41話ナイトメア・ヘッド

※残酷な描写が御座います、ご注意ください。

――――――――――――――――――――

 男がゴトリと硬質な物を、古びた木のテーブルの上に置く音が石造りの狭い室内に響く。


「おい、ソレをそんな所に置くな」


 室内にいたもう1人の男が、驚いた様に目を見開き、テーブルの上に乗せられた物を見る。

 そして、それを乗せた者に対して鋭く声を上げた。


「ああ?別に構わんだろう?特に危険な魔力反応が検出されたワケじゃないんだ」

「そうは言ってもな、ソレはあまり気持ち良い物じゃない」

「そうか?特におかしな所はないだろ?」


 ゴロっとした銀色の卵のような形状。

 銀の塊のようにも見えるが、随分と表面はくすんでいる。

 触ってみるとザラリとしていて、あまり良い感触を得られる物では無い。



 此処は、デケンベルから北に凡そ20キロ程の距離に位置する、パルウスと呼ばれる街だ。

 男達が居るのは、この街の衛士隊詰所の地下、そこある牢獄を監視する為の衛士達の待機所内だった。


 牢獄内取調室にも隣接しているその部屋で、衛士の2人が証拠品の一つを前に、更けて行く夜の時間を過ごしていた。

 当直は3人だが、1人は今、牢内の見回りをしている為、室内にいるのはこの2人の男だけだ。


 証拠品をぞんざいに扱う同僚を諌めようとするが、この衛士は、今の持て余す時間を埋めるべく、そんな忠告などどこ吹く風だ。


 何しろ、まだ隣室で取り調べを続けている二人の取調官は、先程これの魔力計測を行った時、「不可思議な魔力滞留は認められるが、特に緊急を要する物とは思えない」と言っていた。


「だからと言って、ケースから出す許可など出ていないぞ。早くそこへ戻せ」

「大丈夫だって!ちょっと見るだけだ。落としゃしねぇよ」

「当たり前だ!いいから仕舞え!」


「ふーん、見た目より重くは無いな。表面はザラザラして、トカゲかなんかの革に近いのか?」

「だから仕舞えと……」

「痛っ!」


「おい、どうした?」

「親指が何かに……うっ!?」

「どれ、見せて見ろ!うわ!酷い血じゃないか!」


 見ると、男の親指の腹に、彫刻刀ででも削り取ったかの様に、横に一直線に溝が出来、そこの肉がこそげ落とされていた。


「どうした?何を騒いでいる?」

「ちょうど良い所へ来た!おい!そこの棚から止血用のガーゼを取ってくれ!」


 ちょうどそこへ、見回りに出ていたもう1人の衛士が戻って来た。

 だが、騒がしい同僚達に訝しげに声をかけるが、机の上に溢れた血を見て、目を見開く。


「何だ?うわ!どうしたその血は?!ちょっと待ってろ!」

「結構傷が深いな。親指の腹の部分、少し肉が抉れてるぞ」

「ほら、これで押さえてやれ」

「悪いな。ほら、こうやって押さえてろ。どうだ?痛むか?」

「ああ、じわっと痛みが出て来た……チクショウ」


「うわぁ、証拠品が血だらけじゃないか!……何でコレがこんな所に出てるんだ?」

「おい!それに触るな!下手に扱うと、お前まで怪我をするぞ!」

「ん?何だ?これがどうかしたのか?……ぅわっ!!」


「どうした?!お前も怪我か?!」

「い、いや、何かコイツ、今動いたような……」

「は?動いた?……うわぁっ!!」


 衛士の1人が卵を見て、目を見開き大きな声を上げていた。

 その表面に、男の指程の太さの血管のような筋が浮き出て、脈度をし始めたのを目の当たりにしてしまったのだ。


「まずい!ケースに急いで入れろ!魔力封じの施錠をするんだ!」


 銀の卵が起こした在り得ざる変化と、そこから滲みだす尋常では無い気配に、衛士達が顔色を無くして叫び上げた。


 その卵は、まるで剥き出しの心臓が鼓動を速める様に、ドクン!ドクン!と収縮を、激しい脈動を繰り返す。

 時間にすれば、それは僅か5~6秒の事だ。だがそれを見る3人の衛士たちにすれば、永遠とも思われる時間。


 その繰り返される脈動が、まるで地の底から響いているかの様に感じ、下腹にまでその振動が伝わる様だ。鼓膜の奥にまでそれが響き渡る。

 更に息をする事すら躊躇われる、酷く生臭い瘴気が部屋一杯に広がった様に感じた時。


 を振り上げた。


 そして――――――――――

 





 取調室でを続けていた2人の調査官は、その時感じ取った隣室の変化に目を見開いた。

 異常な魔力の放出を感じたのと同時に、明らかに複数の悲鳴が隣の部屋から響いて来たのだ。


 2人は、護身用のショートソードを手に持ち、その諸刃の刃を抜き放つ。

 そしてお互い頷き合うと、1人が扉に頭を寄せ外の気配を探る。

 外に動く気配が無いと判断し、そっと扉を小さく開き外の様子を窺った。


「外には誰もいないな」

「賊の形跡は?」

「此処からでは判断できない。このまま隣室まで様子を探りに行く」

「警戒を怠るな。お前は室内を。俺は廊下を警戒する」

「了解だ」


 1人が廊下の警戒に当たっている間に、もう1人が衛士の待機室の扉に身を寄せた。中の様子を窺いつつ扉の取っ手を持ち、ゆっくりと引いて細い隙間を作る。

 その僅かな隙間から中の様子を窺うが、見える範囲には特に変わった物は見当たらない。この待機室に居る筈の衛士の姿も確認できない。

 もう少し中の様子を確認しようと、扉を少し大きめに開き中の様子が見えた時、扉を持っていた男の手が、ビクリ!と止まった。


「ぅぐっ!?」

「どうした?何があった?!」


 絶句する男に、もう1人の男が小さな声で問い質す。


「なんだ?この食い散らかさ……」


 だが、その問いに答えようとした男の言葉は、全てを伝える前に途切れてしまう。

 男の首が消え去り、そこから血を吹き出しながら、身体がその場に崩れ落ちたのだ。

 

