23話蒼い微睡

 それは少女にとって、夢でも見ている様に曖昧で、とても不思議な時間だった。

 少女達の乗る馬車も、それを引く馬も、夜の様に黒く大きく、陽の当たらなくなった森の中を通る街道を、影の様に音も無く走っていた。


 車内も広く、黒檀で出来た内装に、深い海の様なブル―ベルベットの生地で設えられたソファーが、その中で大きく存在感を示していた。

 その大きなソファーに女が一人、長い脚を延ばし、気怠げな姿でその身体を預けている。

 その女が身を包む衣装は、この国では余り見慣れぬ物だ。


 身に付けている生地は、全体的に青藍で、ブルーのソファーに座っていると、その女が居る場所だけ、深い海の底にでも繋がってでもいるかの様だ。

 女の身に付けているスカートは、幾重にもドレープを重ねており、多くの装飾が施されている。それは万華鏡でも回し見る様に、脚が動く度、多様な模様が現れては消えて行く。

 見ていると、まるで何枚も重ねられた舞台上のブルーの緞帳の隙間から、脚が、腕が、身体が、顔が覗き出している様な、不思議な錯覚まで覚えてしまう。


 女の衣装は胸の下から下腹迄、自分の褐色の肌を惜し気もなく見せる様に開いている。

 本来であれば、胸元を隠す筈の生地も、大きく開き、その女のたおやかな谷間を惜し気もなく見せ付けていた。

 女の向かい側に座っている少女とって、女のその装いは、同性として目のやり場に困る物だった。

 自分の両脇に座る幼い双子の弟と妹にとっても、この衣装は少しばかり刺激が強すぎると思い、二人を抱える様に手を伸ばしたが、既に幼い二人は少女にもたれ掛かり、静かに寝息を立てていた。


「無理もないわ、随分疲れていたのでしょうに」

「……は、はい、おかげさまで助かりました」

「いいのよ、これも何かのご縁でしょうから。困った時はお互い様でしょ」

 

 その女の声は涼やかで心地良く、少女は不思議と落ち着くのを感じていた。

 女はエメラルド色の目を優し気に細め、その綺麗な音色の声で、少女に優しく話しかけて行く。


 ◇ ◇


 今より少し前の事、少女達の乗っていた馬車が、暗い森の街道を走っていた時、突然魔獣に襲われたのだ。

 目を赤く光らせた毛足の黒い、大きな山犬の魔獣だ。

 御者とその助手は護衛も兼ねていだが、5頭以上の群れに二人とも成す術も無く、馬車を引き摺り下ろされ、手傷を負い、同時に馬も失ってしまった。

 あわや命を刈り取られようとした丁度その時、この女の馬車が通りかかり、その従者が魔獣達を撃退したのだ。


 その後、女とその従者達は、馬の居なくなった少女達の馬車を、そのまま近くの村へと牽引までしてくれた。

 だが、新しい馬の調達は直ぐには出来ないと、乗客達はその村で足止めされる事になった。


 しかし、少女にとってこの事態は深刻な物だった。

 ただでさえ遅れていた旅程だったが、これで確実に明日予定されている入学式には間に合わない。


 そんな少女の焦りを見抜いたのか、女は少女を目的の街まで送り届けようと申し出た。

 少女にとっては有難い申し出なのだが、他の乗客を置いて、自分だけ世話になる訳には行かない。ましてや初対面の相手にそこまで迷惑はかけられないと、その申し出を断ろうとしていた。

 だが、馬車を同じくしていた老夫婦と、商人をしているという壮年の男の3人は、魔獣の襲撃で精神的にも疲れ、体調も良くは無いのでこの村で一泊したい。

 我々は、新しい馬が届いてからゆっくり先に進むので、少女は送って貰いなさい。と、その背中を押してくれた。

 更に女にも「そんな小さな子達を、いつ迄も放っておく事など出来はしないわ」と言われ、なし崩し的に馬車に乗せられ、今に至っている。


◇ ◇


「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。あたしはルアル。色んな国を巡って、商売をさせて貰っている者よ」

