106話アニーのパーティー

 その日、アニーはいつもよりも早い時間に目を覚ました。

 昨夜は少しばかりベッドに入る時間が遅くなっていたけれど、パチリとベッドの中で目が開いたのだ。

 やはり少しばかり興奮しているのだろうか。


 アニーはベッドから滑り出て、そのままカーテンを開き、寝室一杯に溢れた朝の光を全身で受け止めた。

 そして、少し背伸びをして水差しの水を洗面器に注ぎ、その水でていねいに顔を洗う。

 水の雫が滴る顔を柔らかなタオルで拭き取りながら、実に清々しい朝だとアニーは思うのだった。

 

 そのアニーを起こしに来た侍女のサリが、大いに驚いたのも無理の無い話である。

 毎日毎朝、一度や二度起こしたくらいでは目を覚まさないのが普段のアニーだ。

 特別な日の今日は少し早めに起こしに来たのだが、寝室の扉を開けた時、タオルで顔を抑えるアニーに朝の挨拶をされたのだ。驚かない筈がない。



 サリの驚愕は尤もだが、しかし、何しろ今日はアニーの誕生パーティーであり、彼女はその主催なのだ。


 自分には、お出で頂く多くのお客様を精一杯おもてなしするという役目がある。

 更にその最後には、一大イベントまで用意されていると言うのだから、気合が入るのも当然というものだ。

 普段の様に、起こされるまでベッドに沈み込んでいるなどしていられる筈が無い。



 昨日、兄のウィルが久し振りに帰って来てくれた事も、アニーのテンションを上げていた要因のひとつだ。

 本当ならば、誕生日の今日は一日一緒にいて欲しい所なのたが、残念ながら本日の自分にそんな時間の余裕は無い。

 昨晩、ウィルの膝の上を独占出来た事で、とりあえずは満足できた。

 なのでアニーとしては、「今日一日ウィル兄さまは、コリン姉さまにお預けする」心積もりだ。



 そして双子達。

 今日はこの家で二人と過ごす最後の日ともなる。


 双子達がクラウド家に世話になる様になって、もう二週間が経とうとしていた。

 想定以上に手続きの遅れが長引いていたそうだが、それもやっと整ったという。

 週明けから二人は、学園内の神殿施設で過ごす事になる。この2人と過ごすのも、これが最後になるのだ。


 自分を慕う双子達を、既に弟、妹の様に感じていたアニーにとって、2人と離れる寂しさは存外に大きい。

 でも、これからは学園内にいつでもいる。

 そう思えば、双子と離れる事で感じる寂しさよりも、新しい生活に入る2人を笑顔をもって送り出せる。

 だから今日は2人にも、思い出の残る日にして欲しいのだ。



 双子との別れで、寧ろダメージを受けていたのは、情が移った両親の方だったのだろう。

 特に母親のリリアナなどは、昨晩は双子を抱えたまま中々手放そうとしなかった。

 すっかり懐いていた双子も、リリアナにしがみ付くので尚更だ。


 その3人を涙を堪えて後ろから一緒に抱き締める父フィリップ。

 更にその光景を見て貰い泣きをする執事や侍女たち。


 何やら「置いて行かれた感」を覚え、その絵面を見て困ったような笑顔を浮かべ、目線を交わし合うアニーとウィルの兄妹。

 スージィがその場にいたのなら、「何このカオス」とか呟いていたに違いない。

 そんなアニーの誕生日前夜だった。




 そして誕生日当日の今朝、クラウド邸は慌ただしく人々が動き回っていた。


 本邸では昼前からアニーの友人達がやって来て、皆でお茶やランチ頂き催し物を楽しむ。


 そして午後のお茶の時間が過ぎた頃から、大人達が領事館へと集まりはじめ、そこから夜の部が始まる予定だ。




 クラウド邸でのメイン会場となるバンケットルームは、凡そ10メートル四方の広さで、白亜で塗られた染みひとつない美しい壁の部屋だ。

 繊細な装飾の施された折り上げ天井は、一段二段と重なる事で、より高く室内の空間を広く大きく感じさせていた。


 また、部屋の南側は庭に面しており、天井まであるガラス戸が何枚も連なり、その一面全てを占めていた。

 それは室内に居ながらにして、クラウド邸の見事な庭園が一望出来る造りだ。


 普段であれば、重厚さを感じさせる深紅のベルベット生地のカーテンが、華やかな舞台を盛り立てる装飾の様に窓々の脇を飾り立てている。

