136話コリドーナの涙

 青藍のスカートは幾重にもドレープが重ねられ、その深いスリットからは褐色の脚が艶めかしく覗く。

 そして胸元を覆う蒼い生地は大きく開き、惜しみなく豊かな谷間を見せ付けていた。

 その蒼いドレスを纏った褐色の肌をした女が、左手でカレンを支え抱いている。

 そのまま腕の中のカレンの顔を覗き込み、エメラルド色の目を細めた。

 黒い絹の様な髪が、サラサラと流れ落ちる。


 「お久しぶりね、カレン。また会えて嬉しいわ」


 カレンを支える手とは逆の、空いている女の右手の指が柔らかに動く。

 爪は蒼く、それぞれ長々とナイフの様に伸びていた。

 そしてその爪は、全て赤い血に塗れている。


「やっぱり目の前で、貴女の最も大切な物を摘み取ってあげるのが一番だったわね? ……ぅふ! うふふふふ」


 女は、喜びが抑えきれぬと言いたげに口元の笑みを深く刻みながら、腕に抱くカレンの顔を覗き込んだ。


「時間をかけて押さえ込んだ後、感情を弾けさせれば良い芽吹きをする。そう言うのでやらせてみたけれど……結果は残念だったわ。……でも、それがあったからこそ今があるとも言える。やはり努力は称えて上げるべきね。うふふふふふ」


 そして自身の爪に塗れて手指にまで滴る血を、長い舌を使い丁寧に舐め取って行く。

 ゆっくりと時間をかけて味わう様に。


「あぁぁぁ……。思った通り、この子もとても良い……。本当に素晴らしいわ。穢れの無い、純粋な乙女の味!」


 女は横たわるコーディリアを見下ろしながら、艶めかしく自らの爪と指を舐め上げる。

 その若々しい命の雫を味わう様に。


「ああぁ! この身に、この若々しい命の滴を搾り尽くして浴びたくなる。……この衝動を抑える為にどれほどの意志の力が必要なことか! 貴女に分かるかしら?」


 指に滴っていた赤い滴を全て舐め取った後、右腕で自らを抱く様に腕を回し、恍惚とした表情で身体を捩り、何かを耐える様にブルりとその身を震わせた。


「でも、今は堪えないとね……。だって、今宵の主役は貴女なのですから」


 女はカレンの頬を愛おし気に爪の先で撫で上げる。

 その爪の長さは、いつの間にか指に収まるほどの物になっていた。


「……隠された火の神殿。……コリドーナに仕える巫女。その血筋を追うのは随分手間だったけれど……。漸く、ね」


 カレンは女に抱かれたまま、呼吸も荒く胸を激しく上下させ、その目は見開き虚空を見つめている。


「私が貸した魔法道具は、役に立って?」


 女は爪をカレンの頬から口元へ運び、その柔らかな唇を爪の先で弄ぶ。


「身体強化をするだけでなく、貴女の感情アストラルの振り幅を広げ、強い魔力も纏えたでしょう? うふふ、とても楽しそうだったわね?」


 女の言葉がカレンに届いているのかは分からない。空を見上げるその目には何も映っていない。


「沢山使ってくれたおかげで、この子達もしっかり貴女に馴染むことが出来た。……ありがとう」


 カレンの顔に描かれた赤黒いラインのひとつが、まるで生き物のように浮き上がり、女の指に甘えるように纏わり付いた。


「貴女の感情が昂ぶり、それが大きく爆ぜる事で魂殻ソウルシェルを穿ち、識心体マナスへ通じ、そこから貴女の中に眠る巫女の力にアクセスできた。おかげで巫女を守護する宝玉、この『コリドーナの涙』の加護も貫けたわ」


 女がカレンの胸元へと指を移動させた。

 その中心で輝いていた小さな石を包むように、五指を広げて突き立てる。


「これで神殿を開く為の『聖杯』が取り出せる」


 その蒼い爪が、ズブリとカレンの胸に沈み込んだ。


「ああああああぁぁぁぁ――――――――――――――――ッ!!」

「巫女を守護していた『コリドーナの涙』は、巫女の耐え難い絶望を感じ取った時、『聖杯』へとその姿を変える」


 叫びを上げるカレンを目を細めて眺めながら、その反応を愉しむ様に指をユックリとカレンの胸の中に沈み込ませて行く。

 カレンは身を仰け反らせようとするが、赤黒い光に拘束されたその身はビクリとも動かない。


 女は、掌の中にカレンの胸に在った小さな赤い宝玉を収め、そのままカレンの胸の奥へと手を沈めて行き、遂にはその心臓を掴み込んだ。


「――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!!!」


 カレンの喉の奥からは、言葉にならぬ絶叫が果てしなく絞り出される。同時にその身が異常なほどに仰け反った。

 女の口元が、満足気に大きく吊り上がる。


 ズボリと女の手がカレンの胸元から引き抜かれた。

 その手の中には小さな杯が握られていた。それはカレンの血に塗れ、ポタリポタリと赤い雫を落としている。

 そして取り出した杯を掲げ眩し気に見つめると、カレンの血で真っ赤に染まる自らの手に、長い舌を伸ばし愛おしそうにゆっくりとそれを舐め取った。

 忽ち女の頬に赤みが差し、蕩けた目元は恍惚とした様相を見せ、大きなため息をつく。

 そして恍惚としたした表情のまま女は、手に、杯に塗れるカレンの血を舐め取って行く。


 やがて目に付く赤い血を殆ど舐め取った後、杯を目の前に掲げ目を瞑り、その中の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「あぁぁ、素晴らしいわ……本当に素晴らしい香りよカレン」


