第34話闇の森の囁き

 リサは、右足首に巻き付かれた鎖に引き上げられ、左脚は力無く開き、ローブも捲れあがり垂れ落ち、腿部分があられもなく晒されていた。

 鎖を纏う女は、そのまま吊り上げられたリサの脚の付け根を自分の顔の高さまで持ち上げ、其処に鼻先を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ「初物のにおいよぉー」と嬉しそうに燥いでいる。

 

「ほら見てぇ、まだ男を知らない乙女よぉ。しかも聖職者!聖女よ、せいじょ!ハルバート様、喜んでくださるわぁ」


「マリーナ。乙女は良いのですけれど、その聖女、そのままでは直ぐ死んでしまうのでは無くて?お腹にそんな大きな穴を開けて、血も随分零してますわよ?勿体ない。ハルバート様にお届けするまでは、その活きを保たなくては。まあ死んでいてもお楽しみ下さいますが、折角の乙女でございましょう?生きたまま楽しんで頂きたいですわ」


 黒衣の女がリサの傍らに立ち、吊り上げられているリサの右足に指を艶めかしい動きで這わせながら、自らがマリーナと呼んだ女に話しかけた。


 黒衣の女の言葉にマリーナは、「それもそうね」と呟くと、徐にリサの背中側から出る鎖を掴み、勢いよく引き抜いた。


「ィぎぃいああぁぁああァァァぁぁああーーーーーーーー!!!!!」


 リサの振り絞る様な絶叫が、辺りに響き渡った。


「うふ、イイ声♪痛かった?ふふ……」


 マリーナが楽しそうに目を細め、吊り下げられたリサの顔を見下ろした。

 そのまま右手を出し、垂れ下がっているローブの前垂りを乱暴に引き剥がす。


「あぎぅっっ!!」


 リサが悲鳴を上げる。

 剥き出しに晒された下腹部は血が溢れ、白かったであろうショーツは溢れ出た血で真っ赤に染まり、臍の下の傷口からは、ドクドクと血が止めど無く溢れようとしていた。


 そこにマリーナは右手を当て、艶めかしい動きで傷口を撫で回して行く。


「ぃぎっ!いゃ……ぃやああ!ぁあ!」


 リサが身を拗らせ、更に悲鳴を上げた。


「ほら、穴は塞いだから暫く待つわよ?」


 マリーナがリサの下腹から手を離すと、そこには既に傷は無くなっていた。

 そのままマリーナは、自分の手に着いたリサの血を、長く伸ばした舌で嬉しそうに舐め取っていく。




「ヴァンパイアが癒しを使っただと?!」

「くそ!リサ!待っていろ!今助ける!!」

「逸るなカイル!!コーネル!!堅固隊展開!!非戦闘員を下がらせろ!!」


 トニーが驚きの声を上げ、セドリックが飛び出そうとするカイルを抑えながら、ヴァンパイア達から目を離す事無く、後方の部隊に指示を飛ばした。


「コンラッド!!」

「おうよ!」


 ハワードとコンラッドが再び地を蹴り、面前の敵へと向かい駆ける。目指すは鎖を纏う女。マリーナと呼ばれたヴァンパイアだ。

 一気にソレを撃ち滅ぼし、囚われた者達を救い出す。


 迫る二人に気付いたマリーナが、怪しげに笑みを浮かべると、女を取り巻く鎖が波打ち二人に向け伸び上がった。

 二人に向かい幾条もの鎖が槍の様に迫るが、コンラッドは手に持った巨大な戦斧を目の前に掲げ、まるで小枝で出来たバトンでも回す様に前方で回転させた。

 豪と唸りを上げ、周りの大気ごと切り裂く双刃の戦斧は、二人に迫る鎖を、弾き、絡め、断ち切った。


 ハワードが鎖が散った隙間を抜け、マリーナへと一息で迫る。

 蒼く朧な光を纏った『グランドデバイダ』を、左上に振り被り、女に向け一切の躊躇い無く撃ち下ろした。

 マリーナは浮かべていた笑みを消し、一瞬眼差しを厳しい物に変えた。刹那、黒い刃がその身に届くと思われたその瞬間、激しい金属音が響くと共に辺りに火花が飛び散った。


「ぬぅ?」

「くぅあぁっっ?!!」


 ハワードの黒い大剣が、地を穿っていた。

 マリーナはその一瞬に、鎖で絡めた犠牲者たち共々、更に後方へ跳び退いた。


「俺が競り負けただと?!」


