133話カレンの一撃
狼の様な後ろ脚で地を蹴り、巨体が一気に大気を裂く。
小柄なカレンの身体を引き裂こうと、開いた口に並ぶ乱雑な牙の奥から、悍ましい吠え声が響いた。
だがその牙はカレンに届かない。
凶悪な牙が空を切った瞬間、魔獣の右肩に下方からの衝撃が抜ける。
牙をユラリと躱したカレンが、そのまま下から拳を突き上げた一撃だ。
大地と一体化したように踏みしめた下半身から放たれたアッパーは、一瞬で魔獣の肩を爆散させた。
四本ある腕の内の一本を、根本から破壊したカレンは、その場でクルリと身体を回し魔獣の右側へ滑り込む。
そして魔獣の脇腹に両手を当てると、爆発するような息を吐き、掌から重い一撃を叩き込んだ。
合成魔獣の巨体と比べれば、カレンの身体は余りにも小さい。
しかし、その小柄な身体が繰り出した一撃は、重量のあるその巨躯をいとも容易く宙に浮かせた。
まるで、カレンが掌を当てた場所が爆発でもしたかの様に魔獣は吹き飛び、その巨体を地面に転がせたのだ。
カレンが触れた脇腹は、強い衝撃を受けた事を示す様に、大きく内側に減り込んでいる。
吹き飛ばされた合成魔獣の身体が、ゴロゴロと石畳の上を転がる。
転がる身体が止まった先には、カレンが斃したテラードッグが横たわっていた。
合成魔獣に触れたテラードッグの身体が、スポンジに吸われる水のように合成魔獣に吸収されて行く。
見る間に、今しがたカレンに受けた肩と脇腹の傷が消えてしまう。
その悍ましい出来事を見たカレンが眉を寄せる。
これは先生方が言っていた、他の個体を喰らう事でより多くの寄生体を吸収し、更に力を増そうとしていると言う事か。
今以上に魔獣を取り込まれたら、もっと厄介な存在に成りかねない。
やはりコイツは何としても、今ココで倒すしかない!
そのカレンの身体に優しい風が纏う。
コーディリアの支援魔法が、カレンの消耗している魔力を僅かに回復させる。
カレンは胸に手を置き、自身が纏うコーディリアの魔法を噛み締める。
そうだ! 今自分は1人ではない。コーディリアが後ろに付いてくれているのだ!
その想いを力に、カレンは再び合成魔獣に向けて地を蹴る。
一直線に向かって来たカレンに、合成魔獣は巨大な
直上から降り下ろされた丸太のような質量も、風になびく柳の葉のようにカレンの身体はスルリと避ける。
カレンはそのまま腕に摑まり、身体を回し、巨木へでも登るようにしてその巨体へ取り着いた。
巨大で歪な人馬の様な背に跨ったカレンは、間を置かず一息呼吸を整え、ありったけの力でその背に『氣』を叩き込んだ。
ギュルリと渦でも巻かれる様に、『氣』を撃ち込まれた背中が陥没する。その衝撃で巨体が地に沈む。
一撃を与えたカレンは、直ぐさま魔獣から飛び降り距離を取る。
背を砕かれた痛みで、合成魔獣が悍ましい叫びを上げた。
その背はくの字に折れ曲がり、グズグスと肉が崩れて行く様相を見せる。
しかし、その肉の崩壊は直ぐに止まり、ボコボコと肉が盛り上がり修復を始めてしまう。
「……やっぱりシッカリと降ろして、その上で『氣』を練り込まないと無理か。……どうしても時間が足りない」
それを確認したカレンが、構えを取り直しながら悔しそうに小さく呟いた。
「時間が必要なのですか?」
傍に来たコーディリアが、油断なく合成魔獣から目を離さずカレンに尋ねる。
「うん! 少しだけ、せめて30秒……ううん! 20秒だけで良いから『氣』を練り込むための時間が欲しい」
「その間、動きを止められればいいのですね」
「そうなんだけど……」
どんなにダメージを与えても、奴はほんの5秒程度で回復してしまう。
今さっき大きく抉った背中の傷も、もう塞がろうとしている。あれだけ大きな傷でも、修復まで10秒と言った所か。
連続で撃ち込みを入れるのには十分な隙だが、削った後から全て回復されては意味がない。
中途半端な攻撃を連続で入れ続けても、回復力の高い向こうに分があるのは明らかだ。
勝つためには、確実に屠れる大きな一撃を入れるしか無いのだが、その為の『氣』を練り込むだけの間が取れない。
これは下手をすれば手詰まりだ。
「それなら、
「え? コーディ?! 何を言ってるの?!」
「カレンを支えると言いました! 任せて下さい」
驚くカレンに、コーディリアがその背に腕を回し、顔を寄せ「信じて下さい」と小さく呟いた。
カレンから身体を離し、そのまま短く祝詞を唱えると、コーディリアの姿が風に紛れる。
「コーディ!!」
コーディリアを呼ぶカレンの声をかき消す様に、傷の癒えた合成魔獣が叫びを上げた。
辺りを見回す魔獣の目がカレンを捉えると、憎々しげに鼻面に皺を寄せ、グルグルと地を転がるような低い唸りを上げる。
その直後、身を低くした合成魔獣がカレンに向かい、再び狼の様な後ろ脚で地を蹴った。
「ちっ!!」
一瞬で間合い詰めて来た魔獣を、カレンは紙一重で躱す。
すれ違いざま、カレンは合成魔獣の側頭部に正拳を叩き込む。
瞬間、脳漿を揺らされた魔獣は僅かに脚元を滑らせた。
だかそれも一時だけだ。
魔獣は身体を滑らせながら、すれ違おうとするカレンに、上腕の一本を叩きつけて来る。
咄嗟に魔獣の拳に手を添え、その勢いに乗せて自らの立ち位置を変えようとしたカレンの目が、思わず驚愕に見開かれた。
手を添えた魔獣の拳が、見る間にテラードッグの顔に変わり、その牙でカレンの手を食い千切ろうとでも言うように大きく口を開いたのだ。
瞬間的にカレンは体を沈め、その牙を躱し、下方からそのテラードッグの顎を蹴り上げた。
やはりコイツは魔獣を取り込み、それを自分の物にしている。
今コーディリアが何かしようとしているが、そこに累を及ぼす訳には行かない!
