109話カレンの記憶

「本日はおいそがしい中、おいでいただきありがとうございます。今日の日をもちまして、わたくしアニー・クラウドは8才となりました」


 壇上には主催者であるフィリップ・クラウドと、その娘でありパーティーの主役たるアニー・クラウドが立ち、来場の客たちへと挨拶を述べている。アニーは今日何度目かの衣装替えで、今は純白のフィッシュテールドレスだ。


 自分たちの小さな友人が、これだけの人々の前で堂々とした振る舞いを見せる姿に、カレンとコーディリアは我知らず誇らしさを感じていた。

 手を繋いでその姿を見守る二人には、スージィ不在の今、彼女に代わりアニーに対する庇護の感情が生まれいたのかもしれない。


 そんな娘の僅かな成長を目の当たりにしたボーナ・レイヴン・キャスパーが、彼女らの傍らに立ち、愛おしげにその目を細めて娘を見やる。

 その目がコーディリアの胸元で、黄金の光を煌めかせる小さな石に向いた。


「それを肌身離さず持っていてくれているのだね、コーディ」

「あ、ハイお父様!学園内では見える所に付けられませんが、いつも携帯しておりますわ!」

「その『テリルの恵み』は、君の無事を願い送ったものだ。常に身に着けていてくれる事がとても嬉しいよコーディ。……君のその赤い石もそうだよカレン。リーラが君に、健やかであれと願い送ったものだ。大事にしなさい」

「お母さまが……。はい、ありがとうございますボーナ小父様」

「私も大事にいたしますわ!お父様!」


 ドルトン・バンジョーが、友人とその娘達2人の元へ静かな足取りで合流する。

 壇上ではアニーの挨拶も終わり、綺麗な姿勢で礼を取る少女を会場一杯の拍手が讃えていた。


 ドルトンはボーナと目配せあった後、壇上のフィリップと視線を交わし短く頷き合う。



「さて、皆様!此処にご紹介いたします!娘アニーと、我が姪にしてアムカム次期頭首スージィ・クラウドの共通の友人である、カレン・マーリン嬢を!」


 突然名を呼ばれた事に、カレンは思わず息を呑む。

 壇上のフィリップは、こちらへ来いとばかりに手を差し出している。


 カレンの手を握るコーディリアは、真剣なまなざしを彼女に向けている。

 周りを見れば、ボーナとドルトンが柔らかな視線を自分に向け、拍手をしていた。

 いつの間に来ていたのかキャロライン・ゴールドバーグとアンソニー・ラインバーガーも、直ぐ傍で手を叩いている。

 キャロラインは小首を壇上へと小さく動かし、その目は「お行きなさい」と語っていた。


 そしてコーディリアの握る手に力が籠る。

 カレンの手を掴んでいたコーディリアは、そのまま彼女を連れて足を運び、壇上から手を差し伸べるフィリップに「お任せします」とカレンを預けた。


 何が起きているのか分からぬカレンは、ただその目を白黒させ、壇上でフィリップとアニー父娘に挟まれていた。




「改めてご紹介いたします。ムナノトスのカレン・マーリン嬢です!」


 今だに戸惑うカレンが置いて行かれたまま、フィリップは大仰に手を振り言葉を続ける。


「この度、ゴールドバーグ卿の御承認も頂き、私フィリップ・クラウドとミリアキャステルアイ寄宿学園理事長ドルトン・バンジョー氏。そしてボルトスナンのボーナ・レイヴン・キャスパー氏の3人が、彼女の後見となりました」


 来客たちからの拍手の中、ステージ上のカレンは目を見開く。

 確かに、ダンとナンを学園に引き取る時に、フィリップから自分たち姉弟には後見人が付くとは聞いていた。

 その時は「自分を含めて何人かが後見に付く事になった」とは確かに言われた。

 でもそれがボーナの小父様と、まさかの理事長さまだとは!

 ましてや、こんな大勢の集まる場所で発表されるなんて、全く全然聞いていない!!


