134話愛はさだめ、さだめは死

 地に伏した巨体の傷口から、血と共に細かな白い繊維状の物が溢れ出していた。

 それは、辺りに広がる血の池の中で悍ましく蠢き回っていたが、程なく大気に溶ける様に消えていく。

 それ単体では、壊れた細胞を繋ぎ治す力が無い。

 単体で大気に触れれば、自らの存在を保ち続ける事も出来ない。


 自分達を司る存在が無くなった今、ソレらは再び体内でより集まろうとするが、未だ内部で渦巻く『氣』がそれを許さない。


 ソレらは、溢れた血と共に外界へ次々と流れ出し、小さくのたうちながら飛沫のように消えて行く。





 展望台に整然と敷き詰められていた石畳は、今や彼方此方が砕かれめくり上がっている。

 辺りを優しく照らしていたささやかな灯りも、今は半分以上が輝きを失っていた。


「倒せたの……ですか?」


 ほんの数刻前までの、落ち着きのある空間とは思えぬ様相となったこの場所で、合成魔獣の巨体がビクリビクリと小さく跳ねている。

 ペタリと地面に座り込み、その様子を呆然と眺めるコーディリアが思わず小さく零した。


「! コーディ!!」


 構えを解いたカレンが、そのコーディリアに気付き慌てて駆け寄り声をかけた。


「コーディ! 無事なの?! 怪我はしていない?!」

「大丈夫ですよカレン。ほらこの通り……、あ痛!」

「コーディ?! コーディ! どこか痛いの?! どこか怪我をしてる?!!」

「いえ、少し手が……」

「見せて! ……なにコレ? 爛れてる? 酷い……」


 コーディリアの手を取り、その手のひらを見たカレンが目を見開き、顔を顰める。


 コーディリアの手のひらは、全体が爛れたように痛々しく赤く腫れ上がっていた。


「な、なんで……こんな」


 まるで火傷でも負っている様な有様に、それを見るカレンの目からは自然と涙が滲んで来る。


「だ、大丈夫ですよカレン! 見た目より痛くは無いのです! 今、『癒しの風』も使いましたし、ちゃんと後で神官の治療も受ければ直ぐ治ります!」


 目に涙を溜めるカレンを見て、慌てたようにコーディリアが捲し立てる。



 恐らくこれは例の『線形魔力生命体エーテリアルワーム』の仕業だ。

 『従魔の加護』を使っていた間中、魔獣に触れていた手には痛みが走っていた。

 きっと手を通じて、コチラに侵食しようとしていたのだろう。

 今考えるとゾッとする話だが、アレには直接人の皮膚を突き破るだけの力は無かったのだと思う。


「大丈夫です。少しヒリヒリはしますが……」

「それでも! 無茶をし過ぎだよコーディ!」


 そんな事をコーディリアは感じていたが、それを口にすればこの友人は今以上に心配してしまう。

 だからコーディリアはカレンに向け、大丈夫だと静かに笑顔を向ける。


「スーちゃんから貰った傷薬を使うよ」


 カレンは腰のポーチから、小瓶をひとつ取り出した。

 それは直径1センチ、長さは5センチ程の小さな試験管のような形状をしていた。

 その口はコルク栓で止められ、中には薄赤い液体が満ちている。


「ちょっとした火傷や擦り傷くらいなら、あっという間に治るって言ってたから……」


 そのコルク栓を片手で弾き飛ばし、容器を傾ければ、薄赤色のトロリとした液体が垂れて来る。

 カレンはそれをコーディリアの手のひらに落とした。

 液体は手のひらで広がり、傷口に溶け込むように消えて行く。


「……あ、痛く無くなりました」

「ホント?! 見せて!」


 スージィから譲り受けたアムカム謹製の傷薬は、彼女達が知る物より遥かに効果が高い。

 傷口に溶け込んだ薬は、見る見る爛れた皮膚を修復してしまった。


 カレンがコーディリアの手を取り、その手のひらに恐る恐る指を這わせ、「痛く無い?」と聞いて来る。

 コーディリアが頷くと、カレンはその手を自分の両手で包み込んだ。


「カ、カレン?!」

「良かった! こんなに綺麗なコーディの手が、傷付いたままだったらどうしようって、ホントに心配したんだから!」

「……もう、カレンってば」


 カレンに手を握られたまま、コーディリアが頬を仄かに染める。

 コーディリアの手を握ったまま、カレンは展望台から見える薄青い小さな明かり……結界装置の放つ灯りに目を向けた。


「さあ、みんなの所に戻ろう。きっと今頃心配してる」

「そうですね。下も大変な事になっているようですし……」


 結界装置が起動したと魔物ヴァンは言っていた。

 続いて森の奥から感じた嫌な気配も……。


 スタージョンという報せも送った。恐らく郡騎士も直ぐに動いてくれる。

 魔獣のスタンピードが起きているとしても、そう容易く人里まで害が及ぶ事は無い筈だ。


 それでも、下では自分たちが居ない事に気が付いていると思う。

 いつまでも戻らなければ、捜索の為に人が割かれるかもしれない。

 今そんな事をさせては、間違いなく大きな負担になってしまう。

 そうなる前に、早く皆と合流しなくては。


 思案げな顔をするコーディリアがを見たカレンが言葉をかける。


「大丈夫だよコーディ! わたしが守ってあげるから!」

「そうですね。カレンと一緒なら、何も怖くありません!」


 コーディリアの手を握るカレンの手に、僅かばかりの力が込もる。

 その手を見て、どうしたのか?とコーディリアが小首を傾げた。


 握る手を見ながら、カレンは改めて思っていた。「コーディが無事で本当によかった」と。


 カレンは、コーディリアの身にこれ以上の何かが起きたらと思うだけで、胸の内が恐ろしい程に締め付けられるのを感じてしまう。

 だからこそ、今目の前に無事な姿のコーディリアが居る事に、より一層歓びに包まれている。


 カレンは首を傾げるコーディリアの手を取り、それをもう一度しっかりと握りしめた。

 こうしていると、幼い頃に結んだこの絆が、確かな物だと感じられる。

 それが今、より強く二人の間を結んでいるのだ。


 この先、何があっても二人は一緒だと信じられる。

 決してこの手を離す事は無いと心から思えた。

 カレンの胸の内は、そう確信すると熱いものが溢れて来る。

 きっとコーディリアも同じ事を感じているのだろう。

 2人は見つめ合うと、どちらともなく笑顔が零れた。


「よし! 行こうコーディ!」

「はい! カレン!」


 指を交わす様に手を繋ぎ合い、展望台の降り口に向かおうと、カレンとコーディリアの2人は足を前へと踏み出した。




 その時、カレンは視界のはしを、蒼い何かがよぎった気がした。

 小さく風を切るような音が耳に届く。


「かひゅッ!?」

「…………ぇ?」


 暖かい何かが、頬に跳ねたのを感じた。

 カレンは今目の前で起きた事に脳の処理が追い付かない。

 只口から、呆けた様な声だけ漏れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る