32話赤い記憶

 私の思い出には、いつも赤い色があった。


 七つのお祝いに、母様から頂いた小さな赤い石のペンダント。

 母様は「これがあなたを守ってくれるのよ」と言いながら、優しく微笑んでそれを首にかけてくれた。

 色んな事をその時に言われた様な気がしたが、今ではもう殆ど覚えていない。

 意匠も飾り立てられた物ではなく、中央に据えられた赤い石も決して大きくは無いのだけれど、その赤の色がとてもとても綺麗で、私はその石に夢中になった。

 きっと私はこの時に、赤と言う色が好きになったのだ。




 屋敷にあった真っ赤な薔薇園。

 薔薇のアーチが赤く色付く時分に、いつもお屋敷に遊び来ていた仲の良かったお友達。

 お屋敷の庭で二人で蜻蛉を追いかけたり、時間を忘れて編んだ花輪を、お互いの頭に乗せ合っていた。

 よく転びそうになる危なっかしい子だったから、いつも手を繋いでいた。楽しそうな笑顔が眩しい子で、ずっと一緒だと思っていた。

 永遠の友達の誓いを立てるのだと、薔薇の中で手を繋ぎ合ったのは七つか八つの頃だったと思う。

 真っ赤な薔薇を背に、綺麗なブロンドを揺らして微笑むあの子の笑顔は、今でも目をつむれば瞼に浮かんでくる。




 いつも真っ赤なマントを纏ってやって来ていた、大好きな叔父様。

 世界中を回っているという叔父様は、何年かに一度、里帰りだと言って屋敷にやって来ていた。

 色々な国のお話を、叔父様の大きなお膝の上で聞くのが大好きだった。

 身体が資本だからと、いつも鍛えていて、身体一つで魔獣とも戦うのだと言う話を、驚き一杯で、大変興奮しながら聞いていたのを思い出す。

 叔父様のそのお話に憧れて、戦い方を教えて欲しいとしがみ付いて、大変に泣き喚き、叔父様は勿論、お父様やお母様も大いに困らせた事があったのを覚えている。

 何とかお父様お母様の許しを得て、叔父様から型を教えてもらい、簡単な手合わせをして貰った後、『お前は筋が良い』と言って、大きな武骨な掌で、頭を撫でてくれた事が、とてもたまらなく嬉しかった。

 次に来る時まで教えた事を続けていたら、もっと強くなる修行をしてやると言い残し、叔父様はまた旅に出た。

 一年後再び来られた時に、一日も欠かさず続けた成果をお見せすると、目を見開き『お前は本当に筋が良い』と仰って、それは嬉しそうに頭を撫でてくれた。

 それから叔父様は来る度に、真剣に修行を見てくれるようになった。私が八歳の時の話だ。

 その叔父様も、もう五年以上お姿を見ていない。

 



 家族5人で見た夏の夕焼け。

 私を挟んで右手に弟、左手には妹と手を繋ぎ、弟は母様と、妹は父様と繋いで五人で並んで見た夕焼け。

 山々もお屋敷も真っ赤に染まっていて、まるで世界全てが燃えている様だった。

 弟と妹は、互いの顔が真っ赤な色になっている事に興奮して、私達の手を振り解き、ベランダの端までかけて行くと、赤く染まった山々とお互いの顔を見比べて大はしゃぎをしていた。

 私は弟達がベランダから落ちないか心配だったので、二人と一緒にベランダの手摺りの側に身を置いていた。

 そのまま後ろを見れば、父様と母様が静かに微笑んでいる姿が目に映った。

 とても静かに寄り添って、私達を見ていてくれた二人。それが何故か、とても安らかで、とても幸せを感じた事を覚えている。

 そしてそれが、家族が揃って見た最後の夕焼けだった。




 3年前のあの日。

 崩れた岩を掘り起こすため、遅い時間になっても幾つもの大量の篝火が焚かれ、屋敷から見た山が赤々と明かりで照らし出され、まるで山火事にもなって燃えているかの様だった。夕日とは違うその赤い光景を、幼い弟と妹二人を抱えながら、物も言わずいつまでも眺めていた。



 そして、寮に着いたあの時。

 夢の中を彷徨った様なひと時を、過ごしたその後。

 

