110話ローレンス・ニヴンの破滅

「先頃、一つの犯罪組織が解体された事はご存知か?」


 ローレンスの弁明を遮る様に、フィリップが静かに言葉を落とす。


「実質は解体されたというより、殲滅されたと言うのが正しいが……。それが『つい成り行き』だというのだから呆れた話だよ」


「……何を?貴殿は何の事を言っている?」


 フィリップの苦笑交じりの言葉に、ローレンスが眉根を寄せる。


「もう間もなく、あと1時間もせずロデリック・マクガバン氏が東門へ到着する。彼は盗賊団の頭目を捕縛し、それを連行中だという事だ」


 そのローレンスの後から、ドルトン・バンジョーが声をかけた。

 驚いて振り向いたローレンスは、その言葉の意味を頭の中で反芻する。


 ――マクガバンが無事だと?頭目を捕縛?ゴゥルがか?!馬鹿な!

 奴の拠点は騎士団の一個中隊でも無ければ、とても落とせるものではない。

 だがそんな戦力が動いたなどという情報は無かった!

 ブラフか?!


「それが私に何の関係があると言うのだね?」


「マクガバン氏は、賊の拠点で大量の犯罪の証拠品を押収したそうだ」


 ボーナ・レイヴン・キャスパーが、ドルトンに並んで言葉を続けていく。


「だからどうした?!私には何の関わりも無いと言っている!」


数多あまたの魔物を擁するその盗賊団頭目は、君との関係を示唆しているそうだ」


「なっ?!ラインバーガー卿?!そ、それこそ捏造です!私を貶めようとする陰謀です!!」


 更に、情報局本部長のコードウェイナー・ラインバーガーがボーナに並ぶ。

 コードウェイナーは普段見せている柔らかな眼差しを潜め、冷ややかな光をその目に宿らせていた。


 ローレンスは思いもかけぬ相手からの言葉に一瞬息を飲むが、直ぐにそれは陰謀であると捲し立てる。


「ローレンス・ニヴン。神殿庁は君を霊査審問にかける事を決定している」


「ゴールドバーグ卿まで?!そんな……そんなバカな事が!!」


 ロバート・ランドル・ゴールドバーグの追い打ちをかける様な言葉に、ローレンスの足が知らずに下がる。


 ――これは一体どう言う事だ?!

 フルークは潰れたが、自分に直接繋がる物は消して来た。決定的な物など出る筈は無いのだ。

 本当にゴゥルが捕まったのか?いや!それこそあり得ない!

 ほんの数日で、アレをどうにかできる戦力などある訳がない!

 ここ迄追い込まれる様な事になる筈は無いのだ!

 一体何が起きたというのだ?!――


 嫌な汗が噴き出て来る。

 ローレンスの胸に置いた手に力がこもり、掴んだシャツが大きな皺を作って行く。


「査問?!そんな事をせずとも調べて頂ければ直ぐに分かります!私がそれらとは無関係だと言う事が!私はそんな犯罪組織とは一切関わり合いが無い!!」


 ――だが最悪、ここで身柄を押さえられたとしても、衛士の上層部には伝手がある。行政の中にもだ。

 万が一に何らかの物証が出たとしても、事前に潰す手筈は整えてある。

 いつもと同じだ、慌てる必要は無い。

 ラインバーガーとゴールドバーグのツートップが口を挟んで来た事には驚かされたが、自分に繋がる証拠品など出る事はないのだ。

 何も証拠が出なければ、このお二方への貸しを作る事が出来る。

 そしてその責任を、クラウドとバンジョー、キャスパーの三方へ取らせてやれば良い――



「もしも、上級衛士やデケンベル官庁の役人にどうにかさせようと考えているのなら、彼らは既に罷免済みだよ」


「は?な、何を?!」


 コードウェイナー・ラインバーガーが天を仰ぎ見て、盛大に溜息を吐きながら続ける。


「まったくね、今のところ上級中隊長2人に、官庁の責任職が3人だったかな?そこから更に芋づる式に出てきている所だ。これからその穴埋めをしなきゃならない。一体どれだけの皺寄せが関係各所にかかる事やら。……今から実に頭が痛い話だよ」