 流石に、驚きのあまり口を開け放つ様な無作法はしなかったが、それでも目を見開かずにはいられない。

 そのまま恐る恐るフィリップの方に視線を送れば、その人は軽くウィンクを飛ばしてくる。


 あ、この人は確信犯なのか。


「更に!現在採掘が止まっているムナノトスの鉱山事業も、我々支援の元、来年にも再開する予定である事を此処にご報告申し上げます!」


 何年も止まっていた鉱山事業が再開される。

 その話も聞いていない。

 しかし、再び鉱山が稼働を始め、ムナノトスに活力が戻る事は父母の願いでもあった。


 我知らずにカレンの胸が高鳴る。


 それは自分もずっと願い続けていた事だった。

 父と母の果たせなかった願いを叶えたい。

 そう思っていたからこそ、キャスパー家の誘いを断り、あの土地に残る決意を固めたはずだ。


 何故、今の今迄忘れていたのか?

 思わず握り締めていた手に、アニーがそっと自分の小さな手を添えて来た。



「そんな馬鹿な話が認められるか!!」


 そこへ荒々しい声が投げかけられ、会場内に響き渡る。

 その余りの一方的な宣言に、思わずローレンス・ニヴンが声を上げたのだ。



 ――ソレは自分が時間をかけ囲って来た獲物だ。それを突然このタイミングで横から掻っ攫う気か?!

 こんな不仕付けな扱われ方はこれまでされた事が無い!

 ふざけるのも大概にしろ!!――



「これはローレンス・ニヴン殿!今の話に何か問題がございましたか?」


 声を上げたローレンスを一瞥したフィリップは、さも驚いたと言わんばかりに目を開き、何事かと問いかけた。

 その白々しい態度に血流が首元から上がって来るのを感じながら、ローレンスは「当然だ!!」と更に声を張り上げる。


「そもそも、その娘の後見人は私であり、鉱山事業も私が引き継いだ物だ!無関係な人間が口出しする事では無い!これは越権行為だ!明らかな事業の乗っ取りだぞ!!」


「事業を引き継がれたと仰るが、事故以降その調査も含め、鉱山での作業は一度も行われておられませんね?」


「そんな物は此方の都合だ!予算編成の問題だ!計画が整い次第再開する予定なのだ!こんな事を外から一々言われる筋合いの物では無い!!」


「そもそも、計画書は存在しているのですか?事業を引き継いだと仰るが、その証明は?契約書自体は正規の物ですか?」


「貴殿は一体何が言いたいのだ?!これは我が商会が……、私が!今は亡きマーリン殿と結んだ約定だ!そのお子であるカレン嬢も、私がお預かりしたのだ!必ず立派に育て上げると墓前に誓ったのだ!貴殿は一体何の権利があってその誓いを踏み躙る気だ?!」


 悲痛な面持ちで「墓前に誓った」と叫ぶローレンスに、会場内からは同情的な視線と声が集まる。

 それを確認したローレンスは、心の内でほくそ笑む。


「子を愛する気持ち……。私にも良く分かります!氏がどれ程のお心を御子達に残されたか……私には想像に難くない」


「であれば、お預かりした私の気持ちも理解出来よう?!そのマーリン氏の忘れ形見は私の庇護下に在るのだ!根も葉もない言い掛りを付けるのは止めて頂こう!!」


 カレンは、ローレンスの荒い声を聞くたびに、自分の視界に歪みが生じて行くのを感じていた。

 なぜ?やけに呼吸が浅い。


 あそこで怒鳴り声を上げているのは一体誰だ?

 深く刻まれた眉間の皴が、険しい目が、何故かとても恐ろしい表情ものに見えてしまう。

 つい先ほどまで優しい顔に見えていた筈なのに、一体何故?


 いや、昔からこうだった?

