71話アーヴィン・ハッガード会敵す!
「よお、こんな時間、こんな場所に何か用事かい?」
アーヴィンは背中を預けていた壁から離れ、慎重に足を運ぶ。そしてそのまま僅かに腰を落とし、数メートル先の路地の陰に潜む相手に向け、躊躇いもなく威圧を放った。
路地の角から鉛色のローブを纏った長身の男が、僅かな風を受けたかの様にその裾を揺らし、影の様に姿を見せた。
だがその顔は、頭部に深く被さった鉛色のフードにより識別する事が出来ない。
「やっぱ、怯みもしねぇか」
アーヴィンは更に腰を落とし、ナイトソードに手を添える。
「今日ココは立ち入り禁止だぜ?ましてやこんな裏口から入ろうとする奴は、尚のことだ」
フードが深くその表情は見て取れないが、アーヴィンにはソイツが口元を盛大に釣り上げた様に感じた。
上等じゃねぇかっ!
笑いかますとか余裕を見せてるつもりか?
だが確かにコイツはかなりヤバイ。それはキッチリ分かる。
イヤな臭いがビンビンと漂って来やがる。
だからと言って、ココで引くとかあり得ねぇけどな!
「その角の先に、衛士が2~3人居たはずなんだけどさ。アンタ見てないか?」
アーヴィンの問いかけに、フードの奥の顔が、更に大きく笑みを浮かべた事をアーヴィンは敏感に察知した。益々イヤな臭いが強く大きくなる。
更にアーヴィンの鼻は、ある匂いも嗅ぎ分ける。「ああ、やっぱこりゃ血の匂いだ」と、動いた空気に混じる物を確信し、速やかかつ静かにナイトソードを抜き放つ。
そのまま構えを取り、剣先を目の前の相手に向けた。
コイツは隙を見せて良い相手では無いと、アーヴィンの五感が全力で訴えかけて来る。
昨日、領事館へ報告に行った際、総領事のフィリップ・クラウドから、今日一日施設の護衛に回って欲しいと頼まれた。
もしもの時の備えだと言われ、早朝から眠気を堪えて此処にいる。
さっきまでは欠伸をかみ殺していたが、最早眠気などは微塵も無い。
目の前にいる奴が、気を抜いていい相手では無い事は肌で感じている。だが、口元が上がって行くのが止まらない。
アムカムを出てからこっち、ここまで肌を刺すような殺気を放つ相手にはお目にかかっていない。
……勿論、スージィは別枠だが……
朝だと言うのに陽の当たらぬ路地裏だ。今その空気がビシビシと張り詰めて行くのを体感している。
不意に空気が動いた。
アーヴィンは自分の胸元に向け、鋭い突きが放たれた事を認識した。
尋常では無い速さだ。
到底普通の人間では避けられない。
突きを放っている相手が、並の存在では無い事を刹那に理解する。
だが!
自分が日頃対峙している相手の速さも、重さも、こんな物の比では無い!
素早く返した手首で払ったナイトソードが、その突きを打ち払った。
高い金属音を響かせ、相手が一瞬で後方へと飛び退く。
顔は相変わらず見えないが、フードの奥から驚きを感じているのが何と無く分かる。
「……なるほど、これではあの愚鈍では、相手にもならないでしょうね」
「?……なんだ?」
フードの奥で何か嘲る様な呟きが零れたが、アーヴィンにはその言葉がよく聞き取れない。
だが次の瞬間、ガキン!と左で金属音が響く。アーヴィンが、至近距離から繰り出された刺突を弾いた音だ。
弾いた流れのままナイトソード切り返し、相手に向けて振り切るが、刃はその場の空を切る。
間を置かず、今度は逆サイドから刺突が迫る。
アーヴィンは払った腕を素早く引き戻し、ナイトソードの柄頭で自らに迫るソレを叩き払った。
死角から連続で繰り出される攻撃を、アーヴィンは何度も凌ぎ打ち払う。
同時に敵に致命の一撃を入れるべく、ナイトソードを払い、斬り上げ、高速で振い続ける。
ナイトソードの切っ先は時折ローブに届き、それを切り裂くが、本体に届くにはまだ遠い。
一方のアーヴィンには敵の攻撃が掠め、シャツを裂き、そこかしこから血を滲ませる。
ちくしょう!装備が紙だ!