 褐色の女は、ハワードの撃ち下ろした剣激を受け止めようと、自らの大剣を振り上げたが、そのまま大剣ごと弾き飛ばされた。

その勢いを殺そうとその場で身体を回転させ、再びハワードに向き直り、目を見開き信じられぬと声を上げた。


「ジョエル!お下がりなさい!!」


 後方から届いた声に反応し、褐色の女が咄嗟に後へ下がると、一瞬前まで身のあった場所に、淡い緑の剣閃が走り抜けた。

 そのまま緑に揺らめくアイパッチの輝きを揺らしながら、二閃、三閃と続けざまに剣とダガーを走らせ、ジルベルトがジョエルと呼ばれた褐色の女を追い詰めて行く。


 だが、次の瞬間、ジルベルトに向かい幾つもの炎弾が矢継ぎ早に撃ち込まれた。

 ジルベルトはそれを紙一重で躱すが、目標を外れた炎弾は地面を穿ち爆散して行く。

 炎弾は、どれも普通の人間に当たれば、半身が吹き飛ぶ程の威力を持った物だ。


「ちっ!余計な手出しだエレクトラ!」

「あら?押されている様に見えましたわよジョエル?」

「ふん!マリーナ!追加は採れたのか?!」

「ふふ、幾つか逃げられちゃったけど、もう三つ釣ったわよ?」


 その台詞にハワード達がギョッとする。

 ハワード達が3体のヴァンパイアと斬り結ぶ間に、その後方では妖鎖と騎士達との攻防が繰り広げられていたのだ。


 後方では、幾人もの騎士団員が倒れ、非戦闘員である兵站部隊の者達も何人も地に伏して苦しげに呻いている。

 彼らの周りには、多くの斬り落とされた鎖が蛇の様に蠢き、やがて血の霧となり大気に溶け消えていく様を見せていた。


 セドリックは、三博士と共に担架に乗るジョスリーヌに迫っていた鎖を、幾本も斬り落としていた。

 トニーとカイルも三博士と兵站部隊の周りを警戒し、セドリックの傍らで変則的な動きを繰り返す鎖との攻防を繰り返した。

 マグリットとライサも、自らに迫る鎖をジモンらの手を借り退けた。

 だが、それでも彼らの中に犠牲者が出てしまった。


「ワシらの目を欺いただと?」

「申し訳ごぜぇません旦那様、儂の目が捕え損ないました」

「ハワード!コイツ等、油断ならねぇぞ!!」


 これ以上は何一見逃すまいと、並んだ三人が鋭い眼光放ち構えを取り直す。


 ジャラジャラと鎖が吊り上り、チロチロと未だ燃える木々の炎が、森の闇の奥から浮かぶ新たな犠牲者を照り出していた。

 意識を失った騎士装備を纏った者が一人。後の二人はツナギの様な作業着を着た兵站部隊の者達。

 一人はまだ意識があるのか、くぐもった呻き声と共に小さく悲鳴を上げていた。

 三人共、まだ若い娘たちだ。


「おのれっ!!」


 ハワードがギリリと歯を食い締める。


「さて、大変お名残惜しいのですが、主を待たせています故、そろそろ失礼致しますわ」

「このまま逃がすと思うか?!!」


 コンラッドが、エレクトラと呼ばれた黒衣の女の言葉に、吠え上げる様に声を上げ地を蹴った。

 そこへジョエルと呼ばれた褐色の女が、指をパチリと鳴らす。

 次の瞬間、ハワード達と女達の間に、地を引き裂く轟音と共に、黒い壁がせり上がって来た。


 地中より伸び上がるそれは壁では無く、爬虫類を思わせる黒い巨大な骨格だった。

 それが次々と三体。大地の中から地表を押し上げ立ち上がり、三人の前へ壁の様に立ち塞がったのだ。


 ハワード達は、咄嗟に跳び退き距離を取る。


「……ぬっ?!また『オールド・スケイル・ダイナソー』か?」


 コンラッドが険の籠った眼差しでそれを見上げて呟いた。


 『オールド・スケイル・ダイナソー』

 それは、巨大な獣脚類のアンデッドだ。

 太古に生息していた時代から引き揚げられた骨格は、濁った様な黄褐色で染み広がり、骨の彼方此方が欠け落ち、風化を感じさせる物だ。

 14~5メートルある体長を、その中心程で太く巨大な大腿骨が支え、人の身長程もある長い頭骨には、ナイフのような牙が立ち並び、その骨格の持ち主が明らかに肉食の物だった事が分る。

