95話ジュール・ナールの観念

「なんだよジュール・ナール!随分いい酒飲んでるじゃねぇか!景気が良いなら俺にも奢れよ!」

「うるせぇ!てめぇの命の重さで飲んでんだ!お前なんぞに飲ます分なぞ一滴たりともあるもんか!!」


 馴染のカウンターで飲むジュール・ナールに、なれなれしく肩に手をかけ声をかけて来た男は、その剣幕に「おっかねぇな」と笑いながらその場から離れて行く。

 そしてそのまま後ろのテーブルに移動して、今の会話など無かったかの様にそこの男達と笑い声を上げて酒を煽り始めた。


 それを横目で睨み見送ったジュール・ナールは、手元のグラスを持ち上げ、その中身を僅かに口に含む。

 そのまろみのある液体の味わいを確かめる様に、口の中でじっくり転がし、やがて名残惜しそうに喉の奥へと落とし込んだ。

 そして深く深く盛大に息を吐き出した。



 どう言う訳でこうなったのか。

 もはやジュール・ナールにも分からない。

 自分の周りを見渡せば、強固な鉄格子で囲われている様が幻視出来る。

 もっともその鉄柱の間隔は、自分が余裕で出入り出来るほどスカスカだがな……と。

 ある意味これは自分を護る物でもあると理解はしている。

 しかし、物心付いた頃から常に好き勝手生きて来たジュール・ナールにとって、この状況は困惑しか無い。


 飼い犬になっちまったって事かよ……。

 そう思って首に手を当て摩ってみるが、首輪の感覚など勿論あろうはずも無い。


 あの鉄格子は自分から結構離れた所にある。

 歩いて近づけばその分鉄格子も離れる。

 付かず離れず自分の周りに張り巡らされた鉄柵。


 改めて大きく息を吐く。

 四六時中監視されているってか?

