幕間2 死者の渇望

 イロシオを出る時に使っていた馬を、そのまま殆ど休ませもせずに突き進ませた。

 アムカム村からコープタウンまではそう遠くない。いくら過酷なイロシオを早朝から駆け抜けたとはいえ、まだそう簡単には潰れない筈だ!


 アムカムで、フーリエ代表は既に村を出て、コープタウンへ向かったと聞いた。

 ならば一刻も早く合流しなくては!

 王都に戻り、この成果を以って自分の評価を上げて貰うのだ!

 こんな所に1秒足りとも居てたまるものか!


 だが、コナー・クラークがコープタウンに到着した時には、とうにフーリエはこの地を後にしていた事を知る。


 何と云う事だ!フーリエ代表は、私が成果を上げる事を待たれていたのでは無いのか?

 私がこうして命懸けで、国宝にも匹敵する宝を手に入れたと云うのに、あの方は一体何処へ行かれたと言うのか?!


 クラークが、フーリエの宿泊先だったホテルを出て、コープタウンの中央広場で憂い沈んでいた時、ちょうどソレが目に入った。

 恐らくは偶々だったのだろう。

 クラークは、大声でそこを通りかかった男を呼び止めた。


「オイ!お前!お前だ!!貴様フーリエ様の護衛の一人だな?!」

「げぇぇっ!」




 なんの気無しに目を向けたばかりに、つい目が合ってしまった。これでは言い逃れも難しい。


 ジュール・ナールは、その間の悪さに盛大に舌打ちをした。


 煤けた錆色のポンチョコートで身を包み、同じ色で鍔広のテンガロンハットを目深に被っていたのに、なんでコイツはオレに気が付くのか?!


「フーリエ様は!フーリエ様は何処だっ?!一体何処におられるのだ?!!」


 クラークが、ジュール・ナールに縋り付く様にして捲し立てた。


 なんだコイツ?あの雇い主を探しているのか?

 確か、コイツはイロシオに入った一人だったな……。

 戻って来たはイイが、雇い主が居なくて慌てているって所か?


 ……ふん、逆にツイているか?


「フーリエ様は、今マソムの街においでですよ?良かったら案内しましょうか?」

「な、マソムだと……?と、当然だ!早く私をフーリエ様の所へ連れて行け!!」

「お任せ下さい。私が責任を持ってフーリエ様の所までお届けしますよ」


 正直、ジュール・ナールはコープタウンへ来てからこっち、身動きが取れずに辟易していた。

 恐らくはアムカムからの追手だろう。

 つかず離れず距離を取り、ジュール・ナールを監視しているのだ。


 元がフーリエの私的護衛だ。身分証など無くともフーリエに付き従って都市間の移動をしていた。

 だが、護衛から逃げ出した身としては、その特権は最早使えない。

 正規の手続きを踏まずに町を出るそぶりを見せれば、その監視の距離が一気に詰められる。

 それがどうにか出来る相手であればいいが、迫る気配は自分一人で何とかなるとは思えぬ化け物の類だ。


 どうしたものかと思っていた所へ、コイツがやって来た。

 やはりツイている。思わず口元が緩んだ。


「とりあえず馬車を調達しましょう。駅馬車では時間がかかるので、チャーター便を頼むのが間違いありません。それなら2時間もあればマソムに着きますからね。一刻も早く合流されたいなら、チャーター便の一択ですよ」


 ジュール・ナールは、人の良さそうな笑顔を作り、クラークに語りかけた。

 少し割高ではありますがね とジュール・ナールは続ける。


「駅馬車は3時間に1本ですからね。今から丁度良い便があれば良いですが、下手をすれば到着は夜になってしまいます。その頃にはフーリエ様はマソムを出た後。と云う事も十分考えられます」