 それはTレックスに似た肉食恐竜を思わせる巨大なアンデッド。その脅威値は125。数体で現れたなら、騎士団だけで抑えきる事は叶わない。

 夕刻に現れた2体のソレは、何人もの騎士団員を薙ぎ払い、数人の非戦闘員を凶悪なまでの牙で嚙み殺した。

 だがそれを、ハワード、コンラッド、ジルベルトが討伐したのだ。


 しかし、今、目の前に現れたソレは、先のモノとは明らかに違う。

 身体の大きさも一回り以上大きく、その身も黒曜石で出来ているかの様に黒い輝きを帯びていた。


「コンラッド!これは夕方にワシ達が潰した個体とは明らかに違う!抜かるな!!」


 ハワードが、コンラッドに警戒しろと声を上げた。


「私共用にと、主から賜りましたのよ?」


 愛らしいでしょう? と、いつの間にかその頭骨の上で横座りし、その頭を撫で回しながら、エレクトラと呼ばれた黒衣の女がハワード達に語りかけた。


「俺はこのままもう少し、遊んで行きたいんだがな……」


 頭骨に跨り、ジョエルと呼ばれた褐色の女が、残念そうに前髪をかき上げながら言った。


「お食事をお届けするのが先よ?あたし達はその後でユックリと……ね?」


 やはり頭骨に跨り、マリーナと呼ばれた鎖を纏う女が、静かに微笑みながらハワード達を見下ろして言った。


「だから逃がすかって言ってんだろうが!!」


 コンラッドが再び地を蹴った時、3体の古代竜の骨達が一斉に身を低くして、その巨大な顎を開け、竜の咆哮を轟かせた。

 それは、重低音を響かせるどんな低音楽器よりも低く、重く、地も大気も振動させ、辺りに突風を吹き荒れさせた。


 コンラッドはその振動に空で巻き取られ、後方へ弾き飛ばされた。


「……やっろう!!」


 地を踏みしめたコンラッドは、自分の十八番の一つであるハウル系を真っ先に喰らい、不覚を取った事に獰猛な笑みを浮かべながら、歯をギリリと噛み締めた。


「夜半過ぎには、またお伺いしますわ。それまで暫しのお別れでございます」


 エレクトラが黒い頭骨の上から片手を上げて、魔力を収束させた。

 魔力は炎となり、エレクトラが上に向けた掌を受け皿に回転し始めた。そして更に魔力密度は上がり、直視できぬ程の輝きを放ち始めた。


「イカン!コンラッド下れ!!セドリック殿ーーー!凌がれよーーっっ!!!」


 連続で爆発音を響かせながら光が弾け、無数の炎弾が辺り構わず撃ち込まれた。


 地に当った炎弾は爆散し大地に大穴を開け、樹木に当れば穴を穿ち薙ぎ倒し、燃え上がらせた。

 騎士団が作った壁に当れば、銃撃を受けた様に壁材を抉り、壁に大小のクレーターを作り上げた。

 当った人間は掠っただけで手足を吹き飛ばされ、重装備の騎士団でも、直撃すればただでは済まなかった。

 一瞬でこの一帯が、爆撃を受けた戦場跡の様な惨状に変わった。


「それでは皆様御機嫌よう。どうか戻るまでにパーティーの準備を整い置き下さいませ。楽しみにしておりますわ___」