「……あ、わ、私はカレン・マーリンと言います。こ、この二人は弟のダンと妹のナン。改めて、ありがとうございます」


 女の着る衣装に気を取られていた少女は、慌てて女の自己紹介に応え、感謝の言葉を述べた。


「フフ、この国では余り見ないドレスでしょ?こういった変わった品も随分扱っているのよ」


 少女の好奇心に溢れた視線に気が付き、ルアルと名乗った女は赤い唇の端を上げ、楽し気にスカートの裾を摘まみ上げながら、自分の纏う衣装の説明をしてく。

 一方少女は、自分の視線が不躾だったと思い至り、恥ずかしそうに頬を赤らめながら視線を落としてしまった。


「ぁ、あの、す、すいません……」

「フフフ、いいのよ、気にしてないわ。寧ろ、これに興味を持ってくれた事が嬉しいわ」

「そ、そうなのですか?」

「ええ、そうよ?自分の気に入った物を、他の人も気に入ってくれるのは嬉しい事ではなくって?アナタにも、そんな経験は無いかしら?」

「そ、そんな事は……いえ、そういえば、そんな事もあったかも……あったかも、しれません……」

「そう?それはお友達?同じ物が好きになってくれるお友達だなんて、素敵よね」

「お、お友達だなんて……も、もう、そんな子は…………」

「あら?そのお友達はもういないの?」

「…………」

「失ってから気付くものよね、大切なモノって」

「…………」

「それなら今度は大事になさい」

「……え?」

「今度、お友達が出来たなら、無くさない様、大切にすればいいのよ?」

「そ、そんな……私にまた、友達なんて……」

「出来るわよ、アナタはこんなに魅力的なんだもの」

「そ、そんな事……私なんて、そんな……」

「フフフ、アナタは魅力的よ?とっても可愛いわ」

「そんな事……言われた事も……ありません……」

「フフ、それは周りがアナタに嫉妬していたからよ。きっと今までそんな環境に居たのね……可哀そうに」

「……ぁ、あ、……い、いえ、そんな事は……」

「でも大丈夫、アナタは愛される。きっと素敵な友達が出来るわ」

「わ、私に?!……い、いえ、私は……」

「それに……いつか、無くしたモノだって戻って来るかもしれない」

「……無くした、モノ……」

「だからアナタは、自分の大切な物を守って行けばいいのよ。その小さな二人を抱いている様にね」

「守る……?私が?」

「そうよ、自分にとって大切な物は、自分で守らないと。シッカリ胸に抱いて、二度と無くさない様に今度こそ離しては駄目よ」

「私の……、大切な物……」

「アナタの大切なモノは、一体何なのかしらね?」


 目を細めたルアルが腕を伸ばし、少女の胸元にかかる小さなペンダントに、その細い指先をかけた。


「小さいけど可愛い石よね。これも、大切な物ではなくて?」

「こ、これは昔、母様からお誕生日に頂いた、大事なペンダントです!とても大切な物です!」


 少女は慌てて、ルアルが指先をかけたペンダントを両手で庇い、身体を後ろへ引いた。


「フフ、大丈夫よ取ったりしないから。ゴメンなさいね、驚かせてしまったかしら?」

「い、いえ……コチラこそ、すいません」

「でも、今もちゃんと大切な物があるじゃない?とても綺麗な色の石ね」

「は、はい……、赤は好きな色ですし……」

「……赤は、素敵な色よ。深く、暖かく……そして、とても甘美な色」

「?……は、はい」

「それは、人目につかない様に、しっかりと胸元の奥に仕舞っておきなさい。アナタの心臓の上で、アナタの命の鼓動を確かに伝える様に……」

「……心臓の上で」


 胸の上で赤い宝石を守る様に合わせる少女のその両手の上に、女はそっと自らの右手を重ね、そう言い聞かせる様に、静かに囁いた。


「これはアナタの命の証。大切な人と同じ重さのアナタの心。これを失う事は、大切な人をまた失う事になる。大切な人がアナタの元から消えてしまえば、このアナタの心も消えてしまうかもしれない……」

「そ、そんな……、そんなの……い、嫌です……」

「そ?それなら、貴女の大好きな物。大切な人を決して離さない様に守らないと。もっと手を当てて感じなさい、アナタの鼓動を、アナタの命を」

「……私の、命?」


 ルアルの声は心地良く、そのエメラルドの瞳は闇夜に揺れる灯りの様で、少女はルアルから目を離す事が出来なくなっていた。

 一瞬、ルアルのエメラルドの瞳に、金色の煌めきが帯びた気がしたが、少女にはそれを気に留める事も無かった。


 ただ、ルアルの言葉に耳を傾け、その声の音色に、その優しい言葉に身を任せ、曖昧な答えを繰り返している時間が、少女にはとても心地良い物に思えていた。

 まるで夢の中にでもいる様で、現実感が薄く、ふわふわとした不思議な浮遊感のような物まで感じていたのだ。


 その、夢でも見ている様な時はどのくらい続いていたのだろうか。

 まるで、霧の中でも進んでいる様な、あやふやな感覚のまま、いつの間にか幼い弟妹、ダンとナンを預ける施設まで到着していた。


 いつ、デケンベルの街に辿り着いていたのかすら、少女は覚えていない。

 ルアルは、寝ている幼な子を起すのは可哀想だからと、従者に二人を抱えさせ施設の中へと連れて行った。

 目を覚まさぬ二人の頭を愛おし気に撫でながら、双子の事ををよろしくお願いしますと、此処を切り盛りしている老夫婦に頼み、少女は施設を後にした。

 

