく広がる。


「開きましたか? ルアル・ナ・ルブレ」


 その影の中から滲み出るようにして、血よりも赤いガーネットのドレスを身に纏う女が現れた。

 白磁の肌に切れ長で空色に染まった瞳は冷ややかで、厚みのある唇は血の様に赤い。

 綺麗に真ん中で別れ、流れる様に左右の胸元に落ちるプラチナブロンドの髪は、先へ行くほどに輝きを増していく。

 影の中から現れたその赤いドレスの女が、蒼いドレスを纏う女の横へと、音もたてず滑るように移動して並び立った。


「約束は果たしましたよ。聖杯を受け取りなさいクラリモンド。この先は貴女の仕事です」


「感謝しますルアル・ナ・ルブレ」


「精々恩に着てもらいましょうクラリモンド」


 酷く静かな眼差しで、ルアルはクラリモンドへなみなみと血をたたえる聖杯を差し出した。

 その差し出された聖杯を、クラリモンドは恭しく受け取る。


「『狭間に至る証は5つと3つ。許しと嘆きを得て、風を生み大地を合わせ虹の果てに黄金の鍵を得よ。黄金の鍵を持つ者のみ扉は開く』太古に神々が残したとされる言葉……。五つの石は順調に集まっている様ねクラリモンド」


「おかげ様でルアル・ナ・ルブレ。元より、在る場所は分かっていますから」


「それは何よりですクラリモンド。おめでとう。これで黄金の鍵に至る為のひとつが、漸く手に入る訳ね」


 ルアルの言葉に応える事無く、聖杯を手にしたクラリモンドは光の門の中へと消えて行った。

 それをルアルは温度の無い眼差しで静かに見送る。


 クラリモンドが門の中へ消えると同時に光の門も掻き消え、元の岩肌へと戻っていた。

 それを見送ったルアル・ナ・ルブレの周りに、静かに風が巻き始める。


 風と共にまるで重さが無いかのように、フワリとルアルの身体が浮かび上がる。

 そこから目の前に聳えていた岩壁を見下ろす高さまで登ると、そのまま辺りを見回すように、ゆっくりとその場で身体が回り始めた。


「やはりこの山で間違いは無かったわね。あちら側にある鉱山の入り口から丁度裏手になるのかしら? うふふ、文献だけから此処を特定できた、あの子を褒めてあげないとね」


 クスクスと笑いながら、空中で踊るようにルアルが廻る。


 そのまま左手で、空を撫でるように指を踊らせた。

 するとその手の中に、拳大の赤い塊が現れた。

 それはビクリビクリと小さく脈打ち、赤い雫を垂らしている。

 見る見るルアルの左手が、赤く濡れぼそっていく。


「あぁぁ……、やっぱりとてもいい香り……」


 その脈打つ赤い塊にルアルは鼻先を突きつけ、深く大きく息を吸い込んだ。


「これだけの物を手に入れられたのだから、手を貸した甲斐はあったのかしらね」


 手の中の赤い塊は、時折ピクリピクリと収縮を繰り返していた。

 その度にルアルの手には赤い液体が溢れて来る。

 ルアルはそれに口を近付けると、そのまま赤い塊に長い舌を絡ませて、直に味わう様にユックリとねぶり上げて行く。


「あぁぁぁ……、素敵な若い心臓の味わい……。うふ、うふふふふ」



 その時、地の底から地鳴りが響いて来た。

 山が振動し、木々も大きく揺れ始める。

 先程までいた岩肌の一部が僅かに崩落を見せ、幾つかの岩が遥か下へと落ちて行った。


「どうやら事無くクリスタルは手に入った様ね。まるで火の神殿が嘆いている様だわ」


 空中に留まったまま、手に持つ赤い塊へ愛おし気に口づけをし、大地を見下ろすルアルが呟く。


「これで3年前にハザードが手に入れた水と併せて二つ目ね。水の時には、嘆きは嵐を呼んだけれど……。火はどうかしら? 山々が火を噴き上げるのかしらね? うふふふふ」


 ルアルは手の中の物に優しく口を当て、まるでみずみずしい果実に噛り付く様に、自らの牙を突き立てた。

 忽ち中から赤い液体が溢れ出る。

 それを口の周りを赤く染めながら、夢中でしゃぶり上げていく。

 