 そして杯の縁に口を付け、中を満たしている赤い命の雫を、ひとくちだけ口に含んだ。

 そのひと口をゆっくりと時間をかけ、口の中で転がし存分に味わい愉しんでから、酷く名残惜しそうに飲み下す。

 女はその喉を降りる感触にさえ、大きな悦びを感じずにはいられない。


「あぁぁ、素敵よカレン。何と芳醇で甘美な味わい……。貴女の絶望の深さが伝わるわ。我らが真王ロードへの捧げ物としても何の遜色も無い。何年も熟成させた甲斐があったというもの」


 そしてまだ中身がなみなみと残る杯を口から遠ざけ、心から名残惜しそうに呟た。

 

「ああ、残念だけどこの位にしておかないと……。本当に、誘惑に抗う強い意志の力は必要よね」


 女はまるで面白い冗談を口にしたとでも言いたげに、口元を大きく歪めて見せる。


「……でも、だからこそ素晴らしいひと口だったわ」


 直後、カレンの身体を興味を無くしたかのように、ぞんざいに石畳に打ち捨てた。

 そして、改めてカレンの血を湛えた杯を両手で持ち、恭しく高く掲げる。

 その瞳が金色を帯びはじめ、妖しく光を放つ。


「巫女の心臓からの血を『コリドーナの聖杯』へ注ぎ満たせば、隠された女神の神殿への道が示される」


 杯を高く掲げたまま、女は金色の瞳を輝かせ、僅かな魔力をそこに流し込んだ。

 すると手の中の杯も静かに光を放ち始める。


「そして巫女の血と共に神殿の扉は開かれる……。それは世界を終わらせる為の鍵へと至るひとつと繋がる」


 その光る聖杯を胸の高さへと静かに降ろす。

 聖杯が発している光が、少しずつ強く大きくなっていく。


 ふと、女は足元のカレンと、屠られた合成魔獣の残骸に目をやった。


「あら? あなた達、が欲しいの?」


 未だに蠢く肉塊からモゾモゾとその一部が、石畳に横たわるカレンに向け伸びている事に気が付いたのだ。


「そうね……、の中にいる子は、あなた達よりもずっと濃いものね」


 石畳の上で、ビクリビクリと筋肉を収束させ、心臓を抜かれたカレンの身体がのたうっている。

 その全身に広がる赤黒い光が、何かを訴える様に明滅していた。


「良いわ、好きになさい」


 女は光を放つ杯を右手で持ったまま体を少しかがめ、横たわるカレンの腕を無造作につかむと肉塊の中心へと放り投げた。

 忽ち肉の波がカレンの身体を覆いつくし、その身が肉の中へと沈んでいく。


「うふふふ……、人成らざる物になるのね。それもまた一興」


 女は温度の無い笑みを浮かべ、その様子を眺めて呟いた。

 手の中の杯が、更に輝きを増していく。


「とても愛らしいカレン……ありがとう。そしてさようなら」


 光は大きく広がり、やがて女の全身までも包み込んだ。

 そして唐突に光が消える。そこには女も杯も掻き消えて、後には何も残っていない。


 肉塊が蠢く湿り気を帯びた音だけが、ただ辺りに悍ましく響いていた。






 やがて悍ましく蠢いていた肉塊は、確かな形を取り始める。

 それは力強い巨獣の様な、太い四つ足で立ち上がった。

 分厚い皮膚が鎧の様に全身を覆っている。

 両の肩口からは長い角が二本、前方へと攻撃的に突き出ていた。


 そしてその生物であれば首がある位置には人の姿が見て取れる。

 まるで歪な人馬ケンタウロスの様に、少女の腰から上が伸びていた。


 その人の身体には、赤黒いラインが戦化粧の様に至る所に走っている。

 顔に浮かぶラインは、まるで血の涙を流し続けているようだ。


 そしてその口が大きく開き、天に向かって叫びを上げた。

 辺り一帯に、物悲しく絶望に満ちた少女の嘆きが木霊する。















 同じその高台の一角で、清浄な気が静かに、そしておごそかに満ち始めていた。

 それは小さく細やかに金色の光を仄かに灯す。

 そこに確かな奇跡を起こす為に。

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