「大切なものは、守らないとね」


 馬車に戻ると、ルアルは一言がそう言葉をかける。

 少女は、零れ落ちそうな涙を堪えながら、その言葉に小さく頷いた。



「そうだ、アナタに一つプレゼントさせてくださらない?」

「……は、はい?」


 ルアルの突然の提案に、少女は戸惑いを隠せずに顔を上げた。

 その手持った物が、シンプルな造りの薄い箱とはいえ、それが宝石類を入れるジュエリーケースの類だと気が付いたからだ。


「ふふ、贈り物よ。今日の記念にあなたにプレゼントを上げたいの」

「そ、そんな。会ったばかりの方に……」

「時間は関係ないわ。あたしがアナタに贈り物をしたいだけなんだから。ホラこれよ、受け取って」


 ルアルがケースを開けると、青いサテンの輝きに包まれ、小さな赤い石が細い鎖に繋がって、箱の中心に収まっていた。

 明らかに自分などには相応しくない高級な品だと、少女は目を瞠る。


「え?こ、こんな綺麗な物?こんな宝石……」

「これは宝石では無いわよ?魔法石の一つね」

「ま、魔法石……ですか?」

「このアンクレットには、身体強化の魔法がエンチャントしてあるの。きっと気に入ってくれるわ。それに、これの加護で身体も軽くなって、いく分速く走れるようにもなるわ。アナタ走るのが好きだと言っていたでしょ?きっと気に入ると思うわよ」


 宝石では無いというルアルの言葉に、少女の気持ちが僅かに緩む。

 それを見定めたルアルが、少女の脚を取り、そのか細い脚を手に取って静かに持ち上げた。


「左足に付けて上げる、脚を少し上げてごらんなさい……」


 まるで壊れ物でも扱う様に、少女の足首に細い金の鎖のアンクレットを、その細い指先で丁寧に飾り付けた。


「うん、ホラ綺麗。やっぱり赤い色はアナタに似合うわ」

「そ、そうでしょうか……?」


「私は魔装具も製作しているの。これは試作品の一つね。危険はないわよ?少しでも違和感を感じたら、外してくれて構わないわ。お貸しするから使ってみて、その使い心地を今度会った時に教えて欲しいの」

「……お借りする」

「そうよ。だから、今度会った時に返してくれれば良いのよ」




 気付けば少女は馬車から降り、石造りの二本の門柱で作られた大きな門の前に佇んでいた。

 門の扉は既に閉ざされていたが、ルアルの従者が門番に何かを伝えると、守衛の一人がその奥へと走って行くのが少女の目の端には映っていた。

 ルアルも馬車を降り少女の前に立ち、別れを惜しむ様にその頬に手を添え、優し気に目を細めながら少女の小柄な体を見下ろしている。


「またお会いしましょうカレン。再び会う時を楽しみにしているわ。本当に、本当に楽しみにしていますよ」


 少女の頬を名残惜し気に撫で、ルアルは深紅の薄い唇の両端を上げながらそう口にした。そして馬車の奥の影の中へ、その身を沈める様にして姿が見えなくなった。

 ルアルを飲み込んだ黒い馬車も、まるで霧の中へ溶け込むように、そのまま音も無く居なくなってしまった。




 少女は、いつ学校のその門をくぐっていたのか覚えていない。

 気付いた時には、寮監と名乗る女性の後ろを歩いていた。

 微睡の様な、夢うつつの様な、あやふやな時間は過ぎ去っていた。


 少女は寮監に連れられ、既に暗くなった廊下を進んでいく。廊下に並ぶ仄かなランプの灯りが、少女の足元を照らして行く。

 その灯りを一つずつ越える度に、夢から覚め、現実に戻って来るような不思議な感覚を、少女は感じていた。


 感覚が現実感を取り戻すにつれ、少女の胸の中に不安がジワリと湧き上がって来る。

 初めて迎える生活、初めて共に生活をする人達、この先に訪れる日々を考えると、身体の芯に氷でも差し込まれた様な心持ちを覚えて来るのだ。


 仄かな灯りだけの暗い廊下を、寮監の真っ直ぐな背中を追っていると、思っていた以上に疲れていたのか、手に持った鞄の重さが、ジワジワと手に食い込んでくる。

 その背中が一つの扉の前で立ち止まった時、胸の中にある石がどんどん重く大きくなって、それに今にも押し潰される様な思いだった。


 寮監がドアをノックして、そのままノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。

 暗かった廊下に、室内から優しい明かりが零れだして来た。

 そして開かれた扉の向こうに、紅玉の光を振り撒く彼女が居た。


 少女は、そこで初めて彼女と出会ったのだ。


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次回「博士達の呼び出し」

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