39話マグアラット河第一埠頭

 マグアラット河は、『ナサントルカの水瓶』とも呼ばれるリトレプエル群の擁する三つの湖を水源とし、幾つもの支川が交わり、カライズ州を北西から縦断する大河だ。


 大街道と並走し、街の北側からデケンベルへ至るこの河は、ミリアキャステルアイ寄宿学校のある高台の麓で、緩やかに進路を変え、街のほぼ中心で南東方向へと流れ下って行く。

 デケンベルの中心付近を流れるその河の中には、全長約1キロ、幅500メートル以上の中州がある。

 この中州はウルブ島と呼ばれ、その上流側である西端にこの街最大の河港がある。


 デケンベルは、王都と北とを結ぶ大街道と共に、このマグアラット河を利用したカライズ州の流通中心地として、150年以上前から発展してきた街なのだ。




 フィリップ・クラウドとその家族は、その日の午後、このウルブ島にある、マグアラット河第一埠頭へと訪れていた。


 正門で入場の手続きを済ませ、そのまま馬車で第一埠頭の荷降ろし場の近くまで進むと、これから荷を乗せんと待つ荷馬車の列が、そこには整然と並んでいた。


 その荷馬車の動きを邪魔せぬ様、少し離れた場所で馬車を止めさせ、フィリップ・クラウドがドアから顔を覗かせれば、そこに威勢のいい声が飛んで来た。


「相変わらず時間に正確だね!」

「わざわざ夫人自らお出迎えとは、痛み入る」


 そこには彼らを出迎える様、一人の人物が立っていた。

 この河港で荷役を請け負う最大手である、ベア商会のコレット・ベアだ。

 コレットは、馬車から降り立ったフィリップを僅かに見上げながら、男に負けぬ程の逞しい腕で握手を交わす。


「奥方様、ご無沙汰ですね。お元気そうで何よりです。お嬢ちゃん、大きくなったね!今年から学校だったかね?」

「ご無沙汰していますコレット。貴女も元気そうで安心したわ」

「おひさしぶりです、おばさま。はい!先日より初等科へかよっております」


 コレットは、後ろできつく団子に纏めた髪から、解れて落ちた後れ毛をかき上げながら、鋭さのあった灰色の眼を優しくほぐし、母子に向けて言葉を向けた。




「わざわざ総領事が足を運ぶほど、あの二人は重要人物ってことかい?」

「そうだね、将来有望な若者である事は間違いないね」


「『黄金世代』……だったかね?」

「そう呼んでいる者も居るようだね……」


 そのままコレットは、クラウド家の3人を連れ荷降ろし場へと案内し、そこで働く若者2人に視線を送りながら、フィリップと言葉を交わし合っていた。

 暫くクラウド家の者達と作業を眺めていたコレットが、その場で大きく手を叩き声を上げる。


「いい時間だ!みんな!一息入れな!!アーヴィン!ロンバート!こっちへおいで!」


 アーヴィンとロンバートはコレットに呼ばれると、フィリップたちが居る場所に、足早に近付いて来た。

 その場でフィリップに挨拶をした2人に、コレットが声をかける。


「二人とも、今からお嬢さんを食堂へ案内しておやり」

「アニー、これからコレットと仕事の話をしなくてはいけない。少しの間、アーヴィン達と一緒に居てくれないか?」

「わかったわ!お父さま!」


 大人たちの話があると言う父の言葉に、アニーは笑顔で頷いた。


 コレットは、アーヴィンとロンバートに、アニーを食堂まで案内して、そこで少し休ませてやれと言う。二人に、アニーのボディーガードをしろと。

 それは、このむさ苦しい野郎共が闊歩する港内を、幼い少女一人で歩かせる訳には行かないという、コレットの心遣いだった。



     ◇




「アーヴィンに教わった『技』、全然上手くできないわ」

「うーん、オレも成功するのは3回に1回だからなぁ」

「……そうなんだ」

「スージィに言わせると『氣力』の溜めチャージが重要らしいけどな」

「きりょく?」

呼吸いきで溜めるんだとさ」


 アニーは、年に何度かはアムカムで過ごし、村の子供たちとの交流もある。

 今は、この冬にアムカムで過ごした時、子供達の鍛練に参加し、そこでアーヴィンから教わった『技』の話をしていた。



 アムカムの子供達が、スージィから『スキル』を教わり、ソレを使い始めているのを目のあたりにしたアニーは、自分にも教えて欲しいとスージィに訴えていた。

 その時スージィには、「身体が出来ていない内は駄目」「走り込みとかで体力を付けてから」「シッカリと呼吸法をマスターしたら」と断られてしまっていた。


 しかし、それでも諦め切れなかったアニーは、アーヴィンに何でもいいから教えて欲しいと、スージィには内緒で頼み込んでいた。


 アーヴィンは、アムカムでも将来を期待されている若者の1人だ。

 アニーの兄であるウィリアムからの評価も高く、アニーもアーヴィンには大きな信頼を寄せていた。小さな憧れと一緒に。


 そんなアーヴィンに、アニーはとてもとても熱心に教えを乞うていたのだ。