 眉間の皴は険しく深く刻まれ、冷淡なその目は常に他人を見下していた。

 あの目を初めて見た時、思わず父の身体の陰に隠れた事を思い出す。


「ではあの幼い双子はどうなのです?あの幼子こそ、信頼のおける元で庇護されるべきではないのですか?」


「当然だ!だから私は2人の為に、姉の近くで過ごせる施設を探したのだ!」



「あの施設があった場所は再開発地区だ。ご存じなかったとは言われまい?」


「なに?!」


「周りには殆ど定住者も居ない、経年劣化で取り壊しを待つ建物ばかりの場所ですよ。しかも施設の管理者を名乗る者達も、行政へは未登録のモグリの施設運営者だ。貴方はそれを知らなかったと言われるのか?」


「……ぬ?そんな場所がどうしたと言うのだ!近々移転予定だったのかも知れなかろう!」


「その施設から、出荷簿なる悍ましい記録が出て来たのですよ」


「なんだと……」


「そこの自称経営者共は、施設に居た子供達を商品として販売をしていた。あれは身寄りのない子供を人身売買する為の施設だ」


「馬鹿を言うな!そんな無法な事がこの街で起ころう筈がない!貴殿はこの街の治安を預かるゴールドバーグ卿の仕事を愚弄しているのだぞ!分かっているのか?!一体何の証拠があってその様な妄言を口にするのだ?!!」


 ――あそこは近々処分する場所だった。

 子供を全て処理した後、全てを片付け、何の証拠も残さぬ予定になっていた。

 フルークが潰れたおかげで、これが全てそのままで残されたのだ――

 ローレンスが我知らずギリリと奥歯を噛み締める。


「その施設の管理人達は、子供を人身売買する事で利益を得ていた。そしてその施設を紹介したのは貴方だ。貴方は知っていたのではないですか?連中が子供専門の人身売買組織の仲介業者だったという事に」


「馬鹿な事を言うな!一体何を証拠にその様な事を!大体にしてそんな事を私は知りよう筈もない!私はそこを紹介されただけだ!」


 ローレンスが壇上に立つカレンを見れば、彼女は顔の色を無くし、感情の消えた目で瞬きもせず自分を見詰めている。


「カレン分かってくれ!私は君達の為を思って施設を探したのだ!そこは信頼できると紹介されただけなのだ!」



 カレンの脳内ではこの僅かな瞬間、記憶が目まぐるしく交差していた。


 コレは何時の記憶?アレは何時あった事?

 これはお父様?

 何かに怒っている?


『クソ!まんまとヤツの話に乗らなくてはならないとは!』

『……ケイン』

『ウォルターとも完全に連絡が付かなくなった……。大体あのウォルターが、こんな事を出来る筈がないんだ!考えてみれば最初からおかしかった!……まさか、初めからヤツが後ろから手を……?!』

『ケイン!子供たちが見ているわ。それに……何も確証は無いのよ』

『あぁ、すまないカレン。大丈夫だよ、怒っていないよ。うん、大丈夫だよナン。父さんも母さんもどこにも行かないよ。ずっと一緒だ。心配しないでベッドへお帰りダン。ナンと一緒に行ってお上げ。カレン、2人を頼むよ』

『カレン、心配なのね?でも私たちなら大丈夫。こう見えてお父様もお母様も強いのよ?いざとなったらバァトだってきっと来てくれる。だから、ね?大丈夫よ。この赤い石も貴女を守ってくれます。2人をお願いよカレン。愛しているわ』


 柔らかいお父様の眼差しと、優しく頬に触れるお母様の温もり。



 ――――――――――



『暫くはこれで息は継げそうだ』

『そうね、辛うじてはね。でも、せめてもっと信頼できる相手だったら……』

『今、アイツらには頼れないよ。彼らも今は自身が大変な時だ。むしろ手を貸せない自分が不甲斐ない』

『分かっているわケイン。ボーナはボルトスナンの復興で、とても他所事に何か出来る余裕なんて無いでしょう。それどころか、支援物資を横流しする者が足を引っ張っているとも伝え聞くわ』