 クラークの顔に焦りの色が浮かぶ。

 一刻も早く、フーリエ様の元に辿り着かなくてはならないと言うのに、こんな所で足止めなど冗談では無い。


「き、貴様!な、何とかしろ!私を何としても一秒でも早く、フーリエ様の元へ連れて行くんだ!!」

「わかりました。では資金は成るべく多目にご用意ください。何分急なチャーターです。金に糸目を付けない事をお勧めしますよ」

「な、何?!わ、私に金を出させる気か?!!」

「生憎、自分は財布を預かれるような身分じゃないんでね。ご自身でご用意頂かないと、自分にゃどうしようもありませんので」


 そう言ってジュール・ナールは肩を竦めて見せた。


「……く、くそ!!」

「あ、ついでに申しあげておきますけどね……」

「何だ?!まだ何かあるのか?!」

「こっから先は、野盗も出没する荒れ地を抜けます。もしもの時は、そいつらに払える額も用意しておくのが宜しいですよ?」

「な?!き、貴様が護衛だろう?!それを何とかするのが貴様の仕事だろうが?!!」

「勿論護衛はしますよ?2~3人なら間違い無く片付けて差し上げますとも。ですがね、10人20人となりゃ話は別だ。騎士団に守られてりゃ手を出すバカ共など居やしないでしょうが、一台で荒地を抜けるチャーター便など、格好の得物ですよ?」


 クラークの顔から、明らかに色が抜けて落ちて行く。それを細めた眼で眺めながら、ジュール・ナールは話を続けた。


「ですがね、何でもかんでも命を奪う程、奴等もそこまでバカじゃない。そんな事繰り返しゃ、この辺のおっかない護民団に狙われちまいますからね。ですからね、お互いが損の無いように交渉を求めて来んですよ」


 命が奪われるまでの危険が無いと聞き、クラークは固まりつつあった表情を僅かに緩める。


「その辺の交渉は自分が引き受けますからご安心を。出くわさなきゃそれに越した事は無いんですけどね。まあ、保険ですよ。ご自身の命の値段だと思って下さいよ」

「くっ!くそ!くそ!!」


 悪態を付くクラークを眺めながら、ジュール・ナールは静かにほくそ笑む。



     ◇◇◇◇◇



 馬車は思いの外早く手配が付いた。

 これだけ順調ならば、午後の、そう遅くない時間にはマソムに到着するだろう。


 コープタウンから出る時も、何事も無く済んだ。

 クラークの役人証が、効果てき面だったのだ。

 案の定、護衛のジュール・ナールもフリーパスだ。

 街から出あぐねて、肝を冷やしていた事が嘘の様だ。

 コイツのおかげで実に助かった。


 ジュール・ナールはそれまであった緊張を解く様に、貸し切りの馬車の中で身体を思う存分伸ばしていた。


 それとは対照的にクラークは、ジュール・ナールを気にも留めず、自分の荷物を後生大事に抱え、目を血走らせながらブツブツと何事かを呟き続けている。

 クラークが抱える物は、2メートル弱の長物だ。

 薄汚れた布で乱雑に巻かれた、槍か杖の類にも見えた。

 外を覆う薄汚れた布は、巻き方が粗雑な為、その内側に在る物がチラホラと隙間から覗いていた。

 外側の薄汚い物と違い、その内に在る物は清浄な布地に覆われている様だ。

 そのくせ溢れる気配が実に禍々しい。

 ジュール・ナールはそのギャップが気に入らない。



 (なんでコイツは、そんなおっかねぇ物を大事そうに抱え込んでんだかね?

 そんなモン持ってるから、先行きが綺麗にぶっ千切れてんだろうに……。全く、見えて無いってのは実に幸せなこったな。

 ああ、だが精神こころが既にちぃとばっかやられてるか?)



 ジュール・ナールは、自身の先行きを……、進んではならない道を、神憑り的な選択で躱して生きて来た人間だった。

 だが時折彼は、自分以外の他人の物でも、その進む路が先の無い物だと見知る事もある。

 彼はそうやって、付き合う人間を良く篩にかけていた。



 (コイツには、実に綺麗さっぱりこの先が無ぇ。

 まあコイツが持っているその長物が全力で怪しい事この上ないが、取敢えず近づかなけりゃ問題無ぇだろう。

 ありゃどう見ても、呪われたお宝の類いだ。『触らぬ神になんとやら』だってぇのに……。怖いねぇ、あぁコワイこわい。

 それにしても、コイツ、眼がちぃっとばかり行っちまってんな。

 こりゃ案外……)


「……あんた、人を殺してるね?」

「な?!突然何を?!なにを証拠にそんな妄言を!!」

「イヤなにね、あんたの顔がね、挙動がね……、慣れない人殺しをした人間にね……、見えるんだよ。それとも事故か何かかい?」

「そ、そうだ!あれは私に非は無い!!あ、あの時!あんな物が襲って来たから……、ぁ、アイツが目の前に居たから!!」


 (ははぁ、突き飛ばして身代わりにでもしたか?だが……)


「しかし、ソイツ一人じゃ無ぇんだろ?」

「なっ……?!あ、あれは!……あれは奴が!私が殺したなどと言うからだ!!王都に戻れば責任を追及するなど言うから……!この私に向かって!!そんな事は許されるはずが無い!!!私は……私は!!」


 (なるほど、ソイツも始末したってか?

