108話ニヴン家の父子

「近頃、学園事務の不正を見つけたそうだね?」


 豊かな口髭を蓄えた口元が、ドルトンに向け言葉を発した。


 その口髭と同じく少し癖を持つホワイトブロンドの髪は中央で均等に仕切られ、そのまま自然に後ろに流している。

 壮年とはいえ、180センチを超える筋肉質な身体から発せられる低音の声は、ともすれば人に威圧感を与える物だ。


 しかし、その言葉を受けた当の本人は至って涼し気だ。


「私の不徳の致すところです。現在、精査に当たっている次第です。ゴールドバーグ卿」


 ドルトン・バンジョーは胸に手を置き頭を下げ、ロバート・ランドル・ゴールドバーグにそう告げる。


「今回の件、学園理事の1人としても見過ごす事は出来ない。何としても事の究明を急いで欲しい」


「はい。今月中に緊急の理事会を招集する予定でおります。是非ご足労頂ければと思っております」


「うむ、承知した」




「――卿のお手を煩わせては、責任問題は免れまいて……」


 少し離れたグループから、そんな呟きが届いて来る。

 ドルトンがそちらに目をやれば、背を見せているローレンス・ニヴンが僅かばかり肩をすくめるのが見て取れた。


「確かに責任はございます!やはり解決した暁には、ここはひとつ私の退任を以って……」


「待て待てドルトン。そんな君に都合の良い責任の取り方など、誰も認めないよ?」


「左様。バンジョー君はその立場に於いて、己の責務を果たすべきだ」


「う、ボーナ。ゴールドバーグ卿まで……」


「だが、もうケリは着くと聞いているよ」


「ええ、そうなのですラインバーガー卿。有能なスタッフをお借りする事が出来たおかげです」


 顎をさすりながら声をかけて来た人の良さそうな紳士、デケンベル魔導情報局本部長コードウェイナー・ラインバーガーにドルトンが答える。


「ああ、クラウド殿からの協力だったね?」


「実に優秀で助かっています」


「ほぉ、それは頼もしい限りだね」


 コードウェイナー・ラインバーガーは、息子と良く似た栗色の髪を揺らし、柔らかな笑みを浮かべて頷いていた。


「そう言えばマナヴィダン翁が見えないようだね?あの人の事だ、宴の席を断るとは思えないのだが……」


「何でも若いお弟子さんのお一人が、今日初めての仕事でめでたく竣工を迎えたそうで。その祝いの席に出られるそうです。適当な所でこちらに向かうと伺っています」


「ふむ、流石デケンベル一の親方だけの事はあるね」


「そう言えばドルトン。カスヴァド大司官様もお見えにならない様だが?」


「カスヴァド・フィアンナ様は今、トバジオンとの州境にあるイズミラのアエル神殿に向かわれて居る」


「これはゴールドバーグ卿、恐れ入ります。しかし何か急なお話の様ですが」


「先だって、その神殿が荒らされ神宝が盗難に遭ったそうだ」


「なんと!それはまた不敬の輩が居たものですね」


「全くだ。恐らくは国外の者であろうとの事だが、ここ何年かで幾つか事案があるのでな。今一度、神殿警邏の計画も練り直す頃合いかもしれん」


「ドルトン、デケンベルの大神殿は大丈夫なのかい?」


「大神殿は学園敷地内にあるからね、そう簡単に不逞の輩は侵入できないよ。だからこそ大神殿長であるカスヴァド様も、安心してデケンベルを離れられるんだよ」


「成程、確かに学園内なら安心して任せられる」


「しかし、デケンベル自体は近頃少し不穏でね」


「ラインバーガー卿。何かございましたか?」


「無頼の輩同士の諍いだね」


「コードウェイナーがいう通り、今月に入ってから旧市街地で、徒党の抗争が続いているのだ。先月末に新勢力の幹部の殆どが消えた為に、旧勢力の巻き返しで起こっていると見ている。実際に争って被害を出しているのは末端の者達だけだが、既に死傷者は3桁を超えている。馬鹿には出来ん数だ。今夜にでも死体置き場モルグが溢れるやもしれん。既に収容量は超えていると報告が上がっているのだ」