 それでも、周囲からは監視する様な視線も気配も感じない。

 敢えて意識を其方へ向けなければ、自分を囲う檻も感じ取れなくなる。


 ここはひとつ、考え方を変えて見るしかねぇか……。


 こりゃ仕事のひとつだ。契約だ。

 どんな仕事でも、受けりゃそれなりに制約はあるもんだ。

 この仕事は要するに「お嬢様が気まぐれで情報を欲したら、全力でそれに応えろ」ってモンだ。

 そうすりゃ仕事毎に情報料を貰え、年間を通じて俺という人間のキープ量も支払って貰える。

 ……条件としちゃ悪かねぇ。寧ろ破格だ。



 言ってみりゃ、あのお嬢の庇護下にいる限り安全が確約されてるようなもんだ。

 ある意味、地上でこれ以上安全な場所はない。


 先々、今まで通り上手く生き延びられる保証などは無い。そんな事はジュール・ナールも十分に承知している。

 ならば今回の事は、腹を決める良い機会なのだと思う事にした。



     ◇◇◇◇◇



「『青ヘビのゴゥル』って知って、る?」


 そのお嬢様は相も変わらず、ジュール・ナールの認識の外からやって来た。


 午後の落ち着いた時間。

 行き付けのバーの座り慣れたスツールに尻を収めて直ぐ、ジュール・ナールは自分が逃げ場を失った事を理解した。

 口を付けようと持ち上げたグラスを持ったまま、息をする事も忘れて硬直している後ろから、先の問いかけが為されたのだ。


 それは端からジュール・ナールが自分を認識していると理解した上での問いかけだ。

 1ミリ足りとも自分に気が付いていないなどとは思ってもいない。此方の事など丸っとお見通しなのだ。


「『青ヘビのゴゥル』っていう男。今どこに居るか分か、る?」


 あれ?聞き取れなかった?とでも言う様に、その声の主は先程よりも近い距離で問いかけを繰り返して来た。


 ジュール・ナールは、引き攣ろうとする頬を精一杯押さえ込みながら、声のする方に恐る恐ると視線を向けた。

 案の定そこには、エメラルドグリーンの大きな瞳が「どうなのか?」と此方を覗き込んで問いかけている。


「……へ、ぁ……ぃあ」


 やっとの思いで声を出すが、それは言葉になっていない。


「なんだ、知らない、か」

「い、いあ!し、知ってまさぁ!」


 その落胆した様な声に、思わず縋り付く様に言葉が出ていた。


「……そりゃ、アナトリスから流れて来た厄介な野郎ですぜ」


 訊ねられたのは、飛び切りヤバい奴の名前だ。

 でも、奴の名前を知っている者などそう居ない。

 それがまさか裏と関わりがあるとは思えぬこのお嬢さんの口から出て来るとは……。これは完全に想定の遥かに範囲外だ。

 普通に陽の当たる場所で生きている人間であれば、一生涯関わりあいの無い名前だ。


 左の手首から手の甲にかけて、蒼く細長い痣が巻き付く様にある事から、その二つ名で呼ばれていると言う話だ。

 普段は左手をグローブで隠しているので、実際にソレを見たヤツは殆ど居ないとも聞く。


 念入りに証拠を消すような奴なので、そう簡単に口にして良い相手ではない。

 ヤツの事を探る者、その情報を持っている事を示す者などは、このカライズ州では……特に東方面ではまず居ない。

 迂闊に首などを突っ込めば、忽ち雁字搦めに拘束され、何処とも知れぬ穴倉に引き摺り込まれると言う噂話がまことしやかに流れて来る。

 事の真相は分からないが、ソイツの手の者に狙われるって事だろう。どうやらヤツは、カライズ州の結構な闇深い部分に居付いているらしい。


 面倒臭い話だ。絶対に関わりたくない手合いだ。


「口が達者で詐欺まがいの事を彼方此方で繰り返してたんですが、腕もかなり立つ奴なんで、今はヘクサゴム辺りの盗賊共を纏め上げて仕切ってるって話です」


 しかし気が付けば、自分の口は一気に捲し立てる様にソイツの情報を吐き出していた。


 何故ならば!

