幕間6 グリーン屋敷の主

「さあ、此処に来て、私にその顔をよぉーく見せておくれ」


 その方は、部屋の中央で、ゆったりとした大きな車椅子に腰を下ろしたまま、そう仰りながら手を伸ばし、わたしを招き寄せた。

 わたしは、部屋の入り口で立たれているハワードパパとソニアママにそっと背中を押され、部屋の中央まで足を進め、そこで丁寧に自己紹介をさせて頂いた。


「そんな堅苦しい挨拶などいらないよ。私がどれだけお前を待ちわびていたか分かるかい?さあさ、もっと近くへおいで」


 わたしがご挨拶を終わらせるより早く、その老婦人はそう言って手を伸ばし、わたしの手を握りしめた。


「見えて・・・いらっしゃるの、です、か?」

「見えちゃいないよ?でもね、おかげで目に見える以外の物が、ずっとずっと深く良く解かる様になっただけさね。さあさ、お前の事をもっと良くお教えておくれ?」


 そこは、数多くの落ち着きのある調度品が置かれていた大きなお部屋だった。

 4階建ての大きなお屋敷の、最上階でその中心に位置するその部屋には、大きな窓から外の景観が一つの絵画の様に広がっていた。

 それは、彼方まで伸びる蒼い水平線と、眼下に広がるニューノックスポートの綺麗な街並みだ。


 その景観を背に、部屋の主として大きな車椅子に座られている品の良い老婦人は、唯優しく微笑まれている。


 その瞳は白く濁り、ずいぶん昔に光を失ったとお聞きしていた。

 しかし、わたしの手を握るその掌はとても暖かく力強い。齢80を超えると伺っていたが、そこにほ衰えなど、微塵も感じさせなかった。


「座ったままで許しておくれよ?昔から足が弱くてね、最近では満足に立つ事も出来やしない……。この娘には、こんな禄でもない所ばかり似せてしまってね、本当に済まないと思っているんだよ」 

「そんな、お母様……!」


 ソニアママがご婦人のお言葉に、そんな事は無いと首を振っておられる。

 そう、この老婦人のお名前はエリザベス・グリーンさん。

 ソニアママのお母様だ。


 此処は、海の見える高台にある、『グリーン屋敷』と呼ばれる旧オセアノス領の嘗ての領主邸。


 ニューノックスポートのあるオセアノス群こと旧オセアノス領は、民主化以前の封建社会だった頃、アムカム領のお隣の領地だった場所だ。

 一部がイロシオと接しているこの土地は、アムカムとの繋がりも深く、港をまとめ上げるオセアノス領は、昔からこの国の海の玄関口だったのだそうだ。


 屋敷の佇まいは、古い石積み様式で、時代と共に重ねて来た重厚さを感じさせる物だ。深緑色の急勾配のスレイト屋根は、落ち着きのある暖かみを帯びている。

 その姿は、ニューノックスポートの街並みを上方から静かに見守っている様で、地元の人々に親しまれている由縁を感じさせた。


 この日、わたしはソニアママ、ハワードパパに連れられて、この方……エリザベスおばあ様にご挨拶をする為に、此処ニューノックスポートのグリーン屋敷を訪れたのだ。



     ◇



「……お前は、懐かしい匂いを運んでおいでだねぇ。ウン、……ヨシヨシ、良い子だ」


 エリザベスおばあ様は、伸ばした手でわたしを抱き寄せると、まるで小さな子をあやす様に、わたしの頭を優しく撫でていく。

 背に回すその腕(かいな)は、とても、とても優しかった。

 ソニアママのお母様にお会いすると言われ、朝からあった緊張が溶ける様に消えていった。

 いつの間にか、沈み込む様に身体をおばあ様に預け切っている自分がそこには居た。


「うん、そうだよ、それで良いんだ。まだ幼いお前は、そうやって周りの大人に身を寄せて良いんだよ?」


 おばあ様の身体に顔を埋めていると、木漏れ日が溢れる深緑の中に居て、遠くから潮の香りがする様な、不思議と懐かしさを感じる匂いがした。

 それは、いつか何処かで覚えのあるような……、わたしの知る空気と良く似ているような気がしてくる。

 そんな奇妙な既視感を感じているわたしの髪を、おばあ様はとても優しく優しく撫でてくれる。

 

 おばあ様の盲た目は、光を通していないかもしれないが、それは魂の奥底で揺蕩う水面を写し取るような、小さな細波さえ掬い上げるような、奥深い大きな包容力を持っている様に感じずにはいられなかった。

 優しく大きな掌で包まれるようで、それはとても心地が良い。

 まるで、迷子になっていた自分を見つけて貰えた様な安心感を覚え、何故か涙が溢れそうになる程に、只々嬉しくなった。


「そうか……、そうかい。私の孫が帰って来たんだねぇ……。そうかい、そうかい。……ソニア、ハワード。お前たちの考えは間違っちゃいない。この子は、間違い無いよ……」

「……あぁ!お母様!それでは?!」

「ああ、そうだ。……だがね、決して違(たが)えちゃいけないよ?この子はこの子だ。魂の理(ことわり)なんて物は、人の理解など及ばぬ所にある。自分の都合の良いようになんて、決して考えるんじゃないよ?何度も言うよ、この子は……、この子だ」

「はい、……はい!分かっております!」


 お二人は、何について話しているのだろうか?

