124話おごそかな誓い
時計の針が、20時の半ばを指そうとする少し前。
キャンプの設営も全て終わり、殆どの生徒が自分達で用意した食事も済ませ、その片付けも終えた頃。
今は少しばかりの自由時間だ。
生徒達は就寝の準備をする者、この時間を気心のあった者達と楽しむ者、明日の準備に勤しむ者達、とそれぞれの時間を自由に過ごしていた。
そのキャンプ地の南側には、ちょっとした高台がある。
それは、ローハン火山とその裾に広がる深い森が望める展望台だ。
昼間ともなれば観光客が頻繁に訪れる絶景ポイントのひとつだが、僅かばかりの照明が仄かに照らされる夜のこの時間帯では、当然のように人気は無い。
しかし今、その人気の無い場所で静かに動く2つの人影が見て取れる。
「見て!コーディ!こんな時間なのに、向こうの空があんなに赤い」
「山裾にある割れ目噴火の照り返しですわね。溶岩の明るさが、上空を流れるガスに移りこんでいるそうですわ」
カレン・マーリンとコーディリア・キャスパーの2人が、展望台の手すりから身を乗り出し、燃えるような赤い色を映した北の空を眺めていた。
眼下には、点々と灯る薄青い灯りに囲まれた広大な暗い森が広がり、そこから左手の西方向には、昼間に賑わいを見せていた街の灯が遠くに見える。
「硫黄泉からのガス?」
「当時は恐ろしさも感じていましたが……、今では観光名所のひとつになっているんです」
「…………」
「こうやって、穏やかにあの明かりをカレンと見られる日が来るなんて、夢のよう……」
「……コーディ」
「ずっとずっと小さい頃、2人でここに来た時の事を思い出します。カレンは覚えていますか?」
「勿論だよコーディ!覚えてるよ!あの時は、『森の中を飛び回るシロベーンの光が見えるかも』ってキャンプを抜け出して2人で昇って来たんだよね」
「はい!そうです!」
就寝準備を始める少し前、2人はキャンプから抜け出していた。今は、展望台から眺める景色に互いに思い出を重ねている。
当初、キャンプから抜け出すと言う違反行為に、コーディリアは当然のように躊躇いを見せていた。
しかし、思い出の場所に行ってみたいと呟いたコーディリアの背中を、同じ班であるルシールとキャサリンが偽装工作を引き受けると押し出したのだ。
にもかかわらず、尊い二人の姿を覗き見ようと後を着け、偽装工作を放り出そうとしたキャサリンの首を絞めるルシールの姿があったのはまた別の話。
「でも見えたのは、森を点々と囲う結界柱の青白い灯りだけで、わたしが『あれってホントは死者の国の門なんだって!』って言ったら……コーディったら凄くコワがっちゃって……プフッ」
「カ、カレン?!」
「コワい!コワい!って泣きながらわたしにしがみ付いて来たのをシッカリ覚えてるよ!」
「そ、それはカレンが、物凄くコワい言い方したからじゃない!あ、あの時はホントにホントにもの凄く怖かったんだから!!」
「あはは、ごめんごめん!コーディごめん!だからぶたないで」
「もう!」
コーディリアはひとしきり怒ったように口を尖らせていたが、やがて諦めた様に溜息を吐いた。それでも、少し嬉しそうに口元が緩んでくる。
そして今度は西を向き、遠くに点る街の灯りに目を向けた。
「あの通りにあったお店の、はちみつパンは覚えていますか?」
「覚えているよ!すごく美味しかったもの!」
「そうですよね!カレンってば、いつも顔中粉砂糖まみれで食べていましたよね!」
「そ、それは!お、美味しくってつい夢中で食べちゃうから……」
「そのパン屋さんのある通りの端にあったゼリーのお店は?」
「お、覚えてるよ?」
「パン屋さんで買ったパンを持って行って、よくコケモモジャムをひと掬い乗せて貰って食べてましたよね?」
「そ、そうだね」
「やっぱり顔中ジャムでだらけにして!クスクス」
「だ、だから美味しくってつい夢中になっちゃうから!」
「私がいつもハンカチで顔を拭いて上げてましたよね」
「……その節はお世話になりました」
「そうそう!あと、その向かいにあったアイスクリームのお店!」
「あったね……」
「あそこのラズベリーアイスがカレンってば大好きで……」
「……なんか、わたしが食べてる事ばっかりな気が……」
「だって!カレンってば凄い食いしん坊さんでしたもの!」
「……う。それ程でも、無かったと思う……けど?」
