107話カレンの保護者
午後のお茶の時間を過ぎれば、アニーのクラスメイトや子供達は会場を後にし始める。
時計の針が5時を回る頃には子供達の時間は終わり、パーティー会場は領事館へと移っていく。
日が沈み、領事館の灯りが煌々と点り、辺りを盛大に照らし始めれば夜の部の始まりの合図だ。
夜になり次々と馬車が領事館へと訪れる。
ローレンス・ニヴンとヴァン・ニヴン。
彼ら父子もそんな招待客の1組みだった。
会場内へ案内されたヴァンは、ある一角へと目を向け、そこで僅かばかり眉を寄せる。
彼の視線の先では、カレン・マーリンが周りの人々と楽しげに笑っていた。
心に憂いなど欠片も無い、春の日差しを思わせる屈託のない笑顔だ。
それが彼には、俄には信じられぬものだった。
ヴァンの視線に気がついたのか、唐突にカレンは彼の方を振り向いた。彼女は驚いたように目を見開いたが、直ぐに笑顔を咲かせ、軽い足取りで彼の傍までやって来た。
「ニヴンの小父様!ヴァンお兄様お久しぶりです!お2人もいらしてたのですね」
「カレンでは無いか?!どうしたのだねこんな場所で?」
ヴァンと並び立っていたローレンス・ニヴンも、やって来たカレンの姿を確かめると、驚いた様に声を上げた。
「ご招待を受けまして……。ご好意を受けさせて頂きました」
「ほう?」
はにかむ様に下を向き答えるカレンを見るローレンスが、その目を僅かに細める。
「カレン。貴女もとても元気そうですね。学園生活は楽しんでいますか?」
「はいヴァンお兄様!周りにはお世話になりっぱなしですが……」
少し頬を染めて答えるカレン。それを見下ろすヴァンの目の奥に、仄暗い影が過る。
そんなヴァンの様子に気付かぬカレンは、更に新しく出来た友人達のことを楽し気に語って見せた。
「勉学に励んでいる様であれば、学園へ送り出した甲斐もあると言うものだ」
「はい!小父様にはずっと感謝しております!」
「嬉しい事を言ってくれる。……おっと、向こうで呼ばれている様だ。少し失礼するよ」
手にしている空いたグラスを近くのウエイターに渡したローレンスは、そのままカレンに「楽しんで行きなさい」と告げ、声をかけて来た人物たちの方へと足を向けた。
その人物達を「父の支持者達ですよ」と、僅かに顔を寄せてカレンの耳元で囁くヴァン。カレンは「なるほど」と頷いて見せた。
ヴァンは改めてカレンに向き直り、値踏みでもする様に、彼女の頭の上から靴の先まで視線を動かした。
カレンが身に付けている物が相当に上質な生地で仕立てられている物だと分る。靴もとても出来合いの物では無いだろう。
上品に纏め上げられた髪はとても艶やかで、スタイリングに使われている物の、質の高さが伺える。
髪に装飾されている小物にも、小さいながら宝石や真珠などが使われていた。
どれを取っても、この娘の私財で揃えられる物では無い。
突然のヴァンの注視に、思わずカレンは居た堪れない物を感じてつい視線を泳がせてしまう。
「あ、あの……えーとですね……」
「素敵なドレスですよカレン」
「ありがとうございます。嬉しいですヴァンお兄様」
「充実している様で何よりですね」
「は、はい!これも送り出してくださったニヴンの小父様や、ヴァンお兄様のおかげです」
「…………少し、雰囲気が変わりましたか?」
「……えっと、そうでしょうか?」
「君は、そんな風に目を輝かせながら、誰かと話をする子ではなかった」
「……変わったとしたら、それは皆のおかげなのだと思います」
「疑う事を知らぬ従順さを持ち、決して逆らう事などしない、私の言葉に抗う事が叶わぬ従順なる子羊よ」
「……ヴァン……お兄様?」
「私が紡いだ糸は、どうしてしまったのだい?」
「あの…………何の事でしょうか?」
えも言われぬ居心地の悪さを感じたカレンは、思わず視線を彷徨わせていた。
その時、奥から彼女を呼ぶ声がした。
彼女は声のした方に視線を向けた後、慌てた様にヴァンに向き直る。