「な、何を仰っているのか……」


「ラインバーガー卿は、もう貴殿には何一つ戦力は残っていないと言われているのだよ」


「ふ!ふざけるなぁっ!!」


 ドルトンの言葉にローレンスが叫びを上げた。

 ローレンスはその目の端に、入口ドアの脇に居た衛士達が、此方に向かって来るのを捉えていた。


「君には国家反逆罪の疑いもかけられている。大人しく査問を受け、自身の潔白を証明する事を勧める」


「そ、そんな、……そんな馬鹿な!」


 ゴールドバーグの言葉にローレンスの顔色が消えて行く。

 あり得なかろうと筈が無かろうと、今、己の退路が断たれている事に此処へ来て気が付いた。

 嘗て味わった事の無い強烈な焦燥感が、その身を足元から侵食して来る。




 その時、床が重い振動に突き上げられた。

 少し遅れて下腹に響く破裂音が屋外から響き、外に面するガラス戸が振動で激しく音を鳴らす。

 ホール内の多くの者は咄嗟に身を屈め、女性達からは小さな悲鳴が次々と上がる。


「どこからだ?!」


 フィリップはアニーを庇う様に立ち、衛士に向け爆発場所を確認しろと声を上げた。



 周りの眼が自分から逸れたと感じたローレンスは、胸元に置いていた手を上着の奥へと滑らせた。

 その奥から何かを素早く取り出す。

 手の中に納まるのは懐中時計の様な物。



 カレンは壇上から、そのローレンスの挙動を目で追っていた。


 ローレンスの手の中の物は、懐中時計にしては少し大き目だ。

 親指の付け根に当たる部分に、レバーに似た突起が本体から飛び出ている。

 時計のリューズのような物が、握った中指と薬指の間から伸びていた。

 リューズにしては少し大きい。

 何かの筒のようにも見える。


 あれは何か危険な物だと、カレンの中で強く警告が鳴る。


 その凶行に至らんとする腕が向く先に居るのは、ドルトンとボーナ。そしてコーディリアだ。


 刹那にカレンの足元が赤い光を纏う。同時に身体が動く。

 そこに言語的思考などを挟む余地無く、瞬間的に身体が反応したのだ。


 カレンから見て左方向に、ローレンスは自分の右手を突き出していた。

 ローレンスの開いた身体がカレンの正面にある。

 壇上から滑るようにその身を移動させたカレンは、赤い軌跡を低く描きながら、瞬きをする間にローレンスの間近に到達していた。


 そしてローレンスが掌の中のレバーを握り込んだ瞬間、その右手を下方から思い切り蹴り上げる。


 赤い魔力の光が辺りに弾け、ローレンスの手首が粉砕されながら上へと跳ね上げられた。


 ローレンスの苦悶の声が辺りに響き、同時にその手の中のガジェットが起動を示す魔法陣を空間に描く。


掌中魔動器パーム・フォーカル

 それは極めて小さな魔法蓄積筐体カートリッジを装填した、小型の魔導発現装置マジック・イグニッションだ。


 掌中魔動器パーム・フォーカルが向けられた上方で装填チャージされていた魔法が発現する。