 顔を上げ、問いた気に小首を傾げると、おばあ様はわたしの頬にその手を添えて、優しく言い聞かせる様にお言葉を下さった。


「お前は何も心配もする必要は無いんだ。いいかい?望み、求められ、お前は此処に在る。それは間違い様の無い事実で、それだけで此処に居て良い十分な理由なのさ。いいね?それを決して忘れないでおくれよ?」


 おばあ様のそのお言葉に、胸の奥がトクリと脈打つ。

 少し前、ソニアママに『此処に居て良い』『家族になろう』と言われて、縋り付いて泣いた時の事を思い出す。


 おばあ様は、その時のわたしの心の揺れすら、見通しておいでなのだろうか?

 そのお言葉は、あの時のソニアママの温もりが、どこまでも確かな物なのだと力強く肯定してくれている。


 そっと見上げれば、おばあ様は優しく微笑みを溢されていた。





「……さて、残る問題は……。アドラー、アドラー!そこへお出でかい?」

「はい母上、此方に居ります」

「昔、確か30年くらい前だったかね……?私の二つ下の弟、ヘミングの奴の末の倅(せがれ)が、東にある大陸のメリクルへ渡ったと思っていたが、違うかい?」

「ずいぶん昔の話ですが……、そんな事もあったと記憶しています」


 おばあ様は、それまでのお優しい雰囲気とは打って変わり、とても張りのあるお声を上げて、ソニアママの後ろに立つ男性に声をかけられた。

 そのアドラーさんと呼ばれた方は、エリザベスおばあ様の息子さん。つまりソニアママのお兄様で、現グリーン家の家長で、オセアノス郡の御頭首だ。

 ハワードパパとも旧知の中で、お会いするなり固く握手を交わして再会を喜んでおられた。

 そのお二人のお姿に、お互いが認め合い、確かな信頼で繋がれている事が良く分かる。

 そんな方に、容赦なく声をかけるお姿を拝見していると、おばあ様の此処でのお立場が伺い知れると云うものだ。


「そういえば何ヶ月か前、メリクルからの大型船がウチの港に到着する前に、海の藻屑になっていたね?」

「4ヶ月前の事ですね、前日の嵐の仕業です母上。不運にも長旅の途中で付いた大きな傷が、船に幾つもあったそうです」

「メロウ達が随分助けてくれたんだろ?」

「海に投げ出された者を随分拾い上げてくれましたが、多くの命は失われました。陸まで連れて来れたのはほんの一握り、全乗組員の僅か五分の一でした」

「残念な事だったねぇ……。水のアケルの祝福を……。それで、その中に、生き残りの中に、女の子はいなかったかい?」

「さて、どうでしょうか?確認させますか?」

「そうさね、一応確認はしてもらおうか」


 何だか、随分と大きな海難事故があった様だ。

 『メロウ』っていうのは確か水棲人種で、人魚とかの事だった筈!

 まだ見たことは無いけど、この街には、結構な数のメロウの方が住んでいらっしゃる、ってソニアママが仰ってた。

 機会があれば、是非お目にかかりたいと思っていたのだ!

 後で、ソニアママ、ハワードパパと街中を散策とか出来ないかな?


「……それで、だ。大陸で親を亡くした『この子』は、行き場を失い、親の故郷に向かおうとメリクル大陸から、このヴェネリス大陸へ向かう船に乗ったんだよ」


 うん?……なんか話が唐突に飛んだ?

 おばあ様の言う、『この子』って誰の事だ?


「船の事故で九死に一生を得たこの子は、自力でこの大陸まで辿り着いたは良いが、上陸したのはイロシオだ。可哀そうに、事故の衝撃で記憶も失い、人里を探して魔の森を彷徨う内に、漸くハワードに保護されたって訳さ」

「……なるほど。では、その様に」

「頼んだよアドラー。どうせ中央のボンクラ共には、ウチを通さなけりゃ海の先の事なんざ分かりゃしないし、知ろうともしないからね」


 わたしと向き合っている時の、優しく、穏やかな雰囲気とは全く違い、鋭いお声で次々と指示を飛ばすおばあ様は、まるで歴戦の政治屋の様だ。

 全てを見通すと言われ、『魂の眼ソウルアイズ』の二つ名を持つおばあ様は、嘗て『オセアノスの女帝』とも呼ばれていたそうだ。

 今のやり取りを拝見していると、やはり多くの政敵と渡り合ってきた、海千山千の強者なのだろうなと容易に想像できてしまう。

 最初、そんな方に会いに行くと言われ、すごく緊張していたのは無理の無い事だと思うのですよ!


 でも……、ちょっと待って?今話しているのって、ひょっとしてわたしの事なのか?あれ?

 いつの間にか、壮大なストーリーが組まれている気がするけど……ナニコレ?大丈夫なの?

 経歴詐称とかにならない……の?


「え、と?・・・え?あ、あの・・・え?」

「大丈夫だよ、お前は何にも心配おしでないよ。こう云う外面の話は大人が勝手にやる事だ。お前は安心して、ソニア達と一緒に暮らせば良いのさ」


 戸惑うわたしに、おばあ様は再び優し気な笑みを向けてくれた。


「さあさあ、面倒ごとはもう終わりだよ。後はお前の話をしておくれ?アムカムはどうだい?住み易いかい?友達は出来たのかい?」

「あ・・・は、はい・・・みんな、良い人達ばかり、です!友達も、います!」


 この日から直ぐ、わたしは正式にクラウド家の養女として籍を入れる事になった。

 それは5の蒼月の中旬。この地に訪れて初めての収穫祭を迎える、半月ほど前の出来事だった。


――――――――――――――――――――

これにて『幕間』は終了です。

次回から第三章スタートになります。


次回「夢見るままに待ちいたり」

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