91話アンナメリーの報告書

 ウォルター・ミラー氏。

 ケイン・マーリン氏の大学時代のご学友であり、卒業後もグラナティ州の商社で1年間、共に経営を学んだご友人でもあります。

 氏は旧男爵家の三男で、事業を立ち上げるのを目的として学業を修めていたとの事です。

 学生結婚であったケイン氏は、奥様であるとリーラ様共々当時ウォルター氏と交流があった様でございます。


 やがてご長女であるカレン様がお生まれになった2405年にムナノトスに戻り、それと同じくして当時の頭首様は引退され、ケイン氏はそのまま頭首となられました。

 ご隠居された前頭首……、つまりリーラ様のお父様はその五年後の2410年、ご逝去されております。



 山々に囲まれたムナノトス領は、嘗ては鉱山の地として隆盛を誇っておりました。

 ですが70年ほど前から主となる鉱石の採掘が減って行き、閉山が相次ぎそれまでの様な景気を享受する事はなくなりました。

 それでも細々とではありますが、採掘での収益は出ていたようです。

 ですので当時、郡の経営が行き詰まっていた事は無かったと思われます。


 ケイン氏が34歳の年、2416年に件のウォルター・ミラー氏がムナノトスへ訪ねて来られました。

 カレン様11歳、双子のご弟妹様のお生まれになった翌年で御座います。

 用向きは、新規事業の立ち上げに共同出資者としてのお誘いと、支援の申し出です。

 出資金自体は100aアウル程でしたので、ケイン氏はこれを快諾。

 共同事業主としても名を連ねられました。


 しかしその1年後、その事業が失敗となりました。

 ウォルター氏もその後行方不明となり、現在までその消息は分かっておりません。


 事業の共同経営者および、ムナノトスの頭首として保証人になっておりましたことから、賠償の取り立てが郡の行政にまで向けられました。

 幾つかの鉱山を差し押さえられる寸前まで行きましたが、なんとか奥様の采配で山々は手放さずに済んだようで御座います。しかし負債額は膨大で、郡の経営を立ちいかなくさせる寸前だったとか。

 そんな折、2418年に地震が起こり、鉱山の幾つかを押し潰す大変な被害が、ムナノトスの山々を襲ったのです。


 原因はローハン火山の火山活動。

 当時はローハン火山を有する、ムナノトスのお隣であるボルトスナンにも大きな被害が出ていました。

 火山のお膝元で温泉や観光収益が大きな収入の元であったボルトスナンは、この時の被害から復興するまでに2年の月日がかかっております。

 ですが、僅か2年で壊滅間際だったマグナムトルの街を再興できたのは、ボルトスナンの御頭首様の復興にかける並々ならぬ想いと、血の滲むような努力が有ってこそなのだと思います。


 ローハン火山に連なる山々や峰が伸びるムナノトスの鉱山は、この地震の影響で幾つか潰れる事になりました。

 鉱山が使えなくなった減収により、復興に割く資金もままならず、いよいよ財政が立ちいかなくなると思われた矢先、融資の提案と鉱山再開発の申し出があったとの事です。


 そのお相手が、グルースミルのローレンス・ニヴン氏。

 ニヴン氏はムナノトスの鉱山の一つに、ミスリルの鉱脈がある可能性を示唆しました。


 大規模な鉱脈の調査許可と、それを発見した暁には共同開発者として名を連ねたい。更に、販売経路は全面的に任せて欲しいとの条件で、ケイン氏に契約を持ちかけたのです。


 ケイン氏はそのお話を受け入れ、契約は程なく締結されました。


 やがてミスリルの鉱脈が発見されたとして、大規模な採掘が開始されることになりました。

 しかし、採掘開始前にケイン氏と奥様のリーラ様が視察にと採掘場に訪れた際、運悪く落盤事故が発生し、それに巻き込まれたご夫妻は帰らぬ人となったのです。


 現在、事業はニヴン氏が引き継がれましたが、採掘開始の目途は立っていないそうで御座います。



     ◇



 手に持っていた報告書の薄い束を閉じて、静かに長く息を吐く。

 アンナメリーが用意してくれたこの報告書は、バウンサー協会から学園に戻った時に渡された物で、読むのはこれが初めてではないのだが、目を通した後はつい吐息が漏れてしまう。



