66話謀の向こう側

 飾り気も無く実に質素な部屋だ。かと言って薄汚れている訳でも無い。

 部屋にあるのは、十分な大きさの執務机と大きめのソファーが一揃え。

 そして、僅かばかりの酒とグラスが並んだキャビネット。

 扉は2つあるが、この部屋には窓すらない。

 天井の魔導ランプは光度が小さく、部屋の隅々には闇が佇む。

 必要な物しか置かない、部屋の主の合理主義が目に見える様な部屋だった。


「相変わらず薄暗い無粋な部屋だ」

「ああ?別に必要なものがあれば事足りる。飾り立てても意味は無かろう」


 ソファーの中央に座る初老の男が、見辛そうに手持ちの書類を捲りながら、忌々し気に呟いた。

 それを聞き留めた同じくソファーの向かいに座る男が、巨大な身体をソファーに埋めて、どうでも良いという様に言葉を返す。

 そしてそのままテーブルの上に、更に書類を放り投げた。


「これも本国からだ」

「なんだ?今期の決算書以外に何があると言うのだ?」


 初老の男が、訝しげに投げ出された書類に手を伸ばす。

 

 その部屋の中には3人の人物が見て取れた。


 今言葉を交わした2人の他、初老の男が座るソファーの後ろには、それに付き従う様に細身の男が立っている。

 初老と細身の男2人は、目立たぬ地味な鉛色のローブを纏っていた。だが、地味なローブから覗き見える内には、共に質の高い衣服を身に付けているのが分かる。


「どう言う事だ?!期限まで10年以上ある筈だ!」


 投げ出された新たな書類を確認した初老の男が、正面に座る大柄な男に強く言葉を投げ付けた。

 

「知るかよ。向こうも都合が出来たんだろうさ」

「1年で成果を見せろ?!それが出来なければ鉱山を引き渡せだと?!そんな無法がまかり通ると思っているのか?!!」

「出来なければ俺たちはお前から手を引く、それだけだ」

「……貴様!!」

「無法とか言うがな、お前も今迄散々やって来た事だろう?」

「誰のおかげで今此処に居られると思っている!」

「権利をサッサと取り上げれば良かろう?お前がグズグズしているから、上の連中も痺れを切らせたんじゃないのか?」

「あそこで強引な手を打てば、要らぬ査察が入りかねない。確実に手に入れる為に慎重に事を進めているのだ!」

「それは此方が配慮すべき事か?出された結果が全てだ。違うか?」

「私のやり方に、口は出さぬ約束の筈だ」

「お前のやり方に口は挟まんよ」

「…………人員の手配はして貰うぞ」

「丁度此方も補充が必要な時期だ。大口の申請を上げておく。精々大きく輸送費を請求すれば良いさ」

「まったく忌々しい連中だ!」

「ふは!それ在っての貴様だろうが?ローレンス・ニヴン!ふはは!」

「貴様が大口を叩けるのも、私が許容しているからだと言う事を忘れるなよ!ステアパイク!!」

「ふはは!元気そうで何よりだ。手があるのなら、早めに打つ事を薦めるぞ」

「愚連の輩が随分な口を利くものだ!」

「どうにも近頃きな臭くてな。お前が勝手に炎上する分には構わんが、飛び火されても迷惑なのだよ」

「ならば尚の事慎重さが必要であろう!つくづくアナトリスという国は勝手なモノだ!」

「おかげで今のお前があるんだ。そうだろう?なぁ?ローレンス・ニヴン?ふはははは!」

「このっ!」


 ローレンス・ニヴンと呼ばれた初老の男の、書類を持つ手に力が籠る。忌々しげに眉間に皺を寄せ、正面に座る大男を睨みつけた。

 

 ステアパイクと呼ばれた男は、身長が二メートルを超える大男だ。

 体毛が1つも無いスキンヘッドの頭部には、まるで真っ向から頭をかち割られたかのような傷跡が、顔面にまでも繋がり深く残っている。

 ステアパイクの眼は、常に獰猛な暴力体現者の光を湛え、彼と対峙する者を常に威嚇する。

 また視力があるのか分らぬ白濁した左の眼球は、魔導に長けている者が見れば、その白い瞳孔の奥に禍々しい魔力が澱でいる事を知るだろう。


 そんな巨躯の獰猛な男に睨みつけられれば、大抵の人間であれば竦み上がってしまう事になる。

 相手の鼻先に、自分の命を無防備に晒していると実感させられるからだ。


 だが、そんな男の威圧を籠めた睨みに対し、ローレンスは一切怯む様子が無い。

 この男もまたその腹の奥底に、見た目に似合わぬ兇猛さを宿している証と言える。

 

――ここに来て鉱山を寄越せとは、巫山戯るにも程がある!希少なグラビステンの鉱脈だ。国に知られれば忽ち国家事業に発展する。そうなっては元も子もない。アナトリス連合国に話を持ち掛けたのは、そうなる前にあの鉱山周辺を完全に自分で掌握する為だ。

 ステアパイクは此処がきな臭いと言うが、本当に不穏なのはアナトリス周りだ。

 

 この時期に切り出してくると言う事は、恐らく昨年虎の子の海軍が壊滅した事に関係している。其れにより周辺国からの圧力が増し、早急な軍事力増強を迫られているのだ。

 その為の資材調達が必要になったと言う事だろう。

 折角時間をかけてここまで来たのだ。今更横から掠め取られて堪るものか!――

 

