113話ヴァン・ニヴンという名の魔物

 深みのあるインディゴの地に、清浄な金糸で複雑な組み紐模様を織り込まれた重厚さを感じさせるカーペット。

 その上をドス黒い血液が、悍ましい文様を上書きする様にジワリジワリとその滲みを広げていた。


 会場内から、幾つもの悲鳴が響き渡る。

 いち早くフィリップ・クラウドは衛士達に指示を出し、ホールの包囲と来客の会場からの避難経路を確保させていた。




「自分の父親じゃないですか!どうしてこんな酷い事!」


 カレンが顔の色を失いながらも、この惨劇を齎した細身の男に問いただす。


「使い終わった道具は片付ける。誰でも普通にやる事です。特段変わった話では無いでしょう?」


 それをこの細身の男、ヴァン・ニヴンは事も無いと言いたげに答えを返した。


「出来る事ならば、あの使えぬ愚鈍な者達もまとめて処分したい所でしたが。生憎ご指示を受けたのは、此れの処理だけでしたので……」


 ヴァンは、残念だとばかりに溜息を漏らしながら呟いた。カレンはそれを聞き止め、眉根に深く皺を刻んで行く。


「何を言っているの……?処理って……一体何を?」


「何って?あの愚弟共の事ですよ。幾ら私がお膳立てを整えて上げても、貴女の心ひとつ折る事も出来ない……。本当に使えぬ愚か者達です」


「それって、レイリーの事?まさかルゥリィも?!そんな!レイリーは貴方の弟じゃない!弟を始末するなんて……。どうしてそんな酷い事が言えるの?!」


「使え無いのですから仕方がありません」


 ヴァンは酷く温度の無い眼でそうと言い放った後、足元に目線を向けて言葉を続ける。


は、ここまで十分仕事をしてくれましたからね。私、自ら片付けるのは筋というものでしょう?」


「な、何を……」


「ムナノトスに希少な鉱脈があると信じ込んだ愚か者ですが……クフッ」


「……な?!」


「あまつさえ、宝の眠る神殿があると本気で信じて……ククク!本当に良く働いてくれましたが、実に強欲で、何処まで身の程を知らぬのか……と。クックックックク……」


 ヴァンは可笑しくて堪らぬという様に、溢れようとする笑いを押し殺しながら語っていた。

 横たわり血を溢れさせる男を見る目には、ただただ蔑む色しか見えない。

 その悪意に満ちた目が、カレンにはとにかく悍ましい。


「待て!それではまるで、お前が自分の父親を……ローレンス・ニヴンを唆し、マーリン夫妻を陥れたと聞こえるぞ」


 ドルトン・バンジョーがカレンの前に立ち、どういう事だと問いかける。


「ですからそう言っているのですよ。お分かりになりませんか?クフッ!」


「貴様っ!!」


 ボーナ・レイヴン・キャスパーが、2人の娘を庇うようにドルトンと並び、声を上げた。


「あ、あなたは……貴方は一体……!」


 信じられぬと、カレンの口からは言葉が続かない。

 カレンの後ろに立つコーディリアの、彼女の腕を持つ手に力が籠っていく。






「ウィル!何があった?!」


 来客達の避難を進めながら、壇上のフィリップが息子のウィリアムに声を上げて問いかけた。


「現在、デケンベル内で死体置き場モルグを中心に、大量のアンデットが発生しています!」


 ウィリアムが客の退路を守る様に位置どりながら、油断無くヴァンから目を離さずに答えを返す。


「何だと!」


「十中八九、奴の仕業です!しかし現在カーラが、エドガーラ家配下と共にアンデッドの制圧に向かっています!、アローズ、ロンバート、ダーナも同様です!ゴールドバーグ卿!どうかカーラ・エドガーラに現場指揮の権限を!!」