 今わたし達は郡境の関所で、この馬車の通行許可を貰う為に、もう一時間近くも待たされている。


 郡境には、大抵こう言った関所が設けられている。

 アムカムのマソムって町も関所だしね。

 もっともマソムはアムカムの特殊性故、こことは比べ物にならない位厳重だ。

 それに比べれば、ここの関所はただの書類チェックだけで通れるのだから何の文句もありゃしない。


 でもこの報告書、つい時間があるからと手に取っちゃったけど、時間潰しで見る物ではないよなと改めて思う。



 この報告書には、くだんのローレンス・ニヴン氏についても色々記されていた。


 ニヴン家は、元々は没落した伯爵領を引き継いだ寄子のひとつだったそうだ。

 特段目立った地産品も無かったグルースミルは、外国との貿易で収益を得る事で経営を成り立たせていた土地だった。


 ローレンス氏はそんな中、経営の手腕を買われニヴン家へ婿入りした人物だ。

 しかし、籍を入れて早々に当時の頭首夫妻が海運事故で共に急逝された為、ローレンス氏がそのまま頭首を継承した。


 ローレンス氏は頭首になって直ぐ、それまであった貿易会社を再編し、現在ある『アフィトリナ大商団』として立ち上げた。

 商団は着実に業績を上げ、数年でその規模を何倍にも拡大したという。

 長男が生まれたのはその頃だ。だが、病気がちだった奥方は長男の出産と同時に亡なっている。

 何年か後に、前夫人の従妹に当たる方と再婚をした。この方が例の次男のお母さんだそうだ。

 でも、この方も病気がちで、今は療養地で静養中だとか。



 ローレンス氏の商売の仕方は結構強引な事で有名らしい。

 脅しに近い取引や、強引な吸収合併。そんなモノは当たり前で、常に黒い噂が絶えない人物なのだとか。

 アフィトリナ大商団の商売敵の商会主の家が強盗団に襲われ、一家が全滅したと言う事件があった時は、ローレンス氏が裏で糸を引いていたと、まことしやかに囁かれていたそうな……。

 結局はその犯人も捕まり処分されたが、ローレンス氏との繋がりは立証されず証拠も無いので、あく迄『噂話』の領域から出る事は無かったそうだ。



 やっぱりこのローレンス氏、調べれば調べる程胡散臭さがプンプンして来るんだよね。

 やたら周りに事故死や病死が多い気がするよ。

 嘗てのライバル商会のオーナーも何人か、ローレンス氏と関わるタイミングで病死している。

 その後その商会は悉く、アフィトリナ大商団に吸収されていたりするのだ。


 極め付けはカレンの実家の事故と前後して、アフィトリナ大商団の業績が急上昇しているって事。

 普通なら共同経営だとか資金援助をしていたなら、その事業が停滞したらそれなりに損失が出るもんじゃないの?


 これらは全て偶然なんですかね?



 関所に到着した時、長い列の最後尾に並んだけど、いつの間にかわたし達の番までもう直ぐの所まで来ている。

 そのわたし達の馬車の脇を、独特の紋章を掲げる馬車が通って行く。

 女性の上半身に八碗目の下半身を持つ異形の姿。

 それは、不敬な者の乗る船を、その八本の腕で捉えて喰らうと言う、恐ろしい伝説を持つアフィトリナと言う海の女神の一柱の姿を現した物。


 その馬車はカルナフレーメルから出る馬車だ。わたし達とは逆にデケンベルへと向かう様だ。

 見ていた限りでは、関所では書類審査をしている様子もなく、顔パスで出てきた様に見えた。


 馬車の窓に肘をかけ、そのすれ違う馬車を見送りながら、我知らず小さな溜息が漏れて出た。

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