 ヤツの情報の危険度なんぞ、目も前のお嬢さんに比べれば、存在している次元そのものが違う。考える余地も無く脊髄反射で応えてしまう。

 返事を聞いたお嬢さんは、自分の後に向かって「やっぱり知っていた!」嬉しそうに声を上げ燥いでいる。


 その時になってジュール・ナールは初めて、このお嬢さんが今日は1人では無く、ツレが居る事に気が付いた。


「ね?!コイツに聞けば、きっと知ってるって思ったの、よ!」


 お嬢さんは機嫌よく、連れて来た3人とあーだこーだと会話を始める。

 連れて来たのは3人。

 2人はお嬢さんと同じ年頃で、片方がデカくて片方は小さい。

 もう1人は年の頃はお嬢さんより幾分上だ。メイド服を着ている事からお嬢さんの世話を焼く侍女か何かだろう。


 だが、そのメイドの纏う殺気が尋常ではない。

 ここへ来るまでに、このメイドが周りに殺気を飛ばし、娘達に近付く虫を牽制しまくっていたのだろうな……と、ジュール・ナールは何となく理解した。


「『ブルーヴァイパー』ってのが、ヤツが頭になっている組織でさぁ。かなりヤバい連中だそうです」


 聞かれてもいない情報を、次々と提示している。

 普通ではあり得ない事だが相手が相手だ。出し渋りは自分の首を絞るのと同義だ。


「ありがとうジュール・ナール。助かった、よ!流石、だね」

「い、いえ!滅相もねぇ!!」


 相手が満足してくれた事を感じ取り、ジュール・ナールの肩から力が抜ける。



「まあ、いくらヤバい奴らだって言っても、姐御に比べりゃもう、アブラムシみたいなもんですから……」

「…………あ・ね・ご?」

「へ?……へ、へい。スージィの姐御……」

「あ゛ぁ??誰がだ?」

「ひぃぅっっ!!!!」


「わっ!コワっ!スー、顔こわ!!」

「ぅわぁ……、スーちゃんのこんなイヤそうな顔、初めて見たよ」


 安心感から溢れた軽口に、想像以上の威圧で返された事でジュール・ナールの顔が紙の色になる。

 押し潰されそうな圧をその身に感じながら「二度とその呼び方をするな」と言うスージィに、ジュール・ナールは壊れた人形の様に首を何度も上下に動かした。


「でも場所の特定出来るなら、一掃するのが理想よね!」

「やっぱりト〇イの木馬、る?」

「スーちゃん何言ってるか分からないけど、チドリとマーカーは幾つかあった方が良いかもね」


 ジュール・ナールに向かい「フンス!」と鼻を鳴らした後、ツレ達と会話を始めたスージィを見て、この場は取り敢えず許されたのかと、再び全身から力が抜ける。

 危うくスツールからずり落ちそうになっていたジュール・ナールの目の前に、ゴトリと重い音を響かせて、何かがテーブルの真ん中へと置かれた。


 散りそうになっていた意識を咄嗟に纏め、その置かれた物を見れば、遅ればせながら無表情のメイドが革袋を置いた事を理解した。


「どういう訳か、お嬢様はお前をお気に召しているご様子です。お嬢様のご期待に応える事が出来ている限り、お前はアムカムの庇護の元にあると知りなさい」

「……これは」


 何故か不機嫌な気配を滲ませながら、メイドは袋の中を確かめろと、鼻に乗せたピンチ眼鏡の奥の目で促した。


「年が明けてもお前が無事に此処に居るのなら、同じだけまた渡しましょう」

「こ、こんなに……か?」


 中には大金貨が10枚近く入っていた。

 正騎士の年収が450aアウル程と聞く。

 コレは明らかにそれに匹敵する金額だ。思わず喉がゴクリと音を立てる。


「お嬢様がその気になれば、10日もせずにこの程度の収益は創出できます。お前が気にする事ではありません。それと、これとは別に仕事の度、その内容に見合った報酬も与える事になります。心して請けるように」


 その冷たい目をしたメイドが示した条件は、実に破格なモノだった。


「少なくとも青ヘビがヘクサゴム周辺に潜んでいた情報は、我々バイロス家も掴んでいました。甚だ不本意ではありますが、及第点は満たしていると言えます……」


 コイツも化け物の類いか……と、不機嫌さを隠そうともしないメイドの眼を見ながらジュール・ナールは確信する。

 メイドは「もう少し時間があれば我々も居場所の特定など出来たのです……」などと言葉を続けていた。


「誠心誠意お仕えする様に」


 最後に突き付けられたその言葉と眼光に、ジュール・ナールは無言で頷いていた。



 それがほんの一日前の話だ。




 今頃お嬢は、ヘクサゴムの宿でディナーでも優雅に頂いているのかね?

 いや、そんな高尚な場所はあの街には無いな……。

 ま、探りを入れちゃいるのだろう。


 どっちにしても今日明日中には、かなり風通しの良い街になるのは間違い無い。


 とんでもなく理不尽な相手に目を付けられてご愁傷さまって所だが、連中がやって来た事を鑑みれば、同情の余地なんざ無ぇわな。

 ……へっ!どの口が言うんだ?って話だがよ。



 ジュール・ナールはジャケットのポケットをまさぐり、中にあったコインを取り出しテーブルの上に転がした。

 メイドから最後に、今回の分の情報料だと渡された中金貨三枚だ。


 それを暫しテーブルの上で弄んだ後、その内の一枚を摘まみ上げる。

 そのままカウンターの向こうのバーテンダーに声をかけ、徐にその金貨を弾く。


 そして先程自分に絡んで来た男……探りを入れて来た男のテーブルに、自分の物と同じ酒を持って行く様に言い付けた。



 信頼は何よりも大切だからな。信頼は!ウン!

 折角提供したネタがガセだったなんて事にでもなりゃ、一瞬で消し飛ぶのは自分自身だ。

 情報を仕入れられる口の精度は、上げておくに越した事はない。

 この際だ、今まで以上に人間関係の構築に励むとするかね!

 絆ってヤツ?必要だよな!ウンウン。



 ジュール・ナールは肚を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る