 しっかし、聞いてもいない事をよくもまぁベラベラと……よっぽど溜まってたらしいな)


「まあ、どっちにしても、手に掛けた事にゃあ変わりが無ぇよ?おめでとう、アンタも晴れてコッチ側だ」

「私は……、私は…………」


 ジュール・ナールは、それっきり興味を失ったと言いたげに帽子を深くかぶり、馬車の座席に脚を伸ばし寝息を立て始めた。

 クラークが只ブツブツと呟き続ける声など、まるで聞こえないとでも言う様に。



     ◇◇◇◇◇



 マソムは旧アムカム領、現アムカム郡の表向きの玄関口だ。

 玄関口の税関だけあって、街を抜けるには、それなりに規制や手続きがあり、中々に煩わしいと商人たちや旅行者は言う。

 だがそれは表の、正規の社会に住む者にとっての話だ。

 社会の裏側を住処にする者にとって、此処の検問は穴だらけだった。抜け様は幾らでもある。


 それに比べ、コープタウンのセキュリティの厳重さ!

 更に、街を囲む魔法障壁の強さは尋常じゃ無い。


 あんなもん、普通の人間じゃ絶対に抜けられねぇぞ!

 一体何に向かって警戒してたやが……あ、魔獣相手か……。まあ、イロシオから魔獣が抜けて来たら、あそこが最後の砦だ。

 イロシオの魔獣なんぞが溢れたら、この国は終わるしかねぇしな。


 そんな、街を囲う警備体制セキュリティを比較しながら、ジュール・ナールは上機嫌にクラークを連れ、迷う事無く、この街の僅か数百メートル程のメインストリートを進んで行った。

 居場所は、情報屋から仕入れてあるので間違いない。

 馬車から降りて5分ほど歩いた先にあったのは、レンガ作りの建築物だ。

 3階建ての赤いレンガで作られたソレは、お世辞にも豪華と云える建屋では無い。

 しかしこの街一の老舗であり、最も高級なホテルだと言う話だ。


「こちらですよ、このホテルの最上階の特等室に、フーリエ様はいらっしゃいます」


 ジュール・ナールが満面の笑みを浮かべながら、大仰に腰を曲げ手を広げ、慇懃な態度でクラークにホテルを指し示した。


「……こ、此処か?此処で間違いないんだな?!!」

「この街一番のホテルです。ここ以外にフーリエ様が留まるなど考えが及びませんね」

「な、なるほど……確かに!」


 クラークがホテルを見上げ、納得した様子を見せると、ジュール・ナールも笑顔のまま、大きく頷きながらクラークに一歩足を近づける。

 そして徐にクラークの懐に手を入れ、目的の物を抜き出した。

 突然失った胸元の重さを感じ取り、クラークが驚愕に目を見開きながら、怒りの表情でジュール・ナールに詰め寄った。


「き、貴様!それは私の財布だ!!一体どういうつもりだ?!返せ!!!」


 掴みかかるクラークの手をサラリと躱し、ジュール・ナールはニヤリと口角を上げた。


「どうするって、これは正当な報酬だよ。ココまで連れて来てやったろ?」

「な!?き、き、貴様はフーリエ様に雇われているのではないか!!フーリエ様から報酬を受けるのが筋だろう!!大体にして案内だけで、その金額は法外だ!!」

「は!立て替えだよ、立て替え!!それと……退職金な!」

「ば、馬鹿な!!そんな物……フーリエ様に請求しろ!!」

「いい加減うるせぇな。手前ぇはトットとボスのとこへ行っとけや!!」


 掴みかかるクラークを、ユラリユラリと躱していたジュール・ナールが、クラークの背後に回り、その背中を蹴り飛ばした。

 入り口前で騒いでいる者を不振と思い、ホテルの者がドアを開けた隙間へ、ちょうどクラークが飛び込んだ。

 クラークは盛大に辺りに転がり、周りにぶつかる音をホールの中から響き渡らせた。

 勿論、それは偶然飛び込んだのではなく、ジュール・ナールがドアが開くタイミングを狙って、蹴り込んだ結果だ。


 中からクラークの発する罵倒が聞こえるが、もうジュール・ナールには関係ない。

 騒ぎを聞きつけ集まってきた野次馬にまぎれ、その場から退散した。


 移動しながら、ジャラリとした重さのある革袋を取り出すと、革紐を解き袋を開いて、その成果である中身を掌に開け確認する。

 