「良かろう!我が名を以て承認しよう!」


 デケンベルの治安を預かる、ロバート・ランドル・ゴールドバーグ防衛機構本部長が、声も高らかにウィリアムの申請を承認すると答えを返す。

 ゴールドバーグは、自身の護衛として近くに居た衛士の1人に、迅速に伝令を飛ばす様に指示を出した。

 そして再びウィリアムへと顔を向ける。


「それで?ウィリアム・クラウド君。そこのニヴン家の長男だった者は、……魔物で良いのかね?」


「はい!奴は『アーリーヴァンパイア』!間違い無く邪悪な魔物です!」







「貴方は……、貴方は一体何がしたいの?一体何が望みなの!」


「私の望み……ですか?」


 ヴァンがカレンの問いかけに対し、戯けたように首を傾げて問い返す。


「大した事ではありませんよ。私の望みは唯一つ」


 ククッと笑いを堪えるように喉を鳴らす。


「カレン、貴女の絶望ですよ」


 赤く仄めく眼を歪ませ、舌なめずりをする様に口の端を釣り上げながら、ヴァン・ニヴンが総毛立つ様な声色でそう口にした。


「貴女が絶望に打ちひしがれ、身も蓋も無く泣き叫ぶ様が見たいだけです」


「なっ?!」


 余りなその言い分に、カレンは只絶句する。


「そうそう!本来ならば今頃、あの幼い双子は私のところにいる筈だったのです。あの小さな肉を少しずつ啄ばみ千切れば、どれ程の心地よい音色を上げてくれたか……。十分手筈は整えていたですが、返すがえすも残念でなりません」


「何を……、何を……言っている……の?」


 余りにも悍ましいヴァンの言葉に、カレンは自らの手の震えを止められない。


「優先順位がありますから仕方の無い事でした。ですが!ご安心下さい。必ず近々お迎えに上がります!そして存分に2人を堪能した後は、感謝を込めて愛らしく飾り立てた二つの首を、責任を持ってお返し致します!是非、楽しみにしていて下さい」


 ヴァンの口角が、有り得ない程に吊り上がっていく。


 カレンの顔の血の気が見る見る失われて行った。呼吸が酷く荒い。

 この世のありとあらゆる悪感情が混ぜ合わされた、恐ろしく濁り切ったヘドロに塗潰されて行く様な感覚だ。


「ああ!そうです!それですよ!とても良い顔ですよカレン?!」


 ヴァンが喉の奥から絞り出すような笑い声を上げる。

 それは聞く者の神経を削る、不快でとても人が出すモノとは思えぬ音だ。


 カレンの脳裏に、ヴァンが語ったダンとナンの凄惨な姿が浮かんでしまう。

 かけがえのない2人を失う恐れに、カレンの心が削られていく。

 それを見定めるヴァンの口元が、更に上がる。


 呼吸が速く浅くなり、手がとても冷たい。

 誰かが遠くで自分を呼んでいる気がするが、視界が狭まっていて良く分からない。

 世界から色が失われて行く。

 ただ、身体が極寒の地にでもいる様に、途轍もなく震えている事は自覚できた。



 その震えが止まらぬカレンの身体を、コーディリアは後ろから咄嗟に全身で抱き締めていた。


「カレン!あんな悍ましい言葉を聞く必要はありません!ココにいるのはみんな貴女の味方です!何人たりともカレン達姉弟に手出しなど出来ません!誰もそんな事を許しはしません!!だから……!」


 コーディリアが、カレンの身体に回す腕に力を籠める。


 「だから!恐れないで!私が居ます!!」


 背に顔を押しあてたコーデリアの言葉が、カレンに直接響いた。

 背中に感じるその温かみが、カレンの意識にジワリと虹彩を取り戻させる。


「……コーディ。……ありがとうコーディ」


 カレンは、自分の胸元でしがみつくコーディリアの手に自分も手を重ね、やはりその上から力を籠めた。

 コーディリアの温もりが、カレンは自分の胸の奥底に沁みて行くのを感じていた。




「……下らぬ真似をしてくれますね」


 カレンが直ぐに正気を取り戻す様を見ていたヴァンが、不快げに眉根を寄せてコーディリアへ自分の指を指し向けた。それは忽ち黒い槍となり、一直線にコーディリアへと伸び迫る。