「最っ高だわ……。こんな味わい深い品、早々得られない」


 ルアルの眼は潤み頬を染め、恍惚とした表情を見せ始めた。

 手も口周りも赤い血に塗れて、眼は金色の妖しい光を帯びる。

 至福に悦ぶ悍ましい吸血鬼ヴァンパイアの姿がそこにはあった。


「女神の嘆きを眺めながら、ジックリと貴女を味わわせてねカレン? うふ! うふふふふふふふふふ」


 邪な悦びに満ちた醜悪な笑い声を山間やまあいに響かせ、ルアル・ナ・ルブレが空中で回る。

 瑞々しく血を滴らせる若い娘の心臓を掲げ、淫靡な笑みを浮かべながらクルリクルリとダンスでもするように舞い踊る。

 岩肌に木霊するその嗤い声は、ひどく妖しく悍ましい。

 それは聞く者を心胆寒からしめる響きを持って、木々の間に溶けて行く。


 ルアル・ナ・ルブレは左手で持った若い心臓を高く掲げ、甘美な至福の歓びを味わっていた。







 唐突に、光の柱が地上から伸びる。

 それは瞬時にルアルの左手首を包み込み、それを撃ち抜いた。

 大気を裂く轟音が、その後を追う様に辺りを揺らす。


「?!!」


 一瞬で、ルアルの左手首から先が消失した。

 その手に握っていた若い心臓と共に。


「な、なんて事!!! おのれ! 誰が……誰がっっ?!」


 一瞬前まで手に持っていた心臓が消え失せた事で、ルアルの表情が憤怒に変わる。


「相変わらずの醜悪な趣味ね」


「お、お前?!!」


 すぐ真後ろから声をかけられ、ルアルは目を見開き振り返る。

 そこに自分と同じく空中に佇む者を確認すると、ルアルの髪が逆立ち、その目は炭火のような光を帯びた。


「『砂塵の塔の僕』、『地を走る炎』、『赫奕たる錬金の薬師』、『月明かりの森で詠う者』。……そして、悍ましい『心臓喰らい』! ルアル・ナ・ルブレ、久しいわね」


「貴様ぁ! アルマ・マルマぁ!!!」


 ルアルの目が鬼神のように釣り上がり、その相手を憎々し気に睨みつけた。

 吹き飛ばされた筈の左手は、既に元に戻っている。

 だが、その手の中にあった物は失われたままだ。


 改めてそれを確かめる様に、左手をギリリと握り締め、眉間に大きく皺を寄せた。


「そうね! ……貴女とは、何百年かぶりかしら?!」


 言葉こそ静かだが、その目に宿る激しい憎悪は隠せない。

 発する言葉の節々に、獰猛な響きが染み出ている。


「お前があの子に封印の事を教えてからだから、凡そ150年といったところよ」


「あら? 彼は喜んでくれていてよ? そんな恨みがましい目で見られる覚えは無いわ。それにしても、良く此処が分かったものねアルマ・マルマ?」


 女達の間に風が渦巻く。

 密度を上げた魔力が大気を大きく歪ませて行った。


 ルアルの髪がうねりを上げて大きく揺らぐ。

 内圧が抑えきれぬ程、膨れ上がった魔力が漏れでもしたように、その端々でパチリ! パチリと火花が爆ぜる。

 2人の周りには、物質にまで直接影響を与えるほどに、魔力の濃度が上がっていた。


「あのアンクレット。いくら巧妙に隠していても、お前のきたならしい魔力の残滓には直ぐ気付いたわ。お前が絡んでいるとなれば、その周りを調べるのは当然でしょ?」


 アルマは鼻先で小さく笑いながら、考えるまでも無いと言いたげに大きく肩をすくめてみせる。


「お前も大概ですねアルマ・マルマ! 人の守護者を気取りながら、あの娘をエサ扱いですか!」


「どの口が言うのかしらねルアル・ナ・ルブレ? それとも、嫌味のひとつも口にしなければ落ち着かないのかしら?」


「思い上がりも甚だしい!」


 目の前の人物を押し潰す勢いで、ルアルの魔力が大きく膨れ上がった。

 常人であれば、その魔力圧だけで押し潰される程の大波だ。


 だがアルマの魔力はそれを容易に押し返す。

 何かしたか? と言いたげにアルマの口元が不敵に上がる。


「慌てなくても、今日こそ綺麗に滅ぼして上げるわルアル・ナ・ルブレ」


「出来る物ならやってみるがいいアルマ・マルマ! この忌々しいハイエルフ!!」


 更に密度を増した二つの魔力が、渦を巻きながらぶつかり合う。

 大気は悲鳴を上げ、辺りには嵐のような風が吹き荒れた。

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