第45話絶望を齎す者

 其処は、濃厚な死の臭いが立ち込める場所だった。

 周りを囲む黒い岩は、生物の臓物で出来ている様な異様な造形で、あたかも、巨大な生物の胎内に納められている様な、現実離れした感覚に囚われる。


 マグリット・ゴーチェが、朧に意識を取り戻した時に視界に広がった物は、その黒く醜怪な壁面だった。

 夢と現の狭間から徐々に浮上するマグリットの意識は、その身体が動かぬまま、この異様な光景が現実である事を知覚して行った。


「よう!目が覚めたかよ?クハハ!」


 突然かけられた声に、急速に意識が覚醒して行ったマグリットは、その声の主を探そうとするが、身体が動かない。

 身体の感覚はあるが、筋肉の使い方を忘れてしまったかのように、身体を動かす事が出来ないのだ。

 僅かに動く首と目を動かし、辛うじて視界にその相手を捉える事が出来た。


 それは黒い椅子に座る男だった。

 マグリットが横たわる位置より、幾段か高い檀上に据えられた玉座。

 黒い骨で組上げられ、壁と同じ様に生物の臓腑で形作られた様な椅子は、黒く悍ましい玉座の様だった。


 浅黒い肌を持つ男がその玉座の様な椅子に座り、肘掛けに片肘を置きその手に顎を乗せ、気怠気にマグリットを紅い眼を仄めかせながら見降ろしていた。


「…………ヴァンパイア」


 その男の眼を見たマグリットが、そう呟いた。

 男が纏う寒気を覚える気配と、その紅く仄めく眼を見て確信する。

 それと同時にマグリットは、ようやく今自分が置かれている状況に意識を向け始めた。


 あれからどうなったのか?此処は何処だ?そしてこのヴァンパイアは?


「意識が無い女を頂いても、面白く無ぇからな。クハッ!」


 男はそう言うと黒い椅子から立ち上がり、檀上から一歩ずつ足を踏み下ろして来た。

 マグリットは改めて自分の身体に意識する。


 あの時、あの黒髪のヴァンパイアとの戦闘で、腹部に深手を負った筈だ。

 だが今、その腹部に疼きはあるが、大きな痛みは無い。

 負った筈の傷を見ようと、動かぬ首を精一杯下に向ければ、胸部の装甲が剥がされ、胸元が露わに晒されている事実を知る。


「なっ!なに、が……!」


 その屈辱に言葉が詰まる。胸元を隠そうと咄嗟に腕を動かそうとしたが、頼りの腕はピクリとも動かない。

 怒りと羞恥と屈辱で、頬に血が上る。


「良い格好だな?誘ってんのか?あ?クハハハハッ!」


 頭の上から男の笑い声が響く。


 「……き、貴様……何を?ど、どうする気……っ!!ぁぐぅっ!!」


 男がマグリットの髪を無造作に掴み、一気に自分の顔の高さまで持ち上げた。


「どうするかって?クハハ!頂くに決まってんじゃねぇか!美味しく頂いて楽しむんだよ!え?クハハハハハハッ!」


 男に片手で髪を掴み持ち上げられ、視界が高くなったマグリットの目に、改めて周りの様子が映り込む。

 マグリットが寝転がされていたすぐ傍には、ライサが横たわっていた。


 その口元には吐血をした様に血の跡がこびり付き、顔色も良い物では無い。

 しかし、胸元が僅かに上下している。

 マグリットは、ライサがまだ生きている事を察して安堵する。

 ではジモンは?彼は何処だ?!彼もこの近くに居るのか?無事なのか?!