 炎弾に依る爆撃が収まった後には、巨大な3つの黒い竜の骨共々、3体のヴァンパイアの姿は無く、只女達の笑い声だけが森の闇の中に響き、消えて行った。



 セドリック・マイヤーは、炎弾を防ぎ切り煙を上げる自らのカイトシールドを降ろし、剣を支えに片膝を着いたまま顔を上げ周囲を見回した。

 多くのクレーターが出来た地表は未だ煙を上げ、倒れた木々が纏う炎が辺りを照らし出していた。

 兵站部隊が作り上げたバリケードと壁は、三分の一程が瓦解し、やはり煙を上げていた。

 騎士団の殆どの者がダメージを負い、呻き声を上げていた。中には深刻な傷を受け、血を流し身動き一つ取らぬ者も居る。


「…………たった一撃で、騎士団を半壊させただと?」


 信じられぬ物を見る面持ちで、セドリック・マイヤーはヴァンパイア達が消えて行った森の奥に視線を向けた。





     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 地に溢れる生者成らざる者が蠢く、荒れた平地。それを囲い聳え連なる黒い壁。

 そして、その死者達を見下ろすように黒い壁に穿たれた一つの巌。


 その口を入り進んだ先に、僅かに広がる空間があった。

 小さなホールの様に広がったその空間を、幾本もの時が積み上げた岩の柱が支えていた。

 その周りも、黒い岩の波で幾重にもベールを重ねた様に積み上げられ、悠久の時を経て出来上がった壁面だ。

 それは別世界の神殿を思わせる荘厳な空間だった。


 そのホールへ足を踏み入れると直ぐ、赤い厚手の生地で出来た巨大な天幕が、その場所を占領する様に存在していた。

 ホールの天井から吊り下げられた血の様に赤いビロードの生地は、ゆったりとしたドレープが何重にも折り重なり、その黒い空間に圧倒的な存在感を示していた。


 黒の柱や壁と赤いビロードの天幕。それは黒い神殿を侵食する巨大な血溜まりの様だった。

 そこだけが、現実とは切り離された空間だった。


 その血溜まりの様な天幕の中は広く、中央には大型で黒い岩を切り出して作られた様なベッドが一つ据え置かれていた。

 ベッドを覆うシーツの色も血の様に赤く、やはり赤い色をした大小のクッションが、その上に幾つも積まれている。

 床面には、夜の様に黒く毛足の長いカーペットが敷き詰められ、暗き深淵の上に赤いベッドを浮かべている様だった。


 ベッドの上には三人の女が、折り重なる様に互いの肢体を絡ませ合い、甘い吐息を吐きながら横たわっていた。


「ハルバート様、凄く喜んで下さったわ……、うふふ、良かったぁ」


 頭の上で纏め上げていた髪を解き、赤いベッドの上でその髪を銀色の川の様に流す薄青い肌をした女が、グラスに入った赤い液体を飲み干して、嬉しげに言葉を発した。


「十分、朝まで楽しんで頂けると宜しいのですが……」


 ほぅ、と頬に手を当て吐息をつき、幽かに巌の奥から漏れ聞こえる、途切れ途切れのか細い悲鳴にウットリと聞き入りながら、ゆるいウェブのかかったゴールデンブロンドの髪を持つ女が呟いた。


