67話其々の夜 その1(フィリップ・クラウドの場合)
「お父さまなんて!大っっキライ!!」
「ア、アニー?!」
力強く捨て台詞を残し、部屋から勢いよく駆け出すアニー。
それをフィリップは、呆然とした表情を張り付かせながら見送った。
そのままよろよろと近くのソファーに崩れ落ち、力無くそこへ沈み込んで行く。
多少の反抗は覚悟していたが、『嫌い』と言う言葉を直接投げ付けられる事が、これほどまでに心に来る物だとは思ってもいなかった。
『いいかフィリップ。アレはいかん。勝ち筋が全く見えんのだ。イロシオの深層で魔獣の群れに囲まれたとて、あれほどの絶望感は有りはしない。お前も娘を持つ父親であれば、いつか出くわす事もあろう。不意に喰らった時に致命の一撃にならぬ様、心積もりだけはしておけよ?』
前に酒の席で兄貴が語っていた事を、ただ笑い話として聞いていた覚えはあったが、まさか自分もそんな目に遭う事になろうとは……。
フィリップは残る力を振り絞る様に、ソファーの縁にかけた腕に力を入れ、やっとの思いで立ち上がる。
そしてそこから書斎のキャビネットまで力の無い足どりで辿り着いた。普段であれば2歩とはかからぬ距離なのに、今日はなんと遠くに感じる事か。
そして中に仕舞い込んでいた、とっておきのモルトウィスキーを取り出した。
瓶の封を切り、僅かばかりの力を入れて口栓を引き抜けば、心地よい音と共にモルトの芳醇な香りが漏れ広がる。
一緒に取り出したクリスタルグラスにボトルを傾ければ、琥珀の液体がリズミカルに空気を打つ音と共に、グラスを見る見る満たして行く。
本来であれば、その香りを堪能しながらユックリと味わう所なのだが、フィリップはそれを一気に喉の奥へと流し込んだ。
これは飲まずにはやっておれん……。
上着をソファーの上へ脱ぎ捨て、シャツの襟元のボタンを外し、二度、三度とグラスを傾けるがそんな事で気分の晴れる筈もない。
我知らず、深い溜息が漏れて出てしまう。
昼にアーヴィンの報告を受け、準備させていた衛士達を直ぐ様施設に送り出した。
事無きを得たとはいえ、その後アニーが戦闘を行ったと聞いた時には、少しばかり冷たい物が背中を伝った。
最初からアムカムで育った子であれば、『この程度の事』と言われてしまうのかも知れないが……。いや、確かラヴィが今のアニーと同じ年の頃、オークと対峙したと聞いた時の兄貴の動揺は尋常ではなかった。
だが、その時のラヴィの相手はイロシオのシックオークだ。
アナトリスのゴロツキとは訳が違う。しかも、ラヴィは見事に撃退までしたと言う……。あの子も昔から規格外だった事を思い出す。
いやいや、今はアニーの事だ。
件の国が少しばかりきな臭くなったおかげで、その周辺にも影響が出始めている。これが好機である事は間違い無い。だが、自分の娘をこれ以上荒事の只中に置く気にはなれない。
アニーに「もう仕事は終わりだ」と告げても、本人は当然納得などしない。「まだ仕事は終わっていない」「途中で投げ出すわけにはいかない」と反論して来る。
当然反抗する事は予想していたが、自分の言葉が足らなかった。
言い方も強くなってしまった事は自覚もしている。
重ねて大きな溜息が漏れた。
「アナタ、食事の後とは言え、少し飲み過ぎではありませんか?」
「気持ちの問題だよ」
「程々になさいませ」
「分かっているさ……。分かってはいるんだけどね」
「しょうのない方ね」
夫の様子を見に来たリリアナが、呆れた様にため息をついた。
そしてそのまま夫の隣に腰をおろし、「仕方がないので、少しだけお付き合いいたしましょう」と告げると、フィリップは嬉しそうにグラスをもう一つ取ろうと立ち上がる。
しかし、そこに扉を静かに叩く音が響いた。扉の向こうからは、屋敷の家令が急ぎの用件が届いたと告げている。
入室を許せば、老齢の家令が静かな足取りでフィリップの前まで進み口を開く。
「旦那様、ベア商会よりの報せで御座います」
「コレットからか?」
「それと、バイロス家よりもご報告が」
「何が起きた?!」
フィリップは瞬時に意識を整え、家令が持って来たメモを受け取ると素早く目を通した。
だが、直ぐにその目を精一杯見開く。
「アナタ?どうなさいました?」
「やってくれた!やってくれたよあの子は!!」
「あの子……ですか?」
「スージィだよ!はは!あの子がやらかしてくれた!」
フィリップは感極まった様に手のひらで自らの額を打ち付ける。
「連中の拠点を悉く潰し、剰え殆どの兵隊を戦闘不能にさせ、隠し金庫も解放したそうだ!」
あの愚連の集団に対し、機会を窺い準備を進めていた事はまだあの子は伝えていない。
我々がここ数年間で、やろうとしても出来なかった事をたった一晩でやってしまった。
「時間をかけて準備をして来た我々を嘲笑うかの様な手際じゃないか?!」
「何か嬉しそうですね」
「はは!小賢しい人の
フィリップが堪え切れずに笑いを漏らす。
アムカムで、あの子が兄貴との手合わせをしている所は何度も見た。自分も幾度も手を合わせている。
あの子が規格外の規格外である事は十分に分かっている。スージィの実力は理解しているつもりだ。
だが、何の情報も無い筈なのに、この短時間で此処迄ぶっ飛んだ事をやらかすか?!
兄貴からも「面倒をかけると思うが宜しく頼む。恐らくほぼ間違いなく十中八九必ず何かやらかす。迷惑をかけると思うが何卒よろしく頼む」と何度も頭を下げられた。「目付として、クロキ家マティスン家の娘達を付けたが、やらかす時にはやらかすので覚悟だけはしておいてくれ」とも。
全く!とんでもない事をしてくれた筈なのに、何故に自分の胸はこんなにも躍っているのだろうか!
「だが、これで予定が大きく短縮出来る!この機は逃せない!ゴールドバーグ本部長へ使者を出せ!デケンベル中の衛士の出動を申請するぞ!朝までに包囲網を敷き上げさせろ!」
フィリップは家令へ指示を飛ばすと、先程脱ぎ捨てた自分の上着を手に取り、そこに袖を通す。
「私はこれからコレットの所へ行って来る。彼女もどうせ今頃は大慌てだろうさ」
「では
「頼めるかい?」
「フフ!
「はは!私もだよ!さあ!祭りの準備を立ち上げるぞ!」
夜も更け始めたと言うのに、クラウド邸の中ではフィリップ達の勢いのある声が響き渡る。
それはアニーが父への怒りを消化しきれず、泣き疲れて眠りに付いてから間もない頃だった。
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