「おかげでこの領事館の警備の数は、普段の倍以上は配置されている。……誰もが納得する自然な流れでね」


を作るにはいい名目になっているわけか」


 最後のドルトンとボーナの会話は小さく、周りからは聞き取れなかった。

 そして二人は軽くグラスを打ち鳴らす。



     ◇



 僅かに聞こえて来るドルトン達の会話に、ローレンスは小さく舌打ちをしていた。

 フルークの所の馬鹿どもは、何処までも此方を邪魔してくれる。


「父上、グラスの代わりをお持ちしました」

「ふん」


 ローレンスより身長の高い息子が、父に合わせるよう僅かに腰を折り、手に持ったグラスを下から差し出した。


「アレの処理はどうなった?」

「滞りなく」

「此処は隙を窺い手筈通りに動け」

「勿論心得ております」


 先頃あったフルークの事務所の壊滅。

 そこの金庫に保管されていた機密書類や契約書の数々。

 自分に直接不都合が起きる物は、そこへは保管させていない。

 もっと別の場所へ、騎士団でも出張らなくては崩せない場所に保管させている。


 だが、細事の書類は拡散させたとは言え、僅かだがそれらは確かに存在していた。

 そこに自分が関わった証拠に成り得る物があるとすれば、面倒に繋がる可能性は十分にある。

 それを自分ローレンスへの手札として、ステアパイクが持って行ったのならばまだ良い。

 だがフルークの事務所に残っていたとしたら……。


 フルークの事務所の捜索は大掛かりに行われ、アムカム領事館がそれに多くの人手を提供していた事実は掴んでいた。

 押収された大量の資料も、一時的にこの領事館へ集められ、精査にかけられていると言う情報もだ。


 今の状況は実に不透明だ。

 下手に動けば、付け入る隙を与える事にも成り兼ねない。

 だが、此方の弱みに繋がるかもしれない物を、ただ放置する訳にもいかない。


 アムカム領事館への侵入を目論見もしたが、如何せん此処の護りの硬さは尋常な物では無かった。

 失敗した時のリスクが大き過ぎだ。


 だが今回、こうして正面から堂々と領事館内へ招き入れる機会を、態々向こうが与えてくれた。


 アムカムは、今自分が追い落とそうとしているマクガバンとは繋がりがある。


 向うも此方を警戒もしているだろうが、来年に選挙を控えたこの時期にパーティーを催すとなれば、デケンベルに滞在している頭首に招待状を出さぬわけにはいかない。

 当然招待された側も、それに応じねば不自然になる。



 アムカムがどれほどの力を持っているのか、実際の所ローレンスはその底を図り兼ねていた。

 伝え聞く話はどれも荒唐無稽で、真面に取り合うのが憚れるレベルの物ばかりだ。


 しかし、この領事館の防衛力は確かに高い。今日、此処を訪れた時にそれが理解できた。

 装備は衛士レベルではない。確実に騎士団クラスだ。素人がどうこう出来る類いの物では無い事は、ローレンスの目からも明らかだった。


 迂闊に敵対できない相手である事は間違いない。

 今は、下手に対立相手を増やすべきではない。堅実に足周りを固め事に尽力すべきなのだ。

 もう半年もすればリエンキャナルは落とせる。

 その頃には鉱山一帯も手に入る手筈だ。

 そうなればカライズ東の陸路、水路は完全に自分の支配下となる。


 ここで慌てる必要は無いのだ。


 ……無いのだが、しかし足元を掬われる可能性も捨てておいて良い問題でも無い。

 だから今回の事は好機と捉えよう。


 いくらアムカム領事館の護りが騎士団クラスでも、中にさえ入ってしまえばヴァンの力でどうとでもなる。


 契約書のサインに使われるインクには、魔導化合物を含む物が使用される事が一般的だ。

 これによりそのサインは消える事無く、記入者の魔力を記録しその人物を特定する事が可能になる。


 ヴァンの卓越した魔力探知の能力なら、その記録された僅かな魔力痕を追う事も可能だ。

 自分ローレンスのサインの入った書類があるのであれば、ヴァンは必ず見つけるだろう。


 は自分が持つ中でも、飛び抜けて使える駒なのだから。




 ヴァンは幼い頃から、周りより首一つも二つも飛び抜けた優秀さを見せ付けた子供だった。だが、その感情を面に表さない一風変わった面も持っていた。


 いつだったか、何が切っ掛けかは覚えていないが、自分の持つステッキでこれでもかと打ち据えた事があった。

 だがこの子供は泣き出す事もなく、無表情のまま只それを受け続けたのだ。

 見ようによっては不気味な子供だったが、ローレンスはその時確信した。「これは使える駒だ」と。


 案の定は優秀だった。教育はほぼ全て首席で終え、仕事を手伝わせる様になってからも、淡々と目の前の事案を片付けて行く。

 感情を挟まず、フラットな視点から物事を自分の有利へ導く仕事ぶりは、ローレンスにして大いに満足を覚える物だった。


 だが、唯一その氷の表情が動く時がある。抗えぬ弱者を取り返しがつかぬ程に壊している時だ。

 その時だけ、コレは感情を露にする。


 抗う力も能力も無い小さな存在を、時間をかけて最後まで甚振ると言う悍ましい性癖を知っても尚、コレに対するローレンスの評価が変わる事は無い。

 寧ろ、真っ当な神経を持っている者達より扱い易い。

 そういう連中は、やれ社会的にだ、やれ人としてだ等と言い出しては、此方の仕事を躊躇う事が多い。


 コレにはそれを許容し、その場を与えてやるだけで言い。

 いや、とうに自ら都合の良い環境を整え、自分の好きな時に楽しむ状況を作っている。実に手が掛からない。


 全く面倒がなく、優秀な駒だ。


 今から5~6年前頃から、自ら進んで深い仕事もする様になった。この頃、術の研究も壁を越えたと言っていた。

 交渉を有利に導く術の精度が、格段に上がったと言う。

 そう言えば、今ヘクサゴム周辺を纏めさせている者をヴァンが連れて来たのもこの頃か。


 おかげで準備に時間をかけた分、手数もかなり増えた。2~3年後には大体の形が切り取れる筈。

 こんな所でまごつく訳にはいかないのだ。


「いいな、この機会を逃すな。邸内を探り書類の有無を確認し、発見次第始末しろ」

「お任せ下さい」


 ローレンス・ニヴンの言葉に、ヴァン・ニヴンは深く頭を下げる。

 同時にその口元を、悍ましい程に深く大きく吊り上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る