 だが、その射線上にウィリアムが滑り込み、自身のラウンドシールドで素早く黒槍を叩き落とした。


「もう勝手はさせんよ!」


 更にウィリアムの陰からアーヴィンが飛び出す。

 アーヴィンは一瞬でヴァンの目前まで迫り、そこでツーハンドソードを振り切った。


 しかし、ヴァンはその切っ先を紙一重で飛び退き躱す。


 だが、その飛び退いた先でアリシアの蹴りがヴァンを襲う。


 遠心力を効かせ、籠められた『氣』で強く光を放つアリシアの蹴りは、ヴァンを盛大に吹き飛ばし、その身体をホールの壁に真正面から叩き付けた。


「クソ!やっぱりコイツ、異常にタフだ」


 アリシアが、Y字に上げた右脚をゆっくりと畳んで降ろし、忌々しそうに呟いた。


「いい加減、少しばかり邪魔ですね。多少、思い上がっておいでですか?」


 大きく陥没している壁の中から身体を引きずり出し、不快気に顔を歪めながらヴァンも言葉を吐く。


 その肩口へ、アーヴィンの振り降ろされたツーハンドソードが再び迫る。

 ヴァンはその剣筋を、右手を振り上げそのナイフの様な黒い爪で払い飛ばす。


「思い上がっているのは貴様だろう!」


 すかさずウィリアムが、自身のラウンドシールドを下からヴァンに向かい打ち当て、その顎をカチ上げた。

 そのまま右手のロングソードを、ヴァンの胸元へ突き入れる。

 しかし、ヴァンはウィリアムのロングソードを掴み取り、一瞬でその動きを止めてしまう。


「邪魔だと言っているのですよ!」


 ヴァンの眼が赤く燃える。同時にその周りに幾つもの魔法陣が浮かび上がった。


「まずい!下がれアーヴィン!アリシア!」


 ウィリアムが叫び、自身のシールドで身体を庇う。

 同時に周りに浮かぶ複数の魔法陣から、人の腕程の氷柱がせり出し、それが一斉に四方へ撃ち出された。


 アーヴィンは氷柱をツーハンドソードの刃で斬り払い、柄頭で叩き落とし、その下を掻い潜る。


 アリシアは両手を上げてガードを固め、拳の裏で迫る氷を砕きつつ、木の葉が舞う様に回転しながら氷柱の間をすり抜けた。







「この2人の腕は接合したわ!後はコリンとウィリーで『身体修復レストレーション』をかけて上げて!私はこの蘇生を試みる!」


 ホールに到着したジェシカ・カーロフは、直ぐに怪我人に駆け寄ると同時に治療を開始した。

 ジェシカは、腕を切り落とされた二人の衛士の治療を済ませると、心臓を突かれたローレンス・ニヴンの傍らに膝をついた。


「やはりこっちも毒に侵されている?それも向こうの2人よりも猛毒か」


 ジェシカが、ローレンスの身体に『解毒アンチドート』をかけながら、戦闘を続ける3人へ顔を向ける。


「気をつけて3人共!ソイツの得物には毒があるわ!」


「知ってるよ!」


 ジェシカの叫びに、アーヴィンが黒い爪を柄頭で叩き落しながら答えを返す。




「ジェシカ、僕たちに手伝える事はあるかい?」


 施術を始めようとするジェシカに、アンソニー・ラインバーガーとキャロライン・ゴールドバーグが近付き声をかけていた。


「解毒と傷の再生は済んだわ。これから心肺の蘇生を試みるけど、蘇生率は高いとは言えない。出来るなら2人に『生命力付与ライフフォース』で成功率を上げる手伝いを頼みたいところね」

「了解した」

「やってみるわ。構いませんわよね?お父様」

「ああ、手を貸してやりなさい」

「大神殿に急ぎ伝令を!受け入れの手筈を整えさろ!」


 ロバート・ランドル・ゴールドバーグが、娘のキャロラインが治療に手を貸す事を許可した。

 同時にコードウェイナー・ラインバーガーは、ローレンスの搬送準備と大神殿へ向け、その受け入れ準備を整えさせるための使者を走らせる。


「始めます!『甦生祈念リジェネーションプレア』」


 ローレンスの胸元に両の手を乗せ、ジェシカが祈りを唱える。

 すぐにその手から神々しい光が零れ、辺りを包んで行く。



 その動きを視界の隅で捉えたヴァンが、顔を顰め大きく舌打ちをした。


「ソレは私が処理を済ませたモノです。余計な真似は止めて頂きたい!」


 ヴァンがジェシカに向け、魔法を発動させる。

 彼らの間の空間に、十数にも及ぶ魔法陣が僅かな瞬間で次々と浮かび上がり、そこから一斉に氷柱がせり出てきた。

 しかしジェシカは治療に集中し、手元から目を離さず動こうともしない。


「ちっ!!」

「てンめぇ!」

「いかん!ジェシカ!!!」


 ヴァンと戦闘を繰り広げていた三人が、突然自分達以外へ向けられた攻撃に対処する為、其々素早く身体を切り返す。

 だが、アリシアの拳が、アーヴィンのツーハンドソードが、ウィリアムの盾が伸びるより早く、その魔法の氷柱群は圧倒的な質量でジェシカたちを押し潰そうと迫る。


 ホール内一杯に、巨大な氷塊がぶつかりひしめき、互いの質量で潰し合った甲高い悲鳴のような音が響き渡った。ホールの中に、軋みながら巨大な氷塊が出来上がるかと思われた。