『ドルトンはお父上の跡を継いで、学園を引きついたばかりだ。利権絡みかやはり足元を掬おうとする者が多いと聞く。とても今、手を貸して欲しいと言える状況ではないよ』

『バァトには手紙を出してあるけれど……、あの子今どこに行っているか分からないし、当てにはできないわ』

『いいさ、我々で何とかしよう!今は皆それぞれが苦難の時なんだ。コレを越えたらまた昔の様に皆で集まろう』

『そうね、何としても乗り切りましょう!この子達の為にも。ふふ、皆で集まるのって何年振りかしらね?』


 大変な時だというのに、それでも笑いあうお父様とお母様。



 ――――――――――



『ヤツが来られない?今日を指定して来たのは向こうだぞ』

『急な要件が入ったと言って来たそうよ。視察は私たちだけで事足りるだろうから、そちらで行って欲しいと』

『相変わらず随分と身勝手な物言いだ!』

『落ち着いてケイン。もう視察の準備も整えられて坑道では人も待っているわ』

『分かっているよリーラ。向こうも地質学者を派遣して来たのだろう?』

『ええ、本物かどうかは怪しい所だけど……もう現地には入っているわ』

『今更だよリーラ。だがローレンス・ニヴン、奴だけは信用ならない。常に動向は注意しよう』

『分かっているわケイン。あの男はどんな手を打ってくるか知れないものね』

『うむ、さあ皆を待たせているなら急ごうリーラ。カレン、行って来るよ』

『留守をお願いねカレン。ダン、ナン、お姉様の言う事をちゃんと聞くのよ?』

『夕方には戻るよカレン』

『今日の夕食は皆で一緒に取りましょうね。行って来ますカレン』


 あの男だけは信用するなと言うお父様と、最後に触れたお母様の体温。



 ――――――――――


 どうして今まで忘れていたのだろう?

 お父様とお母様との最後の記憶。

 封じられていた重い蓋が突然弾け、閉じ込められていた昔の記憶が溢れる様に零れ出てくる。


 ついこの間から……、あの施設の事があってから、頭の中にかかっていた靄のような物が消えて行くのを感じていた。

 日々、少しづつ意識の焦点が合って行くようだった。

 そして今。

 ローレンス・ニヴンの表情が恐ろしい物だったと認識した途端、残っていた靄が綺麗に消え、その向こうに隠されていた記憶が一気に蘇って来た。


 ローレンス・ニヴン。間違いない、この人物がお父様とお母様を陥れた。

 あまつさえ、ダンとナンまで売り飛ばそうとしていた?

 だと言うのに、何故今の今迄この男を信用していたのだ?


 身体が一瞬グラリと揺れた様だった。カレンは思わず頭に右手を当てる。

 それに気づいたアニーが慌てて全身でカレンを抑えた。

 カレンは直ぐに身体の制御を取り戻し、アニーへ「大丈夫ありがとう」と小さな笑顔で告げる。


 だが直ぐにその眼は、壇上から5メートルと離れていないローレンス・ニヴンへと向けていた。


 カレンのその眼を受け止めたローレンスは、その場で思わず息を飲む。

 フィリップとの遣り取りで、一言ごとに足を前へと進めていたが、カレンの視線を受けた時、それ以上足を進める事が出来なくなっていた。


 これまでのカレンと表情が変わっている。ヴァンが『支配』が解けたと言っていたのは間違いではなかった。


「カレン!聞いておくれ!これは誤解なのだ!全ては君達の為を思ってやって来た事なのだ!不幸な行き違いは幾つか在るのかもしれないが、どうか信じて欲しい!全ては君の為!私は君の味方なのだ!!」


 ローレンスが無実を証明するとでも言う様に右手を胸に置き、カレンへ全て誤解だと訴え上げる。

 だが、その実の無い言葉はカレンに届かない。


 その眼は……カレンの眼は、只静かにローレンス・ニヴンを射抜いていた。

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