 天井付近で起きた小さな破裂音と共に、薄いかすみが広がった。


 かすみが触れた白い漆喰で塗られた天井が、シャンデリアを吊るす金の鎖が、見る見る変色してその形を歪ませる。


「『強酸霧アッシド・ミスト』だと?!なんて物を!!」


 それを目にしたフィリップが叫んだ。


 それは点で発現し、僅かな範囲に広がる魔法。

 屋外であれば、大気の動きで効果が殆ど期待できない低位の魔法だ。

 だが室内の、密閉された空間に於いて発現したならば話は別だ。

 金をも直ぐさま腐食させるその強酸は、人の皮膚に触れれば忽ちそこを爛れさせ、目を潰し、息をすれば肺を焼く。

 ローレンスはそれを室内で、人の密集する中で使用したのだ。


 呻きながらもその場から逃れようとするローレンスを、ボーナが腕を捩じり上げ床へとその身を押し付けた。

 ローレンスの手の中からガジェットが転がり落ちる。

 カレンはコーディリアを守る様、咄嗟に抱き寄せ両手を彼女の背に回す。


空気壁エア・ウォール!』

 ドルトンが天井へ向けて風の壁を生み出した。

 それは薄く広く天井で広がり、緩い気流を生じさせながら強酸の霧を集めて行く。


「ガラス戸を開けろ!」


 ドルトンの叫びで窓際に居た使用人が、慌てて天井まで届く大型のガラス戸を次々と開け放って行く。


水滴精製ナノアクア・ジェネレーション

 ドルトンが空気壁エア・ウォールに合わせるように、もうひとつの魔法を放つ。


 拡散しようとしていた強酸の霧を纏め、そこに無数の小さな水滴を生み出して混ぜ合わせる。

 それをバスケットボール程の大きさにまで纏める上げると、使用人達が開いた窓から外へと放出した。


「相変わらず器用だ」


「君も変わらず手際が良いね」


 無駄なく流れるように強酸の霧を外へと退けたドルトンに、ボーナが声をかける。

 ドルトンも、手際よくローレンスを組み敷いたボーナに言葉を返す。



「……こ、この私に!こんな真似をして只で済むと思うなよ!」


 駆け付けた衛士に引き渡されたローレンスが、ボーナとドルトンへ向け吠え上げた。


「貴様もふざけるなよカレン!恩ある私にどういうつもりだ?!散々世話になったと言っておきながらこの様な仕打ちを!この恩知らずが!!」


 砕かれた右手首の痛みに顔を歪めながら、ローレンスはカレンにも怒鳴り上げる。

 カレンはそのローレンスの喚きに一瞬息を呑み、その身を固くする。

 だが、この男がやって来た事を思い出せば、そんな事を言われる筋合いは無い。我知らずにその手が震えた。


「ふざけているのは、そちらの方ですわ!!」


 カレンが口を開くよりも早く、その腕の中から飛び出したコーディリアが声を上げていた。


「貴方がされた事は、只カレンから大切な物を奪っただけ!貴方がカレンに与えた物は、悲しみと苦痛だけ!そのカレンを恩知らずと言う貴方こそ、紛うこと無き恥知らずですわ!!」