幼い頃、共に遊んだ思い出を語る内、2人にあの頃の感情が甦って来る。
キャスパー家の屋敷があるマグナムトル市は、彼女たちの思い出の場所でもあった。
昔は毎年のようにマーリン家は、よくボルトスナンのキャスパー家へ訪れていた。
親達が友情を確かめるのと同じように、子供たちも、そうして街中で良く連れ立って遊んでいたのだ。
「パン屋のおじさん、元気かな?」
「今も朝早くに焼き立てのパンを並べています」
「ゼリーショップのお婆さんはまだお店をやってるの?」
「はい、お元気にお店に出ているそうです」
「アイスクリームパーラーのお姉さんは?」
「去年ご結婚なさって旦那さんとお店をやっています」
「……みんな元気なんだ」
「街はスッカリ様変わりしてしましたが、今ではみんな昔のようにお店を出していますよ」
「そっかぁ……、良かった」
カレンが思い出を語りながら、その頃を懐かしむように目を細めていく。
その横顔を見つめるコーディリアの胸の奥から、熱いものがこみ上げて来る。
カレンも自分と同じ様に、あの街での思い出を大事にしてくれている。自分と変わらず、あの街を大切に思ってくれているのだと分ってしまったから。
それがこれ程の嬉しさを感じさせてくれるなんて……。
コーディリアは、目から溢れて来そうになる物を抑えようと上を向き、胸元に静かに手を置いた。
そして僅かに瞑目した後、意を決したように姿勢を正し、カレンに体を向けた。
最初の一言を発しようと深く息を吸ったが、何故かその後うまく声が出ない。
ずっと願っていたカレンとの語らう事が叶い、今こんなに普通に話せていたのに。
肝心な事を言おうとした途端、喉の奥が固まるような感覚が襲う。
手が小さく震えている。
これは言わなくてはいけない事だ。ずっと言おうと思っていたひと言なのに、いざ口にしようとすると、こんなに胸が苦しくなるなんて。
もし、それを言った後、その事で拒絶されてしまったらどうしよう……?
カレンがそんな事をするはずが無いと分っていても、そんな考えが浮かんだ途端、それが怖くて仕方がない。
……でも、それでも!
「…………あ、あの!……カレン!」
それでも目をつむり、絞り出すように声を出し、精一杯の想いを乗せて彼女の名前を呼んだ。
やっとの事で声が出た。
しかしその声は、とてもか細く震えて掠れている。
カレンはそのコーディリアの声に、思わず驚き目を向けた。
「……………………ごめんなさい」
思いつめたように謝罪を口にするコーディリアに、カレンは更に目を見開く。
「……あ、あの時、あなたを傷つけるような事を言いました。私はあの時自分の事しか考えていませんでした。あなたの気持ちを思いやるなんて事、これっぽちもしていませんでした。自分の気持ちを押し付けるだけで、酷い言葉を口にしました。その事を……ずっとずっと謝りたかった。だから……あの、……だから本当に…………本当に、ごめんなさい」
何かに突き動かされるように、コーディリアの口から言葉が次々と零れる。
振り絞る様に出した声は、やはりか細に震えていた。
言葉があふれた後、コーディリアは下を向いたまま顔を上げようとしない。
下におろされた手は固く握り絞められ、小刻みに震えている。
そのコーディリアを見るカレンの目が、ジワリと潤む。
「コーディ……コーディ!」
気付けばカレンは、コーディリアの名前を呼びながら彼女の震えている手に、自分の手を伸ばしていた。
「ごめん!ごめんねコーディ!あたしこそごめん!!」
「カ、カレン?!」
カレンはコーディリアの手を取り、真正面からその眼を見つめる。
「わたしもずっと謝りたかった!あれはわたしが意地を張ってただけだもの!わたしもコーディに、ちゃんと向き合っていなかった!」
怖がりだったコーディ。いつもわたしの後ろに隠れていたコーディ。そのコーディが今、勇気を振り絞っている。
『手を伸ばしてくれる友達がいるのなら、どうかその手を取って上げて欲しい。きっとその手は、精一杯の勇気を振り絞って伸ばしたモノだと思うから。でもきっと、その手を取る君にも勇気は必要なのだろう。しかし、どうか相手のその勇気に向き合ってあげて欲しい』
カレンの頭の中に、あの時のドルトン・バンジョーの言葉が
勇気が無かったのは自分なのに!昔、ずっと一緒だと言ったのに!守ってあげると約束したのに!