 ……だかその時、氷の塊が粉々に砕けて散った。


 その砕けた氷の破片が光を煌めかせ、辺り一面に飛び散るその中央に立つ人影がある。


「遅くなったかな?マイ・スィートハート」

「いつも通りよ。問題無いわ」


 軽装備の魔法印を輝かせ、両手に装備したバックラーで氷塊を砕いたヴィクター・フランクがそこには居た。

 そのヴィクターに、ジェシカは手元から目を離さず答えを返す。


「僕としては、もう少し早くても良かったと思うよヴィクター」

「君は心配性だからね会長」


「期待に違わず、とても貴方らしい登場でしたわ」

「淑女の期待には、全力で応えるものだろ?プリンセス」


「スワッシュバックラーの『損害制限インジュリー・リミテーション』で受け止めたか。流石だな」

「恐れ入りますゴールドバーグ卿」


 ヴィクターが使った『損害制限インジュリー・リミテーション』は、彼が就くスワッシュバックラーと云うクラスが持つ固有スキルだ。

 それは物理ダメージを魔力の消費で肩代わりし、被るダメージ量を一定以下に制限する。

 ヴィクターが元から持つ、高い防御力と回復能力あってこその物だ。


「さあ諸君!ここからの護りは僕に任せ、存分に敵殲滅に尽力したまへ!」


 両手に装備したバックラーをガシリ!と打ち合わせ、ヴィクターが声を上げる。


「言われるまでも無い!」


 アリシアがポニーテルを揺らし、身体を回す様に左右のブローを連続で叩き込みながら叫びを返した。





 ジェシカの額に、小さな汗が浮かび上がる。

 やがて、掌から零れていた輝きが収縮し、僅かな物となり儚げに消えて行く。

 ジェシカが細く糸のように長い息を吐いた。

 その瞬間、横たわるローレンスの胸元が一瞬凹み、次に身体ごと大きく跳ね上がる。


「心肺蘇生に成功しました!急ぎ大神殿で処置願います!!」

「だそうです、お父様」

「うむ!見事だ!」

「急いで搬送しろ!何としても、この者の尋問は行わねばならん!!」


 コードウェイナー・ラインバーガー指揮の元、一命を取り留めた者たちがホールから運び出され、ゴールドバーグ父娘達もそれに続く。

 キャスパーとバンジョーも、それぞれの娘を庇いながらホールを後にする。

 最後に残ったクラウド父娘が、その殿を務めた。


「お兄さま!お気をつけて!」


 アニーの言葉を背に受けたウィリアムが、腕のラウンドシールドで黒い槍を弾き飛ばす。




 それを見送り、ジェシカがホール中央に目を向ける。


「待たせたね!」


 ジェシカが正面で手を合わせ、目を閉じ祈りを唱え始めた。

 魔力が集い、清浄なる輝きが合わせた手から発せられていく。


聖なる祝福ディヴァイン・ブレッシング


 ホール内が聖なる輝きで満たされた。

 祝福により、味方の回復力が上がり、邪悪な力を減退させ、聖なる輝きが其々の武器に宿る。


「古き樹よ、風に詠え。歓喜の歌を、勝利の歌を奏で共に舞え!『戦意上昇バトルフォージ』!」

「炎の残光、舞い散れ火神カグツチ!命の炎を躍らせろ!『生命力増加ヴィタリティ・ブースト』!!」


 コリンが戦唱を唱え、フィールド内の味方の戦意を上げ、戦闘力を底上げした。

 ウィリーが、火属性の生命力を上げる支援魔法を、前衛のひとり一人にかけて行く。



 ホールに満ちる祝福の光に、ヴァンの表情が憎々し気に歪む。


「忌々しい光を!ですが!この程度では、私が授かったお力を削ぐには程遠い!!」


 こんな輝きは効かぬとでも言う様に、ヴァンは打ち込んで来たアリシアの拳を胸元で受け、あまつさえそれを弾き返した。

 更に腕を振り抜きその黒い爪打ち下ろす。その一撃で、アリシアはその身体を10メートル余り吹き飛ばされてしまう。


 アリシアは飛ばされた先で直ぐに立ち上がり体制を立て直すが、ガードした腕には斬撃のような跡が付き血も滴っている。更にその口からどす黒い血が零れて来た。