「申し訳ありませんヴァンお兄様!呼ばれてしまいました」
そう言うとその場で頭を下げ、カレンは背を向け速足でその場から離れて行く。
その小さな背を、ヴァン・ニヴンは冷たい光を湛えた目で静かに見送った。
◇
「マクガバン氏はいらっしゃいませんな」
「この程度の集まりに出なくとも、七席ポジションは安泰だと知らしめたいたいのかもしれませんな」
「いや寧ろ、七席のポストを退く心積もりが、漸く出来たのやもしれませんぞ」
男達が決して上品とは言えぬ笑みを浮かべ、手に持ったグラスを傾けながら談笑をしている。
その中心に居るのはローレンス・ニヴンだ。
ローレンスは、彼らに近づいて来たヴァンに気がつくと顔を寄せ、小さな声で問いただす。
「どうなっているのだヴァン!」
「どうやら、私の手の内から抜け出ている様です」
「……『支配』が、解けていると言うのか?」
「ご安心下さい父上。この程度のもの、如何様にもなります」
「今は動きが不透明だ。下手な事はさせるなよ」
「心得ております」
「最悪、例の鍵となる宝玉だけは手に入れておけ」
「仰せのままに」
ヴァン・ニヴンが、氷の様な光をその目に宿し、感情が込もらぬ笑みを口元に浮かべ、静かにその頭を下げて見せた。
◇
カレンを呼び寄せたドルトンが、柔らかな眼差しで彼女に問いかける。
「どうかしたのかなカレン?」
「あ!り、理事長さま!い、いえ、何でもありません……」
「む、余所余所しいね。昔の様にドルおじさんと呼んで欲しいな」
「え?さ、流石に今それは……」
「おや?ドルトンがカレンを困らせているようだ」
「あ、ボーナ小父様!いえ、そう言うことでは無いのですが……」
「む……」
「どうしたドルトン?小父様呼びが羨ましいか?」
「随分と余裕の顔だねボーナ」
「いたずらで名乗らずにいた君が悪い。昔からそうだろう?いつも悪ふざけのツケが帰って来る」
「君に言われるのは本当に心外だよね」
「お父様ったら、いつになく楽しそう……」
「え?そうなの……かな?」
「そうだカレン。来週の野外授業が終わった後、久しぶりに屋敷へ来ないか?イリエラも君に会いたがっているよ」
「そうですわカレン!お母様も貴女の事を心配しておいでです!それに何年か振りに街を案内して差し上げますわ!あの頃からスッカリ変わってしまってビックリしますわよ?!」
「え?え?で、でも、そんな時間はあるのかな?」
「大丈夫さ。なあドルトン?その程度の時間はあるのだろう?」
「まあ確かにね。二泊三日の日程の後は連休が当てられている。ゆっくりする時間はあるから問題は無いだろうさ。……でも、そうだな。その時は僕もお邪魔しようかな」
「いやいや、その時分君は事後処理に追われている筈だろ?時間を取るなんて無理なんじゃ無いのかい?」
「そうは言ってもねボーナ。今の僕は彼女の保護者的立場にいるんだ。外泊許可も、僕が一緒なら必要ないと思わないか?」
「仕事から逃げる口実に、彼女を利用するのはどうかと思うよドルトン」
ドルトンが彼女の保護者だと言われ「え?そうなの?」と驚いた顔をするカレン。
それを見たドルトンが、「そうなんだよ」とニコリと笑う。
双子を学園側で面倒を見る事になった時、カレンを含めその姉弟は学園理事長が責任をもってその保護をするといった書類にサインをした事を説明した。
カレンも改めて「そう言えば……」とその事を思い出す。
「だからね!保護者として君について行くのは、僕の当然の義務なのさ!」
ドルトン・バンジョーが天を指差し、高らかに宣言する様に言い放った。
「そう秘書君たちや、ミセス・シェリドンに言うんだね?」
冷静に問いかけるボーナの言葉に、挙げていた手を静かに下ろしたドルトン・バンジョーは、やはり静かにその目を逸らした。
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