 寮監様が開いた扉の向こうには、ルビーの様に輝く髪を持つ女の子が待っていた。

 まるで、そこにだけ照明が当たっている様だった。

 宝石の様な煌めきを振り撒いて、周りが照らし出されて行く。

 私の薄暗く色彩を欠いていた世界が、彩りを取り戻して行く様だった。

 彼女の、ルビーのように輝く赤い髪は眩しくて、しばらく目を離す事が出来なかった。

 そして彼女は優し気に微笑みながら、私を迎えてくれたのだ。

 周りに振り撒かれた綺麗な赤い光は、私にも暖かみを感じさせてくれる。

 彼女の淹れてくれたお茶も暖かく、私のずっと深い所まで、ゆっくりと暖めてくれた様だった。

 胸の内で何かが解ける様に、彼女の傍で私は安心感を覚えていたのだ。

 お茶を飲んで幾らもせずに、ウトウトと、心地よい眠気を覚えていた。

 彼女……スージィ・クラウド様と名乗ったその方は、私をベッドへ導いて、優しくお布団をかけてくれた。

 ああ、何時ぶりだろうか、あんなに心穏やかにベッドに入れたのは。

 何年ぶりだっただろうか、あんな穏やかに眠りに落ちたのは。


 まるで何かが解けたように、その日から私はまた、当たり前に笑う事が出来る様になっていた。



    ◇



 ムナノトスの経営が厳しくなって行く中、経営の再起を図っての鉱山の再開発は、父様の肝入りだったと聞いていた。

 鉱山が無事稼働し始めて、それを父様と母様が視察に行った時に起きた落盤事故だったのだ。


 鉱山事故で、ムナノトスの経営が本格的に立ち行かなくなってしまう直前で、手を差し伸べてくれたのがグルースミルのローレンスおじ様だった。

 おじ様は、父様に鉱山経営の資金援助をして頂いていた事もあり、事故の後、我が家の保証人となり、後ろ立てとなって下さったのだ。

 おじ様が居なかったら、今頃どうなっていたか分からない。弟妹二人と今も会う事が出来るのは、おじ様のお陰だと思っている。


 レイリーは少し乱暴だけど、おじ様は優しく言葉をかけてくれる。

 それは、跡取りである長男のヴァンお兄様も同じだ。

「レイリーが迷惑をかけている様だねカレン。アイツも根は悪い人間では無いと思うのだが、私達が甘やかし過ぎたのだろうね……。きつく言っておくから、今暫く時間を見て貰えないだろうか?」

 そんな風にヴァンお兄様は言ってくれた。

 グルースミルの学校へ通っていた頃は、レイリーのキツイ当りに何度も大変な思いをしていた。でも私の辛抱が限界を迎えそうになると、ヴァンお兄様はいつも現れて、優しい口調で私を諭して慰めてくれた。

 幸い今はスージィさんのおかげで、レイリー達とは距離が保たれている状態だ。

 流石にもうミリアで学ぶ身なのだから、子供の様な我儘をぶつけて来ることも、これからは無くなっていくのだろう。

 ヴァンお兄様が仰るような、『時間を見て』と言うのは、そう言う事なのだと思う。





     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「3番、5番テーブルの片付け終わりましたー」

「一番テーブルにお水とご注文を伺って。6番にはこっちのオレンジシフォンとアールグレイを!ホワイトモンブランと三段ハ二―パンケーキは7番テーブルだから間違えない様にね!!」

