第42話イロシオの不死兵団

 大気が引き裂かれ、大地が震えた。

 ハワードが放った技の剣速は、音を突き破る衝撃を伴い、それに纏った膨大な魔力を解き放つ。

 放たれた魔力は高圧力の流速で、遮る物を片端から削り、抉り、消し飛ばした。


 数時間にも及ぶ、ハワードとヴァンパイアの戦いを見守っていたカイルとトニーは、地に手を付き、撃ち出された破壊力の余波で、吹き飛ばされそうになりながらもその身体を押え、目も眩む閃光に耐えていた。


 それが、強大な魔力を籠めた一撃だった事は、その場に居たカイル達にも理解出来た。

 だがその威力は、彼らの知る常識を遥かに逸脱した物だった。


 攻撃が放たれた射線上の樹木は、大きく抉られ薙ぎ倒されている。根元から綺麗に消失している木も少なくない。

 この破壊力は、昨晩あの黒衣のヴァンパイアが放った『大火焔流フレイムストーム』を遥かに凌駕する。

 『灰も残さず……』そうハワードを語る時使われる言葉が、比喩でも誇張された話でも無いのだと、この時カイルは知る事になった。「この人なら、単騎でドラゴンすら討てるのではないか?」「これで倒せぬ物など居る筈が無い」目の前に広がる光景を見て、カイルとトニーは静かにそう思う。


 その光景の中心に居るハワードは、残心を解く様にゆっくりと剣を降ろした。

 ハワードの正面には、黒く足首まである、ゆったりとした下体衣ボトムに包まれた下半身が、今まさに踏み込もうとする様な姿勢のまま、地を踏みしめ固まっていた。

 その上半身は、臍の辺りから燻る様な白煙を上げ、綺麗に消失している。

 あの一撃を胸元に受けたのだ。これは当然の帰結と云う物だろう。


 やがて上方から、風を切る音を上げながら、巨大な剣が回転しながら地上へ落ちて来た。

 見るからに禍々しい血の様な赤い刃を持つ兇剣は、大地の黒い岩を裂き、その持ち主の足元へと突き立った。


 その剣が地に突き立つのを、見定めたとでもいう様に、直後ハワードがその場で膝を付いた。


クラウド卿師匠!!」


 そのハワードを見てカイルが声を上げた。

 良く見れば、ハワードの革鎧は彼方此方が切り裂かれ、至る所から出血もしていた。

 顔にも殆ど血の気が無い。

 満身創痍とはこの事だ。

 間違い無く、これが全身全霊の一撃だったのだ。


 あの圧倒的な強さを持つハワードが、此処まで追い詰められていたと云う事実に、敵の脅威はどれ程の物だったのか……。カイル達は、それを改めて突き付けられた思いだった。


 地に突き立てた黒い大剣に、縋る様に預けていたハワードの身体がグラリと揺れた。

 それを見た二人が、ハワードの元へ行こうと慌てて腰を上げた。

 この人をこのままにしては置けない。

 聖位職の者達は居ないが、幸いな事に今塹壕では、教授せんせい方が怪我人の治療に当ってくれている。

 先に運んだコンラッドとジルベルトも、今は治療を受けて居る筈だ。


 今、最大の脅威を排除したハワードを、急いで塹壕へ連れて行き、この英雄をお助けする事が今の我々の務めなのだ!