コイツはどんな手を使って来るか分からない。ならば何かをする間を与えぬよう、手数を叩き込んでやる!
魔力を纏ったカレンの足が、一際赤い光を放つ。
魔獣の腹の下に滑り込んだカレンは、そこで地に手を着き身体を支え、連続で赤い蹴りを放つ。
カレンは支えた手を軸にして身体を大きく回し、遠心力の乗った脚で、魔獣の腹を胸を腕を顎を高速で打ち払う。
赤い光が渦を巻く。
独楽のように回るカレンの脚が、下方から魔獣の身体を蹴り上げる。
カレンに蹴り上げられ、魔獣の上半身が浮いて行く。
その狼の様な後ろ脚だけで立つ姿勢になった時、魔獣の様子が変わった。
それまで下から蹴りを放つカレンを打ち払おうと、振り回されていた四本の腕の動きが止まったのだ。
「?!」
その突然の変化にカレンも気付く。
魔獣は二本の後ろ脚だけで立ち、四本の腕を広げ、上体を正面に向けたまま
何かに耐えているのか、その全身は小刻みに震えていた。
「ぅああぁ――――――ぁぁっっ!!」
「コーディ?!」
そこに、コーディリアの悲鳴の様な叫びが響いた。
狼の様な後ろ脚だけで立っている合成魔獣。
いつの間にか姿を隠したはずのコーディリアが、その右脚にしがみ付いている。
「コーディ? 一体何を?!!」
「カ、カレン!!今の……うちにっ! ――――――っっ!」
『従魔の加護』
それはコーディリアが持つ固有のスキル。
自らが触れた魔獣を、一定時間支配下に置く事が出来るスキルだ。
今コーディリアはそのスキルを使い、合成魔獣の動きを止めていた。
だが、魔獣を抑え込むためには精神力、体力共に大きな負担が強いられる。
ましてや、これだけ大きく、強力な魔獣相手であれば猶更だ。
「ぅあああぁぁ――――――っっっ!!」
「コーディ! だめ! 離れて!!」
「
コーディリアのカレンを見詰める目が力強く語っている。
カレンの為ならこれくらいは、出来る! 耐えれる! やって見せる! と。
もしかしたら、1分と持たないのかもしれない。
それでもコーディリアは、カレンのために抑え込んで見せると叫ぶ。
それならば、だとしたら、彼女の気持ちを受け止めるのは自分の責務だ!!
「!! 分かったよコーディ! 少しの間だけ……お願い!」
「
叫び声を懸命に抑えるコーディリアを見るカレンの眼に、ハッキリとした決意が浮かぶ。
カレンの指が、素早く流れえる様に印を結び、そのまま半眼になり祝詞を唱え始めた。
「アメツキカミ、アメツミカミのヒメたる火のイニルへ求め訴えん。焔抱く山々を司るカグツチと、
その情熱の大渦を以って、我が父、我が母、我が兄弟へ仇成さんとする物を清め給う事の由を、
カレンの下腹、胸元、額奥の丹田に『氣』が充実して行く。
巫女の呼びかけに、炎の神気がその軸を螺旋を描き昇る。
「コーディ下がって!!」
カレンが一息で踏み込む。
狙うはその胸元の少し下。人で言う鳩尾の辺り。
後ろ脚で立ち上がっている今、それはカレンの目の前だ。
その奥に悍ましい何かがある事が、今のカレンにはハッキリ視える。
「
両の掌が合成魔獣の鳩尾を穿つ。
同時に、地から突き上げて来るような衝撃が辺りに響く。
カレンの言葉でその場から離れようとしたコーディリアが、思わず足元を取られて小さく声を上げて転がった。
炎の巫女が撃ち込んだ衝撃は、対象の内部で神の氣を渦巻かせた。
大きく縦に渦巻く『氣』の流れは、魔獣の内部で急速に収束し、その破壊の力を大きく上げる。
身の内で暴れまわる暴風に、魔獣の身体が激しく揺れる。
そして、収束された渦が一気に爆ぜた。
縦に渦巻く神気を帯びた奔流は、その爆散と同時に魔獣の身体を内側から破壊する。
合成魔獣は断末の声を上げる間も与えられず、鳩尾奥にあった『
魔獣の身体は中心から縦に裂かれ、脊髄ごと頭蓋も砕かれて、そのまま背中から倒れ込み石畳を大きく揺らす。
傷口からは大量の血が噴き出し、肉片が悍ましく蠢くが、傷口の修復は始まらない。
もうその大きな傷跡から肉は盛り上がっては来ない。
『
それを確認したカレンはゆっくりと呼吸を整え、そして静かに残心を解いた。
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