「俺は、ハルバート様が満足してくれりゃ何でも良いさ……」


 仰向けになり、顔の上に掲げたグラスを傾け、赤い液体を自らの口に落し込み、豊かな胸の双丘を波打たせながら喉を鳴らし飲み下すのは、褐色の肌をした女だ。

 女はベッドの端から、解いた長い黒髪を床へ流す様に落しながら呟いた。


 女達は皆、外で見せていた装いを解き、部屋着の様な白く薄い布地の物を身に纏っていた。

 それは古代ギリシャの人々が身に着けていたキトンに似たもので、一枚の布を折り畳み肩で金具を止め、胴回りを一本の紐で回し結んだ物だ。

 布地はレースの様に薄く、布の面積その物も大きくは無い為、脇が大きく開き、裾部分も短く、腿の殆どを覗かせている。


 ジョエルと呼ばれる褐色の肌の女が、掲げ傾けたグラスから滴り落ちる最後の一滴を、長く伸ばした赤い舌で受け止めた後、言葉を続けた。


「そうさ……、あのクソ女がどんなつもりだろうと、ハルバート様を愉しませて貰えるならな!」


 ジョエルが忌々しげに言葉を吐き出すと、そのまま空になったグラスを投げ捨て、脇にあった大き目のクッションを引き寄せ、そこへ肘を乗せ右を下にして上半身を預けた。

 すると、エレクトラと呼ばれる女が、そのジョエルの横にスルリと移動し、向き合う様に身を寄せて来た。


「言葉にお気をつけなさいなジョエル。どんなに気に喰わなかろうと、あちらは仮にも我等よりも上位の存在です事よ?」


 エレクトラは、ジョエルの唇に右の人差し指を当てた後、そのまま胸元を指の爪でゆっくりとなぞりながら、優しく諭す様に静かに呟いた。


「……そう言う、お前だって、アイツを……、アイツ!クラリモンドを認められるのかよ?!」

「お馬鹿ですわねぇ……、ねえ?ジョエル?」


 エレクトラがジョエルの顔を優しく両手でそっと包み、ジョエルの顔に残る、口元から滴った赤い液体の跡を、長く赤い舌で舐め取っていく。


「あたくしが、あんな女を受け入れる訳が、あると思いますの?」


 残りの零れ落ちた跡も、トカゲの様な長い舌で舐め取って行くエレクトラは、そのままジョエルの身体を抱き寄せ、その存在を確かめる様に手を這わせながら、言葉の先を続けて行く。


