63話フルークの悪夢
ガン!ガツン!!と室内に重い音が何度も響き渡る。
フルークが、自分の執務机を苛立ち紛れに蹴り上げている音だ。
フザケやがってあの餓鬼がっ!
態々3人も付けてやったのに、また全員衛士に捕まえられたとか、一体何の冗談だ?!
役立たずにも程がある!!
成果を果たすどころか、おめおめと逃げ帰って来たパーカーに、フルークは嘗て無いほどの怒りを爆発させていた。
怒りが溢れるに任せ、デスクを力まかせに蹴り続ける。
マスカを置いて来たガイドといい、この国の連中はつくづく信用ならない!
パーカーの馬鹿は顔面を陥没させ、手足もへし折ってやった。
奴の連れ合いの女を呼び出して嬲り者にしたが、その程度ではまだ腹の虫が収まらない。
今は階下で手下共に使わせちゃいるが、今夜中に薬に漬けて、他の女と一緒に色街に沈める。
それでも到底補填にゃ追いつかねぇ!とんだ貧乏神だ!!
「クソがっ!!」
一際大きくデスクを蹴飛ばす音が、部屋の中に響き渡った。
入り口扉の両脇に立つボディーガードの手下2人が、その音にビクリと肩を震わせる。
だが初めにあの施設と娘にちょっかいを出せとオーダーして来たのは、あのいけ好かない御曹司だ。
いっそ奴に損失分を補わせれば……。
「……やはり今夜中に攫うか」
「はい?」
元々今夜はあの娘で楽しむ予定だった。それが予定外のクソ餓鬼が現れたおかげで綺麗にスッ飛んだ。
結局はそこがケチの付き始めだ。
なら仕切り直すのが一番だ。予定通り事を進めりゃ、めぐり合わせも戻って来る。
「兵隊を集めろ!10人……いや!20人はかき集めろ!」
「は!」
「そんだけ居りゃ、どれだけあの餓鬼の腕が立とうが、隙を見て娘の1人くらい掻っ攫えんだろ」
そうだ、端から娘だけを狙えば良かったのだ。チビガキを攫わせようとか全く無意味だった。
自分がもう一度あのイカれた餓鬼と見えるのは御免被るが、あの娘は兵隊10人以上の価値はある!
人員の補填は必要経費だ。御曹司に吹っ掛けて尻を持たせる事に決めた。
「いいか!今夜中に必ずあの施設から娘を攫って――――」
その時、フルークが座っていたデスクが、突然大音響と共に真っ二つに割れ砕けた。
厚手の天板は高価なマホガニー材で、重量もかなりな物だ。
1人の力では持ち上げる事など出来ないし、到底割れる類のものでは無い。
それが今、目の前で真っ二つに割れて潰れている。
フルークはその衝撃で、いつの間にか椅子から転げ落ち、床に尻餅を付いていた。
「アンタがフルークでいい、の?」
いきなり聞こえた女の声に、身体がビクリと反応した。
今の今まで誰も居なかった筈なのに、まるで割れたデスクを踏み潰したかの様に女がそのど真ん中に立ち、そこから此方を見下ろしている。
「やっぱり、今夜の内に来て正解だった、よ」
革製のドレスの様な服を着た女だ。
質が高い品だと一目で分かる。
革の光沢やその色合い。それを形造る縫製の技術。どれを取ってもその辺の庶民が手に入れられる物には到底思えない。
今でも力のある上位の旧貴族でもなければ、まず手に入れるのは無理な品だと分かる。
だが真に目を引くのは、女のその容姿だった。
彫像のように整った目鼻立ち。
陶磁の様に濁りの無い艶やかな白い肌。
エメラルドグリーンの眼は、澄んだ海の様に常に光を湛えている。
そしてその髪。
宝石の様な赤い輝きを纏い、僅かに動くだけで紅玉の輝きが辺りに散って消えて行く。
目を惹かれない方がどうかしている。
こんな女が居て良いものなのか?
フルークはその姿に魅入られた様に目を離す事が出来ずにいた。
今まで数多くの女をモノにして来た自分からしても、コレだけの相手にお目にかかった事は無い。
だが同時にフルークは、目の前の相手から空恐ろしい程の寒気も感じていた。
今、自分は真面では無い事態に直面している。
普通では割れる筈の無い机が割れて、自分は床に尻を付き、突然現れた女の存在にも事態が飲み込めず、頭は混乱するばかりだ。
混乱している筈なのに、何故か口元が引き攣る様に上がっていく。
あまりにも理解が及ばない事態に直面して、脳が正常な判断を放棄して無自覚に笑ってしまっているのだ。
「フルークさん!!」
入り口に居たガードの2人が声を上げた。
突然の大音響と部屋を揺らす振動に、一時我を無くしていたが、漸くフルークの元へ駆け出す。
「なんだテメェ?どこから入って――」
部屋の真ん中に陣取る巨大なソファーを飛び越えて、男の1人が女を引き倒そうとその肩に向かって腕を伸ばす。
もう1人も、相手の動きを抑えようと横から女の身体に襲いかかる。
だが次の瞬間、突然男2人がフルークの視界から掻き消えていた。
目の前のフルークには、部屋の空気が膨らんだ様な気がした。
間を置かず、左右の壁に何かが打ち当てられた様な大きな振動が室内に広がった。
「は?」
壁にかかっていた大型の絵画は吹き飛び、同じく据え付けられていた高級酒が並んだデスプレイラックは粉々になっていた。
2人はいつの間にかその左右の壁にへばり付き、ズルズルと壁に吸着して赤い染みを残しながら、ゆっくり壁からずり落ちている。
2人共手足の関節がおかしな方向を向いていた。
意識はとうに無いのだろうが、時折「ゴポリ」と何かを口から零している。微かに呻き声も上げているので、辛うじて生命活動は止まってはいないのは分かる。
「もう、ココにはアンタだけだか、ら」
「……は?な、なんだと?」
「下で女の子達に酷い事してた男共。アレ全部足を2~3本潰しといた、から。他にも問答無用で襲って来た、ヤツ。『アンタの仲間だ』と答えた、ヤツ。大体この建物の周りと中にいた全部、かな?30はいなかった、ね」
何を言っているんだ?この女は?
コイツは下に居た兵隊を全部潰してやって来たとでも言っているのか?
そんな馬鹿な……そんな訳――
「あ、あり得ねぇ……」
フルークは半笑いのまま呟いた。
だが、壁に張り付いている2人が目に入ると、無意識に喉が鳴る。
「人の皮を被った
女が冷やかな眼差しを無慈悲に落とす。
その瞬間、フルークの悪夢が幕を開けた。
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