 口の中の血を床に吐き捨て、口元に着いた自分の血を腕でグイっと拭い、アリシアは再びヴァンへと向かい走り出す。


解毒アンチドート!』


 走るアリシアに向かい輝きが投げられた。

 清浄な輝きはアリシアを包むと、その身体に染み込む様に消えて行く。


 アリシアは、ジェシカに向かいサムズアップを見せ、そのままヴァンに向かい走り出す。


「ウィル!!『守護防壁ガーディアン・シールド』!」


 コリンが更にウィリアムへ向け、盾の堅固さを上げる支援魔法を放つ。

 ウィリアムの持つラウンドシールドが、魔力を受け仄かな光を纏う。


 そのシールドで、ウィリアムがヴァンを正面から打ち据えた。

 放たれたのは『シールドバッシュ』。

 盾の一撃でノックバックされたヴァンが後方へ弾かれた。


「アリシア行くぞ!炎の闘志を剣に宿せ。その炎剣を振りかざし、勇士は舞う。『戦士の力ウォリアーズ・マイト』!」


 ウィリーが、火属性の攻撃力上昇の支援魔法をアリシアへ飛ばした。


 アリシアは、トンボを切るようにして身体を縦に回転させる。

 そのままウィリアムに弾き飛ばされたヴァンを迎える様、その肩口に向けて上方から遠心力を効かせ、炎の魔力を纏った踵落としを思い切り叩き付けた。


「がっ!」


 衝撃で、思わずヴァンが左の膝をつく。

 だが同時に自身の腕を払い、アリシアを再び弾き飛ばした。


 その一瞬に、アーヴィンは僅かに腰を落とし溜めを作る。ダークブロンドの髪が揺れ、瞳が仄かな金色を帯びた。

 同時に剣身にも黄金色の光が纏われる。


 『スラッシュ・インパクト!』


 床を砕きながら踏み込み、横薙ぎに振り切られた『氣』を纏った斬撃の光が走る。


 膝をつく瞬間、僅かに見せたヴァンの隙。その右脇腹に、ツーハンドソードの刃が吸い込まれる様に走った。



 だが、ツーハンドソードは、剣幅の半ば程で食い込み止まっていた。

 それでも黄金色の『氣』を纏った剣身は、咥え込む肉を焼き、シュウシュウと白い煙を上げさせている。



「そうそう何度も通しては差し上げませんよ!まあ、それ以前に、貴方の剣は軽過ぎだと申し上げている!」

「クッソ!」


 すかさず、ヴァンの黒い爪がアーヴィンを襲う。

 アーヴィンはその身体を壁まで弾き飛ばされ、背中から叩き付けられた。



 ジェシカは、弾き飛ばされたアリシアに、アーヴィンに『癒し』を飛ばす。

 その時、一筋ジェシカの鼻から血が溢れた。


「ジェシカ?!」

「大丈夫、問題無い」


 咄嗟にコリンが駆け寄り、その血を拭い、『バイタルアップ』をジェシカに施した。


 ジェシカはホールに来る前、既に2人の人間に回復を行なっていた。到着して直ぐ、更に2人の衛士に『癒し』を施し、更なる蘇生の奇跡も起こしてみせた。

 今現在、聖域の結界を維持し、回復役も一手に引き受けている。

 この短時間で掛かった彼女の負担は、並の物ではない。


「ありがとうコリン。十分よ」

「もしも限界だと感じたら、君をココから攫って行くから覚悟しておくれよマイハニー」


 時折、後衛に向け隙を突くように襲って来る、氷塊や黒槍を捌きながら、ヴィクターがジェシカに微笑みかける。


「心配無いわ。もう幾らもかからない」

「……そうね。確かに随分削れているわ」


 コリンが、魔法陣を宿らせた眼をヴァンに向け、小さくジェシカに同意を示した。




 再びウィリーから支援魔法を受けたアリシアが、その場で静かに呼吸を整える。

 腰を落とし、ゆったりとした力強い呼吸で周りから『氣』を集め、下腹に溜めていく。

 やがてアリシアを中心に、空気が静かに渦を巻きはじめた。

 静かに半眼はんがんに開いた目が、穏やかに目標を捉える。


『ジーゼロ・フライング・ニー・キック!』


 激しく床を踏み抜き、砲で撃ち出された様にアリシアが一直線に、ホールの中を飛び抜ける。

 突き出されたその膝は、纏った『氣』と圧縮されたエーテルの輝きで、残像と共にその航跡に光を零す。