「あの方は、下卑たる人間風情に身も心も捧げておいでですわ。それが、只言われるがまま、身体を差し出すと仰る」


「冗談ではありませんわ!」そう小さく声を上げながら、エレクトラはジョエルの背に回した手の爪を鋭く伸ばし、その褐色の肌に食込ませて行った。

 ジョエルは身を仰け反らせ、小さく悲鳴を響かせた。


「でもそれは、ハルバート様がご所望された事……」


 2人の足元から、そんな呟きが聞こえて来た。

 それはジョエルと脚を絡め合い、その腿を撫で上げていた薄青い肌をした女、マリーナが発した呟きだった。

 それを聞き、一瞬二人は驚いた様にマリーナを見るが、直ぐ悔しげに眉を寄せ、視線を逸らす。


「でも!でも俺なら……!俺の全てはハルバート様の物だ!ハルバート様以外に身を差し出すなんて!俺には考えられない!」


 差し出せって言われたって……! と、ジョエルが横を向きながら悔しそうに言葉を吐く。


「しょうのないね……、ほら、もう少し頂きなさいな」


 そう言ってマリーナがベッド横の丸テーブルに手を伸ばす。

 ベッドの横に据えられた黒い盤面を持つ丸テーブルの上には、ガラス製の大型のデカンタが置かれ、その容器の底には赤い液体が溜まっていた。

 残りの液体の量はグラス1~2杯分と言った所だが、デカンタ全体の容量から見れば、ほんの僅かだ。


 デカンタの開いた口の上には、一本の鎖が垂れ下がっていた。

 その鎖は1メートル程の長さを持ち、それは更に上にある、大きく巻き太った鎖の塊から垂れている物だ。


 マリーナがデカンタに手を添えたまま、その、まるで何かを包み込む繭の様な鎖の塊を眼を細めて一瞥する。

 すると、鎖はその身を締め付ける様にギリギリと回る様に動き始めた。

 鎖の中から何かがすり潰される様な音が漏れ出ると、垂れた鎖を伝い、デカンタの中へと搾り取られた様な、赤い液体が滴り落ち溜まって行った。


「……これで最後かしらねぇ」


 グラス一杯程の量が、デカンタ内に注ぎ足されたのを見ながらマリーナが呟いた。

 マリーナはそのデカンタを持ったまま、ジョエルの身体に跨り、密着度を上げながらヌラリとした動きで、ジョエルの胸元にまで腰を移動させた。


「ほら、ちゃんと受け止めなさい?」


 そう言うとマリーナは、ジョエルの顔の上でデカンタを傾け、赤い液体をユックリと垂らして行った。

 胸を抑えられ身体を起こし切れぬジョエルは、それを首を伸ばし口を大きく開け受け止めた。

 一滴たりとも零すまいと、赤い舌も長く伸ばす。


 マリーナは、ジョエルの口を弄ぶ様に、デカンタを傾け回し、焦らす様に落し込んで行く。

 ジョエルは注がれたモノを口を開けたまま、ゴクリゴクリと喉を鳴らし、口の中一杯の液体を存分に味わいながら、少しずつ飲み下して行く。


 それでも口から零れ溢れるモノも少なくなく、それをエレクトラが勿体ないと慌てた様に口を寄せ、零れ落ちたモノを次々と舐め取って行った。

 やがてそれは、ジョエルの口元に注がれている液体の流れにまで及び、直接舌を伸ばし始めた。


 それを見たマリーナが「しょうがないわね」と目元を細めながら呟き、残り僅かなデカンタの中身を、自分の口に含んだ。

 空になったデカンタを放り投げると、そのままエレクトラの頭に両手を添え、ベッドの上に座った自分の膝へと導く。

 マリーナの腿の上で、頭を上に向けたエレクトラの口に向け、マリーナが口に含んだ赤い液体を垂れ落す。


 エレクトラは、垂れてくる液体を口で受け止め、夢中で飲み下して行く。

 しかし直ぐに、それでは物足りないと頭を持ち上げ、マリーナの口から直接受けようと自らの口を押し付け、喉を鳴らし始めた。

 二人が互いの口元を貪り合っていると、そこから垂れ落ちる赤い滴をジョエルが舐め取り、自分も分けて欲しいと言いたげに、二人の口元へと舌を伸ばす。

 赤いシーツの上に、銀と金と黒の川が交わり溶けて行く。

 赤い天幕の中は、むせ返る様な血と体液と女達の匂いで溢れ、熱の籠った声が響き、絡み合っていた。




 ゴトリ……。と音を立て、床に落ちていた空のデカンタが、黒い丸テーブルの上に置かれた。

 唐突に生じた気配に、3人の女達は咄嗟にその場から離れ、ベッドの上で後ずさる。


 「お楽しみ中でしたか……?」


 空気が止まる様な静かな眼差しで、血よりも尚、赤く深いガーネットのドレスを纏う女が言葉を発した。


「ク、クラリモンド………………さま」


 マリーナがベッドの上で四肢を付き、警戒する四足獣の様にジリっと後ずさりながら、クラリモンドを見上げて呟いた。

 クラリモンドは、丸テーブルに置いたデカンタから、ベッドの上の三人に静かに視線を移して行く。


