125話迎撃準備

「雲が出て参りましたね……。雨具の準備もした方が宜しいのかしら?」


「先生がお持ちのストームグラスでは、雲は出ても雨が降るとは表示されていないそうですから、心配はご無用ですよ!」


 上空を流れる雲を見上げ、セルキー・マウが頬に手を当て心配気に呟くが、ベアトリス・クロキは心配は無いとそれに返す。

 だがそれよりも、と腰に手を当てたままベアトリスはアーヴィン・ハッガードへと向き直る。


「アーヴィン!木の上で寝る指導は、もうやらなくて良いわ!」


「え?なんでだよ?野営するならベストポジションじゃねぇか!しかも超簡単だぞ!」


「そう思っているのはアーヴィンだけって事よ!先生方からも自重するよう懇願されたわ!」


「あ、でもアタシは結構落ち着くと言いますか、特に不便は感じないと言いますか……」


「メルルは黙っていましょうね」


 セルキー・マウは、何故か元気よく前へ踏み出そうとするクゥ・メルルの袖を掴んで、自分の横へと引き戻す。

 その顔は静かに笑みを浮かべているのだが、どうにもそこに圧力を感じ、クゥ・メルルは思わず自分の頭の上の三角の耳を伏せてしまう。


「普通は木の上で朝を迎えるのは厳しいよねぇ」


「特に!女子に指導するのはやめてさしあげて!」


 ミアが、同情する様にセルキーに向け苦笑いを浮かべて見せると、ベアトリスが間髪入れずアーヴィンに言い放つ。


「何でだよ?!尚の事女子の方が安心だろう?ダーナなんて……」


「や・め・て・あ・げ・て!」


「…………分かったよ」


 ベアトリスの強い言葉に、コレは反論してはいけないヤツだと理解したアーヴィンは、静かに自分の意見を引き下げる。

 その様子を見ていたセルキー・マウが、ホッと胸を撫で下ろす。

 そのセルキーに、ベアトリスとミアが申し訳なさ気に笑みを溢した。



 このキャンプ地へ来てからアムカムの面々は、当初の予定通り生徒達へ野営時のアドバイスを行っていた。

 テントの設営、火の管理、簡単な煮炊きの仕方等々。


 基本、生徒が自分の手で行わなければならない事なので、最低限の助言にとどめているのだが……。若干斜め上のアドバイスを齎す者が、この中にいたようだ。

 アーヴィンのそれは、アムカムでの実体験からのアドバイスなので、一般の人間には非常識極まりない。

 ベアトリスやミア、ロンバートはその辺をしっかり弁えて事に当たっていたのだが、アーヴィンはそれに気が付かない。


 セルキー・マウとクゥ・メルルの2人は、アーヴィンによるその指導をどうにかならないか?とベアトリス達に相談に来ていたのだ。

 助言を受ける女子達としては、アーヴィンからの指導を受けるのは吝かではない。

 しかし、樹上で寝るのは流石に無理。

 彼に悪気が無いのは分かっているので、無碍にも出来ずほとほと困り果てての相談だったのだが、ビビの一喝で話がまとまった。


 セルキーは、大役を務めあげた、と肩の力が一気に抜けるのを感じていた。

 その緊張の解けた友人の様子を見て、メルルも伏せていた耳を素早く立て、「ヨかった、ヨかった」と一人で頷いている。


 そんな友人を横目で見ながらセルキーは、アーヴィンを諫めて貰おうと来たはずなのに、手のひらを返す様に彼の助言を肯定しようとしたこの友人に「本当にこの子は分かっているのかしら?」と思わなくもないのだが、それは言わぬが花なのをセルキーも充分心得ている。