「なっ?!!」


 突然の出来事に叫びを上げそうになったが、それを押し殺し、男は咄嗟に後ろへ飛び退いた。


 だが、着地の瞬間にバランスを崩し、そこに転がってしまう。

 男には何が起きたのか分からない。

 両脚で着地したはずなのに、右の足が地に着いた感触が無いのだ。


 地に転がりながら、何があったのかと自分の足元へと目を向ければ、自分の右足の膝から下が消え失せ、そこから血が噴き出していた。


 突然起こった一連の出来事に、理解が追い付かない。

 男は、まるで陸に打ち上げられた魚の様に呼吸を荒げ、自の作る血溜まりで藻掻きながら、意味も分からず辺りを見回した。


 そして、そこに居るモノに気が付いた。


 銀色の身体をくねらせて、ゆっくりと自分に近づくものを。

 ソレは、クパァと肉の裂け目が広がる様な音を立て、その内側に林立する針の様な無数の牙を見せ付け、更に這い寄って来る。


 男が最後に見たものは、一際大きく開かれた、その闇に閉ざされた様な口の中だった。



     ◇



 部屋の扉が、ギギと音を立てて僅かに開く。

 部屋の中には、粗末な机と、何脚かの椅子。

 そして、頑丈な造りをした椅子に括り付けられている、1人の人物がいた。


 その者の顔は原型が判らぬ程腫れあがり、剥き出しにされた上半身のそこかしこには、やはり真新しい痣と、無数の切り傷が刻みつけられていた。

 それは、明らかに拷問を受けている者の姿だ。

 その事を証明する様に、机の上には、そういったのための道具が数多く並べられている。


 それは、嘗て仲間から『マスカ』と呼ばれていた男の姿だった。


 部屋の中に、ナニかが入って来た気配を感じたその者は、小さく口の中で何事かを呟く。


「も、もう全部話したろぉ……これ以上は……知らねえよぉ」


 明らかに怯えた様子で、口の中で小さく「知らぬ」と繰り返す。


 部屋の中に侵入したソレは、そんな呟きなどには一切意にも介さず、躊躇う事無くその足首に食らい付いた。


「ぅぎゃぁーーーーーっっ!知らねぇ!知らねぇよぉぉ!!ぐぁ!ぎゃあぁ!ぃぎゃあああーーー!!!」


 肉を食い千切る音に合わせる様に、悲鳴が部屋に響き渡る。


 その悲鳴が上がるのと同じ頃、地下にある四つの牢の中からも、絶叫が上がり始めていた。


「あ、足が!オレの足がぁああーー!!」

「や、やめろ!やめてくれーーー!!」

「出せ!こっから出して……ぁがぁああっっ!!」


 地下の隅々まで、断末魔と恐れ戦く悲鳴に溢れ、血の匂いと瘴気の放つ腐臭が満ちて行く。





 そこかしこで肉を食い散らかす音が反響する中、消え入りそうな悲鳴と呻きが細々と聞こえるその地下の奥で、影がゆらりと揺れ動いた。


「あら?動き出した気配がしたから来てみれば、こんな所で食事をしてたのですね」


 青藍のドレープが揺れ、艶めかしい褐色の大腿部が影を割って現れた。


「イザという時にお使いなさいと預けたのに、こんな場所で起こしてしまうなんて……うふふ、少しは足しになりましたか?」


 闇の様に黒い髪がサラサラと零れ落ち、その奥に隠れていたエメラルドの瞳が楽しそうに細められるのを露にする。


「まあ、使えば一緒に喰らわれるのだから、どちらにしても同じなのですけれど。うふふふふ……」


 褐色の肌を持つ女は、大きく開いた青藍のドレスの胸元から、褐色の豊かな実りを今にも零し落としそうにしながら、足元に近づく銀色の妖に向け、自らの細い指先を伸ばして行った。

 するとソレは、満足気に女の褐色の手にその身を摺り寄せ、楽し気に指先に巻き付き始める。


「『端くれ』は、少しは喰らい戻しましたか?そうですか」


 更に複数の妖が集まり、褐色の女に甘える様にその身を擦り付けていた。


「おや?少し混ざり始めているのもありましたか。ではソレは回収しておきましょうね」


 深紅の口元が、面白い話を聞いたという様に、少し楽し気に上る。


 最早呻く声さえ響かぬ、死と静寂に満ちた地下の冷たい床に、コツコツと硬質な音が響く。

 むせ返る様な血の匂いに満ちた、閉ざされた石の壁の間を進むそれを、無数の地を這い進む音が追い集う。



 やがてその響きも、青いドレスを纏った褐色の女と銀色の妖共々、初めからそこに存在していなかったかの様に、影の中へと溶けるように消えていった。


 後に残るのは、夥しい血溜まりに転がる食い散らかされた肉片と、悍ましい死臭が封じられた、冷たい石壁だけだ。


 5の蒼月あおつき11日。

 それは日付が変わって間もない時刻。パルウス衛士隊詰所、牢獄内での惨劇だった。

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