62話ジュール・ナールの後悔
ジュール・ナールは激しく後悔の念に囚われていた。
あの時何で俺は仕事を受けちまったのか?!
端から嫌な予感は付き纏っていた筈だ。だが、結果的に受ける事になってしまった。
普段の自分であれば、決して受ける筈の無い仕事だったのに、どういった気まぐれでそうなったのか?!
アベルはこの色街での顔役だ。
前に来た時も、雇い主の我儘を聞く為に面倒をかけた。
再び、やっとの思いで此処に辿り着いた時も、何かと面倒を見てもらった恩もある。
仕事も只の道案内だ。にべに断る理由も無い。
断っても良いとは言われたが、断る事は奴の顔を潰す事にもなる。
普段の自分であれば、そんな他人事など気にもしない筈なのに、何故かこの時ばかりは気になった。
嫌な雰囲気はビンビンと漂っていたが、命に直結する程では無いとも感じていた。
まあ、いざとなりゃケツを捲って逃げ出しゃ良いさ。
そんな風に安請け合いした自分を、無茶苦茶ぶん殴ってやりたいと、その後心底思った。
そのガキ共は、国外から来た逸れ者だ。
近頃はこの街でも勢力を伸ばしはじめ、古参の組織からは煙たがられていた。
そんな連中の世話を、何でその古参組織の一つの頭であるアベルが焼くのか、そんな事はジュール・ナールの知るところでは無い。
だが、アベルの忌々しげな口ぶりから、裏では碌でも無い取り引きがあったのであろう事は、容易に想像が付く。
ジュール・ナールからして見れば、組織間のゴタゴタに巻き込まれるなど願い下げだ。取り敢えずそうならない為にも、情報だけは仕入れて深入りせぬ様に済ませようと考えた。
だから今回は、報酬も金払いもいい相手だという、ソコにだけ意識を留めておく事に決めたのだ。
仕事はガキ共が荷を運ぶ為のガイド役だ。
要は、ヤバい荷物を運んでいるので見つからない様ルート選択をして目的地まで連れて行け。という話だ。
案の定ガキ共は餓鬼だった。
完全にお遊び気分で燥ぎまくりだ。
完全に子供の引率だ。
大人しく仕事をしようって気が端から無い。
コイツ等だけだったら間違いなく、道のりの3分の1も辿り着けず衛士に捕まって終わるのは間違いない。
予定より時間はかかったが、何とか目的地まで辿り着けた。
後は、先方から受領の証を貰い受ければ仕事は終わりだ。
コレをガキ共の親玉に渡して報酬を貰えば、もうコイツらと関わる事もないだろう。
帰りの道中まで面倒を見る約束はしていないので、コイツらがまた燥いでその結果とっ捕まったとしても、自分の知ったことでは無い。その時はとっとと見捨てる心算だ。
案の定ガキ共はやってくれた。
ガキの1人が、遠くに特装馬車を見つけたから襲おうとか言い出した。他の連中も、スッカリ乗り気になって騒ぎ始めた。
馬鹿じゃ無いのかコイツらは?!
特装馬車なんざ、使っているのは元貴族とかの力を持った連中だ。そんな物を襲った日には、確実に騎士団に目を付けられ、この近辺で生きて行くのも儘ならなくなる。
そんな常識も理解出来ないからガキなんだろうが!こんな馬鹿共に一々付き合ってやる謂れも無い。
自分は先を急ぐからと言えば、道中偉そうに仕切ってたクセにビビったのか?と囃し立てて来た。
だか、知った事か!