 だが今はそれが取り払われガラス戸も全て開かれて、舞台の中へと誘う様に庭園への入り口として解き放たれていた。


 その庭園内では小楽団が常に優しい気な音楽を奏で、更に園内にある小舞台では、ささやかな演目が執り行われる。

 それを花開く様に置かれたテーブルで、茶の香りと共に来客たちが楽しむのだ。



 アニーは、パーティーへ招いたクラスメイトの友人達に、双子を「来週から幼稚舎に入る自分の妹分弟分だ」と紹介する事も忘れない。

 人懐こい双子は直ぐに友人達にも受け入れられ、概ね好印象を与えている様でアニーも満足気だ。



 昼前に集まって来たのはクラスメイトだけではない。


 姉同様に慕うコリンをはじめ、アムカムの先輩達もみな来ていた。

 カーラ、アリシア、ジェシカの中等舎三回生の女子3人組。

 そして同じく三回生男子の、アローズとビクター。


 ビクターは来場すると間も置かず、アニーのクラスメイトの女生徒達へと向かい、当然の様にその場で膝を突き手を取り甘い言葉を落として周る。

 幼い女生徒達は、噂の生徒会副会長から齎される、甘い言葉に片っぱしから悲鳴を上げる。

 中には意識を飛ばす者まで現れる始末だ。


 一瞬でパーティー会場をカオスに陥れた色魔の顔面を掴み、直ちに排除に当たる『鉄の爪の聖女アイアンクロー・メイデン』ジェシカ。

 そしてその場のフォローに走るアローズ。それに続くカーラとアリシア。

 このカオスは、三回生のいつもの姿ともいえよう。


 その有様を呆れたように眺める二回生のウィリー。ケタケタと指さして笑うダーナ。コリンはウィルと共にカーラ達に手を貸して、事の収拾に回っている。

 最後に入って来た一回生のアーヴィンとロンバートは、騒ぎには目も向けず、挨拶もそこそこに料理の並ぶ一角へと真っ直ぐ向かって行き、そこで己の消化器官へと迅速な収納作業に勤しみ始めた。


 実にマイペースなアムカムの民達である。




「みんな相変わらずで楽しそうね」


 ホワイトブロンドの長い髪を丁寧にまとめ上げ、ベビーブルーの落ち着きのあるドレスに身を包んだ令嬢が、アニーの前へと進み出た。


「本日はおこしいただき、ありがとうございますゴールドバーグさま」


「おめでとうアニー。素敵なお誕生日になりそうね」


「おそれいります」


「おめでとうアニー嬢。本日はお招きありがとう」


 そしてもう1人、キャロライン・ゴールドバーグをエスコートする鳶色の髪を揺らす青年が、アニーへと祝いの言葉を贈る。


「ありがとうございますラインバーガーさま」


「来てくれて嬉しいわキャリー。会長もお越し頂き有難うございます」


 2人を見つけたコリンが近付き、アニーの後ろから来訪に対しての礼を言う。



 生徒会長達の登場で、小さな淑女達が再び色めき立った。


 同時にカーラやアリシア達の視線も、グルリとそこへ向く。


 ――いや、今日くらいは僕じゃなくても良いんじゃないかな?

 の始末は同郷の君達に任せて問題無いよね?

 連れて来たの、君達だよね?――


 視線が痛くてしようがない。

 だが、今は敢えて見ない事に決め込んだ生徒会長アンソニー・ラインバーガーだった。



「……あら?やはりスーはまだ?」


「……はい、それでも夜にはとうちゃくすると、さきほどハトがとどきました」


「随分と活躍をしたそうだね」


「ハイ!ラインバーガーさま!とても大きなせいかを上げられたと聞いております!」


「まあ!流石スーね!一体どんな成果を上げたのかしら?!盗賊の集落を更地にしたとか?!」


「さすがにそんな事までは…………していないと……思いたいわ」


 実際のところは、山を中腹から吹き飛ばしているのでそれどころでは無いのだが、それを未だに知らぬコリンは、大事に至っていない事をただ祈るばかりである。



 やがて午後のお茶の時間を迎えるころには、アニーの同級生や親しい友人ばかりでは無く、デケンベルに居を置く旧貴族や、名のある家の子供達も親に連れられやって来た。


 旧上位貴族であるクラウド家との接点など、そう得られる物では無い。カライズ州に住む者で、その招待を断る者などまず居ないだろう。ミリアキャステルアイへ入学する事が叶わなかった者たちにとっては尚更だ。