「ひとふとみ……と、中金貨5枚と小金貨が12枚。後はクプル銀貨が大小入り混じってゴチャゴチャと……2,000クプル位はあるか?」


 はぁぁぁぁ~~~……。

 時化しけてんじゃ無ぇよ上級公務員!なんだよ全部合わせても40aアウルにもなりゃしねぇ!手前ぇてめぇの命の値段だと言ったじゃねぇか!


「しかし、まあ……、こんなモンか?」


 そう呟きながら、ジュール・ナールはテンガロンハットを目深に被りその場を後にする。

 もうコイツ等と関わる事は、金輪際ありゃしない。

 これでヤバイ連中とも縁が切れるってもんだ……。と、アムカムの在る北を向き肩をすくめた。

 そのままジュール・ナールは、溶ける様に人混みの中へと消えていった。






     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 キャメロン・フーリエは、酷い苛立ちを感じていた。


 一刻も早くアムカムから離れ、王都に向かいたいと云うのに、もう一日以上もこの街で足止めされているのである。

 確認だ手続きが必要だ等と、此処の役人達は、誰に対して物を言っているのか理解しているのであろうか?

 自分の身分証を示しても動じぬその態度が、実に腹立たしい!

 こうしている間にも森から化け物が溢れ、この私に迫って来たらどうするつもりなのだ?!!


 二人の護衛を従え、室内で苛立たし気に家具を蹴り飛ばしていたフーリエの耳に、外の騒がしさが伝わって来た。


「騒がしいぞ!何だ?!何の騒ぎだ!?」


 明らかに自分が室内で立てていた音の方が、外の物よりも大きかったにも拘らず、フーリエは部屋の外に向かい悪態をついた。

 すると、突然部屋のドアが激しく叩かれる。

 その音に、フーリエはギョッとして一瞬で顔色を失い後ずさり、護衛が警戒の色を示す。


「フーリエ様!わたくしです!クラークです!コナー・クラークです!!」


 ドアの外からは、何者かを制止しようとするホテルの従業員と思われる声と共に、フーリエに聞き覚えのある声が響いて来た。


「クラークだと?戻って来れたのか?!どうやって此処が判った?!!」


 声の主の正体に気が付いたフーリエが目を見開き、驚きに呟きが漏れる。

 尚もドアを激しく叩く音と言い争う声に、我に返ったフーリエが、護衛二人にドアを開けさせ、クラークを室内へと招き入れさせた。


「クラーク君!よくぞ戻った!私は嬉しいよ」

「フーリエ様!!どういう事ですか?!!どうして私を置いて行ってしまわれたのですか?!!」


 クラークは部屋に入るより早く、フーリエの胸元に掴みかかり、その顔に噛み付かんばかりに近寄って、盛大に恨み言を捲し立てた。

 護衛の二人がクラークを引き剥がしても、その勢いは留まる事が無い。


 喉元を締められ、息の詰まったフーリエが、やっとの思いで息を継ぐ。


「お、おのれ!貴様クラーク!!恩ある私を殺すつもりか?!!どう云うつもりだ?!この痴れ者がっ!!」

「どう云うつもりかは、私の台詞だ!何故アムカムを出て、こんな所に居るのです?!」

「私がどう行動しようが、貴様の知る所では無い!貴様こそ、何故此処に居る?!おめおめと成果も上げず、イロシオより逃げ帰ったのではあるまいな?!」

「な、なな、何という事を言われるのか?!私が命懸けで、国宝級の宝を見出したと云うのに……!!」

「何?国宝級だと?」

「も、もう良い!私は貴方になど頼らない!自ら此れを王都へ持って行く!!」

「待て!クラーク君!国宝級とは何だ?私は聞いてはいないぞ」

「私が命懸けで手に入れた物だ!貴方には関係ない!此れは私の物だ!!!」

「待てと言うのだクラーク君!そんな物、君の手には余るぞ!先ずは私に見せてみたまえ」

「フン!騙されるものか!そうやって私から奪う気なのだろう!?そうは行く物か!!大体!貴方はご自分の責務を放棄したのだ!その報いは受けて頂く!」

「な!何を言い出すクラーク!!貴様気でも違ったか!?」

「私は真面だ!真面じゃ無いのは貴方の方だ!!貴方が旅の間に行った愚行!私が気づいていないと思ったか?!しかるべき場所に申し立て、処分していただく!覚悟されるがいい!!!」