 カイルとトニーは頷き合い、二人の意志が同じ物である事を確認した。




 ハワードの元へ向かおうと、二人が足を踏み出そうとしたその時――――

 全身が竦む様な、悍ましい気配に二人は襲われた。


 それは、大気が黒く染められた様な錯覚にさえ囚われる。

 触れば感触でも在りそうな程、濃厚な瘴気だった。


 その瘴気の出所は……。 

 間違い様も無い。その半身だけになったモノからだ。

 黒い下体衣ボトムの上の、白煙を出していた筈の身体の上部に、黒く濃厚な瘴気が集い塊りになって行く。


 二人は只、剣を抜き構えを取る事も出来ず、文字通り固唾を飲み、それを眺める事しか出来なかった。


 まるで、巻き戻しの映像を見せられている様に、黒煙の様な瘴気が渦を巻き塊り、人の形を成す。

 それは瞬く間にハルバート・イーストの姿を形作り、直ぐに何事も無かった様に、目の前で膝を付くハワードに視線を落とした。


「クハッ!てめぇ強ぇな!あ?!鉄鬼神よっ!クハハ!間違い無くオレより強ぇ!!クハハハハッ!!」


 ハルバート・イーストは、ハワードに冷たい眼差しを落しつつ言葉を発した。

 そして、目の前に突き立つ己が武器『ディスペアブリンガー』に手をかけ、徐に大地より引き抜き、そのまま肩に担いだ。


「だが、今回は相手が悪かったな?え?クハハハハハッ!」


 ハルバートは、ハワードに見せつける様に、手に持つ兇剣を肩の上でトントンと上下させた。


「『ディスペアブリンガーこれ』で、こんだけ抉られてるってのに、動けるって事が驚愕なんだぜ?え?鉄鬼神よ!クハハハッ!」

「……ぐ……ぬぅ」

「おっと、大人しくしてろ!爺ぃ!!」


 地に突き立てた自らの剣に縋り、身体を奮い立たせようとするハワードの肩口に向け、無慈悲に兇剣が打ち下ろされた。


「ぐぁぁ!!」

「てめぇはもう終いなんだよ!そこで寝てろ!」


 肩から背中にかけて兇剣で大きく抉られ、大量の血を吹出しながらハワードが地に打ち付けられた。

 カイルとトニーは、咄嗟にハワードに駆け寄ろうとしたが、ヴァンパイアの血の色の様な眼光に照らされ、その身を動かす事が出来なくなった。

 ハワードは呻きを上げながらも、尚も身体を起こすべく腕を立てようとするが、その身体が起きる様子は無い。


 すると、そのハワードを冷ややかに見下ろすヴァンパイアの足元の影が、不意に大きく広がった。

 その広がる影の中から、更に三つの影が起ち上がる。

 一つは褐色で黒髪の。一つは白い肌にゴールデンブロンドの髪。一つは薄青い肌と白銀の髪を持つ影。


 その影の一つ、薄青の肌を持つマリーナが、地を滑る様に移動し、伏しているハワードの背中に覆いかぶさった。

 そのまま、眼を炭火の様に赤く灯しながら絞るような叫びを上げ、ハワードの背に、刃の様に伸ばした五指の爪を突き立てた。


 鈍く重い音を上げ、爪が背の肉に食込み、ハワードがくぐもった呻きを上げ、その身体が鈍く跳ねる。


「マリーナ、殺すな!」


 尚も、叫びながら爪を突き立てようとするマリーナを、ハルバートが一声で制止する。


「ハ、ハルーバト様……」


 ハルバートの声でピタリと動きを止めたマリーナが、眉根を寄せ、悲しげな表情でハルバートに何故かと問う。


「それより、お前ぇらはまずほね共を纏めろ」


 ハルバートがマリーナだけでは無く、エレクトラとジョエルにも向け言葉をかけた。

 これが、主から下される命なのだと理解した2人は、その場で膝を付き傅いた。


「お遊びはココまでで終いだ。今日中にココをほね共で埋めとけ。明日には全ての兵を連れてココを発つ!」


 ハルバートが、倒れているハワードに向かい足を進めると、ハワードに跨る形で上に載っていたマリーナも、直ぐ様地に降り膝を付いた。


「それにな、コイツぁどうせ、もって後2~3時間が良いトコだ!昼まではもたねぇ、クハ!それまでに、ココに居る奴等は残らず磨り潰せ!皆殺しだ!そいつ等がくたばる様を、コイツに見せつけてやれ!」


 地に伏すハワードに向かい、その頭をゴリッ!と踏み付けながらハルバートが嘲笑う様に語る。


「一人残らず殺した後は……、最後にコイツをお前ぇらで殺せ。好きにして良いぜ?クハ!クハハハハッ!!」

「ハルバート様……。ありがとう御座います!」


 ハルバートに対し深く頭を垂れ、礼の姿勢を示したマリーナは、そのまま顔を上げると、長く伸ばした舌でその爪に滴る血を舐め取り、細めた眼で足元のハワードに目を落とした。