 この機会に、クラウド家と顔を繋いで置きたいと考える者は数多く存在する。


 これもフィリップの親馬鹿力が発現し、片端から招待状を送った結果だと言う者も居る。主に身内アムカムからだが。


 そんな親子達はアニーに祝いの言葉を述べた後、其々のグループへと分かれていく。

 やがて領事館会場の準備が整うまで、彼らは世間話に花を咲かせ、親睦を暖め、新たな関係を構築する足掛かりとしていくのだ。



 外部の者が集まり始めた頃、見事なブロンドの髪をオールバックに固めた紳士が、アニーの元に足を進めて来た。

 その静かな佇まいから、穏やかな人となりが見えるようだ。

 そしてその紳士は、2人の令嬢をその両脇にエスコートしている。ともにアニーの見知った2人だ。

 思わずアニーの顔に笑みが溢れ、出迎えるために3人の元へ歩み寄る。


「お誕生日おめでとうアニー嬢。素晴らしい模様し物ですね」


「ありがとうございますキャスパーさま!どうぞごゆっくりなさって行ってください」


「おめでとうですわ!アニー!素敵な誕生日ですわね!」


「ありがとうございますコーディリアさま」


「お誕生日おめでとうアニーちゃん」


「ありがとうございますカレンさま。そのドレスお似合いです!」


「ありがとうアニーちゃん」


 アニーにドレスを褒められたカレンが、少し恥ずかしそうな笑みで応えた。

 ドレスはワンショルダーのAラインワンピース。生地の色は落ち着きのあるライラック。


 当初予定されていたのはスカーレットの生地だったのだが、今回のドレス使用の目的が、誕生日のお呼ばれとあっては流石に主賓より目立つ事に成りかねないか?と言う事に気付き、泣く泣くアンナ夫人とスタッフ達はその案を引っ込めたと言う。

 どう考えても派手な衣装にしかなりそうにないと、盛大にプレッシャーを感じていたカレンだったが、結果、生地もライラックに落ち着き派手さも抑えられた。安心して肩の力が抜けたのは言うまでもない。


 しかし年末に行われる煌揺祭こうしんさいの夜会用にと、予定通りの生地でより精密に豪華に造り込まれているのだが、当のカレンには全く預かり知らぬ話だったりする。




「…………やっぱりスーちゃんは、まだなんだね……」


 辺りを見回し、スージィが居ない事にカレンが気付く。


「はいカレンさま。でも、今向かわれているとの話です」


 ハトは「ディナーには間に合わせる」と伝えてくれた。

 スージィが今この場にいない事に、アニーは確かに寂しさを感じている。

 だがそれでも、自分の誕生日にスージィが大きな戦果を上げたという報告は、何よりもアニーに誇らしさを感じさせていた。


 スージィが遅れると聞かされたカレンとコーディリアは、心配気に眉を下げたが、それでも「夕食は一緒に出来そうだ」と話すアニーを見て、静かに胸をなで下ろした。


 2人は、アニーがスージィを崇拝する様に慕っている事を知っている。

 そのスージィが来られない事で、どれ程この小さな友人がその心を痛めているかと心配していたのだ。

 しかしアニーの誇らしげな顔を見れば、それが只の杞憂だったと理解できたからだ。



 そんな彼女達の元へ、また1人近付く者がいた。

 それに気付いたアニーが振り向けば、相手も目尻の下がった灰色の目を優し気に細め、笑顔で祝いの言葉を口にする。


「おめでとうアニー嬢。本日はお招きありがとう」


「ドルトンさま!おこしいただき、ありがとうございます!」


 クラウド家とは遠縁関係に当たるドルトン・バンジョーは、毎年アニーの誕生日には花束を贈っている。

 普段忙しいドルトンが、こうして直に誕生祝いを告げるのも数年ぶりだ。アニーの声も自然と弾む。


 だが、カレンはそのドルトンを見て目を見開いた。


「遅れずに来たなドルトン」

「勿論さ。今日のこの日を心待ちにしていたからね。そう言うボーナ、君は相変わらず時間通りだな」


 そう言って握手を交わし、満面の笑みのままで互いの肩を叩き合う、ドルトン・バンジョーとボーナ・レイヴン・キャスパー。

 その様子から、2人は旧知の、しかもかなり仲の良い関係だということが良く分かる。


「え?……薔薇園の?……お、お2人は、お知り合いだったのですか?」


「彼、ドルトン・バンジョーは、君達が通うミリアキャステルアイ寄宿校の理事長だろうに」


 何をいまさら。知らなかったのかい?

 とボーナが2人の娘に問いかける。

 勿論初めて聞く話なので、2人共目を大きく見開いたまま、勢いよく何度も首を振っている。


「我々は、学生の頃からの腐れ縁でね」


「ミリアでは良く4人で一緒にいたものさ」


「……4人?」


「私とこのドルトンと、そしてケインにリーラだよ」


「!……お父様?……お母様?」


「やはり話していなかったのだね、ドルトン?君は相変わらず人が悪い」


「悪気は無かったんだ。言い出すタイミングは見計らっていたんだよ?だけど、そういう君も話していないよね」


「私の口から伝えるのは、あまりに無粋と言うものだろう?」


 この2人似ているのでは?と思うコーディリアとカレンが目を交わす。


「随分昔、良くマーリン家にはお邪魔していたのだけれどね」


「も、申し訳ありません!わたし、少しも覚えていなくて……」


「謝らないでおくれ、僕が黙っていた事が悪いんだ。それに君はまだ随分幼かった。憶えていないのは無理の無い話さ」


「もしかして、あの薔薇園は……」


「……やはり、君の瞳はリーラ似だ」


 優し気に目を細めたドルトン・バンジョーが、呟くようにカレン・マーリンへ語りかけた。

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