コイツらは間違いなく此処で終わりだ。
自分の中の警報が、最大規模で鳴り捲っている。
此処にいれば間違いなく助からない!大急ぎで此処から離れるしか無い。
森の木々の間をすり抜ける様に馬を走らせた。1キロ以上も離れた筈なのに、まだ警報は鳴り止まなかった。
何かが追って来ているのか?と振り返るが、追われている様子は窺えない。
だが警報は止まらない。それどころか、更に脅威が大きさを増しているのを感じる。
嫌な汗が滴り落ちる。
自分の死が、直ぐ間近に迫っている様な気がして仕方がない。
知らずのうちに呼吸が荒くなっていた。
背中に流れる汗が冷たい。
まるで死神が真後ろに立って、その死の象徴の様な掌を、ピタリと背中に押し当てられている様な悍ましさだ。
訳のわからない物を振り切る様に、馬を更にジグザグに走らせるが一向にこの感覚は無くならない。
後ろを何度も振り返るが当然何もいない。
何もいないのは分かっていても、後ろを確認せずにはいられない。
酷く流れる汗が目の中に入る。
口を閉めもせず、過呼吸のように荒く息を吐き続け、口の中が乾いて舌が下顎にへばり付く。
耳の奥が痛くなる程、鳴り響き続ける心臓が痛い。
死ぬ!これは死ぬ。間違いなく死ぬ!!
ジュール・ナールは、今迄の人生で味わった事の無いほど圧倒的で、巨大な壁の様に感じられる死の存在感に、そのまま撃ち砕かれると確信した。
しかし、それが唐突に立ち消えた。
息をするのをスッカリ忘れていた事を思い出す。
猛烈な勢いで肺を収縮させ、ヒューヒューと耳障りな音を立てながら、呼吸という当たり前の行為を再開する。
水筒の栓を震える手でやっとの事で開け、息もつかずに一気に喉の奥へとその中身を流し込んだ。
同時に、かいた汗でびしょ濡れになった背中が、その冷たさを感じ始めて来た。
急いで馬を走らせ、一刻も早く安全な場所に辿り着きたい。
そんな考えだけが、今のジュール・ナールの頭の中を占領していた。
途中のパルウスはジュール・ナールにとって、到底安全な場所と感じる事が出来なかった。
町で馬を替えると、水と食料を手に入れ、直ぐにデケンベルにまで休みも取らずに一気に馬を走らせた。
デケンベルに到着した時には、いきなり10も歳を老いた者ように血色の無い疲れ切った姿となっていた。
報酬を頂いた後は
起き出した後で、あのガキ共が案の定とっ捕まった聞いたが、コッチは知った事ではない。命があるだけ拾い物だと思うべきなのだ。
もう一月以上前の話だが、今思い出しても背筋にブルリと来るものがある。
そうだ、一月以上前の話だった筈だ。
それがどういう訳であの時と同じ様な寒気に、オレは今取り憑かれているんだ?
やはりあの時、あんな仕事は受けるべきじゃなかったんだ!
今頃後悔しても始まらないのは分かっちゃいるが、どう考えてもあの時の選択が、現状を導いているのは間違いない。自分の勘がその事を全力で肯定している。
クソッ!また行き止まりだ!
何だってんだチキショウめっ!
実際に道が塞がっている訳じゃ無い。
だが、その先にはもう未来は存在しない、と自分の中の警告が最大音量で鳴り響くのだ。
チクショウ!畜生!ココもかよ?!コッチかよっ?!!
道が……。道が…………!
もう逃れる道が残っていない事に、漸く気が付いた。
自分の背後に、絶対的な存在が迫っている事を確信する。
息が上がる。
汗が酷く冷たい。
あの時と同じだ。
路地の行き止まりの壁にみっともなくへばり付き、奥歯を鳴らしながら、最後の宣告を待つしか今の自分に出来ることは無い事を知る。
路地から見える通りは人通りも多く、夜の繁華街らしく喧騒も賑々しい。
あんなにも夜の店が放つ光に溢れる世界が、ほんの数メートル先にあると言うのに、何故この場所はこんなにも空気が重く、硬く、暗いのか?
この二つが、とても同じ場所に在るとは思えない。
まるでガラス越しに、全く別の世界を見ているかの様な隔絶感だ。
その煌々とした街の明かりを背に受けて、目の前の角からソイツは姿を現した。
そいつは何の迷いも無く、コチラがいる路地に自分の足を踏み入れたのだ。
飲み屋の灯りが背を照らし、シルエットのまま流れる様に足を進めるその姿は、幽鬼の類いだと言われても納得がいく。
その死神はジュール・ナールの前で足を止める。
そしてシルエットのまま、両手を腰に当て徐に口を開いた。
「見つけ、た」
ソイツはその存在に似合わぬ愛らしい声で、ジュール・ナールを見下ろしながら只一言そう言った。
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