「オーダーは、生者死者を問わず万を超える魂だ」


 ハルバートは『絶望を齎す者ディスペアブリンガー』を担ぎ直しながら、後方の黒岩に視線を向ける。


「兵が纏まり次第森を抜け、刈れるだけ刈り取る。……纏まるまで、オレはお前ぇらが持って来た土産で遊んでるぜぇ。支度が整ったら呼べ」


 そう言うとハルバートは、自身を瘴気の霧と化し、黒く渦巻かせ、その場から瞬時に立ち消えた。



 ハルバートが消えると直ぐ、黒いナイトドレスを着たエレクトラが、ゴールデンブロンドの髪を揺らめかせながら立ち上がった。


「お許しを頂きましたわ……。しかもお目当ての殿方が目の前にいらっしゃる!あぁ!嬉しい……!さぁ!あたくしと最後の時を!そして、あたくしの中で果てて下さいませ!!」


 影が広がる様にエレクトラの黒いドレスがその身を包み、瞬時にカイルとの距離を詰め、黒い影が彼に覆いかぶさった。


「な?!くぁっっ!!」


 エレクトラが、己が目を炭火の様に灯らせながら、カイルの喉元に鋭い牙を立てていた。

 先にハルバートの眼光で、殆ど身動きが出来なくなっていたカイルは、為す術も無くエレクトラに捕縛され、陽の当たらぬ木々の間に連れ去られた。

 巨大な影が滑空する様に飛び去った後には、身の竦む様な女の嗤い声が森の中で響き、その奥へと消えて行く。



「俺も、もちっと愉しませて貰うぜ!きひっ!」


 ジョエルが、その美しい顔が歪むほどに口角を上げ、地を蹴り、土くれを飛ばしながら、やはりその場から消え失せる。

 だが次の瞬間、ジョエルはトニーの前に姿を現していた。


 突然目の前に現れたジョエルにトニーは目を見開くが、下方から迫る巨大な鉈の様な大剣の攻撃に、辛うじて盾を合わせる事が出来た。

 しかし、その衝撃は受け切れず、激しい金属音を辺りに響かせ、トニーは後方に吹き飛んだ。


「うがっ!くおぉぉ!!」

「きひひ!おらおらぁどしたぁ?!斬り返してお前も俺を愉しませろよぉぉ!!きひひひ!」


 漸くハルバートの呪縛から解け始めていたトニーだったが、ジョエルの激しい連撃に守勢に回るのが精一杯だった。

 トニーは、ジョエルの攻撃に押され、吹き飛ばされ、そのまま森の奥へと押し込まれて行った。



「……もう、しょうがないわね、二人共!」


 薄青い肌の女マリーナが、二人が消えた森の奥に視線を向けながら、腰に手を当て困ったと言いたげに吐息を吐いた。

 その身は、ハワードに負わされた傷は跡形も無く消えてはいるが、纏う衣装は殆どが千切れたままで、その残滓を辛うじて纏うあられもない姿だ。

 髪も解かれたまま、長い白銀の髪が風に揺れ、その薄青い裸身を撫でる様に纏わり付いていた。


「兵を纏め上げろと言われたでしょうに……。でも、お片付けをするのが先ですものね」


 マリーナは「しょうがないか」と改めて肩を竦めながらクスリと笑う。

 そのまま両手をダラリと垂らし、両腕の拘束具からの垂れる鎖を、地にジャラジャラと伸ばし這わせて行った。


「……さて、貴方もこんな所で寝ていては、何も見えないわよね?」


 マリーナの腕から伸びる鎖が波打ち、ハワードに向かい勢い良く伸びた。

 そのまま鎖はハワードの身体に乱雑に巻き付き、荒々しくその身を引き摺った。


「ホラ!お仲間の所へ連れて行ってあげるわ!そこで最後の独りになるまで、大人しく周りを眺めていなさいな!うふっ!うふふふ、あはは!あははははははは!」


 ハワードの身体が、大地を跳ね、地を削りながら鎖に引き摺られる。

 その鎖が鳴る音と共に、マリーナの嘲笑う声が木々のはざまを跳ね響き、木霊となって消えて行く。


――――――――――――――――――――

次回「セドリック・マイヤーの決断」

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