 マグリットは、慌てた様に視線を巡らせ、他に人影が無いかを確かめる。

 だが、その視線が捉えた物は……。


「……リサ?まさか……まさか?!」

「あぁ?なるほど、そりゃ知った顔か!クハハ!コイツ等も、どうせならもっと楽しみたかったんだがな、久しぶりだったんで、つい一晩で喰い切っちまったぜ!クハハ!」


 そこにマグリットは、深夜、鎖に連れ去られた4人の仲間たちの姿を見た。

 それは黒い椅子の向こう側に、いずれも服も纏わず、まるで喰い散らかしたかの様に打ち捨てられていたのだ。


「……こんな……こんな」

「しかしまだ、この後も愉しめるからな!クハ!後でユックリ遊ばせて貰うぜぇ!クハ!クハハハハ!」


 男が、打ち捨てられた者達に好色な目を向け、舌を舐めずりながら高笑いを上げていた。


「き、貴様は!彼女達をこんなにしただけでは飽き足らず、さらに……更にまだ弄ぼうと言うのか?!貴様には死者を尊ぶ事さえ出来ないのか?!!」

「ああ?!何言ってんだお前ぇ?オレを誰だと思ってやがんだ?オレほど死人を愛してやまない存在は居ねぇぜ?なぁ?クハッ!クハハハハハハ!!」


 男がマグリットを更に持ち上げ、その首筋に赤く長い爬虫類の様な舌を這わせ、舐め上げた。


「お前ぇはどうだ?オレを楽しませられるか?あ?ちったぁ気概って物を見せて、感情をぶつけて見せろや?あ?」

「な、なにを?!うぁっ……!くぅっ……やめっ!!」


 身悶えるマグリットを面白そうに眺めていた男だったが、ふと視線を足元へと向けた。


「ふん、先にコッチから頂くか……。コイツぁ、まだ初物だしな!クハッ!目前で頂きゃ、お前ぇも、ちったぁ楽しめんだろ?え?クハハハハハ!」


 足元で小さく呻くライサに目を落とすと、そのままマグリットを投げ捨て、ライサへと手を伸ばして行く。

 地に打ち付けられたマグリットは小さく声を上げ苦悶を漏らすが、直ぐに動かぬ身体のまま、厳しい視線を男へと向けた。


「ライサに何をする?!貴様止めろ!止めてくれ!!くぅっ!」

「はっ!そうだ!そうやってドンドン憤ってみせろや!クハハハ!」


 男がライサをマグリットにしたのと同じように髪を掴み持ち上げ、その首元に赤い舌を這わせて行った。


「……ぅ、うぐっ!……な、なにが……?ぅあっ?!ぅあぁぁ!」

「ラ、ライサ!」

「よう?目が覚めたかよ?クハッ!丁度イイ、タップリ愉しめませて貰うぜ?オレもつい調子に乗って消耗し過ぎたんでな……。少しばかり腹が減ってんだ!クハ!クハハハ!」

「止めろ!ライサ!ライサを離せ!……クソ!離せ!離せーーーっ!」

 

 意識を取り戻したライサが、男に気が付き軽い恐慌状態に陥っていた。

 男は嘲笑いながら、悲鳴を楽しみ弄ぶ様にライサに舌を這わせ続ける。


 マグリットは身体を動かそうと踠くが、その身が己の望みに応える事は無い。

 今、目の前で行われようとしている暴虐も止められず、歯噛みする事しか出来ぬ己の不甲斐なさに涙も浮かぶ。


 自分にはまだ無理なのか?

 まだ彼には届かないのか?

 きっと彼ならこんな暴虐を許しはしない!

 どんなに苦境だろうとも彼なら諦めず、必ず目の前の人を救うだろう。

 まだ私はあの人に及んでいない……。

 あの人の背中が、とても……遠い!



「…………全く、騎士って奴ぁどいつもこいつも潔いって言うのか?もうちっと命汚く足掻けや!つまんねぇ奴等だな!!」


 苦渋の面持ちで、覚悟を決めようとするマグリットに、男が興醒めだと言いたげに言葉を吐き捨てた。


「突き破る程、怒って憎めよ!でなけりゃ美味くも無ぇし、何より喰った後にコッチへ来れねぇ!怒りや憎しみが突き破って引っ繰り返って、初めてコッチへ来れんだよ!あ?」


 苛ついた様に男が言葉を続けた。

 その手をライサの首に掛け、鋭く伸ばした爪を徐々に喉元に食込ませて行った。

 男は、苦痛に声を上げるライサを目を細めて満足そうに嗤いながら、その滴る血を啜っている。


「ジョエルを物にしてそろそろ100年だ。今回は騎士団が獲物だって話で、新しいのが出来るかとちったぁ期待したんだが……。とんだ期待外れだな!は!」


 男は徐にライサの白い喉元に、その凶悪な牙を突き立てた。同時に、甲高いライサの悲鳴が洞穴に木霊する。


「ライサァァーーーーっっ!!」


 マグリットの叫びが、ライサの悲鳴に重なる様に響き渡った。

 男はライサの喉元から顔を上げ、マグリットに向け、血に塗れた肉食獣の様に林立する牙を見せつけながらニタリと嗤い、そのままライサをぞんざいに、打ち捨てる様に放り投げた。