 まあいつもの事だから……と、苦笑を向けるベアトリスとミアに、笑顔で返すセルキー・マウだった。




 ふと、ベアトリスの肩口にいた白い小動物が、小さく「キキュ」と声を上げ、森の奥へと顔を上げた。


「アルジャーノン?」


 問いかけるベアトリスに、森を向いたまま鼻を細かく動かし、アルジャーノンは再び小さく声を出す。


「いいわ!行って来て!」


 返事をする様に短く鳴くと同時に、アルジャーノンは彼女の肩を飛び出して木々の間を抜け、その奥へと忽ち姿を消してしまう。


「どうした?ビビ?」


 背に担いだツーハンドソードに手をかけながら、アーヴィンがベアトリスの側へ近付いて来た。


「今確認しているわ!」


 アルジャーノンが消えた木々の奥に目をやりながら、ベアトリスは静かに答えた。

 その眼は森の奥の暗闇へと向けられている。

 そして突然、そのベアトリスの眼が大きく見開かれた。


「セルキー様!メルル様!先生方にご伝言をお願いしても宜しいでしょうか?!」


 間を置かず振り向いたベアトリスは、セルキー達に向け言葉をかけた。


「は?はい、構いませんが……。何か御座いましたか?」


「いえ!大した事では御座いません!定時報告の様なものなので!」


 一連のベアトリスの様子に不安を感じたのか、セルキーは何かあったのかと問い返す。

 しかしベアトリスは彼女に対し、柔らかな笑みを浮かべて見せた。


「アーシュラ先生に『宵の星を五つ観測。風は西へ』とお伝えください!」


「はい?宵の星五つ、風は西、でございますか?」


「はい!それで分かります!何卒迅速によろしくお願い致します!」


「…………分かりました。確かに承りましたわ」


「ありがとう存じます!私共はこれから一通り見回りをした後、交代で不寝番をする準備をしますので!」


「……そうですか。ご無理をなさらぬ様、お気を付けください」


 シルキーはベアトリスの眼を正面から見詰めた後、綺麗な所作で頭を下げ、メルルを連れてその場から速足で離れて行った。

 2人を静かに見送ったベアトリスは、彼女達が木々の間を抜け姿が見えなくなるのと同時に、仲間に振り向き声を上げる。


「総員警戒態勢!」


「ビビ、今のは暗号か?」


「そうよ!前もって先生方と決めていたの!『暁の星』なら異常なし!『宵の星』は緊急警報!星の数はその段階!星五つは最大級の警報よ!西はマグナムトル市のある方向!つまり市街地までの退避を進言したわ!」


「敵は森か?方角と数は?」


 ベアトリスの傍らで、アーヴィンが背中のツーハンドソードを抜き放つ。


「森の中!全方位からよ!数は今のところ100は下らない!ちょっとしたスタンピードね!」


「意外と早い時間だったな」


「だね!来るならもっと遅い時間だと思っていたよ」


 今の時間は21時少し前、まだ宵の口だ。

 生徒たちは就寝準備を始めているが、消灯時間にはまだ少し間がある。

 もし此処に襲撃があるとしたら、それは夜半を過ぎてからだろう。それが大方の見方だった。


 木々の間から白い塊が駆け戻って来た。

 流れる様な動きで、その白い塊アルジャーノンはベアトリスの肩まで一気に駆け上る。

 そのアルジャーノンの小さな頭を、「ご苦労さま」と指先でベアトリスが優しく撫でた。


 だが直ぐに胸元から小さなメモを取り出し、アルジャーノンの目の前へ差し出す。

 アルジャーノンは小さくひと鳴きするとそのメモを咥え、肩から駆け下り、今度はベアトリス達の後方へと向かい走り消えた。


「ルドリさんのチームへ、アルジャーノンに伝言を持って行って貰ったわ!そこから他のバウンサーチームにも連絡が届くはず!」


 バウンサーチームは生徒と共にこのキャンプ地まで来ていた。

 キャンプ地の北側に居るアムカム勢と合わせるよう、生徒達を囲む形で西側、東側、南側でそれぞれ警戒に当たっている。


「キャンプ各班の班長には事前に、今日明日のどこかで緊急避難訓練があるかもしれないと伝えてあるわ!連絡を受け取った先生方は生徒達に避難指示を出すけれど、パニックにはならずに済むと思う!」


 避難を進める生徒達に、魔獣が迫らぬようにバウンサーが護衛する。

 そのフォーメーションは事前に打ち合わせ済みだ。避難の段取りは問題無いだろう。


 今、彼らの目の前には、疎に木が植えられた林が広がっている。

 この木々は奥に行くほど密度を増し、そこから凡そ4~5キロの先まで続く『シロベーンの森』といわれる場所だ。


 更にそこから先は岩盤が剥き出しの火山地帯となり、1~2時間に一度噴き出す間欠泉や、鮮やかな色の熱水泉、ガスが噴き出す硫黄泉が広大な範囲に広がっていた。

 それらを含め、カルデラであるローハン火山を中心に、南北に約25キロ、東西に約35キロほど伸びる凡そ8万5千ヘクタールに及ぶこの場所が、ローハン自然公園と呼ばれる土地だ。