「「「はい!!」」」


 私達に指示を飛ばしているのは、このお店の女給をまとめるアルマ・マルマさん。

 お店が開店した時からいらっしゃる、超ベテランの方だそうだ。

 二十歳前後の見た目はなのだけれど、エルフの方なので実年齢は違うそうだ。

 皆の『頼れるお姉さん』と言ったところだ。


 このお店には女給さんは全部で20人以上いるらしい。

 ウチの学園からも、私やスージィさん達を含めると10人以上も所属しているそうだ。

 今日はスージィさん達は、ご自分の所の領事館へ行かなくてはいけないと云う事でお休みをしている。

 クゥ・メルルさんと、セルキー・マウさんもいらっしゃらないので、一回生は私1人だ。


「カレンちゃんも、もう随分慣れたみたいね」

「うん、危うげさも大分無くなって来た」


 ホールで駆け回る合間の、息を付けるひと時で、そう声をかけて来たのは、二回生のエリス・シャード先輩。紫色の髪が印象的な、スタイルも良いとても綺麗な方だ。

 そしてもうお1人、同じく二回生のアルファ・ムーンベス先輩は、身長はあたしより低く小柄だけど、とてもキビキビと動かれる頼れる先輩だ。


「カレンちゃんは、よく細かいトコロに気が付いてくれるから助かってるよ」

「あ、ありがとうございます。少しでもお役に立てているなら……」

「いえ、ホントよ?ちょっと気付かないカーテンの汚れや、ズレた玄関マットを直ぐ直してくれたり。お客さんが声をかけて来そうなのも直ぐわかるでしょ?」

「……え、そ、そうですね……。お客様の動きは気にはしてますので……」

「そういう所!そういう所なのよアルファちゃん!」

「あー、はーいはい。アタシ、目の前の作業をいかに効率よく終わらせ、次に繋げるかに命かけてますから!」

「だから!アルマさんは落ち着いて仕事をしなさい、と言っているのよ?アルファ」

「アタシは止まると死ぬ女」

「サメか!」

「いや、アタシはよくマグロと言われ……」

「やっ止めなさいぃっっ!!!あなた後輩に何聞かせる気?!ごめんなさいねカレン。狂人の戯言は聞かなくて良いから、今のは忘れてね?」

「は?……は、はい」


 何故か真っ赤になるエリス先輩に、アルファ先輩は「冗談なのに……」と明後日の方を向きながら呟いていた。

 今のがどういう冗談なのか、私にはちょっと分からなかったので、曖昧に頷くしかなかった。





「カレンちゃんのそのアンクレット、可愛いくて綺麗よね。その赤い石も、とってもあなたに似合ってる」

「あ、ありがとうございます」

「綺麗な石よね。ルビーかしら?」

「い、いえ、これは魔装具なので、宝石では無いです……」


 今日の仕事も終わり、ロッカー室で着替えをしている時に、私の足首に付けているアンクレットをアルマさんに褒められた。

 普段から身に付けてはいるけれど、学校ではいつもハーフブーツなので外目には見えない。

 でもお店の制服はローファーなので、足首が見えているからこのアンクレットも外に出ている。

 アルマさんは、前から気が付いていて、この石の事を聞きたかったのだそうだ。


「へぇ、じゃ魔力石?小ぶりのカルバストーンかしらね?」

「よ、よく分かりませんが。支援魔法の効果があると伺っています」

「ふむふむ成程、石が赤いから火属性かな?」

「って事は、使えるのはライフフォースかバイタルってトコかしらね?」

「ふふーん、二人とも流石ミリアの生徒さんよねぇ」


 石の事に気が付いたエリス先輩とアルファ先輩が、その正体や効果を推察していく。

 アルマさんは、そんな先輩お二人を見て、感心した様に頷いていた。



「明日は直接お店に来るんだね?」

「はい、今夜は外泊許可を頂いていますので……」

「気を付けてお向かいなさい、弟さん妹さんによろしくね。お土産はちゃんと持った?」

「はい、ココに。それでは失礼いたします」


 先輩お二人に見送られ、『大きな前庭ビックフロントヤード』を後にした。

 そして直ぐ、スージィさんからお借りしているローブのフードを、顔を隠す様に深く被る。

 このローブには、弱いけれど認識疎外の効果があるのだそうだ。


 確か、「森に入る時、まだ狩りに慣れていない後輩の子に使わせていた」と言っていた。

 これを装備させておけば、浅い場所の相手位なら、認識されずに済むのだそうだ。

 『浅い場所』と言うのがどういう所か分らなかったけど、森の危険な獣に見つからないで済むという事で良いらしい。

 だから街中でも、これを装備していれば、変な人に絡まれる事は無いだろう、とスージィさんは言っていた。


 そして、アンクレットに魔力を通して人混みの中を駆け抜ける。

 この魔装具は、自身の身体能力を底上げしてくれ。多分、反射神経も良くなっていて、身体もとても軽くなる。

 ここに風に乗る魔法を使えば、信じられない速さで人の間を走り抜けられるのだ。


 トンっと石畳を蹴れば、風に舞う様に建物の屋根まで届いてしまう。

 やっぱりすごい!まるで身体に重さを感じない!

 軽々と屋根の上を走り抜け、薄闇に包まれ始めた街の中を、飛ぶ様に目的地に向かって走って行ける。


 こんな風に走っていると、毎日グルースミルの学校まで通っていた頃を思い出す。

 学校までは、20キロ程の登り下りの激しい山道だったけど、『エア・ウォーク』を使って走ると風を纏って気持ち良く走れた。

 向かう先でどんな事があるとしても、走っている時だけは風と遊んでいるみたいで、全てを忘れられる時間だった。


 私はどちらかと言えば、身体を動かすのが好きな方だった。

 だけど、折角属性を二つも持つ程魔法適性が高いのだから、魔法を使う道を進むべきだ。とローレンスおじ様に勧められたのだから、魔法学科へ進むという今の選択も間違いではないのだろう。