握った手に力が籠る。そしてその握ったコーディリアの手を自分の胸元へと引き寄せた。
同時に足を一歩前へと踏み出す。
「逃げていたのはわたし!コーディに顔を向けられなかった!顔が見られなかった!!昔のように、こんな風に話したかったのに!ごめん!ごめんなさい!コーディ!!」
一言ごとに互いの距離が縮まって行く。
いつの間にか、鼻先が触れ合うほどの間近で2人は見つめ合っていた。
「……カレン!カレン!」
自分と同じ様に、向き合えなかったと、話をしたかったと語るカレンに、コーディリアの胸が詰まる。
そのまま、2人の額が柔らかに触れ合い、互いに溢れんばかりに涙を湛えた目で見つめ合う。
「ごめんねコーディ!これからもずっと、ずっと一緒だよ!」
「もちろん、勿論ですカレン!ずっと一緒です!」
2人はお互いの手を強く握り合う。そして触れ合う額を優しく、それでも想いを込めて、もどかし気にあわせ合った.
いつしか2人の溜めていた涙が溢れ、同時に、堪えきれぬと言う様に笑顔も溢れる。
涙を流しながら、笑い声が2人の口から漏れ出てくる。
2人は、その胸の内の奥底にあった塊が、ゆっくりと溶けていく様な感覚を共有していた。
お互いの瞳の奥に、昔と変わらぬ繋がりを見出していたのだ。
コーディリアは静かに息を吸い、零れていた笑みを整えた。
そして改めてカレンの手を深く優しく握り込む。
2人の顔はまだ、鼻先が触れ合うくらいに近付いたままだ。
そのままコーディリアは静かに眼を閉じると、厳かに詩を口ずさむよう言葉を紡ぎ出した。
「太陽と月があらんかぎり……」
そのコーディリアの言葉に反応したカレンは、嬉し気に口元を緩めると直ぐに目をつぶり、やはりおごそかな口調でコーディリアの言葉の後に続く。
「わが永遠の友、コーディリア・キャスパーに……」
「カレン・マーリンに忠実なことを……」
互いの言葉に呼び合う様に、自分の想いを相手の名前に乗せてそっと手渡すように、二人は言葉を紡いでいく。
「「われ、おごそかに宣誓す」」
最後に2人は、共に声を合わせてお互いに宣誓し合う。
それは嘗て2人が幼い頃、マーリン家の庭園で交わした友情の誓い。
幼い2人が一緒に見た物語の一節を使い、共に友情を誓い合った言葉だ。
その時の想いを胸に、今2人は改めて誓いを交わし合う。
「約束しますカレン!もう貴女を絶対1人にはしません!」
「うん!ずっと、ずっと一緒に居よう!」
「今度こそ、約束通り何があっても貴女を守ってみせます!」
「コーディを守るのは、わたしの役目なんだからね!」
2人は子供のように笑いながら、お互いの額をすり合わせる。
握り合った手に感じる相手の体温に、抑えきれない喜びを感じてまた笑う。
「コーディ……大好きだよ!」
「私も……私も大好きです!カレン!」
展望台の小さな灯りが、喜びに満ちた二人を優しく照らしていた。
失った時間を取り戻す様に、カレンの、コーディリアの胸の内に暖かいものが満たされて行く。
そして2人は、自分自身の内に失っていた、かけがえの無い欠片を取り戻したことを理解したのだ。
風が吹いた。
展望台に据え置かれた小さな灯りが、弱々しく瞬く。
その灯りの届かぬ木々の陰から、寒気を呼ぶ風が一陣吹いた。
粘りを持った汚物のように、その奥の影がヌルリと動く。
「素晴らしい!実に素晴らしい!」
唐突に、ソレは手を叩きながら影の中から姿を見せた。
人の形を取る影が、観劇に拍手を送る様に感極まった装いで手を叩く。
「素晴らしいです!とても感動的でしたよカレン!」
風は雲を運び、月を覆い星々を遮る。
「…………ヴァン・ニブン?何故ここに?!」
カレン・マーリンにヴァン・ニヴンと呼ばれたモノが、嘲る眼を隠す事無く少女たちの前に姿を見せた。
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