「き!貴様!クラーク!!」


 勢いの止まらぬクラークに、フーリエの顔色が変わる。


「ち!多少なりとも、良い目を見させてやっていたものを……。所詮、クズは何処まで行ってもクズだな!」

「な!何だと?!!」

「もう良い、使えぬクズなど目障りなだけだ!片付けてしまえ!!」


 フーリエの言葉に護衛の二人が前に足を運び、フーリエとクラークの間に入った。


「な、何だ?貴様らは?!何をしようというのだ?!わ、私に近づくな!!」

「クラーク君、私は残念だよ。君には少しだけ……ほんの僅かばかりだけ期待していたのだよ?それがこんな事になろうとは……」


 フーリエは大仰に肩を竦め、演技じみた様子で首を振った。

 護衛の二人が、黒い外套の内側からロングソードを抜き出し、クラークに刃を見せ付ける様に翳しながら、ゆっくり距離を詰めて行く。

 クラークは、咄嗟に逃げようと後ろへ下がるが、その進路を塞ぐように護衛の一人が回り込んだ。


 それは立ち回りにも、逃走劇にもならない実に敢え無い結末だった。

 気付けばクラークの胸元には白い刀身が突き立っている。

 その刀身の血溝に、赤い血が流れ伝わっていた。

 それをクラークは、不思議な物でも見る様に只呆然と眺めている。


「な、な、何故……私……が…………」


 クラークの、やっとの思いで口にしたような言葉が終わる前に、背後にいたもう一人の護衛が、クラークの背後からロングソードを突き立てた。

 喉の奥から咳き込む様な呻きを上げ、クラークは床に倒れ落ち、そのまま動かなくなった。


「フン!愚か者が!大人しく言う事を聞いていれば、幾らかは良い目も見れた物を!!所詮クズはクズか!!」


 フーリエが、倒れているクラークに近づき、その頭を蹴り上げ、忌々しそうに毒づいた。


「これか?これが国宝級だと?最初から素直に見せていれば良い物を……ぬ?汚い血で汚れているではないか!ええい!汚らわしい!!」


 フーリエは、クラークが最後まで力の限り握りしめていた長物を、無理やり指を開き、その手から引き剥がし、巻かれていた布を乱暴に剥ぎ取った。

 薄汚れた外側を巻く布の下から、清浄な布地が顔を出す。フーリエはそれを、質の高い品だと目ざとく見定め、その目元を僅かに緩めた。

 だが、その布地はクラークの流した血で赤く染められている。

 それを確認したフーリエが、再び動かぬクラークに罵声を浴びせた。


 直ぐに内側の清浄な布も剥がすと、細かな彫刻を施された白銀の工芸品を思わせる物が、布の下から顔を覗かせた。

 現れたその緻密な表面処理に、フーリエは目を細めた。

 素人目にも、細かな細工だと分かるが……。

 固く巻かれていた布を剥がして行くと、全体像が見えて来る。


 まるで絡まり合った蛇その物だな。

 確かに本物と見紛うばかりの出来だが、国宝級までの価値があるのか?クラークめ、評価が欲しいばかりに、過大な物言いをしたのでは無いか?