このナイトソードも、これ以上力を籠めると持たない気がする。
でも兄貴達なら、この程度の相手なんざ丸腰でも軽く蹴散らせるのも分かってる。
クッソ!力が全然足りてねぇ!
相手の攻撃が、アーヴィンを掠める数が増えて行く。
ソイツがフードの奥でほくそ笑んでいるのが、何となくだがアーヴィンには理解できた。
クソ!コイツ自分が押してると思ってやがる!
なら、取って置きを使わせて貰うぞ!
アーヴィンは自分から打ちに行く事を止め、攻撃を受ける事に専念し始めた。
フードの男は、アーヴィンの動きが精彩を欠き始めたと見やり、口の両端を釣り上げていく。
だが、体幹を揺らしながら攻撃を往なすアーヴィンは、その動きに合わせ『氣』を練り上げ胸元へと集めて行く。
そして、何度目かの攻撃を往なした時、力をナイトソードへと乗せそれを一気に解き放つ。
『パワー・スラッシュ』!
スージィから教わった初期スキルの1つ。
アーヴィンは瞬時に身を沈め、低い位置から今それを放つ。
それまでに無かった速度と重さで、『氣』の乗った一撃が叩き込まれた。
「?!!」
その一撃に対応し切れなかったフードの男だったが、辛うじて武器を切り飛ばされるに済み、次の一瞬で再び後方へ飛び退いた。
「これは……、驚きました」
「ち!浅いかよ!」
アーヴィンも直ぐ次に繋げようと構えを戻すが、ナイトソードの剣先に不安が出た事にも気が付いた。
そのまま間合いを取り合い、2人はジリジリと足を運ぶ。
だが、不意にフードの男が構えを解き、先程迄纏っていた殺気を散らせた。
「ふむ、時間切れでしょうか。仕方ありませんね」
「……?」
男の挙動に疑問を持つが、アーヴィンにはまだ構えを解く気はない。
「納品ついでに、久し振りに彼女の様子を見ようと思い立ち寄ったのですが、どうやら今は留守のご様子。しかしその代わり、思いがけず愉快に興じる事が出来ました。良い時間潰しでしたよ」
「……何?何だって?」
男がフードの奥で呟くが、アーヴィンにはそれが聞き取れない。
元より男はアーヴィンに語りかけている訳ではない。只の独り言だ。
「彼女が居なくとも、中の子達にご挨拶する事も考えたのですが……。しかし今、此処で彼らを目に入れてしまえば、自分を律する自信がありませんからね。クフッ!フフフフ……」
肩を揺らし笑っているらしい相手の姿に、アーヴィンは眉根を寄せる。
「……あぁ、お許しを頂き、思うが儘に賞玩する時が待ち遠しい」
小さな呟きを残し、その場に風が舞った。
同時に、それまであった張り詰めた空気が、緩やかに霧散する。
唐突に辺りから気配が消えた事で、漸くアーヴィンは剣を下ろす。
そしてそのまま大きく息を吐いて、後ろの壁に身体を預けた。
「退きやがった?……何だったんだ?あのヤロぉ」
壁にもたれたまま、アーヴィンは剣先を目の前へ持ち上げる。
「やっぱこれじゃ
その切っ先部分には欠けが生じ、剣身には亀裂が見て取れた。
アーヴィンはそのままダラリとナイトソードを握った右手を降ろし、壁に体重を預けたまま、ズルズルと腰を落として行く。
「力が全っ然足りてねぇ……ちくしょうめ」
その場で壁によりかかったまま、地面に座り込んだ。
そして左手で脇腹を抑える。
その指の間からは血が滴り、ズボン迄汚していた。
アーヴィンの脇腹からは、刺突され穿たれた傷口から血が溢れている。
左手はそれを押さえ、出血を抑えようとしているのだ。
「集中力が足りないって、スージィにどやされそうだ……」
フッとアーヴィンの身体から力が抜け、完全に身体を壁に預けてしまった。
「……やべぇ、すンげぇ眠い。こんな所で……寝たら、ビビに……怒られる、かな?」
何処か遠くから何か喧騒が聞こえて来るが、アーヴィンの意識は静かに落ち、それに反応する事も無い。
今、建屋の表側から聞こえる怒号に応える事が出来る者は、最早此処には居なかった。
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