「小娘が!知ったような口を!!」


 ローレンスがコーディリアに向け、憎々しげに荒く言葉を吐き飛ばす。

 今度はカレンがコーディリアを庇う様に、その彼女を肩口に隠した。


「ニヴンのおじ……いえ、ニヴンさん。貴方がした事を、もうわたしは忘れません。そして、これ以上わたしの身近な人を傷付ける事を、わたしは許そうとは思いません」


「許さなければ何だと言うのだ!力の無い小娘風情に一体何が出来るっ?!!お前に出来るのは、ただ泣き跪き、私に許しを請う事だけだ!!」


「あ、貴方という方は……!」


「もう良い、コーディ」


 更に食い下がろうとするコーディリア達の前に、ボーナが立った。

 2人の娘に、もうこれ以上汚物を見る必要は無いと言いたげに、ローレンスと娘たちとを遮る様に。


「連れて行け!」


 壇上からフィリップが、ローレンスを捕縛する衛士2人に、連れて行けと声を上げた。

 衛士2人がその声に応え、抗いながら口汚く罵り続けるローレンスを引き立てようとした時…………。






 ――――室内に突風が吹き込んだ。



 多くの者が風を受けて目を庇う。

 開け放たれたガラス戸が、風に揺さぶられ激しく音を立てた。


 そしてホールに低い男の悲鳴が響く。


 ローレンスを確保していた2人の衛士が床に転がり、苦痛の声を上げて転げ回っている。

 その2人の衛士は、肘から上を両腕とも無くしていた。


 ローレンスは両腕を、衛士の手だった物に握られたままその場で座り込んでいる。


 そして、いつの間に現れたのかその脇に立つ細身の男。


「ヴァン……お兄……さま?」


 その顔に、サラリと癖のない白銀の髪が零れた。

 ヴァン・ニヴン。いつの間にかそこに立っていた男に、カレンが油断ならぬ目を向ける。


「ふむ、この短い間に記憶まで取り戻している?……成程、記憶の蓋を自力で解かせる為に茶番を仕込みましたか……。確かに外から無理にこじ開ければ、精神の何処に歪みが出てもおかしくありませんからね」


 ヴァンがカレンの視線に気が付き、興味深いとでも言いたげに、冷たい目を細めてその眼を見返す。




「だから逃がすかって言ってんだろが!!」


 更にその場へ飛び込んで来た者が居た。

 ガラス戸が開け放たれた庭側から勢いよく部屋の中へと飛び込んで、ヴァンに向かい手に持ったツーハンドソードの切っ先を向け、威勢よく声を上げる。


「はやるなアーヴィン!コイツは油断ならない!」


 そこにもう1人。アーヴィンに追い縋り、その行く手を遮る様に腕を開く。


「アーヴィン?!お兄さま!」


 フィリップに庇われながら、壇上でアーヴィンとウィルを確認したアニーが叫んだ。


「逃がしゃしないってのは、全く全然同感だけどね!」


 ガツンと両手の手甲を打ち鳴らし、不適な笑みを浮かべる者がその後に続く。


「アリシア先輩!」


 その姿を見たカレンが声を上げた。

 カレンに気付いたアリシアが、ポニーテールを揺らしてニヤリとウィンクを飛ばして来た。

 何故かカレンの腕を掴むコーディリアの手に力がこもる。



 ヴァンは、ローレンスの腕に未だに付いている衛士の手を払い落とし、その背中を支える様に右手を当て、彼を立たせた。


「ヴァン!この場を何とかしろ!せめてあの娘の石を奪え!隠された神殿の鍵となるあの宝玉を!そしてなんとしてもグルースミルへ戻り、立て直す!まだ物資も兵力も……」


「父上、それは無駄な足掻きです」


「なに?!」


「貴方に兵力はもうありません。あの浅はかな死肉喰いが失態を犯しました。それにアレは、貴方の手に余る代物です」


「なんだと?!一体どういう事だ?!!」


「貴方の役目は終わったと言う事ですよ父上」


「っ!!…………な?……お、お前……一体、何を………………」


 次の瞬間、ローレンスの胸元から、まるで突然そこから生えて来たかの如く、幾本もの細い槍状の物が飛び出した。

 ローレンスは、まるで信じられない物を見る様にそれを見下ろし、一体何故だと後ろに立つヴァンへ問いかける。


「嘗て貴方は搾取される惨めさを呪い、力を付け、される側からする側へと転じられました。捕食者として力を振るい、長い間より強くより多くと欲望を募らせて」


 その語り掛けに答えることなく、血の気の失せたローレンスがヴァンの足元に力なく膝を付く。

 ズルリとその背中から、ヴァンの五指が抜き取られた。ゴトリとローレンスの身体が床へと倒れ伏す。

 ヴァンの指先の爪は長く伸び、短剣のように鋭く、ローレンスの血に塗れていた。


「只、今その役割が廻り変わっただけですよ。世の中にはよくある事です」


 ヴァンが指先の汚物を払うように指を振る。

 風を切る音と共に、床に血の雫が飛び散った。


「あの方は、もう貴方は必要無いと仰っておいでです」


 ヴァン・ニヴンの口元が残忍に吊り上がる。

 細く鋭いその眼が、ゆらりと炭火の様な赤さを帯びて仄めいた。

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