 その輝く様なプラチナブロンドは、頭頂部から左右に綺麗に別れ、流れる様に胸元へと落ち、更に輝きを増して行く。

 透き通る様な白磁の肌を包むガーネットのドレスは、肩と胸元を大きく開き、溢れんばかりの豊かな双丘を惜しげも無く見せつけている。

 彫像の様に深い目元は切れ長で、冷ややかにベッドの上の三人を睥睨していた。


 その現実離れした造形の、美しい面持ちを見上げていたマリーナは、一瞬それに見惚れていた事に気付く。

 ハッと我に返ったマリーナは、悔しげに唇を噛み視線を逸らした。


 空色だったクラリモンドの瞳が輝きを増し始め、やがて黄金の輝きを放って行った。

 その金色の瞳で見下ろされ、三人の女達は赤いシーツの上で身を寄せ合い、更に後ずさる。


「そろそろ仕上げの頃合いかと思い、ご様子を伺いに参りました」


 クラリモンドが、甘く静かに鈴を転がす様な優しい声で言葉を紡むぐ。

 女達はその声に、背筋を上がる冷気を感じながら、只静かに身を寄せ耳を傾けた。





    ◇





 ベッドから降り、立ち上がったマリーナの身体から、身に着けていたキトンの様な部屋着が、スルリと足元に落ちた。

 身に着ける物が何一つないまま、長い白銀の髪を揺らしながら一歩前へと脚を踏み出すと、その足元の影の中から、全身が白ずくめのメイドの様な姿をした者達が立ち現れた。

 白いメイド達は、マリーナの髪を梳き、纏め上げ、衣装を身に着けさせて行った。


 既にその場にクラリモンドの姿は無い。

 張りつめていた空気は消え、女達は思い思いにベッドを降り、身支度を始めた。

 エレクトラとジョエルの二人も、同じく素肌のまま立っている所へ、白いメイド達が甲斐甲斐しく身支度を整えて行く


「確かにもう、夜半を回って随分経ってしまったものね」


 ボンデージのベルトが肉に食込む様に締め付けられ、マリーナが小さく ん! と息を漏らしながら呟いた。


「余り、お客様をお待たせする訳には行きませんわね。それに、美味しそうな……綺麗な殿方もいらっしゃったし……」


 黒いナイトドレスに身を通しながら、エレクトラが指に舌を這わせ、妖しく微笑みながら言った。


「エレクトラぁ、今夜は頼むから片っ端から跨るのは止めてくれよ?」


 髪を纏められ、髪紐を長く結び垂らされたジョエルが、エレクトラに向け嘆息しながら言葉を投げた。


「あら?素敵な殿方と結ばれるのは、女の本懐と云うモノですわよ?」

「だからって、オークの集落や鬼共の棲家を潰す時みたいに、3日も4日もかけるのは勘弁してくれよ」

「死に行く男達ほど素敵なモノは無くってよ、ジョエル?その瞬間を、あたくしが抱き迎えて差し上げる……、あぁ、至福の極みですわ」


 エレクトラが自らの肩をかき抱き、長く伸ばした舌で自分の唇を舐め上げ、恍惚とした表情で言葉を零した。

 ジョエルは「俺はオークと繋がっても嬉しくねぇな……」と呆れた様な眼でエレクトラを見返していた。


「ジョエル、貴女こそ、またその薄着で刃を受け続ける気でございましょう?幾ら楽しいからって……、程々になさいませ?」


 エレクトラが呆れた様に言いながら、ジョエルの剥き出しの腹部を こんな綺麗な身体なのに と囁きながら、指先で撫で上げた。

 ジョエルは、エレクトラの指の動きで僅かに身を捩らせるが、直ぐに横を向き「良いじゃねェか……」と照れた様に口を尖らせ小さく呟いた。


「さあ、支度が済んだなら行きましょう?早くしないと夜が明けてしまうわ。お客様達がお待ちかねよ?」


 マリーナが、後ろから二人の腰に手を回し、楽しげに声をかける。

 三人は目を通わせ、愉快そうに笑みを交わし、煌びやかな社交の場へ向かう様に、軽い足取りで共に前へと進み出た。


 ブワリと、赤い天幕内に風が撒く。

 白いメイド達は天幕の出口に向け、深く頭を垂れ下げた。

 僅かに風がそよぐ以外、音の無い天幕の中、白いメイド達が頭を垂れたまま、足元の影の中へと沈んで行く。


 音も、動く物も無くなった赤い天幕は、黒い洞窟の中、只静かに佇んで居た。

 だが洞窟の奥からは、凄惨な血の匂いと、そして死を纏った風が吹き抜ける。


 巌の最奥から響くのは、神々に使える娘の発する、怯えと絶望に満ちた嗚咽と悲鳴、そして上ずった嬌声が、交互に、か細く途切れ途切れに響き渡っていた。

 やがてその絶望を乗せた風が巌から抜けると、平地を埋め尽くす悍ましい数の亡者の怨嗟の声に飲み込まれて行く。


 其処は生者にとって終焉の場所。生きたままでは存在出来ない死者の領域だった。


――――――――――――――――――――

次回「妖女達の狂宴」

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