 初めはアーヴィンも、スージィに隠れて教える訳には行かないと、当然の様に断っていたのだ。

 だが、アニーの熱の入った押しは非常に強く、アーヴィンも終いには折れてしまい、「形だけで良いのなら」と一つだけ教えてしまったのだ。


 実のところはスージィも、アーヴィンがアニーに『技』を教えていた事は把握していた。


 しかし、『氣』の練り上げが出来なければ到底出来るものではないし、直接的な攻撃技では無かった為、とりあえず危険は無いだろうと、そのままさせるに任せていたのだ。


 だが、『技』を教わったアニーは大喜びだ。

 今も毎日、スージィから教わった呼吸法と一緒にその『型』を、日に何度も繰り返し行っているのだ。


「ンーー、こう呼吸をためて腰をおとすと、足がズズッと動きそうにはなるんだけど、もっと鍛練をつまないとダメなのかしら……」

「……そ、そうか。そうだな、頑張れよ」

「うん!がんばるわ!」


 それって、『技』が発動しかけてんじゃねぇのか?とアーヴィンが思わず息を飲むが、流石にまだ無理だよな、と静かに首を振る。



「でもすごいわ2人とも!1人であんなに大きい荷物まで持ってるなんて!」


 足を進めながらアニーは、アーヴィン達が仕事をしていた姿を思い出し、2人に称賛を送っていた。


アムカムの若者二人が、大人に混じって何ら遜色なく、いや、それ以上に仕事をしている事が、彼女にはとても誇らしく感じていたのだ。


「そうか?まあいい感じで鍛錬にはなってるしな」

「そうなの?」

「スージィも言ってたろ?力仕事なんかは、『ちゃんと意識してやればシッカリとした鍛練になる』って」


「うん!言ってた!スー姉さま言ってたわ!」


 今朝も早朝から鍛練を行なっていたスージィ達に交じり、一緒に走り込みをしていたアニーは、その時のスージィの言葉を思い出していた。


「走りながら自分の意識を感じるのは大切な事」「力仕事でも、自分の重心を感じたり、力の入り、抜き、を意識するのは重要」「掃除や洗濯などの家事も、意識して行えば十分な鍛錬になる」


 アーヴィンやスー姉さまは、『仕事』をなさりながらも常に鍛練をおこなっているんだ。

 なら、自分も何か『仕事』をしながら鍛練をしてみたい!


 アニーはその時、強くそう思ったのだ。




「あそこが食堂だ。ちょっとここで待っててくれ、今、中に入って良いか聞いて来るからな。ロン、アニーを頼む」


 一つの建屋の前で立ち止まり、アーヴィンがアニーにココで待てと言葉をかけた。

 ロンバートは無言で頷き、アニーは、食堂だと言う建屋の中へと入って行くアーヴィンを、目で追いかけ見送った。




 それは、アーヴィンが正面の入り口から中へ消えるのとほぼ同時だった。

 アニーの目の前で、その建屋の横に付けられた質素な扉がいきなり開かれ、中から毛玉の様な物が二つ転がり出て来たのだ。

 それと同時に、粗野な声が辺りに響く。


「いいから帰れ!ここはガキの遊び場じゃねぇ!!」


 建屋の側面にあるその扉は、おそらくは勝手口なのだろう。

 薄汚れたエプロンを着けた大きな男がその戸口から、先に飛び出して来た毛玉に向け、そう大きな声を上げたのだ。


「お、おねがい!」

「おねがいします!」


毛玉に見えたそれは小さな子供だった。

子供が2人、転がる様に外へ飛び出して来たのだ。


 その事に気が付いたアニーは思わず目を瞠る。


「いい加減ケガする前に帰れ!ガキども!!」

「そ、そんな!」

「おねがいですから!」

「うるせぇ!いいから帰れ!」


「大きなおとなが、こんな小さな子にらんぼうするなんて、どうかしてると思うわ!」


 いつの間にかアニーは子供達の前立ち、男に向かい厳しい視線と言葉を投げつけていた。


「い、いや!お嬢ちゃん!俺は乱暴はしてないぞ?!」

「それでも!小さな子供に向ける言葉づかいや、たいどではないと思うわ!」

「も、元から俺はこんなんなんだよ!」


 建屋から出て来た男が、突然現れたアニーの苛烈さに、思わず言葉に詰まる。



「どうしたアニー?!なにやってんだよ?トビー」


 建屋から出て来たアーヴィンは、荒ぶる幼女に目を見開くのと同時に、その幼女に怯む厳つい顔の男に、呆れた視線を向けていた。

――――――――――――――――――――


ここでストック切れに御座います。


大変申し訳ございません、これより不定期のカメ更新となりますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いに御座います。


お話はまだまだ続きますので、何卒よろしくお願いいたします。


次回、タイトルだけは決まっている

「アニーにおまかせ!」

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