「……宝玉を手に入れるのが先か……」


 ローレンス・ニヴンは瞬時に思考を巡らせた後、僅かに目を細めて小さく呟いた。


「父上」


 そんなローレンスの耳元に、後ろに立っていた細身の男が身を屈めて小声で呼びかけた。


「……何だと?」


 ローレンスが、男の口にした内容に目を見開いたのとほぼ同時に、部屋の扉が激しく叩かれた。


「何事だ!?」

「も、申し訳ありません!緊急伝令であります!」


 扉の向こうからの声に、ステアパイクが不機嫌な声を飛ばす。すると透かさず緊張した声が返って来た。

 入室を許可すれば、顔を青ざめさせた男がステアパイクの元まで急ぎ足で近付く。

 しかし、報告をしようと口を開きかけるが、ローレンス達の方へ目を走らせ逡巡する。


「構わん。報告を上げろ」

「はっ!現在、複数の市中拠点が敵方勢力に抑えられました!」


 男の見た目は街中のゴロツキの様な装いをしているが、挙動はまるで訓練された軍人のそれだ。

 そのアンバランスさに違和感を感じぬのか、ローレンス達はそれを気にした様子もない。


「抑えられた?拠点の兵共はどうした?」

「現在拠点に残存兵力は存在しておりません!」

「衛士隊からは事前情報も無かったぞ。だが、まだそれだけの駒を隠し持っていたと言う事か……。敵戦力は?」

「現在確認中です!」

「フルークは何をやっている」

「対抗勢力に確保されたとの報告です」

「チッ!つくづく使えぬ小僧だ」

「機密が流出したのではないのか?!ステアパイク!この責任をどう取るつもりだ!」

 

「お前が今仕入れたのもこれか?ローレンス。……そのピアス、遠話の魔道具か。便利なものだな」

「この街中程度でしか使えぬ品ですが、商売の指示を出す分には重宝しております」


 ステアパイクの問いかけに、細身の男が胸に手を当て、細い白銀の髪を揺らしながら慇懃に答えて見せる。

 

「ヴァン!私は急ぎ領事館に戻るぞ!」

「承知いたしました父上」


 ヴァンと呼ばれた男は、立ち上がり出口に向かうローレンスに付き従うが、数歩進んだ所で足を止めた。


「ステアパイク様。宜しければその手合い、私共で確保致しましょうか?」


 その場でステアパイクに向き直り、そう言うと静かに口角を上げる。

 

「ほう?」

「いえ、私共も、これ以上の情報漏洩は歓迎致しかねますので」

「流石はアフィトリナ大商会の次期頭首!頼りになる!それならば、お手汚しをお願いしよう」

「承りました。では、今夜中に」

「ヴァン!急ぐぞ!!」


「それでは大変に名残惜しゅう御座いますが、私もこれにて失礼いたします」


 苛立たしげに声を荒げ部屋を出たローレンスを他所に、ヴァンと呼ばれた細身の男は、まるで臣下の礼をとる様に腰を折り曲げ、深く深く頭を下げた。

 だがその目は、ステアパイクを捉えている様には見えない。

 ヴァンは、まるでその背後にある闇の中に仕えるべき相手がいるかの様に、うやうやしく頭を垂れた後、ローレンスに次いで部屋の扉を閉めた。



 2人が部屋から去った後、ステアパイクは部下に向かって指示を出す。


「明日の朝西方へ向かう。速やかに撤収の準備だ。奴がフルークを連れて来たら此処へ連れて来い。それまでは誰も入れるな。それと『狗』も用意しておけ。奴に使わせる」

 

 部下を退室させた後、ステアパイクは1人ソファーにその身を沈める。

 そしてそのまま、誰も居ない空間に向け言葉を発した。


「ふん!ローレンスめ、大分焦っているな。それで?奴は何を欲しがっている?」

 

「赤い宝玉……だったかしら?」


 それに応えるものが居る。

 誰もいない筈の部屋の中。その光の当たらぬ隅の影が動き、人の姿を取っていく。

 

「ただの宝石ではあるまい?」


 ステアパイクは、初めからそこに居たとでも言う様に、当たり前にその影に向かい言葉を続けた。

 人の形を取った影は、見る間に蒼いドレスと褐色の肌を露にしていく。

 

「そうね、強いて言えば……宝物庫の鍵、と言ったトコロかしらね?ふふ」

「宝物庫か。それは良い」


 その褐色の女は足音も立てず、まるで水の中を移動でもする様、流れる様にステアパイクの傍に移動する。


「奴は、既に自分に火が回っている事に気付いているのか?」

「さあ?どうなのかしら?」

「どうせ持て余すなら、我等で有効活用してやろう」

「ふふふ……。出来るのなら、それも良いでしょうね」


 ソファーの端に腰を落とした女がステアパイクに身を寄せ、その顎を愛おしそうに撫で上げる。


「お前が持って来た『とっておき』を小僧に使い、撤収時の目眩しになって貰う」

「あら、アレを使ってくれるのね。楽しみだわ」

「精々派手に暴れて欲しいものだ」


 ステアパイクが女の腰に手を回し、力強くその身体を抱き寄せた。

 女はその豊満な胸元を、擦り上げる様に男に押し付ける。


「御曹司を放っておいて良いのか?」

「お楽しみは、後に取っておく方なの」

「フン!ならば時間まで楽しませて貰おう」

「そうね。精一杯の命の輝きを堪能しましょう。うふ、うふふ、うふふふふふ……」


 薄暗い部屋が、更に深い闇に侵食されていく。

 男の獰猛な含み笑いが漏れ零れる。

 それに重なる様に、妖しくも艶やかな女の笑いが、密やかに部屋の隅々にまで響き渡っていた。

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