 打ち捨てられたライサは、身体を打ち震わせながら呻きを上げている。


 男はマグリットに向け足を運び、その身体に手を伸ばす。

 マグリットの胸元に鋭い爪が食込み、痛みを堪える悲痛な声がその喉元から絞り出される。


「だからよ……せめて!オレを存分に愉しませろやっ!!クハハハッ!」


 瞳を金色に輝かせた男……ハルバート・イーストが、マグリットの顔を覗きこみながら悍ましく嗤い上げた。



     ◇



 ねぶる様に血を啜っていたハルバートは、その動きを唐突にピタリと止めた。

 そして白い首筋に突き立てていた鋭い牙を、徐に抜き離す。

 牙が抜ける瞬間、マグリットは引き攣る様な呻きを上げる。

 マグリットの剥き出しにされた白い胸元に、首元から幾つもの赤い筋が流れて落ちた。


「……マリーナ?なんだ?どう云う事だ?」


 マグリットの血が溢れた口元を手の甲で拭い、それを舐め取りながら、ハルバートは訝しげに顔を上げ、虚空を睨んだ。

 直ぐに抱えていたマグリットを乱雑に打ち捨てると、洞穴の入口へと向け歩き出した。

 だが、歩みの途中で足を止め、今一度眉間の皺を深く刻んだ。


「エレクトラ?どうなってる?……なんだこれは?ほね共も消えているだと?」


 何かが兵達を消しながら、此処に向かっているのが分る。

 ハルバートは、瞬時に洞穴の入口に移動して眼下を望む。


 そこには黒岩の隙間から侵入した何かが、兵達を吹き飛ばし、広場の様に開いた眼下の中央に迫っているのが見て取れた。

 ハルバートは、その突き進む何者かに向けくうを跳んだ。


 地を踏むと直ぐ、瞳を金色に輝かせ、牙を剥きだしにし、自らの魔剣を担ぎ、その何者かに向け覇気を叩き付けた。

 恐らく此奴がマリーナとエレクトラに何かをした筈だ。

 自分の女に手を出したヤツを、只で済ませるつもりは無い!


 だが叩き付けたハルバートの覇気を、は何も感じぬかの様に突き抜けて来る。

 ハルバートはその相手を目視し、目を見張った。


 まだ年端もいかぬ小娘だ。

 到底、騎士団に所属している年齢には見て取れない。何故そんな娘がここ迄辿り着く事が出来たのか?

 更にはその小娘が、どう云う手を使っているのか分らないが、槍を振り、兵を吹き飛ばしているのだ。

 ハルバートは、その不可解な出来事に眉根を寄せた。


 それは赤い髪を持つ少女だった。

 光で髪をルビーの様に煌めかせる少女は、ハルバートに気が付くと「見つけた!」と云わんばかりに口の端を上げ、一直線に突き進んで来た。


 果敢に飛び込んで来た少女は、ハルバートに向け高速で槍を振り切った。

 少女とは思えぬ素早く鋭い打ち込みだ。

 ハルバートは一瞬瞠目するが、相手が悪い。

 槍を受けるのは『魔剣・絶望を齎す者デスペアブリンガー』だ。並みの武器で、真面に打ち合えるものでは無い。


 ハルバートは、肩に担いでいた魔剣を地上に突き刺し、振り抜かれる槍を迎え打つ。


 案の定、打ち込まれた槍は、魔剣の力に耐えられず粉々に砕け散った。

 槍を振り抜いた少女が、その勢いで空中で回りながら、砕けた槍を見て目を見開いていた。


 それを見たハルバートが、ニヤリと口角を上げる。


 少女の身で、此処まで来れた事は褒めてやる。

 だが、武器を無くしてはこれまでだ。

 まだ男を知らぬ身なのは匂いで分かる。

 このまま捕らえて、上の2人と一緒に愉しむか……と。


 だが、ハルバートは次の瞬間、突如世界が変貌した事を知る。

 物理的にも、魔力的にも、かつて経験した事も無い圧力がその身を襲う。


 まるで、巨竜の鉤爪だ。


 その身に迫る圧倒的な力を、ハルバートは最後にそう幻視した。


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次回「絶望を砕く者」

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