 フーリエがそんな事を考えながら、残りの布を剥がし、品定めをしていた時にそれは起きた。

 握り持っていたソレが『ドクリ』と脈動した様に感じた。


「ぅはあぁあっ?!!」


 フーリエは咄嗟にソレを放り投げた。

 まるで、本物の蛇を握っているかの様だったのだ。


「なっ?!何だ!今のは?!!」


 ソレを投げ出したフーリエは、顔を青ざめ、その場でへたり込み、後退ろうとするが、何故かバランスを崩し転がってしまう。


「は?な、何だ?」


 左側へ倒れ込んだ身体を起こそうとするが、どう言う訳か上手くいかない。

 左腕の感覚がおかしい。

 倒れ込んだまま、やっとの思いで左腕を上げると……。

 左の膝から先が綺麗に消え失せ、千切れた血管から、心臓の脈動に合わせ血が吹き出している。


「うひぁああ?!ひゃあぁあぁぁーーー!!!」


 フーリエの甲高い悲鳴が、室内に響き渡る。

 2人の護衛がその瞬間、握るロングソードで構えを取るが、その刹那、首から上が消え失せ、血を吹き出しながらその場に崩れ落ちた。


「ぅひぃぃ?!ひぃぃぃいぃぃ!!!」


 それを視界に捉えていたフーリエは、更に

声を高く上げ、その場から逃れようとするが、左腕が無い状態では上手く動けず、そこで転がりもんどりを打つ。


 クパァ……と、何かの口が開かれる様な、湿った音が聞こえた。

 その音に、あり得ざる恐怖を感じたフーリエは、息を荒げ、床に転がったまま、恐る恐る其方へと視線を向けた。


 そこには、蛇の様に鎌首をもたげ、針の様に細く鋭い牙を無数に備えた餓鬼魂が、フーリエに向け、その口を大きく開いて迫っていたのだ。


「ひいっ!ひぃぃぃいぃぃぃぃ!!!」


 それまで以上の声を上げ、ソレから何とか逃げ出そうとフーリエは足掻く。

 だが、口はその一つでは無かった。

 先に倒れた護衛2人に、幾つもの口が襲いかかり、その身体を貪っている。

 その口は、フーリエが投げ出した長物から伸びていた。

 幾つもの首を伸ばすソレは、まるで地の底より這い出た、神話世界の魔物の様だ。

 気付けば、先に倒れたクラークの身体も貪られ、殆ど原型を留めていない。


 ドスン!と、唐突に腹部に衝撃を感じた。

 恐怖に意識を飛ばしかけていたフーリエは、浅い呼吸で目を潤ませながら、反射的にその衝撃を感じた場所に目をやった。

 肉の盛り上がっていた腹部は、まるで粘土の塊りを指先で削ぎ落とした様に、綺麗に抉れ取られていた。


「うぴゃぁあぁぁああ!いぎゃ!ひぎゃああぁぁぁあああ!!!」


 横一文字の溝のような傷から血が噴き出すと、焼け付くような痛みが押し寄せてきた。

 フーリエは痛みにのた打ち回り、泣き喚きながら手足をバタ付かせ、逃げ出そうと暴れるが、その声を聞き付けた口達が一斉に凶悪な牙を光らせ襲い掛かった。

 口達はフーリエが直ぐに死なぬ様、少しずつ肉を削り取っていく。

 そこから溢れ出る恐怖も同時に味わうように、少しずつ少しずつ……。

 


     ◇



 命の脈動の途絶えた部屋に一つの影が動く。

 血肉の匂いの立ち込めるその場所に、影の中から足を踏み出す者が居た。

 透けるような白磁の肌、それを包む血よりも赤いガーネットのドレス、輝くプラチナブロンドの髪は頭頂部から左右に綺麗に流れ、豊かな胸元へと落ちていた。


 いまだ獲物を探すように蠢くソレに、その女が静かに手を伸ばし指先で触れると、ソレは忽ち無機物と化し床にゴロリと転がった。


「死者に向かいてはその怨念を喰らい、生者に向かいてはその肉ごと魂を喰らう」


 ただの杖の様になったソレを拾い上げ、甘く静かな鈴を転がすような声が呟いた。


「喰らった力を魔力として際限なく貯め続ける、古の悍ましき魔法遺物アーティファクト死者クレイビングの渇望 オブ ザ デッド』」


 手に持った悍ましき杖を、白い指先で、その形を確かめる様に静かに這わせて行く。


「魂の貴賤に関わらず、力は力……。せいぜいお役に立ちなさいな」


 女は静かな微笑みを浮かべ、持っていた杖を静かにテーブルに置き、音もなく後ろへと下がる。


「そのまま正規の道を辿り、正当な主の元にお戻りなさい……」


 その女、クラリモンドは静かに杖に言葉をかけると、溶ける様に影の中に消えて行く。

 後には動く物も無く、静寂という名の帳が、惨劇跡の部屋を満たしていた。


――――――――――――――――――――

次回「魔抜き」

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