 床に轟く爆音を後方へ残し、その膝蹴りが砲弾の勢いでヴァンの胸元に突き刺さった。


 ヴァンの身体はその爆発的な威力に吹き飛ばされ、庭に面するガラス戸を粉砕しながら室外へと弾き飛ばされた。


「追うぞ!」


 それを追いように、ウィリアムとアーヴィンが外へと向かう。



 ガラスの飛び散った中庭の中で、片膝をついたヴァンがゆっくりとその身を起こす。

 同時に、抉れて陥没している胸部がメキメキと音を立てながら盛り上がり、元以上の胸板の厚さになって行く。

 腕も一回り以上太くなり、全体的に体躯が大きくなっている様だ。


 既にボロボロになっている上着とシャツを取り払った肉体は肥大しており、元の細身の身体とは似ても似つかぬ物になっていた。

 その皮膚の下には、幾つもの太い血管のような管が浮き出て、時折それが悍ましく蠢く。

 それは蠢く度に、仄かに燻んだ銀色を帯びる様だった。


 ヴァンは、ダメージの残らぬその自らの肉体を誇る様に、足を前へと踏み出す。

 だが、アーヴィンに付けられた脇腹の傷だけは、未だ癒えずに白い煙を上げていた。


「まあ良いでしょう。既に収穫は終わったご様子。そろそろお暇の頃合いですしね」


「残念だが、この結界からは抜け出る事は出来ない」


 ウィリアムが庭に散乱するガラスを踏みしめ、ヴァンに向けて足を運ぶ。


「それはどうでしょうか?」


 ウィリアムの言葉に対し、不敵な笑みを浮かべたヴァンは、突然両手を上方へ差し出した。


「蹂躙して差し上げても宜しかったのですが……。する事が済んでいるのなら、戻れとの思し召しです。ご慈悲に感謝されるのが宜しいかと」

「ヌケヌケと負け惜しみを!」


 アーヴィンが叫びを上げた時、ウィリアムはヴァンの上方に何かを捉えた。

 踏み出そうとするアーヴィンを咄嗟に抑え、その身をシールドで庇う。


 それと同時にヴァンに稲妻が落ち、辺りを閃光が包み込んだ。

 大気を裂く轟音が周り一帯を揺らし、その身が衝撃で飛ばされそうになるのを辛うじて踏み止まった。


「『雷神の一撃エレクトラ・ストライク』だと?!」


 衝撃が収まった辺りを見渡し、ウィリアムが驚いた様に声を上げた。


「まさか結界を抜いたのか?此処に攻撃を通すとはな……」


 ウィリアムは、ついさっきまでヴァンが居た場所に転がる、炭化した人型の物体に対して眉根を寄せる。


「証拠隠滅の為に処理をしたと言う事か?」


 白煙を上げるその物体は、明らかに人だった物だ。

 今の轟雷により、一瞬で炭化したのだろう。コイツもそうだったが、コイツを使っていた奴も、他者を使い捨ての道具扱いする者だと言う事か。

 その相手の感性に、ウィリアムは不快感を隠せない。



「違うな。コイツは奴じゃ無い」


 アリシアが後ろから、ウィリアムの考えを否定する。


「カーラの空蝉うつせみと似た様なモノだ。身体を入れ替えやがったんだ。まんまと逃げられたって事さ」


「まさか『対象転置トランスポーズ・チェンジ』を使ったというのか?生きた相手だぞ?!」

「厳密には生きているとは言えないわ、対象はヴァンパイア……『アンデッド』だもの」


 室内から出て来たコリンも見解を述べる。『対象転置トランスポーズ・チェンジ』は、ある程度離れた場所にある二つの物体を入れ替える事が出来る魔法だ。

 対象はあくまで物体で、生物の移動は出来ないのが常識だ。

 コリンは、今回の対象は『生物』では無いと言う。


「間違いなく追い詰めてはいたのよ……。この結界を抜けられるとは、思わなかったわ」


 ヴィクターの腕に摑まりながら出て来たジェシカが、悔し気な言葉を零す。


「足りてねぇ……。全っ然!力が足りてねぇ!!!」


 更に悔し気に、吐き出す様なアーヴィンの叫びが響く。

 そのアーヴィンの頭を、ジェシカの拳が優し気に小突いた。

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