 そして直ぐに、目指す場所が見えて来る。それは青紫色をした、少しだけ高い尖った屋根だ。

 こんなに早く付いてしまうのだから、このアンクレットは有難い。普通に歩いて来れば20分はかかるだろう道を、大きくショートカットしての到着なのだ。

 貸していただいた方には感謝しきれない。

 いつかお返しする時に再会した時は、精一杯のお礼をお伝えしよう。


 お店を出てから5分ほどで、ダンとナンのいる施設の玄関の戸を叩く事が出来た。

 此処は、『パープルハウス』という名の民間の児童養護施設だ。二人は今ここでお世話になっている。

 コンコンと控えめな金属音を響かせ、ノッカーが来客の到来を、然程厚くはない扉の向こう居る者に伝える。

 そして直ぐに、パタパタと室内を走る音が聞こえて来た。


「「姉さま!」」

「お待たせ、ダン、ナン」


 ダンとナンの二人の声が、私の事をユニゾンで叫ぶと同時に飛びついて来た。

 ダンは男の子、ナンは女の子、二人は今年6歳の二卵性双生児。私の双子の弟妹ていまいなのだ。


 父様と母様が落盤事故で亡くなられて、もう直ぐ3年になる。当時3歳だった二人も、もうこんなに大きく元気に育っている。

 今は、この二人と居る事が唯一の私の喜びだ。

 今夜は外泊許可が下りたので、二人と一緒に寝て上げる事が出来る。

 久しぶりの私のお泊りに、二人とも大はしゃぎしている。

 ほら、他の子達が驚いた顔で見ているよ?二人とも少し落ち着こうね。


 今夜はスージィさん達も、領事館にお泊りをするという話で、明日の朝合流して一緒にお店に出勤しようという話になっていた。

 私に双子の弟妹がいると話しをしてから、スージィさんからは二人を紹介して欲しいとズッと言われていて、今回のお泊りの話が決まった時に「それなら明日の朝迎えに行くから、その時に会わせて!」と嬉しそうに言って来た。

 折角明日の朝、二人をスージィさんに会わせるのだから、今夜はしゃぎすぎて明日寝坊などしない様にさせないと。



 二人を諫めていると、奥から初老の男女が顔を出して来た。

 この施設をご夫婦で切り盛りされている、旦那様のボラスさんと、奥様のバニラさんだ。

 ボラスさんはわたしを確認すると、人の良さそうな笑顔を向けて丁寧に挨拶をしてくれた。


「あ、ボラスさん、バニラさん。いつも二人がお世話になり、ありがとうございます!少ないのですが、これで皆に何か買ってあげて下さい」

「これはこれは、何時もお気遣いありがとうございますマーリン様。お二人ともとても賢くて、私共も、いつも助かっておるのですよ」

「そうですか、ご迷惑をかけていないのであれば……、あ、コチラはお店から頂いたケーキです。皆に食べて貰おうと持ってきました」

「あらあら、それはありがとうございます。皆さん、ダン君とナンちゃんのお姉さまに、お礼を言いましょうね。ささ、お皿をみんなで準備しないと」


 私は、組合で稼いだお金をボラスさんに手渡した。

 こういった施設は支援金や募金で成り立っていると聞いているので、少しでも力になれればと思い、お仕事で頂いたお金はいつもお二人にお渡ししている。

 スージィさんに、組合に一緒に連れて行って貰えた事は、本当に感謝している。おかげでこんなに早く、施設の力になる事が出来る様になったのだから。

 ダンとナン以外の皆も、元気に返事をしてお皿の準備を始めていた。ふふ、慌ててお皿を割らない様に気を付けようね?



 その時、玄関のドアが叩かれる音が、建屋全体に響き渡った。

 こんな時間なのに随分と乱雑な叩き方だ。


「……あ、ああ、町内連絡だと思いますよ。きっとご近所のロドリゴさんでしょう。あの方は酔われると、少し力加減が曖昧になられるので……」


 ボラスさんは大丈夫ですよと言いながら、困ったように笑って玄関へと向かって行った。

 幾ら連絡の為とはいえ、こんな時間にお酒を飲んで子供のいる施設に来るって言うのは、余り常識的な行動では無いと思うのだけど……。

 やっぱり酔っ払いって好きじゃない。


「姉さま?」

「どうしたの?姉さま?」

「何でもないよ、ダン、ナン。さあシフォンケーキを切って上げるね。テーブルの真ん中を開けて、皆に見える様に切りましょう!」

「「うん!」」


 もう今日は、余計な事を考えるのは止めにしよう。

 この限られた時、もっともっとダンとナンとの三人の時間を大切にしたいから。


――――――――――――――――――――

次回「闘い終わって」

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