 今、ベアトリス達の前には、太さ50センチ、高さ2メートル程の石の柱が、およそ50メートル間隔で立ち並んでいる。

 その石柱の上には、淡く青い魔力光を放つ灯籠の様なものが置かれていた。

 これがこの広大な自然公園をぐるりと囲む、膨大な数の結界装置だ。


「現在、敵の先頭はこの結界装置から2キロ程先の森の中!小型の物から迫ってる!ここで5分以内に迎撃態勢を整えるわよ!」


 ベアトリスが素早く夜戦用の補助魔法を唱えた。

 『可視光増幅ナイトビジョン

 文字通り可視光を増幅して、暗所での視覚を補強する魔法だ。

 明かりの乏しい、夜間の森での戦闘時には必須の補助魔法だ。それぞれの眼に魔力の光が仄かに灯る。


「分かっているわね!魔力がなじむまで篝火を見ちゃダメよ!暫く視界が戻らなくなるからね!」


 アーヴィンが、後方に焚かれた篝火の灯りが目に入らぬ様、前だけを見ながら足を踏み出す。


「アタシが皆に支援魔法をかける間、ミア!防壁をお願い!」

「まかせて!」


 ベアトリスが『戦唱』を唱え、一人ひとりに強化魔法をかけて行く。

 そしてミアが皆よりも前へ足を踏み出した。

 そのグローブにはめ込んだ魔力珠まりょくじゅが、ライトグリーンの光を溢れさせる。ミアはその場でしゃがみ込み、そのまま地に手のひらを当て、瞑目しながら魔法の詠唱を開始した。


「森の静寂なる息吹を讃え、清らかな水流と大らかな大地に感謝を捧げん。繁茂する荊、我が敵を阻む壁となれ!『荊の防壁ハーゴンヘッジ』」


 ミアが魔法名を唱えると、グローブの魔力珠まりょくじゅが一際大きく光を放った。

 と同時にミアの両脇の地面を割って荊が次々と伸び上がり、石柱の手前で壁となって連なって行く。


「ここから自然公園の全部に届かせるとかは、流石に無理だからね?」

「わかっているわ!後はなるべくここへ集めればいい!ロンバート!」

「おう!」


 高さ2メートルの茨の壁は、ミアの左右から其々東西に100メートル程伸びていた。

 自然公園全てを囲うには遥かに少ないが、キャンプ地を覆い隠すには十分だ。

 出来上がった茨の壁から退く様に、立ち上がったミアが後ろに下がる。

 そしてロンバートがミアと場所を入れ替わる様に前に進み出て、全員の先頭に立った。


「先生方は、この警報を公園事務所にも届ける手筈になっているわ!事務所がスタンピードこれを確認すれば、直ぐに物理結界スクリーンが展開される!それまで何としても持たせるわよ!」


 恐らく、事務所に連絡が届き結界が展開されるまでには15分程度はかかる筈。

 それまでこのメンツで何としてもここを守り抜く!


「来るわ!小型の魔獣からよ!結界柱の放つ『恐怖鍛造フィアフォージ』にも怯んでいないわね!これは……『狂乱状態』?!」


 森の中の木々の間から、複数の対になる赤い光が迫る。

 それは魔獣が放つ暴力的な目の輝きだ。


 上方から甲高い叫びを上げ、一体の魔獣が飛び掛かって来た。

『グリムマカク』と呼ばれる体長40センチ程の猿のような魔獣だ。

 集団で行動し悪賢く、その性質は凶暴だ。


 地上に居る多くの仲間に視線を集めさせ、その不意を突く様に魔獣は木の枝から飛び掛かって来たのだ。

 だが、その身体は中空でアッサリと両断される。

 それが躍り出た瞬間、アーヴィンがツーハンドソードで一閃したのだ。


 2つに分かれた身体が地上に落ちると同時に、バトルアックスを前にかざしたロンバートが吠え上げた。

『ヘイトハウル』

 ロンバートの叫びは大気を震わせ、魔獣達の意識を彼に向け集中させる。

 10数体の魔獣達が、目に憎悪を灯らせ一斉にロンバートに向け飛び掛かって来た。


細根針ルーツニードル

 だが、そこに地面から無数の針と化した木の根が伸び上がり、魔獣達を次々と串刺しにしていく。

 ミアが発動した魔法は、ロンバートへ飛び掛かった魔獣の殆どを、その場で貫いていた。


 運よくその凶悪な根から逃れた者も、次の瞬間には身体を2つに断たれ、片端から地に伏して行く。


「さぁて、軽く準備運動といこうぜ」


 ツーハンドソードを片手で振り、魔獣の血糊を振り払いながら、アーヴィンが不敵な眼を森の奥へと向けて言う。


――――――――――――――――――――


さてさて!この度拙作「女キャラで異世界転移してチートっぽいけど雑魚キャラなので目立たず平和な庶民を目指します!」がコミカライズする事になりました!

パフパフッドンドンドンドン!


『WEBコミックガンマぷらす』様にて5月21日からスタートいたします!

https://gammaplus.takeshobo.co.jp/


漫画は蟹田伸先生!

スージィさんを、とってもポンコツ可愛くカッコ良く描いて下さっています!

是非是非皆さまお誘いあわせの上、ご覧になって下さいませ!

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